2024年5月31日金曜日

ワイン飲んで寛ごうとしていたら…

連日の濫読とネトフリ視聴で疲れていたため、夕食後に7時過ぎ位から眠くなってきている所でした。

8時直前だったでしょうか、電話が鳴っているのに気づいて画面を見てみると病院から。サクッと電話をピックアップして会話を始めると、師長の切羽詰まった声で「先生窒息です。当直の先生が未だみえてなくて!」との説明。

取り敢えず別の先生の指示で大量の酸素を投与して何とか60-80%程度の酸素飽和度を示しているとの報告でしたが、実際の酸素飽和度は恐らく5割に届いていないのは確実なレベルの数値です。(ボーアの乖離曲線というのがありまして…)

このままでは脳や体組織に絶大なダメージが降りかかって確実に逝ってしまいます。電話で状況の遣り取りをしてみるとどうやら家族はDNARという事で万一の際には何もしないとなっているようですが、これは明らかに窒息という事故ですからレスキューの試みは必要と判断し、病院へ直行です。

その途上でも話を続けると、内科の当直ドクターが来ていないばかりか来ている精神科のドクターは高齢で、この手の事は何もできない人で、勿論、マギール鉗子や喉頭鏡などを使い気道の異物を取り除くなどという事は全く期待できません。

病院には10分弱で到着してナース・ステーションに飛び込むと、その爺さん先生は背中を丸めてただポツンと椅子に座っているだけ。何の仕事もしていません。直ぐに看護師さんに案内してもらうとモニタが付いた状態で血圧は表示されず、酸素飽和度は50%程度を切りそうで、表示が途切れがち、更に心拍数は30を切っていてまさに「天に召される5分前」状態。

直ぐにラテックスのゴムを手に嵌めて喉頭鏡で喉を観察すると、ピンポン玉のようなものが気道の入り口をどっかり塞いでいるのが確認できました。マギールでそっと掴むとかなり柔らかい表面を持った物体が触れて、それをゆっくり摘まみ出すと巨大な肉片が…。

合計4個のチキンの塊が取り出され、最大のものは5x3.5x1センチのサイズ!これでは気道も全く塞がれてしまいます。恐らく極僅かな隙間からエアが入ってくれていたため、死には至らなかったのだとは思いますが、それでももう死亡直前の状況でした。

除去後は急激に心拍数が上昇し120程度に。血圧も酸素飽和度もガッと戻りましたが、呼吸状態は不安定、かつ対光反射も減弱しており、脳がダメージを受けている可能性が大でしたので、今晩一晩の事を考え気管挿管にて呼吸管理を行った状態で点滴を開始しました。

血圧が低下し始めたので、そのコントロールを行いながら導尿も開始。遠くに住んでおられる家族に連絡を行って状態を報告、その頃にやっと着いていた当直医に話を継いで帰宅しました。明日までにどうなっているか。戻ってくれると良いのですが…。

それにしても…大学の先生はカンファレンスなんかで遅くなる事が多いので、常勤医の滞在時間と当直医の到着時間の差を考慮しないとこんな事が起きると前々から言っていた事がまさに現実に起こってしまいました。

情けない話です。

2024年5月30日木曜日

親は選べないというけれど…(親ガチャ)

世の中上には上が、下には下があります。

口で言うのは容易な事ですが、現実にその実体の中でも最低のド最低を見せつけられると、それを知ったこちら自身が落ち込むほど酷い話というものが世の中にはあるんだなと改めて知るのでした。

話はぼかす為に敢えてある程度の嘘を混ぜて話したいと思いますが、最近二件ほど立て続けにそっくりな話がありました。それは心理的トラウマを受けて入院した若い人達の話。私の場合は女の子。

家庭環境は超複雑で、彼女の兄弟は5人いてその五人とも父親が違う!という感じ。その母親は既にその五人全員と別れているのですが、新たに6人目の男と同居中。そしてその男は完全なヒモ男かつその筋の人間。小指がありません。orz

まあ、絵に描いたようなクズ男と、ダメ男依存体質の母親の下に生まれたその女の子。よく今までサバイブして来たなと思ったら、その女の子の話を聞くと自殺企図も数年前やってしまっていたとの事。これ以外にも本当に地獄のような環境で育ったことを確認するようなイベントが次々に明らかになって、聞いているこちらの魂が冷えてくるほどでした。

ダメ男に依存する母親こそがそもそも全ての間違いの大本だというのは明白なのですが、それに絡みついて来るクズ男達も世の中には掃いて捨てる程いるのだという事が良く理解できる話です。

涙をぽろぽろ流しながら家族(と言って良いのか?)の話をする姿を見ていると、彼女には申し訳ないのですが、心の底から「こんな家庭に生まれなくて良かった」と思うのでした。

実はこの6番目?(子供が関与していないレベルであれば恐らくもっと男と繋がっている筈!)のクズはこの女の子の名義である高級車をローンを組んで購入させ、彼女がお金を払えなくなってブラックリストに載り車が差し押さえになるとこのクズ男はこの女の子を逆恨みして逆切れし、毎日何回もドスの利いた声で脅迫して来るんだそうです。流石はクズ。

この女の子はパニック・アタックを起こすようになったようで、私の外来にてんかんの可能性を否定する為にやってきたのでした。

おまけに最近はこの女の子と仲良くなって一緒の職場で頑張って仕事をしている男の子の家にも脅しをかけている様子。

恐らくこの男、反社かヤクザとしての歴がある筈ですので、警察にも相談して身を護ると共に塀の中に再度落ちて貰う事を提案しました。歴がある男の今回の行為は恐らく確実に脅迫罪としての塀落ち案件。再犯以上であればなおの事、あと10年ほど塀の中で正座する生活を送って頂きたいものです。そしてまた、このダメ母親とも離別する事を提案したのですが、何と彼女既に戸籍は分離したとの事!これには拍手でした。

世間では親ガチャが何とかとか言いますが、この女の子の生まれ育った背景に比べれば、ほとんど全ての残りの人間は幸運の星の下に生まれたと言っても良いのではないでしょうか。

この子の話、それほど脚色しなくても充分にテレビ・ドラマになってしまうでしょう。

彼女のこれからの人生に彼女に関係のない人間からの影が差さないものである事を強く祈る私でした。

2024年5月29日水曜日

年に数回しか無いまったり日

今日は年に数回しかない月五回目の水曜日。

バイト先との関係できょうは完全なオフの日なので自由に一日を使える贅沢な日でした。何といっても「土日で無い日」にそこらあたりを自由に歩き回るというのは私にとって真の贅沢!

最近はずっと空いた時間にはいろいろな気になる本をランダムに読み漁るというのが日々の愉しみになっておりますので今日はそれに全振りするというのもアリなんですが、こういう日にこそ、それなりに…出来る事、しなければならない事を済ませるのも貧乏庶民の日常の一断片。

という訳でまず初めに髪を切りに行きました。w

寝癖が付き始め、両脇のボーボー感が少しずつ出始めていたので、この日しかない!という感じで切りに行ったのですが、こういう「ごくフツー」の日に世間ではどういう動きで人々が動いているのかを知るのは大変貴重です。

床屋に行くと昼前にもかかわらず三人のおばさんが椅子に座って待っていましたし、既に3人の人間が髪を切られていましたので、こういう何でもない水曜日にあって、引退した感じの年齢の人間というのは基本的にどこにでも湧いているという事実を再確認。一方、当然のことながら若者は見当たりませんでした。

「今日はどうされます~?」と女性の理容師さんに問われましたので、「夏向けに短く!」と短く表現して開始。「両脇も刈り上げて良いですか~?」と言われたので、「どうぞどうぞ!」とこれまた短く返していろいろと世間話をしながら待つこと20分程度?で終了。

「は~い出来ましたよ!」と言って夏バージョンの短い髪形が完成。例によって後頭部は「寂しい世界」となりましたが、清潔感を失わないのはオジサンにとっては大切な事。コレで良いのです。orz 還暦近くなると毛力が部分的に衰える寂しさを耐え忍ばなければならないのです。ロゲインなどを使う気はサラサラありませんので、このまま氷の世界を一直線です。w

床屋が終了した後はそのまま脱落した仮歯の再接着。なんとも地味な仕事の連続ですが、歯医者にも奥様方や爺さんなどがやって来ているのを確認。仕事終わりにまとめてやってきたり、学校帰りに来る人達とは異なるpopulationがプロセスされているという訳でした。私も引退するような時期が来たらこんなのんびりした時間帯に行動する事になるんでしょうね。しかし、その頃には年寄り人口がさらに増えていて意外と隙間時間の争奪戦は厳しくなっていたりして…。

その後は藤が丘や長久手の周辺をウロウロとして今日一日ののんびりデイを終了。カルディコーヒーなどで杏仁豆腐や変わった紅茶を買い込んでいそいそと家路に着いたのでした。

やっぱり人が働いている日に休みを取るというのは良いっもんです!^^


2024年5月28日火曜日

身体的虐待は即警察へ通報

今回改めて院内に印刷物として理事長・院長名で「虐待」に関する処置の案内が通告されました。

精神科が中心の病院においては一般科と違ってどうしても精神疾患患者に対する虐待のインシデントが発生してしがちな素地というものが存在します。

先ず閉鎖環境に置かれた状況で医療者側と患者とが相対する事自体が最大のリスクとして存在します。目の届かない環境でヘルパーや看護師が精神的に問題がある状況の患者さんと向かい合う事でありとあらゆるリスクが発生します。

粗暴な患者、粗暴な看護サイドという状況が完全に無いとは到底言い切れない、更に看護サイドの暴言が患者の精神を傷つけないとは限らない。そして、身体的接近もしくは接触時に何らかの行為が発生しないとは限らない等という状況が常にある訳です。

その上で、身体拘束されている患者さん、身体の衰弱した患者さん等を一方的に暴力行為等で侵害する看護者側が存在するという事件が毎年毎年どこかの病院で報告されているのは皆さん後存じの通り。

