ジ・アリゾナ~って感じですね。 |
説明がついていなかったんですけど、なんかの教会のように見えますが? なんか有名なところなんですかね。 |
これもまた・・・こんなとこでも人が住んでるのがアメリカです。 |
ジ・アリゾナ~って感じですね。 |
説明がついていなかったんですけど、なんかの教会のように見えますが? なんか有名なところなんですかね。 |
これもまた・・・こんなとこでも人が住んでるのがアメリカです。 |
城下町にあったバウムクーヘンのお店に展示してあったチョコのバウム・クーヘン。 |
恋人達の書き残していった無数のハート絵馬。 末永くお幸せに! |
登城直前の犬山城 |
桜満開の犬山城! 前回実家のオヤジ達を連れてきた時は大雨で大変でした。 |
帰る直前に食べたお団子! かわいいだけでなく実際美味しかったですね。 |
水の無いお堀に菜の花が咲き誇っていました。 |
本当に大きなお城です。 |
和服のお嬢さんが、カメラマンと思しき方と写真を撮り続けていました。 |
帰りしなに撮った一枚。戦後に作り直されたとは言え、立派なもんです。 やっぱり自分の住む街に城があるというのは何だか違います。 |
これが企画展のパンフレットです。 |
2.5次元という表現でして、実写の周りをアニメのコマ割り風の景色で囲っています。 ドライバーは神様ユハ・カンクネン! |
アノ!もうひとりの神様ワルデガルドとギャラハーです。 |
その全体像。レプソル・トヨタカラーですね。 |
ケニヤの英雄、シェカー・メタのDATSUN-Zです! |
天才コリン・マクレーの操った555WRXです。震えました。 |
これはケニアの有名なインド系ドライバー「ジョギンダ・シン」のランサーです。 |
今日は再びモリコロパークに行きました。
基本的に我々がここに行く目的は常に決まっていて、1つ目は犬の散歩、2つ目は散歩の途中にあるモリコロ内のモスバーガーの店舗で昼食にハンバーガーを食べることです。実質それしかありません。
ところが、このモリコロパークには他県の多くの人も含めてもう一つの重要な施設がありますよね。それがとなりのトトロに登場する「サツキとメイの家」という、調度品のみならずその調度品の中に入っている新聞やマッチ箱などに至るまで昭和30年代をしっかりと時代考証して作られているという施設。ところがスタジオ・ジブリがこれから先、このモリコロパークの中でとなりのトトロのみならず、その他のアニメに登場した様々な施設や世界観を再現しようというスタジオ形式のイベント施設が追加的にどんどんと作られていくという建設計画が大きなニュースになっています。
サツキとメイの家は単に幾つかのエリアの中の一つの場所に過ぎなくなります。そこは「どんどこ森」と言うエリアらしいのですが、それは全体に散らばる5つのエリアのたった一つ。こうなってくると、おそらくは長久手や名古屋エリアにおいてこの「ジブリ・パーク」を訪れるための宿泊需要が生まれてくるんでしょうね。
今回モリコロパークを訪れた時に前回は幕が掛かっていた施設がその外観を表し始めていました。それが下の写真。
ここはもともとシンプルなデザインのエレベーター だったんですが、劇的に改装されていました。 |
位置的におそらく「ジブリの大倉庫」エリアのなにかです。 |
今日は懐かしいものをLIVEで視ることができました。
アメリカから我が家にやって来たにゃんこがそもそもやって来たのはRichmond animal care and controlという施設からなのですが、ここは犬と猫をリッチモンド中から受け容れて不妊手術を施し、再度その仔達を各家庭で受け容れて貰い、再び家庭にもその仔達にも幸せを配るという施設です。
今日ソファでリラックスしていたら、その施設がいきなりTwittterでのLIVE画像を配信し始めたという通知を流してきました。
