2026年7月21日火曜日

身も震える清潔感

ゴミ屋敷の事は何度も書いていますが、そこに住む人はどこに身を置いているのか?

こういう場所で生活を送るいろいろな人のパターンを「必然的に」見る機会は何十回とあったのですが、基本的に物凄いゴミや埃の中で座り込んで生活をしている人が多いと感じています。座り込んでいる箇所は通常一か所。

年単位で座り込んでいるその畳や絨毯はすり減ってセンチ単位で凹み、構造上の下地が見えているような事も多い感じです。そしてその脇には小便を溜めたボトルや麦茶の容器が置いてあったり、その更に脇には便の入ったオムツが置いてあったり…。

こういった話を聞くだけで、具合が悪くなるような人もいるのかもしれませんが、話はそんなところでは終わりません。その人物が通常座っている場所の周りには折り畳んだり伸ばされ切った布団が何年も場所を変えずに敷いてある事が普通で、いわゆる伝説の「万年床」が出現しているのです。

その布団は何が中にあるのかを考えただけで「怖くて」とても捲れないのですが、冷房なども当然のように付いていない空間で汗と油に塗れたその布団には一体この「ガムテープでぐるぐる巻きにしたの?」と言いたくなるような茶がかった黄色の光る物体である「元」枕であったろうモノが置いてあったりします。orz

ここに寝ているのか…想像を絶する世界なんですけどね。

そういう汚染された謎のオブジェクトを看護師さんと二人で横目に見ながら診察をしていく訳ですが、そういう患者さんにはダニや虱、疥癬(ヒゼンダニ)などが寄生しているリスクは当然の事、結核などを持っている人も比較て多くいます。家の中が埃や謎の物質だらけの不潔な部屋で、低栄養で暮らしているのですから免疫の機能も当然落ちている訳で、然もありなんですよね。

こういう人達は行政からの支援を意外と嫌いますし、部屋を綺麗にしてあげる行為自体に怒りをもって反対してくることも多いのでそれがセルフ・ネグレクとの特徴なのかななどと一人合点はしていますが、助ける手を払い除けられるとやっぱりこちら側としては助けようもないのでした…。

2026年7月20日月曜日

もっと他にやることがあろうが?

本当に要らん事には労力を使う連中がいるもんだなと思います。

恐らく戦中派が社会の中心で沢山活躍している時代だったらこんな法案など提出さえ考慮されなかったと思うんですけど。そもそも、提出のきっかけの一つが我が国においては「外国の国旗を損壊することに対する罰則は存在するのに自国国旗の損壊に対しては罰則規定が無い」というもんだったようですが、そもそもそっち側の法律も要らんのよ、俺に言わせれば。w

今回の国旗損壊罪なるものは「実物の旗」が対象で、画像や絵は含まれないとのことですが、「公然とかつ人に著しく不快・嫌悪の情を催させるような方法で」 損壊(破る・燃やすなど)・除去(掲揚されている旗を勝手に外す)・汚損(汚す、踏みつけるなど)を行ったら、2年以下の拘禁刑 または 20万円以下の罰金を科すとの事ですが、その判断基準が実に曖昧で「行為の外形、周囲の状況など客観的事情を総合的に判断」などというまさに主観の塊! こんなの検察が何とでも言い募ればいい訳で、こういう曖昧な幅広い表現こそは戦前の特高警察が人をしょっ引き拷問にかけた筋と何ら変わらんでしょう。

法律の適用にあたっては、「表現の自由その他の憲法上の自由と権利を不当に侵害しないよう留意」 と明記されていますが、この法の成立自体が憲法違反だよね?

自民党と日本維新の会が連不動のように提案し、自民・維新・国民民主・参政党の4党が共同提出。最終的な評決では賛成が自民・維新・国民民主・参政党・日本保守党 。反対は立憲民主・公明・共産・れいわ新選組となってますが、正直なところそもそもが要らん法律。外国の国旗損壊に対する罰則も要らん法律。

他国の主権を尊重し、国旗を損壊しない等という事はあまりにも当然の事でありそれは通常の理念の下ではそういう行為を行う事は「反体制」という呼び名で呼ばれるわけですが、反体制というものの存在は世の中には必要なもの。全員が同じ方向を向く国家は必ず滅びる危険があると全く疑うことなく思ています。

今回の法律に反対した連中も正直なところ屑ばかりですが、では自分自身が賛成かというとやはりきっぱりとノーです。国旗の損壊なんて絶対にしないし、する奴はただ軽蔑するだけ。それでも政府や体制に反対する手段としての「考え」の延長として国旗を燃やし、踏みつける自由は必要だし、表現する自由は絶対に守られなければならんでしょう。

愚かな宰相が現れそいつの権限が過剰に国民を抑圧し始めた時、それにノーと言いたい「ある人」が国旗にその愚相の顔を描いて燃やした時にその愚相が「著しく不快」だと思ったら、そいつを罰する事も出来ますよね、法的には!

この法で科される罰則は拘禁刑2年以下または罰金20万円以下ですが、日本という国はこういう事に対して「愚かなり、議論するに能わず」と言えないでしょうか。あまりにも明白な愚かさは通常は侮蔑と嘲笑の対象ではあっても、時には政府を覆すための表現手段とも成り得るのでしょうが、それを罰するとは何事?

私も含めて「戦争を知らない人間」は日本におけるこの法律の意味をもう一段深く考えておく必要があるのではないでしょうかね。


2026年7月19日日曜日

「日本ぶらりぶらり」を読んで

山下清の事を知る人は恐らく年を追うごとに減ってきていると思います。

私のような年齢の者でさえリアルタイムでの山下清の言動を知っている訳ではなくて、私が物心ついた頃に亡くなったみたいです。調べて驚いたのですが、彼が亡くなったのはなんと名古屋にある熱田神宮だったそうで、高血圧のコントロール不良からくる脳出血だったようです。(1971年-49歳)

私自身は彼の亡くなった時にはまだ5歳で、山下清の事をリアルに知っているのは親父たちの世代。ちぎり絵やペン画の天才的作画は驚異のグラフィック・メモリーに支えられていたようですがそもそもの知的能力は12~13歳だったとの事。

