2024年2月29日木曜日

16年前のこの日

今日は閏(うるう)日

この日になると毎回「私の人生のある節目」としてこの日を思い出します。

16年前の丁度この日に私はバージニアで僧帽弁の修復手術をしたのです。このブログの右のサーチ・エンジンにキーワードとして[僧帽弁]と入れると、当時の事をいろいろとメモとして記述している私の記録が出て来ます。

実はこのブログには全く公開していない「ずーっと前に記述して準備した」僧帽弁修復術の記録の過程が記されている私の裏ブログがあるのですが、未完成のままでそのまま放置しています。これからも放置し続けるつもりですが、改めて読み直すと「ようやったわ・・・」という感慨一入です。

今の日本円にして3000万円のオペでしたが、おかげさまでこうやって生きている訳で、少しは他人様の為に役立つ仕事をしている?と思えるくらいには生きた価値があったかと自分では思っているわけです。

もしあの時「豚の生体弁」なんかを使っていたら恐らくもう一回は既に弁の置換術を受けるくらいの状況にはなっていた筈ですし、機械弁であれば抗凝固剤を使用し続けることで種々の副作用にビビりながらの人生を送っていたと思います。

まあ、単なる運なんですが、あの時に心臓外科医のバンディ先生が私を受け持ってくれたのが私にとってラッキーだったのでしょう。弁の置換では無く修復に全力を傾けて下さったことに16年経った今、あらためて感謝です。

何時まで持つこの命なのかは私を含めて誰にも判りませんが、もう少しは役に立つように生きていこうかと改めて考え直した今日のうるう日でした。

2024年2月28日水曜日

くしゃみ連発・花粉酷いな

くしゃみがバンバン出て酷い1日でした。

基本的に今期の私のアレルギー症状は目の痒みが中心だったのでアレジオンLX(エピナスチン)の点眼だけで済ませていたのですが、鼻のムズムズが出てきた時点でナゾネックス(モメタゾン・フランカルボン)を朝追加でシュシュっと鼻に噴霧して問題なく過ごせていました。例年もせいぜいその程度。

ところが今年に入って初めて昨夜は寝つきの悪い夜になりました。

そもそも昼過ぎから軟口蓋の表面辺りに強い痒みと違和感を感じ始め、表面が炎症でザラザラし始めたのです。その後からはやたらとくしゃみが出て来始める始末でしたが何となく我慢してやり過ごせるだろうと高を括っていたのですが、寝始めてからが大変。

寝入りばなにくしゃみが3連発で出る始末。寝た後も咽頭の違和感が強くて少し声までかすれます。鼻汁は全然出ないのですがこの寝つきの悪さと言えば「堪らん」というレベル。しまったとは思いつつも時既に遅しでそのまま頑張って寝ました。w

朝起きたら、普段は使わずに済んでいる経口薬のルパフィン(ルパタジン)を一粒服用。これによってほぼ丸1日、昨日までの酷い症状が収束しました。念のために点鼻薬も使用し点眼もやっておきましたので、見えない生体防御の方は十分にworkしました。
経口薬の抗アレルギー剤はある先生がまとめて書かれたサイトがありますので、ここに貼っておきたいと思います。こちらのまとめも別の意味で良いです。

今更でしたが、花粉カレンダーや花粉レーダーをよくよく見てみると名古屋・東海エリアは花粉の爆弾が降っていた様で、特に朝方からは毎日酷い事になっています。
まあ、ルパフィンやビラノアは良く効きますし比較的眠気も少ないので(特にビラノアは眠気無し、ルパフィンは少し眠気あるという話ですが、私はない上に最も良く効くと思ってます。)お医者さんに処方して頂いてはどうでしょうか。

2024年2月27日火曜日

名古屋ウィメンズ・マラソンの道具到着

3月10日に行われる名古屋ウィメンズ・マラソンに今年も参加する事になりました。

勿論、ランナーとしてではなく大会の待機医師として。私が今、実際に名古屋の街を参加者の皆さんと一緒に名古屋の街を走ったら確実に死んでしまいます。w

昨年は待機医師としてかなり後半のxxキロ地点(身元が直ぐにバレるので書きませんがw)だったかな?で仕事をさせていただきましたが、心停止などの重大インシデントは私の受け持ちエリアでは発生しませんでした。また、ランニング・ドクターと言って、ある区間でペースを保ちながらその女性達と一緒に走る男女のマラソン経験豊かな医師達の存在もありますので、我々の様にある一定の距離ごとに待機している医師達は基本的に運び込みや駆け込み、そして緊急搬送の可否を決定するために運び込まれてきた近隣のランナー達を助けるのが仕事となります。

今年は随分と早い段階でのyyキロ地点での受け持ちで、半分も行かない所で待機ですのでハーフ・マラソンの参加者の皆さんも居られるわけで、万一の事態の確率は昨年とは比較にならない訳です。

今年も昨年参加された同じ職場の女性が参加されるとの事、その番号も教えていただきましたのでどこを走っているのか直ぐにトレースできます。今年こそは去年果たせなかったランニング中の写真、ビデオ撮影を行ってプレゼントしてあげたいと思います。

そして今年も本番に合わせて赤いトレーナーやビブス、キャップなど全く同じものが送られてきましたが(正確には年号などが2024になってちょっと違うんですが、誰も見ていないでしょう。w)、恐らく購入すればそれなりに値の付く立派なモノでnew balance製です。

背中に「MEDICAL」と書かれていなければどこでも立派に使えるんだけど、そして赤いキャップも正面に白十字マークが書かれていなければ普段使いできるんですけど…。

これでは出来ません!w

でも仕事はしっかり頑張るつもりです!!!

2024年2月26日月曜日

バカが拡める狂犬病ウイルスのデマ

英語ではrabiesと書きますが、ラブドウイルス科に属するリッサウイルス属のグループのrabies virusが元来の狂犬病ウイルスなんですが、同じような症状を著すリッサウイルス属のウイルスは沢山あります。

そもそも人間はウイルスの事をほぼ「な~んにも」知らないと言って良いくらいウイルスの世界の奥は深く神秘に満ちています。我々が知っているのはウイルスの世界の事実の表面を引っ搔いているだけと言っても良いと思います。

世界には人間の知らないウイルスの方が圧倒的に多くて、その極々一部の能力を用いて人間の治療に使ったり、医学実験の為の遺伝子導入システム、そして薬を体内の望む部位に配る時の研究にも使われたりしています。

さて、この狂犬病ウイルス。物凄く恐ろしいウイルスで、一旦発症すると滅茶苦茶にヤバいもので恐水病とも昔は呼ばれていました。一旦発症すると致死率はぼ100%と言って良いもの。

下の地図の様に世界の中でsterileと言える国は日本を含めわずか数か国。アメリカ大陸も含め、お隣のアジア大陸もアフリカも重汚染国で、インドなどは未だに毎年7000人以上の死者が居る訳です。
日本では昭和25年から狂犬病予防法を施行して僅か数年で制圧をしました。それ以降も毎年一回の予防注射を「法」として継続的に義務付けしているのですが、最近この接種率が劇的にかつ継続的に落ち込んでいる事が知られるようになりました。
産経ニュースより
この原因にはいろいろあると思いうのですが、その大きな原因の一つと言われているのがネットで流れる「ワクチン打つと犬の寿命が短くなる」「狂犬病は存在しない」「副作用被害で3000匹が毎年死亡」等と言う出ました!というか、毎度毎度のトンデモさん方の登場です。orz

何と言うかね、もう何にも言いませんけどお前ら打たないと20万円以下の罰金なのよ?と言う話。そして狂犬病ウイルスに嚙まれたら、そしてもし自分の家のワクチン非接種犬が万一他人を噛んで発症させたら?という極簡単な想像力も欠如しているおバカの皆様。サッサと接種してください。

令和4年には600万頭の犬のうちたったの71%しか打っていないとの事。30年前の99%がここまで劣化しました。一体日本人の頭脳と倫理観はどこまで劣化していくんでしょうかね。


2024年2月25日日曜日

真夜中の嗚咽

Amazonプライムで「ひとくず」の新ディレクターズカット版を観ました。

内容は例の如く書き記しませんが、本当に衝撃的で重い内容。しかも私にはこのような事に小さくないトラウマがある為、自分の心の傷口が痛まないように少しずつ少しずつ観ていたのですが、家族全員が寝静まって居なくなった後に残りの40分の尺を全て一気にみました。

エンド・ロールが一旦出る前にも終わりの方で泣いていたのですが、一つ目の小さなエンド・ロールが終わった後に出てきた真のエンディングでの伏線回収で堪らず嗚咽してしまいました。映画を観て嗚咽したのは本当に久し振りでしたが、言い様の無い感情が込み上げてきてそれを制御することが出来ませんでした。

暗闇の中でソファに座って画面を見つめながらボロボロと涙を流す事しか出来ませんでしたが、人間の心の中にある闇と育てられた環境の中に潜む負の連鎖が作り出す地獄。そしてその地獄を作り出す鋼鉄の鎖を断ち切る「くず」。

その「くず」の日頃の所業も生い立ちの為せる負の連鎖の剥き出しの日常なのですが、何時もしている空き巣に入った家に居た昔の自分と同じ目に、もしかすると昔の自分よりも酷い目に遭っている女の子に自分を見出した瞬間からその「くず」の中の何かのスイッチが入ります。

それは一種自分の人生に真っ黒い影を投げかけて覆い尽くしてきた負の連鎖に対す強烈なルサンチマンの暴走なのですが、そこから始まる自らが体験したことの無い疑似家族の再構成と小さな幸せの先に再び黒い雲が拡がっていくのでした・・・。

それでも、最初に書いたようなエンドロールの先に出てきた人の業の中の「救いと赦し」に滂沱の涙を流したのでした。

多くの映画祭で最優秀賞をとりまくった理由に納得です。是非観てください!

