2023年4月30日日曜日

我が家の次男の安楽死

夕方4時過ぎにペットの病院に行きました。

胸水を抜いて貰うためです。実は前回も少し書いたように「もしかしたら」調べきっていない肺に癌がある可能性があるとのことで、苦しがるようであれば明日1日に安楽死を選択する可能性があることを話し合うためにも連れてきました。

次女と嫁さんをイヌネコ病院で下ろした後、私と長男は近所のBOOK OFFに行って昨日発見した西村賢太の文庫本を5冊ほど見つけ出し、早速車内で読み始めようとしていた矢先のことでした。

いきなりLINEで嫁さんから涙声で音声コール。「胸水を抜こうとした途端に息が一瞬止まって中止になった・・・」と、後はもう声になりません。「すぐに行く」とだけ答えて息子の手を引いて車へ。

病院に到着すると既に我が家の小犬は酸素チャンバーの中に入れられており、私の側から離れた所に入っていました。そこで獣医の先生から説明が始まり「このままだと恐らく苦しみが続くと思います。この状態でお家に今晩連れて帰っても恐らく…」との説明で、言葉を続けて「この前お話していた件に関してどうされるかお考えくだされば…」との事。娘も嫁さんも滂沱の涙で、私も思わず涙が零れ落ちます。この瞬間が来るかもとは解っていても、いざその瞬間が眼の前に展開されるとどうしようもありません。

次女が先生に「抱っこして散歩させてあげても良いですか?」と話を切り出しますが、先生はその散歩の間にも、もしかしたら息が止まるかもしれませんがそれでも良いですかと念を押されます。それを承知の上での散歩が始まりました。私は娘のリクエストに従い最後になるかもしれないと言うことで、今までは体に悪いからと言って決して食べさせなかったけれど、実際には小犬が大好きであったチーズ・バーガーやフライド・ポテトを近くのマックまで急いで買いに行きました。ついでにカバンに入れていたチョコレート入りのシュークリームも一緒に食べさせてあげました。

朝から何も飲んだり食べたりということが出来ていなかったようなのですが、この時ばかりは目が見えないながらも口元に寄せるとパクリと食いつきそれなりに嬉しそうに飲み込みました。次女自身もまさかここまで元気に食べてくれるとは思っていなかったようで、逆に自分が大喜び。しかし、これから後に待つ最後の別れの可能性を考えるとやはりポロポロと涙を流してしまいます。

40分ほど外で過ごした後、再び診察室に戻り先生とのやり取り。その間にも我が家の次男坊たる小犬は苦しそうに顔を歪める瞬間が続きました。「どうされますか」と最後に先生が尋ねましたが、次女が母親経由で「本当にもう助ける方法は有りませんか」という質問をしました。わたし的には「…」と言う気持ちだったのですが、それはやはりそういった場面での医療者としての気持ちが良く解るというものからくるもので、娘の質問自体は自然なものだったのでしょう。

最後に先生が、口を濁すように「恐らくこれ以上は…」と言う感じでお話はなく、次女と嫁さんが泣きながら「よろしくお願いします」と依頼しました。そこからはその手順の説明が始まり、酸素を与えながらプロポフォールで強く麻酔をかけ、意識を無くした状態で塩化カリウムを静注し心臓の動きを停止させるというものでした。

その説明を聞いた後も、次女は何度も何度も「苦しくは無いですよね」と聞く状況。先生も困っていましたが、辛抱強く「苦しみはありません」と説明して下さって私自身はなんとも申し訳ない気持ちでした。そのあとも自分の弟のように子供のよう共に育ってきた子犬にずっと英語で話しかけながら、泣きながら、体を撫で続けていました。私も体を撫で、キスをして別れの言葉をかけました。掠れる声で「また会おうな!いつか行く日までお父さんを待っててくれ」と。最後に別れを決意すると我々家族は部屋から出され病院の外で待っていました。

そこでも二人は当然のように大泣きだったのですが、安楽死を選んだ後に思う気持ちは本当に複雑で、そう簡単に説明できるものではありません。20分も経たず先生が呼びに来てくださいました。部屋に入ると気持ち白みがかったような我が家の次男がいました。その評定には既に先程までの苦痛はなく元気だった頃の穏やかな顔に戻っていました。しかし、唯一の違いは眼には光が無くなっていたこと。

ダンボール製のきれいな棺に入っていた我が家の次男は綺麗に布団の上に寝かされ、掛け布団がかけられ、まだ温かい体のまま動かなくなっていました。そのあともずっと次女と嫁さんが体を撫で続けて泣いていました。私も涙を抑えることが出来ませんでしたが、先生に「ありがとうございました」と声を振り絞り掠れ声で言うのが精一杯。体の入った箱を先生方が裏口から車の方へ運んでくださいました。

先生方に何度もお辞儀をして、その箱を積み込んで家族全員で家へと向かいました。家に帰ってきても娘は体を誰にも触らせず、棺から体を取り出し後には今まで寝ていたクッションの上にそっと寝かせつけて体を撫でながらまた泣いていました。可愛い可愛いといいながらそのまま一緒に布団の横に次男の体を置いて朝まで寝たのでした。

ペットを飼うというのはこういう事なのですね。産まれて亡くなるまできちんと責任を持って育て上げる事が出来るのか。人の子育てと同じです。親には誰でもなれるのでしょう。しかし、きちんと育て上げられるかは次元の違う難しさだとハッキリ理解した15年半でした。

我が家の犬の名前は「スプーキー」
2007年10月31日ハロウィーン産まれのジョージアっ子。
2023年4月30日に虹の橋を渡りました。
15年と半年の間、我々家族の心の中心に居た可愛く立派な寂しがり屋の次男でした。


2023年4月29日土曜日

西村賢太と言う男を知った(偶然)

久しぶりの当直でした。

病棟から戻ってきて音も無い部屋でぽつねんと椅子に座っているのも何となく侘びしかったので、当直室にあるテレビのスイッチを付けました。番組一覧をつらつらと眺めてみてもなんにも自分の気を引くようなものはありませんでした。

そのままスイッチを入れたまま取り敢えずシャワーを浴びて、再び診察用のスクラブに着替えてそのままパソコンを眺めていたところ、NHKの画面からある私小説作家の話が流れてき始めました。そこには或る本のタイトルが映し出されていました。

苦役列車と書かれたタイトル、そう言えば以前アメリカに居た時にどこかのウェブ・ニュースでこの本のタイトルを見て「何だか蟹工船の様な話だろうか?」と思いつつ、アメリカに居るから本を容易に取り寄せるような訳にもいかんな、と言う一言でそのまま忘れ去っていた本なのでした。

思わず「ああ、もしかしてあの本を書いた作家のことか?」と思い、画面に見入ったのが最後。その放送で語られる西村賢太の現身たる登場人物の北町貫多の行動や心理描写に関する語りにグイグイと引き込まれていきます。ピカレスクでは無いのですが、明らかに西村氏自身であるドロドロの北町貫多の語りはまさに私の惚れ込む阿佐田哲也(色川武大)にしか思えません。

慌ててネットで西村氏の人となりの概形を掴もうと、彼と交友のあった人や編集者達の記述を読み漁りました。そして、驚きの事実を知りました。彼が既に他界していたという事実を。

藤澤清造の没後弟子として時代と場所を超えて師弟関係を結んだ西村氏が清造の墓の真横に生前墓を建てて「死んだらここに入る」という親子をも超えた関係を自ら求めていった様子が彼を知る人達の話とともに画面に映し出されていました。

明日、可能な限りの彼の著作を古本屋と本屋を廻って手に入れようと決意した当直の晩でした。これから暫くはこの「極」私小説家の書き遺していった作品群を読み漁ってみることに決めました。


2023年4月28日金曜日

目をつけられるヤバい先生

自分の勤める病院にヤバい先生が居ます。

どういうヤバさかというと、精神疾患を疑われ精神科を訪れた…というか実際には警官からパトカーに乗せられてやってきたり、役所の人に連れられてやってきて入院の要否を判定される段階というのがあるんですが、そこで何度も問題を起こしているのです。

どういう問題かというと、患者さんとその家族、そして警察官や役所の人が居る前で起こってパイプ椅子を蹴ったり怒鳴ったりして役所や保健所から苦情が入ったというものです。警察や役所の人間も好きでやっている訳ではないわけでしょうから、眼の前でそうやって粗暴な行為をする精神科医を見たら「どっちが患者?」と感じることもあったのでは無いでしょうか。

そんな現場が果たしてあったのかと俄には信じがたいところですが、「日頃のあの先生の態度」からすれば無いとはいえないな~というところがあるのも事実。それくらいのことならやりかねないというところです。この先生、そのようなことを繰り返しているせいでここ数年いろいろと自分の存在する場所を狭め続けているのです。

このパイプ椅子蹴り上げ・怒鳴り散らし事件のあとに事務長に呼びつけられた後、今度は院長にも呼びつけられ、理事長にも呼びつけられて何度も何度も厳重注意となったのでした。曰く「今度同じ様な案件に対して同様な行為が為されたら云々」という注意を受けてしょぼくれ返る始末。

自縄自縛というのは当にこの事なんでしょうが、治らないですね。本当に彼は治らない。

そういう「困ったちゃん先生」を見て、傲岸不遜になったら人間終わりだなって思いつつも医者の中には勘違いしている人間が一定の割合で居るなとも思ってしまうのです。日々反省。自分が何者なのかを弱い立場の患者さんを見つめながら何時も考えてしまうのでした。


2023年4月27日木曜日

生きている時間

次女がアメリカから連れてきた小犬の命を永らえさせるために我々親が文字通り引きずり回されています。

時間に関係なく呼吸状態が悪化する犬を何とかしてレスキューしたいのは解るのですが、その度に仕事を終えて休憩も何もしていないままペット病院まで連日走らされて息子と2人で車の中で待たされて、2~3時間待たされる始末。あまりにも待機時間が長いと息子が車の中で眠ったりします。