昭和の頃は山下清のお話はテレビで「裸の大将放浪記」として、昭和には芦谷雁之助、平成では塚地によって2シリーズとして放映されていましたので、ドラマを通じて改めて人々の脳裏に山下清とはどういう人物であったのかというのが記憶として刻まれているのだと思います。私には芦谷雁之助の演じる山下清が秀逸なものとして残っているんですが、塚地もなかなかでしたしね。

さて、今回読んだ「日本ぶらりぶらり」ですが、純粋に文章として面白い。その文体はまさに知的発達障害のある山下清らしいものなのですが、世の中を観察するときの視点が本当に純粋で混じりっ気が無いというのはこういう事かと感じました。それでも自分が人に比べて一般的な意味での知性が劣っているというという自覚はあって、それを恥と思う心もある。しかし、そういう己の内側に持った劣等感と呼べる気持ちを持ちながらも世の中を見つめる眼の透徹した感想は、日頃から手垢だらけの余計な先入観を被せて世の中を眺めている自分にはハッとするようなものばかり。

「ああ、そういう風に見えたのか!」という感じ方は目に幾重にも張り付いた色付きの鱗が剥がれ落ちる感覚を味わわせてもらえます。

昭和の頃の表現ですから、今では確実に差別用語だったり時代的にとても書けないような内容も書き込まれていますが、それでもその視点は貴重。大人の経験をしているもののその視点は無垢。

いずれの文章も一昔前の昭和の日本に関する記述ですが、アナログの世界に関する記述は今でも懐かしさを呼び起こすのに十分素晴らしいものですよ。それにしても、今大人気の草津温泉では皆沢山の人が糞や小便を湯の中でしていたというようなびっくりするような記述がある事にはぎょっとさせられました。orz

時代ですかね。それとも今でも…?

2026年7月18日土曜日

アマゾンで物を買う時代に変わる事

モノを買う前にあちこちに出ていって品定めをするという事がまずありません。

自然とネットで物を探したうえで商品比較をし説明を熟読玩味して研究終了。実際にはその手の類似のものを使っている人の意見も参考にはしますが、最後はエイッとばかりに確定ボタンを押してお買い物終了となります。

それで実際にモノが家に到着したときに初めて「品定め」という事になるのですが、殆どのものは予想通りとはいえ、中には外れのものもある事はあるという普通の展開。実際に目で見て触って購入したものでも使用感というのはこんなもんだろうと思うのでネットショッピングもかなり「実世界にかなり近いレベル」での買い物ができるほどにはなってきたんじゃないかなと思います。

ただし、ネットと実世界のモノの値段差というのがどこまで違うのかというのが買うこっちにとっての最大の関心事。その点の比較では多くの場合アマゾンのほうが安く手に入る感じなのですが、私が使わないその都のサイトである楽天などをチラ見してみると少し安かったりしますね。それでも、慣れたサイトからはあまり外れたくないのと楽天という会社が何となくアノ経営者がトップかと思うと使いたくないというのがあって使わないんですけどね。w

アマゾン経由のネットコマースで一番いいのはアメリカと同じ感覚で「問答無用の返品」が効くこと。これが日本の買い物の常識になって欲しいところですけど、アマゾンのサイト内にネットショップを展開している無数のショップもアマゾンのこの「カスタマーからの問答無用の返品」というのを呑まされたうえでのショップ展開なのだろうと思うとちょっと小売りの会社もアマゾンに飲み込まれてしまっていて気の毒な気もします。

しかし、それが当たり前になってくるとそれを呑まなければ商売自体が始まらないという時代になる事は確実です。そうなるとリアルワールドのショッピングを行う人々もネット・コマースに対抗するためにはこういう勝者の論理を受容しなければならなくなってくるのでしょうか。少なくともアメリカではWalMartはアマゾンに負けないための動きを普通にしてはいるようですが。

まあ、そんなことはさておき月に何度も「必要があれば」アマゾンで買い物をする私でした。

2026年7月17日金曜日

結婚退職の御祝い

今日は忙しい中病院の若手に誘われて病棟の看護師さんの結婚祝いを兼ねた四人池下焼き肉会をしました。

まあ四人いても最初から私が親の役割を果たして全てを私が出すつもりで出陣。結婚退職で病院を辞めていく人、結婚しても病院を辞めない人、結婚をして御主人と共に名古屋にやってきて入職してくる人などパターンはいろいろ。彼女の場合は御主人が隣県の営業のトップとして出ていくために結婚と合わせてついていくとの事でした。

ただ、話をよく聞くとやはり名古屋のほうが遊ぶところはそこよりも遥かに多いので、今後子供が生まれたら何があっても名古屋に戻ってきて自分と子供たちだけでも生活するなどと今から不穏な事を申しておりました。w

多くの看護師さん達、特に若い看護師さん達は御主人の転勤に伴って移動を繰り返しその度に病院を移って経験を積んでいくという事が多いようです。ただし、キャリアを一つ所で積んでいってそこでポジションを上げるという事はなかなか難しくなりますよね。そういう意味では奥さん側が主導権をもって赴任地を決めるというような事が多いというような時代には未だなっていませんね。(恐らく今後も無いと思いますけど、どうなりますかね?)

ガンガン肉を食べてもらったんですけど、新しく結婚する女性とその病院友達からいろいろな話を聞きながら最近の院内の看護師さん達の人間関係などを聞いていましたが、まあ、どれもこれも俺には関係ないな~という感じ。女性の世界はなんだか男性の視点とは「かなり」違う思考回路で形成されているようだと改めて感じました。

焼肉屋を出た後は、ほんの数分歩いただけで一本裏道に出ているパブによって一時間ほど過ごしました。そこではお酒の話ばかり。女の子達は私が飲んでいるラフロイグを「おえ、臭いです。無理」と言って笑っていましたが、アイラ・モルト劇的に美味いんですけどね?

