2023年11月30日木曜日

外で先生と呼ばれるとドキッとする

近所のモールに息子と二人で出かけた折にエスカレータに乗っていると誰かが後ろのほうから甲高い声でセンセ~と呼んでいる声がしました。

ほとんどエスカレーターを上り終えたあたりだったのですが、息子と二人手を繋いで何か息子に合う冬服でも無いかいな~という感じであちらへフラフラ、こちらへフラフラと探索していた時でしたので、突然の先生コールを理解するのには一秒ほど間が空いてしまいましたが、どこかで聞き覚えのある声でした。

もしやU主任?と思って後ろを振り返ると案の定Uさん。ニコニコと笑いながら「やっぱり先生だったんだ!」との第一声。後ろ姿だけでも判るもんかいなと思っていたら、Uさん曰く「最初は息子さんのバックパックに可愛いお菓子のキーホルダーとかが一杯ついているし、可愛いなと思っていたらヘルプ・マークも見えたので(あ、だから手を繋いでいるんだ)と思ったんです。だけど、その繋いでる相手を見たら(これ先生じゃん!?)とわかったんで、声掛けしてみたんです」とのこと。

一年ほど前にもU主任には「先生、スマホ持ちながら長久手のほうをスタスタ歩いてたでしょう!」と、走る車の中から家族ぐるみで見つめられていたとのことで、思わず「ポケモンしてた」と正直に話してしまいました。w

何だか生活圏が被っている病院の人達からは時々姿を見られている私なんですが、放射線技師さんからも、精神科の先生からも意外な場所で見られていて、それがパン屋だったり、本屋だったりしているので悪い事は出来んもんです。^^

そもそも500人以上も居る病院の種々の職員。名古屋の多くのエリアに散って生活していますし、病院内の制服と違って当然私服で生活していますから、マジマと顔を見るまでそれがいつもの職員さんと判らないことも多々あるのでした。

それにしても外で「先生」と呼ばれるのは何だか身が竦む思いです。成人の男性同士で手を繋いで地下鉄でも栄でもいつも仲良く二人で歩いていますので、もしかして歳の差ゲイ・カップルとか思われてるのかな~等とふと考えることもあるのですが、息子のハッピーな顔を見ていると正直「どう思われようと、どうでも良いこった」とおもって、思い切り手を振りながら二人でどこでも歩くのでした。^^


2023年11月29日水曜日

人生最後の過ごし方が変わってきた

日本に帰国してはや八年が過ぎようとしています。

私の様な臨床経験が少ない人間にとっても平成から令和への移行は現場における様々な変化を感じることが出来ます。十年一昔という期間に少しだけ欠ける長さではありますが、この間の変化は「充分」という長さだと改めて思います。

一番の変化は人生のエンディングに関するdecision makingの中身の変化でしょう。

特に高齢者が入院して来た時に、高齢の患者さん御自身が独り身の方であればその方自身に伺う事となる「万一の場合の救命措置や栄養補給等の有り方」についての選択を入院の時点でお伺いすることになっているのですが、最初の頃は心臓マッサージや人工呼吸器の装着、胃瘻の造設などを求める方が沢山おられました、また、医師の判断に任せるという選択肢を選ぶ方も患者さんや御親族を含めて大変多かったのですが、今ではすっかりそのような選択肢をされる方々は珍しくなりました。

患者さんの御意見の場合でも、御家族の御意見の場合でも、最近それに代わってきたのは「無理な延命は止めてください。その代わりなるべく苦しみの少ないように安らかな人生の終わりを」というものです。

言葉の枝葉末節は其々の方々で表現が異なりますが、ほぼ言いたいことは皆同じで大同小異という感じです。

緩和ケアも含めて癌やCOPDの末期の方々の人生の終わりの迎え方を何度も何度も経験するうちに私自身も学ぶ事が沢山ありました。私は基本的に世俗的な仏教徒だと自分では思っていますし、詫び寂びというものも理解しようと常に心がけていますが、その本質的な「実体」が眼の前の旅立つ人の中に見えてきている気がします。

人生の終盤で「持っていても儚いだけ」と思えるものが増えるにつれ、様々な欲が体と心から剥がれ落ちていって、最後には身一つでサラリとあの世へ旅立つ心の準備ができる人が増えているのかもしれません。

昭和が終わり、バブルに塗れた平成が遠くなるにつれてますます日本人の選択肢はこのような方向に収束してきているのではないかとふと思うのでした。

2023年11月28日火曜日

更に厳しくなる病院経営

これから更に病院経営が厳しくなっていく事はほぼ確定的です。

今回、財務省の諮問機関である財政制度等審議会の分科会で診療所(ベッド数が20床未満)がサービスの対価として受ける診療報酬が「極めて良好な経営状況を踏まえ(医師らの人件費にあたる)報酬本体をマイナス改定にすることが適当」と提言していますが、ビックリするの今回のデータ・ベースがコロナ前の医療収入と、補助金によってグワッと底上げされた医療収入とを比較して12%の伸びを示した一方で、医薬品や機器貸借料などの費用の伸びは6.5%だったので、その余剰金がある分をマイナス改定に持ち込むという乱暴な議論。

まあ、何とも官僚らしいインチキ満艦飾の強引な数字付けです。まさに恣意的統計解析というやつで、数字に弱い、官僚の意見に何の見識も持てない増税眼鏡オジサンらしい押されっ放しの発表となっています。

こういう特異な時期の特異な数字の変化を以てこれからの日本の医療費の大幅削減を求めていくのであれば、当然医療の質自体は「自然にかつ絶対的に」下げざるを得ないでしょう。

国民皆保険というシステムの中で日本人は恐ろしい程の高度な医療を実に安価に手軽にうけていますが、海外で日本の現在の医療水準と同じレベルのサービスを提供されるにはどれ程の金を使わなければいけないか日本人は全く解っていないと思います。まあ、共産主義的な民主主義国家である日本では金持ちは国家の中に存在を許さない方向で一致団結していますので、医者程度が金を持っている側の「代表」にされて叩かれるという構図が過去からずっと続いています。

これから多くの診療所は今よりも速いペースで潰れていき、淘汰どころか必要な分量の診療所も維持されず、多くの患者は不便を強いられながらも長い待ち時間の果てに大規模病院で短時間診療でまわされるというイギリス型の公的医療制度へと順応させられることとなるでしょう。

そしてその時になって初めて「良質な医療には金がかかる」という単純な事実を確認し、過去のサービスが如何に医療従事者側の犠牲の上に成り立っていたのかという事実に思いを馳せることになる事でしょう。

私、ずっと思っているんですけど、こういった暗い近未来の予測を知ったうえで高校の進路指導の教師達は教え子を医学部に送っているのだろうか?と勘繰ってしまうんです。w

2023年11月27日月曜日

ARTというのはやっぱりセンスの問題だよな~

アメリカの家に新たに住み始めてくださった日本人女性のデザイン・パワーが炸裂している感じです。

アメリカから送られてきた一回のトイレを御自身のペインティングの技能とデザイン・センスを組み合わせて奇麗に塗り直してくださった動画が届いたのですが、単純に言葉を失いました。それはそのトイレが余りにも奇麗に生まれ変わっていたからでした。

私はアメリカの家の一階のトイレ部分を前の持ち主から買い取った後、ダサいピンクに塗られていた壁を一度wall paperを買ってきて、ノウハウ本を読みながらテクスタイルを張り直して、更に大きなミラーも近所のLowe’s買ってきて奇麗に作り直したつもりでした。

それも次第に飽きてきてはいましたが、日常の忙しさにかまけて10年ほど放っておいたのですが、この度見せられたトイレの中身は驚くほどシンプルかつ清潔な美しいトイレへと生まれ変わっていました。ちょっとビックリするレベルでして、心の底から「ああ、この人に家を貸して良かった~」と改めて思えたのです。

デザインのセンスがあって、その目標を達成させるだけの技能がセットになっているとビックリするほどの仕上がりになるんだなという事が嫌というほど解った今回のリノベでした。要するにプロの仕事ですね。キャビネットまで黒檀調のカラーに変えられていて、以前のままの素材剝き出しだった私が居た頃の「おもかげ」は跡形もなく消えておりました。

何度画像を見ていても「飽きない」と云う位の仕上がりって本当に良いですよね。普通だったら間違いなく高いお金を払うレベルの技術料と材料費。ペイントの魔術師という感じでした。今度はリビングのブロックをペイントする予定との話を間接的に聞いたのですが、今から仕上がりが愉しみです。

