2020年12月31日木曜日

あっという間の一年

去年も同じくあっという間の一年、そして今年もあっという間の一年。生物としてのエンディングが毎秒毎秒近づいてきているのを実感する日々です。w

子供達もそれになりに育ってきているし、オヤジの俺が死んだとしても長女は既に2回目の就職で結構良い収入を得ているし、長男は取り敢えず問題のないレベルの障害者年金を得ているし、次女は次女で(オヤジの死をもって)学費は免除されるであろうし、嫁さんは嫁さんで家の支払いは免除された上でアメリカの俺の401kと日本の寡婦年金で贅沢さえしなければ生きていけるかな?と思う次第です。

私は私で日々忙しくそれなりに充実した日々を送っているのですが、病院で仕事をしていると人間「明日はわからないもの」という、これだけは疑いようのない全く完全な真理を好むと好まざるに関わらず目の当たりにさせられますので、日々元気に生きていることだけでも謙虚に感謝しなければなりません。

普通の日常の活動、仕事というのは体が動いて、頭が動いてこそのもの。今年一年も「取り敢えずは」普通に動いて人のために役立ったことを神や仏に感謝です。そうは言うものの還暦に向かってまた一歩近づいたわけですから今後も斎戒沐浴の日々を送って精進するしかありますまい。

世界全体がコロナに揺すられ続けた一年ですが、来たる年は科学の力がコロナを普通の病気の位置まで引きずり下ろし、皆に安心が拡がり経済活動や人的交流が復活することを祈っています。少なくともトランプ・フリーの少しは良い時代になる事でしょうが。

皆さんにとってもより素晴らしい一年となりますように!


2020年12月30日水曜日

日本の隠れた貧困が嫌でも目に入ってきた一年だった・・・

この数年で在宅の仕事をすることで、名古屋の貧困が「より一層」目に入ってくるようになりました。

名古屋というところは良くも悪くも日本の多くの労働力、特に製造業の多くをごっそりと抱え込む大都市の一つです。そこで発生している労働環境の変化と労働者の様子の変化はまさに日本という国の都市の変化を前もって占うもの。

私が気付いたのはこの数年で「若い労働者」でさえも仕事にあぶれて病に倒れ、住む場所を失う人達が増えているのを強く感じます。ここでいう若いというのは勿論50代前後からを示すのですが、まだまだ働く意欲もあって働ける人達がちょっとした理由をつけて会社を追い出されたり、長く居た寮から立ち退きを命ぜられたりと厳しい目に遭っているようです。

私自身はこの他にもここで以前ちょろっと書きましたが、あちこちに「目立たぬ形で」子ども食堂が増えていることにも気づきました。本来はこんなシステムがなくても家庭が機能していれば不要なシステムであるはずなんですが、実際には家庭があってもシングルママで仕事をすれば家では子供をみれないケースや給料が少なすぎてカツカツで、育ち盛りの子供達にご飯を十分に食べさせてあげられなかったり。

その人の年齢や性別、健康状況などりその逼迫のパターンは書き出すと本当に様々です。大人が相手であろうと子供が相手であろうと、こんなシステムが増えなければならない事自体が本当は良くないことなのですが、必要なのですから仕方ありません。必要であればあったほうが良いに決まってます。

餓死したり寒空のもとで震える人が居ない年の瀬こそが皆にとっての良い年の瀬。困っている人が居たら、手を上げさえすればレスキューされるシステムが身近にある事こそが肝要でしょう。日本に戻ってきてこれでアッと言う間に満六年。寄付も含めて自分の稼いだ金で彼らに手を差し伸べてやることの出来るもっとシステマチックな方法を探し続けたいと思います。

もう少し智恵と時間ああれば、そのシステムを自ら構築できるはずなのですが、怠け者かつ発想が貧困なせいでなかなかドネーション以上の良い方法を導き出せません。

何か無いかな。ああ、本当に頭が悪いし行動力がない。


2020年12月29日火曜日

世間は休みでも病院は休まない

コロナ禍の留まるところを知らない年末が続いています。

我々の病院でも今年一年で職員さんが2名陽性、そして職員さんの家族が2名コロナ陽性者と判定されています。すべての職種を合わせると500名前後となるこの大きな組織が、これだけコロナが流行っている状況でそれだけで済んだという事自体に幸運を感じざるを得ません。

毎日毎日多くの職員さん達がその家族との間で普通に接触し、かつ開放病棟の患者さん達は朝の9時を待ちきれないかのように毎日外に出ては買い物から帰ってきます。まあ、基本的に近所のコンビニにみんなで行って帰ってくるだけですのでまだリスクは少なめなのでしょうが、それでもその行動自体がリスクファクターには変わりません・・・。

前回、第一波の発生時に愛知県に警戒警報が発令した時にはビシッと感染がコントロールされました。ところが更に桁違いに巨大な第三波が来ているにもかかわらず、名古屋市も愛知県も前回のような明確な「非常事態宣言」を出してくれませんので、病院を行政の指示という明確な形でロックダウンできないままです。しかし、こればかりは仕方ありません。我々自身が行政を遥かに上回る注意を自主的にするしか無いのです。

まあ、病院は未だに危篤状態の患者さんとその家族さんの面会以外は許しておりませんし、中にいる全員がほぼずっと緊張感を持って過ごすとともに、外出、その他諸々の点で何らかの不便を強いられています。

しかも、万一コロナ患者が院内で確認された場合に、いわゆる「ボランティア」としてコロナ患者の対応に当たる看護師さん達10名も既に決定されています。一体その10名が誰なのかは現時点で私達医師にも知らされていませんが、厳しい状況であることに変わりはありません。

以前にもここに書きましたが、そもそも精神科の患者さん達というのはこのような状況では治療のチャンスという意味で差別を受けやすい存在。治療中に暴れたり指示に従わなかったら・・・等という「万一」の事態を理由に転院を渋られることが多いのです。「責任を取れる方を一緒に付き添わせてください」等と言われても実際には家族が居なかったり関係断絶という形で捨てられている方々も多いのです。

ワクチンの成否はまだ判りませんが、やがて多くの方々に免疫が成立するような安全なワクチンが配られることを心の底から願うと同時にクラスター発生などが起きないことを願う令和2年末の私でした。


2020年12月28日月曜日

実家が空き家になったなら?年末に思うこと。

両親が80台ですが、来年の誕生日を迎えたら83になります。

今日ネットで記事を読んでいて、いわゆる「田舎の空き家」というものを放っておくとどうやらとんでもない事になることがかいてありました。事実が淡々と記述してあるだけだったのですが、2015年の「空家等対策の推進に関する特別措置法」というものが施行されて以来、空き家を放置しておくことによる所有者責任の発生に関していろいろな事が書いてありました。

そもそも万一のことがあって(既に単なる時限爆弾ですが・・・)両親が倒れて家が空き家になるような事が発生したら、タブに間の家はアッと言う間に劣化していくと思われます。家というのは人が住んでそれとなく毎日使われてメンテナンスが行われて初めて家として綺麗さを保つわけであって、一年も住まなかったら多分、九州の実家は資産価値どころか不良債権まっしぐらかと思われます。

大体において、九州でも福岡以外の一部を除いた田舎の家というものはこの人口急減の日本においては殆ど不良債権と言っても良いのではないでしょうか。私も実際の所、先日叔母の最後に立ち会うために田舎に戻った時に家の周りの(一昔前は)瀟洒だったアパート群の多くに既にカーテンがひかれていないのを目の当たりにして、この辺りでも人口が目に見えて減少しているのだという事実を実感しました。

「空家等対策の推進に関する特別措置法」によると、家のメンテが悪く周囲の環境に対して危険であると認定され、「特定空き家」なるものに認定されると固定資産税の軽減措置は廃止され、場合によっては立ち入り調査や修繕命令、撤去命令がくだされそれでも改善無き場合は強制代執行による解体とその費用の請求なんて言うのがなされるというもの。

勿論、そこまでは行かないとは思いますけど、そもそもこの空き家をどうするかに関して良く考えておかないといけないと最近強く思っています。頭の中には幾つかのプランがあって、それなりに優先順位を付けて考えてはいるんですけど、こればっかりはどうしたものかイマイチ結論は見えていません。

一番いいのは両親自身が今のうちに見切りをつけて家の売却プランを私に提示してくれるのがベストなんですが、苦労して手に入れた終の棲家をに関して息子の私からあれこれ言っても何だかね・・・。特に母親の方は親父と違って手に入れたモノに固執しておりますので、結構大変ではないかと推測しています。

母親は田舎から名古屋には移りたく無いと言うし、先に親父が逝ってしまったら蓋手間くらい余計に面倒臭いことになりそうです。仕方ありませんが、それも考慮に入れたプランB、Cも準備しておかねばなりますまい。

唯一今の時点でまともにこういった事を話し合えるのは現実的に言って親父だけですな~。


2020年12月27日日曜日

日本の年末年始の受験生悲喜交交

我々オッサンは既に高校受験、大学受験等という時期を遥か昔に終えています。

人と人の間での順番毎に頭から切り取っていくという明示的な順位競争という意味ではこの2つの競争以外には私は経験がありません。学校にいる間のテストでの順位付けなどというのは基本的に次の人生の大きな節目を決めるほどのものではなかったので、正直なところその時点での基本的な学力を測るのに最も近いのではないかと考えていた「実力テスト」以外のテストは殆ど無視しておりました。

大学受験のように頭から100人のみを切り取るというようなテストで実質的に将来の職業まで決めてしまうのが医学部の受験でしたから、やっぱりハイテンションになるのはこの大学受験を以てそのピークと言って良いと思います。