車内で待つ以外に時間を潰すために車内で本を読んだり、ペット病院の近くのディスカウント・フードショップに行って息子と好きなお菓子を選んだりするのですが、それにしても時間は余るものです。何よりも外に出ていって息子と待ち続けることの長さには二人共疲れてしまいます。息子でさえ長い溜息のあと帽子を被って寝てしまったり。仕事を終わって既に倒れそうなほど疲れていても「連れて行って」の一言で全てが始まります。まあ、時間は関係なしっていうやつですね。

連れて行くペット病院の中では夜の十時を過ぎても胸水を抜いたり酸素を与えたりステロイドや気管支拡張剤を使ったりしているようですが…。それはそれで獣医さんもたいしたもんですね。毎回いくら掛かるのかは恐ろしくて聞けません。

まあ、嫁さんは娘の言いなりですので私は何も言いませんが、命というのはただ永らえさせれば良いというものではない事は日常の臨床で患者を毎日診ている私からすると自明です。その生きる時間には「安らぎがあればこそ」という前提があって初めて永らえる事の意義が出てきます。

癌の患者でも癌性疼痛や呼吸苦を可能な限り鎮めて、安静に過ごせる時間をどれだけ長く患者さんにあげられるかというのも医師としては手腕の見せ所です。そのためにはいろいろと細かい薬の調整や鎮痛剤・麻薬のローテーション等をきちんと学習しなければなりません。

しかし、今の我が家の犬の様子を見ていると起きている時間はどちらかというと咳やよろめきばかりで、安静の時間というのはコンコンと眠り続ける時間ばかりにしか見えません。果たしてこれが我が家の犬にとってどういう時間なのかと考えると私には大きな疑問しか残らないのですが、もう次女には周りは全く見えていないようです。胸水の病理学的検査結果を見た限りでは悪性の所見も「否定は出来ない」ような細胞診の写真と結果の評価でしたが、それも最終診断は付けないままで終わっています。人間とは違って徹底的にはしませんからね。

私には愛情の名のもとに娘のための「生存の強制」が施行されているようにみえる最近の我が家の小犬です。

娘が今回の件から最後は何かを学んでくれるのでしょうが、今のところは聞く耳を持たぬ状態の娘に何を言っても無理でしょう。


2023年4月26日水曜日

嫌な場面、、、もう少しでPTSDになるところでした

今朝は本当にPTSDになりそうな場面に遭遇しました。

朝の通勤時間帯にいつも通る道を通っていた時に、公園を抜けて右折する道があるのですが、そこを抜けるとメインロードに出ます。以前から、この道は自転車も歩道を突っ込んでくるし、そもそもメインロードに出る時に右左折することは「可能」なのですが、実態としては右から左に、そしてその対向車線側も左から右に走り込んでくる車が多すぎて、右折するのが大変危険な道だと感じていました。

しかも、この出口は右折する車の直ぐのところに横断歩道があって、このメインロードを横切ろうとする老人、自転車、そして保育園のバスに移動しようとする人が朝な夕なに道を渡るのです。

何時も気になって走行しながら観察しているのですが、歩行者が横断道路の脇に立っている時の停止が本当に出来ていない。まさに「お前ら全員逮捕されろ」と言うレベル。一番驚くのはこちらが停止して人を渡そうとしている時の対向車線の運転手のなかに往々にして停まらないバカがいること。ずっと前を見てそのまま全速で突っ込んでくるオッサンやオバハン、一旦停まりかけて停まりきれずにそのまま走り去っていくバカなど、停まらない連中は基本的に目は開けているけどモノは見えていないんです。

そして今日、この右折するオッサンがやらかしました。横断歩道を渡ろうとしていた2歳位の女の子の手を引いたお母さんを見た保育園のバスが手前の車線で停まりました。そして、それを見た向かい側の車線を走ってきた軽自動車も左から来て停まりました。勿論、お母さんは子供さんの手を引いて会釈しながらニコニコとわたり始めたその時でした。私の目の前で右折を待っていたオッサンが猛然と右折しようとしているのでした。

その先には親子2人!オジサンがその2人を見ている気配はありません。思わず車内で「危ない!」と大声を出してしまいましたが、お母さんの右肩スレスレのところをミラーが摺るような形でそのミニバンは走り去っていったのです。

お母さんはキャーと言いながらジャンプする感じで身を捩ってギリギリで避けましたが、「もし」女の子がお母さんの右手側で手を繋いで歩いていたらと思うと…。

お母さんは呆然として走り去ったミニバンを見つめていました。思わず窓を開けて「お母さん大丈夫でしたか!」と大声で聞いたところ「大丈夫じゃないです!」と引きつった顔をしていました。当然です。私はドラレコの赤いボタンを押して前後の一定時間の画面を保存しました。周りの車も全てが暫く動かずに恐怖の瞬間に凍ったようになっていました。

警察に画像持っていって「この道は右折禁止にした方がいい」と言おうと思っています。若い人達2人の命が消えるかもしれなかったとんでもない場面に居合わせてしまってその日の午前中はそのシーンが頭から離れませんでした。

左右確認。前後確認。横断歩道こそは安心して渡ろうとするからこその「極めて危険な場所」だと改めて感じた次第でした。

皆さん、お互いに気をつけましょう。


2023年4月25日火曜日

息子も結構やるもんだ

最近は我が家の犬が弱っているため、次女も嫁さんも、ここ数ヶ月家に籠もることがほとんどです。

その代わりに私と息子は週末にいつもどこかに2人で出かけています。飛行機を観るために県営飛行場である小牧とその博物館に行ったり、まちなかに繰り出して散歩をしたり、近くのモールに行ったりするような事が良くあります。しかし、そのパターンもちょっと毛色を変えてみる必要が合るかと考えてやることを変えてみました。

それでも、あまりに疲れることをしたり低血糖などのイベントが自閉症の息子のてんかんを誘発する可能性があります。それでもなるべく息子が楽しめるような事を組んであげたいと考えるのが父親。^^

日曜日の昼にまずは息子の大好きな乗り物に乗せてやろうと考え藤が丘まで歩いてリニモに乗り込みました。目的地は愛・地球博公園ことモリコロ・パークです。以前、犬が元気だった頃は家族全員で散歩をしていたのですが、最近は老健にその行為自体がリスクを生み出すためもうしていませんでしたので実に久しぶりの訪問です。とは言え、まずは駅で種発前に2人で息子の大好きなハンバーガーを食べました。いつもならマックを食べるところですが今日はフレッシュネス・バーガーを2人で一つ。

軽装の親子2人で男同士手を繋ぎリニモに乗り込みモリコロへと到着。私自身はモリコロへリニモで来ることは初めてでしたので、入り口からのアクセスは初めてでした。そもそもこの入り口もジブリ・パークの部分的開園に伴い劇的にデザインが変更されていましたので、中に入っても二重に驚かされたのですが…。

中に入って散歩を始めるといつものようにまずはモス・バーガーと言うのが我々ファミリーのパターンだったのですが、今日は散歩を開始する前に藤が丘駅のMaxValuで買いこんでおいたジュースとちょっとしたお菓子を食べて1つ目のモスを何も食べずにやり過ごしました。そのあと淡々と歩き続け、モリコロの中をいつものようにぐる~~~~っと散歩。最近やや皮下脂肪が付き気味の息子には良い運動です。大分歩いたあと、今度はモス・バーガーで2人で一つのモス・ダブルチーズを食べて一休みしつつ本日のメインイベントに移行しました。

それはふたりで「歩いて」7キロ程度の道を家まで帰るということ。最初にも書いたようにあまりに疲れさせるとてんかん発作が出ないとも限らないので、常に腹は満たしてやりながら低血糖発作なども出さないよにしつつの長距離歩行。息子の横顔を見つつ歩き続けた訳ですが、意外と元気そうに歩いてくれました。予定した道のりの途中で一回だけ2人で立ち止まってベンチに腰掛けた以外は特に休むこともなく手を繋いではずんずんと歩けました。

最後の途中休憩所としてご褒美に本日三度目のハンバーガーとしてのマックを食べました。フィレオ・フィッシュとフレンチ・フライをこれまた2人で一つ。あとはダイエット・コークです。

息子はハッピーモードになり、再び手をつないで家路へ。全ての歩行経路を合算すると余裕で10キロを超えましたが、どんなもんかと思っていた息子は意外と「すんなり」やり遂げてくれました。これならまたやってもいいかなと考えた父親でした。

今日の結論。モス・バーガー≧フレッシュネス・バーガー>マクドナルドでしょうか。息子的には逆かもしれませんが。

どんな小さなことでも「出来るかな?」と思っていたことを子供が出来ると嬉しいものです。こどもが何歳になろうと親バカは親バカですよね。w


2023年4月24日月曜日

そろそろ飲み会

病院で働く若手のコ・メディカルから激しく飲みに行こうと誘いがかかります。

部門が一か所なら良いのですが、数か所から声が同時にかかるとどうしてもどこにその「日付け」を入れ込むかという日程調整が必要になってきますが、当然月に2回ほど入れられている当直と重ならないようにしなければなりません。

実は名古屋で飲むところと言えば、みんなが自分のテリトリーと言えるような地元のメジャーでない飲み屋以外には余り知らないというのが本音ではないでしょうか。年配の方に聞いたりしても明らかに年代によってメジャーな飲み屋街の場所が変わってしまっていて、余り違う世代の方に聞いても参考にならないのが正直なところです。

昔は「飲む」と言えば今池や錦三丁目(きんさん)、栄などがメジャーな場所だったと聞いていますが、今は名駅前やリノベされた美しいコンコースを持つ金山などが新たに人を集めているような気がします。

ところが、今回誘ってくれた若手のお婆ちゃんが何十年もやっているとんちゃん(豚のホルモン)の有名店があることが今回わかって嬉しいばかり。瑞穂区にある美奈登と言うお店なんですが、七輪で焼いて食べるお店ということで、もうもうたる煙の中で食べるであろうとんちゃんに今からワクワクしています。そのあと、名駅に移動して更にどこかで飲もうなどということになっているんですが、一体どうなることやら。

