人類の発明の最大のものは文字だと思います。
それによって今までは口伝や見せて伝える等という方法しかなかった知識や経験の伝達方法が劇的に変わった事ですよね。カメの御裏や石に刻まれたもじ、粘土に刻印された文字なんかがその走りなんでしょうけど、それが更に大衆化していって、文字が書きつけられた紙や羊皮紙、そしてその集合体である本を読むことによってその知識の保存と拡散速度が爆発したことが人類の知識を指数関数的に激増させたことになる筈。
勿論、活版印刷の導入なんかはその進捗にターボ・ブーストを掛けてきた訳ですけど、結局は本好きを生み出すような物語やノンフィクション、聖書、教科書なんていうのがゾロゾロ増えてきた事で本読みが増えたんでしょうね。
しかし、そんな本という素敵なものがあっても活字を読まない人っていうのは本当に読まないのが私には不思議で不思議でなりません。
本を読まなければダメ人間になるという事はないでしょうし、本を読むから賢くなるというような事は一概には言えないでしょうけど、本を読む事によって無限に拡がる拡張体験や過去の人間との対話、内省する時間、ビデオなどと違い可変で思考の時間を替えて考え込むことが出来るという特権等の存在は本を読む人と読まない人の間に、長い時間をかけて「いろいろと」大きな差を作っていくと思います。
人が成長していく過程で本を読むようになるかどうかというのは個人的には育った環境が物凄く大きいと思います。勿論、親が本を読まない家でも何らかの突然変異や外からの環境の差異によっては本を読む子が育つのかもしれませんが、親が本を読んで、且つ家の中に普通に本がごろごろ転がっているような家では子供がフツーに本読みになるというパターンが多いんじゃないでしょうか。
家で子供達が本を読んで育つには小さい頃に親が普通に本を読んであげるだけではなく、親自身が本読みである事、そしてその親が子供を連れて本屋に気軽に行くような親であることが大きいというのが私見。
私のアメリカ時代には子供達を本屋に頻繁に連れていくだけの金は多くなかったので、代わりに近くのpublic libraryを頻繁に訪れては大量に絵本や本を借りていました。あとは激安で子供達の本を手に入れられるGoodwillなどを頻繁に使っていました。
金が無ければ足を使うという事でそこを乗り切りましたが、ちょっとした努力の甲斐もあって子供達は本好きに育ってくれました。
しかし、私と違って読むのは小説などが基本で、ノンフィクションや随筆が中心の私とはかなりベクトルが違いますがそこが個性というモノなんでしょうね。一旦本を読まない大人になった人ってその後も本読む人に育つんでしょうか?かなり面白そうな実験というかアンケートが取れそうですけど。
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