これはこれは久し振り!と思って懐かしさに駆られ直ちに配られたリンクをクリックした所、いきなりのパグの大写しが登場。ずっと視ていると、今受け容れてほしいワンちゃんやニャンコ達を次から次へと紹介しながら紹介していくものでした。
コメントが次々に出てきてはハート・マークなどがついていくわけですが、そのコメントの数々に啓発されて思わず「我が家のにゃんこも8年ほど前にこの施設からアダプトして、今は日本で幸せに暮らしています」と書き込んでしまいました。
周りの景色も同時に映し出されて、実に懐かしい画像が次々に見えてきました。同時に当時ニャンコを受け容れるために次女達と一緒に施設を見に行った時の様子が鮮やかに脳裏に蘇ってきました。
いま視てもアメリカのアニマル・シェルタは本当に清潔で、うんちなんか何処にもないくらいキレイに掃除されています。実のところ、私が記憶していた当時の施設よりも一段美しくなっておりました。
こういう施設は地域住民達の寄付金などでかなり立派に運営されており、獣医師の方々もボランティアで不妊手術などをしてくださるとのことでした。日本のアニマル・シェルタももっともっと寄付金などが流し込まれるような恒久的な仕組みがあると良いなと、今日の実況を視て思った夜でした。
再びこの日がやってきました。
アメリカにいた頃に日本で起きた歴史的大災害も既にあれから11年。時の経つのは本当に早いものです。恐ろしい程の巨大な地震とそれに伴って発生した巨大津波で多くの人命と地域の絆が失われたのが本当に昨日のようです。
日本にいれば何時でもどこでも地震という天災からは逃れられません。何時起きるのか、何処で起きるのか、そしてそれがどれくらいの規模なのか。ただ一つ判っているのはそれが誰にも判らないと言うことだけ。今後、地磁気や距離の歪みその他の様々な地学的参考指標の解析は進んでいくのでしょうが、複雑に沈み込む複数のプレート(示されているだけでメジャーな4つのプレート!)の真上に国全体が乗っかっているような巨大なリスクのある国でそれを正確に予測することは仏様でも無理でしょう。
そもそもこの国では地震が来ないと考えるほうが夢想であって、「必ず来る」ことを常に前提にしておかないといけないはずです。ところが、日頃から我々が備えとして出来ることと言えばごく微々たる物と事、そして防災訓練です。要するに手薄。
正直なところ我が家では防災訓練はしていません。名古屋市広報を確認してどこに万ーの場合の避難場所が有るかということは確かめていますが、それではとても十分とは思えません。とりあえずは保存食や保存用の水なども年々歳々少しずつは増やしてはいますが、おそらく一週間は持たないというところ。
キャンプ道具の充実に合わせてライトやテントはきちんと増えましたし、簡易トイレであれば家族全体で数週間は持つレベルです。ただし、こういった生活はあくまで「水があれば」支えられるものであって、更に言えば調理には電気やガスが必要です。
万一のことが起きた時にインフラがどれほど耐えられるのかは全くもって未知で、今年は冗談抜きで大型バッテリーも購入して少なくとも電気は数日持つ程度の準備をしておこうと決意しているところで、この週末にも更に少しではあっても買い足そうと思っています。
我々は多くの方々が犠牲になった11年前の天災を再度思い出して、「出来ること」はしっかりしておかなければならないと強く思うあの日の災害のニュースで溢れる今日この日の私でした。
次から次へと家族共有のグループLINEに写真が飛び込んできます。
PittsburghとRichmondを経由して次女は長女と合流。3日前からフロリダに滞在してあちらこちらと移動しながら美味いものを食べ続けているようです。^^
どんどん送られてくる写真の数々はほぼ全てが食べ物と二人の飛び跳ねている写真、そして時々は周囲の景色や飛行機で移動している写真などが入ってきます。そのどれもが活き活きとしていて「若さ爆発!」と言う写真ばかり。American girlsのビッグ・ホリデイと言う感じでしょうか。