これに比べると医師国家試験なんて言うのはメチャクチャ楽勝。何人だろうと一定の水準を超えた得点さえ叩き出せば極端な話「全員」合格するわけです。これは結局自分との競争のみ。

医師国家試験というのは基本的にパターン記憶の勝負ですから、二ヶ月間部屋にこもって友人達と寝ても覚めても過去問10年分を解く事で容易に高得点を取ることが出来ました。大学受験の時のように広範なエリアの異なる科目の知識を詰め込み続けたりしなければならないような勉強とも異なり、基本は全て人の体につながる知識ですから、ロード・マップは非常に描き易い世界でした。

さて、去年もそうでしたが、この時期周りの「受験生」という年頃の子供達を持つ看護師さんや医師の友人達の話を聞くと、当然のごとくクリスマスや正月は春まで無し!というのが当たり前の世界。しかも、直近の模試などで成績が振るわず、判定が厳しかった子の親達は「来年は浪人の可能性大!」とか言って嘆き節の連発です。勿論その逆もありますが・・・子供の気持ちは別として親は影で一喜一憂しているようです。

幸いにして我が家はそういった時期はアメリカに子供達が居たために、子供達が「気付いたら」我々に持ってきた結果を見て「へー」とか「ほう」とか言うばかりでしたし、私自身も受験というものから離れて既に35年以上というのはやっぱり遠い遠い昔の出来事ですね。

殆どの国公立大学受験生にとって先ずは共通テストの初日1月16日。心の底から日頃培った実力を発揮していただきたいとものです。親御さんも息を止め子供さん達を見守るような日々でしょうが、最後まで応援をしてあげてください。何れにしても、この残り僅かな時間を使って夢に向かって突き進んでいって欲しいものです。平等平等で人生の競争を教師達によって「阻害」されてきた若人諸君の人生初の真の競争にハッピーエンドが訪れますように!


2020年12月26日土曜日

アメリカの悪夢はきちんと終わるのか

未だに己の負けを認めない「世紀の馬鹿」にも終わりは来るのでしょうか。

周りの人間達もそろそろこのいかれた金髪のオジサンの首に鈴をつけようといろいろしているようですが、脳味噌に巣のあいたジャイアンにはのび太の持つ良識は通じません。

ロシア疑惑、売春婦問題、Twitterを使ったフェイクのバラマキ、有り得ないような司法妨害、コロナ対応への大失敗、そして最後っ屁という形で自分に忠誠を誓ってブタ箱に入れられそうになったり入れられていた人物を恩赦しまくった男がこの大統領職をきれいに去るのかというのが次の大いなる疑問です。

アメリカでは最近は表からは見えにくくなっていた「アメリカがもともと持っていたアメリカ自身に内在する暗い側面」を見事なまでに体現させた男が7000万票以上もかき集めて対抗馬のバイデンに肉薄していたという事実は、アメリカが普段表向きに世界に向けて唱導するpolitical correctnessとは全く縁のない世界であの国に国民として住んでいる人間が山の様に居るという事実を得票数という形でリアルに示し思い出させてくれました。21世紀初頭のアメリカの現実がこのクソ男の存在のおかげで、見事に炙り出された事になります。

私自身は民主党の中に存在する一部の極左的発想には全く共感を示せませんし、逆に共和党支持者が持っている自分の努力と才能でのし上がっていくという自助努力の発想にも大いに共感します、しますが・・・あるべき姿はその間に有ると思っています。ただ、共和党の良識ある自助努力派をも間違った形で己に引き込んでアメリカの分断を深めた罪は本当に万死に値すると思うのです。

アメリカ・ファースト等と表向きには国内どころか自分の住んでいるエリアの事しかしか知らないような馬鹿な田舎者のアメリカ人を中心に票を集めているだけと考えられていましたが、薄く広くその他の世代やエリアでも支持者は沢山いたという事実になんともやるせなさを感じますが、事実はそんなもんでしょう。

果たして実際の所、この男のリアリティは「Me First」に終止していたという事。在任中どころかTVでThe Apprenticeに出ていた頃から周りの見えないテレビ向けの俗物だなとは思っていましたが、大統領になってからも徹頭徹尾、最初から最後まで清々しいほどのクズでした。職責は人を作るといいますがその言葉が充て嵌らない輩もやっぱりいるということを確認させてくれるという意味では貴重な症例でしたね。

次のバイデン氏が健康問題を起こさずにきちんとその任期を全うできるかということも心配事の一つではありますが、兎にも角にもこの悪夢のような4年間が来年の1月19日に「何事もなく」終了してくれることを心の底より願うものです。


2020年12月25日金曜日

次女の帰国時期変更!

仕事中に次女からテキストが入ってきました。

Big News My required studio classes for my major that were supposed to be in-person announced that they changed to virtual because of worsening COVID-19. So now I don't have to go to America. I am deciding to stay in Japan and do online classes until covid ends because of ....(以下理由を幾つか羅列)

という感じで、長女のみならず次女までリモートでの授業になってしまいました。結局の所、授業の全てがリモートになってしまったということで、このコロナの時代の「極短期間での」凄まじい社会の変貌ぶりには、驚きを通り越して時代自体が変わっていく原動力が(感染症とは言え)外的要因として影響を及ぼしていることに感慨深いものがあります。

ふとソファの上の娘のマック・ブックの上の紙切れを見てみると、次のセメスターの時間割がびっしりと書き込まれていました。そこで考えたのは唯一つ「この授業って全部日本の夜中ににやってるよね?」という事。ということは、日本では昼にバイトをして夕すぎに夜食を食べた後にその疲れた体と頭で授業に突っ込んでいって朝方近くまでZoomの画面を眺めながら勉強をする?ということになります。

果たして、そんな事を来年の夏休みの始まるまで続けるようなことが本当に出来るのかという話。まあ、次女の場合は比較的私と似たところがあって「滑り込みセーフ」的なところで辻褄を合わせる人ですので、おねおねしながらも何とかかんとか一年を過ごしていくのかな、とは思っていますので余り心配はしていません。

日本にいる間はLockdownされたピッツバーグに戻ることもなく、健康保険代は払わずとも日本のインシュランスで全てカバーされるという有利な条件。ただし、既にピッツバーグにはリースを開始した物件が有るので、その物件はサブリースすることでなんとか経済的な凹みを解消していこうとするようです。上手くいくかどうかは次女次第ですが!

年末になって、急に来年に繋がるいろいろなことが起きる我が家の年末でした。


2020年12月24日木曜日

クリスマス・イブ

今日は家に少し早めに帰ってきました。

クリスマス・イブのほうがクリスマスより大事かつ盛り上がるという不思議の国日本ですが、それもこれも、これほど「宗教というものに心底からは傾倒していない」日本人の特性によるものでしょうか?

数百年の昔から、日本を訪れる各国ガイジン(主に西洋)の皆様の手記には、日本人の生活様式には自然の中に存在する八百万の神々を敬い、そもそもは異国由来の仏に手を合わせつつも、神様(神道)にもやっぱり同じように敬意を示し~というような一神教の国民には良く理解できない何でも取り敢えずは拝んでしまうという日本人の観察記録があちこちで普通に書かれています。

とは言えアメリカに居た頃のようなsirent night感は全く無い中での日本のクリスマス・イブはどちらかと言うと単なる子供達のプレゼント収受会というべきイベントだと思うんですけど、まあそれはそれで経済を回すためには良いのかもしれません。私自身はもう本当に物欲というものは無くなってきておりまして、欲しいのは後部座席を取り外したポルシェ・ターボだけという慎ましいもの。(どうせ買えないので、欲しい物は無いのと同じ!w)

さて、家に帰り着いて早速気づいたのはテレビ画面から流れるアメリカのクラシカルなクリスマスソングの定番達。まあ、クリスマス好きの嫁さんの発想でしょうか。直ぐにテーブルの上には各種の皿が10種類以上並べられ、何となくアメリカっぽい感じを出していました。

息子と娘としてはそれが嬉しかったようで、パクパク食べておりました。その後には定番のケーキが出てきたのですが、アメリカに居た頃のようにオーブンで焼いたでっかいケーキではなくて、セブンで買ってきた小さめのケーキ。ところがコレがびっくりするほど甘さ控えめの美味しいもので、ちょっと最近のセブンのスイーツの真剣勝負具合に驚いてしまいました。

その後には息子へのプレゼントとしてお菓子の詰合せとジグソー・パズルが3セット。娘達には私からちょっと多めの商品券。家族から私にはパジャマでした。アメリカにいる長女にもその二分割した半分を日本での使用分としてとっていることを報告した所、「ありがとう」との連絡。

こうやって我が家の今年のクリスマス・イブも静かに過ぎていくのでした。


2020年12月23日水曜日

ロシアはやっぱり碌でも無い国だなw 

プーチンがとんでもない独裁者っていうのはロシアの知識人の間ではほぼ合意事項のようですが、ニュース読んでてとんでもない奴だという認識に笑うレベルの確定事項が加わりました。

やっぱり社会主義国家・共産主義国家が理想の形式云々どころか先ず以て人間の運営する組織としては全く機能しないアイデアであると断言できますね。そもそも人間には知的能力差と欲望と勤勉性の大きな差があります。そこに運の要素やカリスマ性が加わって貧富の差や身分階級などが入ってくるわけですが、それが良いこと悪いことではなくて「事実」なのだから仕方ありません。