2024年2月24日土曜日

アメリカ時代の日本の友人と名古屋で再び食事

リッチモンドに居た頃に知り合いだった友人達は今でも私の貴重な財産です。

その中の一人、専門分野を乳腺外科に変更して大成功を遂げている兵庫の友人が家族四人で名古屋に遊びに来てくれました。

リッチモンドに居た頃には御夫婦にはなかなかお子さんが授からなかったのですが、日本に帰ってきてあれよあれよという感じで、今では6歳と3歳の元気な男の子の親御さんです。やっぱりストレスや環境と言うのは男性側にも女性側にもいろいろな意味で影響を与えるのでしょうか。

今日は炭焼きうな富士別邸へ家族をお招きしての食事会でしたが、若夫婦の頑張りと今までは本当に幼かった長男と赤ちゃんだった次男の二人が走り回っているのを見て何だかお爺ちゃんの気分になってしまいました。彼らにお土産として持ってきた列車・電車の図鑑に食いついて大興奮してくれたのが私には何にも増して心の癒しになりました。

ビックリしたのですが、やっぱり今時の就学前の子供達は当たり前の様に文字を読むのだなと言う事実に改めて唸ってしまいました。私の幼少時代は両親は「教育は学校に任せ、変な事を教えない」という(良いか悪いかは別として)当時の両親なりの哲学の下で育てられていた故に入学のその日まで文字や計算の出来ない子でした。そういう当時の自分からすると彼らの様にスラスラと漢字交じりの図鑑の文章を読める子を見ると何だか不思議な生物を見ているような印象を受けてしまいます。

さて、うなぎの方は先生御夫婦ともに大喜びしてくれて好物のうなぎを味わっていただけたのが何よりでした。チビちゃん達が中庭の池の鯉に夢中になっている間に、先生と私で直接現在の研究の話や大学での話などをいろいろと伺って近況を理解することが出来ました。良く仕事の出来る先生が、良い環境を得て、巡り巡ってくる種々のチャンスを確実に引き寄せているのを見ていると「次世代のリサーチは全然大丈夫だな~」と思えるのでした。

腹が満ちた我々は1時間半ほどで別邸を後にしたのですが、別れ際に前日はレゴランド、今日の午後は鉄道博物館に行くという話を聞いて名古屋にも彼らに楽しんで貰える場所があるんだなと感じた次第でした。^^

しかし、食の愉しみの広さと深さでは神戸の方が恐らく一枚も二枚も上。今度は神戸に遊びに行かねばなりません。

2024年2月23日金曜日

昔、病院に居たというトンデモ医師

人は変わると言いますが、変わって欲しいのは良い方向です。

それは自分であっても他人であっても同様で、何らかの形で成長や改善をしていく事で社会の中でより良い役割を果たしていけるようになることが全ての質を上げることになる訳ですが、残念ながらそうはいかないのが人間の住む普通の世界。

それはどの職種でも変わらない訳で、どんな仕事をしていてもトンデモと言うのは混ざってくる事になります。

その中でも極端な例と言うのが私の勤めた病院にも存在していました。幸いにして私がその医師と仕事場でシンクロした期間は一年ちょっとだけだったのですが、その精神科医はちょっとバックグラウンドが変わっている人物で、ある国立大学を卒業した後に精神科医になったらしいのですが、背景は〇朝〇系の在日の人物。しかも奥さんは総〇系のお偉いさんの娘さんと聞いていました。

内心「へ~、そんな大物の奥さん持ってると家じゃ頭上がらんやろうな~w」くらいには思っていたんですが、私にも大学時代から親しくしてきた在日の友人なんて言うのは普通に居ましたので、所謂one of themと変わらず。国籍で差別する事も無く、ただ「国籍が北の人」というだけの話です。

ところがこの人、変わっているのはその「超攻撃的なキャラ」でした。診察においても患者さんを罵倒したり、病院に患者さんを連れてくる警察官たちを睥睨したりとやりたい放題。その反動で病院の患者さん達からその御自慢の外車をボコボコにされたりしていたのですが、遂に審判の日はやって参りました。

緻密に組み立てられた病院側からの作戦によってまず理事長から「ある病院の副院長としてその病院を助けて欲しい」とある病院から要請があった、と言う話がその先生に舞い込んだのでした。勿論、裏では理事長同士の連携があったと思われるのですが・・・そこは知らずです。

体よく名目をつけて追い出した後にはその移動先の病院で案の定「数々の問題」を起こしそこの理事長から馘首(クビ)宣告。その前後に危機感を覚えていたのか、追い出された当院の理事長に「お手伝いに帰って参りましょうか」と逆オファーを掛けたそうですが、ものの見事に「間に合ってます」との一本背負いで即負け。w

その後は何だか関東の方で開業されたらしいのですが、それ以上は消息知れずです。

この御仁、ある時酔っぱらって飲み会で「自分の夢は愛知県の全警察官を自分の前に跪かせる事」との賜ったらしいのですが、この時ばかりは「流石は北の遺伝子を持ってるな~。幹部クラスは違うね。ゲラゲラ」と心の中で大笑い。権力を追及して人の上で威張る事が好きな独裁者様の流れはしっかりと継承されているようでしたが、日本では効果が無かったようです。


2024年2月22日木曜日

便秘と向精神病薬

精神科の患者さんを診ていると内科医にとって何時も大変な問題が便秘です。

脳腸相関と言われるくらい頭と腸管というのは興味深い相互作用・・・というかシンクロナイズした動きを見せます。腸管でドパミン、ノルアド、セロトニン等も相当な割合が作られますしそれらを感知する受容体も腸管には無数に分布しています。

結果として、当然の様に脳味噌という組織が感知する事を腸管も感知するような協調性がある訳でして、緊張すると脳内の信号がある一定の方向に動くだけでなくそのホルモンの働きなども腹がグルグル鳴ったり過剰な動きが過剰な蠕動や収縮などという形で人によっては「腹が痛い」という感じで感知されることになります。また、その延長上には下痢という形で緊張やストレスの表現型が示される人もいる訳です。

ところが、精神科の患者さんに使われる薬の多くはどの信号伝達経路を刺激・抑制するにしてもこれらの薬が精神に影響を及ぼすという事は間接的にであれ直接的にであれこれらの腸管の運動を抑制したり亢進させたりすることになる訳です。

なかでも、統合失調症や躁病の治療においては結果として腸管の運動を抑制する結果を生み出すことになってしまう事が多くなり、通常では問題にならに様な比較的若年者であっても便秘に悩まされる事が多くなってきます。これが長期治療者においては更に中年・老年となってくると長きに亘る腸管抑制によって便が滞留を続け、腸管からの内圧が更新して巨大な大腸がほぼ拡張したまま便が通過した後も形を変えない状態でエアだけ入っているなんて事もあります。

消化器外科の先生に伺った所、このような方の腸管というのはイレウスの緊急オペなどで開腹してみると、物理的にペラペラの状態で、正直「これじゃあ動かないのも当たり前だわ」と思えるような形態なのだそうです。

このような状態の患者さんを精神科のドクターも通常は非常に気にかけておられる方が普通で、積極的に排便を促すような措置を投薬を中心にとっていますが、時にイレウスという状況に陥って命の危険に晒される患者さんも出てくるのです。

危なくなりそうな時に我々にコンサルが入る事もしばしばなのですが、多くは院内で何とかマネージできますが、大学に送って消化器外科のお世話になるレベルの状況に陥っている方が無いということはありません。

精神の治療と消化管の問題。本当に厄介な問題ですが、生物にとっては当たり前の連関。それでも治療者側にとっては深刻で長い歴史を持った問題であることに変わりはないのです。

