2026年8月22日土曜日

他人の運転

バイト先の病院では在宅診療を行う時の移動に専属の運転手さん達を大量に雇っています。

しかし、毎度強い違和感は拭えません。違和感の元は運転手さん達それぞれの運転の特徴。運転の癖としてそれぞれ異なる停止のタイミングや強さ、運転の速度、その他の癖など様々です。

通常こういう運転手の人達というのは何らかの仕事をいったん退職されて人生の余った時間を小遣い稼ぎで何らかの生活の足しとして働いている人が殆ど。近くに住んでいるからという事で、一流企業を退職してから余り時間という感じで数年間働かれている方もいれば、もともとタクシー運転手であったという方も多いという事。

それぞれに強い癖があって、滅茶苦茶慎重な運転の人もいれば、やたらとイラチの人もいる。更にはタクシー運転手時代の癖なのか、指差し運転をする人も中には居ます。実際に接触事故をよく起こす人もいてそういう人は直ぐに馘。また、信号無視を一回でもしたらやはり馘。そういう極端に陽とは別としても中にはセクハラ発言をする人もいてこういう人も当然馘。w

しかし、そんな極端な人は別としても私が気持ち悪くなるのは右折左折などの時にきちんと止まって歩行者にじりじりじりじりと近づいていくような人や歩行者に舌打ちする人。これ本当にヤバいです。

そして更に嫌なのは対向車が譲ってくれたりした時に相手に「会釈」をしない人の運転。ちょっとしたことですけど、俺的には「あり得ない!」という感じ。病院の名前を車体に刻み込んで走っている車なのにそういうちょっとした事が出来ないのはかなり不味いんじゃないのという事です。

余裕が無いのかな。そういう意味では運転手としての第二の人生もそろそろ終わっていくような時期に来ているのかもしれません…。

運転というのは命の関わった仕事。高齢者ドライバーになる途上でいろいろと失っていく過程を確認する時期なのかも。

2026年8月21日金曜日

形成外科と美容外科

形成外科の苦闘を最初に見たのは大学の最終学年の時でした。

当時、雲仙の火砕流に巻き込まれた人達のレスキューに入局したばかりの形成の先輩が自分の時間を全て患者さん達の治療に充てていたところからは始まりました。みるみる疲労を蓄積させながらもそれこそ必死に患者さん達を診察して実力と自信をつけているのが会話の端々から溢れ出ていました。

それでも患者さん達は次々と敗血症性ショックで亡くなっていく状態。全身火傷も火砕流のような異常な状況での罹災で全身が酷い状態になると本当に救命は極端に困難になることが間接的にも理解出来ました。

そしてレスキュー後はまさに形成外科の標榜する「形成治心」の本領発揮です。火傷に対する何度もの皮膚移植を通じてどんどん綺麗に戻していくような加療が続きます。

その他にも形成の医師は腫瘍摘出後の乳房形成や先天性の形態異常の治療、けがなどの傷跡の治療、褥瘡に対する加療など様々な領域に日々一生懸命仕事されているんですが、これだけの大変な治療能力を持っていても今話題の美容整形の医師にはとてもとても稼ぎでは及びません。大学病院の形成の先生はバイト代入れても1,000万を超えていく程度が普通。アメリカとは全く比較にもなりません。

ところが直美だと数千万がデフォルトで、その後は…という世界。

何をどうだという気もありませんし、人にとっての「やりがい」というのは違うんでしょうが、自分としてはねやっぱりアレですよ。俺や家族がこれからも必要な先生はやっぱり形成外科の先生だけですね。

2026年8月20日木曜日

一週間に何回散歩できるか

何時も自分でセットアップした散歩コースを歩いています。

前にも少し書いたのですが、自分の家からイオンモール長久手までのアップダウンのあるまっすぐな道を歩きます。

アップは46.2mでダウンは41.1mです。トータルの距離は片道あたり約2.5kmでした。勿論、その反対に戻るときはアップダウンの数字は全く反対になりますが、基本的にそれほどきつくはありません。それでもこの暑い時期にこの往復5キロの道を歩き終えると汗びっしょり。

夜間、私の前後で同じ方向や反対方向に歩いていく人々。1人だったり2人だったり、夫婦の様だったり友達同士だったり見える人達。走る人、歩く人、自転車に乗って通り過ぎる人々が私の周りを次々に動いています。夜の闇の中では自分自身の存在を周りに示さないとはねられたりぶつけられたりしかねません。

そこで私の格好はというと基本的に上を明るい色である黄色や白系のTシャツを着て下半身も黒のスパッツを履きますが後ろ側は反射材が付いたものを履きます。更に首には白いタオルを巻いておきます。そして最終的にもう一つの安全装置としてのLEDライトを首にぶら下げた状態で歩き続けます。

正直格好はよくないのですが、撥ねられては折角の散歩の意義も台無しになってしまいますからね!

これを週に一回から二回行うのですが、片道は大体3,000歩で往復で6,000歩くらい。正直大した歩数ではありませんが、自分の健康維持に何とか資してくれないかなと心の片隅で祈っています。

取り敢えず、ポケモンGO用に作ったこのセットアップでこのルートを30キロ以上歩いていますが、まだまだ健康に何か役立っている感はありません。進行する加齢と衰える筋力に抗う小さな小さな抵抗ですが、一体いつまで続けられるのやら。

それでもやるしかありません。



2026年8月19日水曜日

患者さんも選ばれる側

在宅のバイトをしていると昔とは事情が変わってきたなと思います。

一つの病院で大量の患者さんを抱えていると、無理をしてまでトンデモ患者の面倒を我慢してまで見る必要は無いという事が標準的になってきました。

患者さんを家族ともども診る、お世話するというのが在宅診療の基本線ですけれど、病気ではない人でもトンデモない人間がいるのと同様に疾病を持っている人の中にも明らかに実におかしな人間達もたくさんいるのです。まあ、自然な事ですよね。

病院を維持するためにはある一定数以上の患者さんが居て、その人達に昼も夜も対応するためには膨大な数のスタッフが必要です。これは商売でも病院でも一緒だと思いますけど、所謂カスハラにあたるような行為をする患者さんというのが一定の割合で存在します。そういう人達は基本的にいくつかパターンがあるのですが、その中でも最も困るパターンは「自分で決めた薬を要求してくる人達」でしょうか。

