2023年10月31日火曜日

オバちゃん、全然ダメじゃんw

端っから駄目とは思っていましたが、やっぱり駄目でした。

日大理事長への就任記者会見の時点で「何であんたが?」という感じで、私は冷たい目線をこのルンルン・オバさんに投げつけていたのですが、ここまで駄目とはね~というのが逆の意味で驚いたというのが正直な感想です。林真理子さ~ん、器じゃ無いですヨ!早く気づいて。w

そして、もう一つの驚きは「まっくろくろすけ」こと前・田中理事長があそこまでボロボロで、ありとあらゆる事をやらかし続けた挙句に辞任したのに、それを通じて日大がコンプライアンスの意味を全く学習できなかったという事実です。

ルンルンすっからかんさんには最初から期待ゼロなんで、まあ当初予想通りのダメっぷりが単純に顕在化しただけの話なのですが、組織としての日大が全く機能していないというのがお笑いレベルです。

長い間、お相撲オジサン達に好き勝手に大学を弄られていたツケなのでしょうか、いきなりガバナンスを形成する自由を与えられても、コンプライアンスとは何かと云うところから始めるべきだったのでしょうが、理事の皆さんもいきなり天から降ってきたルンルンさんと一緒に爆死してしまいました。

まあ、ここは速やかに全員辞任させて(辞任しないなら馘首で)現在のNEW NICHIDAIなんていう看板を外すか、NEW NEW NICHIDAIとかいうようなネタレベルのお笑い標語を提供して心機一転を図られては如何でしょう。

学生がいくら頑張ってもトップの連中がこれじゃ~ね…っていう世界はまさに今の日大。つい先日、3年連続で私学助成金連続不交付という不名誉な新記録を達成したばかり。以前は年90億貰っていたといいますから、ルンルンオバサンが居るだけでこの記録は更新され続けられそうで、外野で見ている私としてはワクワクします。

一言「我々の税金が馬鹿共の飲食代に消えなくて良かった!」というべきなのでしょう。なるべく長く、このルンルンさんにトップに留まって頂き日大がどの程度ダメージを受けるのかという「危ない実験の先」にあるもの=怖いもの見たさというのもあるのでした。

でもまあ、ステークホルダー達から引きずり降ろされるやろな、、、。無理。

2023年10月30日月曜日

5分前の記憶が消える

基本的に私自身は記憶の「能力」というのがとても低い人間です。

小学校の頃から年表の数字とイベント合わせとか本当に最悪の記憶。書き出すだけ書き出して結局何も覚えられなかったという苦い記憶だけは鮮烈です。w

しかし、長ずるに連れて世の中には凄い記憶力の持ち主が居ることを実体験として何度も見せ受けられます。その記憶の方法も開陳の仕方もその人達其々にかなり独特なのですが、それも記憶の世界の面白さなのでしょう。

ある友人はテストの前に山川出版の日本史と世界史の教科書を脚注の所も含めて全部覚えてくるのでした。そしてその記憶を辿る時の様子というのが面白くて、目玉を上転させてプルプルと眼球を震わせながら頭の中の教科書を読むような感じで全文を読んでいくのでした。

また医学部に入ってからは、本当に普段から何もしない私の出席番号近くの友人がテストの前日などに私の部屋にやって来て「おい、今から遊び行こうぜ!」とかいう感じで悪魔のお誘いを毎度の様にしてくるんですが、解剖の試験などでも、脈管や骨、神経解剖なども含めて全て「前日に目でなぞるだけ」で覚えていくのです。

眼の前で見ていると、本当に30秒毎くらいの間隔でページを捲りながらあっと言う間に明日の勉強は終了。こっちはそもそも何も覚えられないので「おめえはあっち行け馬鹿野郎。w」という感じで揉めるのでした。結局一緒に酒を呑みに行ってあっちは受かって己は当然の如く再試という憂き目に。orz

そんな人間暗記パンのようなチート能力を持っている人間を見るとウググとなりそうですが、やはり上には上が居て「意味も解らず」眼の前に提示されたものを全て即座に覚える様な能力の人物達、いわゆるphotographoc memoryを持った人間が歴史上何人も居りますので、人の能力の桁違いの深みというのには毎度驚かされるとともに己の中に何も無いというemptinessに凡人の中核を成す「凡人力」をただ一つだけ見出すのでした。w

記憶に纏わる思い出を書き出したのは患者さんで5分前の記憶が見事に消えていく器質性脳障害をもつ患者さんの事を今日、病棟で診ていて「うーん、どうしても継続性を持った指示が入れられないな~」と考え込んでしまったからでした。

御本人に確認してもつい先ほど懇切丁寧に説明したことをまさに「漂白したように」奇麗サッパリと忘れてしまう状況。ベッドの脇に色々と易しい言葉で書いてあげるのですが、それも読んではくれません。

MRIで解剖学的なスクリーニングを行うとやはり記憶を担う海馬領域に明確でシリアスな変化が発生しているのでした。

世界が巨額の金を投じてこの領域の変化を抑える薬の開発に鎬を削ってはおりますが、未だ曙光は見えずと私は思っております。私も影響を受けるんでしょうかね…。その時はおんなじ記事をここに毎日書いているようになっている気がします。w


2023年10月29日日曜日

年齢と仕事の限界

高齢になっても仕事が続けられるというのは良い事だと思います。

ただし、それは続けられるという「可能」である事を表現しているだけのお話で、そのクオリティが維持される限りという大前提があっての話。

仕方のないことですが、加齢に伴って若かりし頃の仕事の速さ、正確さ、その熟す量などはあるところでピークを迎えたあとは落ちていきます。その落ちる速度はまさに人それぞれでしょうが、ある時点で急速にダメになる人は余り居ないと周りを見ていても感じるのですが、いわゆるズレが目立つようになって次第次第に周りの平均的期待値に添えなくなって、最後には「老害」と陰で呼ばれるようになるのでしょう。

そういう意味では平均的な退職年齢というのはそれなりに考えられたシステムだと思うのですが、実際にはその歯止めが効いていない組織があるのもまた事実。私的な組織においてownerがその退き時を認めない時などがその最たる例でしょう。

巨大な組織でも、その人物の存在がその巨大な船を沈めたり傾けてその船員達を諸共に沈めてしまうような事も稀ならず起きる訳ですが、それが他人の組織である間は最悪でも「ご愁傷様」で済むのでしょうが、それが己の所属する組織に起きれば……。

実は病院という組織は公的な機関であれば基本的にかなり厳密に定年制によって人員の強制入れ替えが「淡々と」進むのですが、私的な医療機関ではそれが決まっていないことが多くて、その弊害が様々な形で表に裏に出てくることになります。

一番の問題は「自分はやれている!」という勘違いの下で組織を動かそうという人物の存在。明らかに周囲からは「認知入ってる」とか「もうあかんやろ」とか言われているんですが、残念なのはそのトップやトップ下を取り除く人が誰も居ない時。