99人のそんな事とは縁の無い看護者が居ても残りの一人に歯止めが効いていなければ事件は起こる訳です。

患者さん側も精神疾患が存在する中で粗暴な言動が口をついて出る場合やパンチ、キックその他の危険な行為を行うなどという事もある訳で、看護側も常にある一定のリスクに晒されているというリスクを負ってはいるのですが、だからと言って患者さん側に何らかの身体的・精神的虐待を返すなどというのは以ての外。

今回の通告は、そういった行為が見つかった場合直ちに警察に通報、そしてそれを見た場合にそれを通報しなかった人間も共犯と見做すというもの。まあ、当然です。歯止めが効きにくい人間には厳しい罰則規定を前もって揃えておくことで、抑止効果をちらつかせる必要があります。

性悪説に基づいて設定しなければならないのが悲しいところですが、やらかす人間が全国で報告される限りこういうセッティングは絶対に外せません。当院からそういう人間が出ない事を祈るばかりですが、起きた時には…院長・理事次長が会見で頭を下げる姿を見る事になるのでしょうか。


2024年5月27日月曜日

たまに居るオカシイ家族

今日は精神科の医師と内科医たる私とソーシャル・ワーカーと看護師の四人で「ありゃ~」という話になってしまいました。

ある寝たきりの高齢患者さんに関して、以前から謎の主張をしてくる困った家族が居ました。母親はある国からやってきた外国人、そしてその娘さんは日本生まれの日本育ちで日本語は何の問題も無いのですが、恐らく確実に統合失調症。

お父さんの状態やリスクを完全に無視してソーシャル・ワーカーも唖然とするような事を次々とやってくれます。

誤嚥性肺炎を繰り返すお父さんに対して我々は何度も嚥下機能訓練を通して機能の回復を試みてきましたが、長い時間をかけてもやはり困難で、良いか?と思う度に誤嚥性肺炎を繰り返すという事ばかりで、現在では中心静脈栄養で命を繋いでいる状態です。

ところが、このお父さんに対して入れ歯(義歯)を作って入れてくれというのです。義歯を誤嚥して死に至るインシデントも発生している中で、この患者さんにとってほぼ何の意味も無いというかリスクしかない義歯を嵌めてくれと言います。

当院の歯科医師が懇切丁寧にその必要性の無さやそれにもまして存在するリスク等の説明をしたのですが、一切無視。とにかく作ってくれの一点張り。精神科医も私もそのリスクを再度繰り返すのですがやはりガン無視。簡単に言うとそれらのリスクを無視してでも作って欲しいという事で念書を作成したのですがもうこれ以外にも、とてもそのおかしさを表現できないような盛りだくさんのおかしな会話が続きました。

そして、その後「もし死んだら、脳死かどうか確認する為に今までお世話になった事のあるXX病院の院長先生に電話をしておきますからそこに救急車で送って下さい。まだ助かると思いますから」等というもう斜め上どころか銀河家の外くらいぶっ飛んだ発言。

もう、そこに居合わせたみんなが「これは…」という反応で、説得自体をあきらめ、そこにいた当院のソーシャル・ワーカーに「今日の話はキチンと記録に残して将来起きるかもしれない裁判に備えておいて下さい」とリクエストしました。

彼女は十分にそのあたりは理解していて、深く頷いて直ぐにPCで作成してくれていました。

この患者さんの娘さんが悪いとは言いたくないのですが、その病んだ思考回路には同情しかありません。お父さんに万一の事が起きないように気を配ると共に、正直なところ何とかして転出をお願いするしかないでしょう。

教科書的な診療では表に出てこない暗いやり取りもあるのが時々起こる病棟の日常でした。

2024年5月26日日曜日

あってはいけない故障

今日も息子と岐阜の旅。

前回の親父達との旅行に行った時に下呂に行く時に道の脇の標識で気になっていた中津川市鉱物博物館に行って参りました。
こんな所に誰が行くという方も居るのでしょうが、見たい、行きたいという人にとってはまさに「絶対に」行ってみたいと思うような人の好奇心に対するリトマス試験紙の様な博物館だと思います。知らないものを見たい、聞いた事の無い事を聞いてみたい、食べた事のないものを食べてみたい、行った事のないところを訪れてみたい!という基本的な欲求を満たしてくれる場所です。

息子と到着して直ぐにいろいろな変った石の数々を見ながら勉強。知っている事も有れば知らない事も有りますが、知識の整理には大変役立ちました。そして、全く知らなかったことはコネリアには鉱物学の発展を担った偉大な人物が2人いたという事でした。やはり、こういう山の中の色々な石が大量にあるエリアにこういった人達が出現したのは単なる偶然では無く、土地が生み出したのだろうと思いました。
地元名物の水晶の色々
また、日本中の大理石が集まっていて、その多様性に驚きました

変わった石がまだまだありますよね~
一時間ほどかけて館内を回った後で、最後にショップで売っていたテレビ石という変わった石を買いました。(透明な繊維状結晶が完全に平行に整列したホウ酸化合物の集合体)紙の上に置くと本当にその置いた部分の文字や絵が奇麗に上の方でも見えるのでした。

最後には外の水晶採取広場に出て行って息子と二人で小さな水晶探しをしました。
時間を変え場所を変え、いろんな家族が親子で出入りしては嬌声をあげていました。w
宝探しは誰でも好きなんですね
息子は何をしているのか良く解らない感じで、石英を集めては採集皿から捨てていましたが、私は小粒なりに黒水晶やミニミニのペグマタイトという構造の中に座っている黒水晶をゲットしました!羨んからザラッと持ってきただけでこんなに変わったものがあるなんて、中津川は鉱物学的には面白いところです。

さて、帰る段になってとんでもない事が起きました。

何と走行し始めていきなり左後尾のドアが開いたのです!アレ?締め忘れた???と思ってもう一度締めて走り出したのですが、やはり開きます・・・。何か挟み込んだかなと思っていろいろ調べたのですが、全くそれは無し。

最終的にはこれは故障だろうと思ってギブ・アップ。そろーりそろりと走りながら近隣のお家に飛び込みでガム・テープを恵んでいただき事なきを得ましたが何ともみっともない姿でした。orz

販売店に連絡をしたら「年に数件あるかなという感じです」と言われ、マジかい!と逆に驚きました。日本車ならこんな事は起きんよな、いくら頑丈でもこれはあってはならんヤバイ故障でしょうと呆れてしまいました。

この交換修理だけで4万7千円!ロック一つですよ?全くこれだからXXXはと愚痴りそうになりました。安全で力強いディーゼルだから長く乗ろうと思って今8年目になりましたが、次もこれで良いのかとちょっと悩み始めています。嗚呼。

2024年5月25日土曜日

病院の職員さんの「三線」発表会

三線(さんしん)という楽器の存在を薄々とは知っていたとは思うのですが、今日初めて眼の前でみました。

沖縄にある楽器で蛇皮線(じゃびせん)というものがある事は知っていましたし、本土で普通につま弾かれている三味線とは明らかに違う節回しの楽器である事も何となく知ってはいましたが実物は初めて、ましてやその演奏を眼の前でみる等という事は予想もしていませんでした。

このHPを読んでみると、いろいろと呼び方はあるけれども三線(さんしん)というのが一番しっくりくる標準的な呼び方のようです。

病院のナースさんでは無いのですが、パラメディカルの人と話す機会があって、その女性が「今度、三線(さんしん)の発表会があるので見に来て貰えませんか~」と話しかけてきたのが事の発端でした。

実際にどれくらい練習してるの?と聞いたところ、「もう小さい頃からやっていて、今度やるのは民謡ですけど実際には私の専門は古典です」という話。古典は滅茶苦茶難しくて、民謡でやる様な楽しんでワイワイみたいなものじゃなく、お師匠さんの下で厳しい訓練を繰り返すんだそうです。

さて、今日の演奏会は千種にある乗西寺という真宗大谷派のお寺。近場の駐車場に車を停めて入ったのは良かったのですが、一階ではマルシェをやっていて二階に上がって演奏会を観ようとしたら、いきなり満席。とてもじゃないけれど除く事も出来ません。とは言え最初は朗読劇の様なものをされていたのでそれが終わるのを待って階段で待機。

11時半を過ぎてようやく演奏が開始されました。まったりとした雰囲気の中よく練習された感じで8人の老若男女が演奏しながら歌ってくれました。お寺のお堂でこういう催し物を聞くのは初めてでしたが、乗西寺のHPを見てみるといろいろと地域のイベントをここで主催されているようで、そんな行事の中の一環だったんですね。

良く知っている曲は「ざわわ~」で良く知られるサトウキビ畑の唄でだけでしたが、その他にも初めて聞いたけれども良いな~と思える曲が二つほどあって、来た甲斐があったと思いました。

全てが終わって席から立ち上がったところ、横から「せんせ~」という声。?と思って左を見ると、病院事務の受付の女性といつもマラソンで物凄い速度で走っておられる歯科衛生士の二人の女性が椅子に座っていました。

「ありゃりゃ、招待されてたんだ!」と言って感想などを話す事数分。一回に降りて別れようとしたら昼飯の話になり近場でなんか昼飯でも食べようか~という流れ。以前から知っているオムライスのお店に案内しようとしたら、何とコロナ禍でオムライスを作らなくなったという驚きの流れを知って中止。迷ったので、知り合いのお世話になっている方にお電話をしたらいきなり「私も食べに行くからてんぷらとお刺身食べない?」との話。

これはヤバイ、奢られてしまうという危機感を持ち丁重にお断りしようとしたらキッパリと断られて即座に予約を入れられて万事休す。orz 接待の達人には全く敵いません。

瑞穂区の大前にお招きいただきいきなりの大御馳走。非常に美味しいヒレカツや刺身で驚いたのですが、私のゲストの分まで払ってしまわれて何だか申し訳ないを超えて情けないオジサン状態でした。

終了後は千種のロピアで女性達をドロップして病院に寄った後、家路につきました。三線の発表会、あればまた行ってみたいなと思った次第です。

2024年5月24日金曜日

いい歳こいてって話

いい歳こいて車や持ち物に何かを投影している連中を見ると一抹の寂しさを感じてしまいます。

物欲とはまた違う、自分を等身大以上に見せる為の道具を求める「いい歳こいた」大人達。名古屋という所は昔からわりかし見栄っぱりが多いところとして知られていますが、車や持ち物に関してもそういう傾向はあるんじゃないかなって感じます。

乗っている車もしかり、持っているカバンなんかも含めて「それあんたに合っとらんよ~」という感じのものが毎日のように見えてます。それパパが買ってくれた車やろ?wとか、ロゴがでかでかと表示されている一点豪華主義のブランド・カバンなんかを持っている娘さんを見てもクスって笑ってしまうしフェラーリやマクラーレンなんかで不必要な加速を繰り返しながら栄の大通りを走るあんちゃんなんかを見てても、パパは中小企業の一族の社長さん?wとか感じるばかり。

まあ、若いうちは中身に自信が無ければそういう「孔雀の羽」みたいなもんで飾るという気持ちは全然あるでしょう。(若い頃から賢い子達はそんな事に興味を示さず質素ですが!)