データと症状とを診て、その患者さんや補助する家族さんが達成する事が出来る服薬コンプライアンスまで推理しながらどの薬を飲むべきか慎重に決定していきます。医療関係者ではない方が驚くかもしれませんが、患者さん、特に高齢の患者さん達の中には「驚くほど」服薬の手順を守れない人々が居るという事、そして服薬自体を忘れてしまう人、その他にも出した薬を「わざと」服まない人までいるという事は医師にとっては半ば常識です。

その上で服薬の組み立てを行うのですが、そういった考えにはまったく想いが至らず、自分から指示を出してその薬が出ないと判った瞬間に医師側を詰り病院を変えるという人がごくマレに居ります。

そういう時の我々の答えはシンプルで、「では医師と患者の信頼関係が醸成できませんのでこれで訪問診療は終診です」というもの。
時には追い打ちでそういった回答に激怒して「お前のところを訴えてやる」という人までいるのですが、我々はそれまでの経緯をきちんと電子カルテに記載していますので何にも負ける要素がありません。

無論、訴えて頂きたいくらいですけどそういう脅しを吐いた方々で未だかつて実際に訴えてきた患者さんは一人も居りません。^^

理不尽な怒りに身を震わせながらも、なぜそういう事を言われたのかがまた区理解できない可哀そうな方々は、同じような「トラブル」を他の医療機関でも繰り返しながら、次第に己の住む世界を狭くして最後は「そんな人達でも良い」医療機関に引き受けられていくのでした。

医師と患者の関係も所詮は人と人。常識以外の何物もその関係を作り上げる手立てというのは無いのでした。

2026年8月18日火曜日

こんなに美味い焼肉あるんだね~

偶然入った店が驚くほど美味い店だったときは何時も幸せです。

そんな店の一つが今池にある焼肉「びっくり」です。このお店はガイジンさんの女将さんと寡黙な大将(店内で女将さんからパパと呼ばれています^^)とが切り盛りしているのですが、実にこの女将さんが優しい良い表情をしているんですね。お店はやはり女性の優しい笑顔があると人気に華が添えられます。

しかも一番大事な事は肉が滅茶苦茶に美味しい事。今までいろいろな焼き肉店に行っていますけど、こんなに美味しい焼肉を出す店は正直初めて。食べても食べても美味しさの質が落ちないレベルの美味しさなのです。腹は確かに一杯になるんですけど、腹いっぱいになってもやっぱり美味しい。

最初の一口で「ああ、この店に来たのは正解だった!」と感じて、途中経過で「ああ、どの肉を食べても美味しいい~」と感じ、最終コーナーでも「腹一杯なのにやっぱりまだまだ美味いぞ!」と思えるレベルで美味いのです。やっぱりこれだけ美味いからこその古より続く店。

この店はそもそも南隣にあるあの「今池屋」とほぼ同時期に始められたお店なのですが、爾来80年以上の歴史を刻めたのは恐らくこのお店で出される「秘伝のたれ」がその理由ではないかと思うんですよね。肉も焼いた後でも溶けるほど柔いし、ナムルやキムチもめちゃ美味い。

この店の評価をネットでいろいろと見ると肉は美味しいけどご飯が…等と書いている御仁も居られるようですが、そういえば俺と嫁さんは行った時にご飯でなくてユッケ・ビビンバでそのご飯の代わりにしていたところが違いかな?これも美味しいですぞ!今池屋もびっくりもその味にマッチした人を引き付けて離さない何かがあると思っています。

食べて合わないと思う人がいてもそれはそれで良いと思います。しかし、如何なる話が出てこようと私は「決め」はココが良いなと強く思います。海産物なら福井や長崎のド田舎の店。

鉄板焼きなら今池屋、焼肉ならびっくり。ウナギなら炭焼きうな富士の別邸、鍋焼きうどんなら山本屋総本家の本家とか。その一つとして十分資格のある店です!

来週又出産祝いを兼ねた友人の個人的祝賀会をここでやろうかなと思っています。

2026年8月17日月曜日

アメリカの家の修理のために送金

この8月になって久しぶりに送金手続きをしようとしたときに手続きのためのプロセスが少々変化してしまったため、ログインに失敗して送金できずに困っていました。

そこで、一念発起して間違いのない様に近所の三菱UFJに直接昼休みに行って一時間前後で全てを済ませてきました。送金手続きの項目ない様には幾つか行員さん自身も「?」となってしまうようなちょいと不可解なセッティングもありましたが、実際に行員さんと一々確認しながらなんとか$7,000送金しました。

時間が遅かった事もあり、月曜日まで口座のお金が動くことはありませんでしたが、月曜にはまずUFJの口座からゴソッとお金が動き、その後アメリカの銀行口座に7,000ドルの金額が登場してメデタシメデタシでした。

基本的にいつもこのパターンなのですが、世の中に悪い奴が居てマネー・ロンダリングをするせいでこんなに送金が遅れる訳でして、真に俺ら普通の人々は不便を強いられる訳です。とは言え、犯罪抑止のためにこのような手続きは必須なのも解りますけどね。

さて、今回の送金済みのお金はどのように決済されるかというと、業者さんが先ず開始にあたって契約書を送付。サインが終わってオフィスが使用の確認を終わった時点で半額を引き出して工事開始。全てが綺麗に終了し、アメリカで我が家に住んでいる方が「確かに契約通りに終了した」と思えるような仕上がりであれば残りの半金も口座から引き出して終了となる訳です。

これが標準的なアメリカのコントラクト施行法。書類が電子的な手続きによるサインとなる事が増えているのがここ数年の流れですが、いまだに紙でのコントラクト・ペーパーを遅らせるところもありますので、本当に移行期でしょうね。

恐らく今回も電子的決済だと思うんですが、もしかしたらアメリカにいる我が家の住人の方が紙のサインの場合はサインしてくれるかもと思っています。

速く綺麗なドアポーチになって、住人の方が満足してくださると良いのですが!期待しましょう。^^

2026年8月16日日曜日

病院で弱い人間に優しくできないような輩は…

一か月ほど前に患者の輸液に大便を混ぜて殺そうとした疑いの強い女性看護師のニュースが何度も放送されていました。

51歳の女性看護師との事ですが、ビデオ映像などから推定するのみならず、スマホの検索歴に「便注入、死ぬか」という恐ろしい検索履歴があったとの事で限りなく黒に近いというか真っ黒けです。

