夕方4時過ぎにペットの病院に行きました。
胸水を抜いて貰うためです。実は前回も少し書いたように「もしかしたら」調べきっていない肺に癌がある可能性があるとのことで、苦しがるようであれば明日1日に安楽死を選択する可能性があることを話し合うためにも連れてきました。
次女と嫁さんをイヌネコ病院で下ろした後、私と長男は近所のBOOK OFFに行って昨日発見した西村賢太の文庫本を5冊ほど見つけ出し、早速車内で読み始めようとしていた矢先のことでした。
いきなりLINEで嫁さんから涙声で音声コール。「胸水を抜こうとした途端に息が一瞬止まって中止になった・・・」と、後はもう声になりません。「すぐに行く」とだけ答えて息子の手を引いて車へ。
病院に到着すると既に我が家の小犬は酸素チャンバーの中に入れられており、私の側から離れた所に入っていました。そこで獣医の先生から説明が始まり「このままだと恐らく苦しみが続くと思います。この状態でお家に今晩連れて帰っても恐らく…」との説明で、言葉を続けて「この前お話していた件に関してどうされるかお考えくだされば…」との事。娘も嫁さんも滂沱の涙で、私も思わず涙が零れ落ちます。この瞬間が来るかもとは解っていても、いざその瞬間が眼の前に展開されるとどうしようもありません。
次女が先生に「抱っこして散歩させてあげても良いですか?」と話を切り出しますが、先生はその散歩の間にも、もしかしたら息が止まるかもしれませんがそれでも良いですかと念を押されます。それを承知の上での散歩が始まりました。私は娘のリクエストに従い最後になるかもしれないと言うことで、今までは体に悪いからと言って決して食べさせなかったけれど、実際には小犬が大好きであったチーズ・バーガーやフライド・ポテトを近くのマックまで急いで買いに行きました。ついでにカバンに入れていたチョコレート入りのシュークリームも一緒に食べさせてあげました。
朝から何も飲んだり食べたりということが出来ていなかったようなのですが、この時ばかりは目が見えないながらも口元に寄せるとパクリと食いつきそれなりに嬉しそうに飲み込みました。次女自身もまさかここまで元気に食べてくれるとは思っていなかったようで、逆に自分が大喜び。しかし、これから後に待つ最後の別れの可能性を考えるとやはりポロポロと涙を流してしまいます。
40分ほど外で過ごした後、再び診察室に戻り先生とのやり取り。その間にも我が家の次男坊たる小犬は苦しそうに顔を歪める瞬間が続きました。「どうされますか」と最後に先生が尋ねましたが、次女が母親経由で「本当にもう助ける方法は有りませんか」という質問をしました。わたし的には「…」と言う気持ちだったのですが、それはやはりそういった場面での医療者としての気持ちが良く解るというものからくるもので、娘の質問自体は自然なものだったのでしょう。
最後に先生が、口を濁すように「恐らくこれ以上は…」と言う感じでお話はなく、次女と嫁さんが泣きながら「よろしくお願いします」と依頼しました。そこからはその手順の説明が始まり、酸素を与えながらプロポフォールで強く麻酔をかけ、意識を無くした状態で塩化カリウムを静注し心臓の動きを停止させるというものでした。
その説明を聞いた後も、次女は何度も何度も「苦しくは無いですよね」と聞く状況。先生も困っていましたが、辛抱強く「苦しみはありません」と説明して下さって私自身はなんとも申し訳ない気持ちでした。そのあとも自分の弟のように子供のよう共に育ってきた子犬にずっと英語で話しかけながら、泣きながら、体を撫で続けていました。私も体を撫で、キスをして別れの言葉をかけました。掠れる声で「また会おうな!いつか行く日までお父さんを待っててくれ」と。最後に別れを決意すると我々家族は部屋から出され病院の外で待っていました。
そこでも二人は当然のように大泣きだったのですが、安楽死を選んだ後に思う気持ちは本当に複雑で、そう簡単に説明できるものではありません。20分も経たず先生が呼びに来てくださいました。部屋に入ると気持ち白みがかったような我が家の次男がいました。その評定には既に先程までの苦痛はなく元気だった頃の穏やかな顔に戻っていました。しかし、唯一の違いは眼には光が無くなっていたこと。
ダンボール製のきれいな棺に入っていた我が家の次男は綺麗に布団の上に寝かされ、掛け布団がかけられ、まだ温かい体のまま動かなくなっていました。そのあともずっと次女と嫁さんが体を撫で続けて泣いていました。私も涙を抑えることが出来ませんでしたが、先生に「ありがとうございました」と声を振り絞り掠れ声で言うのが精一杯。体の入った箱を先生方が裏口から車の方へ運んでくださいました。
先生方に何度もお辞儀をして、その箱を積み込んで家族全員で家へと向かいました。家に帰ってきても娘は体を誰にも触らせず、棺から体を取り出し後には今まで寝ていたクッションの上にそっと寝かせつけて体を撫でながらまた泣いていました。可愛い可愛いといいながらそのまま一緒に布団の横に次男の体を置いて朝まで寝たのでした。
ペットを飼うというのはこういう事なのですね。産まれて亡くなるまできちんと責任を持って育て上げる事が出来るのか。人の子育てと同じです。親には誰でもなれるのでしょう。しかし、きちんと育て上げられるかは次元の違う難しさだとハッキリ理解した15年半でした。
我が家の犬の名前は「スプーキー」
2007年10月31日ハロウィーン産まれのジョージアっ子。
2023年4月30日に虹の橋を渡りました。
15年と半年の間、我々家族の心の中心に居た可愛く立派な寂しがり屋の次男でした。