最近、家に帰ると嫁さんから紅茶を出されます。
「それだけ」なら素晴らしいのですが、そのサービスにはちょっとした裏が存在しています。それは何かというと、アメリカから持ち帰ったFire King等のグラス・ベークを中心としたカップ類を一杯、一杯と紅茶を継ぎ足す度にデザインの違うものでserveしてくるのです。
アメリカで一緒にantique shopを巡った頃に「あった!」とか、「コレコレ!」とか言って集めていた頃をしっかりと思い出すことが出来るような濃いデザインの数々なのですが、こういったカップ類の中にはフツーに6-70年前のものがたくさん入っていて、デザインもガチガチにアメリカンなものばかりなのですが、嫁さん的にはそのデザインを私に再度味わって貰いたいらしく、毎度そのカップを変えて出してくる度に実に明確に相好を崩しているのです。
嬉しそうな顔を見るために私も頑張って「普段は飲まない」紅茶を飲むのですが、帰宅して飲める私の限界は3杯です。w
この前一緒にストアに行ったときにもこういった日々の為に飲む紅茶をいろいろと選びだして買い込み、それを更に順番にserveして貰っています。今回、幾つもの種類の紅茶を飲んでみて個人的に思ったのは紅茶にとって大事なのは「香り」だなと言うことでしょうか。
味に関してもやはり夫々に異なっているのですが、紅茶の「味」に関する判定は私の舌では未だとてもできません。飲み易いものというのと、それを感じないものとはあるのですが、緑茶と違ってまだまだ「旨味」を感じる段階に至っていないのが残念です。
おそらく、甘み好きの私が無糖で飲んでいることがその主因と思えるのですが、ジャムなんかを使って紅茶を飲むという変法なども徐々に試していこうと考えたりしています。
それにしても嫁さんからの絶え間ない「茶器変更攻撃」。一周り提供されるバリエーションが終了するのは一体何時なのでしょうか。
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