彼女には何年住んでも最初に決めた額の家賃のままで結構ですというお話で契約をさせて頂いたのですが、本当にこれからも長く住んで貰えればと思ったのでした。

2023年11月26日日曜日

認知症の看護師・医師

恐ろしいことですが、現実に存在するのが認知症の医師や看護師。

認知症をどう定義するのかによってその「幅」も変わってくるでしょうが、どの職場においても通常は定年というシステムを以てその認知機能障害の方が職場で業務を混乱させる可能性というリスクを大きく低減させるのですが、医療業務の世界ではなかなかその可能性が低減されないという場面も出て来がちなのです。

会社の創業者や、会社の重役がいつまでも業務に関与し、下の人間がその人間の意見を変えられない時に「もし」その人達に認知症の症状が出ていたら…、という仮想の話なんですが、実際はこの話は意外と普遍的に起きている話で、定年の無い会長職クラスの人物などが大きな会社を傾かせたり潰す状態にまで至らせた話というのは枚挙に暇がないのです。

医学界においては古い話ですが、ドイツの外科の大教授が認知症になって手を消毒しないまま何度も手術を行い大量の患者を殺してしまうという事件が起きていますが、これなどは下の人間が教授の権威の前に「判ってはいても誰も何も言い出せない」という竦み上がった状態で被害が拡大していった一例ですが、実際はこれで終わりではありません。

やはり、こういうインシデントを知ってしまうと定年制というのはある意味disasterの発生においてある程度のブレーキの役割を果たしているのは間違いありません。

病院においてもリスクは必ず存在しています。国公立大学や国公立系の病院であればある程度は定年によるセーフティ・システムが医師にも看護師にも網のように被さってきますので、病を得る前に人のほうがシステムから切り離される可能性のほうが遥かに高くなる訳です。ところが、これが私立系の病院になると年齢制限のタガがかなり緩くなるところが増えてきます。

すると、、、びっくりするような高齢の看護師や医師が現役で仕事を続けているというような場合も有り得るし、実際にも私の周囲にはあります。そして残念ながら恐らくは既に現場の人間としては既に耐用期間を過ぎてしまっている状態の方々が散見されることがあるのです。やはり人間は己の引き際というものを自覚できる間に仕事を辞めるという事が出来なければ己が知らないだけで恥をかくことになるだけでなく、患者さんを大変な目に遭わせることになるのが医療従事者の特に恐ろしいところです。

そして、このような方々に限って自覚が無い、そして自覚がある人にそれらの事を暗に指摘するだけで逆切れする事も現場では多々起きているので、問題は厄介この上ないのです。orz
一部の現場はそれらの人々の存在によって大きく疲弊しているのですが、その人々をシステムから切り離すのはこれまた大変。認知機能検査などをやろうとしたら人権侵害などといわれて訴えられて終わりでしょう。

さて、我々はこれからの長寿時代をどうやってシステムを安定化させつつ仕事をしていかなければならないのでしょうか。難しい時代です。

2023年11月25日土曜日

狐憑き家族

そもそも狐憑き(信仰)というのは古来中国から伝わってきたようです。

狐狸妖怪などと、キツネやタヌキにとっては有難迷惑な比喩が日本語の中に成立していますが、それもこれも日常生活の中でそれらの小動物達が始終目と鼻の先に出てきていたからに他なりません。

さて、そんな狐憑きというのは日本においてはしばしば精神疾患、恐らくは特に統合失調症の一表現型として村という共同体で受容されていたようです。祟りや憑依などに対して村人なりの解釈が彼らなりの合理性をもってなされ、御狐様が憑いたことでおかしくなってしまったという解釈が最終的に村人達をして「なるほど」という形で安心させていたのでしょう。

ところが、今の時代にも未だにこの御狐様が頭の中で跋扈している方々がおられるようで、前回に引き続き今回も病棟に現れました。ある認知症のお婆さんの末期の状況を見てインチキ霊媒師のネット上のお話をプリント・アウトして「こんな感じですから」と再び現れたのでした。

私としては患者さんの家族達が何を信じようと全く構わないのですが、その個人的な確信をあたかも「そうですよね」という感じで我々に同意を求めるのは勘弁して欲しいものです。w

正直なところ、彼らの精神構造には恐らく統合失調の萌芽の様なものがあるのだろうと「非精神科医」の私は一人思っているんですが、そういう人達に同意を求められても私としては曖昧に優しい笑いを返してあげることが最善の表現系だと思っています。

恐らくこれから1000年経っても(もし人類が存在していればの話ですが!)この手の人達は絶対に絶滅することはありませんよね。間違いなく。orz

2023年11月24日金曜日

アメリカの教授と旧交を温める

今日はちょうど日本に2週間ほどの予定で帰ってきている大学の元同僚と旧交を温めました。

今、彼は大学でfull professorとしてcancer biologyの研究と講義を担当しています。同じく研究者であった御父君は既に8年ほど前にお亡くなりになられていますが、御兄弟は日本に居られるため、年に一回は帰国しているという感じです。

私もここ数年、先生には毎年一回会っている感じなのですが、会う度に毎度毎度大笑いするような面白い話が飛び出して来るので、会って一緒に酒を呑みながら食事をするのが楽しみです。

今回は今池にあるふる~いお好み焼き屋でホタテの肉巻きやイカ肉焼きそば、軟骨などを食べながら生ビールをグイグイ飲みました。腹も随分満タンになったところで河岸を変えて覚王山へ移動、URA58-無国籍居酒屋で沖縄好きの御主人が作る様々な料理や沖縄のアルコールをお腹に入れながら家族や仕事の話をして盛り上がりました。

研究の話は今でも特に面白くて、研究をするときのあの時の知的興奮が話をするうちに蘇ってきます。大学院生や大学生達をきちんと使って予算を獲得しながら前に進み続けることの難しさを訥々と話してくれる彼に一々頷く私。これは経験のない人にしか解らない世界の感覚です。

同じ釜の飯を食った仲という感覚を持つ友人を年に一回名古屋に迎えて一緒に酒や食事を摂るのは本当にメンタル・ヘルス的にも素晴らしいな~と感じる私でした。次回は神戸のほうで酒を呑むという話もあるのですが、私にはかなり魅力的に映ってしまいます。何といっても神戸は美味しいB級グルメから高級なものまでの食べものと素敵な街のコンビという印象がありますからね。なかなか抗し難い感じです。w

実際の所アメリカに私が行ったときに一緒に飲み食いするというのもアリなんですが!

2023年11月23日木曜日

こんな事もあるんだ…

余りにも突然の事で、あんぐりとしてしまいました。

病院の当直の時にも良く使っていたし、何か必要なちょっとした物を手に入れたい時にも当然の様に使っていました。その対象物とはセブン・イレブン。病院から50メートルも離れていない所に存在したコンビニで、患者さん達もタバコやお菓子、雑誌なども含めていろいろなものを買い込んでいた店でした。(隠れてアル中の人間が酒を買っていたのは公然秘密でした。)

そのセブン・イレブンがまさに何の前触れもなく、水曜日に煙のように店を畳んでしまいました。

朝、仕事を始めようとした瞬間にある看護師さんが「先生知ってます?あそこのセブン急に店が閉まっちゃったんですよ!」と話しかけてきたのでした。私は最初、どこのセブンの話?という感じで聞いていたのですが、再度確認をしてみるとどうやらまさに病院の多くの人にとっての生命線と思っていたセブンの事でした。

なんでも、一日経たずに店の中の全ての商品は勿論、看板類も含めて全てが外され白いビニールカバーで全体が駐車場とともに封鎖されたのだそうです。

恐らく日本全体で、こんな事は始終行われていて、セブンの本部にとっては日常のワンシーンなんでしょうが、自分の真横で起きると「うーん」という感じですねえ。経済原則なんでしょうが、儲からない店は潰れるという事しか延命の論理に助けられなのでしょうね。

実は、店はお昼時には良く繁盛していたけれども、夜はそれほど入らなくてダメだったという話がありましたが、私の勤める病院の精神科の患者達が万引きをして、その所為で…等という根拠不明の噂も…。

