2023年5月14日日曜日

生活保護をもっと正々堂々と使わせるべき

Basic Incomeの議論が日本でも度々行われていますが、配給する制度を精密に組み上げることが出来、その延長として他人の分のインカムの搾取や不正受給やを行った者達には厳しく罰則を適用する様なシステムにする事が出来るならば…出来るならば、ですが、制度自体は良い事だと思っています。

ただし、その実現には財源の確保や、個人自身による仕事の探索、投票の義務の履行、そして仕事をする者自身の納税の義務の完全履行などと言うような実現の難しい高い高い壁が有る上に、働かない者達と働けない者達をどう峻別するのかとかというような実現不可能な問題や、在留外国人をどう取り扱うのかなどと言った制度自体の根本を二分しかねない根深い問題も存在するのが「考察前から」既に解ってしまっているのも壁となり得るでしょう。

実際のところどんな制度を創ったとしても、必ずやそれを悪用する人間が出てくるでしょうし、それは生活保護でも同じ。それでもなおかつ、実際の所そういう「質(たち)の悪い人間」達は全体の中では少数派。多くの困窮者は保護を求めず必死で生活保護の支給額以下の賃金で命からがら生きている人達が多いのです。

私自身、多くの生活困窮者の人達と病院の内や外で話す機会があるのですが、例えば仕事を2つ掛け持ちして障害のある御主人を支えながら、にっちもさっちもいかなくなっているのに、生保受給が「恥」だと言って命を削っている中年女性。そして、明日の飯代もない精神障害の有るおじさんがボロボロの賃貸住宅で生保を申請する術も知らずに病院にも行かずにギリギリの所で近所の人の通報で救出されたりと言うようなことは多くの市井の皆さんの視野の中に入ってこないだけで、毎日何処かで「大量に」存在、発生しているのです。

勿論、グータラで働く意志の無い糞のような生保受給者夫婦も外の病院で診たことがありますが、そういった人達には実際の所それなりの「生活習慣病」という別の殺人者が襲いかかって苦しめていることも多いのです。皮肉なことですし、統計を取った訳でもありませんが、如何なることにも因果応報というのは有ると私は身近な経験から考えるようになりました。

さて、我々の住む日本は宗教による貧困救済の徳というのが大っぴらに語られる国ではありませんので、社会的システムとしてのセーフティネットである生活保護制度をもっときちんと「誰もが」使えるようにしておかねばならないと強く訴えたいのです。しっかりと人間としての最低限の尊厳が守られる暮らしを支え、安心して人生の再出発と挑戦をサポートした上で、最後には納税者としてシステムに助けを求める人を支える側に戻すことまでサポートすべきだと思っています。

実際の所、実は生保で助けを求めることがvolumeとして多いのは40-50代の働き盛りで仕事を突然なくした様な人達なのです。生活の基盤が突然崩れるなどというのは誰にでも何時でも起きること。病気、事故、失業、DVからの逃亡なども含め、何が起こるなど誰が予想できましょう?若いから大丈夫?明日、車に跳ねられるかも?また、若くても病気は誰に降りかかるかわからないのです。

生活保護は正々堂々と申請して、正々堂々と使える国民の権利です。「おにぎり食べたい」と言って餓死する人や、ここ一週間ご飯を食べてないから仕方なくコンビニ強盗してわざと捕まった、等ということの起きないようにしなければならないと強く思うのです。

「貧困で首が回らない」というのは本当のことです。アメリカに居た時に、いろいろと辛い時期もありました。ですからこの言葉は身に沁みて理解できます。それでも私の場合はたまたま激安の時に日本で買っておいたアップル株が幸いにして暴騰し、切り売りする事ができたからこそ生き残れました。

しかし、それは単なる賭けに勝っただけという幸運。ふつうそんなことが誰にでも起きるわけではありません。明日のことなど誰にもわからないのです。


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