最後は皆で今後の彼女の幸せと「早々に戻ってくるな」という言葉をかけて散会となりました。

2026年7月16日木曜日

手書きノートと電子ノート

日常の中でデータを記録するのにちょっと写真に撮ってそれをメモ代わりにするという事は今や普通の話。

その写真で撮ったデータからはテキストが抽出できますから、いざとなったら文章抽出さえ何も悩まなくていいという事です。時代は変わりましたよね。以前は文書・文章を写真に撮るなんて国立国会図書館とか新聞社とかスパイくらいではなかったかと考えてしまうのです。

私の場合メモはiPhoneのメモと手書きメモの二種類をどちらとも使います。

どちらが良いかというもんでは無くて自分で描いた絵などの説明が入っているものが私にとっては手書きのメモ帳用で、医学知識などの何度も手許で見返してその場で仕事に使いたいものはiPhoneのメモ帳ですね。

メモまではまあこういう簡単な考え方で分けてるからいいんですが、これが本となるとどうも電子的なものは「私は」駄目ですね。人によっては重いものを運ばなくてもいいからこっちが絶対的に便利と言って譲らない人もいるんでしょうけど、宇宙船に乗るために少しでも嵩張るような重さを持つ実物は載せられない、なんていう状況以外は本のもつ手触り、臭い、そして今までその本を読んできた人達の書き残してきたメモ等を見つける喜びなどは電子的なダウンロード書籍からは得られません。

そもそも、電子的な本であるキンドル本なども昔から持ってはいるんですけど、使ってみてそのページをめくる感触などが全くダメで「これは俺にはムリ」という結論にかなり前に至った記憶があります。今も娘達が旅先で稀に使っているのを見ると、その使用感は昔のものと同じでやっぱり娘達も「旅先なんかでない限りは使わない」との事でした。

私は今でも旅先にも「本の実物」を持っていきます。^^

ネットで読んだ記事では記憶に残るのはどちらかという比較調査をしたものがいくつもあるのですが、東大で行われたコミック本の場合は「紙の本は、同じ理解度に到達するための脳の負荷が少なく、「記憶統合が効率的に行われる」 ことが示されたとなっていますし、ヨーロッパの幾つかの大学で行われた研究でも明らかに神のほうが物語の要約や理解度がより良い成績を見せたとの結果を出しています。

空間記憶という「どこに書いてあったか」という記憶が紙媒体をその手の記憶の呼び出しと焼き付けに有利なものだという事なんでしょうね。

まあ、私がどうこう言ったところで自炊本でリアルな本自体を捨ててしまう人もたくさんいる時代。時代はどういう形になろうともどんどん流れていくのでしょう。その時にはもう私はいませんしね。w

2026年7月15日水曜日

山口瞳ベスト・エッセイ

ある日、散歩の途上でブック・オフに立ち寄った時に本棚の中から私の眼の中に飛び込んできたのはこのちくま文庫「山口瞳ベスト・エッセイ」でした。

もともと山口氏はサントリーの宣伝部にいた直木賞作家です。(その5年前には開高健が芥川賞を受賞しています!)江分利満氏の優雅な生活という文章で昭和のサラリーマン生活を描いたものでこの賞を受賞しているのですが、サントリーで出されていた洋酒天国という当時の宣伝誌が秀逸なコラム等ののったもので、これが山口氏の活躍で成立していたといっても過言ではないものだと私は思っています。

さて、今回元値950円の文庫本を700円で手に入れたのですが、結論から言うと素晴らしい本でした。小玉武さんという方による編纂でしたが、この方もサントリーで洋酒天国の編集に携わり同僚として山口氏と仕事をしていた方で、山口氏の死後も山口氏を題材として種々の文章をしたためられています。

中には向田邦子の死に関して書かれ当時の社会問題となったという「木槿(むくげ)の花」の連載もあり、生前の山口氏の幅広い交友と多くの著名作家の若い頃の様子や語られざる秘話が次々と溢れ出してきます。やはり「書き方」が溢れ出してくるという感じで、その文体が読み手を引き付けてくるんでしょうが、平均して素晴らしいものの中身の題材によっていろいろな興味深さの「差」があると感じました。

文脈に関係なく、私生活に合わせて私が個人的に印象的な文章もあって、こうやって抜き出しても皆さんには?かもしれませんが、P172の「きみたち、いかにデッサンが上手であっても本物の飢餓感や本物の切実な思いがあるのだろうか。きみでなくては描けない絵があるのだろうか」とか、P348の「名前を知らない文化人やたれんとがどんどん出てくる。名前をよく知っている人がどんどん世を去っていく。この「知らない人がふえてくる、知っている人が減ってくる」というのが免れ難い老年の一つの状況ではあるまいか。」等と言う文章は印象に残りました。

この全体に描かれる軍隊、酒、博打、男女関係、社会人とりわけ会社人間としての生きざま、料理、生老病死、人間観察などはやはり全編を通して珠玉と言って良い素晴らしいエッセイ集で間違いありません。セレクションが時代の流れに沿っていたのもまたヨシでした。
(個人的には色川武大氏関連の記述が秀逸でした。直後に「怪しい来客簿」の初版本をメルカリで手に入れました!)

700円で約一週間の極上の時間を手に入れられる読書。やっぱり最高ですね。次は向田邦子ベスト・エッセイと山下清の「日本ぶらりぶらり」が待っています。



2026年7月14日火曜日

すげー歯の持ち主

いつも、己の歯の惨めさに関してここで愚痴っていますが訪問先の担当患者のお婆さんにすごい人が居られました!

そのお婆さんは頭もしっかりしている90歳!の方なんですが、手先も器用で喋りも抜群。つい数か月前に御主人を亡くされたのですが、亡くなられた御主人はこれまた私がこの数年ずっと診察を続けていた方でした。

認知症は年々歳々進んではいたんですが、足腰は比較的最後の最後まで保たれておりました。愈々家ではみきれなくなりましたという事で、施設診療に移行して僅か三か月でお亡くなりになるという95年の人生でした。

その後にはお婆さん御自身からのリクエストでお婆さんの高血圧や心不全をフォローしているのですが、今日になってこのお婆さんの物凄い秘密を知りました。

問わず語りで話だしたお婆さんのお話はご自身の歯に関する事実でした。何とつい先日まで一本の歯の欠落も無かったんだそうです。この前硬い煎餅をバリバリ噛んでいたときに生まれて初めて歯が欠けたんだそうです!