新型コロナのゆっくりとした戻りは確実に観られていますが、恐らく以前のように人々は身を竦めて行動するようなことは無くなると思います。そういうブレーキング・ポイントを作るのは何時も若者。オッサンもついて行こうと思います・・・スポンサーとして。w


2023年4月23日日曜日

片頭痛の治療が大きく変わってきた

実は昨日おもてなしをさせて貰った人物が東京に帰る新幹線の中で大変な目に遭ったと知り愕然としてしまいました。

歌舞伎を観た後に新幹線の車内で偏頭痛が起きて下痢と嘔吐が止まらずにひどい状況だったとのこと。何だか申し訳ない限りでしたとのことでしたが、きつかったのは新幹線の車内だけで、偏頭痛の解消とともにその他の症状も消えたとのことでした。

ある瞬間にたまたま気がついたのですが、この人物は喫煙者。片頭痛に喫煙のコンビね~四は最悪の選択肢の一つです。あと疲労も打撃としてはデカい要素。疲れている時に喫煙なんかすると、血管がキューッと絞られますから、偏頭痛発生の素地としてはこれ以上に悪いものはありません。

片頭痛は何らかの原因で脳の血管が拡張するだけでなく、過収縮する際にも頭痛が発生すると言われています。おまけに偏頭痛の持ち主は脳梗塞のリスクもない人とは違い「高い」のですから厄介。

私が研修医の頃などにはまだまだ「良い薬」というものはなくて、閃輝暗点が出現するときなどに早めに鎮痛剤を服用しておいたり、ナチュラル・アルカロイドを服用するなどという方法が取り敢えず推奨されていました。ところがここ数年では薬がガラリと変わってきているようで、かなりの薬がバリエーションとして服用できるようになりました。特に変わったのは注射薬。

カルシトニン遺伝子関連ペプチド(CGRP)が三叉神経から放出されて硬膜で炎症と血管拡張を誘導して、痛覚や吐き気を起こすと言われています。というわけで、これに関連するCGRP放出の主役たる①神経、そして②ペプチド自身、その③受容体の存在する膜側のブロックが治療の方法選択になるわけですが、①に対してはイミグランというのがかなり前からありましたが、使うタイミングが激ムズで使いづらい薬でした。そこで、抗体医薬品としてエムガルティとアジョビという一回打つと1~3か月効果が残る注射薬が登場したのですが、高い!エムガルティはおよそ45,000円の薬価。アジョビは41,000円…。③のCGRP受容体抗体であるアイモビーグも同じく抗体医薬品で、41,000円です。効果はほぼ一ヶ月。

取り敢えず、②と③を重ねなくても十分にそれぞれ単独で効果が高いと言われていますので、重ねて使用する必要もないし、今のところいろいろな脂質関連抗体薬などで観察されていたような「抗抗体」のような、抗体の効果を打ち消してしまうような抗体の発生も「幸い、今のところ」報告されていない様です。

私としてはトリプタノールやバルプロ酸、トピラマート等よりかは本質的な治療と考えています。ただし、注射を打つためにはそれを満たす保険適応上のクライテリアを満たしておく必要がありますが…。そこは実地でお医者さんに尋ねましょう!


2023年4月22日土曜日

歌舞伎好きのお客さんのおもてなし

東京からのお客さんを饗(もてな)すためにホテルで昼食をとりました。

昔々、私が長崎で生まれて初めて家庭教師をした時に教えた中学生の子供が今ある会社を経営しているのですが、その会社で働いているトップの人物が名古屋の御園座で御自分の贔屓筋である中村勘九郎と中村七之助の演出する「陽春花形歌舞伎」というのを観に来る為に名古屋に来たのでした。

というわけで、私自身は特に饗す理由もないのですが、何と言ってもその教え子とは昔からの付き合いですし、来名した人物の事をある程度その教え子から聞かされていたのですが、そのバックグラウンドヒストリーが波乱万丈過ぎた事もあって、その物語をいろいろと聞いてみたいという考えがあったからでした。

実際に話を始めるとそのヒストリーを聞くどころか歌舞伎の話だけで二時間半がすぐに経ってしまい、12時からゆっくりと食べ始めたフカヒレその他の素敵なデザートに舌と腹を満足させつつもその歌舞伎の世界の打ち明け話のほうがよっぽど面白くて、思わずずっと聞き入ってしまったのでした。

歌舞伎の「か」の字も知らない私が初めて聞くような格付けの話やアホの海老蔵の話、その他諸々の細かい話が濃密にその口から出てくるのですが、何となく今までテレビの中で聞いていたようないろいろな家名が次々と出てきてはその説明が始まってしまうわけで、なかなかメモ無しで理解するのは大変でした。その他にも公園におけるチケットの値付けの状況や歌舞伎の舞台の面白さ、この演目ではどこを観るべきか、スーパー歌舞伎の話、ワンピース歌舞伎の話など「全く知らない」世界の話が出てきて只々圧倒されました。

完全に個人の予想なんですが、歌舞伎を歌舞伎座(現場)で死ぬまでに一度も観たことのないまま一生を終える人というのは日本人全体の7-8割は居るんじゃないでしょうか?政府の調査もありますが、歌舞伎って何かお値段や内容的にも、そして何よりも演舞される場所が限定的と言う感じがします。名古屋ではそれ用の場所として御園座が存在していますが、地方ではそうもいきません。

取り敢えず、波乱万丈の人生の話など一言も聞けないままホテルの食事を済ませ、御園座の講演開始30分前に玄関口に送り届けておもてなしを終了いたしましたが、その玄関口には映画で観るような上品な和装の叔母様方も並んでいて、「俺の知らない世界」というのを目の当たりにした一日でした。


2023年4月21日金曜日

岸田総理を襲撃した木村の主張

首相を襲撃した木村被告の主張が外に漏れ始めました。

その漏れてきた主張には幾つか明確なものがあるのですが、それをまとめてみると以下のようになるでしょうか。産経新聞の話の中からわかったのが以下のものでしょうか。
  • 岸田内閣は故安倍晋三の国葬を世論の反対多数の中で閣議決定のみで強行した。このような民主主義への挑戦は許されるべきではない。
  • 年齢要件や供託金制度を定めた現行の選挙制度は「普通選挙ではなく、制限選挙だ」と主張。この「制限選挙」によって組織票を持つ既存政党・政治家に有利な仕組みが作り上げられ、岸田内閣による安倍氏の「国葬強行」のような「民主主義への挑戦」が可能になっている。
  • 故安倍晋三が政治家であり続けられたのは、旧統一教会のような組織票を持つ団体と癒着していたからである。普通選挙を行っていれば組織票の割合は下がり、議会制民主主義は保たれる。
なんだか、文章を読んでいて私自身は一々「わかる~、わかりすぎる」という感じなんですね。しかし、しかしです。それらの主張を「口頭で」するのは幾らでも結構なのですが、テロという形で暴力に訴えるというのは根本的な間違い。

自分の主張が正しいと思うのならずっと「演説やネット」等で主張し続ければ良い。世襲政治家達の糞っぷりなんて言うのは誰でも知っているし、そういった糞議員達が世襲システムによって我々を辟易させているのも日常的な事実。それでも、主張の異なる人間を暴力で消し去ろうというのだけは絶対に間違いです。

何千年の間に血で血を洗う争いで人類が辿り着いた結論は「闘いは言論で!」だと私は信じています。

若い血の純粋さが起こさせた事件なのでしょうが、判決を受けて塀から出てきた後は頭を冷やしてもう一度娑婆で己の主張を「言葉」で拡散してください。対立する相手を暴力で消すというのではヤクザと一緒。一見まともに聞こえる主張そのものの正当性が一瞬で消えてしまいます。


2023年4月20日木曜日

B型肝炎抗体

健康診断の季節です。

私の場合はいわゆる病院の職員検診というものなんですが、病院が準備してくれる短い検査項目リストでは私には「ちょっと納得いかない」という状況ですので、毎年データ・マニアとして余計なお金を使って自分の種々の数値を集めて記録しています。

病院内での標準セットというのはいわゆる成人病検診という色合いの強い項目が並んでいて、肝機能の一部や腎機能、糖、脂質などを調べ、聴力、視力、体重、血圧等々のお金もかからない項目をチェックアップの項目としてみています。まあ、通常はその程度のものでも充分に今後やってくるであろう問題をスクリーニングするには役に立つのですが、私の場合はこれに大きく色を付けて項目数をぐぐっと増やしています。

何を調べているんだ?と言われそうですが、自分の体調が万全では無い時などにはやはりなにか問題があるのかという事を含めて当たりをつけて調べることはあります。自分の場合は実はその数値を年齢ごとにグラフを付けてどういう変化を見せるのかという事を調べることに大いに興味があるのでした。あまりに専門的になるのでここには書きませんが、私自身は「ホー」と一人で悦に入っています。無論数千円余計に払わないといけないのですが。

これとは別に、患者さんの血液が自分の体にかかるというインシデントが先日発生し、労災として感染症関連の数値を幾つかピックアップしました。その中には梅毒、B型肝炎ウイルス抗体、C型肝炎ウイルス抗体などのスクリーニングが入っていまして、今回ある事実に気が付きました。

それはB型肝炎ウイルスに対する抗体の登場。HBs抗原、抗体の2つを調べることで既感染、防御効果などを推測することが出来るのですが、アメリカにおいて研究をしていた時に義務としてB型肝炎ウイルスのワクチンを打って抗体が出現することを期待していたのですが、二度打っても抗体が出現せずに腕が重くなる感じがするだけという「時々そういう人がいる」という人の1人になってしまいました。そういう訳で当時は自分にはB型肝炎抗体はなかなか出来ないんだな、と思っていたのです。