勿論、そういった事の「行き過ぎ」を解消するための動きとして王政打倒や資本家への攻撃などが近代になって革命という形で行われ、更には高福祉国家というものの概念が成長を遂げてきたわけですが、それは正しい方向へ動くための揺り戻しの過程。

富を分配して貧富の差を無くして優れた党がみんなを主人たる人民を指導するなんて言う訳のわからないアイデアは結局の所、無謬の理論として神の如く上が下を搾取する方便を与えるだけであることは、北朝鮮をみるまでもなく中国でもロシアでも碌でもない人間が碌でもないことを「独裁者」として行っているのを見ればあまりにも明白。

今回大笑いしてのはロシアのプーチンが「大統領経験者が罪を犯しても生涯にわたり訴追されない権利を保証する法案」というものに署名をしたというもの。

今までは在職中の犯罪行為のみ不起訴だったらしいのですが・・・。(この手の不逮捕特権もある状況では有用でしょうが、多くの例ではトランプを見るまでもなくとんでもないとは思いますけどね)

更にとんでもないのは大統領経験者が捜査機関による尋問、捜索、逮捕を逃れるのみならずその家族も保護の対象とか。唯一の例外は国家反逆罪と最高裁、憲法裁判者が認めたときのみ訴追対象になるとか?じゃあ、そこに至るまでの証拠集めはどこの捜査機関がするの?ってことですが、そこに至るまでの過程の主人たる捜査機関が御本尊に対する尋問等を行えないのですから何をか言わんやということです。

全くもってどこの野蛮人の発想なのかということなのですが、トランプがこれを見てまさに「コレだ!」と言っているはずです。w

碌でもない国で碌でもない輩が碌でもない考えを形にして己を守ろうという法案を署名通過させたのを見て、ああいう国では民主主義国家の「常識」などというものは全く通用しないという事がよく分かるものである事を再度認識させられた日となりました。

こんな事が日本で起きたらそれこそ俺はこの国を出るか革命軍に参加します。日本に生まれて良かった。


2020年12月22日火曜日

コロナ陽性者はそこかしこに

バイト先の病院で「使用しているデイ・ケアのサービス利用者に新型コロナの陽性者が出てしまったせいで」偶発的に濃厚接触者となってしまった患者さんの検体検査に行くことになりました。

「発症の2日前から1メートル以内で15分以上接触した人」というのが濃厚接触者の定義だったため、私がいつも在宅で診ているこの患者さんはその定義に当てはまってしまいました。おまけにそのデイ・ケア利用時にマスクを着用していなかったと言いますので、これは保健所的には当然アウトです。

とは言いながら、今回担当地区の保健所ではなく何故私が個別にお宅に行ってサンプル採取をしなければならなかったのかと言うと、理由はごくシンプルで保健所のキャパ・オーバー。もう保健所としては一件一件の個別の疑い案件等に対して職員が毎度の対応を行えるほどの人的資源の余裕がないのです。ですから保健所から私のバイト先の病院に直接「サンプル代理収集の依頼」が入り、その要請に対して我々も協力を行うという形で事が運ばれたわけです。

基本的にやることは病院と一緒なんですが、病院と違うのは我々が仰々しい防護服をフルに着て家にやってくると「周りの人」がどう思うかという状況が発生し得るという状況なので、患者さんの家の中に入るときにも私一人が入り、しかもササッと見られずに入れるように車を家のドアのところに近づけて入りました。勿論、誰も見ていないのを確認してからの訪問です。

到着直前までにゆっくりと移動の車内後部座席で服を着ながら準備万端。最終的には「一見すると」人類で初めて宇宙から帰還した飛行士を迎えるNASAの科学スタッフのような感じで家の直前まで来るわけです。その後は家に入って患者さんの鼻腔にスティックを入れて5回ほど内腔を擦りサンプルを収集、それを送付用の溶媒に浸けて箱に密封し保健所へ送るセットアップ終了。

その後、手順に従って二重手袋まできちんと外し特別なゴミ袋へ入れて車へ戻りました。

このバイト先の病院に来てこんな事は勿論ありませんでしたが、今年に入ってからは既にあちこちのデイ・ケア及びその関連施設でコロナの陽性患者がボコボコ検出されています。もう以前のような特別感は一切なし。我々の側も淡々と保健所と協力しあって処置を進めていくだけです。

我々もいつ感染してもおかしくはない状況になってきました・・・。


2020年12月21日月曜日

普通は起こらない?そんなミスが重なることで普通に「最悪の事態」が起きます。

今回の爪白癬(いわゆる水虫)の優秀な治療薬イトラコナゾールに眠剤が混ざったという訳のわからないほどのとんでもない事件は間違いなく我が国の薬害史に名を残す悲劇となりました。

小林化工というのは調べてみるとジェネリック製薬会社の有名所の一つと考えて良いでしょう。我々がジェネリックを処方する際に多くの薬で最後に「MEEK」と付く会社のものを使っている事には気づいていたのですが、それが小林化工のものだということはこの事件が起きるまでは知りませんでした。他にもよくあるのは「サワイ」「アメル」「トーワ」などですが、明らかにMEEKは有名所の一つ。

残念なことにイトラコナゾールというのは水虫の治療薬としては素晴らしく効果のある薬でして、塗っただけでは治りきらない水虫もこれを経口的に長期服薬することでほぼ完全に治療することが出来るのです。いい時代になったもんです。

ところが問題はこの「高い倫理観と技術」を持っているはずのこういう医薬品の会社が「普段は起こらない」ハズのミスと手順違反が次々と重なっていたという説明。ありえないのはそもそも継ぎ足し作業そのものであり、継ぎ足したものが間違ったというのは間違いの上に間違いが重なっていることになります。

薬剤の工場搬入でも2人の人間によるダブル・チェックがなされていなかったし、バーコードによる間違いを減らず薬品管理もそもそも存在せず、最終的に行われていた品質検査でも異物混入が示されていたにもかかわらずそれも見過ごされていたという。

こういった事はマニュアルの不備も去りながら、マニュアルがあってもそれを無視し続ける現場の人間も普通にいるということです。こういった事は過去にもJCO臨界事故、病院における眼球や乳房の左右取り違え事故などで限りなく繰り返されています。間違いの起こらないシステムや人間の作業というのはありません。

しかし、それらがこと人命に関わる作業である場合、可能な限りではなく「絶対」を求めるレベルで安全性を追求することが我々の基本姿勢でなければなりません。首脳陣がビデオカメラの前で揃って90度頭を下げて、被害者へ保証金を払って、国から業務停止と改善命令を受けて終わりというのはもう結構です。

今回の事故を受けて「実は」肝を冷やしている他の製薬会社は他にも多いのではないかと私は一人思っております。「他山の石、以て玉を攻むべし」まさに今回の件でしょう。


2020年12月20日日曜日

rowingの辛さと楽しさ

体重コントロールのために続けているrowingですが、最近は淡々と出来るようになってきました。

以前と変わってきたのは負荷の量が増えても「きつい」と感じるまでのレベルがかなり上ってきました。以前は5キロ漕いだら汗がブワッと吹き出していたんですが、最近は最低でも10キロは漕げるようになってきましたし、当直明けの時間の余裕が有るときには800カロリーを消費するために15キロ以上漕ぎます。

以前だったらそもそもその距離を一回では漕がないように心理的なストップがかかっていたと思うのですが、最近はそれは無くなりました。むしろしないと落ち着かないくらいの感じですね。

このトレーニングの最大の問題は「ケツ」でございます。どういう事かと言うとこれだけの距離を漕ぐとなると時間としては50分から1時間10分程度かかりますので、私の薄い「おケツ」では下の硬いプラスチック・シートではとてもとても30分以上の長時間漕艇は出来ないのです。

長い時間漕ぐと、漕ぐ辛さなどどうでも良くなってお尻の辛さがまず第一の問題になってくるのです。どっちかと言うと漕ぐことよりもお尻の辛さを耐える競技になってしまう事で、もともとの目的など何処かに飛んでしまうのです。w

そこで、その「ケツ痛問題」を解決するためにシートの上に敷く緩衝ジェルを購入してそれで問題をかなりのレベルで解決できました。これがあれば少なくとも一時間程度まではお尻のことを忘れて頑張れます。

一ヶ月だと平均して大体150キロは漕ぐことになっているんですが、だからと言って筋肉モリモリになるわけでもありませんし、腹が大きく凹むわけでもありません。結局の所、こういった運動は私にとっての中年男性としての健康体重「70キロ前後」という数字を保ちつつ、好きなものを比較的好きな程度は食べる自由というものを与えてくれるものだと思っています。

脚や肩の柔軟性も保たれるなんていうことも良いことでは有るのですが、何より大事なのは「心肺を使った運動をやっている」という心の安心感が最も大きなプレゼントでしょうか。

来年も淡々と続けつつも内容に変化を導入して更に続けやすいようにしていきたいと思います。しかし、この程度では体重の減少には繋がりません・・・。orz そもそも、体重を減らすという目的のためだけならばこれがベストの運動ではありませんし、しょうがないですな。この運動自体は私にとっては楽しい作業ですからそれで充分としておきましょう。


2020年12月19日土曜日

喉のうがいは水か塩で十分でしょう

新型コロナの季節になって喉の痛みを訴える人も例年に比べると大幅に減りました。

これほどまでにマスクと三密回避が種々の「かぜ症候群」の発症を抑え込むのかと実感すると改めてそのパワーに驚かされます。インフルエンザなんぞは現時点でほとんど全国を探しても絶滅というレベル。勿論、海外との交流がほぼ無くなっているという事もその発症抑制には物凄く大きいファクターなんでしょうが。