実際に私は近所の私立大学や私的なownerのいる病院組織でのその手の話を山のように聞いていますし、実際に医師のネット・フォーラムでも良くその手の話が漏れ漏れになってきては、明確に「ああ、あの大学か」とか「アノ病院だな」とかいう感じで裏が透けて見える様な感じです。

何時も恐れているのですが、それが己の組織に起きないことを心から祈るのみです。家族を路頭に迷わせることが無いように、万一の場合の為にエスケープ・ハッチを見つけておかなければならない!と云うようにはなりませんように…。

2023年10月28日土曜日

新しいiPhone15Proの到着と地獄のセットアップ

思っていたより「かなり」大変でした。

今回実質的に7年振りのスマホの新調でiPhone15を褐炭は良かったのですが、お金をセーブしたくて色々なことを同時に更新しようとしたら多数の見えないバリアが眼の前に登場して文字通りヒーヒー言わされました。

テレビ番組ではないのですが「何と言う事でしょう!」というアノ声が聞こえてくる事数知れず。

まずは私自身に届いたスマホにeSIMを導入するという初めての経験から開始。最初に新しいiPhoneを立ち上げると次々に何をすべきか指示が出てきますのでそれらに素直に従っていくと古いiPhoneからデータその他の必要な情報のほとんどが徹底的に吸い上げられていきます。その上でWiFiに繋いで、古いiPhoneでセットアップしておいたeSIMの為の番号を使ってeSIMをダウンロードしてしまえば一気に開通でした。

その瞬間に今まで使っていた物理SIMの入った古いiPone8は電話が掛けられなくなりました。当然と言えば当然ですが、感覚的には不思議なものです。この技術にどれほどの数学がつぎ込まれているか考えただけで人類の姿勢に畏敬の念を覚えました。

今回したことを直接DoCoMoでやったら一台につき余計に数千円ずつ払わないといけませんので、金の事を気にしない私以外の家族のメンバーには任せられません。w

と云う訳で、次にやった事はアカウントの契約をムカーシ、ムカシに契約して放ったらかしにしておいた家族シェアパック30の解約、その次にはそれをirumoの9ギガという契約に変更(事前に数か月分の私のデータ使用料を見ていったところほぼ10ギガを超える事はまず無いという事でこれに決定)、その上で家族の残りのデータ・プランを変更していくというものでした。

ところが、始める前に予感していた漫画の様な事態が発生。指示に従ってやっていってもいろいろなところで躓きます。もっとも大変な障害は個人認証に関するもの。本来何の問題も無く通っていくべき所が最大の障害になって先へ進めません。

何が大変かというとほとんど問題なく吸い上げられた情報は「銀行やクレジットカード以外の情報」であって、実際にスマホで使うそれらのIDとPW類の入力に当たって、それ以外の個人情報を色々と入力しないといけないのでした。これが大変。

5年以上前にセットアップしたPW類はマイクロソフトのAuthenticatorにお任せ状態で、メモも既に古い状態。かなり忘れたものが多く、これをリカバリーしながらの再セットアップが鬼状態。orz

おまけに本来ならば何の問題も無しに次に進める事の出来るはずのステップが進まないシーン連発で、堪り兼ねてそれらの関連会社に問題解決のコールをしてステップを踏んでいったのでしたが、会社の人も理解できない謎の問題が更に盛沢山。それでも、最終的には全問題が何とか解決して「肩の凝り」は発生せずに済みました。

もう世の中からPWというシステム廃止して生体認証だけにしてくれ!頼む。私の様なズボラなオジサンには幾つも幾つもIDとPWを揃えるのは厳しいのよ。w

それにしても、各会社のカスタマー・サポートの窓口の人達は毎日毎日こんな訳のわからない電話に懇切丁寧に、辛抱強く対応されてるんですな…。頭が下がります。自分なら一日で退職か続けるなら直ぐにストレスで毛が抜けてしまいそうです。

2023年10月27日金曜日

アレルギーって大変

実は次女のバイトの一つに近所の老健での食事作りがあります。

そこで仕事をするのに朝5時には普通に仕事をしたりしてるのが「昔の次女」を知る私には驚きなのですが、そこの厨房に居るおじさん、おばさんにいろいろと優しく教えてもらって急速に料理の腕に磨きがかかったようです。

そこでの話を聞いているとやはり認知症の老人たちも含めて、まあ私の両親世代の人々がケアをされているようで、ポイントとなるのは其々の入所者にあったものを作るというよりも量の調整や料理の硬さ等の調整がメイン。

誤嚥をもたらす様なサイズの粒を出してはいけない人とか、流動に近いものを出す人出さない人など、そういう事に気を使う必要があるというどこの老健、病院でも聞かれるような話を母親としているのを聞きます。

ところが、この前の法事で九州に帰った時に聞いた保育園での話は全く別世界でした。義理の妹がこれまた近所の保育園で栄養士として働いているらしいのですが、今の保育園の子供達は各種のアレルギーに対するケアが物凄く細かく分類されていて、定期的に食べてはいけないもの、食べられないもの~の様な聞き取り調査が行われているのだそうです。

それに合わせて作る側も必死で食事の中身を微調整するということで、正直「めちゃくちゃ気を使う」と言っていました。まあ、確かにそうですよね。食べ物によっては酷い湿疹や喘息のような症状を出すこともありますし、極端な話ピーナツ・アレルギーなどの様な激烈なアレルギー反応は自分の近くにそれがあるだけで気絶しそうになるような子供まで居るでしょうから。

そう考えると、我々が幼稚園や小中学生だった頃などというのは、ほぼ全くアレルギーのケアなんぞなかったというのが日常だったと思います。食べないと何時までも教室の後ろでごそごそもぞもぞと食べさせられ、昼休みの時間が終わり、掃除の時間が始まるまで時々食べていた子がいたのが未だに目に焼き付いていますが、当時のああ言う状況ってもしかしたらアレルギーで食べるのが苦手とかいう子も含まれていたの「かも」しれませんね。

それにしても、今の時代(私の長男も少しありますが)何らかのアレルギーを持つ子が本当に増えましたよね。昔から一説には清潔な生活がその大本などと言われていますが、そのほかにも戦後激増した花粉類の影響で惹起されているとか、人口添加物の影響などいろいろとその原因は追究されています。

何れにしても食事を作る側の人間にとっては将来、給食の様な公的サービスとしての一律の食事提供というのがますます難しくなる時代が来るような気がしないでもありません。

私の勤める病院では今までの所、じいちゃんの中に「青魚」がダメという人が2名居たのが印象に残っているくらいですけどね・・・。

2023年10月26日木曜日

地下アイドルという謎の世界

今日は病院の職員さん達に100人以上インフルエザ・ワクチンを打ったのですが、その時ある看護師さんから終わった後にある誘いを受けました。

ショットを終わった後に娘と同じくらいの女の子に「この前言ってた地下アイドルの事ちょっとネットで見てみたけど何だかいろんな意味で凄いね。w」と話しかけました。実はこの女の子、いわゆる地下アイドルの「押し活」で週末を過ごしているらしいのです。

