2024年6月30日日曜日

もう半年

今日で既に一年の半分が過ぎてしまいました。

何というか、この歳になると月日が経つのが本当に速く感じるのです。10歳になる前の「早く10歳になりたいな~」等と母親が夕食の準備をしている横で壁にもたれかかりながら話していたのを今でも鮮明に覚えています。

その頃から数えれば既に半世紀ほど経過したわけですが、あの当時子供だった私に向かって大人の人達が言っていた通り「時間の転がり方」は加速しています。時間軸を正しく認識できるようになるというのがその理由なんでしょうけども、人生の残り時間が減ってくると否が応でもその認識が強制的に鮮明になってきています。w

さて、今年も半年が経過しましたが、振り返ってみて一体何を成し遂げたのかと考えると、そのachievementの中身の変化の無さに対して暗い気持ちになります。左に記したような達成事項と言いうのは基本的に日常の病院での仕事以外に無い訳で、日頃から医学の勉強は続けて新しい知識に自習にてcatch upしてはいるものの、その知識は試験などで定期的にスクリーニングされた訳でもなく、やはりそれが個人的には負い目と感じています。

まあ、大人になったら職業人として淡々と仕事をこなして右から左に物事をスムースに進めていくことこそ大事な日常ですが、進歩という意味ではなんだか残念なレベルでしかないような気がしています。

だからと言って今更ナントカ学会とかいうのに所属して学会の背広を着たお偉い医師達に上納金を収める意味など何もありませんからね~。w

取りあえずは日々の医療での研鑽を続けて患者さんとその家族さん達の幸せ向上に貢献するのが今の私の仕事と割り切って精進して参りたいと思います、、、と書いた半年後はもう来年です。早い…。

2024年6月29日土曜日

デカ頭と帽子

夏の日除け帽を買いにワークマンへ行きました。

当直用の新しい安いサンダル、息子の普段着用に使うワーク・パンツ、そして新しいキーホルダーとして使うカラビナを買いました。その上でレジに行って支払いを済ませようとしたところで、帽子の並んでいる棚の一番上に「おや?」と思えるデザインの日除け帽が何気に置いてあることに気がつきました。

もしかして…と手に取ってみると、なかなかに良いデザイン。メッシュもついていて汗の抜けとなる通気性もよさそうだし。UVカット用の周辺の縁の部分も適度な広がり具合。風が強い時の為に紐もついていますし、アクセントとして私の好きなカラーであるオレンジが入っているのが何より気に入りました。

さて、上で「もしかして」と書いたのは、私にとってそれなりに重大な意味があるのです。それは帽子のサイズ!

もうこれに尽きます。orz

どんなに良いなと思ったデザインの帽子であろうと、己のデカ頭に載っけた瞬間に「ぎゅぎゅ」という感じで頭皮のキツイ締め付け感を味わうことが90%以上。残念ですが、これが世間の標準からかけ離れたデカ頭をもって生まれた男の哀しさ。

例えそのサイズがMADE IN CHINAで「Lサイズ」と書いてあろうとも、センチの表示を見た時に58としてのLであれば、私の頭には合わないのです。そこで私は何時も頭のサイズの標準的な息子を傍に呼び寄せてキャップであれハットであれ頭に被せてみます。

その時にユルリと入るようであればまだ私にも「微かな勝算」というものが残されているのですが、ここから先がまた意外とハードルが高いのです。要するに息子が緩く被れたものでも、私がチャレンジしてみたら「はい、アウト!w」という結果が殆ど。

という訳で、私には先ずサイズを見てから帽子を選ぶという残酷な運命が常に待っているのでした。 これは恐らく体が標準より大きい人や小さい人の悩みと一緒で、足が小さすぎて子供の靴しか履けないと嘆く女性や、体がデカすぎてアメリカに居た時は着る服があったのに日本では大きいサイズの店に行かないと着るものが無い等と嘆く御仁と同じ。私の場合はそれが「鉢」のサイズ問題なのでした。w

以前(恐らく20年以上前ですが)、浅田次郎のエッセイで己の頭のデカさ故に被れる帽子が無かったが、ある時無いはずのサイズのパナマ帽をある店で見つけて云々という話を読んだ時に「友よ!」と親近感を覚えたのを未だに忘れていない私です。

さて、それでも本日はハッピーでした。最終的にこの帽子を私が被ってみたところ、ほぼピッタリ。1000円ちょっとでこれほどいろいろな意味でフィットする帽子を見つけられたのは幸せでした。

ワークマン!さすがにオジサンの味方です。w

2024年6月28日金曜日

モンスターというのは居るもんです

一難去ってまた一難。

どうしてこういう人が紛れ込んでくるんだろうか、というレベルの人が職場で他の看護師さん達を苦しめ続けていました。

最初はどういう人なのかは見えなかったんですが、暫くすると病棟全体の声がその人を「困った人」と認識していることが把握できるようになってきました。声というのはどこでも漏れてくるものです。

しかしながら、それがどういう形の「困ったこと」なのかという事を最初の時点ではわざと把握せずに、状況の改善を師長を含めた看護師さん達の中だけで解決できるのか否かを息を潜めて見つめていました。しかし、数ヶ月経ってもその「兆し」は見られずという事で師長さんに「みんななんかストレス強そうだけどナニが原因なの?」と、他の看護師さん達がいない時に控えめに尋ねてみました。

すると、師長の口をついて出てきた言葉は「反省しない人なんです」という短いものでした。

この看護師さん、ここに来る前はもともと訪問診療をしてきた人なのらしいのですが、病棟に来て何を教えても決して決まり事に従わず、いろいろと失敗をするのですがそのことを指摘しても「悪いのは指摘したあなた!」という形で指導や指摘を返すのだそうでうです。orz

極めつけは「じゃあ、同じような間違いがあったときには私からもあなたに同じことを言いますね~」と笑って返すのだそうです。もちろんそういう唖然とするような対応を返されると誰もその人には指摘をしようとする意欲、気持ちが削がれるのは当たり前で、呆れてしまってものも言わなくなり「関わるとヤバい人」だというふうに定義されるわけです。

当然といえば当然過ぎる話で、その後も直接私にその話を語ってくる看護師さん達が日々ウンザリといった表情で、その看護師さんのことを「疲れる」と言っていろいろなエピソードを語ってくるようになったのでした。

看護部の方も対応に苦慮しているようでしたが、どうやら病棟を移動させることで対応をするという噂が出てきましいた…。

これって以前もこの病院で大暴れした以前のあの人の話と一緒の流れじゃないか?と思うんですが、嫌な感じしかしません。一体これから1年後にはどうなっているのか?見たくないような見たいような。移動先の病棟の人たちが今からかわいそうな気がしています。

2024年6月27日木曜日

プログラムの勉強を始めました

40の手習いならず、50の手習いならず、ほぼ還暦の手習いです。

色々と調べる中で、プログラムを勉強する必要性を感じていましたが、なかなか一歩目を踏み出せずにいました。いろいろとネットを調べていく中で、何に使えるか、何をしたいのか、習得の可能性などを調べると、私のやりたい実務に最もマッチしているのはpythonかな?という結論に至りました。

私のプログラムの経験といえば、中学3年の時に母親の中学時代の友人のご主人がNECに勤めておられ、そのおこぼれでPCのボード型マシンを譲っていただき、それを使って一月かけて丸々夏休みを潰す形でオセロのプログラムに没頭しました。

バグとの戦いの連続で、最後の最後に仕上がったときにはハーッと深い溜め息で終了し、プログラムが動いたときには感動というよりも「魂が昇天するような感覚」でしたが、プログラマーってのは女ストレスの高い仕事を年がら年中やってるのかと思うと頭が下がりました。

基本的に私のプログラム経験はこれだけ、それでも今の時代やはり言葉を喋るようにプログラムを書きたいなという野望がむくむくと湧き上がってきました。

とりあえずPythonをダウンロードし、スマホのアプリも2つ入れて空き時間に「まずはpythonとはナニ?」という勉強を始めました。いわゆる平仮名を習い始めたレベルで、文章の良し悪しどころではなく先ずは文章を書くための第一歩が始まったばかり。言ってみれば漢字もカタカナも書けないレベルではありますが、オッサンらしく淡々と虚心坦懐に勉強していきたいと考えております。

ナニよりも、認知症の予防に最も効果が高いのは数学や語学の学習。やりたいことをガンガンやっていくしかありません。

2024年6月26日水曜日

病院もどんどん潰れますw

今からお医者さんになる若い人達は大変です。

猫も杓子も医学部、医学部と言って本来医学部なんかでは必要もないレベルの優秀な頭脳や、医学部には向いていないタイプの人間を医学部に押し込んできた高校の教師達と、それに乗っかって医学部に子供を押し込んできた親達は老いていく自分の残りの人生の中で子供達に「しまった」と思わせる選択を押し付けてしまった事を悔いながら過ごす可能性が高くなっています。