閉店の真実を知るのは店長と数人の関係者のみでしょう。嗚呼。

2023年11月22日水曜日

患者さんの所持金・資産の横領

病院の患者さんは入院時に幾ばくかの現金を持ってくるという事が普通です。

そしてその状況は精神や身体に障害を持った人も、身寄りの有る人も無い人も実に様々。状況は種々重なりますので、患者さんを取り巻く金銭の保有状況は通帳管理の有無も含めて大変複雑な状況です。

例えば家族、親族さんがその人の金銭管理をしてくれていても「正当な」管理をしてくれていないような例も幾らでもあるのです。そういう意味では少なくとも我々の病院に入院した時点でのすべての金銭の状況を紹介してくれた役所や前の病院などの協力を得て可能な限り細かく状況を把握することは大変重要な事なのです。

ところが、この状況には常に危険が潜んでいます。つまり、お金が無い患者さんの時にはその患者さんから万が一にも収奪されるお金は少なめなのですが、中には自分がいくら持っているか知らないし、例えその通帳や現金などを見せてもその事実を理解する能力も残っていないのだけど、数千万持っているような人もいるのです。

このような人々の「資産」をキチンと管理できない病院や役所が時々やらかしをするのです。

この前も名古屋で生保の担当に当たる役所の人間が、担当している人が亡くなったり、病院から移動するときに預かるお金などを勝手に自分の懐に入れていた例が摘発されてニュースになっていたのですが、恐らくそれは全くもって一部の報道のみだと思っています。

要するに、闇から闇の処分の世界も必ずある筈で、見つかった部署で上司が部下に「これをどう説明する?」という時点で警察沙汰になる前に自分から払い戻した上で自己都合による退職を選ばせてもらっている人間もいるだろうし、ニュースになる人間もいるというのが私の見解。やはり人の金銭というのは必ず組織内で二人以上の人間が相互監視する形で管理するすることが必須だと考えます。

こういった横領事件は大事(おおごと)になることで組織の信用を大きく失墜させる前に組織が秘密裏にその案件を処理というのも全国で毎年数百件では済まない事でしょう。弁護士でさえ時にやらかしますしね。

権利や理解力の無い人をきちんと守りきりその人の生活の安定を守ってあげる。自閉症の子を持つ私にとっても全く他人事ではありません。



2023年11月21日火曜日

イボを取って貰った

若い方なら余り気にもならないことですし「なんじゃそりゃ」という感じで笑われそうですが、敢えて書こうと思います。w

歳をとるという事は、体のいろいろな機能が次第に(人によっては急速に)低下していく過程を経験することを意味します。シュワルツェネッガーだろうがスタローンだろうが、どんな可憐な美人でも私の大好きなあのオードリー・ヘプバーンでさえもその「美しさ」という点においてはやはり時計の針の進み具合には全く勝てないわけで、物理学の法則に支配される生物の悲哀を色々な現実を通して見せつけられる事になります。

人の体のパーツとしては筋肉、骨、神経、皮膚などありとあらゆるパーツが細胞の持つライフサイクルと機能低下の法則に従って遅速はありながらも衰えていきます。

その途上で癌細胞が出てきたり、骨粗鬆症で骨がスカスカになったり、見事なボディ・ビルダーが見る影も無くなったり~等という事になるわけですが、外見という意味では皮膚が最も目立つ老化の組織表現となるのではないでしょうか。

特に皺などは水分の含有量や線維芽細胞の変化に伴って目立ってきますし、シミも日光に当たり易かった部位を中心にボンボンと目立ってきます。そして何だこれは?というものの代表がイボ。皮膚科学的にはありとあらゆるタイプのイボが存在する訳ですけれども、かくいう私にも水いぼの様なものが1‐2個ほど小さくはありますが存在しています。気にはなっているけど取らんといかん程のものでは無いという存在ですが風呂に入ると思わず触ってしまったり~なんていう存在。

更には扁平な盛り上がりを見せるタイプの角化部位なども老化の一部として姿を見せることもありそれが一個私の脚にもこの10年ほど居座っていました。

そこで、バイト先の同僚の皮膚科の先生が診療の後に液体窒素が余っていることを利用して「とって差し上げます~」とのお申し出をして下さったことにより今回これらのモノを一気に取り去ることとしました。専門家による診察と治療なので、これほど安心な事はありません。先生は簡単に、しかし慎重に見極めて「これは普通のイボなので直ぐ焼灼できます。こっちのは繊維腫ですし、首の後ろのモノは比較的出血しやすいので大学病院なんかの大きめの施設で取ってもらう事をお勧めします!」という事で直ぐに可能な場所に液体窒素をサクリサクリと当ててくださいました。

するとどうでしょう。一週間後に連中は見事に全滅。極一部の枯れ残しを除いて奇麗サッパリとフラットになってしまいました。一週終了後に「念のため」と言われてほんのかすのように残っていた部分にだけ液体窒素を当てて終了。これで完璧です。

何というか、今まで連中をじっと眺めていた数年間は何だったんだろうと云う位あっけない幕切れでした。

もっと早くからやっておけば良かった…。

2023年11月20日月曜日

長女のアメリカの友人が遊びに来た

どういう交友範囲なのか良く解らないのですが、長女の友人には私とは違った交友のスぺクトラムがあります。

世代も育った国も仕事をしている国も異なりますので、そういうのは至極当然なのですが、時々その友人達に驚かされます。

例えば私の周囲で交友関係がある人々と言えば大学や研究所の友人達が中心。しかも、そう言った繋がりというのは今の時代は精々のところFBやメール位。そもそもアメリカに居た時点で日本の大学時代の友人などとは年賀状などでの挨拶はしていませんので、その消息を知るのはFBや同窓会で回覧されるメール程度。

やはり地元に居ないと地元の人間達との物理的交流は必然的に減ってしまうというのが、我々の世代の比較的標準的な交流というものでは無いでしょうか。

ところが、娘達の交流を見ているとネットの存在がその交友・交流というものの形態を変えてしまっているようで、我々の繋がり方とはネットレベルでさえも大きく違っている感じなんですが、それがどう違うのかも正確には描き出せません。w

娘たちは何時でもアメリカの友人達とビデオ・チャットで繋がっていますし(<これは私にとっては大変迷惑で、家の中で変な恰好で歩けません。娘が映している画面の中に間違って映り込んだことも一度や二度では…)、道を歩いている時も何だかイヤホン着けたまま一人で会話しています。(一昔前だったら一見すると統合失調の独語そのものですが…)

さて、今日我が家を訪れたのは在米韓国人の女の子で、いわゆるtatoo artistをしているようです。すごく気の利く女の子ですが、その腕からはtatooがにょきにょき。腕どころか掌にも曼荼羅のようなものが彫ってありますので、ある意味振り切れてるな~と言う感じ。職業にしているような人はやっぱり彫り込みもレベルが違いますね。

4日間ほど我が家に滞在して名古屋の街を遊び歩くようですが、何といっても前回日本に来たのは今年の3月。「絶対にもう一回来なければならない!」という感じで直ぐやってきたようです。

若い人たちのエネルギーはやっぱり凄いですね。(持ってるお金も!w)

2023年11月19日日曜日

地元でのWRC開催はやはりトヨタの力!

 地元長久手の英雄「勝田」選手がその才能を存分に見せつけてくれました。

WRC JAPANが行われていたこの週末に、私自身は足を運ぶことは出来ませんでしたが、それでも毎日入ってくるラリーの情報は私を興奮させるのに十分以上のコンテンツを見せてくれました。

大学の頃に自動車部に入っていてラリーをしていたので、世界の天才的ラリー・ドライバー達がこの日本で!しかも地元愛知の新城で!我々のよく知っているようなタイトで滑りやすい山道を信じられないようなスピードでぶっ飛んでいく様は何だか「夢の向こう側」を見せられているような素晴らしい時間でした。

1.26tの車両に500hp・500N以上のシステムをのっけてそれを4WDで動かすとか、もう何だか危ないほどの空飛ぶ車です。世界の超一流が運転するからこそのアノ運転ですが、やっぱりああいう車両を一度は運転したいもんです。男なら。

それにしても、田舎の濡れた下りの細い山道で180キロを出していく能力と勇気にはただただ唖然としました。そして、それを許す物凄い車両にも驚きましたが…。いったいどれだけドでかいsteel ballsを股間にぶら下げているのか、只々顎が外れるほどです。

特に三日目の勝田選手はいわゆるキレている状態で、リスクを冒してカッ飛んで行く時の異様な速度は殆ど憑依状態という感じで、アイルランド人のコ・ドライバーと一緒にとんでもない速度でペースノートを読みながら空気を劈いて進んだ結果はエバンス、オジェ、ロバンペラ、ラッピに次ぐ5位!タナク、ヌービルより速いとかどういう世界でしょう。