何と生まれてこのかた虫歯が出来た事は一回もなく、全ての歯が生まれて今まで全て揃っているんだとか!( ゚Д゚)

驚いてそばに近づいてお口を診させていただくと、仰る通りの擦り減ってはいるけれどやや黄色がかってはいるものの歯石の付着も目立たずほぼ完璧な歯で奥のほうにも詰め物一つもありませんでした。しかも、お婆さんによれば殆ど歯を磨くこともないズボラ生活というのでした。しかもピンクの歯茎は歯肉炎など全く関係なさそうな美しいもので、歯肉の高さが減る気配も見せていませんでした。

通っている歯医者さんによると高齢で歯が健康な方でも歯自体は加齢とともに折損してしまう事はあるのだそうです。

やはり、アメリカで学んだように3歳ごろまでに定着した口腔内の細菌叢が一生の歯の健康を決めるんかなと思い出してしまいました。そういえば、長崎にいた頃に名古屋から来た歯学部の先輩はほぼ歯は磨かんけど、俺は一本も虫歯が無いよと言っていた事を思い出しました。

そういう菌の構成を受け継いだ人は幸せだな~と心の底から思う歯がボロボロの私でした。TT


2026年7月13日月曜日

思った通りにはいかないのがシロートの辛さ

鵜沼の畑に行って参りました。

雨が暫くの間続いていたために畑にアクセスすること自身が憚られる状況でした。雨がガンガン降っている時に入っていくと、その雨が降り止んだ後に土がカチカチに変な形で固まってしまうとのことで、侵入は禁止。しかも、そこにアクセスするだけで車がスタックしてしまう為、入ってはいけないという事になっていました。

前回、二種類の美味しいジャガイモを収穫してハッシュド・ポテトやフレンチ・フライを食べた喜びはやはり何時も以上に美味しく感じるのは「自分で作って自分で収穫した」という行為が途中に挟み込まれたからこそ。

さて、久し振りに行った畑。どうなっていたかというと…。
原野に戻りつつある現場…orz
やはり、これだけの間隔を開けると雨と暑い時期の続くこの時期の雑草はあっと言う間にこの有り様です。本当に呆れるほどに成長が速い!近づいてみてみると以下のように。
トウモロコシはほぼ全滅。落花生は写真には映り込んでいませんがまだ元気。サツマイモの葉っぱは雑草に対抗してガンガンに伸びてくれています。^^

そこで、サツマイモとトウモロコシの間の畝を再度取り戻すための雑草抜きを行いました。最初は雑草を鎌で切ろうと思ったのですが、抜くほうがより綺麗に取れると思ったので腰痛覚悟抜き続けました。何度も何度も往復を繰り返しながら次第に前進したのは良かったのですが、全部終了した時にはもうフラフラ。熱中症にならない様に気をつけて体中を布や日よけでカバーしていたのは効果的だったのですが、愚かなことに買い込んだ「おーいお茶」を相棒のお父様の家に忘れてきてしまいました。

1畝だから何とかなるだろうと思ってやってしまったのが失敗の元で、最後以下のようになった時にはほぼ熱中症状態。己の愚かさに再び呆れるばかりでした。
幅1mx2m、高さ30cmを抜き取るだけでほぼ死亡
最後にどれほどトウモロコシがやられたのかという写真をお見せしたいと思います。
これは2つの「やられ方」があるんですけど、今回はカラスが敵でした。そしてもう一つのやられ方は芋虫だそうで、上に近い感じのやられ方をするんだそうですが、そもそも今回の「実験」でこれ程までにやられるのかという事を体感出来ましたので、次回以降はどういう風にやるのかというのを綿密に検討してからやり直そうと思っています。

農業やるならやっぱり畑が家の傍に無いと根菜類とかまあ絶対に無理だと良く解ったこの初夏でした。痛みあってこその進歩だと思いたいです。TT

2026年7月12日日曜日

弟の死から半年

実は昨日で弟が急逝して半年でした。

親父からも連絡があり「今日はXが亡くなった月命日で182日目になります。元気でメジャーの野球を観ています」との文言が入っておりました。

あの日から早くも6か月。飛行機が雪雲を迂回して遅れた分、まるまる到着が遅れ弟の死に目に会えなかったあの日でした。それでも、到着したときの弟は勿論まだまだ暖かく、穏やかな表情でした。60年近い年子の二人の人生の中で完全に人生がシンクロしていたのはわずか数年。

18になるまでは養護学校で殆どの時間を過ごし、その後は施設に入るというような人生を送ってきた弟にとって私とシンクロする時間を過ごすのは春夏秋冬の休みの期間程度でしたが、その間は私が弟の面倒を家で見ていました。父親は勿論、母親も仕事に出ていたので家には自分とと弟だけ。いつも何かに怒った弟に意味もなく髪を引っ張られながら、その理不尽な行為に反撃できず涙を流していた私です。w

弟と「物理的に」別れて以来一秒一秒自分だけが老けていく訳ですが、やがてアッチで会う日が来る時にお互い言葉を喋って「ヨ~、久しぶり!」なんて言いあえるようになってると良いなと思います。^^

6か月目の月命日。弟に手を合わせたんですけど、心の中では弟の関係は「やっぱり」なんにも変わっていないな~と心の底から感じた一日でした。




2026年7月11日土曜日

運動して食ってでは還暦過ぎには効果なしw

最近よく散歩している事をここに書きましたが、家からイオン・モール脇の長久手古戦場駅までの往復は大体一時間です。

移動は基本的には精々早歩き程度で、歩く速度としては基本的に少々汗を掻くくらいと言ってよいでしょうか。これは運動強度の表現で言う所の4METというレベルでしょうかね。その条件で私の体重で計算してみると、この一時間の散歩の消費カロリーは15メートルのアップダウンがあったとしても最大350キロカロリー程度。

もしそうだとすると、家に帰ってきて頂き物の治一郎のバウムクーヘンの小袋を一つ食べるとほぼ一発で一時間の努力?が無駄になる訳なんですが、この帰ってきてからのちょっとした夜食がやめられないのが愚か者の愚か者たる所以です。orz

折角一時間の間汗掻きながら歩いてきたのに椅子に座ってパッケージを開けてぺろりと食べてしまえば「はい、元の木阿弥です」という状況。俺は何をやっとるんだ、という事なんですけれどその「抑え」が効いていないんですね。食べた後で小さな後悔をすることは毎度の事なんですけど、体重が変わらない状況と突き出た腹を鏡の前で見る度に「アカン、Tシャツが似合わん体型や!」としっかり落ち込むのですが、その後悔が反省と実行に繋がらないのはやっぱり馬鹿だからなんですよね。馬鹿。

人間らしいという風にオブラートに包むのは簡単なんですけど、糖尿病の患者さん達に指導をしたりするくせに己は自分の体重コントロールが出来ていないじゃないか!ちゅう話。

食事療法と運動療法を通じた「日常生活の乱れを糺す事による生活習慣病の予防と改善」というわかりきった黄金の法則を自ら実行できないというのは本当に情けない事です。本当に!