実はその子の居た病棟をある患者さんの処置で偶々訪れた時に「先生、私今週末は地下アイドルの押し活で過ごしてるんですよ~!」と何だか楽しそうに言ってくるのですが、言葉としての地下アイドルというのをネットでチラチラッと見ることはあっても、それ迄はそれが何かまでは調べずに、オジサンに有りがちな勝手な推測で「凡そ売れない女の子達が小さな劇場なんかで繰り広げるサブカルの世界」という様に思っておりました。

それでも、病棟でその女の子が「先生!見てください!!」といって、奥のステーションに走って行って自分のスマホの画面をスワイプして、今までにその押し活で撮った「押している」地下アイドルの女の子の写真の数々を次々に見せてくれたのですが、何ともオジサンにはなんと返答していいか良いのか解らない月の裏側の世界。w

私から見ると、ケバケバしい衣装に身を包んだ派手なメイクの女の子の猛烈に近くで写真を撮っている事は良く判るのですが、正直それが良いのか悪いのかも全く判断がつきかねるキワモノにしか見えません。

曲を聞いたことも無いのに好きかどうかとか言われてもねえ~という感じでしたが、その時はそれでお終いでした。

しかし数日後に家でPCを触っている時にちょっとその時の事が気になったので、地下アイドルというものをちょっと検索してみると…出るわ出るわ。名古屋のような大きな都市にはそれなりに大量の地下アイドルというべきアイドル予備軍が沢山いて、それに人気の順位などもごく当然の様についていました。

更には地下アイドルよりももうちょっとディープな地底アイドルというのも存在しているようで、このレベルになると自分の持ち歌じゃない歌を歌ったりしている云々等と記述されています。もう、このレベルになると私にとっては月の裏側どころか土星の地下3000メートルくらい意味が解らない世界なのですが、それでもちょっとだけサブカルの一面を見た気にはなりました。

さて、冒頭の話に戻るとその看護師さんの誘いというのは「先生!私が先生の分のチケットも買いますから一緒に応援しに行きましょう」というもの。それを内科の看護師さんたち全員の前で言うような変わった子なのですが、その眼は真剣そのもので、私は何と答えていいか全く思いつかず、ただただ「う、お、うーん、はいはい」という感じ。

返答のしようもありません。w

名古屋の大須ではそう言えばこの前商店街の中を歩いていた時に、数人の若い女の子達が30人位のオジサンやオタク風の青年達の前で一生懸命踊っているのを遠目に見たのですが、押し化したらアレがそうだったのかも?と今になって思い返したのでした。

今度、意味も無くコッソリ一人で行ってみるか?とも思ったのですが、私にとってそれはバンジージャンプをするよりも勇気の要ることなのでした。

2023年10月25日水曜日

謎の犬の謎が解けた!

今日、午前中の診療が終了して病院から一旦外に出たところでいつも散歩をしている男性とすれ違いました。

この方、恐らくい引退しているくらいの年齢の方なんですが、時々この病院の周辺をヨーキーを連れて歩いているのを見かけていました。時にはすれ違いざまに「こんにちは~」程度の軽い挨拶・会釈はするのですが、アメリカに居た時と違って見知らぬ人とそれほどフレンドリーにしないのがこの国のフツー。

と云う訳で今まではその程度だったのですが、今日はちょっと趣向を変えました。それは簡単な理由で、歩いていたヨーキーが恐らく右前脚の関節炎をおこしているのか、脱臼を起こしているのか上手く歩けない状態で、いわゆるヨタヨタだったのです。

思わず声をかけて「お幾つですか?」と声を掛けたところ、スッと立ち止まって下さり破顔一笑「あと二月で18歳です!」とのお返事。「えー!長生きですね~。私の所もほんのこの前まで16歳半のヨーキーが居て恐らく肺癌で亡くなっちゃったんです」と言ったところ「いや~、うちの子も本当に最近は老いてきちゃって、こんな風にしか歩けなくなってしまってですね…」と、優しい目で我が子を見ておられました。

その時、私は何時もこの病院の前を散歩されているもう一人の70代後半位のお婆ちゃんの連れている元気なヨーキーの話をしたところ。「あ~、知ってます、知ってます~」と直ぐに共通の目撃談に話が咲きましたが、ここからが意外な展開。

私が「この前、あのオバちゃんに犬の歳を伺ったら19歳!って言われてたんでビックリしましたよ」と話したところ、大笑いされて「あ~、あのオバちゃんね。もう、いつ聞いても年がバラバラなんですヨ。恐らく、どの数字も当てずっぽうで毎回違ってるんです。笑」という感じ。

「いや、あの見掛けで19歳とか。5歳って言われても信じるレベルですもん」と説明してくださって、その実感に私も強く同意。(あのオバちゃん、もしかして…認知症か虚言癖でもあるんか…)と言う自らの心の声でオバちゃんの語る話の筋が見えてしまいました。orz

いやあ、どう考えてもあの跳ね回り具合で19歳は無いんじゃない?と思っていた小さな疑いの炎は急速にその火種から消えたのでした。

まあ、そんな事は些事ではあるのですが、久しぶりに己の家にいたSpookyを思い出したのでした。もし生きていたらこの31日に17歳!になる筈だった我が息子。死んだ子の歳を数えるという気持ちが何となくわかった気がしました。

2023年10月24日火曜日

次々に届く荷物を見て

何でこんなに素早く配達されるのでしょうか。

今回次女のアートの制作に関連して、下地の準備に使うジェッソや数種類の大型のアクリルペイント、その他の諸々をアマゾンを通してネットで注文したのですが本当にそれらの到着はあっという間でした。

その一方直近のニュースでよく視るのは「深刻化するトラックドライバー不足」の文字。30億トンの荷物を運ぼうにも年々高齢化してくる平均的な種々のサイズのドライバー達。

しかも、時間指定や配送は準備できたらバラであっても直ぐ発送等と言うあり得ないようなサービスのセッティングで行われるせいで人口は減ってもそのパッケージ数は増えはしても減ることはありません。こんな事していたら需給のバランスがぶっ壊れるのは日の目を見るよりも明らかな事なんですが、今のところブレーキング・ポイントに向かって真っすぐに突っ込んでいっている感じです。

置き配やロッカーへのデポジット、コンビニ預かりなど様々な工夫を凝らし続けている配送側ですが、ラスト1マイルの厳しさにはどこの会社も頭を悩ませているのは配られる側のこちらでさえひしひしと伝わってきます。

良くトラックドライバーや小型貨物便の人が荷物を投げて起こっている様子などが盗撮されて拡散されたりしてますが、何度配送し直しても不在とかいうような状況の家があったら、配送する側も泣きたくなったり怒りたくなったりするのも「私は」理解できます。無論だからと言ってパッケージを投げたり蹴ったりして良いなどと言うものでは全くありませんけどね。