職場でも切れやすい性格だったとのことですが、そもそも患者と言い合う時点でヤバい。対応に困る患者というのはいつでもどこでも居ますけど、精神科病棟や認知症の病棟では尖ったキャラクターになってしまっている患者というのは何時でも居るし、それ自体が疾病。そんな患者相手に本気になるようではそもそも仕事に向いていません。

話は少し脱線しますが、上とは違って「碌でも無い患者」というのもこれまたいつでも登場し得るんですね。やくざやチンピラ。しかし、こういった連中は今の時代実に御しやすい。警察呼ぶ、退院させる。ただそれだけです。

病院というのは他の患者に迷惑をかける事を極力抑えてもらわなければならない「治療の場所」であって、治療に支障を来すような行為を繰り返したり粗暴な言動を行い看護側に業務執行に支障を来すような恐れを抱かせるような人物は私はそもそも存在を許しませんので即時・即日の強制退院です。あとその人物の疾病がどうなるのかというのは残念ながら関与することはできません。名目上は「自己都合」による退院ですから。

さて、最初の便混入疑いの看護師ですが、入院中の患者といつも言い争いになるような輩は私の勤務する病院にもいました。以前、このブログでも書いた事があるのですがもういろんな意味でトンデモでして、いろいろな資格は持っていたんですが、紙の上の勉強が出来るだけで対人関係は最低、更には看護実務も全く成長を見せないままの二年間で病院を辞めたのですが、辞める前は看護師ユニオンに飛び込んで無い事無い事ありったけを吹き込んで病院に嚙みついてきたので、当時存命中の理事長が割増退職金を支払ってまでサクッと切り捨てました。

前の職場の悪口を何時も愚痴って「自分は虐められていた」と周りに言い放っていたので、この手の人物は要注意だなと思っていた通りの結末でした。恐らく次の病院(名古屋市内にあるどの病院に移ったか既に判明しているのですが)でもこの病院の悪口を言いつのっているのでしょう。orz

病院という職場で患者と言い争いになるような「輩」は他にも数人知っていますが、私は看護師長に強く言って「言い返したり刃向かえ無いような弱い高齢患者さん達が集まる病棟、特に認知症病棟や精神発達遅滞の患者さんの居られる病棟等には絶対に配置してはいけない」と決めています。夜勤や人手の少ない週末等の人手が少ない時間帯に患者の頬や体をつねったり、叩いたりする可能性を極力排除しないといけないからです。

強い男性患者相手であれば、そもそも何かを言ったりすること自体がリスクですからよっぽどの馬鹿でない限りそういった事は起こしえませんしね。それでも、今回のように注射にそういった事をする頭のおかしい看護師が過去にも(世界的にも何人も)沢山日本で疑われている例が報告されていますので、こういった看護現場で「ナニカがオカシイ」と思われる人物をそもそも雇わない事、雇っても立場の弱い人の集まる病棟には配置しない事が理想なんですが、そういったフィルターをすり抜けてくる輩にどう対処すべきか。

事件が起きてからでは遅すぎるのです。病院長の首が飛ぶくらいでは済まないのが現実。本当に何時まで経てもこの手の輩は医療現場から消えませんね。

残念です。

2026年8月15日土曜日

夫婦二人で昼食会へ

お盆のど真ん中に昼食会に行ってきました。

お呼ばれで行ったのですが、名古屋観光ホテルの頃からの会員のみの招待状発送だったとの事(それでも1,500通発送されたとマネジャーから伺いました)。勿論、私自身はそんな世界とは無縁の人間なのですが、私達をいつも招待してくださる方は我々の知らない名古屋の食事を知り尽くした人物で、我々夫婦はその方の紹介してくれたあちこちのお店を「その後」使うこと度々です。

いつもこうやって紹介をしていただいてそのほぼ全てが美味しいお店だとしても、もしスクラッチで名古屋の美味しい店を探すようなことがあったら一体いくらお金を落とせば良いのかということになります。

ネット上の評判と実際の味が自分の下に沿う沿わないと言うのは実にいつも発生することですし、雰囲気まで入れると実際に最後に落ち着く美味しい店を見出すのは容易ならざることです。しかも、安い店なら失敗は許されもしましょうが、大きなお金を使うことになるような店を「知る」為には前回書いたような食を極めるようなお金の使い方をする人でなければなかなかたどり着けないようなレベルの世界というのも当然ある訳です。

そこに既にそのそういった味見と雰囲気を調べ済み、かつそこのリピーターとして名前まで覚えて貰っているような人というのにはなかなかなれないものです。

しかし、我々が行くと何時もホテルのマネジャーが出てきてくれてシェフとは個別に挨拶をしてくれるのが常々で、正直我々のような高級な雰囲気に慣れていない「庶民」には恐縮という言葉しか出てこないことが度々です。orz

さて、今回はエスパシオ・ナゴヤキャッスルの昼食会。お一人1万円のコースだったのですが、出てくるbuffetの品数に圧倒されるとともにデザートにも打ちのめされました。小路名の数々それぞれが美味しかったのですが、たとえ少量でもあれだけ数が揃うと全種類を食べ終わる前に腹がパンパンに膨れ上がります。

ほぼ半泣きというか嬉し泣きで食べさせて頂きました。途中でプロジェクション・アートの演出もあり、素敵な時間を過ごさせて頂きました。これなら少し無理すれば嫁さんとの特別な時間として「何かの記念日には行けるな~」と考えた私でした。

B級グルメ専門の我々も歳を取って見えてきた別の世界の存在を少しは愉しみたいなと思う今日このごろです。

2026年8月14日金曜日

日本中から名古屋に集合

お盆とは言え時間があるときにネットでいつも話しているゲームの連中が名古屋に集まりました。

熊本からくる青年の出張に合わせて作り上げた日程だったのですが、千葉、滋賀、東京そして私の住む愛知県名古屋市からの参加で合計五人。

何時もなら今池屋やその他の私がよく知る間違いなくうまい店、雰囲気のある店に集まってもらう訳なんですが、今回は事前に調べたところ確実にその日は閉まっていることが判っていた為にそういった店は選べません。だからと言ってどこか気の利いた店を知っている訳では無かったので、知り合いの若いMRさんにLINEで伺って紹介してもらいました。取り敢えず電話していたところ、2週間前だったこともあり予約問題なし。

