2022年8月3日水曜日

次女が絵の題材で試行錯誤

バイトの隙間を埋めるように作画活動する次女。

家から少し離れて借りたアトリエ用の部屋に布を敷いて下が汚れないようにした状態で何かシコシコと描き込んでいます。今現在、基本的にやっているのはoil on canvasの作品群の様で、自分の好きな題材をいろいろと選んでは国外のコンテストに向けて題材を仕上げていっているようです。最近は比較的家族・一族の日常を素材に選んでいることが多いようですが。

自分の作品を提示するための個人契約のホーム・ページも知らないうちに持っていたようで、そこに今まで描いた多くの作品群を選んで展示しているのを見せてもらいました。以前見たことのある作品もあれば初めて見た作品も沢山提示されていて、そこでは彼女の中での作品の変遷というのが良く俯瞰できました。

そもそも私にはアートをする人達を一概にartistと呼んでいいのかどうかわからないところがあるのです。絵を描いたり彫刻をする意欲が人並外れて大きい人は皆そう呼ばれていいような気もするんですよね。更にはそう呼ばれる人達がこういったartを創り出す意欲がどこから出てくるのかという疑問もあります。

やりたい事をやっているだけ!とartistが言ったところで、絵を描くための素材さえ揃えられない貧しい状態である場合とかはやはり大きなハンディがあると思うんですよね。今は一枚が数十億とかいう値段がついているような印象派の画家などでも当時はパトロンも付かず、書くための資金もモデル代も払うのに苦労してなんていう人達は幾らでも居たわけで、その中から才能と運とがあった人達だけが時代を超えて生き残っているのだと考えています。

それからすると今の次女を見ているとアトリエ代や画材代の多くは私や嫁さんからアシストされている事になりますから、お金に余り苦労しない画家という意味ではハングリー精神というものがあんまり育たない環境なんでしょうかね?それとも環境というものは可能なら最初からそこに容易に揃って居たほうが良いのか。そこも謎。

どうもボクシングの選手のように貧しい環境からの成り上がりがそういう世界を制覇していくようなイメージが抜けないオジサンなのですが、日本で芸大とかの世界に進学するような人達というのはやはり一種夢の世界にチャレンジする余裕のある恵まれた環境で、種々のトレーニングを積んだ状態から試験競争を勝ち抜いてくるような人達なのか?知らないので全く判りません。

しかし、ちょっと考えただけでも、試験を通過するというのとアーティストとして成功するというのはまた次元が違う話という気も致します。この疑問、頭の中でいつまでもグルグル回ってばかりです。どんなもんなんでしょうね~。

この世界に関しては何時まで経ってもいろいろな謎だらけです。w


0 件のコメント: