2025年5月7日水曜日

弟の誕生日

実は今日は弟の58回目の誕生日でした。

弟は実は私の年子でして、何時も3か月弱は一つ違いになります。このブログにもちょこっとだけ弟の事を書いてきましたが、脳性小児麻痺で言葉の無い世界に生きてきました。小さな頃から弟は延岡というところの養護学校に預けられて私とは離れて育てられています。

親父は国家公務員で母親は当初は無職というか手先は器用だけど特に何らかの資格を持っていた訳でもない家庭の主婦でしたが、薄給の親父の給料だけではお金を貯めることが出来ないと考えたのか、弟が小学生になるのを待って、遠く離れた学校に預ける様な選択を行い、仕事に出るようになりました。

何というか弟には言葉というものが通じませんから、いろいろと兄弟の間で喧嘩が起きます。

それはもう障害があろうとなかろうと我々兄弟同士は単なる兄弟ですから、道徳の教科書の様に体の不自由な弟を兄が労り、その兄を弟は敬って~等という事は無く小さい頃から私の大事にしていたものを手に握ってはくしゃくしゃにして私を嘆き怒らせ、その怒っている私に向かってきては隙を見て私の髪を握りしめ怒りに任せて引っ張り続けるという具合。

もちろん私も当時はクソガキですから、そんな弟に怒りの反撃を加えようとするのですが流石にそこは何もしません、母ちゃんに文句を言うもガン無視。まあ、当然ですわな、親としては何のしようもありませんので。そこで私は学校の宿題をする時だけ自分の四畳半の部屋の襖をつっかえ棒で閉じて宿題をする毎日でした。それでも、見つかったプリントなどを破られることはありましたが!w

そんなこんなで、今はお互い取り敢えず互いにアラ還までやってきました。今は宮崎市の別の施設で人生を過ごしていますが、20歳前後までは片足を引き摺りながらもなんとか歩いていたのですが、古いタイプの抗てんかん剤の長期服用の副作用として骨粗鬆症が酷く、骨の年齢自体は優に100歳を超える様なボロボロの状態です。その影響で何度か脚の機能も奪われ今では歩く事もままならず、車椅子で移動するのみ。今ではもう歩く事はほぼ出来ません。

また、小さな頃から「ものを嚙む」という事が出来なかった弟は何でも「呑み込む」という事で食事を摂ってきたのですが、いろいろと状況を送ってくれる老いた親父によると最近はそれもなかなか問題が多いようです。

まあ、それでもお互いにここまで何とかかんとかやって来ました。昔は弟のような子は二十歳までは生きられないと医者に言われていたらしいので、それを思えば良く生きてくれていると思いますし、周りのサポートをして下さる施設の皆さんにも本当に頭が上がりません。

今度弟に会うのは何時になるのかはわかりませんが、遠く名古屋からお誕生日おめでとうと呟いた馬鹿な兄貴でした。

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