2024年2月13日火曜日

人の命のエンディング

人間は本当に、特に日本人は長生きするようになってきました。

それでも、いわゆる「矍鑠(かくしゃく)として」という感じで85や90を迎えるのはやはり今日でも難しいのは変わりありません。結局、健康で長生きという言葉のうちの「健康で」という部分はそう容易な事では無い訳です。

高血圧、糖尿病、高脂血症、筋力の低下によるフレイル、骨粗鬆症に由来する骨折、加齢とともに上昇する癌の発生などがその「健康で」と云う部分に重くのしかかってくるという訳ですが、どんなに運動をして、サプリを取って、規則正しい生活をして、酒やたばこを止めて、薬を使用して数値を正常化させて~というような健康志向の生活を送っていても、加齢には勝てない。泣く子と地頭には勝てないのです。w

今後も遺伝子工学や細胞工学の進展とともに臓器の置き換えや若返りなどを通して「健康で」の部分に大きな変化が起きてくるんでしょうが、少なくとも自分が生きている間じゃ無いと考えますし、そんなもの自分に応用しようとはこれっぽっちも思いません。

と云う訳で、今の時代はまだまだ高齢になった時に健康で無くなり、ADLが低下してベッド上で動けなくなった時、動けなくなった時に「一体自分はどういう最後を迎えたいのか」という事を元気なうちに考えておくという事が非常に大切となる訳です。

何故なのか?何故大切なのか?という事は実際に臨床の場で日々患者さんや患者さんの御家族と話をすると良く解ります。90を過ぎた親の最後に関して生に対する哲学を持たないまま、そして思考や自問・対話を行うことが無いままお互いにその瞬間を迎えた時に出てくる言葉の多くは「どうしたらいいいんでしょう」とか「先生にお任せします」というもの。

しかし、今の時代はそれではいけません。

「その時」が来た時の為に自ら頭を使って考え、脚を使って人と対話をし、ネットを使って情報を集めるなどの行為を予めしておいて貰いたいと現場の人間は何時も思っているのです。

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