ところが、今回偶然に調べたことからそれが形成されていることが判明したのでした。もっっとも、その抗体のバンドは極々薄いものだったのですが…。

これから加齢が進んでいくわけですが、自分がそのデータを解釈する脳味噌が残っている間にそれらのデータを採り続けてどんな風に老いていくのか愉しみたいと思います。w


2023年4月19日水曜日

同じマンションに住む「推し活」少年

私にはペンライトを振って応援するようなアイドルがおりません。

むかしから、何かを忘れて大熱狂と言うことがほぼ無かった人生でしたので、何かに取り憑かれているかのように熱狂している人を見ると何となく羨ましくもあります。ビートルズに一時期ハマっていたことはありますが、それも何というか「おお素晴らしい!」と言う感じで、ラジオで聞いた瞬間から大好きになった音楽との出会いがPlease Please Me.とLove Me Do.でして、本当に偶然付けたラジオから聞こえてきたこの曲の素晴らしさにポピュラー音楽童貞の私が一瞬でやられた瞬間でした。

直ちにその曲名をメモして当時のレコード店へ行って、それがビートルズと言うグループの音楽っだと知ってからは学校の勉強よりもその知識を蓄え、曲を聞くことに専念した思い出はあります。当時NHKでビートルズの大特集がたまたまあって、研究家の香月利一さんという方(残念ながら51歳前後で早世されてしまわれているようで、その後のご活躍を見なかった理由はそれだったのかと今日になって愕然としています。)が当時知られていた全ての曲を流してその曲の背景などを時代やビートルズの中の動きを語りながら解説してくださるという予定が流れていたので、「一生のお願い!」と言う感じで親父に頼み込んでオートリバースのカセット・デッキを買ってもらった覚えがあります。

とは言え、その当時の音楽ファンというのは今のファンとはちょっと感じが違って、女性がアイドルに熱狂という感じがメイン。勿論、女性アイドルに男子大学生などがハマるというようなことも当然当時もありはしたのですが、やはり音楽を聴くメディアや世界の広さが当時と今では全く異なりますからいろいろ比べてもしようもありませんけどね。

しかし、今の時代当然のようにオジサンであってもアイドル・グループにお金を注ぎ込み、時間を割いて会いに行く人達が沢山おるわけでして、その年齢層も性別も様々。ただ、私が中高生だった頃に比べると圧倒的にそれぞれのアイドルの賞味期限が異様に短い気がします。無論、生き残っている人もいないことは無いのですが、何だか「卒業」と言う名目で退場させられている人達が居るような…?

まあ、何十人で集まって一絡げにグループを作るのでしょうから、卒業することでそのグループは人間の細胞の様に新陳代謝を経て延命できるわけですので、制作者サイドには美味しいシステムですが。

さて、前ぶりがやたら長くなりましたが、私の住むマンションに背の高いヒョロっとしたおとなしい高校生が住んでおります。ところが先日、驚くようなアクティビティを行っているその青年を近所の地下鉄駅周辺で見て「人は見かけによらん!」と改めて考えさせられたのでした。

それは地下鉄の駅から家まで歩いて返っていたときのことでした。後ろの方からなんかどデカいボリュームで女声のポップスグループの曲を流しながら近づいてくる自転車があったので、思わず「?」と言う感じで見てみたところ、ピカピカ光る電飾を付けてアイドルの写真をペタペタ貼った状態で何らかの再生システム(恐らくスマホ)にスピーカーを接続して、大声で歌いながら近づいてくる高校生くらいの大柄な青年が乗っていたのです。

よく見ると初心者マークなども飾って付けてあったのですが、私を驚かせたのはその自転車ではなくて、その自転車を漕いでいた少年が「あの」大人しいマンションの高校生だったからでした。私としては思わず「おおおおおっ!」と思ったのですが、取り敢えず少年が戸惑うといけないかも?と思って「見ていないふり」をしてしまいました。

しかし、気分良さげに信号を渡っていく彼を見ていると「そんなこた~ど~でもええが」という感じでまさに我が道を行く風の様子。マンションに向かって夕暮れの中を戻っていくのでした。しばらくして私がマンションに着くと、自転車置き場には確かにさっき見た自転車が。その自転車の後ろに吊り下げてある写真を見ると「乃木坂46」のアイドルたちのラミネート写真でした。

「う~~~~~ん」と声にならない声を心のなかで絞り出し、あのエレベーターの箱の中で何時も恥ずかしそうに縮こまって挨拶をする恥ずかしがり屋の180センチ超えの少年の姿を思い出すにつけ「人を見かけで判断してはならん」というシンプルな事実を50年以上生きてもまだ学びきれていない己の不明を恥じたのでした。

若いというのは好きな物のためには何者をも恐れない事なんですな…。正直そんな表現者ではなかった自分から見ると若い頃に出来たことを何かやり残した感があって少々寂しいです。


2023年4月18日火曜日

すぐ仕事を辞め「た」人…続き~

昨日の話だけではちょっと観念的すぎるので、ちょこっとだけベクトルを変えて私の勤める病院で起きた超短期離職の「実話」を出してみます。(精神の問題でお辞めになった方)

皆さんの周りでは余り統合失調の患者さんを見かける事は無いですか?「無い!」と言い切れる方は多分、居られないと思いますが私の記憶を遡って人生の最初に出てきた統合失調の患者さんは小学校低学年の頃の近所に出没していたお婆ちゃんだと思います。

農学部の真隣に住んでいたのですが、農学部というのは演習林や牧場など広大な敷地があってそこが我々糞餓鬼軍団の絶好の遊び場になっていました。そこには恐らく農学部の大学生の捨てた当時のエロ本や、子供の基地となる沢山の隠れ家、溜め池、馬場、牛の放牧地などがありました。そこを我々は縦横無尽に走り回って昆虫を中心にいろいろな生物を採集していたのですが、その牧場に行く途中の道すがらにババシャツ1枚にいつも紫色の薄汚れたスカートを履いた婆ちゃんがそれこそどこからともなく出現していたのです。

何時も何かに怒りながら怒鳴り散らしているのですが、大体のターゲットは我々糞餓鬼。何を言っているのか全く解らないのですが鬼の形相で怒り続けていました。我々は何時もただ恐る恐る脇を通過するだけ。みんなの間では「ちょーせんババー」と呼ばれていましたが、当時私自身は「挑戦」してくるから「ちょうせん」と呼ぶものだと思っていましたが、大きくなってから思い出した時にもしかしたら「朝鮮」だったのか?と考えました。何を言っているのか解らなかったのはもしかしたら韓国語だったのかもしれません。しかし、そのお婆ちゃんも何時の間にか視界から消えて二度と大学の中には現れなくなっていました。

物心ついて初めて統合失調の確定診断がついた人物と遭遇したのは高校一年の時でした。高校の体育の時間に背の高いN君という人物がいきなり列に並んでいたH君という他のクラスメートを振り向きざまに殴ったのでした。殴られたH君は何がなんだか訳も分からず呆然としていましたが、その殴ったN君は高校の入学時に一番の成績で入ってきた生真面目な人物でした。

後になって思い出すと、そう言えば暫く前から人と話す時に視線を右手で隠すようになりだして何時も暗い顔で下を向いていたので、高校生ながら「何だか変わっちゃったな」くらいに思っていたのですが、以降学校に来ることはなくなってしまいました。後で先生がクラスで語ったところによると、「悪口を言われている気がした」というような典型的な症状の発露と思われる発言があったとのことで、恐らく初発症状だったのかと思われます。

その後も大学入学後に明らかに発症してしまったクラスメートも居りましたし、上の学年にも下の学年にもやはり1人か2人は毎年居りましたので、それくらいの時点で統合失調が全く珍しくない分子疾患なんだろうなと感じ始めていたのも事実です。ウィキによると障害有病率は0.1~2などと書かれていますが、普遍的な疾患ですよね。

医学部の学生だけでなく、優秀な成績で医学部を卒業した医師の中にもその後に発症する人も「極稀ならず」存在していて、入院してしまってそのまま戻らない人もいれば、治療がきちんと奏効して日常生活に戻っている人もいるのです。

そんな中、2年ほど前に我々の病院に入植してきた女性看護師さんが居られました。ところが、その看護師さんが入職直後より他の看護師さんに「私、声が聞こえるんですよ」とか「見えるんですよ」とか言い始めたのでした。令和版の宜保愛子(歳バレ)か?と言いたいところなんですが、「監視されている」とか言い出したため、一旦精神科の先生に診察していただいた後、仕事は一旦休職して頂いて外来で治療通院となったようです

実際のところ声が聞こえるけど、それを他の人に言ったら「頭がおかしいと思われるから」言わないんです、などというような人も世の中には居られるとのこと。人の精神構造というのは本当に精妙、複雑怪奇なものですよね。

学校の勉強ができるから統合失調と縁が無いと言うのとは寧ろ逆の印象を持っております。勉強が出来るからこそ…と言う話のほうが多いのかもしれません。IQと発症頻度の相関を調べれば判るのでしょうが。なんだか周囲の医学部関係の発症者を見ると生真面目で融通の効かない人が多い様な印象ですが、これは統計ではなくて主観そのものです。


2023年4月17日月曜日

スピード退社をする方々

入社X日で退職決意とかそもそも入社前に出社自体をせずに親に退社の電話をしてもらうとか言うような連中が世の中にはいるようです。

まあ、社会に出られないような引きこもり状態ではないとうだけでもまだ良いのかな?と少し考えてみたりもするのですが、その「自分の選んだ会社」に裏切られたとかいう種々の事情を縷々書き連ねる方々の記事を見ていると「君だいじょうぶ?」という感慨しか持てません。

そもそも己が所属しようとする組織に対する下調べの甘さというか情報収集力の欠落、その挙げ句に超絶ブラック云々と言うお決まりの台詞が続くのですが、その全ての結果を受け止める主体としての御本人が「自分の選択」が発端となっていると言う視点が欠落している様子が痛々しい限りです。

例えば私の居た研究の世界でも最初に入った研究室が反りが合わないからとか言って直ぐに辞める人もいれば、石の上にも三年方式で取り敢えずはいろいろやってみてから先を決めてみると言う感じのやり方をする人も居ます。多くの場合は理想と現実の間でギチギチに格闘しながらも形を残すというのが「普通」なんですが、世の中いろいろなことに耐性が低い人達が一杯いますから私は驚きもしません。

逃げるのも全然構わないと思うんですけど、大事なのはその次のステップ。永遠に逃げ続けることは出来ません。逃げ続ける人もいますけど、最後はゴミ屋敷で埋まって死ぬとか親の干からびた死体の横で寝起きするとかいう人生が待っているかもしれませんというような事態に耐えきれるかい?ということです。

親が守ってくれたりすることで、昔からいろいろな事に耐性無く社会人になる歳にまで運良く到達した人に「我慢すること」など無理でしょうし。社会人になって初めてホンモノの壁に出会ってそこを越せるかどうかと言う試練が登場した時にそれを利用するレベルの強者も世の中には居るという事実。そんなガチタフな人達と競争していくのが社会人の世界です。

嫌なことから全て逃避し続ける人生も良いでしょう。いじめを受けた、パワハラを受けた、と「感じる」人もいるでしょう。では全部訴えますか?と言う話。自分がその組織にふさわしくないからそこには属さないと言えるほどに本当の能力あるならそんな会社の云々など関係なしに自分で会社を設立したり、上司を驚かせるような活躍を見せたりしませんかね?