糖尿病学会に所属するドクターの中にも糖尿病の人が沢山いるというのは糖尿病専門医の先生から聞いた内緒じゃない話。医者も人間というのは簡単なんですが、循環器学会や呼吸器学会が「専門医」のレベルでは非喫煙者であることが必須となっている様にまず隗より始めよというのは正しい戦略だと思います。

まあ、当たり前と言えば当たり前なんですが出来ないんですよね…食い物に関しては。TT

2026年7月10日金曜日

ドラマも早送り?

隣のソファでテレビ画面の前に座ることの多い嫁さんは、通常みたいドラマなどはリアルタイムで視る事はほぼありません。

当然のように録画してそれらを好きな時に好きなだけ視るんですが、かなりの割合で居眠りしている事が多い人です。何だか知らないんですが、嫁さんも嫁さんのお義母さんも何かをしているのかな?と思っていたら急に静かになているのでそっと脇から覗くと大体において「舟を漕いで」います。(˘ω˘)

しかも、彼女の視聴方法はほぼすべての番組において1.25-1.5倍程度の早送りなんです。確かに、ドキュメンタリーやニュース系統なんかではそれでも良いと思うし、下手すりゃスポーツ番組でも大事なところは何度でも繰り返し見直せるのが現代の録画システムの良いところですからちょっとくらいの早送りはアリだとは思うんですけど、スポーツはリアルな速度で見るもんですけどね?まあ、スポーツ番組は彼女は視ませんので議論の対象にはなりませんが。

問題はドラマや映画だと思うんですよね。

俳優は演技において「間」や「抑揚」なんかが演技の命だと私自身は自分のちっぽけな常識で思うんですけど、俳優さんにしてみればドラマや映画もズンズン早送りで観ていく彼女のような視聴者の行為というのはハッキリ言って気分の良いもんでは無いでしょうね。

演技を見てもらいたい俳優さんが、YouTubeなどで出されている訳の分からないお手頃ドキュメンタリーや解説と同じような取り扱いを受け「早送り」されるのをヨシとするのか?

時代の流れで多くの人達がほぼ全ての番組をこのようにして視聴する時代になったのかな~と「目の前の事実」をただ見つめるしかないでしょうし、それに疑問を突きつけようとそうやって視る人はスタイルを変えないでしょうから私の疑問なんてなんの意味も無いんでしょうけど、なんだかね~。

そんなに早回ししたいなら本読めっちゅう話ではないのかなとふと思う私でした。

2026年7月9日木曜日

ポケモンGOで自分用の散歩コース作り

最近自分で設定したポケモンGOの散歩ルートを自分で磨いています。^^

ポケモンGOやってない人にはこいつは一体何を言っとるんだ?と思われそうですが、ポケモンGOでは自分で作成した「お散歩ルート」というのを自分でナイアンティックに投稿してそれが認められるとそのコースが他の人達も使えるお散歩用のコースとして日々のお散歩タスクに使えるようになるというのがシステムの概要。その道の途上(多くは最終地点近く)であるご褒美を頂けるというもの。

距離はいろいろあるんですが、私は今までに二回申請しておりまして、一つは東山動物園の池の回りを8割程度回ってオッケーとするコースで、調べてみると百回以上いろいろな方に遊んでもらえているようです。

そしてもう一つは自分の夜の散歩コースである片道2.5キロの自分の家の傍の桜並木道を出発点とする長久手イオンモール(長久手古戦場駅)までの道。最初に申請したときには何故か理由は不明なのですが、危険なコースという名目で一旦却下されました。w

どう考えても、どこをどう捻っても危なくない一直線の綺麗なコースだし夜にも沢山の人達が走ったり散歩したりしているので、一度だけ反論できるとかなんとか書いてあったので意を尽くして危なくないし皆散歩しとるよ?と書いて送ったら暫くしてコースが認定されました!

しかしながら、これに並走するような半分以下のコースが沢山あるせいで私のように2.5キロもあるようなコースは長すぎて誰も遊んでくれません。orz

そこでもうこれはイカン!と一念発起。このまま誰も使わなければ、せっかく作成したコースが消滅するんでないかい?という懸念が出てきたので、自分で頑張って往復をして合計8回使った事にしました。その上で自分で星を5つ付けて「良いコース」という風に磨き上げています。

はい、自作自演です。

2026年7月8日水曜日

正常な判断能力の欠如

ヤバイヨ ヤバイヨ!出川でなくともそう言いたくなりまする…。w

認知症のお爺ちゃんが世界最強国家のトップに選ばれてから本当に「普通の宰相」なら何十回と辞任しなければならないよいうな事をやり続けていますけど、この人にはカエルの面にしょんべんという奴で、肥大した自尊心と歪曲された情報認識システムの前に敵はおりません。

自分サイコー、お金サイコー、自分を褒てくれる人サイコーですから周りにいるのは裸の王様の太鼓持ち忖度野郎ばっかり。恥という概念がない人間が最強であるという事を嫌らしく、かつ最も迷惑な形で証明してくれたのがアメリカのお爺さん。プー珍も大概の呆れたレベルの独裁者ですけど、こっちのほうはもう存在自体が風前の灯火ですから放っておいてもマア心配ありません。帝国の崩壊は見えてきてますから。