しかもかなりの高確率で。

何時もこの手の調査で出て来る帝国データバンクが4月に出した「医療機関の休廃業・解散動向調査(2023年度)」の結果を見ると、やはり2023年度における病院、診療所、歯科医院を経営する事業者の休業や廃業、法人の解散は合計709件という数字。2000年度以降で過去最多となった。病院は前年度(2022年度)と同じく19件、診療所は159件増の580件、歯科医院は33件増の110件で過去最多を更新。なかでも診療所の件数増加がこれらの数字全体を押し上げているのが良く解ります。
日経メディカルの再掲データ
実際の所、コレを調べた動機が(医師免許の確認などを終えた)医師だけが集うネットでのこの手のフォーラムに溢れる診療所や公的病院に勤める医師達の嘆き節が気になってからで、ここ数年はかなり多かったのが今回の診療報酬改定でほぼ「俺たち終了」レベルのあきらめムードに変わったからでした。

今の日本医師会の会長というのはほぼ何御政治的発言力もない人物で、名前を聞いても「?」という程度の人。以前の武見太郎のような絶大な力は一切なくて、その息子の武見敬三も医師になれなかったようなXンXラ頭で、お金で慶応を出ただけのような人物ですからこれまた厚生族としての影響力はゼロ。ずる賢い官僚達にセンセイと呼ばれて弄られるだけのタダの傀儡です。今後の医師の政治的発言力の増大は望めませんし、診療報酬改定毎に必ず製薬会社ともども苦汁を飲まされる存在になりました。w

まあ、こういう状況ですから保険診療に関係のない世界へ逃げていこうという若い医師も沢山出てきていて、いわゆる美容外科へ向かう人間が増えているという状況、その上で、まともな外科医などのなりては激減で、外科系の教室は閑古鳥が~という状況だと伺っております。

厚労省の思うようには全くいかない筈で、地域に医師が偏在しないようにその枠を設けたりとかしようという動きもあるようですが、医者がそんなのに従う訳もなく…。憲法における職業選択の自由も大問題になってきますからまあ無理。インセンティブで縛る事になるのでしょうが、そんな事したらますます国民医療費の赤字分は無駄で非効率的な事に大量消費される事となるでしょう。

医療の世界で金持ちになろうというような事はもう考えない事です。子供の行きたい方向に向かわせてやる。それで失敗しようともそれで良いじゃないですか?やりたくない事を一生やらせるよりも、やりたい事に少なくとも挑戦は続けたという人生の方がよっぽど良いというのが私の考え方ですが、まあそう考えん人も沢山おりますわな。

勿論、医療で人を助けるという事自体は大いに人生の喜びではありますが、万人に向いてるとも思えません。

2024年6月25日火曜日

恵の経営陣トップは無期懲役か死刑で良いと思う

私は持論として常々、オレオレ詐欺やネズミ講などの金銭絡みの経済犯には厳しい処罰を下していいと思っています。

100万円の金銭的搾取毎に一年の禁固刑。1000万円で十年。一億も盗ればまあ、生きている内に陽の目を見る事は「決して」無いくらいにしておけば皆ビビッて、この手の犯罪に手を染める人間は激減する事でしょう。やる人間はもう恐らく何も失うものの無い、いわゆる一部の「無敵の人」位になるんじゃないでしょうか?(昨年もここで書いています!

要するに経済犯でも捕まってしまえばほぼ一生塀の中で幸せに暮らせますよ…というセッティングにしておけば良いのです。

人が一生懸命稼いだ金を非合法的に濡れ手で粟の状態で掠め取っていこうという根性が誤っている事を世間に周知させる事。そして、この刑期を短縮させる唯一の方法は被害者に利子をつけて弁済した時のみ、としておけば話はかなりクリアなものになると思うんですけど如何でしょう。その上で、仮に出所出来た人間にもGPSでのトレースを義務付け、パスポートは発行しないという風にしておき、このトレーサーを外して逃亡した場合には仮釈放無しの再収容で人生とサヨウナラという様に。

そしてこういう経済犯よりももっと厳罰を下して良いと思っているのが、精神的、身体的弱者を搾取するビジネスです。

今回のグループ・ホームで出されていた飯の中身。テレビからのキャプチャ写真ですが、まさに残飯。今どき刑務所の方がよっぽどいい飯でしょう。
これで一食分。虐待以外の何という言葉を当て嵌めれば良いのでしょうか?
世の中にはスーツを着たクズやドブネズミが沢山繁殖しているのは周知のとおりですが、今回のグループ・ホーム恵が昨年から監査を受けていましたが遂にというか、やっと実質上の事業廃止に追い込まれましたね。事業所としての資格が剝奪された訳ですから、事業の継続もへったくれもありません。まさに、ザマーミロです。

ここの経営陣達が確実に各種の法で次々に厳しく罰せられ、責任者共の名前と顔が全国に晒されることを心の底から願うものです。それにしても、今回の事件ではトップの連中が頭を下げている絵面が出て来ませんね?マスゴミ各社が又何か忖度しなければならない危ない輩やお偉い方が上の方に絡んだりしていないでしょうね?

こういう施設ってい意外と土建屋等の親父が以前、厚労省が旗振りをしたゴールド・プランなんかに乗っかって作った一族郎党で経営する施設というのも多いのです。ホントに福祉の事など何も考えていない自分達の為だけのタダの養分吸収設備の様な感じ。

今回の事件の後処理の過程で現在の入所者の方々に一切のネガティブなインシデントが起こることなくスムースにt尚施設若しくは信頼される事業者が介入した同施設に継続的に入所できる事を祈るばかりです。

障碍者を子として持つ私としては、現経営陣が全員あの世で地獄に堕ちますように神仏に毎日祈願しても何の後悔もありません。例えそれで私が彼らに呪われようと。

2024年6月24日月曜日

現場で有能な人は管理職としても有能か?

戦争などでも表題のような事は十分に問われる命題だと思います。

しかし、つらつら思うに現場で有能な人が必ずしも管理職として有能であるとは限らないと思います、しかもかなりの確率で。

病院においては現場で優秀な看護師さんを昇進させ、主任や師長さんにしようとします。そのラダーを昇っていく中でその昇進システムの行きつく先は、通常は看護副部長そして看護部長などへの管理職への就任です。

しかし、現場では優秀でも管理職適性の無い(それも全くと言って良い程無い)人間は全然珍しくなくて、本人は管理者としてのスキルを発揮できず(そもそもスキルがあればまだ良いのですが!)戸惑うばかり、雇用者側としても完全に当てが外れ下に就かされた部下も「あの人がこれほどまでに上司としてダメ?」と苦労するという様な三重苦が生じることになってしまうことがあるのではないでしょうか。

現場で優秀だったというのはセルフ・マネージメントは少なくとも優秀だったと考えて良いのでしょうが、統括する版図が拡がった場合に他人の動きを含めたマネージメントが上手くできないという例はかなり多いかもしれません。要するに見つめるべき地図が拡がると全体の動きが判らなくなる人。そもそも人の上に立って仕事をするスキルというのは適性というのが存在していて、一匹狼として特別に優秀な人でも他人の共感を得ながら(時には共感を得られなくとも正しい事をしなければならないのですが)チームを統合してある方向に導けるとはとても思えません。

こういった管理職適性がない人のために、現場で働く形のまま昇進させられるポストがあれば、適性のない仕事へ無理やり就かされることもなくなるはずなのですが、これに見合うポジションとしては病院であれば精々がところ病院では主任、無理して師長程度が限界。病棟の看護職トップたる師長でさえどちらかというと求められる能力は現場で患者さんに直接かかわる仕事と云うよりも、通常解決困難な多様な問題に対する即時応答する事が求められるのがその仕事。まさに管理職なのです。

ですから、上記のような理由で驚くほど無能な師長や部長というのも稀ならず登場する訳で昇進させた側(現場を知らない管理職側)は、その期待外れぶりに狼狽する訳ですが、プロモーションをかける前にきちんと評価する手順を踏めよ!という訳。全く迷惑至極なのは下で働かされる人達でしょう。

管理職としての能力がある人材を管理職へ据えるには、現場での能力とは文字通り無関係に管理職としての能力のみを見る風潮が定着しなければならないと考えます。現場で有能な人が必ずしも管理職として有能であるとは限らないと言う基本のキの字を理解しない経営者は組織を疲弊させるとんでもない選択に長い時間をかけて後悔させられることとなるでしょう。

役割毎に求められる異なるスキルセット。個々の能力を適切に評価し、適性に基づく人員配置を行うことが出来るのか?結局組織の死命を制する世界がそこにはあるのです。

2024年6月23日日曜日

ドラゴンズの街にあるカープの居酒屋

やっぱコアなファンというのはどんな街にでもいるもんです。

という訳で、金鯱軍の街たる名古屋にも他の球団が居座る飲み屋や食べ物屋というものがあるだろうなとは思っていましたが、たまたま行った店で濃度120%のカープの店に入ったことを自覚しました。

最初は小さなテレビの画面に「たまたま」中日とカープの試合が映っていたのですが、そのテレビの横には何とカープの人形が3体も奇麗に並んでいたのです。その横にはカー王のロゴの入った特別なビール?類も並んでいるし、良く見てみると柱にはカープの応援グッズがさりげなくでは無く堂々と掛けられているし、トイレに立ってそこには居ると壁4面全てにわたって広島優勝時の新聞の切り抜きのラミネートされたものやポスターなどが張られていました。

その状況が理解できるとトイレから出て改めて店の内装を観察した時にここが「カープファンの為の店」である事が判明して酔いのまわった頭の中で「熱いな」と感じた次第でした。w

例えば阪神ファンの店というのは恐らくどの都市にもキッチリあって、トラキチと言われるコアな連中が試合に勝とうと負けようと連帯の為にメートルをあげる日々を過ごすことが出来る場所だと「推測」しています。

同じようにどこにでもあると思われる巨人ファンの店なんかも恐らく別の意味で巨人・大鵬・卵焼きの流れを形を変えて連綿と繋ぐ世代によって継がれているんでしょうけども、やはりトラの熱量にはとても勝てんと思っているのは私だけではないでしょう。

翻ってファンの絶対数とその偏り具合では確実に絶対的マイノリティーであろうカープ・ファンの店に今回入店して感じたことは「熱さ」はサイズに関係ないという事でしょうか。寧ろマスが小さいからこそ一粒の熱量は高いのか?