とにかく今年はそういう訳で風邪で喉を痛めた人を診ることが激減しているんですが、実際に喉が痛い時の対応はどうするのか医者も通常はそれぞれ独自の処方を出しているというのが多いのではないでしょうか。

よくあるのがトランサミンとか、イソジン等のうがい薬、そしてトローチ。医師によっては定番のように抗生物質や胃薬をここに併せて処方する人もおられますが・・・。最近医師のフォーラムをつらつら読んでいる時に、このイソジンやのどぬーるスプレー等を激しく糾弾している先生がおられました。よく経歴を見てみると耳鼻科の先生。そしてそこに他の耳鼻科の先生方も「全くだ!」風の書き込みが次々に。

その指摘する所によると、そこにいるウイルスや細菌を消毒するという名目で咽頭表面の細胞をガンガン傷付けていることで、更にその後の痛みが増してしまうというものです。実際の所、私自身は風邪をひくときにはまず喉からやられる人なのでこういった薬を「以前は」使っていました。ところが、こういった薬を使っても使用実感としては改善しているのを全く感じられないところかその日の夕方には更に痛みが増すなんて言うことがごく普通でしたから、「そうかもしれん」と思う感覚はあります。

そもそも表面にそういったものを使用したからと言って細胞の中で増殖している細菌やウイルスを殺せる訳もないわけで、その点は理屈にあってませんよね。

そういう事を考えると、そもそも「感染しない」という感染防御のほうがよっぽど大切なわけで、そのためには水うがい程度で、しかも頻回のうがいが一番効くのではないかと思います。実際にそういう論文もありますし。

手洗いと一緒でうがいも頻回にしかもそこら辺の水道水で充分だと考えます。カネを使わずとも達成できることは予防医学に関しては幾らでも有ると思います。万一発症した時に私がやっぱり使うのは桔梗湯エキスでのうがいですかね。(細胞からサポニンが分泌されることが実験的に実証されているようです。)

兎にも角にも、かからないことが一番です。


2020年12月18日金曜日

ドラマや映画でいろいろと駄目な人達

ここ数年ほどはアマゾンやNetflixなんかで大量に映画やドラマ、アニメなんかを観れます。

だからと言ってはなんですが、例え映画であっても昔のようにDVDをWalmartで安くで買ってきて、イソイソとそれを再生装置に入れて~なんて事はもうほぼ無くなりました。(未だに昔のアメリカで買い揃えたDVDなんかは時々引っ張り出して観てはいますが。)

比較的高速大容量のネット環境が水道や電気のように当たり前になって以来、オンデマンドでそういった作品を見るのが当たり前になってしまいました。多分今時の子供達にはDVDやBlurayなどと云うメディア自体がレガシー・システムになっているでしょうから、これから先の時代は今持っているいわゆる「手持ちのDVD」なんかを再生する装置を探さなくてはならない時代がきっと来るのでしょう。

8ミリビデオ、VHS、Hi8なんかの我が家の子供達のビデオなんかも本当に再生する装置自体が無くて、今のうちになんとかデジタルメディアに変換して渡しておかないといけないなと焦っているところです。

さて、話は逸れましたが本日書きたかったのはそういう事ではなくて、そのオンデマンドで幾らでも観ることの出来る作品中に出てくる大根の話。幾らでも定額で観ることが出来るからこそ、本当にチャンネルを変えるように次々と無数の作品群からドラマや映画を観ていると、折角の台本を「ぶち壊す」レベルの大根役者が出ているのをちょくちょく眼にするわけです。「一体誰がこんなのを主役に据えた?責任者出てこい!」みたいなレベルの役者。

宮崎アニメなどに出てくる、一部の「棒読み声優」のような感じの役者版と言えば良いでしょうか。w

折角の良い台本を壊すのが大根役者なら、一方で名優の演技をもってしても救いきれないほどのクソ台本というのもありますので、いろいろなものを短期間のうちに比較できるからこその役者、内容の比較ができる時代。やはり眼を肥やそうと思えばいろいろなものを大量に注意深く見る必要がありますね。

それにしても今日観たアマゾンのドラマは観た時間分だけ人生の無駄でした。あ~時間の無駄。時間の無駄。主役もドヘタやし、筋書きも有り得へん!というレベルのもの。よくもこんなレベルで映像化を許したなって思ったんですけど・・・。

誰とは言わんし、どの作品とも言いませんがゴールデン・クソ作品賞というのがあれば差し上げたいような作品でしたな。orz


2020年12月17日木曜日

やっぱりデカイ第三波

残念ながら、従前の予想通りの拡大を見せてきました。

この手の予想は社会にとっては当たらないに越したことはないのですが、まさに残念なあたりです。そもそも皆で集まるなと言っとる宰相自身がその日の夜や前日などに会食で集まってるところを叩かれてしまっているという間の悪さ。

ワシらオッサンは「何やってんだよこの間抜け!」とは言うものの己の行動をそれで緩める事は有り得ませんが、若い兄ちゃん達の中には「首相がやってるんだから俺たちも良いよな~」なんてノリで飲み食いに出かけるのも居そうで、何だか嫌ですな。

取り敢えずデータを見てみると愛知県はもう真っ赤に燃えています。

太く高い第三波。第一波が赤ん坊のように小さく見えてしまいます。
この重症者数の増加がベッドを埋め尽くしていくわけです。
では、インフルエンザはということでデータを眺めてみると、以下のような感じ。
今年に入って12月の今の時点までは昨年以上に「ピクリとも」患者が出ていません。確かにインフルエンザ様の高熱の患者を診る事が本当にありません。高めの熱の患者で当然のようにコロナの抗原スクリーニングをかける時にもしやと思ってインフルのチェックもdualで調べることがありますが、今年は今の所一切出ていません。多分、このままで大幅に変化することは無いのではないかと思われます。いわゆる流行り言葉としてのtwindemicは少なくとも今年は起きなさそうです。

この低下は、まさにマスクの効果と三密回避による感染リスクの低減と言って良いでしょう。そう考えると、コロナの感染力というのはインフルエンザよりも高い可能性があると感じてしまいます。インフルエンザは感染者が次の人に感染させるリスクと言うのに余り個人差はないと言われていますが、新型コロナの場合は数人の感染者の内、1人が多くの人に感染させるというパターンを取るようだと言われていますのでそういう感染力の平均値では出こない嫌らしさが潜んでいるようなので厄介です。

しかも、もう一つこの事態から予想されるのはもしコロナがワクチン等で相当上手に抑圧され成功裏に来年に臨めるようになったら、今度は今年インフルエンザで感作されていな分、いつもワクチンなどを打たない人々の群の中でどっとインフルの感染者が増えやしないかという予想です。

何れにしても見えない敵というのは対策が大変ですね。


2020年12月16日水曜日

老いた親との同居とか・・・

今日患者さんの娘さんが遠方の地からやってきて、私と面談をしました。

実は彼女のお母さんは私の管理している病棟に既に一年半も入院している患者さんなんですが、普通こんなに長期にわたって入院させることはないのですが、循環器の先生が特別に彼女の病状に関して関心があり、これほどの特別な長期になっています。

まあ、それは良いとして今回彼女が久しぶりに病院に来てくれたことで現時点での御母堂に関する種々の状況説明を行うことが出来てよかったのですが、家族関係に関して連絡が取れないごく近所に住まわれている「ハズ」のお兄さん方が何故お見舞い、というか説明を受けに来れないのかをそれとなく伺ってみたところ、本当に正直にそのお母さんが発火点となって上の兄弟お二人の御家族が崩壊してしまったというお話を切々と話してくださいました。

切っ掛けは御母堂の配偶者がお亡くなりになったことで、家に引き取って同居を始めたことだったようです。最初は良かったらしいのですが直ぐにありとあらゆることで衝突をしはじめ、後は崩壊というのを長男だけでなく次男の家庭でも同じことをしてくれたみたいで、近所に住んでいながら決してお母さんには近付かないし連絡も取らないとのこと。

娘さんによれば「外面だけは良い」のだそうです。このおばあさん、病棟では言動丁寧で仕事も沢山手伝ってくださる愛されキャラなのですが・・・家族にとっては悪夢のような存在のようです。

娘さんは病棟の面談室を去る時に私に「私がこうやって母のことで面倒を見るのは別に立派なことをしたいとか感謝からではなくて、こうしないといけないだろうなという世間に対する義務感のようなものです。」と言われました。

日本の病院に帰ってはや6年。家族関係というのは外からは見えないほど異様に複雑なことが沢山あるという事は学びましたが、一見すると素敵なお婆さんと笑顔を絶やさず直ぐに遠方からやって来てくださる娘さんの間にこんな複雑な捻れがあったことに改めて驚いた次第です。

老いた両親を自分の家庭に導き入れることには「同居実験」と言うにはあまりにもリスクの高い何かが潜んでいる可能性も決して忘れてはならないということでしょうか。それぞれの人物は社会においては良い人であっても混ぜるな危険とでも言うべき親子関係も世の中には多いようです。


2020年12月15日火曜日

アメリカに残している401K

アメリカで職を得て払い込んでいた401Kの値を時々覗いています。

私のアメリカ時代の薄給からちょこっとずつ毎月天引きされていたものですが、アメリカを離れて6年。取り敢えずそのまま手を付けることもなく放っておきました。60歳になる前に手を付けたところで、猛烈に税金を抜き取られるだけなので、よっぽど追い詰められていない限りはおいそれと手を出して現金化するものではありません。