場所は名駅から歩いて5分ほどの場所。取り敢えず7時集合だったのですが、たまたま私が一番目に到着。なかなかベストなボックス席を誂えてもらっていました。

千葉からくる方は千葉で数日前から始まっていた雨による大災害の影響で30分ほど電車が遅延したこともあり、新幹線への接続に遅れが出たとの事で7:40頃に到着されたのですが、それ以外は何の遅れもなく初めて見る顔、既に何度も見た顔など職業もポジションも多士済々の面々が集まってきました。

何時もの事なんですが、なぜかゲームのスキルアップの話などは全くなくて、ゲーム内の人間関係などで最初の一時間程度は話が過ぎていきます。ところがそれを過ぎた頃からはもうゲームの事など何時も関係なしで話は次から次へとパーソナルな話題へ。

いつも驚かされるのですが、彼らは東証一部上場企業の人間の比率がめちゃ多いんです。そうでなくても自分の持つ会社の本部取締役とかその手の行為の役職の人間の比率が高いんですよね。何でかはわかりません。しかし、隙間時間を使うのが上手いんでしょうか、ゲームの中ではポイントポイントでは重要な役割を果たす事が出来る人達です。

とは言え、みんなゲームを始めて既に1年半も経過。次第にゲームに対して「飽き」始めています。実際に最初の頃のコア・メンバーは相当やめてしまっているんですが、やめた後も実はネットで普通に繋がって近況報告をするだけでなく実際に会うメンバーは沢山います。何だか職場の人間より有機的で気の置けない関係で不思議な感じなんですが、何でこうなるかと言う事を考えてみるとやっぱり「世代が近い」というのが大きいんでしょうかね。

説明の要らない人間関係というのは良いもんです。

夜の12を随分回ったころまで二次会の焼き鳥店で話が続きましたが、最後はまたの再会を約して別れました。家まで帰った時のタクシー料金は8,000円近く!これなら駅近のビジネスホテルに泊まったほうが良かったわいと思った私でした。

2026年8月13日木曜日

手を払いのける人達

 やっぱりなかなか大変です。

こちらの方で救いの手を差し出そうとしてもそれを嫌がる人達が一定数いることは前にも書きましたが、この数ヶ月もそういった人達がコンスタントに出てきて病棟の看護師さん達を困らせ続けたのが印象的でした。

役所経由で依頼が入ってきた人や別の病院で大病を患ったのを加療され最終的に転院の形で加療継続する必要がある人達であっても、生活保護のお金を自由に使いたいという理由、外の生活で酒やタバコを自由に味わいたいという理由で病院での治療を拒む人など実にアウトローな(ここには書けないようなものも含めて)理由で出ていく人達は定期的に出てきます。

いくら公的機関が必死に傘を差し出してもその傘の庇護の下に入ることを拒むその手の人達は結局あちこちの経路を辿りながら時間をかけてゆっくりと負のスパイラルに陥ってドツボの底に落ち込んだ状態でもとの病院に戻ってくることが本当に頻繁。

何年も前に啖呵を切って出ていった患者さんが久しぶりに戻ってきたと思ったら、もう脚どころか手も動かないような寝たきり状態になっていたり、肝硬変で腹水パンパンかつ肝性脳症でせん妄状態だったり、COPDで酸素タンクなしでは寝ることも出来なかったりという変わり果てた姿で戻ってくるのです。

正直なことをいうと「人間的だな⋯」と思うんです。

しかし、最終的には大量の税金と医療費を使って人生にお別れを告げるような事になるようだったらなんでこの前は啖呵を切って出ていった?という話。威勢よく拳を振り上げたは良いけれど、その上げた拳を下ろす場所は結局無かったんだねということに。

それでも、それでもやはりそういう「人の言う事を聞かない生き方」はアリとしてあげないといけないかなと思っています。^^


2026年8月12日水曜日

長女がまた新たに仕事を開始

一体何を求めているのか解らないんですが、じっと眺めています。

長女は既に仕事を3つもやっておりまして、一つはリモートの貿易関連の仕事。もう一つは週末に写真スタジオから依頼される名古屋の観光客や結婚式のビデオや写真撮影。更には栄の店にあるバーのバーテンまでしているのです。

ところが、今度はアメリカから出店してくる名古屋初のステーキ・ハウスのバーテンとしてステップアップしようとしているとの情報が嫁さん経由で入ってまいりました!

なんでなんだろうと間接的に聞いたところ、興味深い・面白そうという事で勉強を重ねながらいろいろとステップアップしたいみたいです。オタクと言いますか、好奇心の赴くままに何でもかんでもやってみたいと思うのはどこかのオヤジとそっくりだと自分自身で思ってしまいます。、まあ、私としては自分で飯代を稼ぐ能力さえあればあとは特に言う事は何もありません。^^

さて、娘から嫁さんに話される情報によると仕事が始まる前に覚える事は大量にあって、それを実習で学びながら9月の開店に備えているようです。彼女自身のタイム・マネジメント能力は親の私が言うのもなんですが、抜群なのでそこの点での心配はしていません。

彼女の場合、何かを吸収していくと次のステップアップを目指す「アメリカ人」のマインドを持った人間なので、もしかしたらワインやカクテル、ウイスキーなどの勉強が進んでいったらさらに上のレベルの何かを目指すのかもしれません。

それとも、ここで得た知識をリモートの貿易の仕事関連に繋げていくのかも?という気がしています。というのも、その貿易の仕事はまさに種々の食品関連の仕事なので、そういった知識は特になる事は無くても損になる事はきっと無いと思います。

なんだかもうよく解りませんけど、体を壊さず頑張ってもらえればそれでヨシとしましょう。

2026年8月11日火曜日

共感力

この人どんな人なんだろうと思っているような人がいつも身近にいます。

要するに物理的に近くにいる人物であっても、日常的な交わりの無い人なんて言うのが逆に殆どなわけで、寧ろ何の興味もわかずに何年も仕事だけはしている…と言う人が同じ空気を吸う仕事場には居る訳です。

それらの人々に関する情報はどうしてもポジティブな話、ネガティブな話が交錯して聞こえてくる訳ですけど、正直そういった話なんてほとんどは他愛もない笑い話やどう考えてもそれガセでしょうというような与太話と思われる類の話で埋め尽くされるわけで、やっぱりどんなに話の弾数が多く入ってこようと眉一つ動かす必要のない様な、まずは記憶に残らないような話が殆どなわけです。