おそらく、就職した若人達の99%はそうでない人達。大学で習ったことや就職試験で準備してきたことを今の職場では上手く使えずに悩んだり、やらかしたりしながら育っていくものではないでしょうか。その途上で耐えきれれずに逃げる人も当然いることでしょう。しかしどの時代にもどの場面でも大事なのはresilience。挫けることが百回あっても、休憩を入れつつも…その次にはどこかで立ち上がる事さえ出来れば良いだけです。

苦しくて逃げる事は幾らでもあって良いでしょう。しかし、人生どこかで踏ん張るところは必ず来ます。そのときに備えて再チャレンジもありかな。しかし、実際のところ再チャレンジのほうがシンプルなチャレンジで我慢していくよりもよっぽどハードルは高いというのは世の常のようにみえるのはオジサンだけでしょうか。

そもそも再チャレンジして成功するような人間はどこでも頑張れるし、「最初の選択でどえらい失敗」というのをしないような気もしますが…。

逃げても良い。でも人のせいにばかりせず、挑戦する人生というのを選んで欲しいと思います。特に若い頃にはそれをやり直すチャンスも体力も豊富ですしね!


2023年4月16日日曜日

連発するテロに暗然とする

ついこの前、「前」安倍総理が凶弾に倒れたばかりでした。

それからたったの9ヶ月。今度は岸田総理が和歌山で24歳の青年に襲われるという、まるで戦前・戦後の混乱の時期のテロの時代が戻ってきたような様相です。暴力と言うか、そもそも殺そうという強い意志の下に国家の要人に近づいてその存在を消そうというのは言論や思想の封殺そのもの。

対立する相手を理屈で説き伏せるのはごく普通。糞味噌に罵倒しようとそれは言葉である限りは民主主義社会ではまだ許容されるべきもの。それだからこ自由主義国家と呼ばれる国ではとてもとても現実では成立し得ないような共産主義の政党も普通に政治活動を出来ますし、国家主義の名のもとに差別を助長するような発言を繰り返すトランプのような人間も、偉そうな顔をして演説を行うことが出来るわけです。

そして、あくまでもその様な行かれた論理や主義主張を突き崩すのは討論や出版、ネット上の主張を含めて「言葉と投票」でなければならないというのが私達の育てられた環境での常識や正論です。

何かを主張する、何かの考えを表明することに対してその生命を狙われる事で思想を封殺されることはあってはならないというのは現代社会が形成される過程で「血で血を洗う殺し合いの歴史」を経過して人間が学んできた貴重な思想の結晶の筈です。しかし、この令和の時代、その最も貴重な歴史の果実が余りにも容易に打ち捨てられようとしているのではないでしょうか。

「自分の未来が暗いから誰かを巻き添えにして自分も死んで消える」という、失うもの無き無敵の人の大量発生が今後もいろいろな形でテロや無差別殺人を再生産し続けないことを祈るばかりです。しかし、実際はそんな社会とは何の繋がりもないと思われている若い人間達の後ろには実際のところその事件後に死ぬほど苦しむ親兄弟が多くいることはごく普通で、当の犯人以外の人の苦悩のほうがよっぽどデカくかつ長引く残酷なものであるような事実があると思うのですが…。

今回の犯人、伝えられる速報によると近所ではごく普通に挨拶を返すようなごく普通の家庭に育った問題の無さそうな青年。学生の頃の文集にはパティシエや発明家になって人喜ばせるような人間になりたいと未来の夢を書いていたとのことなんですが、一体彼の内面にどんな変化が起きていたのでしょうか。

「普通に見える人に対しても」何らかのテロ対策が取られなければならないような嫌な時代になってしまったようです。

日本の安全神話が本当に神話となってしまう事のないように願うばかりです。


2023年4月15日土曜日

高所恐怖症

バイトに行った時に困ることがあります。

それは自分の高所恐怖症に由来する困難です。訪問診療の時にある認知症の女性のお宅にお邪魔することがあるのですが、そのお宅がアパートの5階にあるのです。しかし、その5階の家に行くときのアプローチのための外廊下が怖いのです。

外の廊下の外壁側が自分の「こうあって欲しい高さ」よりも10センチほど低いのです。こうなるともう駄目。私は基本的に自分の背の高さよりも高いところというのは変な落下の想像が働く以前に身体自体が反応してしまうのです。正直なところX玉が縮み上がるという感覚が良く分かる人です。w

もうこれは理屈では無くて体の反応ですので、精神でナントカというような高級な行為でその恐怖心を抑え込もうとしてもそれは無理。ひたすら廊下の外壁側から遠いドア側をそそくさと歩いて成る可く外側の景色を見ないように見ないように前をまっすぐ見つめて歩くのでした。

そんな腰の引けた私を見ながら帯同する看護師さんがくすくす笑い。とは言え怖いものは怖いので「笑わんでくれ」と言いながら患者さんの部屋へ入ります。まあ、入ってしまえば怖くもなんともないのですが体が反応するものって仕方ないですよね。

人間、いろいろなもので恐怖を示すものです。人間の遺伝子に刷り込まれているのと思われる「異形のもの」に対する恐怖は恐らく太古の時代からリスクを回避するための本能によるものなのでしょう。例えば蛇とか毒蜘蛛とか。しかしこれもいろいろで例えば私は女郎蜘蛛や蟹のような脚長めで大型の生物が駄目なのですが、ゴキブリを始めとするその他の昆虫は全くなんともありません。別に昆虫食も何ともない人です。(蟹と蜘蛛が嫌いになったのは幼少時のトラウマエピソードによるものですがここでは書きません。)

患者さんの中に建築現場で仕事をしてきた人達と話をすることも多いのですが、高所で仕事をしてきた人達と話をすると「全く怖くないね~」と言う人と、「そりゃ怖いけど仕事だから仕方ないがね」と言う人とが居るのですが、怖くても作業ができる人達というのは偉いなと心から思います。勿論、全く高さが怖くないという人の話を聴くと正直「何かおかしくないですか?」と聞きたいです。そんな人の中には5階の高さから大きな砂山に斜めに落ちて生還した人まで居るのですから、そもそも恐怖心が欠如しているんでしょうかね?

何はともあれこの高所恐怖症、なんとかコントロール出来んもんですかね?


2023年4月14日金曜日

次女の苦悩

8歳の頃から一緒に育ってきた犬の苦痛がますます長期化しています。

胸水、しかも血性胸水が溜まり始めておりその呼吸苦の頻度がどう考えても増えてきています。実際には獣医師によるともしかしたら肺に何らかの病変(恐らく腫瘍?)があるかもというような話がありましたが、その細胞診の結果は未だ返ってきていません。

兎に角、時間に関係なくゼイゼイと呼吸をして所在無げに立ち尽くしている様子を見ると見ているこちらも辛くなってしまいます。そんな小犬をソフトな掛け布団に包んで抱きかかえている次女を見ると「やれる事は全部する」という母親のような状況になっているのは言うまでもない状況です。

ただし、その次女も最近はそのただただ苦しそうな様子を見て「安楽死」という選択を考え始めたらしいことが嫁さんから来たLINEの文章から判りました。

人間の医者である私にとっては日本における治療行為の中で安楽死という選択は全くありませんが、獣医師にはそれがあります。実際に私自身がアメリカでマウスを使った実験をしていた頃は毎週のように比較的多くののマウスを二酸化炭素でeuthanize(安楽死)させていましたが、日本のウェブサイトではペットを安楽死させる手順はアメリカと同じようで、まず鎮静(sedation)をかけて、その後ペントバルビタール(日本では最近セコバルビタール?)を比較的大量に注射して速やかに意識消失から死に至るように導くようです。

今後の推移を娘は暫く見守ることとなるでしょうが「愛すればこそ」その愛を注ぐ対象が苦しい最後の時間を耐えるのを長く過ごすのは恐ろしく辛い事でしょう。

どう考えるのかは後悔の無いように全て娘の選択に任せたいと思います。


2023年4月13日木曜日

病院評価の信頼性

最近ではマップでどこの病院のマークを押しても直ぐに評価がズラズラと出てきます。

とは言えその評価は「明らかに」かなり偏りがあるのは明白で多くの場合上と下に拡がってベルカーブ状になっていない感じのことが多いですね。まあ、精神科とかはどこの病院も(特に規模の大きいところは)星1つに近寄っていますが。w