これであのクラッシュさえなければ…マジで一位も有ったよな!ギラギラの才能をグイグイと見せつけられた一日でした。本当はモリゾー会長はこの日本で勝田選手と一緒にGR YARIS Rally1 HYBRIDのボンネットの上でジャンプしたかかったんだろうな…。

勝田選手の出てきた長久手の隣の瀬戸には天才藤井八冠もいるというフィーバー状態。愛知県、何だか熱いです!熱くないトホホ男は私だけですナ。orz

2023年11月18日土曜日

アスペに関する勉強会

今日は一日の午後の4時間ほどが産業医研修会にあてられました。

産業医講習会というのは5年間の間にいろいろなコンビで20単位以上を取らないと資格の継続が出来ませんので、業務の隙間を縫うことなく資格を維持しようとしたら大体において今日の様に週末を犠牲にしないといけません。

実際、何度も週末をこれらの退屈な講義に費やさなければならなかったのですが、実際に大変有意義な講義も時々あります。今回の講義は私には大変興味深いもので、タイトルは「発達障害への理解と職場における合理的配慮」というもので、メンタルクリニックの先生が講義してくださったのですが、めちゃくちゃ面白かったです。

実際はASD(自閉症スペクトラム)の中のアスペルガー症候群の人間が職場の中にいる場合の対応に関する種々の実例を挙げてのお話で、実際にどこの病院でもこういう実例というのはあると思うのですが、身近でこのようなタイプの看護師に猛烈に悩まされた病棟に所属していましたので、なんだか既視感のある話ばかりで私にはアレもコレも納得のいく実例が多く興味深かったです。

結局私たちの病院に居たASDの看護師はある組織に駆け込んで、いじめに遭ったという事で訴えていたようですが、弁護士の勧めに従って「例え勝てる裁判」でも面倒ですから相手の言うままにしましょうという事で病院が倍の退職金と欠勤の間の給料を払ってお辞め頂いたようです。

病棟のほうでは皆「あの人が来ると胃が痛い」とか、「病院に来るとあの人一人への対応で疲れ切る」等という人が沢山いる状態でしたので、辞めたという話がさざ波の様に広がった後は皆で「申し訳ないけど助かりました」という心からの感想が出てきていたのには正直「でしょうな」と納得したものです。

しかし、言うは易く行うは難しでして、この一人の人の存在で病院全体が大揺れに揺れる状態でしたので、私は入職の担当に当たった看護部長を後々相当皮肉たっぷりに責めた覚えがあります。

産業医の講習会の様にそういう人への対応が絵に描いたように上手くいくとはとても思えませんでした。周囲のストレスは物凄いのです。

ここで一つ私が学んだ「確かな」こと。それは、前職での職歴がいつも短くて「前職で虐められて辞めました」という人が居たら相当注意してレッド・フラッグを上げておいたほうが無難だという事。

恐らくは、あなたの職場でも相当な問題を起こす可能性があると強く思います。


2023年11月17日金曜日

製薬会社の若手を鍛える

今日は夕方にある製薬会社の若手のプレゼンを見せて貰いました。

実は前回、当院にその若手が来てある製品のプレゼンをしたのですが、何とも歯痒い仕上がりでして、スライドの中身もメタメタならプレゼンも眼の前の原稿を「読んで」いるのが丸見えの状況。

その上で更に悪いのはプレゼンの後に行われる質疑応答がアカンというレベルでしたので、こちらも気の毒になってそれ以上の深い質問は避けました。

本質的にその薬品のウイーク・ポイントにあたるような質問を次々にしていった時などは敵も本腰を入れてきて理学部や薬学部卒の製薬に関連する知識を持ち合わせた人間を連れてきて「普段は見せないデータ」を見せてくれることもあります。

製薬会社も医師に薬のプレゼンをするときには本当にいろいろな方法で攻めてくるんですが、良くあるのは医局会で昼食を出してそれを食べている間に薬の内容説明などを行うというもの、その次はホテルなどに医師を呼んでそこに教授などを司会として置いておいて、他の教授などを更に演者としてプレゼンさせその中に売りたい薬の効果を紛れ込ませるというよなもの。

とは言え、最近はコンプライアンスの問題が大きくconflict of interest (COI)の観点からただでは食事を提供しないとかが普通になっています。更に昨今はコロナで人を集めなくなったため、ネットでの映像提供ですべてを済ませるような講演会の形式が標準となってきました。興味ある案件に関するネット講演会などは全国から6‐7000人ほどの医師がその画像を視聴する、等という時代です。

さて今回、その製薬会社から以前「不味いプレゼン」をしていたMRさんが来たのですが、私の居る病院で一時間の質疑応答付きのプレゼンをしていろいろとしつこい突っ込みを入れるという訓練をしました。

プレゼンが始まってまずすぐにびっくりしたのは、この一か月の間に猛烈にプレゼンの質が急激に上がっていて、きちんと訓練してきたというのが非常に良く判るほどレベルアップしていたという事がきちんと可視化されていて大変印象的でした。質問にもレスポンス良く答えてくれて、私は「やっぱ若い人の伸び代はおっきいな~」と改めて若さの持つ凄さに感心することしきりでした。

やっぱ大学院生よりかは商売っ気のある若者のほうが熱量が高いこともあるんですね。w


2023年11月16日木曜日

ボジョレー・ヌーヴォーを頂きました

私はワイン通などという世界の人とは対極の人で、酒に関する勉強をしたこともないし、出されたお酒は種類に関係なくまずは己で飲んでみてその好みは自分自身で決めます。

そんな中で見つけたのがどぶろく、日本酒、ウイスキー等でした。ビールは何だか量を呑むものではないかなというのが私のビール感。ロシアなどで飲まれるウォッカなどは何だかただの工業用アルコールの様な感じがして、私の様な普通の肝臓しか持たない人間には味わうとかなんとか云うレベルの飲料ではないと感じています。酔う為だけに飲むような飲み物はチョットね~というのが正直なところ。

そして時々飲んでいるのはワインですが、あまり飲みません。銘柄にもよりますが、カリフォルニア・シャブリを始めとしたロゼや白ワインを美味~いとは思うものの、なかなか赤ワインで美味しいと思うものはありません。勿論自分の探索が浅いだけで、見つけていないだけというのがほぼ確実なんですが、家族の誰かが家庭に育っていないし親父は酒はゼロ・トレランス人間なので、まあそんな家庭で育った人間の多くはこんなもんでしょう。

昔ヨーロッパに授業をサボって行っていた頃に飲んだトカーイ・ワインの強烈なアルコールの強さに驚愕した思い出とか、カリフォルニアでナパ・バレーに行ってそれなりに美味いと思えるワインを飲んだ思い出くらいはあるんですが、それ以上でもそれ以下でもありません。また、知り合いの女性にフランスまで本物のチーズ作りを二年ほど習いに行った女性が居て、その方にワインの話を伺ったのですが、奥が深すぎてとても一度や二度では理解できるものでは無い事が理解できた段階で理解が止まってしまいました。w

さて、そんな感じの私の浅~~~いワイン歴ですが、昨日いつも病院でお世話になっているリネンのおばさんから突然ボジョレー・ヌーヴォーを頂きました。私が驚いておばさんの所に行くと「いつもお世話になっているから!」との一言でおわり。
なんでも「私はなんもわからんからあんたならこのワインの中で何を飲みたい?」と言って選ばせたのが「Beaujolais-Villages Nouveau Vieilles Vignes 2023」と「Donmaine Chassagne Beaujolais Villages Nouveau 2023」の二本。タイユヴァンのセレクションが一本目、二本目は・・・わかりません。

連絡を入れたワイン通の女性からは「解禁日に飲むものですよ!」と言われたのですが、その時は既に日本酒が胃袋に。orz

日々これ勉強です!おばちゃん有難う。また、近隣の小旅行に家族で行きましょう。^^

2023年11月15日水曜日

世界に取り残される日本

ニュースを読んで今日もガックリしました。

NHS(National Health Service)が2040年までに子宮頸がんを撲滅するセッティングを行ったとのこと。彼我の巨大な差に溜め息も出ません。一部のヒステリックなファミリーの反応によってもたらされたマスゴミ共々の過剰反応が日本から正常な判断力を奪い「何時もの日本らしい」責任を誰も取らないシステムが本格始動。