最初に書いたヤバい発言というのは既にファクト・チェックのページに画像のリンクと共に書き込まれています。

このアメリカのトプの椅子に座っている認知症の老人の発言というのは「Trump said 'Islamic Republic of Japan' fired missiles at US aircraft carrier」というものなのですが、余りに酷すぎて周りの閣僚の顔も引き攣ってかつ何も言いません。この易怒性の強いお爺さんに余計な事を言ってもそもそも理屈建てた話は通じないし、薬を使ってもその易怒性を抑制しなければ話をする事自体が無意味ですからね。
この発言はNHKの英語国際放送でも既に報じられていて、もう何が何だかのお祭り騒ぎ。Xでも大盛り上がりなんですが「日本よゴメン!これが俺たちの大統領」って感じの反応が多いですね。何というか、笑うというよりも気の毒の一言。ただし、俺たちの国にも昔ルーピー鳩山という超大物の基地外がおりましたので、時を超えて対岸に現れた認知症のお爺さんにもあまり驚くことはありません。

当時のオバマ大統領も鳩山には怒り心頭でしたが、最後は諦めて無視してましたもんね。

赤い熊の国も白頭鷲がシンボルの国も熊のプーさんが頭の国ももうみんなヤバすぎて…。世界は多くの良識に支えられていますが、頭のおかしい独裁者たちとその取り巻き連中が力を持つ状態であり続けるとき、デストピアというのは実に容易に登場するという事実にシンプルな驚きしかありません。

2026年7月7日火曜日

ジャンキー

訪問診療の仕事の中で驚く状況に遭遇することがままならず有ります。

ある女性が我々にリクエストしてきたのは鎮痛剤の追加処方。癌では無いのですが、エンドレスに鎮痛剤を処方するように話をしてきます。

しかもこの女性は他の病院にも同様に同じリクエストをして鎮痛剤を称して貰っていたのです。しかも我々から貰う経口鎮痛剤ではなく、注射剤による鎮痛のコントロール。レベルは違うものの、大量かつ通常許容される量を大きく超えた鎮痛剤を毎日使っていました。

マイケル・ジャクソンを例に挙げるまでもなく多くの有名人が鎮痛剤の魔力に絡めとられてその命の灯を消していきました。勿論、今も状況は同じで多くの人々が苦しみ、かつその力に絡めとられて行っている様は多くの映画やドラマでも描かれているのはアメリカを中心として暗い日常風景になっているのは知る人が知るところです。

我々の場合、この鎮痛剤を無限にリクエストし続ける若いジャンキー女性を訪問診療から切り離さなくては「我々自身」が巨大なリスクに直面する可能性が確実に高まってきていたので、理事長と院長に一言だけ確認を取ってスパッと切り離しにかかりました。

話はシンプルで「我々の処方のみならず、他院で使用されている鎮痛剤の送料も判らない状況で当院から更に鎮痛剤の処方をリクエストされるという事はご自身の生命予後に大きなリスクを孕むだけでなく、違法な処方となる可能性がありますので、当院からの処方は中止、即ち訪問自体を取り止めさせていただくことに御同意願います」と言わせていただきました。

この女性、私が居ないときに直ちに病院に電話をかけてきて「私に対する診察を続けないなら訴えさせていただきます」と言ったらしいのですが、理事長のほうはどこ吹く風で「どうぞどうぞw」という感じで一刀両断だったとのことです。

あれから数年経ちますが、待てど暮らせど訴状は届きません。^^


2026年7月6日月曜日

トランプとその愚かな太鼓持ち

FIFAワールドカップにフォラリン・バログン(Folarin Balogun)問題といわれる黒歴史が新たに刻み込まれました。

刻み込んだ発端になったのはアメリカのあのバカ大統領。本当に馬鹿というのはやることが解り易くて助かります。そしてその愚かさをアシストしたのは腰巾着の忖度野郎たるFIFA会長のインファンティーノです。

そもそも、この前も独断で勝手に創設したFIFA平和賞などという訳の分からない賞を馬鹿大統領に与えてニタついていた輩ですが、Wikiを読んでいくと本当にいろいろな事において真っ黒けの疑惑の塊のような男なんですけどね。(Wikiにはなんと解説に「アメリカの犬」と直接書かれていて大笑い!)
前回のボスニア・ヘルツェゴビナVSアメリカの戦いで、明確にレッドカード行為となる相手の足を故意に踏みつけるという反則を犯したバログンは一発レッドカードで次回の試合は出場停止となっていました。そしてその次回の対戦相手はベルギー。

当然の如くベルギーその他のヨーロッパのメディアは政治が国際的なプロスポーツに介入した最悪の例としてこれを最大限の言葉で非難。当然ですわな。主力選手を欠くアメリカにとってこの選手がいるかいないかというのは大きな分岐点になるようなセッティングの差ですが、決まりは決まり。絶対に破ってはいけないルールの一丁目一番地。

トランプにしろインファンティーノにしろホントに金と名声に弱い屑の中の屑。解り易し。w

一番の被害者は「出場させられたバログン自身」でしょう、これからのサッカー人生において事ある毎に相手チームからも自分のチームからもトランプの犬とかなんとかいろんな綽名で呼ばれるんだろうな…。正直、ルールを捻じ曲げてまでは出たくなかった筈。

7/7---
これでアメリカがベルギーにやられたらどうなるん?と思ってたら見事に1-4でボロ負けという恥の上塗り。ベルギー側のモチベーションは滅茶苦茶高かっただろうし、アメリカ側の選手はまさに恥を知る心と良心ある人間にとっては相当にバツが悪いという状態だったことでしょう。


2026年7月5日日曜日

やっぱり「ニワカ」ファン

やっぱり俺はスポーツにおいてはラリーに対して以外は他のどんなスポーツに対しても所詮「俄か」ファンだと思います。

今回のワールド・カップ・サッカーに限らずカレッジ・バスケも、ラグビーもWBCを観ていても、そして日本の大躍進している卓球を観ていても日本というチームが負けた瞬間に、そして自分の贔屓にしているチームが負けた瞬間にその時期に行われている一連のトーナメントに興味を失ってしまいます。

「俄か」という言葉の語源は歴史的仮名遣いで 「にはか」 と書く古語で、既に平安時代の文献には登場しているんだそうですが、大変古く、かつ語源はこれ一本と一つに特定することは出来ないようです。一番「らしい」のは「にひ(新)」から分化した語として、新しい状態が急に現れるというところから「急に」「突然」へ意味が発展して急に、急の(その場・その時)という感じの意味を持ち始めたんでしょうね。

