2024年5月7日火曜日

理解できないモノを非科学的という非科学

解らない現象、理化できない現象を目の当たりにして多くの人は「?」という反応を示します。

実に素敵な反応で、この理解できないモノや出来事(現象)に出った時に恐怖を抱くのみでは動物レベルにとどまってしまうのでしょうが、それを不思議という感覚で捉える様な反応を示す事が出来るかがまさに動物とヒトの分かれ目。

何らかの科学教育を受けた人間であろうとも、己が判断できない事を「非科学的」と決めつけてそれ以上の判断や考察を止めてしまうような発言をするような人間はやはり信ずるに値するような科学的思考力を持っているとはとても思えません。居ても大抵程度の低い似非科学者。

その反対に怪しい事を怪しい事として受け入れつつも、その現象に怪しい言葉を被せて神秘を煽る様な連中もいわゆる「非科学」のもう一方の翼を担ぐトンデモ連の連中。

その間で右往左往する人々も可哀想なものですが、「理解できない現象・説明できない現象」等と云うのはその時代その時代の科学の水準に応じて無数にあったわけで、今もそれは全く変わりません。

解析の手段や理解する為の知識のバック・グラウンドの幅や深さは100年毎の単位で見ると、まさに指数関数的に爆発していますが、それでも不思議な事は次から次へと溢れ続け、更に調べる対象は増える訳ですが時間の経過とともに「昔は全くの謎だった事」が驚くほど鮮やかにかつ簡明に説明する事が出来るようになるなんて事が繰り返されたのが科学の歴史そのものでした。

例えば有名なのがチューリング・パターン。動物の体表の不思議かつ美しい模様は二変数の連立偏微分方程式でシンプルに表現されるもの。いわゆる拡散方程式です。コロナ・ウイルスが空気中で拡がる様子や、コロナに感染した人が群集の中を歩いた時にどうやって感染が拡大していくのか等もモデルとして美しく計算できるわけです。

別に神様が弄って云々という訳ではありません。

UFOも人魂も、己の脳を解析する脳の神秘も素数の分布も、「謎」と切り捨てた瞬間に神秘主義の餌食に。ヒトは常に謎と不思議を我が掌中で捏ね繰り回すマスターでなければなりません。

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