それにしても、こういう評価は悪意に基づいたものや対抗馬の人間が書き込んだ悪口も消すことが出来ないわけで、とてつもなく厄介ですよね。例え書き込んだ内容が真実だとしても、その事に対処して病院、クリニック側が対処改善したとしてもその書き込みはずっと残るわけでこりゃまた大変です。

こんな時代に病院の経営者なんかになるもんじゃないですね~。多くの書き込みはその患者さん達にとって正直な、そしておそらくはネガティブな経験をした時には数倍に怒りが増幅された形でネガティブな評価を加えたものなのでしょうが、ポジネガが極端に振れ幅の大きい人は逆にその人自身の他の評価と併せて他の人達に読まれた時には人物自身のキャラを容易に推定されてしまうでしょうから余りその手の「極端な書き込み」というのは避けたほうが良いのかもしれません。

というのも、これは人間の病院評価ではないのですが、娘達が今現在頻繁に連れて行っている犬猫の専門病院の評価を見ると、多くの人達が高評価を加えて5つ星評価も多いものの、無視できないレベルの1つ星も結構見えていている状態。ところが、その1つ星の書き込み内容をじっくりと見てみると、かなり感情的な文面が多くて「口の周りの餌の汚れが云々」とか「助けてもらったのは嬉しいけれど、待ち時間が長かったのはとんでもないレベル」とかいう用な感じの坊主憎けりゃ袈裟まで憎い式の文章のオンパレード。

動物病院の院長先生もそれらに一々懇切丁寧に責任を持って返答を返しておられるようなのですが、読んでいて正直「疲れる」レベルの量でした。

小児科やペットの病院の先生方の様に周りが見えなくなってしまう状況に陥りやすい患者さんや愛玩動物を取り扱う科の患者さん(や動物)関連の人達からの評価に晒されてしまうところや、書かれた評価が直に表示されるシステムが幾つもある時代に生きるというのは大変なことですね。しかも名前まで書かれている人達も沢山。下手すると逆に書き込んんだ人が訴えられそうな気もするんですが…。

正直、御同情申し上げます。(そういう私はエゴサーチには何の興味もないので、自分の病院の評価とか全く読んでいませんし、これからも多分読まないでしょう。w)


2023年4月12日水曜日

禁煙外来(今のところ)大成功!

引き続き大成功でした。

外来で精神科の患者さん達を相手に開始した禁煙外来。我々自身は一年近く前から禁煙外来のセッティングを済ませていたのですが、禁煙用に使われる筈のメジャーな2つの薬である貼付型のニコチンパッチ飲み薬タイプとして作られているニコチンがその受容体に結合するのを阻害するブロッカーの2種類が「製薬に関する手順の隠蔽と誤魔化しに伴う薬事行政の破綻」というとんでもない理由で供給されないという事になり、名前だけの禁煙外来となっていたのでした。

ところが、今年に入ると比較的豊富にこの薬が「今まで禁煙外来をしていなかった病院」にもリッチに供給される様になりました!(破綻前に禁煙外来をしていなかった病院には、当初、問屋が薬を廻してくれませんでした。)
これによって「タバコを止めたくてもどうしても止められなかった」と言う人達が、数ヶ月前からこの禁煙外来にやって来てチャレンジを開始したのです。

実際のところこの禁煙外来というのは禁煙チャレンジの開始においていろいろな条件設定があります。まず初めにチャレンジする人は禁煙外来において、チャレンジを開始する前に病院から渡された説明書きをじっくりと読んでもらわなければなりません。その上で、同意書にサインをすることが求められます。更にこの禁煙治療というのは保険を使って行うことが出来るのは年に一回のみです!

ですから一回失敗したら一年は再チャレンジできないのです。ところが、なんとなんと、いま私の禁煙外来で自分から申し込んできた内科や精神科の患者さん達は次から次へと大きな問題もなく禁煙に成功してくれています。これは嬉しい誤算でした。

もっとも、禁煙外来の成功率と言うのは規定の5回の禁煙外来に通院しきった人達に限ればほぼ2人に1人が成功し続けると言われています。(9ヶ月後の時点で!)しかし実際は1人も脱落しておりません。(呼気中のCO濃度で常にモニタリングして嘘を見抜き続けるセッティングになっています。)

嬉しいのは精神科の患者さん達はなかなか我慢できずに白旗を揚げるのも速いのではないか?という私の私的かつ主観的な予想をいい意味で裏切ってくれていることです。とは言え、禁煙チャレンジ開始直後などはイライラして来る人が多くて病院にいる私に内科外来経由で外線をつないできて「どうしたら良いですか!先生」などと窮状を訴えてくれる人も居ますが、カワイイものです。

今のところ、そういった方々も私の「長くしつこい説明」に納得をしてくれて、最終的には禁煙してくれておりまして、外来に来ると「先生!今では全くタバコのことが頭をよぎりません!お金が浮いてます。w」等と話しかけてきます。実はその反動の一つとして、料理が美味く感じるようになって少し太り始めてます…と言う人が増えているのは少し困った反動ではあるのですが。

種々の癌、肺気腫、老化、循環器系疾患、その他諸々の病気と強く結びついた喫煙行動を止められるのならば、禁煙外来は素晴らしい福音だなと心から感じるこの頃です。


2023年4月11日火曜日

初めて見たホンモノの引きこもり

今日は訪問診療中にびっくりさせられました。

認知症の強い、ある高齢者の女性宅を訪れたときの事でした。初診でしたので、自己紹介や問診をした後に看護師さんと2人でお婆さんのベッドに近寄って診察を始めようとしたところいきなりその足元に敷かれていたシーツがいきなりブワッと盛り上がってねずみ小僧のような感じの人が出現したのでした。

看護師さんは思わず飛び退いていたのですが、私は全く喋らずにいきなりその人物の足元に置いてあったPCのモニタをジーッと見つめてスクロールし始めたその人物を見て「もしかしたら、彼はいわゆるひきこもり?」と思い、敢えてその存在を無視して淡々と診察を続けました。

恐らく彼のお母さんが今日の患者さんの娘さんだと言うことで、その更に息子さんが今日の引きこもりの青年なんだろうと思ったのですが…。診察が全て終わった後に娘さんにお別れの挨拶をして階段を降り始めたところで、ケアマネージャーさんが待機しており、私達に話しかけてきました。彼女は既にこの家族に長い間関わりを持っているとのことでしたので、今日ベッドの足元で寝ていた謎の少年のことを伺ったところ、何と既に10年以上の引きこもり状態にあるという事だと説明してくださいました。

真っ白で陽に当たっていない感じの青白く痩せた少年が、もう10年以上も社会との交流を絶ってアパートの中で暮らしているのかと思うとその心の内にあるものは如何なるものか、私には想像を絶するものだろうと思いました。それを実母への介護とともに支え続ける還暦前後のお母さんを見ていて、上と下への双方向への介護を行い二重の意味で戦っている彼女の心中も察して余りあるものがあると思いました。

「表通りからは見えない世界」に住み、私からは見えないものと戦っている人達の存在をハッキリと自分の目で見た貴重な一日でした。


2023年4月10日月曜日

「私には」理解できない死生観

最近「再び」患者さんの御家族と「自分には」理解できないお話をする事がありました。

90を超えているお婆さんが入院されています。残念ながら日中もベッドの上で目を瞑り話しかけても応答も出来ず、御自分でお話をする事も出来ない方です。所謂「寝たきり」のご老人なのですが、この方はある老健から送られてきた方で経口栄養が摂れなくなってきて、自己排痰が出来ない状態で時々肺炎を起こしてしまうことから治療を頼まれた方でした。

自分が勤めている病院では、今時の病院であればごく普通に行われる「万一の場合」や「終末期」の場合のInformed Consentという同意書を日常的に取得しています。病院に高齢や癌の患者としての親御さんや御兄弟が入院された方等には比較的馴染み深い書面かと思いますが、その治療法に「限界」がある場合などに「如何にしてその患者さんをお見送りするか」という方法論に関する同意書だと思って下さって良いと思います。

患者さん御自身が意思表示をされてその書類を認めることもあれば、認知能力の低下で話ができなかったり、病状が深刻でそもそもお話自体ができない場合で「連絡の取れる御親族がいる場合」等にはその書類(同意書)にその方の1人にKEY PERSONになって頂きその患者さんにとっての「万一の場面における」最良の治療の最終形態を決めていただくことになります。

主に心肺停止時の処置や栄養が経口摂取できなくなった時の栄養や水の投与経路などに関して記述してあります。

今回、その90過ぎのお婆さんの息子さんが病院に来られて、そのお母さんの「万一」に関してお話が出たのですが、万一「呼吸や心臓が停止していることが確認されたら」という時に心臓マッサージをしてください、と言う話が出てきました。その行為によって確実にそしてほぼ瞬間的に「お母さんの肋骨はほぼ全て折れてしまいますよ」と言う話をしたのですが、それでも「結構です」という返答がありました。

その返答の前後にもその行為の更に先にどのような治療行為が待っているのか念入りに説明もしたのですが…。返答に変化なしということで、その先に気管挿管、人工呼吸器への接続、更には気管切開と言う状況になっても全部やってくださいとのリクエスト。

私とこの息子さんとの死生観は全く合わないなという感想を持って書類を受け取りました。どんなに説明をしても「体が温かいお母さん」を見ておきたいとの考えのようでしたが、私とは全く死生観が異なる人種だなと正直思いました。

どちらが正しいという事は言えないのでしょう。しかし、私には絶対にない選択でした。


2023年4月9日日曜日

名古屋の酒場

以前ある本を買っていました。

それは「名古屋の酒場」という大竹敏之さんという方が2019年末に書かれた本です。更に遡ること2010年の本に名古屋の居酒屋という本もあるようなのですが、そちらの本は未だ私が日本に帰国する遥か前の古い本なので実際のところは見たこともありません。

さて、この本を買ったそもそもの目的はその名の通り名古屋の素敵な酒場を飲み歩く為の参考書としようとしたのですが、近場でばかり呑んでいた為、正直なところあまり「参考文献」としては使っていませんでした。