という訳で、上のように何に対しても(ラリー以外は)俄かファンなんです。WRCはもう40年近く追っていて、ふるーい、ふるーいラリー選手から新しい選手までよく知っているつもりですし、選手のみならず、車の歴史、その栄枯盛衰、チームの変化なども頭の中にギッチリ詰まっています。^^

大学時代から自分が競技者としてラリーをやっていたので、その時の興奮の記憶というのが忘れられないというのが大きいのですが、道具を使って正確に速く道を飛ばし競技で順位をつけるというのは男にとってはなかなか素晴らしい世界です。ラリーは男が「パンツをはいて出来る最高のスポーツ」等と言う人がいますが、実は私もそれには大いに同意しております。

ちょい脱線しましたが、私のような人間は所詮多くの他のスポーツにおいてはその場でワイワイ言って日本という自分の母国とか日本の代表選手とかを応援したいというだけの人なんでしょう。俄か一直線。

まあ、私自身は日本人のテレビの前の応援団というのは半分はそんな人達だろうと推測しています。

2026年7月4日土曜日

アメリカ建国250周年!

すごい事です。アメリカ建国250周年。

いろいろ見てみると、1776年7月2日に議会で採択され、翌々日までに修正が施された最終の宣言文が公文書として日付が刻まれたことでこの日が独立記念日となったようです。

一年後の7月4日には初の記念日が催されており、新国家としての強力なアメリカのモーターが正式に回りだしたのでした。この宣言文は実際はペンシルベニアで市民に公開されたわけですが、実に残念なことにペンシルベニアはあのトランプが卒業したU-Pennの存在する大学。

U-Penn自体は素晴らしい大学として名を馳せていますし、輩の出たWharton校は更に有名。しかし、大学で人を変える事が出来ない事の一例がまさにこの一例ですね。残念ですが、結局この250周年を祝う中心人物がこの残念マンになっているところにアメリカの悲劇があります。

私が小学生の頃、アメリカ建国200周年を祝う切手を親父がアメリカから届いた郵便物から剥がして持って帰ってくれたことを未だに覚えています。テレビでもアメリカ建国200周年を祝う番組がいくつも特集されていたと思うのですが、私が視たのはほんのちょっと。なんだかアメリカでは賑やかにやってるなというのが幼い私の印象でした。当時の大統領は調べてみるとじゃラルド・フォードだったんですね。(ニクソンがあの事件で丁度二年前に辞任しておりましたので、副大統領がそのまま昇格というパターン)

近代国家としての歴史は十分に長く、多くの大学の医学部も200年前後の歴史があり、近代に限ればアメリカとは近代科学や工業文明の力ではなかなか敵わない歴史があります。次の御祝いの時には私などは確実にこの世に存在しない訳ですが、娘や息子達は恐らく余裕で300周年記念を見ることになる訳です。

人類が50年後も無事に生きていたらという事が前提になりますが、これからの50年はアメリカがどういう国に変わっていくのか、大変興味があります。まさかトランプ以上のトンデモ大統領や内乱による国家の動揺等が出現しなければ良いのですが。

娘達が戻りたいと思うようなアメリカであって欲しいと心より願います。

2026年7月3日金曜日

外国人犯罪者

最近、国会でさえ取り上げられる外国人犯罪者の話。

トクリュウの話と絡んで、まさに「国境なき犯罪者達」が国境線など全く関係なくいろいろな方法で金を搔き集めるシステムを全世界で構築するわけですから、人種も年齢もすべてを超えて騙し騙されの世界。

特にその金を集める方法が多種多様で、千差万別のやり方で金を振り込ませる方法から実際にいろいろなモノを現地にいる人間に盗ませてそれをこれまたいろいろな方法、手段で換金させてはどこかの(特にどこかの発展途上国の国境地帯に多い印象)集約地点に金を送り込ませてマネー・ロンダリング。

悪い奴というのは法を無視したり搔い潜ったりして悪い事で金を集めることに全力を注ぎますので、法を守っている側は基本的にそういうアウトロー共の攻撃に対しては圧倒的に不利な立場にありますよね。認知能力の衰えた人や善意への付け込みなどこの手の犯罪者共にとっては良心というものがありませんからまさにお手のもの。捕まえたら厳罰に処すのは当然ですが、問題はそんな末端の連中を捕まえても頭は残ったままで、幾らでも犯罪が継続的に再生されてしまう訳です。

そんな中で、日本で悪目立ちしているのがベトナム人による犯罪。名古屋というのは日本で最大のベトナム人コミュニティであることはこのブログにも書いてきましたが、その犯罪における悪目立ち具合は正直酷いレベル。

友人のベトナム人達も「勘弁して欲しい」と言っている人達が多いのです。

2025年度末で681,100人(前年比 +46,739!)も日本国内にベトナム人がいれば悪い奴も人口にある程度比例しているのが必定なのが普通。勿論どの国の人間かで人口当たりの犯罪者の比率は相当変わるとは思いますけど…。恐らく諸外国における日本人の犯罪比率なんて極端に低いと思いますが。

これらベトナム人による犯罪で多いのは技能留学生の弱みに付け込んだ「ハノイ界隈の連中」によるものが多いんだという話です。技能留学生としてやって来るまでに多額の金がかかって、それを返させるために犯罪に引きずり込んだりという事も多いらしく、円安による二次的な影響が祖国に金を送り返せない、金を都合してくれた組織の連中に金を返せないという事で悪い事に引き込まれるというパターンも多いようです。

勿論、何があろうと犯罪に手を染めるという事に言い訳はない訳ですが!
自動車盗を始めとして電線盗やエアコンのラジエータ盗、側溝の蓋を盗むなどもあって「お前ら一体何やってんの?」という感じしかありません。

これらのニュースは当然本国ベトナムでもニュースになっているのだそうで、特に殺人が絡んだり傷害事件に絡んだりした時などは特に結構な報道対象となっているようですが、細かい事件までは報道されていない様子。こういう事で真面目に働いている残りの同国人達が迷惑を被るのは本当に彼らもやり切れないと思うんですけどね。