しかし、これも50超えてまだまだそういう「モノで飾る」という事で世間様にその背の高さを認識させたいというのはちょいと哀れみの気持ちさえ呼び起こします。その足元の高下駄を世間の皆さまの殆どは「あなたの人間的価値」とは思っていないというのが解らないんでしょうか。まあ、解らないからその高下駄を選んでいるのでしょうが。

人間50にもなれば、それなりに何かを成し遂げたり経験したりしているもの。育児も家事も仕事も経験も20代までの発想や経験とは全く変わって来るものではないでしょうか。

もちろん、どんな場合も「ココ一発をビシッと決める」というのはとても大切な事で、それに見合った清潔でに合った服や物を身に纏うというのはこれまた大事。しかし、それは別にでかでかとしたロゴが付いたものやアイコンとなる車に乗る事ではないでしょう。

大人であれば如何なる時もそこらあたりの価値観には「余裕」をもって、飽くまで自分の愉しみととして個人でさり気無く持ったり使ったりするスマートさは失いたくないものだと思います。

2024年5月23日木曜日

一流は問い続ける

「ノムさん」と言っても通じない世代がこれからはどんどん増えていくのでしょう。

私の世代前後で野球を見たことのある人間で野村克也という人物を知らない人は恐らくいないでしょう。主に南海の選手として、そして監督としては南海(選手兼任)、ヤクルト、阪神、シダックス、楽天で智将としてその名を天下に轟かせました。

ノムさんのいろいろな本を読んでいると、己が如何に素質に恵まれない努力の人であるかを訥々と書かれていますが、氏の青少年時代を知る人達の記憶の中では「こんなに素質に恵まれた子供はいない」という感じの事が書かれている点に微笑ましさを感じますが。^^

さて、キャッチャーという知性を激しく要求されるポジションで多くの人間を育て、データという言葉さえ一般的でなかった時代に、データに基づいた野球に日本で先鞭をつけたのはノムさんその人だと言いきって良いと思います。(後妻に関してはデータ無しで選んだ感はありますが…)

何れにしてもその哲学の中心にあるのはわからない事、出来ない事に対して「問い続ける」事で自分の中で消化された回答を得ることの重要性に対する揺ぎ無い信念だと思います。

出来た時も、出来なかった時も常に「何故?」と問い続け、新規の解決策、改良策を模索し続けるそのしつこさこそが人を成功する人とそうでない人に分けていると言っているのを感じます。

言い訳無用。上手く行っている人の方法論を真似る事やそういう人の思考法、方法論を真似てやがては自分の中で消化発酵させていく事で昇っていく高みへのアプローチは、別に野球などという世界に限定すること無く、どの世界でも通用する思考法、方法論だと感じました。

どの世界であっても、トップを極めた人間がもつ哲学を覗き見て学ぶ機会を設ける事で、何がしかの貴重な仮想体験を得るものだなと改めて実感したこの数日でした。

2024年5月22日水曜日

移民は良いけどきちんと選別しないと大変だぞ~

日本では川口のクルド人問題が有名ですが、名古屋にだってクルド人は沢山います。

クルド人同士で殺し合ったり、暴力沙汰を起こしたり、騙し合ったりなんて言う事も頻発しているとは言いますが、それよりも何よりも移民一世というのは現地の社会にはなかなか溶け込ま(め)ないのはどこの国のどの時代でも同じ事が起き続けています。

アメリカでも、ヨーロッパでも、南米でも「時代や場所」を超えて必ず起こる問題。

そもそも、人間は自分と姿形の異なるものにそもそも違和感というものを持っています。それは恐らく原始のころから自分と異なる形や色をしたものをひとまず危険な相手と認識して啓明氏自分の命や集団を守るための本能だと思うんですよね。

その後で、経験を積むことでそれが危険か否かを認識して生活圏を共にできるか否かを学んでいくというアフリカの草原で水場に集まる動物達が日々繰り広げている生存競争と全く同じものだと思います。

その上人間には外見のみでなく言語と思想と生活様式という非常に厄介な違いまで存在しますから、この違いを乗り越えるのは形や色の差を乗り越えるのよりも遥かに困難。言語を乗り越えても思想とそれに付随する宗教や民族独特の発想法などはこれまた克服するのが困難な差異です。

一日五回、お祈りをするアノ「一神教」の人達は基本的に八百万の神が精神的な根っこにあったりする日本人とはやはり異なもの。モノの一つ一つにそれぞれの神宿り、其々に感謝を込めるという行為は、全ての感謝の源は一人の神からという思考様式とはやはりかなり異質でしょう。

そんな人達を日本に取り込んでいくというのは姿形そっくりかつ日本語も日本人と同様に話すの在日韓国人達にさえ往生している日本人が未だに多いのに果たして出来るものかと問えば答えは恐らくかなり明白。

ヨーロッパやアメリカの苦闘と、現在進んでいる移民受け入れの中で起こっている様々な事件や軋轢はそういったこれからの日本の「近」未来の投影図なのでしょうが、来る人は慎重に選ぶ事と、彼らにきちんとした日本の教育を施していく事を怠るとどうなるか?老いた後の私が今はまだ生まれても居ないような未来の在日外国人の子供にぶん殴られないとはだれが保証できましょうや?

別にフォビアでも何でもなくて、差異は乗り越えなければならないものですが、そこに至る摩擦係数を下げるのは入国時の教育レベルによる選別。必ず教育レベルの高い人間を入れるというのが先ずは必須の条件でしょうが、これが上手くいっていないのは世界のどこでも見れば一目瞭然。そもそもそんな人達が「観光では無く移住する為に」来るような魅力的な国家か?そして言葉の壁は?と考えると…。

本当に難しい時代になりました。

2024年5月21日火曜日

日本の孤独死

将来の己の死に様は野垂れ死にが理想というのは何度もここでは書いてきていますが、日本の未来はこの野垂れ死にとは違う「孤独死」が大激増しそうです。

このHPを読むと、日本の孤独死の現状が透けて見えてきますが、何れにしても高齢者の増加と共に孤独死というのは増えるという事ですよね。配偶者が居なくて重篤な疾患を内在しているような個人が増える訳ですから、その個人が故人になるのは全く普通の事。
東京都区部における孤独死の変遷
おまけに、連絡するにも日常のレベルで近場で交流を持つような肉親が傍に居なければ当然の様に孤独死の定義である「自宅死亡、二日以上たってからの発見」等という状況が発生するのはごく当たり前の事でしょう。

自殺などは除外してもやはりこれからの日本はそう言う事が増えて、アパート、マンション、一軒家等の形態を問わず近隣からの異臭で発見されるような孤独死は極普通の日常になる(既になりつつある?)訳です。

私も法医学教室で学生時代に教授のお手伝いを通して何度となく孤独死された方々を司法解剖するお手伝いをさせていただきましたが、多くの場合は物凄く腐敗が進んでいて、事件性の有無をしっかりと判断するのは大変だろうなというパターンをたくさん見受けました。

翻って自分の両親なのですが、入り組んだ事情で両親を名古屋に呼べない状況になっています。金銭的な問題などでは無く純粋に田舎にいる家族各個人の事情によって…。

今のところ有り得るのは親父の孤独死。特に風呂場で溺死なんかしないかと心の底から心配です。呼びたくても来れない複雑さに悩む日々です。逆に、そういう日が来てしまう可能性というのを心の底では覚悟している自分も居るのです。

政府推計では今年の予想孤独指数は6万8千人とのこと。親父がこの中に入らないか、数年前とは格段に違う深刻さです。


2024年5月20日月曜日

群れをつくる、群れに入るのが苦手

昔から人にものを習ったりするのが苦手です。

その延長、もしくはそれ自身が習ったりする事が苦手な原因なのかもしれませんが、人に付いて行くとか人から付いて来られるのとかも苦手です。

師匠筋に当たる人に物事を教わるのはマア良いとしても、その人に付いて行きますとかその人の作るグループに入ったりするのもまた完全に無理です。恐らく会社組織に入って居たらとてもとても煙たがられるような存在に間違いありません。w

こんな愚かな私でも、「先輩、一生付いて行きます!」と大学の頃に郷土の後輩から言われるような珍事もありましたが、即座に「いや~ムリムリ~。俺そんな人間じゃないし、そもそも人に物事を教える様な偉そうな事なーんも無いわ」と言って、その後輩をガッカリさせたことも有りました。

職場や大学、その他でも、人と一緒にご飯を食べに行くような事も本当に苦手で、飯時に一人で食べる気楽さが私にとっては最高の贈り物です。ですから、数人のグループでワイワイと話しながらご飯御を食べている幸せそうなグループを見ても本当に何が良いのか良く解らないという極度のヒネクレ者なのでした。^^

こういう人間は物事を教わるという点では大きな損をするような気がします。今までの来し方を振り返っても、授業でさえ人から物事を教わることが出来ずほとんどは自分での自習でやってきました。こんな私ですから塾など行ってもほぼ意味も無く(塾に行く金も無い貧乏人でしたが!)、基本的に学校が出してくれる宿題とちょろっと買った参考書が私の先生。