それでも、ごく稀に強い具体性をもって日時やイベントの発生場所付きで「ある人物」のイメージを突き崩すような強烈な話が、親しくしている人物のみならず複数の筋から入ってくるとどうしても「えー、ホントそれ…」となる事もあるのです。

今回の話は実にそれに類する話(詳細は変えてありますが筋は概ねそのような事が起きたとご理解ください)で、実はある方の御兄弟がXX未遂というのを起こしてしまって、その兄にあたる人物が別の県の警察に呼ばれて車を飛ばして駆け付けたらしいのですが、そこでその人物がほぼ死にかけた弟に放った言葉は「やくざでも斯くや?」というレベルの発言だったとか。

しかもその発言がその地から帰ってきた本人から私の親しい知人数名に語られたとのことで信ぴょう性も高く、まさに人の口に戸は立てられない状態という感じで病院内に拡まってしまっていたのでした。

何時もはニコニコして愛想を振りまいている人が、そんなどぎつい言葉を使って弟を責めるのかという感じですが、私自身は実はこの人物の日頃の笑顔の裏に潜む強い違和感というのを日頃から感じていたので付き合いは浅く浅くしていた次第。こういう「違和感」というのは言葉にはできないんですけど、とても大事だと思ってます。

年単位で時間が経過したときにメッキが剥がれ落ちて自分の感じていた違和感が実はその地金の異様さを感じとっていた、なんて事を何度も経験したことがあったので人の六感なんてのは結構どころか非常に大切なのかもと改めて考えたのでした。

今回の話では実はその人に関する違和感は「共感力の欠如」というもので、この共感力というのは「育たない」ものの一つではないかと最近、密かに考えているんですね。勉強したり経験したりして理解できる事柄もあるからこそ、人は歳を経ていく過程で若い頃にはわからなかったことを文字通りいろいろと「体感・体験」し内面を磨く糧とするわけですが、この「共感力」というのは種を蒔いてもコンクリートの上に種を蒔く感じで、滅多な事では根付かず、花も咲かないと思っています。

これの成熟している人は小さなころから教えなくても持っているものだと思いますし、多感な時期を経ていろいろと考える中でその花を大きく咲かせるのでしょうが、大人になって改めて共感力を育てようにも上に書いたように「育つ」ようなものでは無いんではないかと最近とみに疑っています。

豊かな感情を育てるのって育つ側にもやはり大きな素質・素因があって、それに経験という肥料と水が加えられることで初めて大輪の花を咲かせるという過程を踏むものだろうと。

人の痛みの解る人でありたいなと思うのでした。



2026年8月10日月曜日

馬籠宿へ行ってきました

以前から中津川を通るたびに気になっていたところへ行った来ました。

馬籠宿」という所なんですが、ここは中山道の六十九次の中山道43番目の宿です。ここは島崎藤村の生家があるところとしても有名ですが、私の頭の中では江戸時代のあの中山道の面影を残す場所として、一度は行って帳面を消しておかなければと嫁さんと息子を連れて行ってきました。

午前中は本を仕入れに行っていたので午後二時からの遅い出発でしたが、一時間のドライブで着く場所ですのでアクセスは容易。中津川の川上屋を脇に診ながら走ること暫く。馬籠宿の駐車場がすぐに目に入ってきました。
500円の駐車料金を払うと緩やかに上ってずっと続く石畳が見えます。小腹が減っていたので蕎麦でも食べたいと右の店、左の店と近寄ってみるのですが3時にも拘らずほぼ全ての店が何故だか開いていません。準備中という表示なんですが、五平餅さえも手に入らずという状況。結局あれこれ見ながらも旧本陣である島崎藤村の記念館を訪れました。
入館料は500円。息子は半額ですので1,250円で入ったのは良かったのですが「正直な事を言うと」展示の工夫も展示品自体もイマイチ。もう少し藤村の事をビデオだけではなくて展示物で充実させてもらえれば良いのになと思うのは贅沢な望みですかね。少しだけ汗を掻きながら街道の高札所を通り過ぎ、街道筋のてっぺんまで行くと素晴らしい眺望が広がっていました。
ここから本当なら恵那山が綺麗に見えるはずなんですが、今日は残念ながらてっぺんのほうまでは見えませんでした。坂の途中の地元の酒店でどぶろく由来の生の杣酒を買い込んで帰路につきました。

帰りの道すがらSAで三人とも蕎麦料理を胃袋に入れて大満足。嫁さんも夕食の手間が省けて二重に満足の様でした。(<これ大事!)

馬籠宿の昔の写真をいろいろと見ましたが本当に何の変哲もない宿の集まりに見えましたね。そういう意味ではきちんともう一度古い屋並みを綺麗に整備して観光地として作り上げているのは十分に立派だと思いました。

また、このあたりのキャンプ場に来ることがあったら寄ってみようかなと思いましたが、それよりもなによりも島崎藤村の事が頭を離れませんでした。家庭の中に後ろ暗い背景のある藤村とその藤村から生み出された作品群。実際にきちんと読んでいる訳ではありません。読んでみる事を思いついただけでも行った甲斐があったというものです。

2026年8月9日日曜日

廃業するとな…TT

地域の貴重な文化遺産がこの8月に一つ消えていきます。

実は3か月ほど前?から近所にある古書店「千代の介書店」が閉まっていたのです。何時も一番奥のスペースに腰かけて「あるじ」として座っていた爺さんが齢90を超えておられることは承知していました。そして息子さんが居られる事も。

数年前から余計な心配をしていたのは「この店主さんがお亡くなりになられたら、この大英博物館のようなお店は一体どうなるのか、息子さんか誰かが引き継いでくださるのか」という事でした。まさに余計ですが。

ところが、今回のように実際叔父さんが病気か何か体調不良でも起こしたのか
というような心配な状況になても問い合わせる事さえできません。そもそも連絡番号の記載はあるにはあるにしてもなるのは店内の固定電話だけ。誰も出るわけありません。

しかし、この沈黙を打ち破る大ニュースを嫁さんが私に運び込んできました。日付は8月5日。
そうです。8/9から閉店セールを行うとの告知を嫁さんが拾ってきたのでした。でかした嫁さん。ていうか閉店ですか…涙。

しかし、この日のために私はお金を銀行から下ろし備え万端で9:40頃に家を出たのですが、なんと本好き野郎どもはしっかり全員フライング。着いた時にはもう狭い店の中は30人程度の人間で立錐の余地もない状況。全く本の虫共ときたら!w
行き交う人が居なくなった奇跡の一瞬に写真を一枚
皆汗だらだらになりながら山のように本を抱えて店の奥に勘定をしに行っていました。結局選ぶ本の全てを一度には抱えきれないまま何度も何度も勘定場へ。最終的に第一回のアタックでは9,600円を使い汗だくになりながら家へ帰ったのです。(時間があればあと三回アタックできます!)