外国人というのは目立つもの、そして大きく報道されやすいもの。こんな事で排外主義者を喜ばせてどうするねんという話でした。

2026年7月2日木曜日

どんな美人でもゴミ屋敷に住んでいることがある

この20年はゴミ屋敷のお話が結構世の中に存在するリアルな社会問題として話題になっていますよね。

私の勤める病院でもとんでもないゴミ屋敷、ウンコ塗れの屋敷などから役所以来で救出されてくる患者さんが居ます。病院に来る時にはまずヘルパーさんや担当看護師さんから直ぐにお風呂に入れられて体を徹底的に綺麗にすることからすべてが始まります。同時に持ち込まれた服などは糞便塗れの事も多いので、それらを綺麗にしてあげることも日常生活を普通に戻すための大切な過程なんです。

さて、このゴミ屋敷に住む人達なんですが、ゴミ屋敷を作るという行為は別に普通の生活を送る方々が想像するような髭を生やして汚い服を着て、酒に飲まれているオッサン風の人達だけの専売特許ではありません。

一見すると滅茶苦茶に清潔な感じを与える美しい人でも「ふつうに」ゴミ屋敷に住んでいるというのが不思議なところ。職業や性別、収入なんかも全く関係なくそういう人達は発生してきます。実はコレらの人々は精神科医の間では精神疾患として取り扱われているんですね。
精神科臨床の現場では複数の精神症状が重なった結果として現れる生活機能障害と捉えられているのが実態です。

そもそも生活空間の荒廃が起きてくるのはうつ病、ADHD、統合失調症、認知症などで出てくる実行機能の低下考えられておりまして、片付けの段取りが組めない、優先順位がつけられない、行動開始ができないという表現型とみなされています。それには意欲低下 や強迫性障害(OCD)=物を捨てることへの強い不安、判断不能、確認行動も関与していて、不安障害、PTSD も絡まった不安・回避行動 のように、片付けを始めると不安が強くなるため、行動そのものを避けるというような行為の積み重ねの最終的な表現型がゴミ屋敷だと考えられているんですね。

要するにゴミ屋敷化は「怠け」ではなく、脳の機能低下や不安の結果として起こる医学的な現象というのが今の精神医学の考え方なんです。

更に若年層では過重労働・学業・人間関係のストレスのために生活スキルがまだ十分に確立していない、一人暮らしでサポートが少ない、メンタル不調自身への自覚が乏しいという事などが複合要因として存在し、最終的には「片付けられない自分への羞恥心 」が目の前に存在するゴミ屋敷の出現に対する問題解決に対する相談を避けるという状況に陥ってしまって、気づかないままに自分が生きている日常の生活空間が自壊し、とんでもない生活環境が更に精神状態を悪化させるという悪循環に陥るという話。

このループは、本人の意思や努力では断ち切れないことが多いのが特徴で、片付けようとしても身体が動かない、捨てることに強い不安を感じる、風呂・キッチンなどが使えず、生活空間が機能しない、不衛生環境で健康被害が出ている、社会生活(仕事・学業)が破綻し始めている等が重なっていたら疾患の容態に応じて抗うつ薬・抗不安薬・認知行動療法・強迫症治療などが早急に導入されるべきだと考えられています。

要するに当事者の自覚が乏しいまま進行するのがこのゴミ屋敷出現の経過。ゴミ屋敷化は「片付けの問題」ではなくて脳の機能・精神状態・生活環境の複合的な破綻として理解すべき現象だというのが本質的なポイント。

テレビに出てきて笑いながらゴミ屋敷を公開する恥を売り物にする芸能人達がごく普通に居ますが、画面に映されているゴミ屋敷の住人たちは実のところ治療対象の方達なのです。

今日こういう記事を書いたのは、最近ネットで公開されたあるアイドル女性のとんでもないゴミ屋敷に関する記事を見たからで、思わずこういう雑文を書いてしまいました。

2026年7月1日水曜日

200万カウント

つい2日ほど前ですが200万カウントを数えました。

最初の100万カウントが15年。そしてこの記事を書くまでが4年ですからカウントの100万カウントを弾き出すまでの速度は四倍になった事になります。
2007年に最初の記事を書き始めたのはまさに日記。しかし、今も昔も誰にも関係ないどうでも良い事をだらだらと書き連ねるスタイルはガチで変わらず。まあ、そもそも「よしなしごと」を書き連ねる日記として書き始めた訳ですからそれでいいんですけどね。

いつも向田邦子のような「天才・名人」レベルのエッセイストであれば、もっと肩の力が抜けたような軽いタッチの洒脱な文章で人の脳を心から喜ばせるようなものが出来るのでしょうが、そういう才能というモノとは一切縁が無いのです。ああいった文章は洒脱に見えても異様に集中して書いているのかもしれませんが、それでもあの方の文章は筆達者と呼ぶのを憚られるほどの名文を生涯にわたって生み続けた訳ですから、本当に天才の部類ですよ。

それにしても、自分で書いていていていつも感じるのは「文才無いな~」という感覚。私の文章は高校の時に英語長文を添削してくれた教師から「君の文章は文法は間違ってはいないけど全体的に硬いんよ」と言われたことがあります。勿論、慣れない英文での文章ですから間違わないように書くという感じで文章全体が硬くなっていたのかもという推測もできますが、基本的に私自身が考える自分の得意な文章は論文の書き込みや他人の書いた文章の添削、それと種々の公的文章等であって「溢れ出す才能がどうしようもなく文体に滲み出る」という感じの天衣無縫感は当然のようにゼロです。皆無。w

いつも何を書こうかな?という所に一番時間がかかっていて、下手をするとここに数時間かかるような事もあります。勿論、その日の朝にさて今日の夜には何を書こうと考えて、結局何も思いつかずに数時間グダグダというパターンも多いのですが、何を書くかという事が決まってしまえば毎回20分程度で通常のブログは完成するんですけど、完成度は御覧の通り。orz

しかも、書いた後はチラリと見返すだけでてにをはをちょっと治す程度の事もせずに疲れて寝てしまうという事も多いので、後になって読み直すと思わず「うわー」というような間違いが見つかったりしていつも頭を抱える私です。しかし、まあ生まれ持ってこのかたのスタイルというモノは勉強でもせん限りは無理でしょうな。

綴り方教室というものにでも通ってみますかな?可塑性は無さそうですが。