高見映さんの死去が報じられて既に数日が過ぎました.(親父よりも4つも歳上だったとは!)
報道自体は数日前ですが、亡くなられたのは昨年の9月だったとのこと。既に数ヶ月経っていたわけですが、如何にものっぽさんらしいです。我々の世代周辺の人達にとっては「できるかな」という番組は本当にその世代の日本人であることを試すようなもので、知らない人は居ないのではないかなと私自身は思っています。
最後の消え方も本当にのっぽさんそのものでした。元気だった頃から「自身の死について周囲のひと達に伝えるのはしばらくたってからにして欲しい」とのことを仰っていたとの事。日頃から「ぼくは風のようにいなくなるからね」とも言われていたとのことです。まさにその様になりました。
我々が子供だった頃、のっぽさんは決して喋らない人でした。ウホウホとしか話さないけど可愛らしいゴン太くんと二人で登場して、声の進行役であった「つかせのり子」さんとともに、15分間の番組を綺麗にまとめていました。今回改めて知ったのですが、このつかせさんは「できるかな」が終わった90年の少し前の88年に直腸癌で亡くなられていたのです。あの特徴的な優しい声の声優さんがつかせさんという方だったという事と、ずっと昔にお亡くなりになられていたことに衝撃を受けました。
また、のっぽさんは常々御自分のウェブサイトでその活動を報告されていましたが、のっぽさんそのものの実直なホームページですよね。私はのっぽさんはその姿から日本のフレッド・アステアだと思っていました。踊りも上手かったのですが、本当は御自身は勿論、周りの人も公認というくらい手先の不器用な方だったと言うお話を読んでこの話には驚きました。
実は偶々だったのですが、この「できるかな」の最終回は何故か視ていました。最後の最後でいきなりのっぽさんが声を出して話しだしたので、医学部最終学年だった私は口をあんぐり開けて見入った記憶が未だに残っているほどの衝撃でした。
のっぽさん、お疲れ様でした。日本中の子供達に幸せを振りまいた一生だったと私は思います。また何時の日かあっちの世界で会いましょう!その時には俺は子供の姿になってのっぽさんの前に座っているかも?^^
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