2024年2月21日水曜日

車に関する個人的な未来予想を書き残しておこうという話

車の未来が本当に流動的な状態になっています。

ディーゼル・ゲートでヨーロッパが技術力の無さを露呈して白旗上げてEVへと雪崩を打ってその方向転換をしていきましたが、誰が何と言おうと単に技術力が追い付いていなかった連中がトヨタに勝つ為の残りの道筋がそれしかないという事でその吹き溜まりに流れ込んでいっただけだとしか私には見えませんでした。

中国はその数の暴力と政府の補助金ビジネスに物を言わせてEVをガンガン推進していますが、所詮その電機の元は燃やした石炭という喜劇の世界。馬鹿と阿呆はこのEVに賛辞を送っていますが、作ったバッテリーは燃えまくりの上にそのバッテリーをリサイクルする技術をしっかりと確立もしないままに世の中に送りだしたせいで、中国でのバッテリーの処理場は大変な地獄が広がっています。

その点、日本は作りっぱなしの中国などとはけた違いに深く効率的なリチウムイオンバッテリーの再生処理技術を確立していますので、今後は逆に廃棄バッテリーを世界から掻き集めてそれを再生までもっていくというリチウム・コバルト・ニッケル・マンガンの資源大国になる可能性もあると思っています。集積回路などでも同じ事が日本で起こったのと同じではないのでしょうか?

EVが完全にダメだと思いうもう一つの理由は事故した時の異様な修理費。デカい電池になると、一発の軽度の事故で電池総取り換えの200万とか400万円とかいう見積もり見た瞬間にEV車を捨ててしまいたくなるような高額請求が少なからず有り得るからです。実際にテスラなどではそういう例が散見されてますしね。

これからの移行期は確実にHV。ヨーロッパ勢は今のところ35年にHVも含む内燃機関を持つ車を全て売らせないと言っていますが、どうなる事やら。例えEVに全振りしたとしても、トヨタの全個体電池に特許料を大量に払い続けるような間抜けなヨーロッパ車が日本で高級車として走り回っているポンチ絵が出現するような気もします。毎度の事ですが、ヨーロッパ勢はゴールを動かしてきますから奴らの言ってる未来なんて私は1ミリも信じていません。宗派を替えた後は過去は無かったことにするのが連中の毎度のやり口ですから。w

その後には私の期待としては水素自動車(純粋の水素エンジン車とFCEV)なんですが、まだまだインフラ不足、そして現実世界で「大」活躍する為にはまだまだ改善・改良・発明しなければならない技術要素がまだまだ沢山ありそうです。それでも、トヨタの挑戦と毎年見せつけられる改良の進展具合を見ているとどちらの水素の世界がメインかはわかりませんが「水素は必ず来る!」というのが私の見立てというか希望。^^

水素エンジンであれば今のガソリン車の技術要素をそのまま転換できるような内燃機関ベースの技術の延長が使える上に、この要素を用いた雇用継続が確保されるというもの。出されるのは水蒸気だけと言う何とも良い話ではあります。FCEVも同様に水素が肝。問題はその水素をどこから持ってくるかですが、それも太陽電池を使ったシステムや新しい触媒技術の開発で数年単位で相当の改良が進んでいるようですし。要するに金と知恵が集まるところの技術は進むという事でしょう。

まあ、これに付帯した事項で以前にもここで書いた事ですけどまだまだまだまだ水素ステーションが少なすぎて遠出できません。orz

車が走り出せば…というとこでしょうが、鶏が先か卵が先かを解決させるには金儲け爆発状態のトヨタと政府が金を出していくしかないでしょう。トヨタは儲かっているんだからそこにも金をつぎ込まないとね!

モリゾーと佐藤社長以下がどう動くか。純粋EV全振りのホンダやボルボは自動車会社として会社を存続させる為には宗旨変えしかないと思いますよ。高性能全個体電池の登場はどこまでこのEV時代を支え、変えていくのでしょうか。

10年待たずに決着がついてるような気がしますが?

2024年2月20日火曜日

何だかごちゃ混ぜの感染症群

この季節、いろんな感染症が病院内を徘徊しています。

マルクスの共産党宣言の「ヨーロッパに幽霊が出るー共産主義という幽霊である」ではありませんが、「病院には感染症が出るー新型コロナ、インフルエンザ、ノロウイルスという幽霊達である」という状況になっています。

まさにモグラ叩き状態で、ピコピコと手順良く叩いていってもアッチが収まったらコッチが噴火、こっちを収めたと思ったらまさかの方向から別のタイプの感染症がという状況で、この時期本当に厄介な状況が続いています。

幸いにしていずれの感染症においても、現在のところそれ等自身に由来すると思われる死亡者が出ていない事が幸いです。しかし、これから先もこの幸運が続くとは限りません。最大限の警戒をしていても、必ずどこかから抜け穴を見つけ出して入ってくるのが感染症の本性。その抜け穴は看護職員自身だったり、お見舞いの家族さんだったり、外を出歩いては病棟に戻ってくる患者さん達自身だったりします。

それにしても、なぜここまで各種の感染症が華が咲いたようにこの一時にやって来るのでしょうか。全くもって防御側は堪ったもんではありません。しかし、それでも継続的にかつ徹底的に防御を続けなければならないのがこの仕事の辛いところ。

早く感染症の季節が過ぎて少なくとも相手にするべき対戦相手が一つに絞られる事を心の底から祈るものです。

2024年2月19日月曜日

学校の校長にクズが多いのはそういう事か!w

ナルホド!と得心のいくニュースです。

ここ最近ネットもテレビも名古屋で名古屋市教育委員会近辺の校長選定に絡んでの贈収賄事件でして、簡単に言うと「名古屋市立小中学校の校長・教頭・教務主任等の人事に関連して、市教育委員会教職員課が毎年、約80の教員団体から校長らの推薦名簿とともに1団体ごとに5千~3万円の金品を受け取っていたことが明らかになったもので、合計200万以上。市教委は金品の授受が人事に影響を与えた可能性もあるとして調査を進めています。」という話です。しかもこの慣習は少なくとも30年以上続いていたという…。orz

この件に関して、このオトボケ名古屋市教育委員会は言うに事欠いて「多忙な人事担当職員への激励や陣中見舞いとして受け取り、菓子や飲料代、打ち上げ費用に充てていた」とのコメントを発表していますが、まあ、この程度の噴飯コメントを大真面目に出す程度というのが所謂こいつらの教育レベルという事。w

ナルホドと冒頭に記したのは、教員の中に人事に興味があって教育自身には興味の無い連中の如何に多い事かという事を学生の頃から身を以て経験していたからです。

以前もチラッと書きましたが、体育の教師とかで歴代教員一家なんて言うのは本当に上から下まで「少なくとも」コネで入ったようなアホが多かったこと、そして恐らくはそれに絡んでモノ・カネの遣り取りも有ったであろうという事が体感できたからでした。理由は簡単で「何でこんな馬鹿なのに教員出来るんだ?」何ていうのが本当に一杯居たから。

特に教頭、校長なんて言うのは授業に熱心な普通の熱血教師とは違ってもう何とも表現し難い程に退屈で傲慢で知性の輝きを感じない連中が殊の外多かった事です。出会う連中で会う連中、教頭校長クラスの俗物振りと時代からのズレっぷりときたらもう未成年でも十分に理解できるレベルの低さ。

そして今回の名古屋市教育委員会のニュースですからね。本当に心の底から志村けん張りに「あ、そりゃそうだ!」と得心した訳でした。

これ、教育委員会はいろいろ言い訳してるけど重大な贈収賄事件ですよね?税金返せや。w


2024年2月18日日曜日

息子と二人で浜松餃子を食いに行く!