注ぎ込まれた私の給与を仮にXとすると、10年ほどでその額が3X程になりました。私のプランはどちらかと云うと、リスクと言うか積極性のレベルでは中程度よりちょっとだけ安全な方に振っている実に保守的なものだったのですが、それでも10年で約3倍ですから、積極的なリスク高めのものはどれくらいになっていたのか知りたい気もします。まあ、これで十二分ですが。

以前覗いたときに一旦ボッコリと凹んだことがありました。それがいわゆるリーマン・ショックのときだったのですが、そのときは一時期順調に増えていた総額が暫くの間、と言っても数ヶ月間ですが、三割ほど減ってしまいました。私自身は投資の方針としては一旦買ったなら上がろうが下がろうが基本的には十年は持っておこうという感じの投資しかしませんので、たかがその程度での低下では「あれまあ」程度の反応です。

落ちた株というのは通常アメリカ株であれば普通は黙っていても戻ってきます。特に今回の私の場合の401kではIndexファンドに投資するタイプでしたので、ファンド・マネジャーが猫レベルの脳味噌の持ち主でもない限りは必ずリバウンドして戻ってきます。そして実際に戻って来て最初に書いたように今の時点で上に書いたような「成長」を遂げた訳です。

翻って日本ではどうかと云うと、自分の親父が国家公務員だった頃にそんな確定拠出型の個人年金にあたるようなものあったっけ?てな感じで、親父は確か退職金とみんなが貰う年金だけだったような気がします。ただ、親父達には国民年金の上に積みませるような文部省共済組合の年金が確かあったはずでして、(日本の公務員制度のこと全くわかってませんが!)かなり優遇されていたはず。

いずれにしても年取ってリタイアする頃に受け取る年金の額は普通にやっていればアメリカのほうが給料に比して遥かにデカイはず。そもそもが、投資という概念は日本人の平均的な人々には全く届いていないはずです。それがアメリカでは出来て何で日本では出来ていないのかと思ったら近年は日本にも企業では普通にあるのがiDeCo。使わない手はありません。

日本って投資教育したらアメリカ人より平均して皆リッチな老後を送れると思うんだけど何で「投資は博打」みたいな感じで対応するんですかね???タンスや貯金箱に金を投げ込んでおいても金は増えませんが・・・。

謎の投資倫理です。


2020年12月14日月曜日

チューハイは危険だな~

患者さんの中で酒を飲む人(特にアル中患者)の言葉の中にチューハイという言葉を良く聞くのは日本に帰ってきてからです。

とは言っても、実際に自分自身がそれに金を使ってまで口にすることは最近までありませんでした。最初の一杯となったきっかけは企業戦略。実際にそれは巧妙で、LINEで配られたコカ・コーラの「鬼レモン5%」が鳥羽口。

最初の感想は「へ~、こんなにも酒を意識させん酒もあるんやな」と云うもの。実際その最初の一本はタダだった訳ですが、それを次にも買ってみたのも自分自身。基本的には余り物の選択で悩むこと無く同じものを選び続ける傾向のある私ですので、それ以来、10本は間違いなく買いました。

しかも、そのシリーズに存在する5%、7%、9%(ウェブ上でチェックしてみると、3%もあるみたいです。)という別のアルコール濃度も試してみましたので、最初の一本をタダで配ったコカ・コーラの戦略はきっちり初期投資としては回収され尽くしたと思われます。

その上で思ったのが、自分にとって5%以外のもので350mL缶以上のものは明らかに「酔い」を誘発する事でした。ドブロクや日本酒で「酔う」というような「呑み方」というのは通常私自身は今迄は家飲みでは発生させませんので、この「自分にとっての新しい酒」の呑み方を改めて意識してみることはリスク回避としては大切な事だと思いました。

まず口にする時には5%以上のものは手にも取らないこと、そして買うときは500mL缶を購入しないこと。勿論、呑む量のトータルは5%であっても2缶を超えないこととして、通常は1缶で済ませること等としました。そもそもビールなどを毎日のまなければ仕事から帰って来た気がしない等と云う先輩も医学部等にはおられましたが、私に関して言えば酒を呑みはするものの、飲酒に関してはそんな事は決して無かったので、「味付け」によってジュースのように酒を飲ませるこの缶チューハイは飲酒の鳥羽口を下げる「リスクファクター」として記憶しておくことで、病院外来を受診するアル中患者さんへの警告となるものだと強く感じました。

飲みやすく、種々のバックグラウンドに隠れる味付けで人を酒に惹きつける企業戦略、賢いけど、頻繁にアル中の内科的治療をしている私個人としては危ない戦略ですな・・・。要注意です。


2020年12月13日日曜日

転倒、転倒、転倒

高齢者の多い病棟に勤めていると高齢者ならではのインシデントに遭遇します。

そしてその中で最もよく起こるのが誤嚥と転倒でしょうか。通常は脳血管障害がベースになってそのような障害を起こしますが、老化によるインシデントとしては早い人は70代でその様な障害が発生し始めます。

生物の老化というのは本当に個体差が大きく、人間はその中でも最も個体差が大きな生物の一つじゃないのかななどと1人で想像したりしますが、それはきっと生物としての日常生活における食・睡眠・運動などのパターンが他の動物などとは桁違いにバリエーションに富んでいるからではないかと思います。もちろん遺伝子上のバックグラウンドの差も巨大な要素の一つではあるのでしょうが。

そのせいでしょうか、60代で既に生物学的には80歳くらいに見える人もいるし実際にADLも80代に人もいれば90代なのに見かけが70そこそこにしか見えない人まで様々です。しかし、肉体年齢が衰えている人を中心に誤嚥や転倒のインシデントは頻発。時にそのインシデントは命を奪いかねない危険なイベントとなるのです。

一度などは70代で歩行機能の落ちていたお爺さんが廊下で「地蔵倒れ」の感じで後ろ向きに昏倒し、直ちに近隣の医科大学で開頭手術が施されましたが術中に死亡されるというようなことが起きました。

そういう極端な例は稀だとしても、椅子から立ち上がった拍子に、トイレから立ち上がった拍子に、ベッドから動こうとした拍子に転倒したり尻餅をついたことで驚くほど容易に大腿骨頸部骨折や寛骨、そして恥骨骨折などの単純・複合骨折を起こしてしまうのです。

入院時に骨密度の測定を行いその数値がある一定の数値以下の方を骨粗鬆症として最初にアラートを発しておきます。その上でベッド上、若しくはリハビリ室でのリハビリを通した骨量の維持を行って、カルシウムの取り込みを促す薬の使用と共に筋量も増やそうとするのですが、本人の認知能力や意欲の問題などが様々に絡み合いそのリハはなかなか進まないことも多いのです。

個人的に強く思うんですけど、肝になるのは中年以降のコンスタントな運動による筋力と骨量維持ではないかなと。そういう意味ではある程度自分に鞭を打つことで「無理せず」頑張るのはこれから自分自身には益々大事になるかと考えるのした。

とは言え俺は根が怠け者だからな~。コケて怪我する爺さんの一群に属さなくて済みますように・・・。w


2020年12月12日土曜日

「1917 命をかけた伝令」を観て

第一次世界大戦での英独の塹壕戦を描いた映画を観ました。

昨年英米合作として制作された映画で、最大の特徴としては「一見すると」あたかも最初から最後までワンカットで制作されたかのように見える非常に巧妙に作られた映画だということです。(実際にそのカット間も相当長尺です)実際の塹壕戦の戦闘の激烈さと悲惨さの描写という意味では全く真実には及ばないと思うのですが、その塹壕内での兵士の日常の描写と当時の兵士達の戦闘の前後の様子は多分、大変精密に描写されているのではないかと感じました。

第一次世界大戦での戦闘では戦車、航空機、毒ガス、潜水艦、高性能の銃器等がワンサカと登場しており、今迄の地域間の戦闘とは一線を画するレベルで、殺る方も殺られる方もその質も量も全く酷いことになってしまった多国家間の初の大規模戦闘でした。しかも死傷者数は今もってたぶん世界一。

当初の戦争開始の興奮と情熱は急激に醒め、始まった後は「何故戦っているのか?」という戦闘開始当初の大義と決意が消えた後も今日戦っているから明日も戦う的な状況がヨーロッパ全体を覆い続けたのです。

厭戦気分とやりきれないほど大量の人々の死がヨーロッパを舐め尽くした後、今度は30年も経たないうちにアノ男が登場してきて世界を戦闘の渦に巻き込んでいったわけです。

そもそものきっかけはサラエボへの視察に訪れていたオーストリア=ハンガリー帝国の帝位継承者フェルディナント大公を暗殺した事件(サラエボ事件)が大本で、私自身もこのフェルディナント公の着衣を貫いた弾丸の跡をウィーンで見たことがありますが、狂信者のこの一発が1500万人以上の人間の死を導き、更には第二次世界大戦での悲劇を間接的にもたらしたのかと思うと「XX主義」などと云うものの信奉などというものはほぼロクデモナイものだと言うことが解ります。

それだけに留まらず、この一発はハプスブルク家とロマノフ家の終焉をももたらした訳ですから、なんともはや恐ろしいほど重い一発だったわけです。言って悪いのですが、まさにバタフライ理論レベルの激烈な振動。

一度あげた拳を下ろす場所など容易には見つからないのだということを我々後世の人間は鬼の如く何度も噛み締めなければなりません。恐ろしいのは、今この様な事態が発生した時にそれを交渉・判断していくのがテレビに映っているような「あのレベルの政治家達」なのだということでしょうか・・・。orz