この本が出版された直後から新型コロナという凶悪な流行り病が日本で初報道されたのですから(この本の初版は11/27日。コロナの日本でのテレビ初報道は12/31日!)本当に大竹さんにとっては最悪のタイミングだったのではないかと思うのですが、今でも街の本屋ではこの本が時々平積みされていますので、コンスタントに名古屋の中で売れているのだと想像します。

さて、通常であればこの本に出てくるような是非行きたような酒場というのは滅多なことでは潰れる訳もない老舗や人気店ばかり。一見汚く見えるような店でさえなかなか入れないような人気を誇るような店だったりした筈のなのですが。実際にこの週末に店の存在を調べてみたところ、少なくとも幾つかのお店は現時点では消えている事が確認できました。

実際に連絡先として消えていたり、Googleストリートviewで確認を入れてみたりすると、店が消えていたり、拡大した画像に出てくる軒先のガラスの上に「休業」の文字が貼り付けられたりしていました。実際にその店の前も通過してみたのですが、何というか…street viewの写真は残念ながら事実でした。

新型コロナの影響で壊滅的な影響を受けた夜の飲食業界。そろそろ「素晴らしい味」を提供する飲み屋が戻ってきてくれた事を確認するため、今まで行っていないエリアを含めて彷徨ってみたいものです。近所と家飲みばかりでは何だか足が細りそうです。w


2023年4月8日土曜日

「君に届け」再び

午前中、病院に気になる患者さんの診察に行ったあと家に帰ってきてNetflixを視ました。

実は一週間ほど前にNetflixの最初の画面に出てくる私向けにカスタマイズされたsuggestion一覧の中に或るタイトルがチラッと見えたので、オヤ?と思ってクリックを一瞬止めたのでした。

そのタイトルは「君に届け」。2010年の「君に届け」が別冊マーガレットが由来で、三浦春馬くんの出演作としてアマゾンかなんかで見終わった後「青春良いわ~」と不覚にも50過ぎのオジサンがポロポロと涙を流してしまったのを覚えていたのですが、コレ何だ?という感じでよくその説明文を見てみるとNetflixとテレ東の共作したシリーズものとして新たに制作(リメイク)されたものだという事に気づきました。

これは視るしか無い!ということで早速視聴開始。「あ。これこれ。この甘酸っぱさ!」と言う感じがオジサンの私の中にも再び溢れ出してきます。シーンによってはその幼さと青春を送る彼らの想いについつい涙が滲んできたりして「やっぱり良い作品だな~」と心のなかでしみじみと感謝するのでした。

物語の筋が比較的シンプルで判り易い構成になっている分、役者さんの演技というのがその起伏をつけるためにより大事になってきます。結局役者さんの演技がこの原作を色づけることになってしまうんですが、私は今回の「君に届け」は映画のように上映時間に縛られることもなく原作を大きくモディファイしないように作ってあると思ったので、将来誰かの手によって制作され演じられるようなことがあるとすれば、きっとベンチマークのような作品になるのではという気がします。

前回の多部未華子ちゃんの謎の怪優ぶりが大好きだったので、今回の黒沼爽子役の南沙良ちゃんをそもそも知らなかった事もあり最初は掴みどころがなかったのですが「これはこれでアリ!」と思いました。更に風早翔太役の鈴鹿央士くんは如何にもカワイイ系の顔が好きな女の子には絶対モテモテだろうなというような王子様系の顔ですね。彼も演技も良いと思いました、というか物語に惚れているから正当に評価出来てないですね。w

流石のオジサンも彼の顔だけは知っていました。(名前は今日知りましたが…。)

最後が何話までかは知らないのですが、もう少し楽しめそうです。^^


2023年4月7日金曜日

我が家の犬がいよいよ辛そうです

15歳と6ヶ月を迎えようとしている我が家の老ヨーキー。

最近は気管虚脱の延長線上に盲目状態である事が加わって居ることは以前もここに記しましたが、最近は本当に苦しそうです。静かに寝ているか、ヨロヨロと立ち上がって静止状態にあるか、部屋中に敷き詰めてあるシーツの上を咳き込みながらぜいぜいと所在なさげに歩き回るかの3つの状態しかありません。

苦しそうな時にはダラダラと涎を垂らすことも多くなってきましたし、高齢のため鼻は最近ずっとカラカラです。若い頃は体調がよっぽど悪くない限りは鼻はてらてら艶々だったのですが、鼻の乾燥具合は人間でいうところの老人性乾皮症のようにも見えます。まあ、舌は未だ艶々していますから大丈夫だとは思うんですが。

取り敢えずもう次女は気が気でないようで、母親とともに排尿、排便、食事の状況などを事細かに記録しながら種々のケアに全身で取り組んでいるようです。バイトも実際のところ休みがち。アメリカで小学校低学年の頃から一緒に過ごしてきたヨーキーは彼女にとっては弟か息子のようなものなのでしょう。

少し咳き込んだと言っては動物病院に連れていき、また咳き込んだと言っては病院に行きと言う感じで多額の診察代が飛んでいきますが、娘にとっては「何とかしたい」という気持ちの前に冷静さを欠いているような気がします。私も娘に請われて推定できる現在の犬の生物学的状況を獣医師の報告や投薬内容(薬は驚くまでもないことですが、人間用の薬を量を変えて投薬しているものがほぼ100%のようです。)から推定して説明を尽くしてあげるのですが「解ってはいても」苦しそうな様子を見せると連れていきたいのでしょう。

しかし、如何なる生物にも寿命と死があります。それは生まれたからには必ず起きること。加齢の末に最後は静かに息を引き取るのですが、こうやって闘病を助ける中で娘もそれを受け容れる日が来ることでしょう。

それまで、後悔の無いように過ごしてくれればそれでいいと思います。


2023年4月6日木曜日

初々しい新人看護師さん達

新人職員の皆さんの入職時オリエンテーションも無事に終了しました。

その中でも国家試験をパスして正看護師、いわゆる「正看さん」と呼ばれる人達と看護学校を卒業したばかりで先ずは地方自治体の看護師として登録された准看護師と呼ばれる「准看さん」達が各病棟に入ってきました。

看護学校でじっくり勉強してスッと正看さんになった人達も、准看護師から勉強を重ねてやはり正看になった人達も見かけは変わりませんがポジションと給料、そして最終的に将来の退職金が大きく変わります。

准看さん達も去年まではヘルパーさんだった人達が看護師の制服を着て、照れ臭そうに私に改めて挨拶に来てくれたりするのを見ると、思わず手を握りしめて熱い握手をしてしまいました。アメリカに居た頃なら熱い抱擁とキスなんでしょうが日本でそれやったら変なオヤジと言われるか、下手すりゃセクハラですからそれは禁止。^^

基本的に最初のうちはこういった新入看護師さん達は例え他院ではベテランさんでも、システムが変わったりモノの置き場所などが変わったりする為に一ヶ月位は他の当院の看護師さん達と一緒に仕事をすることになるわけです。それもなれてくると今度は夜勤に入ってくることになってくる訳ですが、ここでやはり仕事の「出来る・出来ない」「要領の良い・悪い」と言うところでの差が出てくるんですが、まあここは今日は敢えて言及しないということで!

年齢層も殆どは20代前半の女性が多いのですが、勿論男性もおりますし、子育て一段落のお母さん看護師さんも居るわけです。最近、入職してくる皆さんの平均年齢がどんどん若くなっているのは当院にとっては新現象。逆に昔から居たベテランさん看護師さん達は私が病院に来た頃に比べると退職が早くなってきている気がします。いわゆる新陳代謝の加速というやつでしょうか。

やはり、新しい技術や方法論についてくる気力が無くなってきた人から辞めていくんでしょうかね…。

何はともあれ、新人さん達が少しでも長く続けてくれて、少しでも早く慣れてくれて、少しでも多くの経験を積んで成長してくれることを祈る春の始まりです。


2023年4月5日水曜日

犯罪っていろんな意味で人生には最低だな

人が集団で生活していると社会になります。

その社会の中ではその慣習の中で長い間に成立した合意事項が種々あるわけですが、その中で慣習がやがてルールや倫理になるのでしょう。そしてその中でもしてはいけないことは犯罪と呼ばれるものになりそれに対応する刑罰を記したルールブックが出来るのだと思うのですが、今私の身の回りにまさにこの刑罰の仕組みに晒された人物が居ます。

幸いなことにこの件は私自身や私の家族や親族などは全く関わってはないのですが、明らかに己の行為が元で自分を貶めた人物による「下手すると刑事事件」というインシデントでした。

話の流れでは、結局この人物は「起訴」はされなかったとのことでメデタシメデタシと思っていたのですが、刑事の世界はそんなにシンプルなものじゃ無さそうです。私なりにその不起訴の世界の前後がどうなっているのかを弁護士が解説したサイトを見回してみたところ、当然のようにそういう質問に対する回答を掲載したサイトが無数に湧き上がってきました。

その中でも最もシンプルに解説していると思えたのはここのサイト。デイライト法律事務所の人が明快に説明しています。

起訴されると刑事裁判。不起訴とされると前科はつかないとなるんだそうですが事はそう簡単には行かない!刑事裁判はご存知の如く有罪無罪を争うわけですが、無罪になれば前科はつかないわけです。不起訴のほうは当然前科はつかない。しかし!ここでは2つとも「前歴」はついてしまうのです。あなおそろしや。実際のところ、人生において前歴というのは前科のようには余り不利に働かないらしいのですが、普通の人間にとっては前歴だって付くくと嫌ですよね?w

不起訴処分の種類には幾つかあってそれは当然上のサイトの「不起訴処分の種類」に記載されているんですが、結局のところ原告側に対して充分な補償などをして和解に持ち込むというのが不起訴に持ち込まれる最も多い本筋のようです。orz