昨日は親父の事を書きましたが、その親父と以前食いに行った浜松餃子をまた食いに行きました。

先ず前日から考えていたのはトヨタの次期GRやリスの特別バージョンを名古屋駅に見に行く事。そしてその後に息子と共そのまま静岡の浜松までわざと新幹線に乗って行って浜松餃子を食おうというものでした。

先ずは息子を起こして軽い朝食を摂った後に直ぐ地下鉄に乗って名駅までアクセス。JRゲートタワー前にソレが置いてあるとトヨタ・ビルのお姉さんに伺ったので、息子の手を引いてさっさと移動しました。

横断歩道を渡りきると向こう側に人だかりの有る場所が駅の待ち合わせ以外に盛り上がってました。そこでお姉さんがカタログを配っておりましたので一つ頂きました。
先ずはオジェ・バージョン
次はカッレ・ロバンペラ・バージョン
本物のラリー1WRC車両!!!(ロバンペラ運転のもの)
車を眺めていたら、何と車の横においてある本物の世界チャンピオンのトロフィーを触らせて頂いて、トヨタの方から持ち上げている所の写真まで撮って頂きました。マジで~!という感じでしたが、クールな息子を横に馬鹿な顔の浮かれ親父は横でトロフィーを持ち上げてご満悦でした。

この車欲しいんですけど、まあまた最低でも700万円レベルかつ抽選で絶対に当たらないんだろうな…。間違いなく。

その後息子の手を引っ張って直ぐに浜松行きの新幹線のチケットをゲット。あっと言う間の浜松への移動ですが、改めて息子がニコニコ顔で喜んでくれました。やっぱり移動体が好きですね~、息子は。

浜松の駅ビルについて直ぐにバスでの移動を探しました。久しぶりの浜松駅でしたが、バス・ターミナルは凄くシステマティックで、チケットも直ぐ買えましたし乗り場も判り易いところでした。行き先は航空自衛隊浜松広報館エアーパークでした。
ここが入り口です。右側が歴代の空自機展示部。
左がシミュレータなどがある解説エリアです。
モックアップですね。
ここは展示部の半分程度の写真です。
息子と二人でいろんな場所で写真を撮りながら走り回った後にお土産を購入してまた歩いて泉四丁目のバス停まで歩き、バスに乗って2人で360円だけで浜松駅ビルに戻って行きました。急いでさえいなければバスが何と言っても安いもんです!

途中で浜松城を右手に眺めたりしながら最終的に浜松駅へ。最初に目指していたところは臨時休業と出ていましたので、もっと他に高評価の石松餃子を息子と食べることに。まず嬉しいのは車でないのでビールが飲めること。w

私はビール。息子はジュースと共に餃子と飯粒という炭水化物尽くしという感じの美味い餃子定食を頂きました。帰りは美味しそうな駅ビルのパン屋でパンをしこたま買い込んで更にビールとハイチュウを買って新幹線のホームに行ったのですが、最初に乗った便には秋椅子が無かったので、一本乗り過ごしてこだま号へ変更。これでも十分速いし、乗り鉄の息子と新幹線内でむしゃむしゃパンを食べながらの旅ですから乗車時間は長めがベターということで願ったり叶ったりでした。

家に帰りついたのは八時過ぎでしたが、息子は風呂から上がって一緒にベッドに行くとスーッと寝息を立ててすぐに寝ました。良い1日でした!何だか航空博物館づいていますが、またどこか息子と遠出せねばと思った次第です。

2024年2月17日土曜日

親父の血尿

朝から電話が鳴りました。

朝の八時。こんな時間に電話が鳴る時は通常病院からなんですが、たまにそうでない事も。そしてその「たまにそうでない事」はほぼ100%親父からの電話で、ほぼ100%良くない連絡。w

今回も土曜朝という事で未だ寝ていたのですが、どっちからの電話だろうと思いながら電話を拾い上げて応答しました。

「もしもし」と話しかけた所「おい、XX(私の名前)寝ちょったか?」と親父のいつもの宮﨑弁全開の甲高い声。内心(何か良くない事あったな…)と思いつつ平静に話しかけるように「どうした?」と返答すると、今朝起きて直後にトイレに行ったところ血尿が出てびっくりして電話してきたとの事でした。

「ああ、そういう事か。で、背中の痛みとか最近も含めて全くなかった?」「そっちの泌尿器の先生から前立腺の検査は定期的にされてるよね?PSAの数値もずっと低かったよね」等と幾つかの質問をしていきましたが、少なくとも最近は大きな問題は無かったとの事でした。

十数年前に前立腺癌の診断を受けて以来小線源を前立腺に埋め込んで、それ以降劇的にPSAが低下、前立腺肥大用の薬などもきちんとオヤジらしく服んでいましたので、再発も無いとは言えんけど、どうやろうね~と落ち着いて話しました。それに腎結石、膀胱結石を含む尿路結石の可能性もありますし、感染症、腎癌、膀胱癌や直腸癌からの膀胱浸潤等も確率的には無いとも言えない疾患です。

その後、やはり心配になったのか私に「いつもの泌尿器の先生に電話したけど繋がらなくて」等と再度電話してきたのですが、「まあ、落ち着いて」と話をしたのですが、こういうのは親父のような心配性の人にとって落ち着けというのはまあ、無理筋。

「月曜に大きな病院に行って画像診断とかして貰っても全然問題ないよ」とは言ったものの、その数時間後に電話をしてきて「あんまり心配しないで良いと思いますって言われた!」と、結局時間をかけて病院に行って検査したことが判明。

血尿が潜血(++)でしたが、画像上の検査結果がどうだったのか等は紙切れなどは無し。出された薬に経口の止血剤と抗生剤が入っていたのが確認できました。

さて、親父の事ですから週明けにもまた先生の所に行くのでしょう。無事を祈る息子でした。

2024年2月16日金曜日

アメリカの家の部屋の壁塗り

アメリカの我々の家に住んでくださっている日本人女性のお話は以前ここに書きましたが、やっぱり特別な女性が居ると家がきれいになりますね。

今でも、この方にお貸しして良かったと心の底から思うのですが、その最大の理由が「奇麗好き」という点です。デザインセンスのあることは以前書いた通りですけれど、お仕事がpaintingという事もあって我が家の「いけてない」壁の色を次々と塗り替えてくださるのです。

しかもそのクオリティーが驚くレベル。まさにプロの仕事という奴でして、本当はお金をお支払いしなければならないのですが(私が知る限りpaintingのお仕事に対するお金はアメリカは非常に高額!)、我々の方で「自由に色を変えていただいて結構です」という条件だけをお話ししたところ、驚くほどのクオリティーで次から次へと美しく仕上げてくださるのでした。

今回も家のエントランス・ホールの壁を奇麗にして出さっている写真が嫁さん経由で届いたのですが、仕上がりの品質に( ゚Д゚)。先日のキッチンの戸棚の塗り替えと併せて「やっぱプロは違うよね」と心の中で納得させられました。

私自身もアメリカの家に引っ越した後に何部屋分もペインティングした経験はありますが、自分の雑な性格もあって端っこのほうのトリムやエッジの所の塗り方は本当にムラがあります。いわゆる仕上げが96%位のところで終わっちゃってる感じなんですね。

そういう所がプロに全く勝てない素人の性。そしてペイントを数部屋して解ったことは幾つかあったのですが、まずそれが異様に重労働であるという事。上を見た状態で手を動かし続けるというのはまさに筋トレそのもの。そしてその重労働の上に降りかかってくるのは有機溶剤の強烈なにおい。正直なところ三日続けてやっているとその次の朝に部屋に入って作業の続きをやろうとすると気持ちがめげる程の鼻をつく臭いと頭痛がやってきます。

そして一番辛いのが下地塗り。コレをしていないと仕上がりの色の発色が全く違うのです。上から色を幾ら濃く塗ったところで下地(プライミング)をしていなければ全く作業の意味が無い程の差が出ます。しかし、その上で仕上げの色を塗ってみた所「思っていたのと違う…」という事になって、その疲労感はただならぬもの。orz

今回の仕上がりの素敵さを見て再び「職人技」の仕上げレベルと素早さに御見逸れした次第でした。

2024年2月15日木曜日

直ぐに馘首(クビ)になる事でしょう

病院にある女医が雇われています。

一言で表現すればトンデモさんでして、病院の馬鹿な事務長が選んできたお嬢様。漫画に出てくるようなお金持ちのお嬢様らしく、一緒に踊る友人と一緒にファースト・クラスでヨーロッパに直ぐに飛んで行って踊るほどの方だそうです。ヨーロッパ往復のファースト・クラスとか幾らかかるねん?という感じですが、彼女には関係ないようです。

ちょっと調べたところ一人分200万円前後!なんだそうですが、友人の分まで出してあげるというんですから豪気なもので、下々の我々とは感覚が懸け離れております。

その上で仕事への感覚も全くの別物のようで、患者さん達に対する義務感や仕事に対する職業倫理などというものは欠片も持ち合わせておりません。驚くのは優先するのはダンスや個人の生活で、患者さんの紹介や搬送が緊急であるような状況下においても「私、ちょっと出かけるところがありますので」と言って勝手に出て行ってそのままなのです。orz

本物のドキュン(古い!w)なのですが、彼女にしてみれば病院い置いて貰って医師としてそこで働いているという肩書きさえあれば良いようで、間接的にその人と話した人の話を聞いたところによると給料なんて幾らでも良いんだそうです。

勤務時間も滅茶苦茶で、タイムカードもスワイプせず、好きな時間にやって来て好きな時間に帰っていくという事を繰り返しており、病棟のナースなども「いつも勝手に帰っていて何も頼めない」等と言って不満たらたらですが、看護師さん達のいう言葉は至極当選というか医師とかなんとか称する前に人間として完全に失格です。人の命を預かる仕事には携わってはいけないタイプの人間ですね。