このあたりは安定の大日本帝国健在でして、とにかく何もせずに理不尽なクレームが自分の周囲から通り過ぎるのをいつもの如くただ只管(ひたすら)待つのでした。時間が経過し、海外の知見や成果が華々しく報じられ誰も文句が言えない程に結果、成果が山積みになったところで恐る恐る日本版パンドラの箱を何処かの誰かがゆっくりと、コッソリと開ける。

今回その犠牲になったのは日本の若い女性達ですが、本来責任を取るべき行政の人間は子宮頸癌という疾病がその女性達を襲う頃には退職したりとっくに御役御免の世代になって責任など取れやしないのです。その事はブログで何度も書いてきました

イタリア、スウェーデン、オーストラリア等での取り組みも良く報道されますが、日本はようやく再始動のエンジンが掛かったばかり。

WHOとしては10万人あたり4人以下の発症率になった時に子宮頸癌の撲滅として定義して良いと考えているようですが、ワクチンの接種率を法的レベルで上昇させて、検診率を上げるとともに「男の子にも」当然のようにワクチンを接種することで男女間での身体的接触が大きな発生源となる疾患である本疾患を双方向から潰しにかかる確率がぐっと上がるわけです。

ただし、世の中にはワクチンに対するphobiaを持っている一部の人間達が、己の子供にまったく法で定められたワクチン接種を行わないという恐ろしい例も皆無ではないのです。

ゴリゴリの法的施策とふんだんに金を使うことで、おそらく「HPVによる子宮頸癌」になる人は本当にレアケースとして学会報告レベルになるほど減るかと考えられますが、必ず何時の時代にも反ワクチン団体は登場してくるでしょうから。天然痘のように世界から完全に消すことは出来ないでしょうけど、それでも多くの女性達はこれからも子宮頸癌ワクチンの恩恵に浴することとなるでしょう。

しかし、これからも日本の女性は先進国で生まれたにも関わらず、他の国々よりも遥かに高い確率で子宮頸癌に苦しむことになるのが目に見えているのです。残念。orz

2023年11月14日火曜日

どうしたら救急車を無視できるのか?

今日はビックリするような景色を見ました。

家に帰る途中にかなり遠い向こう側からでもすぐに判るギラギラと光り輝くライトを回す救急車の接近が認められました。方角的に東部医療センターあたりに運ぶ感じかな…と思われるような走行経路でしたが、そこに驚くべき登場人物を認めました。

モーセの出てくる出エジプト記における紅海を分けた無敵の力の如く、後方から接近する救急車を認めた車が混雑時にもかかわらず見事に道を分けていっているのが向かい側の私の車内からも良く見えていたのですが!

そこに迷い込んだうさぎの如く「一人の若い女性」が救急車の直ぐそこまで来ているのに気づかないかの様に横断歩道を渡って救急車の目の前に飛び出したのでした。ラフな格好でしたが、鞄を脇に抱えた30代後半くらいの感じの人にも見えました。結局、救急車のほうがびっくりして止まった感じ。救急車のまん前を小走りになるでもなく停まって救急車を優先させるでも無く、悠々と渡っていくのですから周囲はジッとその女性を見つめる感じ。
横断歩道の反対側に居た人達も、オイオイ!と言う感じで固まっているのが見えましたが、当然でしょう。

しかし、救急隊の人に言わせると緊急車両の周りで驚くような行動を見せる人というのは何処にでも居るとのことで、一々驚いていては仕事にならないと聞いたことがあります。まあ、私が救急車に同乗したときなども救急車の真ん前でずーーーっとゆっくり走り続けるトンデモ女が居たことは以前このブログにも書いたような気もしますが、こう言う人達というのはどういうメンタリティをしてるのか本当に知りたいです。

何処で生活し、日頃どんな発言をしているのか。そしてそういうシーンを咎められたらこの手の人達は何らかの言い訳するのでしょうか?教育によっても救えない人というのはやはりどんなレベルのどんな世界にも居るんじゃないかという気がうっすらします。

こういう行為をする人間をもし救急車が巻き込んでしまっても、きっと悪いのは救急車と言われるのが日本という国なんでしょうかね。

2023年11月13日月曜日

苦労知らずの金持ちって強いナ~w

医者になると金持ちと貧乏人が混ざります。

基本的に先ず国立の医学部と言うところには金持ち出身で良く教育の行き届いたお坊っちゃまというレベルの人間から、そこそこ金持ちだけどその金持ちのレベルが「育ち」にまでは影響を及ぼしていない程の連中。残りはいわゆるサラリーマンなんかの子供で、金持ちとは程遠い世界で普通の感覚で生きてきた連中。この中には私も含まれます。マア、その中でも私なんかは経済と言う名目でのカテゴリー分類では更に下層階級に属します。

そもそも学生の頃には家賃11,000円の幽霊屋敷と呼ばれる下宿に住んでいたのですが、戦後直ぐに建ったような建物で、共同風呂、共同便所で住んでいたのはたったの四人。自分以外の三人は革マル派の多浪医学部生と何時も酔っ払ってる建築労働者、そして隣は沖縄から来た貧乏歯学部学生でした。

貧乏すぎて仕送り無しの時期が長く、麻雀で先輩から金を巻き上げて糊口を凌いでいたのもこの時期でした。w

貧乏な学生の中でも私などは塾に行けるような金もなく、況や家庭教師などというのはどこの世界のブルジョア?というような感覚です。逆に医学部に入ってからは塾の講師や家庭教師にはなりましたが、そんなにお金が無さそうなのに意外と無理して家庭教師代を出す人達というのが居られるというのにおどろいたりもしました。しかし国立の医学部に学生としている間は貧乏人同士、自然に貧乏人の感覚が通じる友達が沢山いました。

しかし実際に医者になってみると私立の医学部の先生達と出会うことに…。

本当に金銭感覚が違う!と言うのはこの私立大学から来た先生方と出会った時に解った気がしました。その中でも中小企業以上のレベルの会社の社長の子供として生まれた先生で医学部に行った人達というのは「本当に」違う。

乗ってる車などはマセラティやポルシェというのはごく普通で、海外に行くにもファーストクラスをのチケットをごく当たり前のように購入し、友人の分まで!購入したりするのを見て「・・・」と言う感じ。

趣味にかけるお金の額も凄いのですが、一部の先生の仕事に対するヌルさも「・・・」と言う感じ。何というか別にマジメにしなくても良いし、金なんていくらでもあるから給料とか別に幾ら貰うとか気にもしなくて良いんよと言うレベルの人が居るのにはやっぱり驚きます。(本当は金のことを気にしなくていい人間こそが大学院なんかに行くというのが本筋なんだと私は思うんですけどね。)

金を得ようとしたら「医師」なんていうのは一部の自由診療を行う美容外科の人間以外は所詮下流なんでしょうね。w

2023年11月12日日曜日

インフルエンザの予防注射ズンズン

いま、病院内の職員さん達を中心に大量の予防接種を行っています。

週に二回の予定で都合四回のショットで先ずは職員を希望者全員イミュナイズ。その次に患者さん達の中で希望者を募って次々にショットなのですが、今の時点では数百人にショット済み。基本的にインフルエンザ・ワクチンは日本においては皮下注というのが基本的な状況なので、新型コロナワ・クチンのショットのように筋注とはなっていません。

ショットを打つ時に必ず出てくるのは本物の注射嫌い。大人かつ成人の医療従事者であるはずの男女なのですが、自分が注射を打たれる番になると本当に子供に戻ってしまう人がごく一部ではありますが「毎回」居るのです。w

列に並んでいて自分が打たれる直前までは緊張した面持ちで並んでいるのですが、いざ座って打たれる番になると本当に「うろたえて」右往左往して子供のようにワーワー言う人が居るんです。

当病院では男女の医師が一人ずつ。そして看護師さんにも一人居られます。何というか、毎回こっちのほうが冷めてしまう感じのうろたえ様なんですが、きっとチビちゃんだった頃はお母さんにむんずと腕を掴まれて大泣きしてたんだろうなと想像してしまうのでした。

何人にもなにがしかのphobiaというのはあるものなんでしょうが、こういうのって先端恐怖症なんでしょうか、それとも痛覚に対する幼児体験に伴うPTSD、そしてその延長上にあるpanic disorderの様なものなんでしょうかね?わかりません。