1917を観てそういった諸々の事をつらつらと考えてしまった今日の深夜でした。


2020年12月11日金曜日

納税者を「わざと」育てない国

今年もふるさと納税の駆け込み選択の時期がやってきました。

毎年毎年この時期になるまでにさとふるや、ふるなび等のサイトから何通もメールがやってきて「こんなものあります」「あんなものあります」という感じで推薦してくる種々の品々が盛り沢山。だからと言って直ぐ選ぶこともなくほぼ毎年こうやって年末に駆け込みチョイスです。

あとは福祉施設への現金寄付とモノの寄付を行うというのが私の例年の動き。実際の所、最後の瞬間になって鬼のように動いているわけですが、日本に帰ってきてこの瞬間ほど納税者である自分というものを意識する瞬間はありません。

アメリカに居たときは同じように寄付する場合でも、どこの誰にどれほど寄付するのかきめ細かく自分で選ぶことも出来たし、自分の持ち物もdonationという形でガンガン持っていってその金額を記録して年末の調整として計算していたものです。

日本ではサラリーマンからは天引きという形で自分の税金がどれだけ引かれるのか大きく意識せずに毎月納税「させられ」ています。そもそもこの天引きという方法は先の戦争時に導入された戦時体制の名残りなんですが、戦争が終わって75年経ってもまだ国はその便利な徴税方法を改める気配はゼロ。要するに国民に税金を払わせることには「大変」熱心ですが、その使い道や払わせ方を意識させるようなことに関しては極力目を向けさせないようにしているわけです。

おまけにその税金を国、県、市、町、村の各レベルの馬鹿で恥知らずな議員達の箱物行政や取引材料の餌食として我々の税金が喰い物にされていく訳で、どう「使い込まれるか」を詳らかにされるのは大変困るわけです。

基本、NHKの受信料と同じで、どう使われるかも判らない金が「徴収」される訳で、これで納税者意識が醸成されるわけがありません。無理。例えばNHKの受信料であれば、役に立たない置物のような天下り会長その他に払われる多額の給料や退職金、ネットでもいくらでも得られるレベルの別に公平でも何でも無い報道に何故こんなにカネがかかるのか、そして過去のNHKの我々が払った受信料で作製された膨大な数の番組を見るのに何故我々は二重に多額の金を払ってしか視聴することが出来ないのか等、ピンポイントで火炙りにすることが出来るわけです。

しかし、税金に関してはそれが巧妙に隠されており「こんなもんなんだから仕方がない」という気持ちを国民に持たせて「終わり」です。各種のガソリンにかけられる税金にかける税金のような「明確に違法」な徴税でも、国家の御都合で放置されているわけですから世話ありません。w

ほんと、みんなもっと怒ろうぜ!


2020年12月10日木曜日

Gotoキャンペーン全く使わず

Gotoキャンペーン、個人的には全く使わないまま終わりそうです。

今時医療従事者としてはわざわざリスクを犯してまで外に出ていくのもアホらしいですし、結局は己の税金となるこの馬鹿キャンペーンをリスクを犯しながら支える気はそもそもありません。(これから更に感染者が増えれば政府が宣言して強制的に停止するでしょうが、何時になることやら。)

結局は使わないままで、どこかの誰かさんが必死になって予約したり、スマホでぐるなびなどから予約して、予約していった店でクーポン使える上に飯を食べてある一定以上使ったらクーポン再発行とかいろいろあるみたいですけど、一言で「結構です」って感じです。そこまでして食いたいものはほぼ何処にもないです、というかそんな事に気を使わず食べたり泊まったりしたい。そもそもがクーポンとかポイントには余り気を回さない人間なので、仕方ないと思ってます。詰まるところ「面倒くさがり屋」なんですが。w

そんな私に「折角の得なことをしないアホやな~」と考えるかとか、旅行での「宿泊費や旅先でも使ってご飯その他の食べ物も安くあげられるのに勿体ない」とかいうのもあるんでしょうが、数百億円の税金を前倒しして使い込んで、結局のところ払うのは我々自身なのですが・・・?勿体ないと言うか自分の足食ってるだけでしょうという感覚しかありません。

何故、この飲食、宿泊(そして多分旅客輸送業も?)産業だけを集中的に助けるのか、という議論も深くされないまま使い込む数百億円。役所が使う愚にもつかない箱物行政への数百億円に比べれば遥かにマシだとは思うんですが、感染症の拡散へのアクセルとして働く可能性という事を考えると「何だかな~」というところ。

以前も書きましたけど、アクセルとブレーキをどっちつかずで踏み込むとか結局マシンがぶっ壊れるという顛末を迎えることになりはせんかと心配です。経済回すために、生き残るためにそういう産業を保護するためにどのみち来年度は更に己が増税の対象となるのはわかっていますけど、その支払い自体には誇りを持って喜んで協力したいと思います。

ただ、感染症の拡散だけは避けたいものです。この点は特に乗り気になれない大要因ですね・・・。やっぱり使いたくない!


2020年12月9日水曜日

ワクチンを打つか否か。選択の日は近し。

最近名古屋大学の先生とお話をする機会がありましたが、当然のごとく名大のようなマンモス大学ではコロナに感染する学生なども発生しています。

学生が熱発した時の狼狽ぶりなど話してくれたりもするのですが、医療従事者としては淡々と学生達に「アップデートされた情報に基づいた」適切なアドバイスを送り続けるしか無いという、至極当然のことを話しておられました。基本は保健所との連携ですけどね。とは言え今のコロナ禍のもと、保健所の担当者と連絡をするのはなかなか大変なようで、連絡一つするにも電話がつながるまでがけっこう大変な場合なども有るようです。

しかし、いま医療機関では既に検査対策などの手順は一通りルーティン化されてきておりますので、こういった場合にはどう動く、こういった場合にはどう動くというような標準的な手順が既にフロー・チャートとして整っていることもあり、慌てることはほぼありません。もちろん、知らない間に院内でクラスターが発生していたりしたら慌てはするでしょうが、取り敢えずは全数検査などはしておりませんし、有症状者を選別することで大規模な感染などは発生しておりません。

こうなると我々の中での次の話題はワクチンのこと。ワクチンがいつ来るのか、何処の国のどの会社のワクチンを使うことになるのか、一年に一度で済むのか、そもそも我々のところにワクチンは優先的に来るのかなどと云う質問を看護師さんから受けたりします。

正直な所、まだその結論はもう少し先の話ですので、我々にも現時点では推測しかできません。ネットなどではXXのセットが1億回分とかXXのキットが何処から輸入されるとか言っておりますし、まずは優先的にX歳以上の年寄と医療従事者を優先して・・・等と言っているようですが、それも具体的にどの施設からなどとは言っておりませんしね。

更に一歩踏み込むと、そもそも配布されたワクチンを素直に打つのか?という質問があります。通常は5-10年かかるワクチンの開発と製造が、このワクチンに関して言えばわずか2年弱!ワクチンの安全性の確認は慎重に慎重を期して進められていきますので、それだけの手間と時間がかかるのが普通。しかし今回はそれがかなり短い。

そもそも、ヒトパピローマウイルスのワクチンでさえ世界的には最終的に安全であると確認されているにも拘らず、日本では一部の狂信者の発言から逆に多くの救われるべき命がこれから数十年の間に消えていくことになってっしまっています。(既に確定事項・・・残念ですが!)

それからすると、今回のコロナウイルス・ワクチンが「たとえ行き渡ってたとしても」素直に皆に打たれるのか否かという点に大きな疑念が生じてきます。現時点で早くもイギリスなどではワクチンの大規模接種が既に始まりましたが、これから出てくるであろう有象無象の副作用等に関する症例報告から真の情報が選り分けられて、正しいワクチンの接種の影響が短期的に評価されてくるはず。さらには超長期的な影響は・・・これは残念ながらすぐには判りません。

我々医療従事者、打つべきか打たざるべきか。ハムレットのように悩む人も出てくるのではないでしょうか。私は・・・です。(秘密w)


2020年12月8日火曜日

血液疾患の難しさ

数ある疾患の中でも専門性とその理解の難しさという意味では血液疾患に勝るものはなかなかないと感じます。

血液疾患というのは「ある程度」までは疾患の内容を字面の上からは暗記することは出来ますが、他の疾患というのは消化器や神経にしても、やはり「ある程度」までは深みを持って理解することが出来ます。ところが、血液とその他の疾患では「ある程度」のレベルが違うと考えます。

血液疾患の研究においては多くの優秀な人材が集まり(研究志向の強い人材!?)各種の優れた遺伝子その他の研究が進められてきました。日本の血液研究は世界でもトップクラスと言えるレベルで、東大や名古屋等が総本山を目指して研究に邁進してきた歴史があります。

私が学部の学生だった頃などは21世紀の現況と比べると、本当にまだまだ未成熟と言えるものでしたが、解析手段の劇的な進歩は血液学に多くの恵みをもたらしてきました。一昔前であれば「思考実験」レベルのものであった解析法が現実に眼の前に出現するとともに、レファレンスとしてのヒトゲノムが眼の前で日常的に使えるようになり、タンパクの解析手段も劇的に進化するとともに、解析の速度の劇的向上は昨日までは夢想でしかなかった方法論を用いて試行錯誤を可能にしてきました。