病院関係の知り合いの方で、仕事を退職された後に黒ナンバーの軽トラを購入されて自分でラスト1マイルのデリバリーの仕事をされるという方の話を聞いて「それありかも」とは思いましたが、如何せんトラックドライバーの年収は正規であっても平均して500万の年収に届かないという話。

これでは腰を痛め、疲れ切った中で夜遅くまで再配送を繰り返す中での仕事に人が集まる訳がありません。やはり彼らの年収を上げていく為には「労苦に見合った賃金」を払うべきで、アマゾンもそろそろ過剰な明日お届けとか本日配送とかいうよな無理筋のデリバーは行わずに、最後のオーダーまで「まとめて」配送を許すなら5%引きとか、一個ずつ直ちに配送させるならすべての商品にそれぞれ5%上乗せして配送させるなんて条件つけても良いんじゃないでしょうか。

それくらいは受益者側である購入者も負担してあげないと、サービスの質を維持できない時代が「直ぐそこ」まで来てると思うんですけど、私が無理筋言ってるんですかね。w

殆どのモノはちょい我慢しておけばやがては家に来るもの。よほど急ぐのであれば速達のように特急料金のような柄分を払うようにしておけばよいのではないの?と思うのは間違いですかね。

アマゾンは自分達だけで完結するアマゾン・ロジスティクスと言う配送システムの構築を目指しているとのことですが、実際にそこで働く人達の労働条件が良質なものであることを心から祈るばかりです。

ロボットとか自動云々と言うシステムの大量導入をしなければとてもとても間尺に合わないような凄いシステムとなるしかないのでしょうけど、ジェフ・ベゾスならやるのかもしれませんね。ただ、アメリカではアマゾンの配送センターは私がアメリカに居た頃は現代の奴隷工場等とも呼ばれていましたが…。


2023年10月23日月曜日

孔子の子孫とか( ^ω^)

何ちゅうか、謎多き国です。

知り合いの子が人づてに頼まれて、アメリカの大学2つを卒業した後に日本に来ているとかいう中国人の男の子を自分の会社に雇い入れたというのですが、その子から聞いた話が随分と謎めいていて腕組みしてしまいました。

彼女に聞いた話では、彼の履歴書ではMITのコンピューター・サイエンス(おそらくEECS)を4年で卒業した後、コロンビア大学の統計学専門修士課程で統計学を2年勉強したとのことが書いてあるんだそうです。(本当にそういう超一流の所を出ているのか一度diplomaを見せて貰えとアドバイスしましたが!)

家は代々孔子の家系で、既に100代目までこの家系では次の子供達の名前等が決められているんだそうで、親達は超金持ちで日本に来たのはそもそもNYに居た時に銃撃戦に巻き込まれてアメリカで就職するのが怖くなり日本という安全な国に移り住むために日本語をまず独学、その次に日本のECCに入学して日本語の勉強をやり込んだとのこと。(しかし中国には孔子の子孫なんて自称他称を含めて100万人位フツーに居そうですよね^^)

言語は5か国語を話すらしいのですが、社長と話をしていても所謂おぼっちゃまそのものだそうで、何事も親が決めた運命に従い行動するため、自分では彼女をつくろうと「どうせ親が決めた女の子と結婚することになるんだから、僕と付き合う子が可哀想」と言って彼女も作らないんだとか…。もう下々の者には何が何だかわからないくらいセットアップの決まった人生のようです。

聞くところによると、親の資産は日本円にして5000億近く。いったい何の仕事をしているんだか、政治関係でヤバい紐がついてなければいいんでしょうが…。しかも、今回の会社への応募と言うのは日本の永住権を獲得するものであって、給料も間接的にお母さまが年1千万円を振り込んでくれるんだとか。ちょっと何もかもが怪しく、やばく、強烈すぎるので「沢らんほうが良いと思うよ」とアドバイスしたのですが、もう雇っちゃったとのこと。

ただし、流石はお坊ちゃま。週に三回の勤務で良いからという事にしてあるのに既に会社で働く気は無いと言って出社を渋っているとかいう話。

私は「無理&ヤバすぎ」と言って、いろいろな意味で切ったほうが良いと助言しました。実際、彼女によると「あの国」の人達は日本で仕事をしていても忽然と姿を消すという事が頻繁にあるという事で、それが政治絡みなのか、それともヤバい組織絡みなのかさえも判らないまま消えていくという事ですから。

触らぬ神に祟り無しです。

2023年10月22日日曜日

こんな輩も居るんですorz

今日は透視室で仕事をしている時に顎が落ちる様な話を聞きました。

最初に聞いたときは思わず「え~っ!」と声を上げて絶句、しかし良く考えなおすと「あ~、あの人物ならやらかしかねんなw」と思わず笑ってしまった話でした。他の病院でもあるのかもしれませんし、論理的にはどういう形でもこういう事はあり得る話ではあるんでしょうが、私自身としては医師として何とも情けなくなりました。

話は実に簡単で、病院の男性医師が病棟師長をパワハラで訴えたという話。パワハラを受けたという訴えを受けた女性の病棟師長自身が話したのを直接聞いたという透視室の人の説明では、「あなたがいると仕事が進まないので、この仕事は他のドクターにして欲しい」と言われ、仕事から排除されたというのが事務方への訴えだったんだそうです。w

うーん、残念ですけどそうやって断定的に師長さんにそれを直に言い切られてしまったというのはそれなりの経緯というものがその前段として多重というレベルで重なっているのが透けて見えてしまうんですよね。

そもそもこの先生の日頃の働きと言うのを直接・間接的に知っているだけに恐らくこの師長の堪忍袋が「遂に」切れたんだろうな~と言うのが私の率直な極個人的感想です。

それにしても、こういう極端な医師の例は別として今の時代こんな恥も外聞も矜持も無い輩も普通に出てきたんだなという感慨があります。私の正直な感想は「いい歳こいてお前は何をやってるんだ?」と言う話。恥ずかしい案件でガタガタ文句を言う暇があったら、そんな恥ずかしいことを言われないように真面目に働けば済むこと。

信頼がないから仕事の案件から排除されるという極端な排除行為はあったにしても、それをパワハラとして院内で反撃する筋の悪さこそがあなたが仕事から排除される元凶そのものなんですが…と言うような事を諭したとしても聞く耳は持たないでしょうから言うだけ無駄ですかな。

こんなのが裁判とかになるような事があるのなら日本も末ですな。


2023年10月21日土曜日

ライド・シェアの導入

日本のニュースで「深刻なタクシー・ドライバー不足」の事が報じられていました。

なんでも、2019年からの4年間でコロナ禍を経て6万人ものタクシー・ドライバーが減少したといいますから、コロナのパンチは日本の運輸業の形態まで変えてしまったことになります。現在の総ドライバー数は26万人程度なのだそうですが、車はいつも余っている状態で運転手の平均年齢の情緒がすごいみたいで、還暦ドライバー以上と言うのがどこも半数以上と言う感じのようです。