食べ物は寿司、カニ、ホテルの朝食、その他諸々なんですが、食べて食べてまた食べてという感じで殆ど「食べある記」と言う旅行。これも若い女性にはアリなんでしょうね。
実は、今回の旅行では娘達が移動するための飛行機代は出したのですが、(聞いてはいないのですが)おそらく残りのホテル代や食事代は全て姉さん持ち。稼ぎはバイト代と私からの仕送りのみという次女からすれば桁違いの稼ぎのある姉貴というのはアメリカにおける親のような感じでしょう。こうなると、日本に一時帰国した時には長女の方に少し厚めにお小遣いをあげないといけないかな?と思っています。w
二人の娘が充実した休みを精一杯楽しんでいるのをこうやってゆっくりと眺められるのは贅沢な幸せ。親としては己が生まれてきた意味を、そして子供達が育ってくれた喜びを強く感じるのでした。これから後も自分の信念に従って努力を重ね、生まれてきて良かったと思えるような人生を過ごして欲しいなと心から願うのでした。
しかし、こういった世界の反対側で子供、老人、そして女性が逃げ惑い男達は侵略者と闘い続けなければならない過酷な世界があるという現実。愚かな独裁者に神の雷槌が下りますように。
数日前から自分の車が妙に汚いことに気づいていました。
もともと車内はゴミひとつない状態、車の外は時たま降る雨が勝手に洗ってくれる~程度(=ほぼ洗わない!w)の「清掃」を心がけていた私ですが、ここ数日の急な汚れはアメリカにいた頃の花粉爆弾を思い出させるものでした。そういえば、この車体の急激な汚れの2日ほど前から何となく右内眼瞼に痛痒を感じていたのですが、これで犯人が特定できた感じです。
実際、この車の汚れが見られた後くらいから外来にやってくるアレルギーの患者さんが増えてきました。しかも、かなりキツめの反応を出している方が多いのが今年の特徴みたいで、3年前に減感作療法をお勧めして以来、耳鼻科に真面目に通ってくださりきちんと二年間にわたって本当に良くアレルギー症状が抑えつけられていた病院事務の女性が、今年は「先生、今年は効きません! 助けてください。夜に鼻水と喉のイガイガで全然眠れないんです。」と言って外来に駆け込んできました。
今日、処方をして3日ぶりに事務室に用事があって行ってみると、その女性がササーッと私の側に小走りに走ってきて「先生、効きました~!あれからピタッと止まって良く眠れます~」との事で何よりメデタシメデタシです。あとは場合によっては初夏くらいまで継続処方ですかね。
とりあえず、最近のアレルギーの処方薬は眠気をなるべく減らし、かつ持続的に効果が出るものが一生懸命開発されておりまして、2-3年に一回程度試してみたくなるような薬が新たに出てくる感じです。
私の場合は点鼻薬や点眼を別に出し、錠剤も処方。それに咽頭用の抗炎症作用を持った漢方薬をかぶせてセットにしてます。これで結構良く効いてくれるので職員さんや患者さんにも好評です。
何れにしても、現代病と言われるアレルギー。多くの人々が悩まされていますが、今年もその季節がやって来たようです。Tenki.jpの花粉予報では東海3県は只今「花粉大量飛翔」状態と表示されています。
仕事にならない人も多いこの花粉アレルギー。皆さんも悩むことなく季節をやり過ごせることを名古屋より祈っております。
LINEで突然、義理の妹から写真が送りつけられてきました。
5桁の数字の羅列のみなのですが、左側に受験票の数字、そして右側にはスマホの画面が表示されていて、そちらはそちらで11組の5桁の数字がかいてあるもので、以上63名などと表示があります。
