ほぼ毎日アメリカから帰ってきた長女の食事を食べています。
以前も少し書いたと思うのですが、そもそも「この人物」が料理などというものを己の手で作るなどという事は、高校時代までの長女を知る親の私にとって想像の向う側にあるような変化。ところが大学在学中頃から料理という行為に目覚め、更にはプロの料理人達が知人に増えてくるに従って、料理という行為が趣味からマニアの領域に入ってきたようです。
驚くべき種類の調味料、頭の中には各国の特徴的な料理の集成、そして新しい料理というものを作るという情熱には既に当時とは別人の魂が入っているとしか思えません。
昨日もタンドリ・チキンとチーズ・グラタン、今日の夜は何種類もの具材を準備してのソフトとハードのタコス。明日の朝はピーチを潰して作った手作りコンポート?を塗ったパンを準備してくれるとのこと。
それが何だかは私自身も知らないのですが、出てきたものは素直に食べるのが私のやり方。引き続き美味しいものであることを祈るのみです。w
人が変わる切っ掛けというのは一体何なんでしょうか。恐らく大学に行ったときに知り合った周囲の人間達の影響は大きいと思うのですが、それは彼女の場合「学内の友人達」ではなく、社会の中で普通の生活を送っていた大人の社会人達だったようです。見聞の狭くなりがちな象牙の塔の中でのみ人と付き合わず、外の世界に繋がりを求めていったのは親から見ても「大人の選択」だったと思います。
これからどんな料理や趣味、交友を作り上げていくのか。人生も折返し地点を大きく超えてしまっている?両親とは違い、傍から見ているだけでも愉しみです。
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