しかし、目の前で大の大人が子供に戻って逃げ回る様を見ていると「人間って体の底から出てくる恐怖には生物として正対出来ないものなんだな~」と逆に学びを感じてしまいます。

まあ、自分の場合は体の底から出てくる恐怖というのは高さに対する恐怖ですけどね。こればかりは体が竦んでどうしようもありません。動かなくなるんですから仕方ありませんね。原始的な生物としての危険の感知なんでしょうが、世の中には高さが全く怖くない人達がいますので、その人達にしてみれば高さを怖がる俺を見て思うのは私が注射を怖がる人を見て抱く感想と大差ないのでしょうね。

恐怖って不思議なもんです。

2023年11月11日土曜日

仕事をしない、責任を取らない医者

勤務する病院にタイトル通りの医師が一人います。

外来でも病棟でも働かないことで有名で、患者に対する愛情も何もありません。本人にはあるつもりなのかもしれませんが、少なくとも外からは欠片もそれを感じ取ることが出来ません。

(何科の人間かは身元がバレるといけないので書きませんが)以前も彼の領域のスペシャリティである患者さんのコンサルをした事があったのですが、彼の以前所属していたその科のドクター達からも猛烈に胡散臭いドクターとして嫌われていて、彼が患者を送るか送らないかで時間ばかりが経っているうちに私の病院に来ている(以前その問題がある先生が所属していた科のバイトの)先生が「私の名前で送ります」と私からコンサルして、患者さんの画像を見て30秒で決断して下さってその患者さんが助かったことがあります。

この医師に対しては病棟の看護師さん達がそもそもある一定レベル以上の仕事を頼まなくなっておりまして、形式的に程度のごく軽い患者さんを一人か二人割り当てています。まさに形式的にと言う感じ。w

しかも、この医師は自分に仕事が割り振られないことを良いことに理事には別の医師が「私が仕事をする前に他の医師が早朝から入ってきて仕事を取っていくんです」と訴える始末。ところが、理事は既にその異医師の悪評や事実関係を正確に理解しておられまして「知らぬは己ばかりなり」状態。不満を上に上げること自体が呆れさせていることを知らないのは御本人ばかりです。

何故自分の患者を持たないのかと思ったら「責任を取りたくない」「面倒な患者説明やその家族への説明をしたくない」というコミュ障ならではの理由がそのメジャーな理由だと推察されるます。

以前呆れたインシデントがありました。それはある別の科の先生が主治医となっている患者さんのカルテに自分はこの患者を頼まれて手短かに診察しただけで、以前から関わってはおらず、今後何かが起きても現在診ている医師が責任を取るベきであるというような文言をA4の紙にワープロで打って綴じ込んでいるのを発見した時のことで、まさに開いた口が塞がらないという感じで愕然とした経験がありました。

昼の休憩時間には院内に存在しませんし、一体どこに行っているのか。orz

そのうち上から沙汰が下るような気がしてなりません。


2023年11月10日金曜日

能面作りに行く次女

 アメリカから一時帰国している長女も家で何だかよくわからないアート作品を毎日作っています。

仕事をしながら、遊びながら、旅行をしながら、アート作品を作りながらの日々を過ごしているのですから私のような昭和の職業倫理感を持っている人間からしたら「謎」の人生です。基本的にリモートワークの登場というものがもたらした新しい世界に住んでいる世代の仕事に対する感覚は私にはもうトンと理解できません。

さて、家にはアートを作成し続けるもう一人の人間として次女も居ります。その次女が最近私に対してある資金援助をリクエストしてきました。

それは能面製作を行う教室に通いたいというものでした。最初は?と言う感じでしたが、この前から能楽を観に行ったりしてそれなりに何らかの知識を日本の能から吸収しようとしている感じはあったのですが、最終的に能面製作も行いたいと何処かからかそういう教室があることを見つけ出してきたみたいです。

NHKカルチャーに「能面教室」というのがちゃんとありまして、日本能面工芸会主催の展示会に向けて制作していくようで、教室自体はトータルで10回ほど催されるようで、それに参加するために道具や材料・受講料が必要で、初回はやはり諸々込みで8万ちょっとかかるようです…。

今回のリクエストはその支援という事なのですが、種々の画材といいこういったょうコク関連お道具、材料といい「やすいもの」は本当にない感じですね。音楽関連の習い事にかかるレッスン料などに比べればどうなんだろうというところなんですが、アートは金が動く世界なんですかね。しりませんが。

娘のような初心者は先ずを作っていくみたいです。

まあ、翁の能面は女面のように怖さ、不気味さが大きくありませんのでとっつきやすいのかもしれません。女面は何だか家に飾ったら魂が籠もりそうでちょっと怖いですしね。w

次女が今回の経験を何らかの形で自分のアート・ワークに活かして欲しいものです。

2023年11月9日木曜日

今年は病院にも忘年会が戻ってくる模様

「遂に」というか、我々の病院に忘年会が戻ってきそうです。

今年は特に禁止令のようなものは出ておらず、我々の所属する内科病棟でも師長さんから「先生、今年は病棟主催の忘年会をしようと思ってるんですけど、何日なら空いてますか?」という問いかけがありました。

私は「あ、今年はやるんだ?当直の日以外なら何時でも良いけど?」と返事をして数秒後には取り敢えずの日が決められたようでした。

新型コロナの流行は未だ存在していて波状攻撃が続いているわけですが、明らかに低下しているその病原性とより拡散しやすいその性質の変化が新型コロナに対する社会自体の対応の変化を生み出しました。

最近は地下鉄に乗っても、ショッピングモールに行ってもマスクをしている人の数は本当に少なくなりました。特に道を普通に歩いている時にはマスクをしている人のほうが大幅に少ないという状況が普通だと思います。少なくとも名古屋では!想像に難くありませんが、長女に言わせるとアメリカなんかではしてる人なんていない…という事なんですが、最近はアメリカの日常を知らなくなっている私は彼女の言う事を素直に信じざるを得ません。まあ、そのとおりだろうと容易に想像できますけど。

とは言え病院内ではやはりコロナの院内感染が戻ってきており、看護師やその他の人間からの持ち込みのラインというのが確実に存在しているのは否定できない事実です。それでも、死者が出ていないという意味では2類であった以前の新型コロナとは別物かなと思います。

それでも忘年会という「以前の日常」を戻すべきか否かと言うのは大いに悩むところで、post Coronaという時代においてその自粛の影響が何処までも何年も後を引いて良いのか?というのも実務的な質問。医療機関だけは何時までもすべての院外活動に自粛を続けるべきなのかというのは検討すべき課題だと思いました。

一般の会社の皆さんというのはオフィスビル内ではどんな風に過ごされてるんでしょうかね?飲食関連の接客業ではデフォルトはまだまだw/ maskみたいですので、医療関係と同じなんでしょうが。

さて来年の年末は更に緩くなっていくのでしょうか。来年はこのあたりの記事を読み返して答え合わせをしたいと思います。

2023年11月8日水曜日

偏屈クソジジイの心を溶かす孫パワー

精神科病棟に「煮ても焼いても食えない」と言う表現がピッタリ嵌るような偏屈な爺さんが入院してきました。

私からすると、ただ困った患者さんなんですがその心根を考えると憎めない。しかし、インタビューをした御兄弟に言わせると「単なる学歴コンプレックスの塊で、誰からも愛されない偏屈者。大学の非常勤講師に一度ついただけの非正規就業者」等との酷い解説。w

まあ、兄弟からの言われようはこのように結構切り捨て調なのですが、この患者さんの様子を見ていると先ず根底にあるのが昭和のクソ親父にありがちな女性蔑視。そして次にあるのはレ当館の裏返しのような偏差値信仰。そして固くぶつかってくるものには激しく反発するということでしょうか。

ですから「男性・医師・主治医ではないので特に患者さんの言動を責めることもない私」に対してはそれなりに言葉の遣り取りをしてくれますが、主治医である精神科の女医さんにはもう滅茶苦茶な暴言。実際は地方のホテルなどで問題を起こしたりして警察や病院のご厄介になっておられるとの事なんですが、なんかテレビを一時賑わしたアノ「マスク男」ってこんな感じなんだろうなと思ってしまいます。

一方的に自分の考えを滔々と述べて異論は挟ませず、討論をする時に理屈の上で追い込まれると感情的になって「屁」理屈で粘るということの繰り返し。結局は周囲の誰からも愛されず増々孤立していくという悪循環。

他の大きな病院でもかなり手を焼いたようで、看護記録や医師からの診療情報提供書には服薬拒否や入浴拒否、摂食拒否などの種々の抵抗の末に身体が衰えてしまいADLも低下し続けてきたことが記録されていましたが、何と戦っているのかよく見えません。あえて言えばそもそもが存在しないプライドの保持に戦っているような?