また、解析結果の解釈に関しても比較や解析が高度なレベルで「容易に」行われることとなるとともに、AIを用いた思考実験を通しての分子間相互作用が超高速で行われ、昔はSF映画でしか出てこなかった推論と莫大な超高速演算による分子間相互作用の解析結果としての新薬候補の設計とスクリーニングが出来るようになってくるという世界の登場が眼の前にあります。

私が学生だったときの血液疾患の情報量を1とすれば、現在の血液学の情報量というのはその100倍は優にあるのではないかと思ったりします。当時は全く手も付けられなかったような血液疾患が今では普通に治ったりという時代ですが、これから更に経口服薬等で血液疾患が治療される時代になってくるのでしょう。

それでも未だまだ治療できない疾患も多々あります。血液の専門家に血液疾患のことを聞いてももちろん我々とは比べるべくもない深く広い知識を以て専門的アドバイスを下さるのですが、そういった先生にしても「今は中でもいろいろと専門エリアが深く広く別れていて我々の中でさえも其々の専門家に質問をするのです」とのこと。宜なるかなです。

そう考えると、我々一般内科医の見つめる血液疾患の理解などというものは極めて皮相なものなのですが、血液の専門家が内蔵をどれだけ見れるか、呼吸器は?という時代ですのでお互いの専門性を尊重して助け合うしか医学の進歩は無いと感じます。

先日久しぶりに血液専門の先生に伺って理解することがたくさんあり、意外と自分が研究していたエリアの分子が次々と疾患のパスウェイに登場することに個人的に納得する次第でした。

何歳になろうと勉強は大事だし楽しいです!


2020年12月7日月曜日

勝川に初めて行く

私が勤めている病院の常勤医を辞して非常勤医なられた先生が移って行かれた老健を訪れました。

以前からその先生が「一度ご飯を一緒に食べましょう」と誘ってくださっていたのですが、遂に時間が出来ましたので、先生と一緒に私の車に乗って先ずは先生の働かれている施設に行ってその中で擦れ違う看護師さんたちに次々と挨拶をしながら中を見学させていただきました。

なかなかシステマティックに作っれた構造の施設で、春日井地域に昔からある「基幹施設」的なところで、多くの老人達が入居するとともに、クリニックはクリニックで多くの方々を診察するようになっており、その裏側には先代の院長が付設されたというリハビリ、トレーニングジムが並んでいました。

「なるほどね~」と感心するとともに、今まで私が回ったことのあるどの施設ともちょっと毛色の異なる感じで、面白いなと感じました。老健であって病院ではないので、やれることの内容もかなり病院とは異なっており、それなりに「お金を使わない工夫」というものもなされています。

その後、先生が住まいとして使われている勝川駅そばの高層マンションに移動しました。小牧空港などへの飛行機の離発着が非常によく見えるし、 一人暮らしにしては全く意味不明なほどの広いお家に1人で住まわれておりました。最新の家電を一通り揃えておられて、楽しそうでした。

暫くして家を辞し、2人で歩いて近隣にある「水徳」という店に移動し大変美味しい鍋料理を食べさせていただきました。そこで先生が予約してまで食べさせてくださったのは「ひきずり鍋」という料理で、数種類の醤油をブレンドした割り下と名古屋コーチンの鍋なのですが、実は名古屋コーチンの本場中の本場とはここなんだそうで、店によると「水徳が使用するのは春日井の"稲垣種鶏場"の「純系名古屋コーチン」全国から一流の料理人が遠路はるばる求める逸品です」とのことで、誇りを持つだけのことは有ると思える味でした。

ともあれ、この効果な料理を広い店内で2人だけで舌鼓を打ちながら贅沢に食べさせていただきました。実はこっそりと先生が教えてくださったんですが、「鶏は良いけど鰻はイカン!」と言って笑っておられました。既に賞味済みとのことでした。w

最後に先生が全てを奢ってくださり申し訳なかったのですが、先生が当院から移動された後も大変充実した日常を送られている事に感心致しました。それにしても、勝川駅周辺は実はいろいろと味のある飲み屋・食べ物屋が散らばっており、味わい尽くすのには時間がかかりそうです。また、勝川に行って今度は酒を飲んでみたいものだと感じました。


2020年12月6日日曜日

子供による老親のネグレクト

本当に世の中はいろいろな精神疾患に溢れています。

その様は人の体格が色々異なるように、人の顔が其々異なるようにと言うほどの自然な差異だという気が最近しています。無論、精神科の病棟を歩き回ると認知症の人も含めてうつや統合失調、薬物・アルコール依存、双極性障害などを始めとする本当に驚くほどのバリエーションに富んだ「異常」というものを目の前で観察することが出来ます。

しかし、先ず以てわからないのは「異常」と言われて入院治療を受けている人間の異常とは一体何なのかということなんですけど、例えば統計学的にある能力や指標を設定して母集団の95%に入らない上と下の端っことか、97.5%に入らなかった切れ端である上下1.25%とか?以上に高いXX能力とか異常に低いXX力等と云う感じでこの様な人達を「普通でない人達」という感じで遠ざける人も多いとは思いますが、凡夫に入らない上の端っこだろうと下の端っこだろうと、こういう人達は一生において平均と異なることで特異な生活を送りつつも(多くはトラブルに満ちた人生でしょうが・・・)人類の遺伝子に種々のチャレンジングな変異を持ち込み続ける可能性を持った人々だと私は内心考えています。

さて、その様な人の中の1人にあたる「自分の子供」によって人生を終わらせてしまいそうになったおばあさんを診察することになりました。

この娘さんは統合失調症の一症状として「被毒妄想」というものをもっておりまして、それを老いたお母さんにも押し付けることで、一緒に御飯を食べない日々というのが長期化した結果、遂にはふたりとも餓死寸前という状況でレスキューされ、娘さんは精神科病棟へお母さんは私の内科病棟へとやってきたのですが、老いたお母さんの方は最初はもう驚くほどのガリガリで、体のあちこちに褥瘡をつくって入院してこられました。

お母さんはもう最後の方では生きる気力も無くなり一緒に死んでいもいいという状態だったらしいんですけど、統合失調を発症した娘とともに家の中で亡くなる既(すんで)のところで助かり、かつ娘さんも薬を服用して本当に話のわかる礼儀正しい「普通の人」に戻ってしまいました。

現時点では取り敢えずはメデタシメデタシなのですが、今後とも症状の再発も含め、問題が起きないとは限りませんので、ソーシャル・ワーカーや訪問看護師さん達の協力も得てこの人達の人生を安全なものにしていかなければなりません。しかし、不幸にしてそういったサーチ&レスキューが効かなかったケースも全国には無数にあるはずで、こういう時代だからこそ、老々介護を含め、8050問題等のケースも「システマティックに」一見ドライに見えるほどしっかりと行政の手で家族の観察を継続し、その様なインシデントの発生による悲劇の連鎖を止めていかなければならないと思いますね。

しかしそれを達成するためにはお金と人と知恵が必要。AIの力を使って、家族の加齢と構成の変化を戸籍などから推定し、保険支払いの経過データをそれに被せて見ながら、リスクの高まっている家族に積極的にアクセスすることも直ぐにでも考えていく必要があるのではないでしょうか。


2020年12月5日土曜日

はやぶさ2の快挙!凄いを通り越している。

2014年打ち上げの「はやぶさ2」無事に一旦日本に還ってきました。

52億キロの旅の途中でカプセルをオーストラリアのウーメラに落として再び地球を離れていきました。何という高度な技術かと驚くばかりですが、それも先代やその前からの小さな小さな失敗と成功の堅実な積み重ねがあってこその世界。  

前回、最初のはやぶさは「イトカワ」に、そして今回のはやぶさ2は「リュウグウ」から還ってきて長大な距離を更に旅するわけで、次は「1998 KY26」の観測を行うということですが、きっと成功してくれることでしょう。人仕事終えてまた更に遠くで一仕事とか、どんだけ働き者なんでしょうね。

今回のリュウグウのミッションの白眉はやはり微小重力環境での弾丸を使った表面の剥離と物質の採取。しかも今回の弾丸打ち込み時にはリュウグウの裏側に回り込んでその飛散から逃げた上でもう一度アクセスするという高度な技。何億キロも旅させた挙げ句のこんなチャレンジとか、電波の飛ぶ時差や自立運動のプログラムなどを考えても何だかクラクラと目眩がしてきます。

プログラムに関与するハードウェア及びソフトウェア・エンジニアたちの何と緻密な頭脳の持ち主達であることかと・・・。アメリカなどとは桁の違う限られた予算の中での高度な内容への挑戦はいつもの日本の研究開発の様子ですが、やはり世界の中で日本が果たした今回の天文学への大きな貢献というのはそのまま人類の知見の地平を外へ拡げた偉大な仕事となりました。

遥か彼方にある小惑星の表層下の地質をえぐり出して持ち帰られたサンプルは、惑星のそして人類の起源を解析する元種となります。この前のイトカワのときには目に見えないレベルの塵のようなサンプルからでさえ大量のハイレベルの論文が報告されました。今度のサンプリングでは大量のサンプルの持ち帰り成功が期待されています。

必ずやこれらのサンプルは世界中に配られて各地で夫々の哲学と科学に基づいた高度な解析を施され、更に大量の論文を産み出し人類の知識に深みを付けてくれることでしょう。

次の仕事の報告は11年後。俺生きてますかね?w

ところで今度の成功をリアルタイムで報告したのか?「みなさまのNHK」さん。前回もリアルタイムでの報道なし。桜を見る会とか元ボンクラ宰相とそのバカ嫁の下らないニュースはもう10番目くらいにしてはやぶさ2の実況中継をトップに据えなさい。受信料盗んでるんだから、それくらいしたら良い。