しかし、居酒屋としてのこの店はとにかく何が出てきても美味しい!そして、お客さん同士が意外と狭いところに押し込められている事で何となく連帯感が出るという魅力的な条件があり、カープ・ファンにはうってつけだろうなと思ったのでした。

結論:カープ・ファンでない私もまた行きたいと思う店でした。店名は…自分で調べてください。お客が増えると私の枠が減るので。w

2024年6月22日土曜日

医学の知識のみならずどの世界でも勉強しないとタダのガラクタになる時代

AIのみならず、いろいろなエリアで急速にいろいろなものが進化・進歩しているのを実感する時代です。

私の場合は医師として各種の疾病に対する原因の解明と診断法、そしてそれに対する治療法の進歩という形で医学の発達する様子を眺める立場に居る訳ですが、医学部を卒業して30年以上。進歩というものは凄まじいもので、本当に隔世の感というレベルで様々なものが段違いの変化を見せています。

CTの放射線画像やMRIでも解像度の向上や照射量の減少。そして、診断にAIが導入されたことで、遠隔読影による医師の診断と相俟って有り得ないほどの変化が起きましたし、最近はEchoでさえも慣れない医師に対して、どうやってスワイプするかをAIが指示を出しながら診断の方策をつけるものまで出てきている状況。AIの極初期の介入であると思われる2024年の今でさえコレですから、これから30年経ったらどこまで行くのかオジサンの想像を絶するレベルではないのでしょうか。

病因の解明も細かな発見の積み重ねとそれらの結び付けによって本当に大きなパズルのピースが相当なレベルで埋められるような時代になってきました。勿論、まだまだ先の長い神経の研究や希少疾患の研究は大量に残ってはいるものの、私が学生だった頃の研究の深さとは井戸と大深度地下くらいの深さと拡がりの差があります。w

治療法も強烈に進歩。外科領域はそんなに変わらんやろうと思っていた事も、内科の先生が外科の仕事を奪う感じで仕事の内容を変えてしまい、オペをするにも大事な事は「非侵襲的」治療というのが先ずは第一というのが当然という時代。何でもかんでもラパロや内視鏡でアプローチしていきますし、そうでないオペであってもやはりダヴィンチのようなロボットを使ったオペがまずは優先されるような感じになっています。

内科領域もありとあらゆるエリアで学生時代には「全く」なかったような薬だらけ。あれは一体なんだったんだろうという程の「地殻変動」レベルでの進化を見せています。これに関しては書き出すとキリが無いので今日はもうやめますが、これも常に知識をアップデートしておかないと「直ぐに」古い知識になってしまいます。

要するに「常に常に常に」勉強をする気が無いのであれば、この世界では本当に古い治療法で患者さんに医療行為を行う事になってしまう訳で、勉強しないなら「医者辞めろ」ってことだなと自分では思っています。

これからもどこまでも進歩していくであろう医学、そして私が知る事も出来ない外の世界でも間違いなく同じ事が起きていて、学ぶ人と学ばない人の差は今までの時代以上に歴然と開いていくのでしょうね。

さて、私は何時まで、そしてどこまで学びきるのでしょうか…。

2024年6月21日金曜日

トヨタは儲けが一番

結局のところ企業は設けてナンボなのです。

それは世界的大企業のトヨタでも一緒。最近の車の売り方を見ていると「そうじゃないの?」と思わせる動きばかりですが、今日販売店に行って「事情通」のお店の方にお話を伺って「やっぱりそうだよな~」という回答を聞き出してまさに得心いたしました。

というのも、ランクル250という車のことがふと気になってそれを販売店に確認に行こうとしたのですが、ネット上で調べると疾うの昔に予約はサチュっていて、予約枠自体が存在しないばかりか、例え頼めたとしても予約は2年分先まで埋まっていますというような記事ばかり。

あれやこれやと車が届くまでにX年とか、トヨタの生産能力も大したこと無いなと最初は思っていたのですが、裏では半導体が半導体が…と言ってその所為になっている感じの話がコロナ禍で出回っていました。

ところが、アメリカの中古車市場においては日本で予約さえ受け付けないというランクル250が潤沢に中古市場にさえ出回っているというではないですか!

良く考えると、今は異常に進んでいる円安の時代。日本で幾ら造ろうとアメリカに輸出さえしておけばその差益をズンズン上げてくれるのがこの世界。勿論、アメリカ国内でもアメリカ用の車はたくさん作っているのでしょうが、どの国の通貨向けであろうとも、円安傾向さえ続く限りはアジアその他に送り出してもやっぱりウハウハな訳で、儲ける効率というものが全く違う訳です。^^

そんじゃあ、どこ向けを最優先にするかというのは小学生でも解る理屈が存在する訳です。というわけで、トヨタ会長の言っていた「日本の裾野の広い自動車産業の雇用を守る」という大義名分は立派に守られるのですが~。

日本の消費者はその会社の車を買えん事と相成る訳です!

まあ、愛知県にぎょうさん税金を落としてくれるんで私個人としては何の文句も無いんですが、これでトヨタの車が買えなかったのは3回目となりました!w


2024年6月20日木曜日

やっぱりタバコは絶対悪!

本当に言葉もありません。

タバコ吸っている人、止めてください。本当に最後の最後で地獄を見ます。もう、医師としての私の心からのお願いです。止めて下さるというのなら土下座なんて何十回でもさせて貰って構いません。

今日、また慢性閉塞性肺疾患(COPD)の患者さんが亡くなられました。この方は九州出身の方で、もともとは私の担当させて頂いた患者さんだったんですが、症状が安定した後からは別のドクターにお任せして安静病棟に移っておられました。

1年ほどは安定的に推移してはいたものの、やはり時に急激に呼吸苦が増強する時期があったりして物凄く辛そうでした。ご飯は頑張って食べているのですが月日を追うごとに淡々と痩せ細っていくのが傍目にも容易に判るレベルで進行していました。

要するに「息をすること」自体が生きる目的になっていく日々だったのです。私は同じ九州の人間同士、彼には特別の言葉を掛けられ私自身も時々田舎から送られてきた土産の食べ物などをおすそ分けしていました。

しかし、調子の良かった最後の日々は無くなられる一週間ほど前まで…。増悪と回復を繰り返す中で、酸素を吸わないでも調子が良いというような最後の瞬間はそこ度突然途切れました。ある日を境に急速に呼吸苦が悪化していったようで、その最後の日は今日となりました。

午前中に私が外来に行く直前にたまたま顔を出した時に、非常に苦しそうな顔をされていたのが生前の彼を見た最後の瞬間でした。外来が終了して戻って来てみると既に呼吸は止まり、生気は失せ、穏やかな顔に戻っていました。

私は茫然とその躯の横に立ち尽くし、最後に会えなかったことを言葉にして詫びました。彼の為に、縁を切っていた兄弟等の親族をソーシャルワーカーに頼んでいたのですが、最後の最後まで見つけることが出来ず、間に合いませんでした。

喫煙という習慣。アメリカで頭頚部癌の研究をしていたころから私の不倶戴天の敵でしたが、今日改めてタバコが「糞」であることを確認した次第です。

タバコは止めましょう!悲惨な最期を皆に見せないで。悲惨な最期を最後に経験しないで。

2024年6月19日水曜日

老々介護もここまで来ると…

訪問診療に行くと当然ではありますが、各家庭での介護の様子を直に見る事が普通になります。

その中で最近思う事は私がこの仕事をバイトとして始めた7年ほど前と比べてもずっとずっと患者さんの平均年齢が上がってきた事です。あくまでも主観的なものですが、電カル上で自分に割り振られている患者さん達の年齢が以前は70代も良く混ざっていたのに、最近ではほぼ80代と90代で1日分の仕事が終わります。

例えば1日で10件の家庭をまわるとしたらその内の7件程度が80代の男女。そして3件は90代という感じで、70代は神経変性疾患や事故などで若くして寝たきりになられたような方を除けばほぼ居られません。

以前であれば90代の方などは居ても少なかったのに、100歳越えの患者さんもチラホラ居るくらい普通になってしまいました。何というか実際のところ、内科外来などでも80歳くらいの方は私が小さかった頃の年寄じみた60代なんかよりも遥かに若々しくて、間違いなく現代の年寄の身体には当時とは違った生理学的な変化が起きていると感じさせるものがあります。

尤も、医学の進歩によってこの数十年で有り得ない程の種々の恩恵が我々には降り注いでいますので、そういったものも身体のネガティブな影響を取り除いたりはしているんでしょうが、やはりそれだけでは無い「何か」の変化が起きている事は間違いないと思います。