ですから、システマティックに物事を習うとかいう経験自体がありません。金をかけて塾に行ったり家庭教師をつけて貰うとかいうのは「凄い金持ち」とは思いこそすれ、羨ましいとは思わないのは、そもそも自分がそういう形態では学べないタイプの人間だからです。(まあ、それで吸収できる人間だったらもっと上のレベルの教育を受けていたんでしょうが…。)

何れにしても、人とグループを作れない私の様なタイプは組織の中では裏に表にこっそり鼻つまみ者なのでしょう。w まあ、それさえも気にならない程に組織に属しない人なんで構わないんですけどね。


2024年5月19日日曜日

関に行って刀を見てきた後に惨事が…

またまた岐阜観光という岐阜尽くしの我が親子。

今日は関市に行ってみました。何と言っても新潟の燕の金属器とか、鯖江の眼鏡とかいうレベルで太古の昔より有名な関の刀剣類。行かない手はありません。

ネットを検索して関の事を調べてみると、刀剣関係の博物館や日本有数のナイフショップ等もあるようです。もう一つ、気になったのは関にやたらと広がっているうなぎ屋の群れ。何故ここにとは思ったのですが、この鰻も気になったので最後に食べてみる事にして出発。

実は関という土地の名前は大学院の頃にお世話になった助手の先生の故郷という事だけ覚えていて、一度は行ってみないとな~くらいに思っていたのでした。

実際には高速で50分程度。あっと言う間に席に到着して最初はせきてらすという関市が企画したと思われるナイフ、包丁、爪切りその他のメタル関連製品で、様々な「切る」をテーマにしたものがずらりと並べてあり、全ての製品が通常売価の2割引きで売られています。私自身は爪切りと毛抜きを買い増して、ハッピーになりました。

その直ぐ傍にある歴史に名高い日本刀の数々を展示している関鍛冶伝承館を息子と訪れ、そこに展示された数々の歴史上の名刀・銘刀を鑑賞させてもらいました。それにしても、太平洋戦争の後にGHQに接収された刀剣がその価値を判るべくも無い米軍の手でボロボロにされた後、再び磨かれたりして美しく展示されているのを見て何だか複雑な気持ちになりました。戦争に負けるというのは文化を蹂躙される事なんだなという現実の厳しさがそういう気持ちを抱かせたのでしょう。

その後は有名なナイフ・ショップの一つ「山秀」に行ってみて、お店の御主人に丁寧にいろいろなナイフに関するミニ知識を授けていただきました。特に、ナイフを買って所持している時に車で移動している時にどこに置いておけばセーフで、どういう所に置いたりしたらアウトなのかという事を事例を挙げながら教えて頂き感心すること頻りでした。

さて、最後はフェザー・ミュージアムというこれまた刃物・カミソリなどの展示されている博物館兼ショップにまで足を延ばそうとしましたが、そこはちょっと時間的に無理でしたので、鰻の名店を博物館の女性に伺ったお店に向かいました。

4時30分に行ったのですが、開店時間の5時の一周目のグループにはギリギリ入れず、駐車場で息子と二人で入店を待ちました。どことは言えませんが量が上から二番目の「上」のうな丼でしたが、正直カリカリ感は強かったのですがたれの量も少なくとても名古屋のうな丼には及ばないなというのが正直なところ。申し訳ないけど一杯4,200円の価値は…という感じでした。

それでも腹は満タン。それなりにハッピーになって名古屋への帰り道を淡々と戻って行ったのですが、その後に惨事が!orz

帰りにいつもお世話になっているおばさんの所にお土産を持っていく途中で息子の座っている助手席から強い異臭が…。どうやら「大」を漏らしたらしい事を一瞬で理解できるレベルの異臭。小は三回ほど連れて行っていたのですが、長い時間、大の方を座らせていなかったところにうなぎ満タンの胃袋で漏らしたようです。

緊急でおばさんの家の直ぐ傍の知り合いの家に寄らせて頂き、申し訳ないのですがそこでお風呂を借りて着替え。頭が上がりませんが気持ち良く受け容れてくれました。この人物、病院ではヘルパーとして患者さんのおむつを毎日換えている方で、あっと言う間に息子のおむつ交換を手伝っていただき、こちらは平身低頭。

「どうって事ない」といわれてひたすら感謝でした。家に帰った後、お礼にお米を送ろうと決意し早速ふるさと納税で20キロのお米をポチッと注文させて頂きました。持つべきものは心温かき専門家です。


2024年5月18日土曜日

遂に娘も30歳!

何と言う事でしょう!とか書くとどこかのテレビのビフォア・アフターという感じですが、遂に娘が大台に乗りました。

前回、日本を発つ前に「待ち遠しいわ30になるのが!」とか言っていましたが、親の心子知らずです。そもそも独り立ちしたからには、彼女の人生をどう決めるかは彼女の一存ですので、私があれこれ言う事は出来ませんし、言った所で聞きませんし…。

あの日生まれてきた日の事は本当に昨日の事の様に覚えていますが、あれからもう30年も経ったんですね。私も当時28歳。今の長女よりも若かった訳で、それを考えると時間の経つのは本当にあっと言う間だと思います。あの時点では私の親父も今の俺よりも若かった訳で、逆算してしまうと自分の親父と同じような流れでの私の近未来はずれ始めている事になります。

とは言っても、その人生の計算というのは私の勝手な都合や夢想によるもので、娘が結婚もしくは孫を生んでくれて~等という昭和世代にありがちな感覚に基づく希望。

まあ、私の家系何て言うものは特にどうって言う事もない雑草ファミリーなので、失う資産や血筋などというものも一切無い訳。

ですから、どうなろうと知った事では無いという第三者的な立場に最近はモノの見方を変えました。滅ぶものは滅び、絶えるものは絶えるだけの話です。孫を抱くという夢もとうの昔に捨て去っていますので、今自分で考えているのは自分で生きていく事の出来ない長男の人生をどう組み立ててやるかという事だけです。

ついでに言うと、自分の人生とかはほぼ野垂れ死にで良いというのが今のところの理想的な死に様。無名の氏名不詳で山の中で野垂れ死にしてイノシシの餌かそこら辺の花の咲く木の肥やしにでもなればと思っています。納骨とか勘弁。w

娘もアメリカで勝手に生活し元気にやって人生を愉しんで、人の役に立つ仕事をしてくれていればそれで良し!

まあ、子供というのは猫型と犬型があるんでしょうが、我が家の娘たちは何れも猫型。都合の良い時だけ近寄って来るのみです。^^

何にも期待しないのが精神衛生上よろしい事にここ数年気づいてからは随分と楽です。

18日になって数分後にアメリカの長女には「誕生日おめでとう」とメッセージを送っておきました。



2024年5月17日金曜日

元同僚?の再々々々逮捕w

今どき彼は所謂ブタ箱の中に入っているのではないでしょうか…。

以前このブログにもちょこっとだけ書いたんですが、「性犯罪」というのは止めようが無いみたいですね。知ってましたが。

T県出身のこの男性、これまた別のT県の医学部に行って卒業したみたいですが、ここで働いている時に判明している分だけで2件の児童買春で逮捕、そして愛知に来てからも判っているだけで今まで2件の事件で逮捕されていました。

実はこの人、私の病院に一瞬だけ勤めていたんですが、一件目の事件が発覚した段階で当院を休職、そしてその休職を解くべきか否かを病院のボンクラ事務長が理事長と話し合っている間に追加としての余罪が出てきて流石にアウト。w

医局では私の背中に席が有ったのですが、退職を噂された後も荷物は久しくそのまま放置されていましたが、恐らくブタ箱に入っている間は荷物を取りに来れんかったんでしょうね。その後、ある日の朝病院に来てみたら忽然として荷物が消えていましたので、夜中にやって来て丸ごと片付けていったのでしょう。

どこでどうしていたのかは知らないのですが、当院に勤めていたころに買ったという家はそのまま住んでいて、時に近くのスーパーで痩せ細った本人が買い物に来ていたのを見かけた看護師さんが面白半分にその情報を私に教えてくれたことがありました。

さて、そして今回で「判明しているだけで」5件目の逮捕。orz

何と16歳の少女と淫らな行為をしたという事で逮捕されています。金を15,000渡して事に及んだというのですが、18歳以下とは知らなかったとか言っていますが、もうね何をか言わんやという感じ。無理です。完全アウト。

恐らくこの人、捕まる度に多額の現金を使って起訴を免れてきた人なんだ思います。何故かというと一度も医道審議会に名前が出てきていないから…。要するに起訴されていないんだと推測するのです。

面倒くさいのでAIに聞いてみると、そんなときに起訴されない場合と云うのは以下の様な感じとの事。

  1. 証拠不十分: 起訴するためには、証拠が必要です。淫行事件においても、被害者の証言や物的証拠(例:メッセージ、写真、ビデオ)が必要です。証拠が不十分な場合、起訴が難しいことがあります。 
  2. 被害者の意向: 被害者が訴えを取り下げたり、訴訟を進めないことがあります。被害者の意向を尊重するため、起訴が見送られることがあります。 
  3. 医師の社会的地位: 医師は一般的に社会的信頼を受けている職業です。医師が淫行事件に関与している場合、社会的な反応や影響を考慮して、起訴を避けることがあるかもしれません。 
  4. 法的判断: 淫行の定義や法的基準は国や州によって異なります。法的判断は裁判官や検察官に委ねられており、事件の具体的な状況によって異なります。
上の案件は恐らくアメリカの事案を日本語に訳しているだけでしょうけど、日本でもそんなもんじゃないんでしょうか。言ってみれば、被害者が金を積まれて丸く収める方向で進めれば起訴されないんでは無いでしょうか?知りませんが。

しかし、それは民事で収まっても刑事だと収まらんという気もするんですが?法律の基礎が無い人間なのでここらあたりは判りません。

とは言え、この人物いま現在私が勤める病院に来るという段階で既に黒丸が付いていた人物だったのにそれを受け容れるんですから申し訳ないけど、病院側も「バカ丸出し」ですよね。まあ、私には関係のない事ですが。