帰り際に座っている私と同じくらいの男性を息子さんとお見受けし、お父様のお話をしたところ「今具合が悪くて病院に行ったりしております」とのことでした。目の前に置いてあったノートにお父さん宛の惜別の辞を認めさせて頂きました。

地域の文化財であるこのような文学書やノンフィクションが目利きによって整えられた古書店が消えていくのは一大損失。私が大金持ちであれば…とついつい思ってしまったのでした。

息子さんにもう少しだけ立ち入ったお話を伺ったところ、この店を続けるにも御自身は仕事をしていて無理であるという事。そしてこの店自身が既に耐震に大きな問題を抱える古い建物ということで続けられない。更に専門書の類は既に専門の古書店に引き取ってもらったとの事。

消えゆく日本の文化財を守ってくれる店が消えていく事に何もできないのは本当にもどかしいですね。最後に今回初めて知ったことがもう一つ。この店の千代の介というのはオジサンが最初に飼っていたブルドッグの名前だったという事でした。

2026年8月8日土曜日

プラス松竹でサブスク

アマゾンを視ていていつも思っていたのは「男はつらいよ」が視れない事。

数年前には寅さん の全シリーズが暫くの間スタンダードとしてアマプラだけで視る事が出来たんですけど、それもしばらくすると第一話のみフリーという状況になってしまっていました。

結局、何度も「第32話が視たい」とか「第8話が視たい」という感じであの回のあのシーン、あの回のあのシーンが視たいなという事が重なりすぎて遂に昨日トライアルの一週間視聴を始めました。

毎月のサブスク代は330円なので、まあ痛くも痒くもないし何よりも自分の大好きな「男はつらいよ」が自由自在に視れるというのは私の心にとって何よりもおやつですから、この毎月の支払いは所謂「有意義」なものだと思っています。^^

早速、昨日は2話ほど視直したのですがやっぱりこののほほんとした雰囲気は何物にも代え難い私のリラックスの大元になるものですね。吉本新喜劇のような「パターン」が透けて見えているし、次が一体どうなるのか全く見えない手に汗握る系のものも良いのですが、先の展開がある程度読めるものの私自身には悪くない心の薬です。

この作品、実は寅さん役の田所康雄さんがちょい役でいつも呼んでいた関敬六(本名:関谷敬六)さんと共に生前「位牌」を作った場所がロケ地にもなっているんですね。岡山の高梁。このシーンを視てまたいろいろと思い返すことがありました。実際この位牌は亡くなった際、実際に田所さんの位牌として使われていますし、相方の関敬六さんもこの位牌を実際に自分用の位牌として使っているのでした。

プラス松竹ではその他無数の松竹の映画やテレビドラマを視る事が出来ますから、それはそれは大量の作品を楽しむことも出来るのかな?等と考えてしまいます。

解約しようと思う日が来たら解約しますか…。来るのかな?

2026年8月7日金曜日

長男も30歳!^^

遂に我が家の長男も30歳になりました!

本当に毎年毎年嫁さんと話すんですが、あの生まれた日の事は永遠に忘れませんね。エンドウ豆みたいな形をした可愛い息子が登場した時にはやっぱり長女とはまた違った感激が体を包み、指先に甘い感覚が流れてきました。平成8年の8月8日に生まれればキリが良いね!等と嫁さんと昔話していたんですが、それより一日早まりました。^^

そのままずっと抱き続けて息子の顔を見続けていたら「お父さんもうメロメロねっ」と看護師さんに笑われました。

そんな息子もアメリカで教育を受け育ち、日本に帰って来て毎日作業所に仕事に行く日々ですが、そんな息子もあれやこれやありながらも無事に30歳を迎えてくれて今日の誕生日を迎える事が出来、息子を育ててくれた周囲の無数の人々に心の底から感謝です。

ここには書ききれないほどいろいろと良い事、悪い事、細かい事がありましたが30年間も生きて元気に日々を過ごしてくれている事が本当に親としては幸せです。

今日は私が仕事を終えた後、嫁さんが前もって頼んでいた息子用の誕生日のケーキをCozy Cornerに取りに行きました。3200円。家では息子と嫁さんと次女がいました。長女は長崎から1時間遅れの飛行機で帰ってきましたが、揃った後に近くの韓国料理屋に肉を食べに行きました。(次女はペスカタリアンなので肉は食べに行かないんです)

腹一杯になるまで食べたのですが、その中心はもちろん息子。自分はどうでもいいので息子が食べて最後に彼がフォークを動かさなくなったのを確認してから「お開き」としました。その後は近くのツルハ薬局でオハヨーのアイスとモナカアイスを息子のために購入して家へ。最後はケーキを四等分してバースデー・ソングを歌ってケーキを食べて誕生日を締めました。

彼へのプレゼントはパズル三つとポムポムプリンのフォークとスプーンという可愛らしいものでしたが、可愛いもの好きの息子にはちょうど合ってたかな?^^

30歳の誕生日。私は死ぬまで忘れる事は無いでしょう。元気で生きててくれてありがとう!

2026年8月6日木曜日

皮の堅い食べ物の食べごろ

先日お亡くなりになった患者さんの奥様が病院に来られました。

先生と面会をしたいとの事でしたので、書類書きの手を止めて病棟へ向かいました。すると、患者さんの奥様が別の男性と来棟されていました。

実はこの男性もお亡くなりになる前の患者さんに何度かお会いになっていた方でした。自分で自己紹介されたそのお話では近所に住んでいる八百屋さんで、若い頃から兄弟のように近所付き合いをし、一緒に家族ぐるみで過ごしていただたとの事。

その方が奥様と持ってきてくださったのは大量のポカリ・スエットとメロンの詰まった段ボール箱。そしてメロンのほうは「先生、家に持って帰って食べてくれ」との事でしたのでお言葉に甘えて頂きました。その時に八百屋さんが私に何度も念を押されたのは「まだ3-4日は待たんと駄目よ!」ということでした。