こんな勤務状況に対して連れてきた馬鹿事務長が見かねてこの医師を問い詰めた所「私の働き方がお気に召さないようでしたらどうぞ解雇してください」との話が伝わってきました。恥という概念はないようです。金は有っても脳味噌は無し。どこにでもある話ですが。

前の病院で評判の悪い医師だと聞いていたうえで雇い入れた馬鹿事務長。いろんな意味で万死に値します。この女医と一緒に辞めて貰った方が良さそうです。w

2024年2月14日水曜日

いいとこ見つけた^^

バイト先で仕事を終えた後、今日の帰りに大甚で飯を食べて酒飲んで帰ろうと二週間前から皮膚科の先生と約束をしていたのですが、朝の時点で先生が咽頭炎を患い咳も出ているので「もしかしたら風邪をうつしてしまうかもしれません」との事で急遽そのイベントが中止となりました。

何度も「申し訳ない」と平謝りされたのですが、私は「何を仰る、お気に召されるな!」という感じで夕方まで十分時間があったので、昼のうちに次のプランをどうしようといろいろと考えていました。

結局、あれやこれやと頭の中でシミュレーションをしながらも先ずは地下鉄に乗ってしまって自分の家のある藤が丘の方へと移動を開始したのですが、結局のところマダマダ十分に開拓の終わっていない覚王山界隈を再び攻めてみるという考えが頭を過りまして、何時もの隠れ家飲み屋を目指して店に入ろうとしたところ「本日貸し切り」とのディスプレイ。

「うわー、バレンタイン・デイなんて碌なもんじゃないな~」と内心で苦笑いしながらちょっと表通りを戻って行こうとしたところ、なんだか気になるおばんざいの店というのがソコにあったのでジッと看板を眺めていたところ、割烹着を着た妙齢の女性が「食べていかれません?」と気軽に話しかけてきましたので、あ、お店のお姉さん?と思い「これも何かの縁でしょう」という事で姐さんについて二階に上がっていきました。

ところで、おばんざいとは何?と田舎者の私は聞いた事はあっても知らない単語を調べてみたところ、「おばんざいは、元々京都の家庭で作られるお惣菜のこと。 手近にある旬の野菜など、食材を無駄なく使い切るよう工夫された料理」と記されていました。飯食って一つ賢くなりました。w

店の中に入ると完全に普通の家庭料理を摂れるお店という感じで、実に気軽。直後に自分の仕事を終えて店にやってきた若い女の子が息を切らせながらその姐さんと会話を始めました。(後で実の娘さんと判明)

中で先ずは夕食を頼むと何ともイイ感じのザ・夕食が盆に載って出て来ました。腹が減っていたので、生チューをさっさと二杯空けながら食べ、目の前にあった突き出しの赤魚の煮つけを食べると幸福感一杯。

お店の女の子はどうやらLINEを操りながら、ママさんとじっくり相談しながらバレンタインに呼ぶべきお客さんにテキストを送り続けていました。その途中にも、会社帰りや出張中のオジサン連中が4‐5人程店になだれ込んできて酒を注文開始。横でハマチを食べ始めたので「クソ、腹が満杯じゃ無ければ食べるのに…」と思いつつ、熱燗の日本酒をおちょこでクイクイと空けていきました。

この女の子、本当によく躾けられた子で嫌味が無くお客さんとの会話の歯車の合わせ方も上手。いろいろなお客さん達とこの子の織り成す話術を聞くとは無しに聞きながら只々感心していました。内心で「鍛えられとる!^^」とすっかり驚いていたのですが、自分が若かったらこんな娘さんを嫁さんにしたら対外的な付き合いは楽だろうな~って考えてしまいました。

腹と心が満たされたところでお会計。これなら毎週来ても良いわいと思いつつ、また来週は行動パターンを変えようと思いながら地下鉄に揺られて帰り道につきました。



2024年2月13日火曜日

人の命のエンディング

人間は本当に、特に日本人は長生きするようになってきました。

それでも、いわゆる「矍鑠(かくしゃく)として」という感じで85や90を迎えるのはやはり今日でも難しいのは変わりありません。結局、健康で長生きという言葉のうちの「健康で」という部分はそう容易な事では無い訳です。

高血圧、糖尿病、高脂血症、筋力の低下によるフレイル、骨粗鬆症に由来する骨折、加齢とともに上昇する癌の発生などがその「健康で」と云う部分に重くのしかかってくるという訳ですが、どんなに運動をして、サプリを取って、規則正しい生活をして、酒やたばこを止めて、薬を使用して数値を正常化させて~というような健康志向の生活を送っていても、加齢には勝てない。泣く子と地頭には勝てないのです。w

今後も遺伝子工学や細胞工学の進展とともに臓器の置き換えや若返りなどを通して「健康で」の部分に大きな変化が起きてくるんでしょうが、少なくとも自分が生きている間じゃ無いと考えますし、そんなもの自分に応用しようとはこれっぽっちも思いません。

と云う訳で、今の時代はまだまだ高齢になった時に健康で無くなり、ADLが低下してベッド上で動けなくなった時、動けなくなった時に「一体自分はどういう最後を迎えたいのか」という事を元気なうちに考えておくという事が非常に大切となる訳です。

何故なのか?何故大切なのか?という事は実際に臨床の場で日々患者さんや患者さんの御家族と話をすると良く解ります。90を過ぎた親の最後に関して生に対する哲学を持たないまま、そして思考や自問・対話を行うことが無いままお互いにその瞬間を迎えた時に出てくる言葉の多くは「どうしたらいいいんでしょう」とか「先生にお任せします」というもの。

しかし、今の時代はそれではいけません。

「その時」が来た時の為に自ら頭を使って考え、脚を使って人と対話をし、ネットを使って情報を集めるなどの行為を予めしておいて貰いたいと現場の人間は何時も思っているのです。

2024年2月12日月曜日

本を読む子が育つ家

人類の発明の最大のものは文字だと思います。

それによって今までは口伝や見せて伝える等という方法しかなかった知識や経験の伝達方法が劇的に変わった事ですよね。カメの御裏や石に刻まれたもじ、粘土に刻印された文字なんかがその走りなんでしょうけど、それが更に大衆化していって、文字が書きつけられた紙や羊皮紙、そしてその集合体である本を読むことによってその知識の保存と拡散速度が爆発したことが人類の知識を指数関数的に激増させたことになる筈。

勿論、活版印刷の導入なんかはその進捗にターボ・ブーストを掛けてきた訳ですけど、結局は本好きを生み出すような物語やノンフィクション、聖書、教科書なんていうのがゾロゾロ増えてきた事で本読みが増えたんでしょうね。

しかし、そんな本という素敵なものがあっても活字を読まない人っていうのは本当に読まないのが私には不思議で不思議でなりません。

本を読まなければダメ人間になるという事はないでしょうし、本を読むから賢くなるというような事は一概には言えないでしょうけど、本を読む事によって無限に拡がる拡張体験や過去の人間との対話、内省する時間、ビデオなどと違い可変で思考の時間を替えて考え込むことが出来るという特権等の存在は本を読む人と読まない人の間に、長い時間をかけて「いろいろと」大きな差を作っていくと思います。

人が成長していく過程で本を読むようになるかどうかというのは個人的には育った環境が物凄く大きいと思います。勿論、親が本を読まない家でも何らかの突然変異や外からの環境の差異によっては本を読む子が育つのかもしれませんが、親が本を読んで、且つ家の中に普通に本がごろごろ転がっているような家では子供がフツーに本読みになるというパターンが多いんじゃないでしょうか。

家で子供達が本を読んで育つには小さい頃に親が普通に本を読んであげるだけではなく、親自身が本読みである事、そしてその親が子供を連れて本屋に気軽に行くような親であることが大きいというのが私見。

私のアメリカ時代には子供達を本屋に頻繁に連れていくだけの金は多くなかったので、代わりに近くのpublic libraryを頻繁に訪れては大量に絵本や本を借りていました。あとは激安で子供達の本を手に入れられるGoodwillなどを頻繁に使っていました。

金が無ければ足を使うという事でそこを乗り切りましたが、ちょっとした努力の甲斐もあって子供達は本好きに育ってくれました。

しかし、私と違って読むのは小説などが基本で、ノンフィクションや随筆が中心の私とはかなりベクトルが違いますがそこが個性というモノなんでしょうね。一旦本を読まない大人になった人ってその後も本読む人に育つんでしょうか?かなり面白そうな実験というかアンケートが取れそうですけど。