最後にもう一度書かせてください。ロリコンとマザコンは治りません。


2024年5月16日木曜日

未だにカッコをつけたがる親父

親父には変な「こだわり」があります。

実は30年ほど前に親父の友人であり元高校の同級生であった人物がアパートの我が家にマージャンに来ていた時のこと。牌を弄びながらその友人が唐突に親父の高校の頃を話し始めたのです。

親父は最初こそ表情を変えずに聞いていたのですが、話の内容が意外な方向に進み始めると明確に焦り始めました。w その人物の語るところによると「X君は軟派じゃったがね~~(X君は軟派だったよね~:標準語)」という話。軟派の意味は何となくは調べなくとも理解しているつもりでしたが、今回ブログに記録として残すにあたって改めて調べてみると不良青少年で、暴力などより、異性との交渉に興味を持つ者と定義されておりました。w

そう言えば、昔々のそのまた昔、地元の歴史ある高校である大宮高校という高校の商業科に在籍していました。(調べてみると1958年に分離して別の商業高校になったみたいです)実は母親はこの高校の夜間を出ておりまして、親父は授業にはほぼ全く出ずにほぼ柔道をする為だけに通学し、弁当だけ持って授業で飯を食ってそのままふけてほぼ一日映画館に入り浸っていたというお話。orz

親父と母親は同い年ですから同じ高校に通っていたら出会ってるかとは思うんですが、実際はお互い知らずという関係。それは学校での授業時間帯が上記のような理由で擦れ違いになっていたからという何とも不思議な関係。

親父が俺に昔から「勉強しろ」とはほぼ言わなかった理由は恐らくこういう碌でも無い生活を送っていたという負い目が有るからだろうなと今では思っているのですが、敢えてそのような事を親父に問いただしたこともありません。多分、親戚のおばさんに聞けばそこらあたりの事は詳らかにしてくれるとは思うんですけど、それは親父があの世に何時の日か旅立ってからにしようかなと思っています。

さて、今回またまた親父がやってくれました。

突然だったのですが、宮崎のK病院というところから突然の電話。田舎からの、しかも第三者からの電話なんて言うのはほぼ全く良い事であろうはずも有りません。最近は私も大概の事では驚く意欲も失せてしまっておりまして、今回の電話から聞こえてきた女性の声に「すわ、死んだか?」位の覚悟を以て通話を開始しました。

すると、落ち着いた女声で「080-XXXX-XXXXはXさんのお電話ではありませんか?」との質問でした。聞いた瞬間に「ああ、親父電話落としたな」と思ったのですが、親父の番号自体は記憶しておりませんでしたので、自分の手元で電話番号を調べたところ確かにその番号は親父のもの…。

わざわざ電話を掛けて下さった女性に「申し訳ございません、それはうちのオヤジの電話です。もしかして母の見舞いに行った帰りに落としたんでしょうかね」と話すと「ああ、やっぱりそうでしたか!病院の受付の所に落ちていたもので、お見舞いに喜多方のリストと時間帯を調べて推測して掛けさせていただきました」との事。

すっか居r私の方は恐縮してしまって、申し訳無さ一杯。オヤジの非を詫び、「時間帯が遅くなってから焦った親父がもしかして病院に来た時に返して頂くことは出来ますか?」と伺うと、問題なくそのようにしておきますとの事。ありがたかったです。

仕方ないので、親父の妹である叔母に電話して事情を話すと、近場に住んでいる娘に電話を取りに行ってくれるとの事。全く迷惑千万なジジイそのものです。

その後、どこかのスイッチを押し間違ったのでしょう。電話を届けてくれたその娘(私の従妹)と話をしている親父の会話がダダ洩れで入ってきて、しきりに詫びている親父の声がスピーカーから漏れてきました。私に聞かれているとも知らずに従妹に詫び続けていましたが…。

後で叔母さんに顛末を聞いたところによると「カッコ悪いからストラップを首からかけるのは嫌だ!」と駄々を捏ねたとか。爺さん、もうすぐ86です。諦めて携帯にはストラップ着けてくれ!頼む。

2024年5月15日水曜日

暫く見かけないと最近思っていたら

そういう歳なんだなという衝撃が一瞬で脳裏を巡った瞬間でした。

日本に帰ってきてこの病院に勤め始めて9年目に入りますが、自分と歳の近い看護師さん達と云うのは自然と仲良くなることが多いものです。まあ近い歳だからと言って親しくなる訳でも無い事は世の常ですが、それでも気の合う仲間の様な看護師さんはいるものです。

今日はちょっとした書類を事務所に提出しようとしてコピー機の真ん前をサッと通ったのでした。その時、これまた私と同い年の事務の女性が偶然私の前を通り「あら~、先生」と微笑みながらはなしかけてきました。

これはこれで何時もの短い会話なのですが、いつもと違う事が眼の前に飛び込んできました。それは、最近ある病棟で急に見なくなったなと最近思っていた私より一つだけ歳が若い看護師さんの名前。そしてその紙の上には病気による休職願いの文言が印刷されているでは無いですか…。

他人の秘密に…と思って一瞬、躊躇ったのですが、名前を見た上にその更に下に書かれている大きな文字の文章がどうしても目に飛び込んできたのです。

そこに書かれていたのは、どう考えても衝撃的としか思えないような深刻な病名。

一瞬どころか暫くの間言葉を失ってしまいました。それを見た事務の女性も「ですよね…、先生はお医者さんだからこの病気の子と解りますよね…」と言ったきりやはり黙ってしまいました。

数日前から事ある毎に脳裏に出てきて気になっていたこの看護師さんの事が誰に尋ねる事も無くその理由が判ってしまいました。しかも望まない形で。何時もは特に気になる事も無いのに、姿が見えなくなるとこういう形で脳裏に出てきて「探せ」と心が命じるような人物がいるのかと感じてしまいました。

まさか黙って病院を辞めたんじゃないよな?と思っていたのですがそんな事をするような仲ではないし、黙って辞めても気にもならないような人が殆どの中で「オッサン同志仲良くしようぜ!」と言って笑い合っていた彼女の名前に重なった病名に自分の年齢というものの意味が透かして見えたような気がした今日の午後となりました。

近所の病院に入院しているらしい彼女。数名でまとまってお見舞いに行かねばと思いました。

2024年5月14日火曜日

余りのAIの進化に憂鬱になるほど…

今の時代、ネットで何でも手に入るような感覚があります。

実際恐るべき量の情報が検索の手腕次第で、そして金の払い具合次第で眼の前のキーボードを叩く事によって手に入れることが出来ます。実際のところ、多くの情報は金を使わずとも手に入るし、AIに質問すれば単純なウェブ・ページ検索とはまた異なったレベルでの「まとめ情報」が手に入ります。

しかし、果たしてこれだけの事で本当に手に入れたいような「質を担保された刮目すべき情報」を見逃さずに手に入れていると言えるのでしょうか?特にAIがまとめてくれる情報には感心するような速度で、ネットの数種類のウェブページの情報をサクッと日本語や英語で返してくれるという美技を見せてはくれますが、未公開、非公開の資料。ネットには転載されていないデータと云うのはまだまだ山の様にあって、それらを見落とすことによって大きく判断を誤っているような事があるのではないかという強い疑念を個人的には払拭できません。

最近はネットの情報を完全に参照しながら、AIに卒論を書き上げて貰う輩も多数いるという話を耳にしますが、人間の知性の衰退と云うのはこういう形で始まるんだろうかと沈思する事頻りです。

今の時点で登場しているレベルのChatGPT-4及びそのvariation、そして生成動画等のAIでさえ、文章や静止画、動画等を無数にかつ短時間で生成して来るのを見ていると、その速度と質と疲れを知らぬ生成能力は人間が持つ想像力の存在意義を相当変質させてしまっているという事に畏怖を覚える程です。

数学の問題の簡単な証明は勿論、その先の方にまで推論の能力が上がり始めているとの事ですが、一体どこまで進むのやら。

既に医学の画像診断の分野では先進的な病院では当たり前のようにAIが画像上の異常を発見しており、何の予断も無い状態で世界最高レベルの人間の読影医とタメを張るかもう少し上のレベルの読影結果を返してきます。放射線科医達は仕事の方向性を変えるか、AIが診断を出してきた結果を再確認してendorseする事が仕事になってしまうのかもしれません。

実は娘がウェブサイトで提示しているアート作品群があるのですが、娘の名前を入れて娘のアート作品と類似の作品を描いてくれというような支持をAIにリクエストすると、全く違うモノではあるのですがかなり私の次女がどのような色遣いや傾向を持った絵を描くのかというポイント、エッセンスを応用したような不気味な作品を返して来て、思わず「え~っ」と
なった事がありました。

これからの10年。AIの真価を予想するには長すぎる期間ではありますが、やばい変化が押し寄せそうな気がします。



2024年5月13日月曜日

無くならないイジメ

脇で聞いていて腹が立ってなりませんでした。

ヘルパーで声のデカいオバサンが、廊下で聞こえよがしに入職してきて2か月の子を追い詰めているのを聞いていて流石に内心で怒り心頭状態になりました。

「もうこれはアカン。我慢ならん」という心境になった為、その声を聴いた直後に全ての仕事をストップして同室で作業をしていた師長を別室に呼んで現状を理解しているかという事をまず確認しました。

その上で、これを放置している状況で次のステップでもし入職している若手が鬱を発症したり、仕事を休職したり辞めたりするような事があったら師長の人事管理能力に関して疑義をあげる事を通知しました。私の病院では医師は看護師関連の病棟の仕事に関して口を挟まないという約束があるという事を前から知っていたので、ここは間接的に師長にノティスして私が口を挟む事による越権行為の抑止とパワハラ呼ばわりが発生しないように気を付けました。

事務方からもどのような行為に関して「パワハラ」と判定されるかという資料も貰って学習させられていますので、そこは避けるように動くしかありません。

何でか解らないのですが、このオバサンは良く調べてみるとあちらの病棟こちらの病棟で同じような事をやらかしては辞める辞めないという事を繰り返しているとの事…。

ここでもやらかす奴はどこに居てもやらかすという黄金の法則が存在しています。

病棟という小さな小さな世界で自分の日常の満足感を満たすためにデカい声で人を追い込み、その周りに自分の仲間を作って、(もしくは面倒くさいこのオバハンにターゲットにされないように動いて)自分の気に入らない若い人間を追い詰めるようないやらしい人間が「正しい人間」として存在する事を許す気はサラサラありません。

こういう学習能力の低い人間はどこかで自分の行為を強烈に反省させなければ同じ過ちを繰り返すわけですが、これから急いで収束させるように動くつもりです。

犠牲者を出すつもりはサラサラありません。

2024年5月12日日曜日

またまた岐阜県!