ただし、その長生きの分だけ認知症の患者さんや日常的に歩けないで大変な人たちが増えてきたのは仕方のない事なんですけどね…。

そういう超高齢者達の増えている中、私が訪問に行っている御家庭においても「とびぬけて」御高齢の御家庭が有ります。それは御主人が94歳、奥様が93歳で、息子さんが70過ぎという状況の御家庭。お母さんの方は認知機能の低下が著しくて、ずっと御主人の方を向いて日がな「お父さん」と呼び続けてはニコニコと美しい笑顔を見せているのですが、お父さんの方は軽度の認知機能低下はあるものの、立派に通常の会話もできるという優秀なお爺さん。息子さんはその二人を介護するという独身男性という状況です。

何だか、老々介護という言葉が有りはするのですが、ここまで高齢者が支え合う関係になるとそういう言葉も意味あるのかな?とふと考えてしまうんですよね。

今どきもう70歳前後では老人とも呼ばれなくなってしまったのであろうかという日常になってくると、日本もやはり定年というものを後ろにずらさなければ社会自体が成り立たないだろうな~と自然に思うようになるのでした。

55前後で定年云々と言っていた時代とか「本当にあったのか?」と事実を知っている私自身でさえ何だか時代が変わったよ!と素直に感じるのでした。

2024年6月18日火曜日

何で使い切ってから次を…

ミニマリストの観点からすると全く理解できないのが自分の家族の行動パターン。

特に体のケア系統の物品購入で顕著なのですが、(ふるさと納税でのストックは別として)次から次へとシャンプー、リンスや歯磨き粉を購入する発想というのが私には全く理解できません。家の中の持ち物を最小に保つという事への「こだわり」が感じられません。

モノをたくさん持つという事に全く魅力を感じない人間にとって、こういう娘や嫁さんの行為は精神的にかなり毒です・・・とは言え、今住んでいる家は自分の家という感覚は全く持っていないのでこれはこれで全く良いのですが。

自分が住む場所という意味では本と一台のノート・ブックと机以外はほぼ要らないと思っているような変な私ですので、この家には自分の「落ち着く」居場所は無いな~と思ってしまうのです。別にネガティブな意味ではないんですけどね。

六畳一間くらいで一階に車庫があって板張りの丈夫なコンクリートの建物をちょこんと建てるというアイディアも「無きにしも非ず」と言いたい所ですが、先立つものが有りませんし。orz

ま、訳のわからん夢は脇に置いておくにしても、アメリカに住んでいた時も沢山部屋は有っても全く使わない場所ばかりで、己に必要なスペースは結局のところご飯を食べるキッチン・エリアと本を読めるソファの置いてある部屋だけだというシンプルな結論は今も変わりません。(机があればソファも要らんのですが!)

家のモノの話から男の一人暮らしの話に話が飛んでしまいましたとさ。w

2024年6月17日月曜日

疲れているのに眠れない訳

「疲れているのに眠れない」というのは結構大変な事です。

精神科の先生方はこういう時に眠剤をチャレンジしたりしますが、実際の所、こういった状況の背景には「うつ病」が隠れていたりしますので、私自身は安易に種々の眠剤を出さないようにしています。

患者さん自身もクラシカル、且つ悪評も高い古い時代のベンゾジアゾピン系の向精神薬などを警戒して、自ら「眠れないけど要らない!」と言われる方も意外と沢山おられ、私自身も喜んで「処方しない」ほうに乗っかります。

ただし、病院で眠れない事は理由が結構明確で、加齢に伴う睡眠時間の短縮だけがその理由ではなくて、院内の生活が単調でする事が無い為に昼寝をする事で昼夜が逆転するパターンの多い事、多い事。w あとはいびきをかいて眠っているのに「昨日は一睡も出来んかった」等という方も何時もの如し。

さて、私の方はというと当直前日にいろいろと家でやる事をやった為に睡眠時間はかなり短い状態で当直開始。実際は夕方の時点で既に相当眠かった上に、明日の大腸ファイバー用の患者さんの準備で早く起きないといけないので早く寝ないといけなかったのですが、夜の12時過ぎにも患者さんの事でいろいろと電話が入ってきて眠れませんでした。

それでも対応を済ませて寝始めたのですが、うとうとし始めた時に違和感発生。それはこの前から続けている左上三番の治療中の歯の痛みに間違いありませんでした。orz

最初はやり過ごそうと我慢していたのですが、時間が経つにつれ拍動性の痛みになって参りました。こうなるともう眠るどころではありません。最後は諦めて起き上がり、手持ちの鎮痛剤を服用したのが3時過ぎ。抗生物質も同時に服用し30分ほどで痛みは遠のきました。

すると今度は痛みの後ろに隠れていた猛烈な空腹が表に出て来ました。これは何とか意志の力で乗り切って…気づけば朝8時でした。w

本日の結論。痛みは空腹に勝る。

2024年6月16日日曜日

今日はエイザイのくすりの博物館へ

今日はちょっとだけ各務ヶ原に入っての訪問でした。

何だか最近の週末はほぼずっと「岐阜尽くし」という感じで、オマエは岐阜県観光課から何か貰っているんじゃないかという程の岐阜巡りです。w

取り敢えずこのエイザイの設立した博物館は創業者の内藤氏のお考えにもとづくものので、昨日お世話になったおばさんの御主人が以前ここに行ったことがあって、そのおじさんが「面白いところだった」という一言がきっかけだったのでした。

私としても医療関係者ですからこういった日常の治療の中でいつも使うお薬を作っている会社が展示しているいろいろな製薬関係の展示品が面白くない訳が有りません!実際今回行ってみて、自分の推測に間違いが無い事を確認させてもらいました。

息子とくすりの博物館の敷地に入っていくと館の前一面には各種の珍しい薬品のネタになる植物群がびっしりと植えられていました。勿論熱帯圏の植物もちゃんとしたハウスの中に。まずはここでいつも使っている漢方の成分となるような多くの生薬のオリジナルの姿に合うことが出来たことに感激。

しかし、思ったのはこういう植物に山で出あっても絶対にそれだと気づく事もないであろうなという確信でした。w さらに思ったのはよくまあ、こんな無数の植物の中から何がしかの体に聞くモノを選び出したな~という経験則確立までの恐るべき失敗の回数への尊敬。植物の中には根っこは役立つモノでも、地上の部分は毒物であるようなものも普通に存在しますので、その植物園を眺めて改めて感慨に浸ったのでした。

さて、館内ですが写真で見ていただくのが早いかと。(今回は書いていませんが、今の時期二階で認知症の特別展示をされていましたヨ)

昔の薬屋さん。雰囲気あります!
あの!傷寒論の実物。まさか!と震えました…。
ありとあらゆる伝説的薬の素材群。
もちろん怪しいものもたくさん入ってます。w
麻酔の進展とともに進んで行った外科手術。
これは当時の乳がんのオペです!驚きの江戸時代‼
アノ「仁丹」ですね。
正露丸になる前の征露丸。
ウクライナに送ってあげると喜ばれるかも^^

国立科学博物館認定の重要科学技術資料!「碧素アンプル!」
あの「仁」をまざまざと思いだしました。
こういった展示以外にもここに示さなかったいろいろな興味深い展示がわんさか。更には現代の製薬における種々の薬の分子生物学的製剤の説明が実に細かく面白く書かれていたのですが、コレって、、、部外者にはほぼ何のことか解らんよね~と思わず一人で苦笑いしてしまいました。

まあ、製薬、薬学、医学い関係する人々も沢山訪れると思いますので、これはこれでアリとは十分思いましたが。残念なのは博物館所属のアイテム・ショップが無かった事でしょうか。とは言え、連れて行った息子は何のことか解らずただの散歩と思った事でしょうね。

充分に種々の珍しい展示を堪能した後、家に帰って父の日の美味しい焼き肉を家で食べました。書き残しておこうと思いますが、昨日は次女から上着を嫁さんからは下のパンツを頂きました。

お父さんになると「たまには」良い事あるみたいです。


2024年6月15日土曜日

岐阜まで美味しい中華を食べに行きました!

人生初の岐阜市内までのドライブでした。

今までは岐阜に週末何度来ていても、その周辺の市町村にばかり行っていました。そもそも岐阜市内って「何がある?」という感じで、金華山の上に見える岐阜城があるけれど・・・くらいは遠く138タワーから見えているので理解していました。

しかしそれでも特に私の良いな人間には縁が無いというか目的地としていくことは無い街でした。

ところが、今回いつもお世話になっているある方からお誘いがあり、「是非そこの美味しい中華のお店に行きましょう!」という事で私の方で車を出して岐阜市内のど真ん中、以前岐阜市役所のあった跡地の真横にある開化亭に向かいました。

ここに今日案内して下さったおばさんのお話ではこの開化亭の初代のおじさん、おばさんがヤバいくらい愛想が悪くて笑ってしまう程だったとの事です。客商売とはとても思えない程で、数々の伝説がある様です。近所の人達はこのおじさん・おばさん達がこの岐阜の本店に居た頃は「あんな愛想の悪い店、絶対行かんわ」等という人が居たんだそうですが、それでもそれを上回る味の良さがある為に来る方々が沢山居るんだそうです。

特にそれが顕著になったのはテレビ放映があった後からで、全国からお客さんが来るようになったとの事でした。

息子と嫁さんとそのおばさんの四人で食べ始めたのですが、出て来る食事はとてもとても中華という内容ではなく、説明が無ければ完全にフレンチ。出て来る数種類の皿はそんなにサイズは無いのですが、美味しいことこの上なし!やはり人が予約して待つだけのことはあるな~というのが良く解るレベルのものでした。

