2022年8月12日金曜日

育ちの良い方々~~

「育ちが違う」と言う言葉がありますが、確かにそういうものを感じる事が多くなったのは私の場合大学を卒業してからです。

医者になる人間というのは当然バックグラウンドは様々で、私のような資産構築や貯蓄などというものとはほぼ無縁な家庭から出てくるカツカツの家の人間から、入学金として数千万円、そして以降も毎年1000万円程度ならスイスイと出してくるような私の実家とは文字通り桁が違う金持ちの子供達もいるわけです。

まあ、それが資本主義社会の基本ではある訳ですが、素(す)の学力というものの上に経済力の差によって長年にわたって種々の加飾が施されていくのですが、その飾りは学力のみならず人間の立居振舞の差にまで当然のように影響を及ぼす訳です。

勿論、そのような修飾がかかったからと言って親が願った方向に正しく伸びてくれるわけではないし、伸びの程度もその素質の差によって全く凸凹に差が付くわけですけど、一般的に偏差値というものに限って言えば塾などで伝えてもらえる事が可能な「解法のテクニック」を使えば恐らくは多くの場合、プラスの方に伸びていくでしょう。

そういう意味では塾などに行く資力の無い親を持つ子ども達というのはハンディをも持たされ、今どきは親ガチャ等とも揶揄されるようなことが元になって人生の岐路における負けを呼び込みやすいことになっているのかも知れません。無論爆発的な素質があって、通常の学校教育のみでも恐ろしく自律的に伸びていく高度な知性の持ち主というのも自分の周りで数は少ないけれども観察する機会はありましたが、そう多いものでないことは明白でした。

そして、そういった種々の環境、素質の差の掛け算の集大成の差が社会人として出てくる人間の資本になってくるのでしょうが、成人としてそういった「育ち」の違う人間が出会うと色々な化学反応が起きます。

私自身がまず感じたのは自分の粗雑さ。w

育ちの良い人達というのはそもそも争いませんし、生活の背景に余裕があります。それってどういう事?って聞かれそうですが、あけっぴろげには説明するのが難しいような「種々の」差です。

医学部卒で言うと、私立大学の先生などはやはり金持ち喧嘩せずというのを初めて実際に目の当たりにするような人達と出会うことが出来ました。病院のn代目とかある程度のサイズの中小企業の息子や娘さん達なんかが多いのは当然のことですかね。

そして名古屋に来て初めて聞いたのが「純金」と言う言葉。これ最初の頃はナニナニ?と聞き返したのですが、ある方の説明によると「幼稚園、中学、高校、大学」と金城学院の系列校に通った純粋培養のようなお嬢様方の事なんだそうです。毎月ハワイに行くような家族の中で育っているような子も居るとの伝説を聞きます。更に名古屋には他にも椙山(すぎやま)学園のような幼稚園から小中高大と揃えているところや、愛知淑徳大等もあり、こういったところの卒業生を僅かながら知っているのですが基本的に「育ち」が違います。特に早期教育からこういった所にいかれている方々は!

しかしこればっかりはどうにもなりませんな。ただし、貧しくとも育ちが良い人はいる訳で、これこそ親ガチャなんでしょうか?難しい話です。とはいえ、現状の自分の可塑性の無さは絶望的なレベルですが。w


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