今度は恵那峡に行ってきました。

毎度毎度、ほんまに岐阜に良く行くな~と自分でも感心する程で、岐阜県観光協会の人も泣いて喜んでくれるレベルではないかと密かに考える程の頻度だと思います。W

さて、本日もゆっくりとしたスタートと言うかそんな時間から行動開始か?というくらい遅い時間からの行動開始。一時過ぎからの始動で息子とともに家を出ました。最近は北のほうによく走っているので距離感等言うものがついてきておりまして、このくらいの時間でも特に問題なく恵那での行動ができるだろうという予測。

運転してみると確かに「岐阜の一部地域」に対する自分の距離感が仕上がってきたのを実感できました。

マップに従ってちょっとした山道を駆けていくと直ぐに恵那峡の遊覧船乗り場に到着しました。高速道路を降りてあっという間なのでストレスも全くありません。到着するとボート乗り場の直ぐ側に障碍者用の駐車場があってアクセスは至極安全。

観光用のボートのチケットを購入すると息子と2人で1500円と半額になります。待合室では韓国からのオバチャン軍団がやって来ていて、愛想の良いツアーガイドさんも日本人の係の人やおみやげ店の人との間でのアシストに大忙しという感じです。どこの国でもオバチャン相手のツアコンとか鬼のように大変そうで、その忙しそうな様子に心のなかで「頑張って!」と応援をしてしまいました。

ボートは天蓋付きの50人くらいは乗れそうな感じの遊覧船。気づかないうちにあっという間に離岸して木曽川のダム湖を遡上していきます。そもそも、ダム湖として丁度100年前にできた恵那峡ですが、当時、福沢諭吉の婿養子福沢桃介が日本初の女優である川上貞奴と頑張って大井川ダムを仕上げていったことが資料館にもありました。アメリカに頼った大規模な起債など大変だったことがよくわかりました。

ボートでは岩の名前の説明が延々と続いたのですが、そのネーミングはいまいち無理強い的な感じが強くて、思わず唸ってしまう感じ。W最後の方では名前のつけようがなくて「名無し岩」とまで名付けられていた岩があったのを見てその感を強くし ました。

ただ、息子はこういう状況でのボートは初めてに近い感じで、ずっと緑の湖面を見つめて楽しそうでした。また連れてきたいですね、今度はもう少し晴れた日もいいかもしれません。

獅子岩です。これは説得力のある形です。
遠くに見える紅岩!近くで見てみたい…。
恋人が座って写真を撮りそうですが、実際は私と息子が近くに立って自撮りしました。W
おそらく関電による記念行事が催されるはず!!!!!!!
何だか如何にも飛び込みのありそうな橋…
それでも、遠くに見えた(一旦閉園となった)恵那峡ワンダーランドの向こうに見えた紅岩はものすごく印象的で、今度来たときはまた近くで見ないといけないと改めて心にメモしておきました。

帰りは真っ直ぐ家に!理由は簡単でしゃぶしゃぶが待っていたからでした。W

2024年5月11日土曜日

人生初のスーパー歌舞伎

遂に歌舞伎観劇デビューを果たしました、とは言っても「スーパー歌舞伎」ですが。

東京に筋金入りの歌舞伎ファンの知り合いが居るのですが、その方の助けを借りて名古屋での公演チケットを抑えて貰い、今日の歌舞伎観劇のデビューを果たしました。

通常、名古屋で歌舞伎公演が行われるのは御園座ですが、私自身は御園座の傍を車でササッと通過する事があっても中には用事がありません。数年前に御園座グランド・メゾンのタワマンが完成した折に一回にあるグッズの販売所に入って何気なく販売物品を眺めたくらいの経験しかありませんでした。

しかも、このエリアにおけるその他の用事としてはこの一角の角っこを曲がったところにある名古屋最古では無いかと思われる飲み屋「大甚」に一回行ったきりでした。

伏見の駅のホームで待ち合わせて先ずは腹拵え。最初に行こうと思っていた店は5時半からしか開いていない事が判明し、時間もそれほど無い事から少し歩き回った後で近場のコメダに入りました。これから観る「ヤマトタケル」はかの有名な梅原猛の作品。既に今年で38年にもなる上演作品ですが、主演を替え続け、台本に手を加えながら今まで素晴らしい歴史を刻んできた演目です。

しかも、スーパー歌舞伎という分野を創り出した第1作!観ない手はありません。

席は三階の左でヤマトタケルが鳥になって飛び立つワイヤワークの真下。流石は歌舞伎の通!どの席を取るべきか解っている人です。観劇開始前にスマホのスイッチをきちんと切って観劇準備。この時の為にオペラグラスも持ってきました。そしていよいよ開演!スクリーンに地球や銀河の様子が映し出されています。

それからは一部、二部、三部とそれぞれ20分間の休憩時間を挟みながらめくるめく時間が過ぎていきました。合の手を入れる方の事を「大向う」というのだと教えて貰いましたが、新たに登場するところで「澤瀉屋!」とか「成田屋!」とかいう声がなかなか良いですね。

演じられるうちに何か所も心に響く台詞やシーンがあって、特に「熊襲や蝦夷が古い因習を変えないのは、どんなに尊いものであってもダメだ!」という部分は全劇中でも心の中に焼き鏝を当てられるように残りました。恐らくこれって全ての伝統芸能に当てはまる警句だよな~って感じながら心に刻みました。

最後のほうでヤマトタケル役の市川團子さんが眼の前数メートルにまで迫ってきた時には思わず「わ~~~~っ」てなってしまいました。アイドルを見る少女の気持ちが分かった感じ?w

全てが終わって感動に浸ったまま締めのちょっと一杯。Barrel Beerで珍しいチーズやビールを食べながら今度は新橋演芸場や歌舞伎座で他の歌舞伎を見る話をして盛り上がりました。

最後に再び地下鉄のホームで再会を約して散会。次は東京でしょうか。

2024年5月10日金曜日

オッサンと健康診断

全国的に職場検診の時期です。

私の所も例に漏れず今がまさにその時期で、他に行っているバイト先の病院でも健康診断書の提出を求められるので、職場検診と云うのは入職後のこの時期なんだなと判ります。

私自身の場合、この職場検診というのに乗っかって自分で追加した項目を他の先生に依頼して調べて貰うようにしています。オッサンも還暦に近くなっておりますので、PSAとかBNPとかコレステロールの詳細とかちょこっとだけ正規の分よりも追加して検査を行い、その経時的変化を保存し続けています。

少しだけ余計にお金がかかるんですが、健康の追加的数値計測と思えば許せる範囲。CTによる画像診断で脂肪の量の計測や骨密度の計測を行った事もあるのですが、こういった検査はたとえ行うにしても5年に一回で十分だと考えていますので、今回の検査にもこういったものは入れていません。まあ、大腸検査や胃カメラと同じ程度の頻度で良いと思っています。

さて、今回返ってきた生化学的検査の結果なんですが、意外な事に全ての数値がほぼ全く問題の無いレベルでした。前回の検査で極僅かではあったのですが、
AST/ALT(以前はGOT/GPTと言われていた値)のそれぞれの数値がちょこっとだけ動いていたので「ヤバい」と思っていたのですが、今回は全く標準値のど真ん中でやはりチョットだけ安心しました。^^

今後も次第に深まる肉体的加齢の程度で種々の数値がどう変わっていくのか興味深いところですが、己がモデル動物になっているので、徹頭徹尾その値からは目を背けられないところ。

数字には出なくとも悪いところなんて幾らでも見つかる時は見つかりますが、とにかく数値化できるところに限っては(未だ出てきていない数値は別として)一安心といったところでしょうか…。

それでも痩せなあかんなと思っております…。

2024年5月9日木曜日

病的肥満・病と肥満

今までに何人かの病的肥満の患者さんを何人か入院して頂いて治療したことがあります。

病的肥満というのは「BMIが40以上の方,あるいは35以上で,肥満が原因となりうる病気を抱えている方」となっていて、バック・グラウンドに肥満由来の病気を抱えていないBMI35以上の人を普通は高度肥満と呼んでいます。

病的肥満と高度肥満の間には肥満由来の疾病の有無があるという「定義」ですが、実際には表に出てこないレベルでその萌芽は目白押し。まあ、実際には高度肥満になっている時点までに高血圧や心肥大、心不全、糖尿病、高脂血症、高尿酸血症なんていう役牌のうち数枚を持っている人が多いんですけどね。

例えば新調170センチの人間がBMI35だとすると、その体重は101キロ越え!やはり高度です。これが病的~というカテゴリに入ると170センチで115キロ越え。やはりこうなるとやっぱり見た目的にも「・・・」となります。

基本、肥満の定義開始ラインはBMI25なんですが、実際は面白い事に癌死や全体的に死亡率に関してあるカーブが存在するのです。それは以下のもの。
これを見ると解るように、少なくとも男性においてはその死亡率がボトムになるのはやや肥満程度の所なんですね。女性においてはこれがもう少し下がって肥満のラインから少しばかり痩せたところにそのボトムが来ています。

ところが、それ以上に明確に面白いのは肥満の方になればなるほど…というだけでは無く痩せが極端になっていっても、やはり急激に死亡者の率が増えるのです。

実はそれだけでは無くて、高度な痩せ(るい痩)や肥満は認知機能も劇的に下げるのです。また、高齢者になって体重が大きく増減する事自体が認知症を増加させるという研究結果。
しかも、これは男女ともほぼ同じ結果となっています。やっぱり何事も急激な変化と云うのはリスクそのものなんですね。生理学的理由は当然裏にあるのでしょうが、感覚的に問題ないレベルの小規模な変化、もしくは変化がほぼ無い事が病や死から遠ざかる方法だという事を記憶の片隅にでも置いておいて良いのではないでしょうか。