会話を愉しみながら全てのメニューを食べ終わって、ハッピーモードになって二階から一階に降りて行った時に誘って下さったおばさんがお支払いして下さった金額が一瞬見えたのですが・・・腰を抜かすのに十分な金額でした。

街中華と伺って数千円と思っていたのですが、ランチのセットメニューが腰を抜かすほどの金額ったとは。orz

このおばさんは以前から何十回もこのお店に来ているそうですが、以前は一人5000円くらいだったとの事。有名になるにつれてお店の予約が取りづらくなり、値段もゆっくり上がっていったのだそうです。

帰りは幸せと申し訳なさで一杯。言葉も無いとはこの事でしたが、どうやってお礼を返したら良いのか思案しているところです。

2024年6月14日金曜日

久しぶりに隠れ家へ

金曜の夜という事で夜に独り飲みにでました。

久し振りになってしまったのは前回の酒場で酒癖の悪い女性に絡まれたトラウマから・・・。w

その女性、沖縄の人達の飲み会にも以前行って、悪酔いして「あんたは家に帰りなさい」と、二次会に誘われなかったという前科持ち。w 結局、あるレベルを超えるとスイッチが入って見境なく絡んでしまう酒癖の持ち主なのでしょう。(まあ、言ってみれば酒に弱いという事なんでしょうが)

その再現を恐れてその酒場からはちょっと距離を置いていたのですが、そろそろ良いかな?と恐る恐る行ってみた次第です。中に入ると幸いにしてその方は居らず。店の御主人もその話をすると「何で暫く来られて無かったのか不思議に思ってました」と大笑い。

こちらにしてみれば正直笑えない話だったのですが、豪快にケタケタ笑われてしまうとこちらもちょっとバツが悪くて、思わず苦笑い。しかし、その後にその女性の店への出現パターンというのをしっかり話してくれたので、その曜日と時間を避ければかなり遭遇確立が下がるし、カウンターで鉢合わせにならないように配慮してあげます~との事でしたので一安心。ヘタレの私です。^^

しかし、久しぶりのカウンター飲みはやはり楽しくて、泡盛をやりながらつつく豆腐餻(とうふよう)はやはり私にとっての極上の発酵食品。爪楊枝でつつきながら美味しくチビチビと嗜みました。二杯目の別種の泡盛はカマンベール・チーズの包み揚げと食べたのですが、やっぱり発酵食品は私の口に滅茶苦茶あいます。

マスターとの話は盛り上がり続けて、気づけば終電はとっくに終了の時刻を過ぎていました。こういう時は素直に「歩き」。既に全く暑くなくなっている外の空気に触れながら周りのビルや普段は車でサッと移動するせいで見る事も無いいろいろな看板などを眺めて家に帰る着いたのはもう一時過ぎでした。

こういう日もあってよいと一人静かに感じた夜でした。



2024年6月13日木曜日

おやじラッキー!

何と言う事でしょう!(どっかのビフォー・アフターのナレーションみたいですが)

親父からテキストが入って参りました。昨日の夜から「明日は朝食は摂らずに胃カメラの検査だと先生から言われました」等というメッセージが入っていたので、私としては心配せずに検査受けておいで~、胃カメラなんてあっという間に終わるし痛くも痒くもないよ!と安心させるようなセリフを聞かせていました。

その上で「潰瘍だと思うけど、万一癌だとしても癌細胞自体も年寄りだろうから進行は遅いと思うよ!心配無し無し」という感じの訳のわからないエールを送っていました。w

親父は親父で何となく緊張してるんだろうと思っていたんですが、返ってきた言葉は意外にも肯定的なもので「頑張りります」という「り」が二つ付いた気合の入ったものでした。^^

今日は朝から検査云々というやり取りをしたわけですが、最終的に「胃は大丈夫20,49分現在だそで職位に気を付けていれば大丈夫との事ですな。あとは食事と足のリハビリにいつまで入院でいきるかがんばります胃の状態トはお前が先生にくはし聴いてください。(原文ママ)」という、微妙に意味が伝わるような伝わらないような文言が入ってきました。

そのあとも5時間ほどして「今先生がお目見えになり大丈夫だそうです、潰瘍が有るが小さくなつているそうです。」との追加がありました。

まあ、親父の理解に間違いが無く、先生が包み隠さず親父に真実を話してくださっているようであれば、お話は実にシンプルに終わり良ければすべて良し!という感じで話がまとまりそうです。

消化管穿孔に伴う汎発性腹膜炎に襲われてなおこんなに短時間でかなりのレベルで普通の状態に戻って来れるとは…。

強いですナ、うちの親父さんは。w

2024年6月12日水曜日

電子カルテ業界の闇が深すぎ

病院内やバイト先でも電子カルテもしくは電子カルテと「呼ばれる紛(まが)いもの」を使うのは我々にとって毎日の事です。

非医療業界に勤める方も、病院に行かれた時などに先生が何か画面を見ながら電子カルテにカチャカチャ書き込んでいるのを見たことは多いと思います。

厚労省によると、電子カルテの普及率は2020年時点で一般病院での電子カルテの普及率は57.2%で、特に400床以上の大規模病院では91.2%にも達していますが、200床以下の小規模病院や一般診療所では普及率はまだまだ5割弱です。しかし、今後は電子カルテでなければならないというお役所からの通達があり、逃げられない運命なのです。

この市場の大きなメーカーとしては「富士通」「シーエスアイ(CSI)」「ソフトウェア・サービス(SSI)」「NEC」の4社が挙げられますが他にもいろいろとローカルな弱小業者がわらわらと居りまして、表からは見えない所でいろいろととんでもない事が起きているのです。

一言で言うとこの電子カルテというのは利権の巣窟。厚労省やその他のお役人を含めいろんな人間はこれを総出で否定しにかかるでしょうが、こういった会社や指導監督する日本の各エリアの指導部署のビルの中に厚労省などの人間が雇われていないところが有ったら是非教えて頂きたいというくらいグダグダの世界。

いわゆる役人のア・マ・ク・ダ・リという奴ですね。

しかも、業者に聞くところによると、東北や東海ではある特定のプロパーを通じて電カルを導入しないといけないという変なローカル・ルールがあって(東海の場合はE@@とうところ<@は二つともアルファベットの伏字!w)こういう昔の問屋みたいなところが事業に一枚かみ込むことで、要らん金を使わないといけない事になっているようです。

しかも、電カルの業者というのはデータ移行を妨害したりして自分の電カルが一旦駄目だと判明しても、囲み込みをする事で自分のところ以外にカルテを移行させないようにしているのです!要するに一旦使い始めると、糞システムと判明しても容易な事では他のカルテは試せないというトンデモの世界。

それもこれも、そう言う事をしてはいけないという罰則が存在しないから!!完全に厚労省の手落ちです。恐らくわざとでしょうけどね~。基幹データベースの定義において、このデータはここに、このデータはこういう風に格納させて・・・というようなフォーマットを作っておきさえすればこんな訳の分からないどろどろの世界は出現しなかったはずなんですが、少なくとも現時点での21世紀の日本の電子カルテの世界にはもう意味不明な程のカオスが出現しています。

結局、いろいろなシステムがcaoticに交じりあって、謎の利権システムを構成。医療業界が業者の言いなりで金を払わされることで、電カル倒産、若しくは電カル閉院という事態が出現するところが割と大真面目に出て来ると思います。しかも、この金の出どころはそもそも国民の医療費なんですけどね。

金の成る木を吸い続けた挙句、その寄生虫である電カル産業自体が潰れていくところが出て来るような予測も今のうちにしておきましょう。イギリスで人の命を奪った事で悪名高いホライゾンのような事をこの業界の奴らはまたやらかすつもりなんでしょうか?

恐らくこの業界発の大金銭スキャンダルが早晩出てきて世の中を賑わす時が来るのではないかと思っています。悪事千里を走る!知らんけど~。w

2024年6月11日火曜日

お笑い・東京都知事選

まさに泥仕合。

というか、何時も私が屑同士が戦う時に言っている犬のXンコ対猫のウXコという構図そのものです。誰も期待しない嘘つき同士の闘い。一方は都政において何の実績も残せなかった、公約もほぼ何も達成できていない学歴詐称オバサン、そしてもう一方は息子にさえも嫌われている二番じゃダメなんですかオバサン。orz

昨日の投稿後、匿名さんから別のよりハッキリした(学歴詐称・自民党こっそり支援・プロジェクションマッピング無駄遣いおばあちゃんvs国籍詐称・共産党全力支援・公職選挙法違反おばさん)という名称が授与されました。こちらの方がより明確ですね。^^

自分は東京都民ではありませんけど、こんな有り得ないような屑とゴミの選挙に自分たちの金が使われるとか勘弁という話です。そんな金が有ったら障碍者や貧困家庭の子供教育に金使えっていう話。

東京に住んでいて、こんなしょうもない連中を見ていると女性の政界進出の進展を逆に邪魔しているだろうなという気がします。じゃあ翻って男はどうなんだという話ですが、これだけ男性の代議士たちが政界に居てもその殆どは勉強の足りない、他人から「センセイ」とだけ呼ばれたいだけの糞ばかり。そもそも政界を目指す人間でまともな神経を持っている人間がどれだけいるかって話になりますが、まともな神経を持っている人間なら、極一部の本物を除けば政治家なんかは目指しますまい。