2024年2月11日日曜日

言葉と心

数年前にルッキズムとかいう言葉に初めて遭遇して「何よそれ?」と思う事がありましたが、今はもう何の驚きもありません。

アレを言っちゃダメ、コレを言っちゃダメと使用NGの言葉が毎年減っていく一方で、世の中にはとんでもなく陰惨な虐待死事件や障碍者に対する虐待、殺人等が次々と表沙汰になっては多くの人の心を暗闇に落とし続けています。

悪口・NGワードと言えば、アメリカに居る時に中国人の友人と話していた事を思い出したのですが、中国人の間では猛烈に汚い罵り合いの単語がゴマンとあるという話になりました。そういう点では日本語も英語もそういう言葉は沢山ある筈だけどとは思いつつも、実際にそういうことを調べてみた所「日常のレベル」で使うのに中国人は猛烈に豊富な罵詈雑言を用いて実際には手が出ないようなブレーキを掛けているんだとかいないとか。真偽の程は判りませんが、まあ、あれだけの人口であれだけの民族が入り混じっていろいろな地方に分かれて生活していれば、ある人には日常的に使う悪口でも、一方の人には生まれて初めて聞く単語且つ何の事を言っているのか全く理解できない悪口も「人口の数の分」だけ多くとも全く不思議ではありませんけどね。

また、アメリカでもpolitical correctnessという錦の御旗の下に色んなことが言われていましたが、むしろそれを超えて今はテレビの言葉狩りの自主規制の下で日本も凄い事になってきたなと感じる事も度々です。

political correctness(PC)に関してはアメリカに居た頃も、それを嫌っている人達の一群が居るのはごく普通で、教授会なんかでさえも男性だけが集まった時のトイレでの連れション時などでの一部の会話なんかは「それはそれは…」でした。それでも、そういった所でさえ人種や宗教、障害等に関するものなどは一切当然の様に出て来ませんでしたが、教養のレベルが下がったところでの日常会話はNIH等の休憩時間などで聞こえてくるメンテナンスの職員の会話などで十分に経験しましたので、酷い話をする奴らも居るもんだとは感じてはいましたが。^^

とは言え、私の根っこにあるこの言葉狩りへの嫌悪感というのは「その国の言語を細らせる」という事に対するものだけでなく、基本的には美辞麗句を使っていても最初に書いたような心の中は却って糞のようなおぞましい連中が沢山増える事への強い危惧です。

私は今まで脳性小児麻痺で体の不自由な弟を小さいころから見ている事だけでなく、息子に自閉症スペクトラムがある事もそれが無ければ良かったなと思ってはいても、同じような事が他の人にあろうともそれが自分にとっては差別の対象などには「全く」ならないというのは当たり前で、例えば単に指が6本あるからどうした?顔の出来が良いから、不細工だからってどうした?毛が赤いから黒いからどうした?と云う程度のその人に備わった個性としか思っていません。「違い」自体に良いも悪いも無いですから。

そんな事から、息子なんかに対してもやたらと可哀想とか言われたり思われたりするのは寧ろ「知らないモノ、違うモノに対して普通に接するって難しいもんやね」と改めて親として思うんです。長女とかはそういうのを嫌うんですが、普段からこれが普通と思っている範囲が狭い人に慣れないものを相対させるのは難しいものなのだという事を理解して欲しいなと考えないわけでは有りませんが、やがて彼女にも解る日が来る事でしょう。

だからと言って障害のある人間に心無い言葉を敢えて投げつけてくるような連中には「お前らときたら…」という感想を恐らくは持つのですが、そんな連中にそもそも関係を持つこと自体が日常では無いので、感想を持つ機会さえありませんけどね。

言葉狩りという単語を使いましたが、基本的にどんな言葉を使おうと使った人間の心が腐っていれば口から出てくる「奇麗な言葉」には何の美しさも無いタダの虚ろな音声だと思っています。まあ、政治家の公約と同じレベルの意味の無さですわな。w

口から出てくる言葉が粗野であろうとも、行動が野卑ならぬ温かいものであれば私は寧ろその人の事を逆に信じるタイプの人間です。

そして障害というのは明日の自分。障害を持つ者を嘲る未来の見えぬ人間に私が向ける眼差しはヤレヤレです。

2024年2月10日土曜日

新しいバーの開拓

息子と夕方近くまで地下鉄に乗って大須近辺を散策しました。

適度に行列の出来ている美味そうなたい焼きを買って息子と歩きながらむしゃむしゃ食べて、いつもの様に他の様々な店の様子を調べながらある「隠された」目的をもって大須の中を歩いていました。

それはGoogle Mapのなかで見つけ出した幾つかの「昭和感満載」の大衆酒場を実物を見ることで二軒ほど確認した事でした。勿論、一緒に付いてきてたい焼き食べてハッピーな息子は何も知らないままで楽しそうに私についてきます。

そんな中でまずマップ上の一件目の店を実際に発見しその外観、雰囲気を想像しながら眼の前を通過。実際に飲みに来る時の事を考えながら楽しみを想像の世界に貯金しました。その上でそれほど遠くにはない二軒目もチェック。同様にそこも「良さげ」である事を皮膚感覚で確認。夕方の開店時間にはとても及ばないので中を覗き見ることは出来ませんでしたがそこは嗅覚でチェックして終了。二軒とも間違いないなと確信しました。

息子とは大須の端っこにあるGramといういつものパンケーキの店に寄って、美味そうなパンケーキのメニューから数量限定のプレミアムをそのバカでかさから(今回は)選ばず、クラシックパンケーキとマンゴー・ジュースのチョイスで腹一杯食べました。

息子はまさにハッピーの頂点のような顔でしたが、もしかしたらマックの方がより良かったのかも知れません。w

さて、息子の手を取って地下鉄に再び乗り家に帰ってきた後、一時間半ほど休憩し、今度は以前から目をつけていて「乗り込んで調べなければ」と思っていた覚王山のバーを二軒スクリーニング。

恐らくは昔のサントリーバーの流れでは無いかと思える店と、もう一軒のバー。それぞれの店でメニューを眺めてオーダーを入れたりしながら、実際にその料理がうまい事を確認して一人喜んでおりました。

ただ、その時にはその一件目のバーで誰もタバコを吸っている客が居なかったのでまだ良かったのですが、二軒目は奥の方で喫煙者の女性達が陣取っていて、そこから流れてくる臭いが久しぶりに室内でタバコと遭遇する私にはちょっと「・・・」という感じでした。まあ、仕方ありませんが。

結局、最初のバーの方が正統派のバーで、酒の種類も豊富。しかも12時までやってくれています。ただし、二軒目のタバコの臭いのした店は2時までやってくれているという点が貴重。使い方次第です。

こういう所は人に紹介せず一人で隠れ家として飲むのが良いなと思った次第でした。

2024年2月9日金曜日

意味のない組織に注ぎ込む労力

病院の中には種々の問題に対応するための幾つかの委員会が存在しています。

厚生労働省が行う定期的な病院に対する「監査」もそのような病院側の準備を促す要件の一つではありますが、それ以上に釈迦の一般的な要請として何らかの倫理的、社会的問題等に対応する為に作られるコミッティーも幾つかあるのです。

ところが、これらの委員会の多くは「小・中規模」の病院においてはかなりの割合で形骸化している事が多いのです。例えば各種委員会での問題への対応法やその形態がが策定されたのが初回の一回目のみで、それ以降にそれらの対応策への改善や改変が組込まれた形跡が無いことなども良くある話。

委員会設置当時の文言策定に携わった人間の名前が書き込まれている最初のほうのページを読んでみると、そこに書き込まれている居る人間が既に半分以上病院に居ないとかいうかなりブラックな状況があったりします。

要するに対外的に「うちはちゃんと検討してます~!」というカタチを見せるためにだけ存在をアピールしているようなもの。これでは正直全く意味がありません。厚労省の監査を通過する為だけの名目だけの条文と委員会。まさに「為にする」だけの存在。

尤も、厚労省自身が働き方改革の錦の御旗を大きく振りつつも己はもっともブラックな働き方をしているという謎の組織ですけどね。w

何はともあれこのような組織の存在は患者さんと職員の為にあるもの。実際に直近ではパワハラへの対応が「ついに」リアルなアクションとして発動し始めたらしく、形骸化していた委員会の一つがある人物の決断のもとにその真の役割を果たそうとしている様子。

あっても意味が無いものに労力を注ぎ込まなければならないような「徒労」は誰にとっても避けたいものです。全方位で無意味ですから。


2024年2月8日木曜日

嘔吐患者が爆発的に発生した病棟

今年は私がアメリカから帰ってきて9年目にして初めて胃腸風邪というものが流行りました。

名古屋のみならず、全国あちらこちらでノロ等の胃腸風邪が流行を見せているという事は調べて知ってはいましたが、自分の勤める病院でそれが実際に発生すると話は別問題です。

