嫁さんがNHKの再放送「ひまわり」を視ています。
四角い画面のフレーム(縦横比が今と違うので両脇が余って黒くなっている)を眺めながら録画を視ているようですが、脇でPCを触っている私も時折ではあるものの、必然的に画面をチラっと見つめるチャンスも増えます。
松嶋菜々子、大鶴義丹、夏木マリ、三宅裕司、川島なお美、藤村志保、藤谷美紀、浅野ゆう子などの錚々たる俳優陣が出演していた96年の朝ドラなんですが、当時、大学院の研究の仕上げで忙しかった私はテレビ・ドラマというのをただの一本も視たことはありませんでしたので、当然、如何なる形でも記憶の片隅にこのドラマのことは残っておりませんでした。
ところで、論点はその登場人物やドラマ自体の筋立てというものには余り関係無いもので、いわゆるドラマの中で交わされる会話の内容や行為に関するもの。その平成初~中期のドラマであるにも関わらずえげつない程色濃く見せつけられる「昭和的価値観」の残滓です。九州で生まれアメリカで長く暮らした自分にとってはアメリカという環境は性別や性に関して大きくそれらに関する考え方を自然な形で見直させてくれた場所です。(正直な所、人種に関しては私自身に対する差別というものを感じるという事は余り無かった事と、そもそも肌の色が何色であるかというのはその人の人間の能力やキャラに関して全くどうにも関係ないと思っていた人だったので、それは余り学んでいないです。)
そしてこのひまわりで出てくる台詞や行為がもう何というか「たとえドラマとは言え今の時代では有り得んわ~」というような文章が散りばめられていることに、横に居て一所懸命視ている嫁さんと二人で「今時有り得んわ」とか「わ~、今どきこんな事言ったら一発アウトやで!」とか言うような登場人物達の台詞を聞きながら時代の移り変わりというのを強く強く感じるのでした。
当時のドラマの中ではみんな男性の登場人物が仕事場でプカプカとタバコをふかしているのを見て、思わず横の嫁さんに「普通にどこでもこうやったよな~」、「そうそう」等と言って笑うばかりです。
性や性別、その他諸々に関する小さな事件、大きな事件が報じられる中で、種々の「新しい」教育を受けてきた世代が旧世代と置き換わっていく中で、年々歳々と言うか実際は本当に日々と言うレベルで少しずつ 少しずつ「時代の中の常識」や「スタンダード」というのは変化していくんでしょうね。医療現場でもそれは言えてますが。
僅か四半世紀前の天下のNHKの朝ドラに出てくる脇役を含めた登場人物達の行為・台詞に強烈な違和感を感じて今日の文章を書いてしまいました。
変われない人間は良い意味でも悪い意味でも過去の人になっていくだけなのでしょう。
2 件のコメント:
新社会人と接すると、politically correctな発言やSDGsに即した行動が当たり前、という点でなかなかついていけず、隔世の感を禁じ得ない今日この頃です...
(今年で30になったばかりなのですがorz)
30歳の方にそれを言われると・・・。笑 我々から見ると「そっち側の方」なんですが!
もしかするとそういう意味では変化の速度というのには加速がついているのかも知れませんね。
その時代からは共感されずとも、次の時代に向けて人が差別されない、暴力が否定されるような方向性に、人類が少しでも長く生き延びるような選択にフィットするように、人が変わっていくしか生存出来ないのでしょうね。
おそらく今のpolitically correctと言われるドラマでも20年も経つ頃には違和感を覚える世代が出てくるでしょうし、SDGsの意識が皆に行き渡るような時代には、いまの「エコ」とかいう行いも「いやいやそうじゃないから~」とか笑われそうですね。
教育って大事だと思います。
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