この方もう70代なのですが、名古屋大学のXX先生とか偏差値がYYとか受験生のようなことを縷々言われるのですが、相手しているこちらは「ふーん」と言う感じ。何だか見ていて可愛そうというか愛おしくなってしまいます。偏差値教育の「被害者」なんだろうな~と感じるんですが、この爺さんの心をも溶かす相手が出てきました!

それは入職してまだ半年の私からすれば娘の世代、爺さんからすると孫の世代に当たる初々しい女性看護師です。

本当に淡々と、しかし誠心誠意対応するこの女の子には爺さんも「何故か」心を開くようで、最初はツンデレ風だった応対も次第に和らいで、固まった体も拭かせてくれて、眼脂も拭き取らせてくれて、飲み物や食べ物は勿論のこと服薬までも再開してくれるという劇的な変化を起こしました。この女の子の前では変な屁理屈も弄しません。w

偏屈爺さんのカチカチの心を氷の中から救い出したのは北風ではなく太陽だったのでした。

2023年11月7日火曜日

施設における虐待と役所の対応

役所というのは不思議んところです。

基本的に日本の役所の人間というのは与えられた仕事が明確であればサクサクっと仕事をこなす能力を備えた人達が揃っている場所だというのが基本的な私の認識。しかし、与えられた内容が自分の部署でないとか、何をやって良いのか明文化されていないことに関しては本当にヨワイ。
要するに「何をして良いのかわからない」ということなのでしょう。

もう一つ役所が嫌うことが「責任を取る案件」を取り扱うことでしょう。我々の病院でも、万一受け容れた患者に虐待の疑いが有った時には必ず、そして迅速に報告する義務があります。ところが役所は法令で決まっているこの様な虐待の可能性のある案件に関与することを避ける傾向があることを明確に感じます。

それは警察も同じ。一旦この様な案件が捜査の対象として動き出すと物凄く長いプロセスを経て書類と証拠の山を積み上げて刑事被告人を追求することになる訳ですからその想定される最終的なプロセス長は年単位のものになる事は必定。

それでも私は思うのです。必ずやれ!と。無念の思いを持ってその虐待を伝えられなかった精神障害者や精神発達遅滞の人間の想いを代弁してあげられるのは我々医療従事者と法務関係者を含む公的機関の人間しかいません。

障害のある人間、何らかの疾病を得た結果として自分の思いを表現できない人間を虐待する人間は決して許さず「何処までも」その犯罪を追求し責任を取らせる思いを決して己の内側から消す事の無いように炎を燃やし続けていこうと思っています。

虐待は犯罪。
明確な事実です。そして、医療機関から通報が有った際にそれを明確に検証しない公的機関があると感じたら私自身は個人的にであってもそれをあらゆる手段で明確に公表して追求していく所存です。

2023年11月6日月曜日

精神科医にはやっぱりなれない

 私は精神科の医師ではありませんが、精神科のドクターが周囲にウジャウジャいるのでそのため息を聞くことが良くあります。

多くの場合は「問わず語り」の話なのですが、ドクターの悩みを聞いていると(何度もこのブログには書いたセリフですが・・・)本当に「俺には精神科医とか無理だわ」と思います。

若年者の複雑性PTSDのレスキューとか、発達障害のなかでも生活保護の中で妙ちくりんで自分勝手な理屈を並べ立ててくる連中とか、朝機嫌良く甲高い声と共に満面の笑みで挨拶してきたと思ったら昼擦れ違った時にはもう鬼か能面のような顔をして脇を通り過ぎたりするような双極性障害の人とか。

病院の性質上、内科外来の廻りでも種々の患者さんが来られますが、多くは認知機能障害。その他に統合失調症、妄想性障害などの疾病と診断されている方々なのですが、そのような方々は少なくとも私にとっては所謂「慣れた方々」でありまして、ほぼ全員がみんな可愛い愛すべき対象です。

しかし、上に書いた中でも私が正直人間として普通に対峙出来ないな~というのが、知能などの問題は大きくないのに大言壮語したりオタクっぽい理屈を並べ立てるのに、実生活はデタラメで全く何も達成できず。更には朝起きられないとか言うのに実際はスマホのゲームに生保の金をつぎ込んで夜遅くまでハマり続けているせいで起きられ無いだけというのが実態。この人物、言うに事欠いて「自分のゲームの課金のためにもっと生保の基礎支給額を増やしてもらいたい」等と碌でもない発言を精神科医に言ったりするのです。

そんな発言を直接・間接に見聞するもので、私のような気の短い人間はそのあまりの身勝手かつ不見識な発言にそれを嗜めるような話をするのですが、それが気に入らないらしく私の内科外来に来たがらないような状況になったりしています。

その話を精神科の先生にしたところ「先生、普通の人と思って話をしたらダメです。先生の方にストレスが溜まるばかりで、良いことは一つもありません。障害として対処しないと」と笑われる始末。

確かに疾病としてフレーミングして観察をすれば冷静になれるのでしょうが、私は患者さんを普通の人として応対することで話を始める人なので、精神科のドクターのような「普通だったら我慢ならないようないろいろな語り」を淡々とカルテに書きつけながら対応を取るなどという事はとても冷静には出来ません。

そう考えると、やっぱり俺は精神科向きじゃないわ・・・と言う結論に至るのでした。



2023年11月5日日曜日

阪神タイガース38年ぶりの優勝!!

59年ぶりの関西対決と38年ぶりの日本一。

岡田監督が27歳の時(私自身は二十歳!の時)に選手として優勝を経験していましたが、監督としても65歳で優勝達成。夢を叶えるために実質的に「阪神」に一生を賭けた男の中の男となりました。

勝負の流れを大きく変えたのはシーズン中は選球眼の無さで問題児と言われていたノイジー。4回に5番打者の彼がスタンドにドでかいHRを叩き込んでWBCの優勝の立役者の一人である宮城を粉砕、その次の比嘉もその次の大山も火のついた阪神打線にボッコボコに打ち込まれ、5回までにほぼ勝負の趨勢は見えてしました。いわゆる勢いの差という奴ですね。

大阪のパブリック・ビューイング会場となった阪神甲子園球場も大盛り上がりでしたが、当然でしょう。正直なところ甲子園球場のほうが盛り上がった感がありましたがそれも宜なるかな。基本、阪神応援団のみで構成された場所ですから一体感は桁外れでしょう。

監督の勝利者インタビューで監督がオリックス・バファローズに対するリスペクトを強く表現していたのも深く印象に残りました。これぞ人生の重みが為せる成熟した指導者の心の発露ですよね。

バファローズはそもそも近鉄の名称。阪急ブレーブス>オリックス・ブレーブス>オリックス・ブルーウェーブ>オリックス・バファローズとなりましたが、私にとっては日本における野球というスポーツの存在は近鉄の消滅とともに無くなったのですが、こういう形で何度も日本シリーズに出てくるのは近鉄のおかげだと「私は」勝手に思っております。w

それにしても、印象深かったのは今年の7月に亡くなられた横田選手のユニホームを掲げて監督の次に胴上げされた岩崎でした。私には亡くなった横田選手も一緒に胴上げされているのが見えました。御家族もファンと一緒にきっと心から喜ばれたことと思いました。

何はともあれ西日本の軍団が勝って良かったです!