そこで、私は素直に「承知しました」という事で受け取ったのですが、問題はここから。こういった硬い皮を持つ種々の果物の「食べ時」というのをどうやって判別するかというのが大きな謎なのです。

一般にお尻のところから少し押してみて少し柔らかくなってきたら、それが食べごろの合図と言う事なんですが、その柔らかさ具合の「程度」というものが判りません。とは言え、中には5つも入っていてびっくり。知り合いの方々に3つ配って残りの2つで判定をチャレンジしてみました。

先ずは一つ目を八百屋さんのお言葉に従い4日後に切ってみましたが、この時はまだやや硬い感じでおしりもまだ硬めでした。ところが、切って2日もするといい感じで食べられるので、まあ早く切ってしまっても大きな問題は無いかな…という感じ。

もう一つのメロンはまだ少しだけ切るのを待っているところです。

柿は甘柿であれば容易に判別は出来ますし、スイカもまあ大きな問題はないのですがなんだかメロンは難しいですね。ネットをもうちょっと調べて勉強しておきます。

2026年8月5日水曜日

田舎の親父の腰痛

実は2種間ほど前から親父が腰椎のヘルニアで苦しんでいました。

暫くはどうにも痛くて外出することもままならんといった感じだったようで、私にLINEでその痛みのせいでいつも行く妹夫婦達との温泉外出も控えていて病院ばっかり行っているし、下腿の浮腫みを抑えるために整形の先生から渡された弾性ストッキングをはめ続けていると逆に膝の関節が痛くてかなわん…と弱音を吐いて自虐的になっていました。

自虐的なのはそもそも日々の忙しさのオリジンが病院巡りから来ているという事実を自ら「情けなし」と言っているわけでありまして「歳は取りたくないもんやわ」とため息交じりのラインでの通話でした。

わたしに対して実際に整形で撮影したMRIの画像を送って来ておりまして、確かに腰椎の辷り症と神経根の圧迫が起きていました。これじゃあ痛いはずなんですが、親父から「どうしたらいいんだ?」という助言を求める一文が書き込まれていましたので、私は自分なりにできる最大限のアドバイスをしました。

それは先ずなによりも安静、安静そして安静。この最初期に無理をせず安静を維持することで脱出した神経根がその中心部に向かってゆっくりと戻っていく事を待ってみる事、この時には鎮痛剤を胃薬と一緒に飲んでも良いけど親父は腎臓が年齢なりに悪いんで、薬の量は要調整。湿布も同じ理由でベタベタ張ったりしたら駄目と申し渡しました。そしてその時期が過ぎたら整形の先生のところにいるリハビリの先生にお願いして腰痛体操というのを教えてもらうと良いよ~と言って様子を見てねと言っておきました。

実際のところ親父のような人は人に言われたことを墨守する人ですので、私の言う事も素直に受け入れてくれて、その後に電話をしてみたところ元気な声で「おー、痛みが大分退いたよ~、大人しゅうしとって良かったわ!」との発言が出てきました。まあ、これなら大丈夫そうです。

この8月には米寿を迎える爺さんですから、大人しくしとくべき時は大人しくしとけば宜しいというお話でした。

2026年8月4日火曜日

趣味の極北

「上には上がいる」というのはどの世界でも真実であることはこの歳に至らずとも十二分に了解済み。

数学、物理、文学、博打、絵画、デザイン、種々のスポーツ等どの世界でも凄いなと思っている人々の上には更に上が居て、その凄いと思っていた人達が語る「凄い人」というのがほとんど作り話であるかのようなファンタジーとして語られます。^^

私の近くにいる人で「変わった人・変な人」というのは沢山いますが、凄い人というのは確かにいるけど数は少ないという感じ。しかし、私の知るその人達も所詮はその「能力別階層」の恐らくは下の人達であろうことは容易に推測できます。
だって、本当に突き抜けた人はどうしようもなく世の中で光り輝いてしまって、その光が今の世の中において検知されないという事は逆になかなか困難な事でしょうからね。

そういった話の中でも今日聞いた話は結構「普通の人」ではないレベルのある分野の人物。

その人あるエリアの専門医なんですけど、スペシャリティはワイン。実はある病院の医局で美味しいお酒の話に関して話をされるときに、その方が名古屋のみならず多くの有名店のいろいろな料理の事を滔々とお話されるんですね。私自身は何時もその料理の話をされる先生のお話に自分の知らない世界の匂いを嗅がせてもらえる喜びで感心しながら聞き入っていたんです。

ところが、今回ワイン・エキスパートの検定を受けた話をポロっとされて、その一次審査を先ずは通りました、そして次は…と話が拡がっていったんですけど、その中で驚きの事実が!それは彼が一か月に使うワイン代は平均して20-30万円で、いつでもお酒と料理のマッチングを考えながら淡々とワインの味を楽しみながら勉強しているという事。そしてワインの記録アプリでこの3年ほどで記録した飲んだワインの本数は何と1097本!というものでした。

びっくりするというよりも腰を抜かしたというのが本音で、目の前でいつも何かを穏やかに語るこの先生が実はγ-GTを3桁に保ちながらこうやって日々ワインのテイスティングに淡々と勤しんでいる事を知ったからでした。

何事も自分の定規で人の行為や考え方を測ると痛い目に遭いますが、今回知ったこの先生のお話も良く考えたら金と時間と肝臓をワインに注ぎ込んでいるというそん「突き抜け具合」で常人とはまた区別の次元にいるという事を知らされ、改めてもっと謙虚になろうと思った次第でした。

2026年8月3日月曜日

災害支援船

恥ずかしながら寡聞にして知りませんでした。

日本にはちゃんと災害支援船というのがあるとのことで、それは「はくおうII」という名前で、今回ようやく熊本に派遣されたとの事。民間のフェリーを改装してこういう時のために運用するシステムを作ってあって、700名程度の種々の日常を支える事が出来るとの事。

基本的には入浴支援(大規模な浴室設備)休憩スペース(冷房完備の客室)宿泊支援(個室・大部屋)食事支援(食堂設備)医療拠点としての利用、等々のフェリー由来の機能がそのまま流用できるようで、被災地の支援には最高の休憩所を提供できるのではないかと思います。

これはこれで素晴らしいと思うのですが、今後発生するであろう大規模災害に備えてアメリカ軍のように病院船というものを日本も持っていても良いのではないか思うんですよね。アメリカ軍のものは本格的な病院船であって戦闘支援の要素がでかいのでしょうが、熊本で起きた事は日本のどこででも起き得ることであることは東北大震災でも証明されている訳でして、病院船と災害支援船数隻のコンビは、日本という災害大国においては間違いなく税金を使うだけの価値のある素晴らしいシステムだと強く思うんですが、ヘリで熊本入りした高市のおばちゃんは引退前になんとかそういう構想を発表せんかね?

