2022年3月28日月曜日

日本もアメリカも銀行の存在はどこまで変わるのか

日本に居て通常そう頻繁に経験しない事がアメリカではごく普通にかつ頻繁にあります。
(その逆もおそらく探せば有るとは思いますが、何ですかね?)

それは銀行の融合です。

まずアメリカに長くいる人にとっては結構経験することだと思うのですが、周りにいる大きな銀行の看板が結構頻繁に掛け変わるんです。しかも、一般で言うところの巨大銀行というのもその例外ではない所がアメリカらしいと言えばそうなんでしょうかね。

日本に居ても、バブルの後の銀行崩壊と大蔵省主導による救済措置としての融合合併で消えた銀行、誕生した銀行がたくさんあったと思うのですが、わたしの場合日本での個人的な経験としては東海銀行の三菱UFJバンク化のみでした。

無論、そこに至るまでの細かい救済合併はやはり大蔵省の絵図面(ご指導!)通り進んでいったのでしょうが、アメリカの場合はそれが実に利潤追求をドライに求めた結果のもので、生まれた銀行のキャラや強さが異なる気がします。

本来は消えるべきはずの存在であった、いわゆる「負け組」同士の合併や巨大な勝ち組が負け組を救済合併するように指示されるようなものではなくて、より高い利潤を追求する者同士の合併であるため銀行自体が合併ごとに強力になっている印象です。

私の場合であれば渡米して数年でまず1回目の銀行合併でいわゆるでかい地銀が更に大きな銀行に吸収され、これまた20年経たずに更に大きな銀行へと合併されました。(Crestar>SunTrust>Truistと言う感じ)その度に有名な名前の銀行が消えていくんですが、なんだかそのあたりのドライさは移民の国のものなんでしょうか。

それでもアメリカでさえ銀行という存在そのものが10年前とは全く別のものになってきてしまっていて、銀行員の存在意義自体が消えてしまうような世界が訪れました。その点は全世界共通と言う感じなんですが、これから銀行というものがどう残っていくのか私自身も興味津々です。

少なくとも名古屋の銀行は地銀が合併しないと残らないでしょうし、大銀行の名古屋の各所の支店も物凄い勢いで消失していくことは確約されていますので、年寄りのための銀行窓口も益々無くなっていくのでしょうね。

全てのサービスがPCとスマホの画面の中で済まされ、細かいことも電話上で終わるという状況はかなりアメリカ的な日常になってしまいましたが、通帳の消失、対面サービスの消失、口座維持のための料金の毎月払い、ATM無料使用の為の回数制限等、どんどん「世知辛く」なってきますが、サービスと割り切れば、まあ我々庶民は種々のサービスを使う税金としてそういったお金を献上するのが普通になっていくのでしょうが。

やがてこんな話を孫たちの世代にしたところで「昔話」として笑われるのでしょうね。w

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