あとはいつもの東京都知事選の唯一の愉しみである政見放送を待つのみでしょうか?既にこの時点で数十人の「ほぼ泡沫」候補達が行ってくれる想像の斜め上を良く政見放送のみ。w 泡沫も本物の精神疾患だろなっていう人から、へずまりゅうのような蛇蝎の様に嫌われるためだけに出て来る対象までwide variety of candidatesが我々を笑わせてくれるのでしょう。

今回の都知事選。蓮舫はきっと「二番になっちゃいました!」とか言って、渾身のボケをかまして二番になってくれると固く信じております。二番で良いんです!都知事になりさえしなければ。w

ま、皆さん、精々頑張ってくださいな。

2024年6月10日月曜日

少しずつ戻ってきているオヤジ

親父から謎のテキストが入ってきたりする数日が続きました。

腹膜炎から少しぼんやりした状態になっていたのは判っていましたが、投与されたスルバシリンが功を奏したのでしょう。今日親父から送られてきた白血球の数値は2万台から1万1千まで低下。ここまでくれば「通常」充分効果があったと考えられます。

日を追うごとに親父の方も状態が良くなっていくのが理解できる状況報告が入り、安心できる感じになってきました。

先ず経鼻チューブから排液している状況が解除され抜管。その後からはゆっくりと重湯を飲まされる状況になったようです。更にその後からはゆっくりと流動食に変わるという実にスタンダードな状況である事が良く解るような親父からのテキストでした。

音声でも直接に電話が入るようになってきて、数日前までとは明らかに異なる元気さで話をするようになってきました。

その声を聴いて「取りあえずは助かった」という気持ちを持てましたが、もう一段階大事なステップが残っています。実はこちらの方が問題である可能性が大きく、状態が更に安定化しいったん退院させるという外科の先生のお話でしたので、それを待った上で今回の腹膜炎の原因をGIFなどで調べる事になる訳です。

前回の腹部単純CTで肥厚を認めた十二指腸周辺と思われる部位に潰瘍孔があるのか、それとも胃癌のような悪性腫瘍による穿孔の発生だったのか。これらは今後のチェック・アップで判明するのでしょうが、何れにしてもこれからの検査が大切で、その結果次第では私も再びアクションを変えなければならない訳ですが…。

まあ、こればかりは自然の成り行きに任せるしかありませんので、先生から入って来るであろう電話連絡をじっと待つのみです。(まあ、曖昧ながらも親父からもテキストは入るでしょうが)

患者家族の気持ちの理解という貴重な経験をこういった形で味わっている今日この頃の自分です。

2024年6月9日日曜日

手練れの物書き

世の中には凄い書き手がいることを改めて知りました。

そもそもこの人を何から知ったのか今でははっきり思い出せないのですが、ネットでアマゾンの何かの書評を読んでいたときにそれに関連付けられてページのずっと下にヒョコッと出てきた位の感じだったと思います。

しかし、何らかの理由で「みかづき」という本が高評価を受けているのを見てその内容に関する短い記述を読んで見ました。すると2017年の本屋大賞第二位と書かれているではないですか。

読んで面白いという意味では芥川賞や直木賞などよりも私はこの賞の方をよっぽど信頼していますので、その年の1位や2位というのはかなり信頼の置ける評価を受けていると考えて良い本。しかし、私は恥ずかしながらノンフィクションにかなり寄った読書をする人間なのでこの「森絵都」という作家さんを存じ上げませんでした。

自分がアメリカにいる頃に日本で盛り上がったいろいろな音楽、本、出来事を知らないままで過ごしていましたので、人生の中で抜けている大事なオブジェクトというものがあっても全く不思議ではありません。

そして、この本の中古が一部安く売られていたのでオーダーしたのです。家に到着したのは親父が倒れる前のこと。しかし、何の前提条件も無しに読み始めたらまさにpage turner状態でして、全く読み止めることができません。

親父のことで一旦宮崎に飛んでいろいろと仕事をする間は本を手にする暇もなかったのですが、名古屋に帰ってきてからは深沢七郎の種々の著作を脇に置いておいてでも読みたくて仕方ない状態。

これほどまでに自分の読書意欲を掻き立てる小説というのは浪人が決まった時に読んだ吉川英治の宮本武蔵以来です。

ネタバレになるので例の如く中身に関しては一切書きませんが、人を惹き付ける魅惑的な内容構成が私の生きてきた時代にビシッと重なっていることもありますが、登場させている人物達のキャラクターの肉付けの巧みさとその交差のさせ方が、ただただ絶妙過ぎて感心するしかありませんでした。

世の中にはこんなに文章を書くのが上手い人がいるんだという溜息しか出ないという状態。もちろん、陰で物凄い努力もされているということは想像に難くないのですが、それを認めたとしても才能がないと到達出来な世界を構築しているな~というのが正直な感想。

ただ「凄い!」と感じました。読まれた方も多いのでしょうが、文庫本600ページ以上の本なのに全く短いと感じる読者は恐らく多かったのではないでしょうか。

この方の他の本、やはり読んでみるべきだと素直に思ったのでした。

2024年6月8日土曜日

両親の終活において何を優先させるか

今回の親父の一件で「いろいろと」腹を括る状況になってきたことはいよいよ明白でした。

親父がいくら私に「大丈夫、心配せんでも良いから」とか言ってきたりしたところで、全然大丈夫でない事はもう明々白々。何時倒れてもおかしくないどころか既に一回こういう形で倒れてしまいました。orz

あと二か月で86歳を迎える親父の様な年齢においては来年は勿論の事、半年後に生きていなくとも世の中の方々は驚かない訳で、平均寿命84.45歳と言われる現在の日本人男性の平均値を一歳以上超えている訳ですから逆に立派なものです。^^

さて、これからどう動くべきかという所ですが、弱った二人の老親を田舎に打ち捨てておくわけにはいきませんので、名古屋に連れて帰ろうという風に考えを変えました。親父は私の嫁さんに「迷惑を掛けたくないから」の一点張りで名古屋の方への引っ越しを躊躇っていましたが、私にとっては何かある度に宮崎へ戻る事の方がよっぽど大変です。それに、そういった引っ越しや移動に関して嫁さんが関与するポイントはほぼありませんので、というか関与しないようにセットアップしようと思っています。

幸いな事に名古屋の方にはそれなりの数の老人の収容施設がありますので、そこに夫婦で入って貰うというのが息子としては一番かなという気がします。

お金に関してはなんとかかんとかやっていけると楽観視しています。二人の年齢の世代は、贅沢さえしなければ、施設入所しても、まだ何とかギリギリ年金と生活費のバランスが取れるくらいのインカムはありますし、入所さえしてしまえば両親もそれほど金を使うような事態にはならないだろうと理解しています。

まあ、万々一の場合には今まで親父に向けて送金しておいたキャッシュ(<全く手つかずの状態)のものを少しずつ切り崩せば良いようにしてはあるのですが…。

こうやって移動させた後に、家の片づけや家に残っている諸々の物品の更なる廃棄を進めなければなりません。名古屋への施設移動においては最小限の携行品と道具を持って移動という形にして、そこでどうしても追加で持っていきたい物があればその時は別送便という事になるのでしょうか。

その上で、宮崎の実家をどう処分するのかよく考えていく必要があります。生きている間ならまだしも、法律の改正により空き家を放っておくと大変厳しい事になるという事実も解っていますので、こちらはこちらで手続きを進めていかなければなりません。

家を売るなり人に貸すなりですが、あんな田舎の家が売れるのか?そして借りるような人は居るのか?というのは巨大な疑問でして、結婚していないいとこにでも住んで貰うとか選択肢を幾つか考えてしまわなければなりません。何れにしても、私にとってみれば親父達の家も含めて相続税の対象となる様な3000万の価値などは無い訳で、とにかく「負債」にさえならなければ良いという風に考えています。

とは言え、少なくとも数回はこれから数年で宮崎との間を行ったり来たりせねばならんのだろうと思うと私の年代周辺の同じような境遇の人達は皆同じような状況にあるのだろうと思うと、思わず呟いてしまいます。

「全国の同志よ、頑張ろうぜ」と。





2024年6月7日金曜日

親父のアホさ加減

今回の親父への見舞いで発見したことがありました。

それは親父が高血糖を指摘されて糖尿病だと言われていた事。親父がどんな食生活をしていたのかは凡その推測でしか解りませんでしたが、ほぼ間違いなく料理の出来ない昭和の独身男レベルの食生活だったようで、それは冷蔵庫とその周辺の食料品を見て容易に理解できるようなものでした。

サトウのパッケージ御飯、冷蔵庫の中の幾つかのトマト、そしておばちゃんが買って来てくれていた6枚切りの食パン、そして大問題だったのがカルピス・ソーダでした。栄養学的な質で言えばもう滅茶苦茶と言えるようなものであったろうという事。ただ、親父は奇麗好きな人間なので、水場の周りが奇麗な事だけは救いでした。

何故カルピス・ソーダが今回大問題だったのかというと、それはそのストックの量。今回の大掃除にあたって倉庫の中も当然片付けたのですが、その時に発見されたのは夥しい数のデカいカルピス・ソーダの入った段ボールケース4箱でした。