2024年5月8日水曜日

やる気を削ぐ迷理事会

世の中では何らかの「社員」として組織の中で働いている皆さんが殆どで、経営者側に立っている人は個人を除けば僅かなパーセンテージだと思います。

ヒラから入ってそのポジションを時間と共に上げていく人がほぼ全てだとは思いますが、医者も人によってはこういう階段を昇ることを強いられる人も沢山います。

大学病院であれば、医局員から医局長、講師、助教、准教授、教授等という階段を、私立病院であれば医局員、部長、副院長、院長、理事などの流れなどもそういった流れの一つになるのでしょうが、その医師がそういう階段を昇る事自身に何を望むかによって全くそう言う事に関心を示さない人も沢山居る訳で、実際そんなもんどうでも良いという人も沢山おります。

給与がそこそこあって患者さん達と向き合う事自身に喜びを求める人にとってはそのような階段に興味を示さないのは比較的普通で、周りでもその日その日を医療技術や知識の研鑽に当てているような先生が沢山居られます。それぞれの分野でそれぞれに自分の強みを持つ事で悠々自適の生活を送っている人が多いという感じです。

今まさに私自身はこういう状況に近い感じで日々を送っているのですが、そういう点への満足とは別に、実際は病院の運営に関して強い不満を抱く日々を送っています。

何と言っても決定権を持っている人間が理事会に入っている人々なのですが、何だかもう「昭和の残渣」というか少なくとも感覚的にもう「時代から遠く取り残されている人達」が運営する組織の問題点が何時まで経っても改善されない事に通奏低音のように不満が溜まっています。

とは言え、こういうのって普通の会社人間にとっては極普通の日々の筈で、「お前が医者だからあんまり出会わんだけで会社員ではフツーの事ヨ」と言われて呆れられて終わりなんでしょうね。w

医者っていうのは免許持ってる仕事なんで比較的言いたい放題の事言ってあちらこちらの病院に移動することが出来るし、何ならバイトだけで食い繋ぐことも比較的普通に出来ますが、あんまりストレス多い時期が続くのなら辞めるっていうのもアリかもしれませんね。

病院の規模がデカいからと言ってその船体が沈まないなんてことは今時の病院経営ではまた食有り得ない事なんで、ネズミが沈む前に船体から逃げ出すように私も逃げ出すこともアリかななんて夢想したりすることも多い日々です。^^

東京女子医大の今の体制、何時まで続くんでしょうか?

2024年5月7日火曜日

理解できないモノを非科学的という非科学

解らない現象、理化できない現象を目の当たりにして多くの人は「?」という反応を示します。

実に素敵な反応で、この理解できないモノや出来事(現象)に出った時に恐怖を抱くのみでは動物レベルにとどまってしまうのでしょうが、それを不思議という感覚で捉える様な反応を示す事が出来るかがまさに動物とヒトの分かれ目。

何らかの科学教育を受けた人間であろうとも、己が判断できない事を「非科学的」と決めつけてそれ以上の判断や考察を止めてしまうような発言をするような人間はやはり信ずるに値するような科学的思考力を持っているとはとても思えません。居ても大抵程度の低い似非科学者。

その反対に怪しい事を怪しい事として受け入れつつも、その現象に怪しい言葉を被せて神秘を煽る様な連中もいわゆる「非科学」のもう一方の翼を担ぐトンデモ連の連中。

その間で右往左往する人々も可哀想なものですが、「理解できない現象・説明できない現象」等と云うのはその時代その時代の科学の水準に応じて無数にあったわけで、今もそれは全く変わりません。

解析の手段や理解する為の知識のバック・グラウンドの幅や深さは100年毎の単位で見ると、まさに指数関数的に爆発していますが、それでも不思議な事は次から次へと溢れ続け、更に調べる対象は増える訳ですが時間の経過とともに「昔は全くの謎だった事」が驚くほど鮮やかにかつ簡明に説明する事が出来るようになるなんて事が繰り返されたのが科学の歴史そのものでした。

例えば有名なのがチューリング・パターン。動物の体表の不思議かつ美しい模様は二変数の連立偏微分方程式でシンプルに表現されるもの。いわゆる拡散方程式です。コロナ・ウイルスが空気中で拡がる様子や、コロナに感染した人が群集の中を歩いた時にどうやって感染が拡大していくのか等もモデルとして美しく計算できるわけです。

別に神様が弄って云々という訳ではありません。

UFOも人魂も、己の脳を解析する脳の神秘も素数の分布も、「謎」と切り捨てた瞬間に神秘主義の餌食に。ヒトは常に謎と不思議を我が掌中で捏ね繰り回すマスターでなければなりません。

2024年5月6日月曜日

職場で泣いてる新人さん”達”

いよいよゴールデンウィークも終わり5月も普通に日々が過ぎていきます。

職場でも先月入ってきた看護師さんやヘルパーさん達のうち、若い子達(もちろん男女問わず)が、新しい仕事と格闘しているのを傍で自然に見る機会が増えました。

毎年恒例なのですが、年上の人達が「先輩」として新人さんを教える中でいろいろと問題が起きてきます。それは受ける側の個人的な種々の要因(理解力、キャラクター、性格等)が混ざった資質の差である事はもちろん、教える側の要因(理解力、キャラクター、性格)も物凄く巨大なファクターです。

脇から見るとはなしに見ていて思うのですが、やっぱり反りが合わないベテランと新人と云うのが当然あって、傍で聞いているだけでも「ああ、この人指導に向いてないな…」とか、「うわ、このひと新人いびってるヨ!」とかいうシーンがありますね、確実に。

そういう違和感を抱いた時にはそっと師長の所に行って状況を説明し、それがパワハラになったり新人の「折角の」やる気を開始早々削いでしまわないように「それとなく」教育担当から外していって新人に触らせないようにするのです。^^

文字で書くとシンプルな事なんですけど、こういう事態を私が直に感じる事ばかりではありませんので、そういう状況にあっても助けられないシーンというのも幾らでも有り得る訳です。それでも、出来る限りはコッソリ介入。日銀の為替介入と一緒ですね。w

人の指導に向いてない人がどういう人かというのを書き連ねるとこれまた長いので今日は書きませんが、逆に指導を受けるのに向いてないようなメンタリティーの人も居て本当に難しいものです。

それでも、新しく来てあまり時間の経っていない新人さん達が夢を萎まされたり、砕かれたりするような事が起きるのを完全に止めるのは無理。無理と言いたくないのですがやはり無理です。

それでも、本当にこんな事は起きて欲しく無いです。最初はダメに見える新人さんでも、一念我慢して育てられた後では「最初は想像もできなかったような」立派な職業人になるなんて例は掃いて捨てるほど見てきました。

とんでもない上司が居た時は訴えて欲しいし、我慢ならん時は別の人に相談して欲しいなって心から思うのです。

自分の子供達と同じような年齢の彼らを見ていると、心の底から頑張る彼らに何度でもチャンスをあげたいと考えるお父さんでした。

2024年5月5日日曜日

保険請求の闇

またやらかした連中が炙りだされてきました。

残念な事に周期的にこういう連中が出て来ます。通常はこういった事をやらかすと企業全体に巨大なダメージを受けるだけでなく、下手をしなくともその延長線上に破綻と経営者の入れ替わり等という事が起こり得ます。

実際、日本に帰ってきてあった出来事ですが、虐待で有名になったある施設は全国的な展開をしていたにもかかわらず、買い叩かれた挙句、完全に別の企業体となってしまいました。

今回は精神障碍者の訪問看護事業者のファーストナースが運営しているという「あやめステーション」が患者の症状、必要性に関係なく週に3回訪問するようなセッティングを全国に散らばる訪問看護師達に通知していたという話。

結局、過剰請求という奴で厚労省の最も嫌うタイプの不正に挙げても宜しいのでは無いでしょうか?恐らくこの会社にはこれから厳しい監査がガッツリ入って、今までの保険請求の束をガッツリ再精査。まさに脱税した時のマルサのような感じでお役人達が大挙してやってくる事でしょう。

病院にとって厚労省の役人というのはまさに恐怖の大王でして、どこの病院でも監査の時には院長を始めとして、理事長、事務長もピリピリしています。

今回のあやめステーションの件では「合法な範囲でやれるだけやれ!」というコンセプトで指示を出していたのであろうことはその指示の残るLINEなどが詳らかになった時点で更に明白になるのでしょうが、既に個人レベルのLINEに残っている画面画像などで上に書いたような話が漏れちゃってますので、厳しい再審査を受けるのは間違いないでしょうね。

再度の精査を受けた上で金の返済とか業務の一部停止などの命令を受けたらどうなっちゃうんでしょうか?それに、万一そのような厳しい目に遭わなくとも今後は厳しい厚労省の目に晒される訳で、大幅に訪問回数が減る事で利益の大幅な減少を見た時に従業員さんを今の状況で養っていけるのでしょうか?