個人タクシーの年齢制限と言うのが75歳らしいのですが、これを80歳!にまで上げてドライバー不足の一助にしようとしているらしいのですが、なんだかもうただの焼け石に水としか思えないのは私だけですかね?しかも、間違いなく「危ない」でしょうし。自分の親父世代周辺の人間がどういう動体視力や反応性を保持できているのか知っているだけに怖いなと思う事多々です。

実際に時々しか使わないタクシーでも、乗ってみたら明らかに高齢者だな~と思えるドライバーさんだという事が多いことからも運転手の高齢化は進んでいるんだろうなと言う実感があります。

そこでニュースでつないでいたのはライド・シェアの解禁。アメリカでは私が現地に居た頃から大学単位のものも含めて極フツーにされていたので、結局は法律の縛りとトップの決断次第という事だと思います。

一番の問題は万一の事故が起きた時の保証やライド・シェアで起きないとは限らない暴力やレイプ絡みの事件に対する対応でしょうか。日本ではどうかなと思いますけど、乗る車が軽かメルセデスかによっても安全に対するマージンの差が価格差に出てきても良いような気もしますし、運転手の評判も当然乗った人の接客経歴としてお客さんから後で評価されるLyftやUberやシステムの間借りで十分対応できると思いますけどね。

日本ではGoタクシーを使っている人が多いんでしょうけど、田舎に住んでる親父に聞いたところ朝の9時に迎えに来てくださいなんて言ったところで「そんなの無理です」と、まるでこちらが無理筋の事をお願いしたかのような返事をされて驚いたとのことで、田舎のような過疎化が進んでいるエリアでは間違いなくこう言った事が当たり前で、そのうちバスもタクシーも走らないエリアだらけになってくるんじゃないかと割と真面目に思ってます。

縮んでいく国ではその途上で、平成までの常識では考えられなかったようないろいろな不都合が起こりそうですね。

自分が生きているうちには見るのが怖いような変化だと思います。

2023年10月20日金曜日

谷村新司さんの死と世代の差

これは世代格差ではなくて単に世代の差、ズレなんでしょうがやはりこちらがギョッとしてしまうような事を「当然」知らない世代が同じ職場に居ると「俺も年寄りだよな~」と一人笑ってしまいます。

今回の衝撃は74歳という若さで亡くなられた谷村新司さんの件。今月8日に亡くなられていたとの事でしたが、このニュースが速報でナース・ステーションに流れてきた時の事でした。私自身が休憩中で、ベンチに座っていたところLINEの通知音。何気に開けてみたところ私にとって衝撃的なニュースであった谷村さんの死が伝えられていたのでした。

思わずナース・ステーションで「谷村新司死去って!」と言うと周りにいた40台前後以上の看護師さん達からは一斉に「え~~~っ!」という声が上がりました。その後も医療関係者らしい会話が続き、死因に対するいろいろな疑義や質問が私のほうに返ってきたのですが、それらの内容に関しては全て憶測の繰り返しであって、ここに書くような事ではありませんし。

その後、中心静脈栄養のルートを入れる為に別室に移って仕事をし始めたのですが、その準備の時に私の補助に入ってくれた若手の看護師さん達(共に20代)に「谷村新司っていう人知ってる?」と恐る恐る聞いたところ、本当に申し訳なさそうな顔をして「済みません、知らないです…。」と消え入りそうな様子。

私は追っかけで「じゃあ、当然アリスっていうグループも知らないよね?」と言ったところ、やっぱりの反応。そこで「24時間テレビのサライは知ってる?」と聞いたところ「あ、それは知ってます。谷村さんが歌を作ったんですか!」と言う話になりました。その時の加山雄三との即興での制作余話などを話したところであんまり解らないだろうし記憶にも残らないだろうと思って、それ以上の話はしませんでしたが、親子の歳の差はやはり情報の断絶と言う形で出てきますよね。当然ですが。

それにしても、我々が高校・大学生のころなどもラジオで軽妙な下ネタ披露で大笑いさせられていたころを知っている我々にとっては谷村新司と言う人物は歌い手と言うよりも話の達人と言う側面を強く印象付けられている人と言う感じが強いですね。

まあ、その人物像に関する個人の印象と言うのはその人の体験に基づいていますのでこういったバリエーションは仕方ないところでしょうが。

心より御冥福を祈ります、と思っていたところで財津一郎さんがお亡くなりになっていたことが報告されました。こうい訃報の積み重ねもやがて我々の年代に近づいてきて、やがては己の順番になる日が来るのですよね。


2023年10月19日木曜日

近所で起きた爺さん同士の車事故

家からそれほど遠くないところで80歳の爺さんが運転する車が喫茶店に突っ込みました。

自己自体は所謂アクセルとブレーキの踏み間違いかギヤの入れ間違いということですが、恐らくは後者でかたいと思います。車止めを乗り越えてバックしていった挙げ句に喫茶店の中に居たこれまた80代の男性を怪我させたというものです。

話自体は日本全国で起きている話で、この前も直接看護師さん自身から聞いたのですが看護師さんもコイン・ランドリーに車で突っ込んで車と店を壊した話をしてくれましたので、ニュースにならないものも含めれば、恐らく毎日のように日本中で起きている話なのでしょう。そんな中で高齢者が加害者だったり、被害者が小さな子供さんだったりすると話は大きく報道されますが…。

最近は歩道を歩いていても「高齢者や病気で運転中に意識を喪失した人」がもしかすると突っ込んでくるかも知れないという大前提で常に構えています。交差点に立つ時はこっちから車がこう来てもここの車止めにぶつかれば俺は怪我せんなとか、この大きな電柱の影に立ってればココに車がやってきても大丈夫とか頭の中で軽いシミュレーションをしながら息子の手を引っ張って歩いたりしています。

歩行者として歩いている時は加害者にならないように気をつけているのは上に書いたとおりなんですけど、実際自分も還暦に近づき始めて「自分が加害者にならないように」という事が頭を過ることが多いです。工業院の90代のクソジジイが親子を轢き殺しておいて、恬として恥じなかった様子を見ているとああいう老醜を晒すような事だけは絶対に避けたいし、自分より若い命を車で奪いさるというような事もそれ以上に避けたいと思うのです。

こういうのは自分の恥云々を超えて、人の明るく長い未来の可能性を奪う所業ですからその加害者だけには絶対に…と考えつつも、万一運転中に意識を喪失するようなインシデントが発生したらと思うとそれはそれで恐ろしいことです。

今自分が日常的に乗っている車は取り敢えず危険が近づいている時にはアラートが普通に出て、危険を回避すべく自動で停まるものですがそれでも100%などとは「程遠いもの」です。残りの数%のリスクで十分に人を殺したり怪我させたりと言うことは起き得ますので、どこまでいっても運転というのは大きなリスクを背負っている行為だということで、最近はそういったリスク発生に対する疑念や不安が強くなっています。