結局金かよ!って言われそうですが大金持ちのバカ息子が犯す犯罪の解決策なんてアメリカじゃあこんなのばっかりじゃやないでしょうか?知りませんが。w

ま、何はともあれ警察に追求されたりするようなヤバげな事は一切しないことです。


2023年4月4日火曜日

勉強する医師・しない医師

政府主導で生涯学習のお話が出ています。

しかし、そんな事は正直どうでも良いレベルでみんな誰もが一生学び続け、考え続ける生活を続けなければいろいろな局面で「使えない人」になってしまう時代になってきている気がします。

勿論、ずっと昔から自覚ある人は学び直しや新規分野の開拓、今やっていることをとことん追求し続けることで新たに局面打開を続けていた訳ですが、そうしなければならない人はやはり社会の中では一定層の上の方だったと思います。しかも、一旦そういう行動を起こした人はその新しい知識や発見で比較的長い間アドバンテージを維持できたと考えているのですが、そのアドバンテージを維持できる期間が時代の進展とともに「ものすごく」短くなっていると思うんです。

昔はこれが出来れば10年は飯食えるとか、そのまた昔であれば自分が現役の間はすっと食えるとか言う技術や知識が下手をすると習得から数年で、もっと運が悪いとあっと言う間に陳腐化してしまう時代。

結局のところ論文を書くにしても、何かを勉強するにしても昨日までの常識が通じない明日が来ることがごく日常的になってしまった今の時代は「勉強しない人」は本当に難しい仕事をする事は出来ないと思っています。

数学や理学、工学系などでも理論中心の仕事をする人などはその最たる例でしょうが、医学も生物学的フィードバックや統計学的事実に基づいた新知見などが毎月のように出てきます。しかし、正直なところ私の周りでは学ぶ意欲のある人と無い人は二分されていて、年寄の多く、そして若い医師達の中にも免許を取って10年とかたったくらいの中である程度の比率で学ぶことを止めたかのように見える一群の人々が居ることは公然の秘密です。

ですから、患者として病院に行かれる様な方々には表面的な病院のビルの立派さや宣伝に惑わされること無く、しっかりと勉強を続けておられるしっかりとした実績を積まれた先生を人づてでも結構ですから探し出して、その方を主治医とされることをお勧めいたします。

ネットで目立つ先生だからと言って必ずしもその先生が名医とは限らないことはある程度の確率で事実ですので、予めご注意を。


2023年4月3日月曜日

国連なんて「全く」機能していない

国連が中国の横繋がり機関に成り下がっているのはつとに有名な話です。

結局、常任理事国というフランケンシュタイン並の、ツギハギだらけの「異なった主義と体制の寄せ集め」が毎度毎度機能しない国連を見せてくれますが、中国とロシアvsアメリカとイギリスとフランスと言う構図は毎度何の結論も産み出しません。そえはそれは見事なほど。

そもそも、あんな国々が第二次世界大戦で勝ったからと言って(中国はそもそも勝ってもいませんが!)己を世界の主の5大国に選んで世界に指示を出そうとかいうスタート地点からして明確に間違いですが。w

全体主義国家が2/5を占める議決機関とか、どう転ぼうとその結論の妥当性からしてチャンチャラです。それにアノ我儘一杯の鼻持ちならないフランスが5大国とか、もうね何をか言わんや。

今回も15カ国の持ち回りになっている国連安保理事国に4月担当としてロシアが議長として運営を行う事にウクライナ外相が「エイプリルフール史上最悪のジョーク」とコメントしていることに「そりゃそうだ!」と言ってしまいますわな。

その定義を見てみると世界の平和と安全の維持に主要な責任を負っており、国際連合の6つの主要機関の中で最も大きな権限を持ち、法的に国連加盟国に拘束力を持つ決議を行うことができる、事実上の最高意思決定機関であるとの記述があります。が、、、その中に侵略戦争の当事者が居て、その当事者がその平和維持の為の機関のトップとかね。確かに最悪のジョークです。

しかも、ロシアときたら侵略を始めた昨年の二月にも議長国だったというのですから何をか言わんやという話。そのトップには今の時点で国際刑事裁判所から逮捕状が出ていますけどね。

常任理事国を除名する規定のない国連憲章システムなんてそもそも存在意義はありません。小中学生の副読本にはおそらく今でも国連の国際社会に果たす意義の云々等という記述があるのでしょうが、そんなものを教えること自体が誤謬であるということを我々大人くらいは認識しておく必要があるということです。


2023年4月2日日曜日

坂本龍一の死

今年の1月11日に高橋幸宏が亡くなったばかりでした。

そして今回、同じくYMOのメンバーであった坂本龍一の死(3/28)。高橋さんは20年の脳腫瘍摘出からの生還でしたが、寛解の願い届かず。そして坂本龍一は中咽頭癌が殺してしまいました。長生きするという事は生物として自然と「癌」に罹患する確率が上がるという事ですが、出来得ることであれば今の時代80台に到達して貰いたかったと思うのでした。

私は音楽のことはわからない人間なのですが、YMOの中で恐らく最も音楽的に創造的だったのは教授こと坂本龍一だったのではないかと感じます。ただ3人とも創作活動における方向性というのはそれぞれ全く異なるでしょうから、創造性の差というものを定量化する事はなかなか出来ないのでしょうが。

そもそもYMOに関する私の最も古い記憶は中学生の頃の音楽室での体験にまで遡ります。確か中学2年位だったと思うのですが、音楽の時間に「自分の好きな音楽を持ってきてそれをみんなに紹介する」という時間が設けられたことがありました。

今時の若い人には信じられないと思うのですが、九州のド田舎に住む当時の中学生にとってテレビとラジオ以外で音楽に触れるというのはなかなかチャンスの無い時代で、音楽を聴くと言っても実際にはそれを選び出して自分のものとして聴取するには先ずレコード・プレーヤーかカセット・テープ経由でした。しかし、そうは言っても基本的にお金が無ければレコードは買えず、テープも買えません。勿論、当時はCD登場前の世界。今の人から見れば音楽を聴くためのリソースは無い無い尽くしの世界でした。w

そんな時代にYMOのLPレコードを持ってきてそこに針を落とし大音量でいきなりなり始めた音楽がTOKIOでした。信じられないかもしれませんが、それに対する当時の我々の最初のリアクションは大爆笑というもの…。有り得ませんが、田舎者の中学生の「聞いたことのない異物」に対する反応というのはそういう救いようの無い原始的なものだったのが事実です。

得意満面でそのLPを持ってきた梶原くんは我々の反応に逆に面食らい、最後はなんとなくバツ悪そうにそのLPレコードをジャケットの中にしまい込んだのを覚えています。しかし、聞いている途中でその人工的なメロディに一部「かっこいい旋律」を感じていたのも他の友達とはシェアできなかった事実。

あの時のあの瞬間にタイムマシンで飛んでいけるのなら全力で梶原くんに土下座して「君の耳は俺達田舎者の中ではレベルが違いすぎたんだ」と謝りたい気持ちです。その後そのLPも含めてYMOの音楽が世界を席巻していったのは歴史の事実が証明した通り。今となってはセンスの欠片もない未開の田舎者の不明を恥じるばかりです。

坂本龍一氏の御冥福を心よりお祈りいたします。


2023年4月1日土曜日

イケアの家具に関するお話を聞いた

知り合いの方で家の内外装関係の仕事をされている方が居ます。

いま、持ち回りでマンションの管理委員会をさせていただいているのですが、自分の今年の仕事としてはシステム全体に大きく手を加えること無く築年度なりの劣化は劣化で種々の補修を入れながら淡々と資産価値を維持するためのチェックを進めています。また、ポスト・コロナということで、感染傾向も「一旦は」落ち着いてきておりますので、そろそろマンション全体の住民が再び集まってワイガヤしてもいい時期だなと考えておりまして、その住民ミーティングをこの夏にでもしようかなとも考えています。何れにしても、自分の実際の病院での仕事以外にもしないといけない事が有ることになります。

さて、実際にこの内外装の専門家の方と自分の住んでいるマンションの様々な経年劣化や瑕疵を探す機会があったのですが、なかなか興味深い建築に関する四方山話を聞くことが出来ました。

大手マンション会社の下請けイジメの実態とか各社の得意分野の特徴とかも含めた話で、現在住んでいるマンションを探す時に入院患者さんの中で建築と土木の夫々の専門家たちから伺ったマンション関連の知識習得以来の分野外勉強の良い機会でした。

諸々の話をする中で、家に据え付ける家具や調度の話も出てきたのですが、特に興味深かったのはIKEAの家具のお話でした。そもそもこの話に入る前に駐車場の庇のアルミ構造物の組付けの話から始まったのですが、アルミの組み合わさった構造物は一旦組み付けてしまった後にそれを移築しようとしても当初のようなカチリとしたハマり具合は望めないとのことで、基本的には長期に亘って使えるものの使い捨てのシステムと考えるのが妥当との話でした。

聞いてるこちらは建築に関してはど素人ですので「ほう、そういうものなんですか」と驚いたのですが、その法則はIKEAの組み立て式家具にも当て嵌まるのだそうです。一度組み上げた後に家具をバラしてしまったら、次の家では緩みが強くて当初の強さや精度は保てないものですと教えられました。ですから、小物はバラさず移送していくのですが、大物をバラしてしまうとアカンですよ~とのお話でした。

IKEAの製品に関してはデザインはよく考えられているし、このデザインにしてはaffordableな価格のものが多いな!と常日頃思っていますし、実際に家にはたくさんIKEAの家具が有るのですが、使っていてそれなりの弱点もあるなとは思っていました。特に感じるのは時間が経った時にかなりの速度で自然に緩んでいく組付けの問題があったのですが、引っ越しや内装の専門家の人からそういう話が出てくると、なるほど日頃感じていたのは単に俺だけの主観じゃなかったんですな!となったわけです。

まあ、とは言うもののIKEAの家具は100年もののヨーロッパの家具や日本の精密組付けの簞笥などとはまた違う価値観のもとに作られているものですのでそれはそれで良いものなんですけどね。

単なる個人の感想でした。w