2023年11月4日土曜日

50年ぶりに将棋をしてみたら…

本当に「超」が付くような久しぶりの感じで将棋をしました。

とは言っても、スマホにインストールした将棋ですが。正直この50年間ほど駒を握ったことは勿論、誰かが将棋をしているのを横から見ることもありませんでした。医局で極マレに将棋をしている年寄りの先生が居ることは居るのですが、いつも忙しすぎて脇を素通りするばかり。

今日やってみた将棋ソフトはダウンロードした三つのソフトの中の2つ。将棋連盟御推薦の将棋ウォーズ、そして将皇と将棋クエストをダウンロードしたのですが、とりあえずやってみたのは最後の二つ。

赤ちゃんレベルの強さとその次の次のレベルまでは何とか訳の分からないまま勝てたのですが、見ていても明らかに無駄打ちをしてくれたり、こちらに反撃できるのに反撃してこなかったりと「わざと」負けてくれているのがド素人の私にも解るレベル。この辺りまではユーザーを離さない設定で「まだ」優しいです。w

そして第四段階になると、初めて「型」というのが相手の打ち手に登場!ややこちらも緊張感が上がってきたのですが、この段階から己の打ち手に「あ、しまった~」が連発。まだまだ弱~い筈の、旅立っても居ない最初の村の段階で既に負けを記録してしまいます。待ったが効かないシステムであるのも辛い。(^^;)

しかも、50年ぶりに将棋をしてみて判明したのは桂馬の動かし方を理解していなかったこと。桂馬がT字型に動いて二つ向こうのラインの正面3つ全てを取れると思い込んでいました…。もう本当になんちゅうか、、、この時点では既に情けなさ過ぎて「あ」という言葉も出ませんでした。orz

今回、いきなりの将棋再体験を思い立ったのは藤井八冠の師匠の杉本昌隆八段の書かれた「師匠は辛いよ」とう本を読んでみて将棋やってみようかな?と思ったことがきっかけでした。

そもそも私が小学校低学年の頃以来将棋をしなくなったのは母の弟二人が滅茶苦茶将棋好きで、その二人の叔父がコマの動かし方をようやく覚えたばかりの小学2年生の私を代わる代わるこてんぱんになぶって以来「コマは握りたくない」というトラウマを植え付けたからでした。

まあ、藤井八冠ならここで猛烈に悔しがって盛り返すのでしょうが、私は負けず嫌いでもなく、藤井八冠のような超天才でもなく。<言い訳。

もう少しソフトで遊んでみようと思います。

2023年11月3日金曜日

看護師さんのリクルート方法

最近更に看護師さんのリクルート方法が変わってきています。

以前の募集と言えば履歴書と面接の後に採用可否通知があって試用期間を経て正式採用というのが日本のスタンダードだと思っていたのですが、最近は履歴書に書いてある「以前いた病院」での職務内容やその時期に関する種々の情報まで込みで書き込む別紙を提出させてから面接に臨むことが多いのだそうです。

もう一つは看護師専門の人材派遣業。これは巨大システムでいわゆるピンハネ業ですね。wこれも良く使われているんですが、まあ本当に玉石混交。多くの病院の理事長や院長はこの人材派遣業にお世話になりつつも毎回騙されて大枚を叩かされ続けています。

各病院にとっては良い人材、そして出来ればその良い人材であって「かつ」長く残ってくれる人たちを求めているのは当然。きちんと働ければ年齢は問わず、性別も問わずというのは近年ごく普通の事なのですが、例えば市井の❝非医療職❞の人達が頭の中で優秀なのでは?と考えているような大学病院や国公立の病院等から来る様な看護師さんには残念ながら頭でっかちで、とてもとても普通の私立の病院では(少なくとも最初は)使えないような人が混ざっている事も多いのです。

上に書いたような話がトンデモナイ偏見と言い切れれば寧ろ良いのですが、実際に看護師さん達は結構「単能的」な方々が多くて、私立の病院の様にアレもコレもと言った感じでマルチプルに雑務をやらされてきた経歴が無い人も多くて、年がら年中採血する部署にいる人とか、カメラ室専属とかいう尖った育てられ方をされていることも多く、そのようなシステムが普通と思っていた人達が「外の世界」に出てくると、巣の内側しか知らなかった雛が初めて空を飛んだら何じゃこりゃ?という状態になることが多いのです。

しかも、看護記録や勉強会をする事がメインの仕事だったような人達からしてみれば、医者に言われて「あれ持ってきて、これ伝えてきて」なんていう今までの病院ではあり得ないような指示が出されるようなシステムは恐らく耐え難いものである部分も無いとは言えず、辞めていく人の中には(極マレであるものの)3日で辞めちゃうような人とか、一か月だけとか一年で~なんていう人は意外と多いのです。

正直なところ「一体どこのどいつが採用したんだ?リクルートの責任者出てこい!」というような人物も時には採用されている訳なんですが、そう言ったすり抜けを防ぐためにでき始めた近年の履歴書以外の用紙提出なんでしょうね。日本の雇用法は絶対的に被雇用者が強いので、一旦採用しても試用期間だろうが何だろうがそう容易にはもう首を切れないのです。orz

アメリカの様に(場合によっては数枚の)推薦状を持ってないと次の職場に行けないようなシステムにしておけば良いのでしょうが、まだまだそれがスタンダードになのは日本では一部の外資系等の高級職に限られているのでしょうね。



2023年11月2日木曜日

女性に多い訴えへの対処

女性の体調不良の訴えは内科外来では頻繁に出てくるトピックスの一つです。今日もそのよな訴えへの対応が多い日でした。

彼女たちの訴えの中身を詳細に伺う過程で実際には自身の生活のプライベートに関する問題が聞かれることが多々あります。身体症状としては耳鳴り、頭痛、吐き気、ふらつき、肩こり、ホットフラッシュなども含めた不定愁訴とも言えるような外来での訴えはごく日常的なもの。

これらの問題は慎重に判断していかないと、心的要因で発生している等という言葉で一括りに処断するのは完全な間違いで、実際にその症状のバックグラウンドでは明確に診断のつく種々の重大な疾病が隠れていることも本当にたくさんあるからです。

例えばふらつき、めまいなどの訴えの外来患者のデータを見ていくと高血圧や鉄欠乏性貧血が隠れていることは良くあることで、これは鉄補充で劇的に改善されていきます。肩こりの原因には腱板断裂も数多いことに驚きます。また、内臓疾患からくる連関痛も良くあることで、婦人科領域の子宮筋腫や子宮頸癌、卵巣癌等も稀ならず発見され婦人科等との連携も重要です。

女性の付属臓器の腫瘍や子宮内膜症の検索なんて言うのは想像とは真逆で、臓器自体の構造も複雑で、診断も全く易しいものではありません。大切なのは疑わしいと思われた場合には迷わず適切に婦人科に紹介を行うことで、あれこれ悩まず、自分で抱え込まず患者さんの万一を考えて「餅は餅屋」に任せています。

しかし、そういった画像やバイタルから検査可能なものだけでなく心のストレスから来る症状が多彩なのも女性には多いと感じます。男性でも抑うつ症状の手前などで何らかの身体症状がサインとして出てくることも多々ありますが、女性はそれ以上にサインが頻回かつ多彩な印象があります。

こういう時は問診で話を詳細に聞くことが大事で、その裏側には介護での疲れ、家庭での子供や家族間での悩み、職場での過重な仕事や対人関係に絡んだ軋轢等が多彩な心因性の症状の発端になっていることも多く、それらには漢方がよく効くことがあります。しかもびっくりするほど。

ただ、こういった漢方処方は我々は大学の薬理学で学んできておりませんので、どちらかと言うと独学や漢方を得意とする先生からの「お知恵拝借」が多いのが正直なところで、東洋で長年に亘って積み上げられてきた経験値がナチュラル・アルカロイド等の力を借りて心や体の複雑な問題をマイルドに解決するのをみると、最初は怪しんでいた漢方の効能も効く時は効くな!と納得すること頻りです。

男性とはちょっとスペクトルの違う女性特有の悩み。医師にとっては常に奥の深いテーマです。


2023年11月1日水曜日

ブログ・ランキングのバナーが問題になりそうなので外すことにしました

何だか良く解らないのですが、「恐らくは」ブログの下にいつも張り付けている「ブログ村」とブログ・ランキングのバナーがグーグルが配信する広告主様の広告配信に邪魔な様なのです。(詳細は不明なのですが、問題はおそらくそれくらいしか見当たらない)

と云う訳で、サイトの中からこの部分ともう一か所だけ気になっている部分を削除したいと思います。

今までこのブログ・バナーからのフィードバックでこのブログに辿り着いて来られた奇特な皆様ありがとうございました。mOm

まあ、そもそも読まれようが読まれまいが個人の日々の考えや日記の代わりに使っていた記録付けの為だけのサイトですので、記録全体が記入できなくなるほうが私には問題ですので、グーグル様の御意見に従って削除などを導入してみたいと思います。

と云う訳で本日より記事内のバナーはゼロとなりました。

とは言え、17年分全部削らないとダメなのかね?考えただけでぶっ飛びそうです。orz