何時の日か「これはあかん」と思うような前振りベントがあったら運転を止める・控えるなどという区切りがあれば良いのでしょうが(親父は自宅のカーポートにバックで車庫入れ中に車を当てて以来運転を止めました)、自分はどこかの年齢で区切ったほうが良いのかも知れないなと、このようなニュースを見る度に考えることが増えているこの頃です。

幸い名古屋市は敬老パスがかなり良い条件で使えますが、美しい区切りをつける「その日」があればよいのでしょうが。

2023年10月18日水曜日

資産のことで揉める患者さんとその家族達

どんなに患者さんの病気が酷かろうと、その周辺の人達が関わっているお金を中心とした各種の資産の配分というのは本当にウンザリするほどその人達の「見たくない部分」を見せつけられることが多いですね。

患者さんの兄弟姉妹、息子や娘、甥や姪まで入れた親族までも患者さんが近未来に遺していくであろう動産や不動産に纏わる影の闘いはその資産の由来を含む真実、親族間の関係などの内情を表面的にしか理解できない私のような外野の人間にとっては、ベッドサイドで小声や大声で親戚同士、兄弟同士、患者さんとその家族の間で交わされ、漏れてくる会話には文字通り聞かなければよかったと思えるような「エグい」話が存在しています。

具体的にウン十万とかウン百万などという数字を口に出す人、アソコの土地とココの家付きの土地は誰がどうする等と言うことを病室で開始する様は、正直「あんたらときたら…」という言葉が歯の裏まで出てきそうになることもあるのです。

個々の人物という意味でお話する時はまるで普通に見えた人達が、私の居ないところでは私が膝を突いてしまいたくなるような会話を交わしていると「お金が絡むと人は変わる」こともあるのだなという事実を実感するのでした。

今迄、こういう事以外にも遺骨を巡る取りあいも良くあります。亡くなった方も本当に浮かばれないな~と感ずることも少なくないというのが本当にあるんですよね。納骨されない骨が親族に探されても、その所在が判らない状態で隠し続ける誰か一人の人間が親族に居るだけでトンデモナイ心理的不幸が親族全体の胸中に漂い続けることになるのです。

とは言えその正反対の御遺族達がいることもまた真実。遺産となるべきものを綺麗に兄弟たちで分割して「ハイ終わり」として済む人達や「もう私達は要らないから」と言って誰か一人に資産を寄せてお終いにする人達。

そのどちら側も世の中の真実。そういう人達を見ると、世の中そんなに捨てたもんじゃないなとも思うんです。

短い人生と小さな血縁の輪っか。小銭を巡るしょうもない争いなどでぶっ壊さないに越したことはありませんよね。

2023年10月17日火曜日

国はスマホをタダで配れば?

ココまでスマホが進化してしまったら国は国民一人ひとりにスマホのような「何らかの電子システム」を配っても良いのかもしれません。

マイナンバーカードが結局のところは保険証と一体化されるのは既に規定&ほぼ終了。髪やプラスチック型の従来型保険証を持って行っても、医療機関ではスマホなどでの受給者資格なども提示しなければならないので余計に複雑になるだけの話。お爺さんお婆さんには本当にご愁傷様なシステムです。

その上で、来年の末迄には運転免許証も一体化しようというのですから、どこまでもどこまでも行政事務の簡略化と個人認証の一体化に向けて突き進んでいくことでしょう。子のブログにも何度も書きましたが、恐らくグリーンカードの様にありとあらゆる場所でIDとして使われるものと思います。これに加えて個人の認証には印鑑と言うシステムは消滅しその存在は恐らくは歴史上の知識として残るのみになるのではないでしょうか。

全ては個人によるサインとマイナンバーカードの下四桁などの組み合わせが全てになる気がします。(恐らくほぼ全てのアメリカ人は自分のIDとしての9桁全てを暗記していると思うんですが)日本で自分のマイナンバーの載っているINC(Individual Number Card)は4桁の区切りで全体が12桁ですので、全部は覚えきれないと言う人が出るかも知れませんが。

私がアメリカに住んでいた頃はグリーンカードなどは先ず絶対に持ち歩かず、頭の中に数字が入っていることで外出先のシステムによってX桁までを書いて下さい(多くの場合は下四桁のみ)という事で普通に対応できていました。

私は絶対にこういう形になっていくとずっと思っています。ほぼ確信。下々の者が何と言おうと必ず!そしてその果てにあるのは全銀行講座の完全監視と税金の追求が容易になる世界が待っておりますが、悪い事をしていないという自身がある方はそのまま普通に生活して居られれば宜しいだけ。

尤も、私自身は総体としての国家等「毛ほども」信じておりませんので、自分の記録を覗き見された記録(何時何処で誰がどの部分に関する情報を見たか)を全て閲覧する権利をオンラインで行使できるシステムは是非我々国民に保持させていただきたいと思うのでした。

それが出来なければヤバいですね。

それにしても、ココまで電子情報の一元化が進むのであればすべての情報は(少なくとも希望者達には)スマホ(若しくはそれに類似したデバイス)の中に全てを収納するシステムを導入してもらったほうが私には便利になると感じています。その際は国家が作ったデバイス若しくはソフトを配り続ける努力が必要だとは思いますが。

更にこれからも、アナログの世界を知る人間達が生きている間は未だ何十年も大小の抵抗は続くでしょうが、デジタル・ネイティブ世代には寧ろそれが自然の世界になってしまうもので、「何故紙やプラスチック?」と言われて終わりとなるものと思われます。

もっとも、アナログ世代でさえ紙の保険証の全体像などでさえ、きちんと把握している人間がどれほど居るのでしょうか?というところですが。w


2023年10月16日月曜日

昭和の子供の成れの果て

何時までも歯の治療をしています。

いつも思うんですが、昭和の子供の成れの果てというのは俺のことだなと思います。歯の磨き方を両親に習った覚えもないし、歯科検診でも普通に歯科医師は学校の体育館に集めた子供達の歯を同じ道具で弄り回していたのをはっきりと覚えています。今となってはまさに虫歯の元を子供から子供へ回していたようなものですね。

何回か自分の歯のことに関してはブログにも書きましたが、小学生の頃にソーダ・ガムの一気食いをして以降私の歯はもうボロボロ、近所の歯医者さんも下手糞で、詰め物は頻繁に外れていました。

しかし、私の周囲の子供達を含め虫歯がゴロゴロある子供というのは極標準的で、私が検診で幼稚園に行った時に診るような平成後期から令和の子供達というのはもう滅茶苦茶に歯が綺麗で、虫歯がゼロの子と言うのも全く珍しくありません。これも既に書いたことですが、その中で虫歯が沢山あるような子は200人位の子供達の中で数人。

園長先生によると、そういった子供達の家庭環境というのは通常何らかの大きな問題を抱えているような家庭なんだそうでして、じゃあ昭和の頃の家庭は?と言う話になりますが、あの当時は歯科の公衆衛生というものは実に惨めなレベルでしたので、今の家庭とは違って当時は普通の家庭でも口腔衛生の平均的レベルは極低いものだったと思います。