一箱の中に8本入っていますので、全部で32本のどデカいカルピス・ソーダが親父の胃袋を満たす予定だったようですが、そもそもが親父は甘いもの好きの上に糖尿病と判定を受けた身。それを飲んでいた事実を知っていた叔母さんによると、コカ・コーラは医者から飲んでは駄目と言われたから飲まないようにしていたようですが、「これだけは止められん」とか言ってこのカルピスソーダは飲み続けていたという愚かな選択。

コーラもカルピスも500ミリ・リットルで角砂糖換算で17個分の砂糖が入っています。ここにいろいろな飲み物の一覧表と共にその砂糖の量が書き込まれていますが、何の差も無い程のエグイ糖分量。

本当にアカンと思いつつ、その足跡を辿るかのように太ってしまう息子も同じアホなのでした。飽食の時代にはその入り口を絞る忍耐力と知性が無ければ健康長生きは出来ないのです。解っています。ハイ。


2024年6月6日木曜日

今回の帰省で見つけたこと

今回の帰省、親父の「病」云々とは全く別に愉しみも見つけました。

今回、家の洗濯機の水道の接続口が壊れていたために水漏れが発生するらしく、新品の洗濯機が購入して設置してあったにもかかわらず、その使用は不可でした。という訳で、ネットで近場のコインランドリーを調べて息子と自分の洗濯物を持っていくこと二回。

そもそも日本でコイン・ランドリーを使った事が無く、メリーランドでアパートメントに付属の原始的なコインランドリーを使ったことがあるきりです。

ところが、今回使ってみた日本のデカいコインランドリーのマシンのシステムにびっくり。何と洗濯・乾燥の終了5分前に自分の入力した電話番号にそのお知らせをしてくれるシステムになっているのでした。( ゚Д゚)

使い慣れている人から見れば「お前21世紀の今頃何を言っているんだ?」と馬鹿にされそうですが、私個人は単純に「おお、これはイイ!」と感じ入った次第です。
これが例のコールシステム
左のボタンで電話番号入力
日本のマシンはやっぱりスマートで、無骨さの欠片も無いです!
(追記)と書いていたら、今のコインランドリーは現場の空き状況もお知らせしてくれるシステムが結構普通だとか…。ネットが繋がると凄いもんですね。

そしてもう一つ感慨深かったのは超久し振りに運転した軽自動車でした。レンタカー屋さんに行くと、その飛行機の到着する時間帯で車が残っており、かつ貸し出しをしてくれるのは一つのレンタカー屋さんの一台しかなかったのですが、それがスズキのエブリーバンでした。

もうこれが何時も自分の乗っている車とは異次元の操作感の違いで、大学の時の軽トラ運転バイトを思い出しました。^^

何といっても100キロを出すのが命がけ。w しかも、ターボが付いていないのでしょう、トルクが劇細で他の軽にもバンバン追い抜かされていくし、カメラが付いていないのでバックするのが怖い。更に前方カメラも無しで、オートブレーキも無し、運転支援ももちろん無し。ドアもペナペナ感が強く、トンネルの対向車線では他の車がぶつかって来ないように祈るのみ。

昔、整形外科のバイトに行っていた時に、軽トラのオジサンが瀕死の重傷を負っていたのに、ぶつかった側の当時の初代セルシオは全く何も起こっていなかったのを知っていたから、軽自動車は基本「棺桶」という意識しかなかったからです。

どんなに頑張っても、そのガタイの小ささ故に内部の人間を守り切りません。(それが私がN-oneのデザインが大好きなのに買わない理由なんですが…)

でも、基本的にこの運転感覚は非常にヒトにはフィットするというかナチュラル。飛ばしても何しても、能動的運転には愉しみがありました。ぶつかられる事さえなければ、未だ選択肢としては考えないではない日本の大発明なんですが…軽自動車の規格を政府が買えない限り無理ですね!



2024年6月5日水曜日

本日一旦名古屋へ帰ることに

朝の九時から従妹の運転する1.5トン車と叔父さん叔母さんがやって来てくれました。

病に関して言うと、親父の方からは勿論連絡は無く、(幸いなことに)病院からも連絡が入りません。便りが無いのは良い報せという感じで鷹揚に待つしかないのが患者家族の辛いところ。とは言え、既に一昨日に外科の先生と出会った時点で一切を委ねましたので、あとは親父の回復力と運の要素に賭けるのみです。

さて、大人四人(息子は部屋の中でソファに座ってYoutube!)での作業の捗り具合はやはり特筆もので、昨日から積んでいた山の様なごみの塊と袋を手際よくトラックに詰めていくことが出来ました。

1.5トンのトラックが一回目にゴミ処理場に出て行った後に自分と叔母さんで家の周りに散らばる土のみ入っている植木鉢の類をほぼ全て掻き集めて、ごみ処理場に搬出する事によって家の外観もバチっと奇麗になりました。その上で、やたらと出ていた洗濯物の物干し竿もお隣の老夫婦に邪魔にならないようにきちんと整理。これで何とか形になりました。

後は親父の部屋ですが…まだ触りますまい。

さて、こうやって手伝ってくれた叔母さん達とその次女たる私の従妹に対してお昼休みの食事を提供し、最後にお礼としての心づけを渡そうと考えていたのですが、この後、息子を連れて鵜戸神宮に行き、レンタカーを返して午後5時40分のソラシド・エアに乗り込もうと考えていたので、ぎりぎり時間が足りません。

そこで、叔父さんに御礼を渡そうとしたら「バカか~!」と笑って言われるし、従妹に渡そうとしても「いっちゃがいっちゃが(結構、結構~位の拒否の意味)」と言って押し返されます。それはならじと三度押し返し、彼女の手の中へ。「なんか厚いが~、こんなに!」と言われましたが、その程度のお礼は当然と考えて渡しました。なによりも、これから親父達の緊急時に何かとお世話になる事は目に見えていますから、それでも少ないと感じたくらいです。しかし、余り渡すとまた向こうが負担感や義務感を感じる事にもなるのでその「具合」が難しかったのですが、それくらいで良かったと思います。

さて、叔母さん達と写真を撮って家の鍵をかけて鍵を渡した後に一路「鵜戸神宮」へ向かいました。車で50分ほどで到着。歴代の天の皇后両陛下が必ず一度は訪問される由緒ある神社です。ここの有名なものと言えば運玉。5個200円で亀石の中の穴に、男は左手で女は右手でという感じで投げ入れるのですが、運動音痴の私は一個も入らず。w
写真の真ん中やや右辺りに見えるのが亀石です。
その背中に小さい穴が開いているのが判りますか?
そもそも、距離感が掴めません。況や左利きの息子は球を握ってやる気も無く手前に落とすのみ。親子揃ってこういう事は不細工です。

鵜戸神宮から飛行場への帰り道には更に堀切峠という風光明媚なところへ寄り、マンゴー味のソフト・クリームを息子と食べながら眺めを満喫いたしました。
実際に見ると現実離れした風景です。
やっぱり植物相が異なり、愛知には無い景色を創り出しています。
最後に飛行場へ戻ってレンタカーを会社の人に引き渡し。3日で17.000円でした。安い!

飛行機にも何の支障も無く乗り込んで、息子と空の眺めを楽しみながらの名古屋到着でした。実を言うと、ソラシド・エアの出発時に救命胴衣の説明をしてくれたお姉さんが、奇麗というか何というかアンドロイドの様な化粧をした人で、オジサン思わず魅入ってしまいました。w

まあ、こうして無事に家に辿り着いた訳ですが、次回は車で帰るのもアリかも?と思ったのですが、疲れるかな。

2024年6月4日火曜日

爺さん婆さんの終活手伝い状態

 結局、今回の帰崎以前、昨年宮崎の実家に帰った時に大掃除をした話はここにも書きました

しかし、その時に感じたのは少なくともあと二回はこのレベルの大掃除をしないと、宮崎の実家は片付かない、というか自分で考えるところの「普通の家」にならないなというものでした。

今回、必要に駆られて実家に戻った訳ですが、親戚のおばさん達がその次女と共に再び家を訪れて来てくれたため大掃除の進み具合はかなりのものでした。やっぱり一人で頑張っても、その疲労感と進捗状況の限界はなかなか厳しいものです。しかし、一人だけで相当のレベルまで進めていた事もあり、自分の満足いくレベルでの仕上げが出来たと思っています。

ゴミ自体の送り出しは明日の午前に行うと決めてはいたのですが、数人で家の周りをぐるりと回って明日はコレもコレもという感じで土の入った大量の植木鉢(もちろん鉢の中に既に植物は生えていない!)や謎のプラ缶等、山の様にある使用後の種々のものも捨てていかないといけません。

明日の搬出で果たして1.5トントラック二回の移動でこれが終了するのか…。心配になるレベルでした。それはさて置き、今回の大掃除では前回の大掃除と組み合わせる事で相当家が片付いたな~と言う実感が「ようやく」湧いてきました。

家の中の美しさは相当のレベルに達し、どうしようもなかった家のカーペットなどは全て除去され、要らないと(私が)考えた家具類の最後のピースは全て消えた感じとなりました。

但し、親父のきちんと片付いた部屋は親父へのrespectを示す為に一切触りませんでしたので、何がどこにあるのかは今回も全く判りませんでした。病院では叔母さん(親父の妹)に、「俺に万一の事が有ったらXXに大切なものは全部ある」等という事を言っていたみたいですが…。

あと一回行ったとして、それが何時になるのか?

