ついこの前、「前」安倍総理が凶弾に倒れたばかりでした。
それからたったの9ヶ月。今度は岸田総理が和歌山で24歳の青年に襲われるという、まるで戦前・戦後の混乱の時期のテロの時代が戻ってきたような様相です。暴力と言うか、そもそも殺そうという強い意志の下に国家の要人に近づいてその存在を消そうというのは言論や思想の封殺そのもの。
対立する相手を理屈で説き伏せるのはごく普通。糞味噌に罵倒しようとそれは言葉である限りは民主主義社会ではまだ許容されるべきもの。それだからこ自由主義国家と呼ばれる国ではとてもとても現実では成立し得ないような共産主義の政党も普通に政治活動を出来ますし、国家主義の名のもとに差別を助長するような発言を繰り返すトランプのような人間も、偉そうな顔をして演説を行うことが出来るわけです。
そして、あくまでもその様な行かれた論理や主義主張を突き崩すのは討論や出版、ネット上の主張を含めて「言葉と投票」でなければならないというのが私達の育てられた環境での常識や正論です。
何かを主張する、何かの考えを表明することに対してその生命を狙われる事で思想を封殺されることはあってはならないというのは現代社会が形成される過程で「血で血を洗う殺し合いの歴史」を経過して人間が学んできた貴重な思想の結晶の筈です。しかし、この令和の時代、その最も貴重な歴史の果実が余りにも容易に打ち捨てられようとしているのではないでしょうか。
「自分の未来が暗いから誰かを巻き添えにして自分も死んで消える」という、失うもの無き無敵の人の大量発生が今後もいろいろな形でテロや無差別殺人を再生産し続けないことを祈るばかりです。しかし、実際はそんな社会とは何の繋がりもないと思われている若い人間達の後ろには実際のところその事件後に死ぬほど苦しむ親兄弟が多くいることはごく普通で、当の犯人以外の人の苦悩のほうがよっぽどデカくかつ長引く残酷なものであるような事実があると思うのですが…。
今回の犯人、伝えられる速報によると近所ではごく普通に挨拶を返すようなごく普通の家庭に育った問題の無さそうな青年。学生の頃の文集にはパティシエや発明家になって人喜ばせるような人間になりたいと未来の夢を書いていたとのことなんですが、一体彼の内面にどんな変化が起きていたのでしょうか。
「普通に見える人に対しても」何らかのテロ対策が取られなければならないような嫌な時代になってしまったようです。
日本の安全神話が本当に神話となってしまう事のないように願うばかりです。
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