テレビでも出てくる歯磨きと言えばデンター・ライオン程度しか覚えていません。後は「りんごを齧ると歯茎から血が出ませんか?」というCMですかね。これもデンター・ライオンみたいです。あとは中原ひとみさんが御家族でホワイト&ホワイトに出ていた方々ですね。確か息子さんは新型のフェアレディかなんかに乗っていてお亡くなりになったと昔FRIDAYで読んだような…。

少し脱線してしまいましたが、何れにしても年がら年中少しずつ歯の治療をしては歯医者に行き、クリーニングをしてもらったり問題を発見してもらっては治療したり。なんとも歯科医院と縁を切る事はできませんね。

とは言っても病院における健康診断と同じで、歯科医院も己の口腔衛生とその延長線上としての健康維持には必須のシステムですから、縁を切ることなどあり得ませんが。

先日九州に帰った折に親戚の広島の叔父さんが言っていましたが、昔は8020(80歳で自分の歯を20本)なんて1%も居なかったけど、今じゃ下手すると半分はおるんじゃないか?との事ですので、時代は変わるもんですね。

歯医者さんてこれから保険診療のみでやっていけるのかな???

2023年10月15日日曜日

次女のアートスクール・チャレンジ

次女は日本に帰って来てからも何時も何かを描くか創るかしています。

何だか私にはよく解らないのですが、彼女なりに考えがあるようでアメリカの元の指導教授などとも連絡を取りながら種々アクションを取っているようです。この前は突然私のpaypalの口座に見知らぬ女性名で米ドルの振込みがあり「?」と思って次女に確認したら彼女の絵を買ったその指導教官からの振込みとのことでした。

ところが最近になって更にアクションを追加で起こしていて、今書き込んでいる絵以外にも来年の1月までに他の絵を仕上げてアメリカに画像を送りたいようです。どこのアート・スクールにそれらを送るのかは一切聞きもしないのですが、ひと言「難しいところ」との事ですのでそう容易に認められるような倍率のところでもないのでしょう。

という訳で、その一環として私に新たな仕事が舞い込んできました。

そもそも数日前にアートの材料としてのアクリル絵の具やカンバスのベースとなるフレーム(直接描き込めるボードですね)等を買いに行ったのですが、その店がとてつもなく現金オンリーの店で、電子決済は駄目だしクレジット・カードもAMEXを受け付けてくれないお店。orz

しかもその時はキャッシュというものを全く持っていなかった為、どうしようもなく物が買えません。近くのコンビニはどこかと訊くと流石は瀬戸だけあってなかなか周囲数百メーターにもそういった店が見つかる事も無く…。

娘を画材店に残して車を西の方に走らせますが1キロ走ってもコンビニ無し。w

二キロほど走ってやっと見つけたローソンでATMマシンに銀行のカードを入れたところ「読み取れません」との表示が。orz 笑いながら肩を落として画材店に戻り娘に「ごめん、今日は買えんわ」と謝りました。娘は平然とした顔をしていたのですが、おおいなる時間の無駄でした。

帰り際に思わず店の人に「割引云々とかどうでも良いので、フツーの電子決済も使えるようにして下さい。お願いします。」と毒気の籠もった提案を吐き出してしまいました。

さて、この時に店で買おうとしていたのがF50とかいうサイズだったのですが、このボードが5000円台。このサイズでこの値段なら娘が本当は欲しいドでかいサイズは一万くらいは容易にするだろうと思って逆に私から問い質しました。

「俺がこれよりもっとでっかいの普通に作ってやろうか?遥かに安く作れるはずやで。どうする?」と言ったのです。娘は少し気のないような返事をしつつも取り敢えず肯定的。そこで、ここは親父の工作力を見せようということでその足でDIYの材木売り場へ直行し材料選定。ラワン合板や裏のフレームなどを慎重に選定し、高さ152センチ、幅91センチのでっかいガッシリとしたボードを2日掛かりでシコシコと作り上げました。(とは言っても実際には最強の木工用ボンドはどれかというのを店の人に聞いて、自分なりのサイズ選定をして種々の微調整を加えてラダーフレーム型のボードを作成しただけですが、娘は満足してくれたようです。)

後はこれにジェッソを塗って絵を描き始めるはずですがここから後は私の関与しないところですので「後は知らず」です。お父さんの仕事はココまで。

まあ、良い結果が出ることを祈っております。

2023年10月14日土曜日

それじゃオヤジの方は大丈夫なのか?

母親の方の施設入所の目処は尽きオヤジもそのままであれば心安らかな生活に入れるかと、遠隔地の名古屋に住む息子として一安心したところでした。

ところが、田舎の病院から嫁さんの方に直接電話があったようで、内心「何事ぞ?」となりました。

送られてきたLINEによると、私がオヤジと同室で寝た時に気になったイビキとそれに付随する無呼吸の状態を調べて貰うべきだというsuggestに従って病院に行って診察を受けた時の親父の行動に関する医師側の心配が書き連ねてあったのでした。

それによると、スマホに録音していたソフトウェアの「いびきラボ」の寝息の様子を先ず先生の前で再現できなかったこと、そしてCPAP用のマシンの使い方がイマイチ理解できなかったこと、更にはマシンの使用に当たってあちこちの部屋にある看護師さんに付いていくことで説明を受けるはずだったのに、なかなか廊下で立ち話をする看護師さんの話が終わらないので、その人じゃないと思って別の看護師さんに付いて行ってしまったとのこと。そして最後のトドメは病院から帰る時におのれに渡された筈のCPAPの検査用のマシンを持って帰らなかった事でした。w

最初の2つは、私には親父が戸惑う様子が目に見えるように解ります。おそらく耳が遠い上に昔からスマホのある「一定レベル以上の使い方」にはなかなか理解を示さなかったものですから、私がセットアップしあげて使い方も教えていない「いびきラボ」のソフトのデータ提示が出来なかったのは無理もありません。その上に専門的な無呼吸チェッカーであるcapnometerの使い方もなかなか装着とボタンのセットアップは一度では理解できなかったであろうことも「先生には」心配だったのでしょうが、確かに85の爺さんには難しかろうなと言う気がします。

その上で3つ目のエピソードですが、そそっかしくせっかちなオヤジならではのエピソード。オヤジを知る私からすると「やりそう」とも思うのですが、当然病院の方はそんな天然の親父のボケを知りませんから、自然に認知機能障害と思ってしまうのは無理からぬところです。

ところが、最後のエピソードは流石に・・・という訳で、今回の電話連絡と相成ったようです。私自身が「電話をして下さい」と言われていたドクターに電話をして「確かにそうでね、親父の認知症も始まっているかも知れません、云々。」と相槌を打った後、今度は親父に電話をかけて今回の種々のエピソードのことを話して「先生が随分心配しとったよ!」と話すと、実はその時点で既に病院に戻ってきてマシンを渡してもらおうとしたら一旦ダメ出しが入ってしまって渡してもらえん!」というような状況だったみたいでした。先生が心配されたんでしょうね。