2020年12月4日金曜日

一難去ってまた一難

驚いたことに先日の弟の入院後、一度(話を聞いても良く解らぬうちの実家の親父に代わって)わざわざ医師である息子の私の方に在宅の先生が病状説明のために直接電話をしてくださいました。

いつも私の弟を診て下さっているだけあって、実によく細かく私の弟の種々の病歴を理解されていることに大変感心しました。どの様な形であろうとも通常この様な形で追って連絡を入れてくださるような先生であれば心配することもなかろうというものですが、実際は何が起こるかは体のみが知るところです。

実は熱の上昇も無く翌日には種々の数値にも大きな問題がないことが判明し退院した弟でしたが、親父から翌日に更なる一報が入ってきました。

「血尿があったらしいと施設から連絡があった。」とのことでした。

もしかしたら今回の(意思表示の出来ない弟にとって)元気の無さなどの症状は尿路結石などの存在によるものである可能性も十分にあるわけです。ごく小さな尿路結石でも肉眼的血尿はいつでも出るわけで、その結石が尿路を降っていく途中では大の男でも七転八倒するほどの痛みが背部を中心に拡がるわけで、弟の元気が無くなる可能性は十分にあるわけです。

何れにしても、週明けに再びエコー若しくはCTにてフォローアップの検査を受けることになるとは思うのですが、まあいろいろ起こります・・・。

とりあえずこれ以上はおかしな事が起きず、落ち着いてくれることを祈るのみです。


2020年12月3日木曜日

虐待を防ぐ方法は無いものか・・・

毎年毎年、国を問わず施設を問わず報告される虐待のケース。

虐待を行う側も行われる側も実に多種多様なコンビネーションなのですが、そのほとんどは、「ケアをする側」の圧倒的な力と「ケアをされる側」の圧倒的な力の無さ。ケアをされる側の実例としては孤児、DV避難者、老人、精神障害者、身体障害者等挙げだしたらキリがありません。

いかなる組織においても今の時代は上と下の序列関係に関してはその位置関係がパワーや性別その他の要素によるハラスメントを受けないように法の力や倫理の力がそういった「支配・被支配」になりがちな関係を一方的なものにしない様に力の均衡を保たせようとしています。しかし、それはそういう行為を受けた時に「訴える力」があればこそ。

残念ながら上に上げた多くの施設においてはそのようなシステムは成り立っておらず、中に陰湿な人間、異常な人間などが居れば必然的に性的虐待、心理的虐待、肉体的虐待などを始めとして自殺他殺を始めとした「死」に至るまでの加虐が発生することになります。

こういう人間は「普通の顔」をして諸施設に紛れ込んでいますのでなかなか摘発が難しい。しかも、残念ながらその施設の長やセクションの長がそういった行為に鈍感であったり、見て見ぬ振りをしているようなことも多々見られますので、防止は第三者などによる客観的な査察と抜き打ちの調査などが入らないと、正直とてもじゃないけれど防げないと考えます。

残念ながら、実際に私も一度私の勤める病院で(後で統合失調と判明したのですが)あるヘルパーが他の入浴時の老人達に対して暴言を吐いていたのを「たまたま」聞いたのをきっかけに、その暴言を吐いていた人間をその場で直ちに厳しく叱責、職務からその日のうちに仕事に就かないように師長に連絡するとともに、その脇で彼の暴言をそのまま聞き流していたヘルパー2人も厳しく叱責し虐待に関するセミナーを開き強制的に参加させました。結局その日を境に暴言を吐いていたヘルパーは病院に来なくなり、程なくして病院を辞めたという風の噂を聞きました。

暫くの間、私の存在自身がヘルパーさん達には恐怖の対象のようになっていたようで、私が各病棟に入って来る度にヘルパーさんの視線が集まるのを感じました。そもそも後ろ暗いことをしてさえいなければ、私の存在など気にすることもないのですけど?

話す力のない人、抵抗する力のない人を一方的に虐待するなどそもそも重大な犯罪ですが、こういった人間を入職の段階で判別することは一部を除けば極めて難しい。どこも人手は足りませんので、入職を許可する側の人間の選別眼という「知性や経験」を要する部分が低ければ選別はザルのようになるわけです。

しかも、前職でこの手の行為で馘首になった人間が次の同じ様な施設にやってくる確率は大変高いわけで、そういった事を繰り返すうちにそのエリアに居られなくなっても他の地域に行ってまた同じ様な事を繰り返しますから質が悪い。

私はこういったことの原因の一つは日本における「紹介状システム」の欠如だと強く思います。アメリカでは次のジョブを得るためにこの「紹介状・推薦状」というものが無ければ「あるレベル以上の仕事」を求めるジョブ・ハンティングまともには前に進まないのが普通。

無論、推薦状等を書く側も重大な責任を負います。こういった紹介状を書く人というのは多くの人の同様の書類を書く機会が必然的に多いので、書く側の信用問題にもなりますから。

クズの排除システム。何とかしないといけないこれからのさらなる人口減少を迎える日本の喫緊の課題だと思います。多くの人間は必要なのに、只でさえ少ない人間から「クズを弾いてかつ必要な人材を満たす」ことの難しさ。想像してみてください。


2020年12月2日水曜日

お笑い生命保険

今朝は笑わせて貰いました。

当院にはある精神科の先生がおられるのですが、彼は60を超えたシングルの先生。いろいろと奇妙なことをされる先生なのですが、一つ一つのエピソードを書き出すと病的なものが浮き彫りにされますし、確実に個人特定されますので書けません。w

しかし、この先生と実生活で直接交わらない限り、私に対して実害はありませんので、観察している限りは面白い限りです。正直な所、精神科の先生というのは他の科の先生方に比べてキテレツな方が多いのですが、この先生はスペシャル。いろんな意味で。w

朝、医局に入っていくとこの先生と別の先生が何やらトーク中。普段は興味もなく聞き流すところなんですが、やたら大声で話しているので自然と耳に入ってきます。それによると、この先生は毎月毎月かなりの額の生命保険料を払っているんだそうですが、よく考えなくともこの先生シングル・・・。

しかも、御両親は既に片親状態で90代のお父様がおられるのみ。更に三親等以内の血族はおられないというのですから、純粋に自身の疾病に対する支払いの保証などの現代風の保険でもない限りは「何の意味もない」保険だと思うんですが、どうやら病院に出入りしている飴玉を配っている保険のお姉さんに騙されているようで、この保険に加入したようなのです。

話し合っている別の先生は完全に茶化して質問しているのですが、この保険に加入しているほうの先生一生懸命いろいろと指摘された後、必死に言い訳しておりました。「一体先生が亡くなられた後その高額の生命保険の受取人はどなたなんですか?」というド・ストレートの禁断の質問を受けたこの先生の回答が「自分自身」だと判明して皆大爆発。しかも質問者の先生がよく聞くと貯蓄型の保険でもありませんでした。

要するに死んだ御本人以外、誰も受取人が居ないのです。w 己の死後に黄金の墓でも建てるように信託にでも遺言を託すのでしょうか?

いろいろと指摘されて揶揄された後、この先生呆然と立ち尽くしていたのですが正直アホすぎて可愛そうでした。最後には「先生、先生の保険金は死後確実に国庫に収納されますよ?」と、これまた身も蓋もない言葉を放たれ、表情を失くして立ち尽くされておりました。

どういう思考回路がこの保険契約を成立させたのでしょうか・・・。謎です。


2020年12月1日火曜日

とりあえず元気そうです

親父からメッセージが嫁さんにLINEで入りました。

とりあえず弟は熱も高くならず、肺炎の方も落ち着きを見せたようで明後日には退院できるとの報告があったようです。私の方には勤務中に直接電話が入り、同じようなことを伝えてきました。親父としては先ずは一安心だろうと思います。

私は私でやはり医者としての立場で弟の病態をいろいろと考えてしまいます。自分ならどの抗生剤を使ってどの検査を入れてなんてことを考えますが、弟の病態を目の前でいつも診ているK先生に敵うはずもありません。

ちょっと退院が早いかなとも思うのですが、先生から見てそれだけ病状の改善が早くレスポンスも良かったとうことなのでしょう。先生に心から感謝です。

実は私の弟は出生時に臍帯巻絡という状態で生まれてきました。簡単に言うと「へその緒」が首に巻き付いて生まれてきたのです。そのまま脳性小児麻痺という状態で成長することになるのですが、言葉も喋ることが出来ず片脚にも痙性麻痺という症状も残りました。同時に重度の意識消失型のてんかん症状も。

ずっと昔であれば、私の弟のような娘は20歳を迎えずに種々の病態で早逝することが多かったのですが、弟は少なくとも今の歳までは施設で生きてくれています。私が無能ではあっても、研究者や医師として生きる道を自然に選んだのも弟の存在あってのこと。とても自然な流れでした。

勉強ができるからとか(私自身は学びに関しては残念ながら確実な凡愚・凡夫です。)、職種のステータスとか、家の家計が医師の家系だからとかいうようなことは私に関しては「一切」ありません。そもそも何れも私の仕事に関しては当てはまるものはないと思っています。しかし、仕事自体は尊いもの。誇りに思います。

それにしても、今回の一件を通してやはり弟の命はかなり儚いものであるという実感を再度私自身に強く思い出させてくれました。今度宮崎に帰ったら一度真っ直ぐに弟に会いに行こうと思います。K先生にもお礼を一言直接伝えたいと思っています。