2024年5月14日火曜日

余りのAIの進化に憂鬱になるほど…

今の時代、ネットで何でも手に入るような感覚があります。

実際恐るべき量の情報が検索の手腕次第で、そして金の払い具合次第で眼の前のキーボードを叩く事によって手に入れることが出来ます。実際のところ、多くの情報は金を使わずとも手に入るし、AIに質問すれば単純なウェブ・ページ検索とはまた異なったレベルでの「まとめ情報」が手に入ります。

しかし、果たしてこれだけの事で本当に手に入れたいような「質を担保された刮目すべき情報」を見逃さずに手に入れていると言えるのでしょうか?特にAIがまとめてくれる情報には感心するような速度で、ネットの数種類のウェブページの情報をサクッと日本語や英語で返してくれるという美技を見せてはくれますが、未公開、非公開の資料。ネットには転載されていないデータと云うのはまだまだ山の様にあって、それらを見落とすことによって大きく判断を誤っているような事があるのではないかという強い疑念を個人的には払拭できません。

最近はネットの情報を完全に参照しながら、AIに卒論を書き上げて貰う輩も多数いるという話を耳にしますが、人間の知性の衰退と云うのはこういう形で始まるんだろうかと沈思する事頻りです。

今の時点で登場しているレベルのChatGPT-4及びそのvariation、そして生成動画等のAIでさえ、文章や静止画、動画等を無数にかつ短時間で生成して来るのを見ていると、その速度と質と疲れを知らぬ生成能力は人間が持つ想像力の存在意義を相当変質させてしまっているという事に畏怖を覚える程です。

数学の問題の簡単な証明は勿論、その先の方にまで推論の能力が上がり始めているとの事ですが、一体どこまで進むのやら。

既に医学の画像診断の分野では先進的な病院では当たり前のようにAIが画像上の異常を発見しており、何の予断も無い状態で世界最高レベルの人間の読影医とタメを張るかもう少し上のレベルの読影結果を返してきます。放射線科医達は仕事の方向性を変えるか、AIが診断を出してきた結果を再確認してendorseする事が仕事になってしまうのかもしれません。

実は娘がウェブサイトで提示しているアート作品群があるのですが、娘の名前を入れて娘のアート作品と類似の作品を描いてくれというような支持をAIにリクエストすると、全く違うモノではあるのですがかなり私の次女がどのような色遣いや傾向を持った絵を描くのかというポイント、エッセンスを応用したような不気味な作品を返して来て、思わず「え~っ」と
なった事がありました。

これからの10年。AIの真価を予想するには長すぎる期間ではありますが、やばい変化が押し寄せそうな気がします。



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