余りネガティブな事は考えたくはないのですが、今回の親父を見た感じでは恐らく年単位で先の事ではなさそうな気がします。

2024年6月3日月曜日

昼過ぎに親父の入院する病院に行ってみると…

親父の入院した病院が今日の昼過ぎから面会を許可するシステムと判っていましたので、それまではガンガンに家の掃除に注力しました。

前回ここに帰ってきて嫌という程大量のものを捨てて捨てて捨てまくって大掃除をしましたが、その時の感触では少なくとも親の終活の為には「ある程度の形をつける」だけでも、あと二回はここに来ないといけないとは思っていました。問題はどういう形でそれを実現させるのか、とぼんやりと考える程度。しかし、こういう形での強制的な帰郷がその一回目になるとはちょっとネガティブですが、両親ともに85前後ではそう云うもんでしょう。

この前完璧に奇麗にしたはずの部屋は再び親父の出してきた衣装ケースがタワー二つ分ほど積み上げられ、こちらが溜息をついて脱力するほどの駄目さ具合。

やはり、こういう事態を許容しない為には半強制的に物を捨てていくしかありません。親の自分の家だからと言っても既に今年86にならんとする歳。そもそも、その年齢で何を目的に大量の被覆類を溜め込んでいるのか?貧乏をバックグラウンドにして育ってきた世代はモノを溜め込みそれを捨てることが出来ません。

そもそも「モノを買わない、増やさない」という事を美徳とする私のメンタリティーからはとても遠いところにある親父と母親の世界です。こんな人達が金が溜まる筈も無く、大呂いうのゴミを淡々と捨てながら思うのは「貧乏人というのはモノに囚われてモノの奴隷になってしまっている人達なのだな~」という強い実感。

モノを買うにしても、それが購入によって更に金を産むという投資という思考回路が完全に欠如しています。まあ、親父達の世代では株式投資などは親の仇レベルの世界の話でしたから仕方ありませんが…。

取り敢えず、前回と同じように勝手口からバンバンバンバンと不必要、若しくは二度と使うまいというものを中心に捨てていくと共に、家族の歴史として必要かと思われるものはきちっと仕分けしていきました。結局は前回同様「山の様に」ゴミが積み上がり、それとは反対に当然の様に家の中は奇麗になっていくのでした。まあ、親父が退院してきたら腰ぬかすかな。どうせまた文句言われるのは覚悟の上です。w

さて、昼過ぎに病院に行くと担当の外科の先生から早速自己紹介と親父の状況説明、データの提示などがありました。お互いに医師だという事で話は簡単。スムースに話は進みましたが、昨日の数値8,000に比べてWBCが22,000へと急上昇。CRPも17と相当な上昇です。

今、スルバシリンという抗生剤を使って対応しているとの事でしたが、薬が効く事を祈るばかりです。

本質的には一旦待機して造影CT、安定化したらGIFを行って穿孔の原因を調べたいとの事でしたが、オペを行う状況になるとしてもラパロでいきますとのことでした。まあ、今風ですね。何れにしても先生を信じてお任せするしか私には手がありませんので、このまま見守るのみです。

この後、親父と会ったのですが、やはり衰え著しく年齢を感じさせる状況でした。腹が少し痛くなったとの事ですが、応答は普通に出来ました。何れにしても齢85ですから、余力という意味ではなかなか厳しいものがあります。

それでも、息子と一緒に行くと一瞬目が潤んだ感じですが当然ですよね。あと何回会えるのか、、、そして元気に戻って来るのか。Godspeedという感じです。

別れは惜しかったのですが、ここは先生の腕と親父の運を信じて一旦お別れ。長男と爺さんのツーショットなどを撮って記念にしました。

その後、今度は母の入所している施設へ。ちょうど三時ごろに面会可能という事で久しぶりの母親との再会を果たしました。なんだか親父より遥かに元気で、記憶力は落ちてはいてもきちんと私と孫の名前を言えるし、施設では楽しくやっているとの事でしたが、相変わらずの空元気。歩く力が随分落ちていて、86歳の婆さんという感じでしたがいろいろと20分ほど世間話などをした後も、職員の制止を振り切って玄関まで見送ってくれました。

こちらもあと何回会えるのかな~とは思いましたが、幸せそうで何よりでした。ショックを与えるのは避けたかったので、親父の件は全く話しませんでしたが、そもそも私が来たのに大きな疑問も持たず「たまには会いに来んとな~」という私の軽い言い訳をスッと受け入れてくれたのはラッキーでした。

息子を連れてそのまま実家へ帰宅。

後は再び淡々と掃除を続けた残りの一日でした。

2024年6月2日日曜日

驚愕の電話と追加の驚愕

朝寝ていたらブルブルと電話が鳴りだしました。

行為のはほぼ間違いなく勤務先の患者さんからの電話。正直、あんまり良い気分ではありません。それでも出るのは当然ですから、電話口に出ると、聞き慣れない男性の声で「あ、もう伺っているかと思いますけど、お父さんのCTではfree airが見られてまして~、恐らく先行部位は十二指腸か胃だと思います。癌の可能性も当然お父さんにはお話ししていますが~」と、立て板に水。

ベッドの上で「あ、いま初めて伺いました。何時運び込まれたんですか?」と逆にこちらから伺うと、昨日の夜11時ごろからずっと痛くて、それを我慢していたらしいのですが、朝になってついに我慢できず救急車を自分で呼んだとの事…。orz

以前から心窩部がシクシクするから胃カメラをしてもらう様にかかりつけの開業医にお願いしていたにもかかわらず、ただ笑ってやり過ごされていたとの事。ハッキリ言って怒りを覚えます。自分で出来なければ出来る医師に紹介状を出せばよいだけの事。前から親父には「何でそんな医者に義理立てするんだ?」と半分叱りつけていたのですが、良くない形で案の定の状態が出現してしまった訳です。

この段階でいきなり入院先の救急室から私に電話。とってみると親父からでした。「今、病院に~」と先ほど先生から伺った事を私に再度話します。どうやら電話口の向こうで看護師さんに窘められてまさに今、上の消化器外科の病棟に移動という所だったみたいです。

今回の驚きのインシデントに絡んでいつもの様に親父の妹である叔母さんが病院に駆けつけてくれたのですが、その叔母さんが更に驚愕の追加情報を話してくれました。それは「あんたのお父さん、先月の二十日過ぎに赤信号を無視してバイクでにぶつかって、左膝をケガしてるよ!怒られるから言わんでって言われてたけど~」と打ち明けてくれました。

もうね、何をやっとるのかうちの親父。orz

さて、ここからが私の問題。親父の状況確認と万一の手術の時の為の同意書にサインをする必要があります。この時点で既に飛行機の時間と値段、座席の空き状況のチェックを開始。飛行機好きの息子と二人で行けば、障碍者割引で宮崎まで夕方から飛べます。本当は昼過ぎの便もあるにはあったのですが、車のドアの修理で丁度車を出していて、夕方前にならないと自分の車も返ってこないばかりか台車も返せなくなってしまいますので、夕方まで待ちました。

夕方の便に息子と飛び乗って久しぶりのフライト。宮崎ブーゲンビリア空港に着いて、ネットで予約していたレンタカーを直ぐに受け取って、田舎にある叔母夫婦の家へ直行。今回の件でお礼を言った後で今後の対策について予定を話して家を辞し、預かって貰っていた我が家のカギを受け取って息子と久しぶりに家帰ってきたのでした。

今日はもう遅いので、万一の事が無い限りは病院にも行きませんし、病院から電話がかかってくるような事が万一あればそれは相当な緊急事態。そう思いながら布団を敷いて息子と二人で寝床に就いたのでした。

2024年6月1日土曜日

奇跡の回復

昨日の患者さんは戻って参りました!

数時間ごとに状況は聞いて指示を出していたのですが、明確に体動が強くなってきているのは良いサインでした。最初は対光反射も無いような状態だったのには参りましたが、恐らく喉に詰まっていたチキンが平べったい感じで大きすぎたのもあって、極わずかな隙間があったのではないかと推測しています。もしそれが無ければ…。

精神科の患者さんは統合失調症や認知症に関係なく、一気にご飯を食べようとする人が極わずかなんですが必ず存在します。特に今までで最悪だったのはパン。当院では以前日曜日には食パンを患者さんに提供するのが多くの患者さんにとっての日曜昼の愉しみだったのですが、余りにもたくさんの方々が窒息のインシデントを起こすので当院では禁止としたところ、いきなりインシデント急減と相成りました。

しかし、今回はチキン。それでも幸運な事に患者さんはレスキュー後に急速な回復を見せてくれました。医療者側にとってはこれくらい嬉しい事は有りません。

肺炎も起こさず、意識も翌日朝までにはほぼ回復。昼に私が病棟に行って患者さんと話をしたところ、窒息前後の事は全く覚えていないとの事。そういうものだと思います。少なくとも窒息のインシデント後数時間は対光反射も無かったくらいですからそれは当然かと。

それはそれとして、昨日のお話を患者さんにして「良かったですね~」と言ったところ、ポロッと涙を流されて「どうしちゃったんだろう」と一人呟いていたのが印象的でした。

数日以内には再度の経口摂食に戻していって、もとの精神科病棟に戻って頂こうと思っています。^^