直ぐに「合格発表か!」と合点がいきました。受験票の番号を眺めたあと、右側の画面を上から見ていくと確かに前期日程の合格者欄に左の受験票の番号が書き出してあります。その番号は52307でしたが、その一つ前は52024、その一つ後は52319でしたから、随分と間が飛んでいます。それだけ途中の受験生が消えたという意味ではないとは思うのですが、まさに悲喜交交の中で甥っ子が「喜」の方に属すことができたのは幸運でした。
しかし、我々の頃は合格通知というのは受験会場の帰り道に「郵便局の電報サービス」とか「電話通知サービス」とか言うのを、大人や地元の大学生達がバイトでやっていた時代だったんですけどね。やっぱり時代は大きく変わりました。
お金が無いから「国立大学に合格してもらわんと困る」と前から言っていたのですが、取り敢えず国立大学に受かったみたいで良かったですな。関東にある大学の工学部ですから、生活費も九州よりは高いはず。両親もより一層、頑張らんといかんでしょうな。
そもそも、甥っ子は今回現役生であるにもかかわらず、滑り止めとか言って関東の他の公立大学とこの国立のみを受けていたみたいですが、こういう感じで実質的には2校受験で終了したみたいです。そもそも、私の世代(40年程前)の九州の田舎の公立高校生なんていうのは意外と1校1発受験なんていうのはごく普通で、行く気もない大学の受験をしてもしょうがなかろうと言う感じの発想でして、私のような人間は当時の田舎ではそれほど目立った存在ではありませんでした。今はどうなのか知りませんが。
ですから、私立大学を日程をずらして各所を泊まり歩き、全国行脚のように受けまくる一部の私立受験組の他のクラスの子達を横目に見ながら「何だかよくわからんけど、金撒き散らしてすげーな」と感じているような次第。やっぱり根っこから貧乏人です。w
取りあえず甥っ子は11日に大学附属の寮に入れるかどうかが決まるらしいので、それが駄目なら下宿を探しに行くそうです。何はともあれ彼の門出を祝してオジサンはお祝いを準備しておかねばなりませんな!
遂にギブアップして「おまかせ」に致しました。
前々から気になっていた税務の処理の諸事を一切税理士さんに任せることにしました。正直なところ何回かプロセスしたのですが、日本の税務処理を勉強して完全に正しくプロセスすることに自信がなかったからというのが大きくて、最近毎年変わる種々の控除の内容に関しても本は買っていたんですが、読む気も起こらず実際読まず。
こんな霧のかかったような税務処理を毎年していて「幸いにも」税務署からも何も言われずにちょっとした還付その他も還っては来ていたのですが、その還付額自体も本当に正しいのか毎年毎年疑問に思いながら「取り敢えず」の繰り返しをするのが嫌になってきていました。
実は今回こういったアクションを取ろうと思ったのはある程度の偶然でして、同じマンションに住んでおられる男性と立体駐車場で週に一回はすれ違う間柄でした。立ち話をすることも度々あり、それを繰り返しているうちにお互いの何気ない自己紹介などをするなかで名刺の交換なども発生し相手の方が税理士さんだと判明。「何かご相談事があったらお気軽に」というようなお話をされておりましたので、これを機にメールで御相談をしたところ「それでは・・・」と言う形で話がまとまりました。
アメリカにいた頃は自分で処理をするTurboTaxがありましたので、何でも容易に順を追って一人で出きていたのですが、日本の税務処理は基本的に税務というものを個人から忘れさせ遠ざけるシステムで、未だに戦時体制を引きずって居るなと思います。少なくとも納税者であることを意識させないように意識させないように給料から天引きしていくシステム。これでは親方日の丸の大人しい羊しか育ちません。勿論デジタル化なんてせいぜい簡単な入力程度で、我々自身が入力したデータを我々自身でネット上で見返すことさえできません。
自分の住むマンションの同じ住人に収入やその他のことを完全にお任せするわけですが、そこはプロの仕事。お値段も実に明朗会計で今後もずっとお任せしようと心に誓った充実した税理士事務所でのミーティングでした。