2024年5月24日金曜日

いい歳こいてって話

いい歳こいて車や持ち物に何かを投影している連中を見ると一抹の寂しさを感じてしまいます。

物欲とはまた違う、自分を等身大以上に見せる為の道具を求める「いい歳こいた」大人達。名古屋という所は昔からわりかし見栄っぱりが多いところとして知られていますが、車や持ち物に関してもそういう傾向はあるんじゃないかなって感じます。

乗っている車もしかり、持っているカバンなんかも含めて「それあんたに合っとらんよ~」という感じのものが毎日のように見えてます。それパパが買ってくれた車やろ?wとか、ロゴがでかでかと表示されている一点豪華主義のブランド・カバンなんかを持っている娘さんを見てもクスって笑ってしまうしフェラーリやマクラーレンなんかで不必要な加速を繰り返しながら栄の大通りを走るあんちゃんなんかを見てても、パパは中小企業の一族の社長さん?wとか感じるばかり。

まあ、若いうちは中身に自信が無ければそういう「孔雀の羽」みたいなもんで飾るという気持ちは全然あるでしょう。(若い頃から賢い子達はそんな事に興味を示さず質素ですが!)

しかし、これも50超えてまだまだそういう「モノで飾る」という事で世間様にその背の高さを認識させたいというのはちょいと哀れみの気持ちさえ呼び起こします。その足元の高下駄を世間の皆さまの殆どは「あなたの人間的価値」とは思っていないというのが解らないんでしょうか。まあ、解らないからその高下駄を選んでいるのでしょうが。

人間50にもなれば、それなりに何かを成し遂げたり経験したりしているもの。育児も家事も仕事も経験も20代までの発想や経験とは全く変わって来るものではないでしょうか。

もちろん、どんな場合も「ココ一発をビシッと決める」というのはとても大切な事で、それに見合った清潔でに合った服や物を身に纏うというのはこれまた大事。しかし、それは別にでかでかとしたロゴが付いたものやアイコンとなる車に乗る事ではないでしょう。

大人であれば如何なる時もそこらあたりの価値観には「余裕」をもって、飽くまで自分の愉しみととして個人でさり気無く持ったり使ったりするスマートさは失いたくないものだと思います。

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