今回の医療費改定で訪問診療自体にドライな大鉈が振り下ろされているのに、これで他の真っ当な日々を青い息を吐きながら過ごしている医療者側は厚労省に何の文句も言えなくなりましたね。

他の訪問診療を真面目にしている先生方は、ただでさえ辛い筈。間違いなく「よくもやってくれたな」と恨み節でしょうね。

2024年5月4日土曜日

いつもと違う状態の息子に

やっぱり親からみて子供の「異変」というのは前もって感じるものです。

長男がこの一週間弱は胃腸風邪による嘔吐と下痢に苦しめられた挙句、吃逆の抑制で二回ほど少量のクロルプロマジンを使用して事をブログでも記録していました。

結局、これらの種々の症状の組み合わせの所為で日常のリズムが大きく通常とは異なってしまいましたが、幸いにして一昨日からは体調も戻って元気になってくれていた様に見えました。しかし、入眠・起床のリズムという意味では正直「いまいち」という感じ。もう少し眠っておきたそうな様子だったんですが、嫁さんが眠たげな息子を起こして「通常の」リズムをつけようという感じで日常を過ごさせようとします。

自分としては、不規則且つ厳しい数日を過ごしたから寝せておけばいいものを…とは思ったんですが、そこは触らず。

今日も息子を連れてちょっとしたドライブにと思って高速を走っていました。守山を通過して尾張一宮のPAでちょこっと休憩と思った時に手を繋いで歩いていた時、何か何時もに比べて歩くのが遅めかな~?という印象を受けていました。

息子と小便を済ませた後、そこのPAに入っているStarbucksに入店。期待通り!全く混んでいません。^^

前から食べてみたかったGOHOBIメロン・フラペチーノというのを一つ頼んで、息子に食べさせてみました。傍から美味しそうに食べるのを見ていると、こっちも幸せになるのですが、実はいつもと少し違う様子が気になっていました。

それは、食べている時にジーッとカップを眺めたまま視線を動かさないのです。何時もはもう少し手や足を動かしたりするものですし、視線も忙しいものですが、今日の息子は一点凝視。私には強い違和感が残り続けました。

それで、それ以上の遠出は避けて家路につくことにしました。

帰りがけに息子が喜びそうなものを食べさせてやろうと思って家の近所にまで来たところ何と新しいマックの店がオープンしているのを見つけました。これ幸い!という感じで入店。オーダーして食べ始めたところで異変は起こりました。

そうです。てんかんの発作が出たのです。ジーッと手元のポテトやチーズバーガーから目線を外さない息子に引き続き嫌な予感がしていたんですが、やはり発作が起きました。

「あ、あ、あ」という声と共に顔や体も強直し痙攣し始めました。隣に座っていた30代くらいの二人の兄さんも戸惑ったような様子でこちらを見ていましたが、息子が真っ青な顔を酸欠で茶色に変えて口から唾液やバンズを少し噴き出している様子を見て戸惑うのは当然ですが、私は落ち着いて「てんかんの発作です。ご心配なく」と言って手短に説明すると「あ、あ~」という感じで了解して頂けたようです。

息子の少量の吐物をクリーンアップしてそのまま寝かせる事10分。通常であればそのままベッドに寝かせたりするところですが、ここは外出先。肩を組んで、未だふらつく息子を運びながら車の助手席へ誘導。家路まで5分です。

車を車庫に入れて、助手席で寝ている息子を申し訳ない気持ちを抱きつつ再び助手席から運び出しました。エレベーターを使って自分の家まで連れていき扉を開けて直ぐに寝かせました。そのまま夜の10時過ぎまで寝かせていたのですが、一時間ほど飲み食いさせたり、風呂に入れた後そのままにしていたら、珍しく自分でベッドルームへ行って一人で寝てしまいました。

体調が悪い時には、本人のリズムに任せるのが何よりと感じた1日の締めとなりました。

2024年5月3日金曜日

世間はゴールデンウィーク開始ですが…

先週から入れると有休を上手く入れたら10連休になるという今年のGW。

しかし、正直今の私にはあまり関係ありません。息子と一緒に過ごす日常の時間が少し増える程度でしょうか。理由は毎度簡単で、病棟に自分の受け持ち患者さん達が居ると世間は休日でも、実際には病棟の患者さん達の状態が気になってそう長い間は病棟をそのままにしておくことは出来ないという実情によるものです。

勿論、時代の流れに合わせて自分の病院でも主治医制が中心とはいえ、ある程度の分業や当直医への役割分担も拡大させてはいるんですが、実際にはそのドクター達にはそれぞれ出来るレベルというのがあります。

それは専門性の違いや経験値の違い等それらの「対応力」を決める要因は様々で、良いとか悪いとかいう類のものでは無いのですが、一番の肝は「常勤医がお互いをカバー出来るレベルであるか否か」というところです。

以前は内科医で信頼できる関係にある医師三人でチームを組めていたのですが、現在は私を含めもう一人「・・・」という感じの内科医が一人いるだけで、基本的に一人で病棟を任せられない状況。残念です。

アメリカに頻繁に帰って居た頃は任せられる他二名のドクターが居られたのですが、今はその自由はありません。orz

今日も昼に行けなかった分、夜も11時過ぎに病棟へ行って患者さん達の様子をナースの皆さんに伺いながら指示を出した後、最後に事務当直室へ。ところがこの当直室でまたしても長く「ある人物」と話し込み、気づけば午前1時に。彼らの寝る時間を私の討論が削ってしまい申し訳ない事をしたなと、帰り道の車の中で反省しきりでした。

2024年5月2日木曜日

息子の「しつこい」しゃっくり治療

実は先日胃腸風邪に罹った息子の最後の症状が残っていました。

それは酷いしゃっくり(吃逆)です。風邪症状が強かった時の嘔吐が原因だと思うのですが、もともと息子はゲップが良く出る人間。推定ではありますが、私と同じで食道裂孔ヘルニアがあるのかもしれません。

ですから、今回、こういう感じの胃腸風邪でしつこく一晩中吐いた後ではGERD(食道胃逆流症)のような状況を助長して吃逆を誘導した可能性が高いと思っています。

それにしても、通常、しゃっくり自体は大きな問題では無くて放っておけば気がついた時にはもう消えているというようなものが大半。長くても数時間から半日というところですが、今回の息子のはちょっと長すぎ。吐いたのが収束し始めるのと同時に出現してきた弱いしゃっくりが、次第にその回数も症状も強くなってきてほぼ3日にわたってなかなか眠れない程の強さになってしまったのでした。

都市伝説で「しゃっくり100回出たら死ぬ」とか言うのがネット上ではありますが、そういうギャグ系の冗談は別として、眠れない程キツイというのはやっぱり止めてあげたいところ。

私自身は数年に一回「先生しゃっくりキツイんで、止めて貰えませんか」という感じのお願いをされます。迷走神経反射を使って止めるような方法論もアリはするのですが、なかなかそこまで絵に描いたようには上手くいくもんでもありません。そこで、内科的に処方するのはコントミン(クロルプロマジン)という薬。

この薬自体はドパミン遮断効果をもつ鎮静系の向精神薬で、最も初期の統合失調治療薬としても使われてきた薬です。まあ、当時のそれの治療の時には1000ミリ!くらい使ってたんですけどね。

それ以外には古いタイプの抗アレルギー剤としては12.5ミリ。そして肝心のしゃっくり治療用としては一日に75-150ミリ程度となっています。

添い寝してあげていたのですが、しゃっくりが止まらない状態で夜中もずっとヒックヒックと寝不足風になっていた息子。ちょっと可哀想になってきました。そこで、横に居た私は夜中の3時に思い立って自分の病院に行ってコントミンの50ミリ錠を貰ってきました。

その上で、自分の息子には50ミリ錠の半分の25ミリをクリーンなカッターで切り分けて、眠れそうで眠れない息子に麦茶を渡して一緒に飲ませました。

暫く観察していたのですが、ちょくちょく横を見ていたら一時間半ほど経った4時半ごろには、この3日半ほど「全く」止まる事の無かったしゃっくりがピタリと奇跡の様に止まっていました。

最初は、おいおい息してるか?と思って寝息を聞いてみたらこれがスヤスヤ。^^

一体だれが最初に発見したのか知りませんが、極少量のクロルプロマジンがこれほどしゃっくりに有効と云うのは驚きでした。翌朝も取りあえず無症状。これから後、午後になって少ししゃっくりが戻ってきましたが、それほどの強さではありません。

再度使用するか否かは程度を見極めていきますが、先ずは取りあえず短期間のPPIの投与を行っていく事も試しておきたいと思います。

ヤレヤレでした。

2024年5月1日水曜日

責任者出てこい!w

もう本当にお前らときたら…と愚痴りたくなるほどひでえ奴らが居るもんです。

この前、何かのテレビの広告で「医師の94.X%がこのXXを推薦しています!」何ていう文言を流していましたが、これってそもそも「医薬関係者、理容師、美容師、病院、診療所、(薬局)その他化粧品等の効能効果に関し、世人の認識に相当の影響を与える公務所、学校又は(学会を含む)団体が指定し、公認し、推せんし、指導し、又は[選用している等の広告を行ってはならない。]という医薬品適正広告基準に違反していると思います。

良く調べてみると、実に微細にわたってこういう広告の基準は制限がかかっておりまして、医師の推薦だけでなく、健康食品の広告で明確でない効果を明示または暗示する事も禁止。 例えば、栄養機能食品で謳うことができるのは栄養機能のみ。それに反すれば医薬品医療機器等法68条違反。 また「癌の専門医」や「糖尿病専門医」等の各分野の専門家である肩書きを出す事も禁止等と法の網は細かく悪党共を捕まえる網の準備をしています。

要するに冒頭に述べた様な「医師の94.X%がこのXXを推薦しています!」というような広告は何を宣伝するのかは別として可能な限り忌避するべきであって、そもそもそういう紛い物をもっとも買ってしまいそうな騙され易い年よりやその文言を判断する為の学問に縁の無い人達を、経済的、または健康被害者にしない為の堅固な壁なのです。

しかし、このネットの時代においてはそういった「微妙な」隙間を埋めるかの如く雲霞の様に黒い広告が湧いて出ます。完全にアウトなものや限りなく真っ黒なモノ、大丈夫と見せかけてやっぱり完全に黒いもの等、それはそれは多彩な騙し広告が「医師の推薦」や「XX学会が認めた!」とか「医学博士」等と騙って溢れてきます。

ちなみに医学博士と云うのはとりたてて医師でなくても学位を取りさえすれば名乗れますので要注意です! 

健康に対する効果を謳った「らしい広告」は全て眉に唾をつけて眺めるとともに、一切の購入を控えるべき筋合いのものだと思います。

そもそも「医師の94%が推薦する~」って、俺そんなの一回も聞かれたこと無いぞ?って、やっぱり俺は医者の中に勘定されてないって?こりゃまた失礼いたしました。