2024年6月3日月曜日

昼過ぎに親父の入院する病院に行ってみると…

親父の入院した病院が今日の昼過ぎから面会を許可するシステムと判っていましたので、それまではガンガンに家の掃除に注力しました。

前回ここに帰ってきて嫌という程大量のものを捨てて捨てて捨てまくって大掃除をしましたが、その時の感触では少なくとも親の終活の為には「ある程度の形をつける」だけでも、あと二回はここに来ないといけないとは思っていました。問題はどういう形でそれを実現させるのか、とぼんやりと考える程度。しかし、こういう形での強制的な帰郷がその一回目になるとはちょっとネガティブですが、両親ともに85前後ではそう云うもんでしょう。

この前完璧に奇麗にしたはずの部屋は再び親父の出してきた衣装ケースがタワー二つ分ほど積み上げられ、こちらが溜息をついて脱力するほどの駄目さ具合。

やはり、こういう事態を許容しない為には半強制的に物を捨てていくしかありません。親の自分の家だからと言っても既に今年86にならんとする歳。そもそも、その年齢で何を目的に大量の被覆類を溜め込んでいるのか?貧乏をバックグラウンドにして育ってきた世代はモノを溜め込みそれを捨てることが出来ません。

そもそも「モノを買わない、増やさない」という事を美徳とする私のメンタリティーからはとても遠いところにある親父と母親の世界です。こんな人達が金が溜まる筈も無く、大呂いうのゴミを淡々と捨てながら思うのは「貧乏人というのはモノに囚われてモノの奴隷になってしまっている人達なのだな~」という強い実感。

モノを買うにしても、それが購入によって更に金を産むという投資という思考回路が完全に欠如しています。まあ、親父達の世代では株式投資などは親の仇レベルの世界の話でしたから仕方ありませんが…。

取り敢えず、前回と同じように勝手口からバンバンバンバンと不必要、若しくは二度と使うまいというものを中心に捨てていくと共に、家族の歴史として必要かと思われるものはきちっと仕分けしていきました。結局は前回同様「山の様に」ゴミが積み上がり、それとは反対に当然の様に家の中は奇麗になっていくのでした。まあ、親父が退院してきたら腰ぬかすかな。どうせまた文句言われるのは覚悟の上です。w

さて、昼過ぎに病院に行くと担当の外科の先生から早速自己紹介と親父の状況説明、データの提示などがありました。お互いに医師だという事で話は簡単。スムースに話は進みましたが、昨日の数値8,000に比べてWBCが22,000へと急上昇。CRPも17と相当な上昇です。

今、スルバシリンという抗生剤を使って対応しているとの事でしたが、薬が効く事を祈るばかりです。

本質的には一旦待機して造影CT、安定化したらGIFを行って穿孔の原因を調べたいとの事でしたが、オペを行う状況になるとしてもラパロでいきますとのことでした。まあ、今風ですね。何れにしても先生を信じてお任せするしか私には手がありませんので、このまま見守るのみです。

この後、親父と会ったのですが、やはり衰え著しく年齢を感じさせる状況でした。腹が少し痛くなったとの事ですが、応答は普通に出来ました。何れにしても齢85ですから、余力という意味ではなかなか厳しいものがあります。

それでも、息子と一緒に行くと一瞬目が潤んだ感じですが当然ですよね。あと何回会えるのか、、、そして元気に戻って来るのか。Godspeedという感じです。

別れは惜しかったのですが、ここは先生の腕と親父の運を信じて一旦お別れ。長男と爺さんのツーショットなどを撮って記念にしました。

その後、今度は母の入所している施設へ。ちょうど三時ごろに面会可能という事で久しぶりの母親との再会を果たしました。なんだか親父より遥かに元気で、記憶力は落ちてはいてもきちんと私と孫の名前を言えるし、施設では楽しくやっているとの事でしたが、相変わらずの空元気。歩く力が随分落ちていて、86歳の婆さんという感じでしたがいろいろと20分ほど世間話などをした後も、職員の制止を振り切って玄関まで見送ってくれました。

こちらもあと何回会えるのかな~とは思いましたが、幸せそうで何よりでした。ショックを与えるのは避けたかったので、親父の件は全く話しませんでしたが、そもそも私が来たのに大きな疑問も持たず「たまには会いに来んとな~」という私の軽い言い訳をスッと受け入れてくれたのはラッキーでした。

息子を連れてそのまま実家へ帰宅。

後は再び淡々と掃除を続けた残りの一日でした。

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