看護師さんからの報告は最初、一日で食欲が無くなったその日の午後や寝た後に一回から二回嘔吐した人が出てきたというものでした。その後に今度また三人、その翌日に再び二人、その翌日にはまた四人という感じだったのですが、その症状がほぼ全員一緒。

殆どの患者さんは一回、多くとも二回吐いた後は下痢も無く熱が少しだけ出て終了。寝たきりの患者さんの中で、嘔吐時に誤嚥をしてしまったごく少数の高齢患者さんが2人ほど抗生剤を短期間使ったのみで熱発からは解放されました。(誤嚥した量が少量かつ肺炎も狭い範囲でした)

食事が摂れなかった間だけ一日か二日のみ点滴で脱水を回避する事で20人以上がスーッと軽快化し何事も無かったように普通の状態に戻ってくれました。しかし、患者さんのみならずそこで働いた看護師さん数名とヘルパーさんも同様の症状が出現して病棟業務は大変な状況になりました。

他の病棟から看護師を応援に派遣するというアイディアが看護部に出ていたんですが、それをやってしまうとその応援に来てくれた看護師さん達が自分の病棟に戻って行った時にその胃腸風邪を周りに…と医師側は言ったのですが、背に腹は代えられない程に追い詰められていた病棟側は泣きを入れてその禁断の果実を食べてしまったようです。

下痢にまでは至らない今回の胃腸風邪、検査キットでもノロ・ロタは出現しませんでしたが、これがノロだったらもう少し悲惨な事になっていたような気がします。

皆さんも、家族に一人嘔吐下痢症が出てきたら家族内感染と外部への感染伝播に十分お気をつけてこのシーズンを乗り越えてください!

2024年2月7日水曜日

日本で雇用主になるとかキツイ冗談!

アメリカと日本の間で比較すると、日本企業が次々に進化出来ないのはまさに「人切り」が出来ないからだとの思いに至る今日この頃です。

私自身は雇用者側の人間ではありませんが、問題のある看護師、その他の病院関係職員に関して「病院の運営に関しては存在が成長や運営の妨げになるな」と思えるレベルの少数の職員に関して、どう考えても彼らを現場から切り離す合法的な手段など見つからないというか、もしあるとしても途方も無く難しい時がありすぎるのです。

例えば以前挙げたような明確なパワハラをする職員や虐待に関係した職員、そして院内での仕事において極端にパフォーマンスが悪い職員を辞めさせる手段も通常は存在しません。法的にクロと言えるようなやらかしをしない限りはその人の職業人として罷免されることはありません。

ココがアメリカとの大きな違い。

多くのアメリカ企業ではごく普通に”Employment at will”というものが契約として存在していて、社員はいつでも辞めてもいいし、会社はいつでも社員を解雇できるという内容の契約書がありますので、異様に流動性が高い。社員も当たり前の様にどんどん辞めるし、マネジャー・クラスでも何の遠慮も無く他の企業や職場へ移っていく。

勿論、人種、年齢、性別差別その他の倫理的にアウトな理由などで仕事を無くすような事があれば訴えられてアウトでしょうが、それでも十分に企業の都合でlayoffされるのは日常の世界。勿論、fire(layoffとは全く違う!)されるのは通常やらかしのようなヤバい場合ですが。

日本の様に組織改編などの企業の都合でさえ要らなくなった人材が保護されるべき立場であれば、企業の競争力は落ちていくのも仕方ないというもの。

しかし、取り敢えずは日本がこうやって企業などに努める人間をガチガチに守るのは当然理由があって、人事権を持った会社側が自由にそこの人間のポジションを右に左に差配できるというシステムがあるが故なんだそうです。要するにXXというタスクを与えられ、YYという職位の人として雇用される事が殆どのアメリカのシステムとはやはり違う訳ですが、過剰に何でも守り過ぎて所謂ダメ人間も内部に抱え込み続けないといけないという厳しさ。

いろいろな雇用に関連する条文を最近読みましたが、日本で人を辞めさせるのはほんまに「無理っす」という世界だな~と感じて震えた次第でした。

日本の組織においては悪貨は良貨を駆逐するのです。orz




2024年2月6日火曜日

脱税野郎共は捕まらず、ただ政治家として落ちていくのみ

本当に恥知らずも極まれり。

悪い事をしたら捕まり、罰せられる。脱税したら重加算税をつけられたうえで先ずは4割が持っていかれるというのが本来の「落ち」の筈ですが、政治家の場合は再申告すればそれが許されるみたいですね。w

群馬前橋市の市長選において非自民候補が大差で自民の現職を破って勝つという珍事が発生しました。そもそも群馬というのは正統派の保守王国として知らぬ者が無い程ガチガチの自民の牙城。それが大差をつけて敗れ去ったというのは明確な自民拒否のシグナルでしょう。

心の底から政治家共の殆どは国民の事など考えていないんだなというのが「改めて」理解できた一連の政治資金規正法違反事件でした。それらしい名前はついていますが要するに脱税。どこからどう見ても脱税です。政治資金などとそれらしい名前を付けてはいますが、右から見ても左から見ても上から見ても下から見てもどこからどう見てもタダの脱税。己の為に使う金です。

政治家なんて言うのは結局「再選」という作業に向かって動き回るだけの動物。他には何もありません。中身は空虚…というか腐った肉の詰まったゾンビのような連中です。

一番困るのはこの連中が今後も暫くは痛い目に遭うでしょうけど、その対抗馬として勝つ連中は特にその品性や能力が高いからという理由で為政者になるわけでもなく、殆どの場合は単にこれらゾンビの対抗馬だというだけで成り駒になっただけ。別に期待が集まっている訳でも無いという事を肝に銘じて必死に仕事をしておかないと二期目は恐らくなくなるでしょう。

要するに今起きている事は私がアメリカで暮らしていた時に発生した民主党の勝利と同じ構図。恐らく非自民が大半になったらその多くはヤッパリ無能だという事が時間と共に証明されるだけでしょうが、お仕置きは必要だと考えればこういったネガティブな面は無視されてでも自民は大敗する事でしょう。

自民大敗と政治的混乱。なかなか魅力的な響きです。どうなろうと知った事かと言いたい所ですが、税金が又無駄使いされるのかと思うと子孫達に申し訳ない限りです。

これまた政治家のバカ娘として悪名高いドリル娘こと小渕優子をあんな役職に就けた時点で岸田のオッサンの命運は尽きたようなもんですが、どこまでも国民を馬鹿にしたことをやらかしたツケと思えば当然でしょうか。

2024年2月5日月曜日

中国人の看護師さん

勤めている病院には既に数か国の異なる国からやって来ている看護師さんやヘルパーさん達が居ます。

今まで一番多かったのはフィリピン人のヘルパーさんだったのですが、結構な割合でターンオーバーを繰り返していきますし、時間にゆるい人が多くてなかなか日本の風土には馴染めないというのが私の見立て。

他にはネパール人のヘルパーさんが一瞬だけいましたが直ぐに消えてしまいました。やっぱり若い子達は職場で働く仲間が少ないと余り続かないみたいですね。ベトナム人の集団も居たのですが、今はほぼ無し。タイ人は皆無。

そして今、病院の中でメインの外国人として働いてくれているのが中国人の若手看護師さん達です。他の県や他のエリアの他の病院がどうなっているのかは正直知らないんですが、少なくともこの看護師さん達は基本的に「真面目」な若手が多いです。

ビックリするほどの日本語速習能力はその若さと真面目さ故か?そして仕事の内容の把握も早くて正直な子が多いです。患者さんに対する応対・接遇も名古屋弁のみならず、いろいろな田舎の方言でボソボソ喋るお爺ちゃんお婆ちゃんの質問にもきちんと答えるのを見ていると本当に大したもんだわいとオジちゃんは感心するのでした。

その中国人看護師さん達の一部はこの春節に田舎に帰る子が少しだけ居るんですが、主に瀋陽からきている子が多いようです。数日帰る子も居れば、3週間の休暇を取る子も。中国で正月と言えば基本的に今でもしっかり旧正月が基本であって、西洋諸国の正月など基本どうでも良い感じ。

何と言っても「数は正義」ですから、中国人といわれる世界の人口の約二割を占める人達の習慣はいろんな意味で標準の一つになってしまう訳です。そんなこと言ったらインドもほぼ中国と同じ人口になってしまいましたので、この二か国で世界の人口の4割弱になってしまうという恐ろしさ。w

21世紀はしばらくはこの二か国の割拠の時代が続くんでしょうね。

さて、この中国人の看護師さん達。近未来に日本に住み続けるのだろうか?というのが私の最近の小さな疑問。いい人達なら日本の国籍とって住んで貰って全然良いと思うんですけどね。