国旗損壊云々とか言っとる場合ちゃうやろ?てお話。

災害では手術室、処置室、ベッドを含め医療スタッフを引き連れて被災地にヘリをパッドからズンズン往復させるというシステムを、自衛隊の多用途支援艦や輸送艦だけでなくどこが主体でも良いので、追加で運営させておくのは絶対に意味のある税金の使い方でしょうよ?

今回の令和8年の熊本の地震では発生から一週間が経って未だに8,000人もの人達が家から追い出された状態でいるとの事、水や食料、トイレのみならず清潔や暑さのコントロールの支援の最大化を行っていかないと災害による直接死よりも災害関連死のほうが増えることは確実。本当に急がねばなりません。

非難生活でのストレス、衛生環境悪化、それらに絡んでの持病の悪化、そして熱中症などの二次的要因での死亡は支援の規模と速度を上げることで少しでも減らせることは明確な事実。

国を挙げての大規模支援を更に行う必要があると思います。

2026年8月2日日曜日

とんでもない家族

ここ最近「少しだけ」新型コロナが揺り戻しを見せています。

最近は熱発があっても昔のように全医療機関が以前のように全量で新型コロナのスクリーニングをしなくなったのは間違いなくて、怪しい場合にのみチェックを入れるというインフルエンザスクリーニングのような形態に変わってきています。まあ、そうなる事は以前から想定されていましたし、保険審査の誘導もかなり恣意的にそういう方向性へと誘導しているのも間違いない事ですので、自然とそうなってきます。

それでも明らかに新型コロナの感染の波はここ数か月確実に収束方向で動いていて、かつそのピークの高さも次のピークの最高到達点に達するまでの間隔も確実に低下してきていました。

見た感じは下のNHKの出しているデータで見ると判るんですけど、丁度三角関数の減衰曲線のようなものですね。

そして病棟で事件が発生しました。それは数名の患者さんの熱発から急に始まったのですが、一般に誤嚥のリスクの高くない患者さんが同室もしくは隣室などで同時発生的に高熱を出した時はこの手の空気感染、飛沫感染を起こす系統のウイルス感染のリスクが高い状況。

そして、その通りのインシデントが発生してしまいました。

その病棟担当の医師が調べたところ一部屋の患者さんは熱発していない人も含めて全員陽性で隣の部屋も一名陽性という状況。一気に病棟全体が警戒態勢に入りました。食事も各部屋への配給に変更され食堂の使用は禁止、そして皆が昔のように再び手袋装着しての入室となりました。幸いにしてこの時点での医療従事者の感染はゼロ。

実はこの感染の前にはある伏線がありました。それはいつもその病棟にやってくるある家族さん達が居るんですが、この方達いろいろな意味で「問題」を起こす人達でして、正直病院としては居て欲しくない人達なんです(詳細を書くとバレるので書きません)が、この中の一人の子連れ女性の「パートナー」という人物が、熱発しているにもかかわらずそれを黙ったまま入室し感染を拡大させていたのでした。

ポスト・コロナも時間が経って全員を毎回熱測定しなくなったその隙間を突く感じでこういう「いい加減」な人が病棟に感染症を持ち込むというパターンになってしまいました。

こういう事があると、やっぱり性悪説を取って安全のためのスクリーニングをせんといかんのでしょうかね…。

2026年8月1日土曜日

痛みや辛さという「感覚」

我々は健康で長生きでありたいと望む人がほとんどだと思います。

しかし、実際にはそう簡単にはいかない。遺伝的背景、生活習慣、事故、その他の要因で驚くほど容易に健康という本来「こうあって欲しい」という線路からズレていく訳ですが、それも人生。受け入れたいか否かは別として現実として眼の前から迫ってくる。

私の場合はそれが僧帽弁腱索断裂という形で突然登場。しかし、これとて一生のうちに1000人に1人か2人はかかるというレアに聞こえるものの、医学的なetiologyとしては比較的コモンなもの。今の時代開心術という方法があるからよかったのですが、100年前であれば恐らく次第に心不全が進行して今頃は確実にあの世に行っているであろう疾患です。

私自身はこうやって今でも生きていますが、しょせん今の心臓は傷物。w

病気になったからこそ若い時から経験できた「大病を患う」という現実の意味を文字通り強制体験させられた訳ですが、今になってみると人の病気を診る人間としてあり得ないほど貴重な経験だったと思います。若くて健康で筋肉隆々であるときに心や体を病む人の気持ちが解ることは先ずないでしょう。

丁度、生まれつき大富豪の息子として生まれた人間が「貧乏人」が明日の飯の心配をしなければならない現実が世の中には普遍的に存在しているという事実、世界に目を向ければ一日16時間の労働をして100円も貰えないような過酷な児童労働をさせられている子供達が有り得ないほど普通に発展途上国にいるという事が現実として理解できないというのと同じだと思います。

そういう「体験していない事」を理解する想像力というのは人によって大きく異なると思いますが、それでもやはり実際に体験した人間にしかわからないものはあるのです。

そして私が考えるそのなかなか理解できないものには痛み、辛さ、恐怖といったものがあると思うんですね。これらはその本人にしか解らないものの筆頭だと思います。これに関しては寄り添う事がまず大事で、「その人にとっての感じ方」に先ずは理解を示すことが大切だと本当に心の底から思います。

外見から「たったこれだけで?」そんなに「痛い・辛い」と言うの?と言うのは簡単なんですが、それは想像力の欠如。この感覚の個人差は本当に大きくて人によっては「嘘でしょ」と言う言葉を吐く人も居るんですが(たとえ病棟でも!)、これは絶対に吐いてはいけない言葉。

人の痛みをわかるというのは本当に難しいものです。何時でも自分自身を戒めながら「その人の感じ方」を可能な限り感じるようにしていますが、これが本当に難しいです。実際は神経学的な知識のみならずその疾病の経験が豊富ならばその人の事をわかってあげられるのでしょうが、万病を図べ手経験している筈もなく…。

今日も明日もわからない事をわかろうと挑戦する愚鈍な俺の日々です。