2024年2月4日日曜日

患者さんを切り捨てる時

バイトに行っている在宅診療の病院で極マレではありますが、病院側から患者さんに向けてお別れを言う事があります。

何のことか良く解らない方もいる方も居ると思いますが、これは病院に定期的な在宅医療の診察を依頼してきた患者さんに対するサヨナラ告知なのです。一般的に病院側は一旦受け入れた患者さんを特別な理由も無しに切り捨てたりする事など有り得ません。

そこはまさに紳士協定のようなもので、診療が大変な患者さんであろと病院側としては患者さんとその家族には最大限の誠意を尽くして少々の困難があってもその方から「お断り」等というこれまた稀なリクエストが入らない限りは患者さんの事を見捨てることはありません。

それが結局は病院の信頼というものに繋がる訳で、そういう一軒一軒からの依頼の丁寧な診察と評判が最終的には病院全体への信頼と評判を築いてゆく事になります。

そのような事を考えると、通常は病院側から見て「困った人だな~」と思えるような患者さんであっても、本当に実務上の我慢の限界まで我々は我慢するのですが、常軌を逸したクレームによる継続的な非難中傷、薬やアルコールでラリった状態で延々と病院に電話を掛け続ける人、いわゆる精神的な疾患が理由なんでしょうが被害妄想をもとにあり得ないような話を語り続ける人、不安障害などが盛り上がって、直ぐに、そして何度も救急車を自分で呼んでは救急隊やその搬送先の病院に迷惑をかける人などは院内で責任者が集まった上でサヨナラの告知をしているようです。

「しているようです」というのは最後のステップのサヨナラの電話や通知書の送付のところには私は関与した事が無いから。

ところが、こう云うnoticeを出すと、半狂乱になって「患者を見殺しにするのか」とか「法的な根拠も無く我々を切り捨てるのは違法だ」等と電話口で延々と怒鳴り続けたり興奮状態になったりする人が居るらしいのですが、病院はその重大決定に至る迄に十二分にそこに至った経緯や経過を書き込んでいますのでまず何の問題も起きません。

訴えてやるという捨て台詞を残して電話を切る人も居れば、明らかにソレと判る人からのウェブ上での書き込みなどがある事もしばしばなのだそうですが、実際に訴えられた事はありませんし、理事長はその手の書き込みなんて言うのは屁とも思っていないようで完全無視なんだそうで…。

世の中「変な人」って思っていた以上に沢山いるんだなというのがバイトに出てきて理解した新鮮な発見でした。w

2024年2月3日土曜日

字が下手で下手で・・・

字を書く事にコンプレックスを感じる人は一定数居る筈です。

ココにも何度も書いてきましたが、自分が字が下手でどうしようもなくその事が嫌だという事を何千回と自分自身で日々感じさせられる日々です。

病棟でも学校でも、周りに美しい字や達筆では無くとも魅力的な字を書く人が居ると思わずその字体に見とれてしまいます。必ずしも達筆でなくとも魅力的な字を書く人は世の中たくさん居るというのが私の考え方なんですが、その何れにも引っ掛からない碌でも無い字しか書けません。自分で見ていてテンションが落ち続けるような字と言えば言いのでしょうか。

世の中には良く「いや~、本当に私って字が下手で恥ずかしいです」とか言う人居ますけど、私にしてみれば嫌味にしか聞こえません。恐らく私の字は字が書ける人間の中で下手な人の中の下から1%位じゃないかと思ってるんですけど、何ともならんですね。

死亡診断書を書く時だけは物凄く慎重に丁寧に心を込めて書くのですが、それでも出来上がった診断書を見直して「下手だな~」と改めて思うばかりです。

ササッとペンを取って素晴らしい達筆であらゆる文章を書き連ねる人を見ると「何だか生物としてのランクが違うorz」という感じ。自虐的ダメ人間感の炸裂です。w 正直物凄く羨ましいし、次に生まれてくることがあれば美しい字を書ける人に生まれ変わってきたいです。

丁寧に心を込めて書けば如何なる字も何とかなると思いたい私ですが、目の前の紙に書きつけられる己の悲惨な字面を見ると心を乗り越えて覆い被さる我が手の悲惨さよと改めて心折れるのでした。

PCで何でも済ませる時代になってもやっぱり手書きの字の味というのは永遠の宝物だと思います。(それを持っている人にとっては!)


2024年2月2日金曜日

別の新年会を連続で開催

今日は昨夜に引き続いて病院の事務系職員等を連れて栄で新年会をしました。

若手に「新年会をしましょうよ」と言われたので、それじゃあという事で私の方からあるもつ鍋屋を提示したのですが、彼の方からは別のもつ鍋屋を示してきましたので、そちらのアイディアに乗りました。

事務方の重要人物二人と他のディビジョンの中堅と飲みましたが、栄のもつ鍋屋に行く為に私自身はまず病院をさっさと出た後に家の車庫に車を収めて家に一瞬だけ戻ってから藤が丘駅に向かいました。バスの停留場の傍に待っている彼らを認めて手を振るとササッと走り寄ってきました。

さあ行こう!という感じで地下鉄に飛び乗って栄へ一直線。降りてそれほど離れていない所にその店はありました。お店に入ると直ぐに生チューを頼んで即乾杯。ドでかい鍋のもつ鍋も直ぐにやってきました。
そこで始まった話は新年会には直にはそぐわない様な病院における種々の問題に関する真剣な討論と対応の方法論の検討。彼らの現時点での院内の現実の把握のレベルと今後に対する対応検討へのアイディアは聞いていてなかなか良く現実を切り取っていたし、対処法もかなりリアリティがあって頼もしく感じられました。

あとは院内に残っている仕事の出来ない退職間近の「名ばかり上司」の妨害をどうやって排除するかという一点に問題は集約される感じですね。こういうdominant negativeの存在はどういった組織にも存在するものですが、組織を完全に滅亡にまで導くレベルの奴からその存在が組織によって速やかに排除されるものまで種々のパターンがあります。

結局は組織のトップの見識と器がその長期的運命を左右するのでしょうが、私の勤める病院は10年後にどうなっているんでしょうか?

期待と不安が入り混じる…というのはこの事です。

この後は二次会にも行って少し飲み食いを重ねましたが、今度は一次会とは違って打ち解けた話に花が咲きました。しかし、二つとも私の全払いだったので少し財布が薄くなりました。w

あと、家に帰ってきてからよく考えたら手袋を無くしてしまった事に気がつきました。仕方ないですが。

2024年2月1日木曜日

合格祝いと昇進祝い

今日は突然でしたが夕食を焼き肉にしてお祝い会を開きました。

病棟で仕事をしていたところ、昨年から働き始めた若い男の子の准看護師が声を掛けてきました。「先生、何時お祝いをして頂けるんでしょうか~」と。

彼が正看護師になるための学校に合格したことを少し前に直接伝えられていたのですが、その件に関して食事に行こうか?と軽く言っておいたのですが、彼自身は何も言わずに随分待ち望んでいた様で、その場で藤が丘の焼き肉に電話をしてみたのですが、誰も出ないので検索をしてみるとGoogle Map上で「閉店」の告知が・・・。

おやおやと思い直ぐに何時も良く行く別の焼き肉店をコールしてみると幸いにも木曜だからなのでしょうか店が予約出来ました。ところが、この一連の手続きを脇で見ていた師長が「先生、私の師長就任祝いは未だなんですけど~」と横からリクエストを入れてきました。仕方ありませんので彼女も一名追加という事で焼き肉屋を6時30分集合で予約。

寒空の下三人とも仕事を終えてそれぞれが車に乗って店に馳せ参じました。

肉とご飯とソフト・ドリンクを若い彼がありったけ注文し、それを焼きながら近況や未来の希望に関して話を聞く良い機会となりました。しかし、しかしというのが話の落ち。

師長のほうの話は大したことのない至って普通の苦労話だったのですが、物凄かったのはその正看護師になるための学校に合格した子の苦労話。何というかもう自分の育ってきた今までの生活背景からは想像もつかないような暗くて救いの無い話のオン・パレード。

師長と話を聞く側になりましたが、それを陽気に話す彼の姿を見て何も言葉を返せず部屋の一点をじっと眺めるだけでした。こんな重い、暗い、救いの無い話をよくこんなに明るく話せるなと彼の顔を見ていて思ったのですが、一言「よく笑って話せるね」と尋ねたところ「いやあ、もう笑って話しでもしないととてもやっていけませんもん」との返答。

なるほど、そういう対処法もあるねと心の中で感じたのですが「この子は意外と魂の根っこのところで根性があるのかもしれん」と彼を見直した瞬間でした。今後とも彼の事は陰でじっと見つめてその成長に期待したいと思います。彼の良いところは常に患者さんに優しく寄り添えること。きっとその優しさと強さがリンクした時に良い看護師が生まれるのではないかと思います。