さて、親父側からいろいろと診察時の事情を説明した後に、私が「先生を安心させたかったら年一回やってる認知症の検査をやってもらって点数を見せればいいんじゃない?それで天が低けりゃ止めとけば良いし」と言ったところ「俺もボケてきたかな~」と笑っていました。

一心に考え事をしていて、コンビニでいろいろ買ってお金を渡した後に買ったモノの入った袋を置いてそのままコンビニを出てしまうことを大学時代から何回もやらかしている息子の私には親父のcapnometer置き忘れの件を笑う資格は全く無いのですが…。

あ~、親父の方もボケが強まってきたら如何対処いたしましょうか…。それなりの計画は既に持っているんですが、その時は又田舎に飛ばなければなりませんね。orz

まさに烏兎匆匆です。 

2023年10月13日金曜日

母親の施設入所と終末期の意思表示

急遽という言葉は今回の為にある感じでしょうか。

以前からショート・ロングという形態の、日本中で普通に日常的に行われている「法に抵触しない」けれども推奨はされない方法で週末等に施設入所することを繰り返していた母親だったのですが、恒久的に使える終の棲家としての医療介護サービス付きの施設に入所できることとなったようです。

一見すると問題なさそうに見えて実はもうほぼ新しいことが記憶できないと言う状態になってしまっている私の実家の母親。親父への一方的な負担が継続的に積み重なっていました。そこでどうするかという決定事項は日本中の私世代の人間が直面している日常的選択肢の一つです。

恐らく50代後半の人間に御両親の健在と御存命の時点での現状を尋ねてみれば多くの場合、老老状態での共同生活やデイサービスの利用、施設入所等の回答が返ってくるのではないでしょうか。

無論、90近くなっても身体頑強壮健にして頭脳も明晰なんていう御老人も今の時代は掃いて捨てるほど見受けられますが、それでも経時的にそれらの人々もADL(日常の活動性)が低減していくのは誰もが知っていること。動いていた脚が動かなくなり、冴えていた頭にも霧がかかり始め、目も耳も鼻も問題が起き、食べたいと思ってもムセが起きたり、そもそも食べたくとも量が入らなくなる。更に問題なのは意欲の問題。脚の健康などとも関わってくる事ですが、若い時には活動的で家などには居つかなかった人も足腰のみならず何よりも「意欲」が衰え外に出なくなる。

やはり、80過ぎという加齢と共に全ての能力に何らかの欠失や問題が起きてくる時期がやってきます。まさにそれが私の母親と父親の今なのです。

親父の方から昨日夜にある書類の写真が送られてきました。それは私がいつも病院で患者さんやその御家族にお見せして今後「予期された、若しくは予期されないような終末期を迎えた時に施設として患者さんにどのようにして欲しいのか」という事を聞くものとほぼ同一のものでした。

私としては両父母からはそのような時にどうして欲しいかという事を事前に何回も聞かされていましたので、その意志に沿った標準的な返答を写真にマークして親父に返送しました。

親父自身はこの用紙を見てもいまいち意思表示の方法に困っているようでしたので、アドバイスを入れました。「多分、母ちゃんの今の様子からすると今後最も起きうる疾病は誤嚥性肺炎か心房細動由来の脳梗塞なんで、その時にもし窒息とか心停止が起きてなければ病院に運んでで内科的な治療でのみ診て貰うという方向でいいと思うけど」と言う感じの話をしたのですが、どこまで親父が理解できたのか。

16日の月曜日に施設の人やケアマネさんとその点に関して話をするらしいのでLINEで参加することになるかも知れません。何れにしても今が両親の人生の一つの転換点ですね。(他ならぬ私も当然巻き込まれますが!)

2023年10月12日木曜日

不思議な関係者達

病院で入院患者を担当する時にいろいろな家族さん達や関係者が付き添いとして来られます。

実際の話、高齢の患者さんの入院の場合がもっともマスとしては多いのですが、そのほとんどの場合、付き添いの方は息子さん、娘さん若しくは患者さんの配偶者。しかもその付添には多くの場合、地理的な距離が近い方の子供さんがやって来ることが多いのは当然です。

時にはお孫さんや曾孫さん(ほぼ赤ちゃん!)まで来ることもありますが、家族の中での患者さんの立ち位置が見えて来て大変面白いものです。また、子供さんが居られない方には時に甥っ子、姪っ子と言う立場の人がやってくることもあります。勿論この場合には治療に対する熱意や患者さんとの関係性は複雑で、全く興味はないけど「一応」親族で地理的に近いところに住んでいるので、来ないとやっぱり不味いかな?という正直な打ち明け話をされて来られる方も。しかし、私からしてみれば来てくれるだけでも有り難いもんです。当然、甥、姪と言っても非常に近しい日常関係性を見せてくれる方々も居られそのコネクションの太さや濃淡は単に「なんとか親等」等という法的な血縁お深さのみでは容易には測れないところです。

さて、上に書いてきた関係性を持つ方々はまだ血縁を持っておられる方々。そう、当然のことですが世の中には非血縁者で患者さんの入院に付き添ってこられる方々も「各種」無数に居られるのです。

意外と多いのは会社関係者の社長さん等の経営者。御自身が雇っていた従業員さんが患者さんとして入院することになり、その責任者として本来は出さなくて良いお金まで持たせて入院させ、医師や看護師にご挨拶をされて[よろしくお願いします」と頭を下げて行かれ、更には奥様と共に頻回にお見舞いに来られる…視ているこちらが頭が下がるような方々も少なくとも数回見ており、経営者と呼ばれる方々の人徳、責任感というものはレベルが違うなと思うこともしばしばでした。

他には近所に住む友人という方々も多いですね~。昔からの知り合いも又多い。入院した患者さんが心配で心配で~と、ある意味「遠くの親類より近くの知人」という言葉を地で行く方々。勿論、それはそれでアリ!です。

こういうところまでは良く解るのですが、時には入院時に来られて「?」と言う方々もチラホラ。関係性の見えない一群の方々です。実はその多くは内縁のXXと言う関係。余り大きな声で自己紹介をされないこと、名字が違うことなどからこちらで推定して話をしないといけないことも多々ですが、そういう関係も世の中ではフツーなのです。医者をしてると腐る程見ます。あとは、男性患者の愛人さんとか女性患者のヒモと呼ばれる人々も。w

このあたりの関係性の人達は取り扱いが微妙で、法的には病状を説明すべきか否かという点で実に我々が医学部では習ってこなかった世界。実際、法曹会で出されている意見書などを読んでも典型的な「玉虫色」の書き方がしてあるだけで、要するに「お前の責任で考えて個別対応しろ」というこちらからすれば「何じゃそりゃ?役に立たんぞ?」というような話。

偉い皆様は上から目線で現場の現実を見ようとされないのはどこの世界でも一緒。ホントお前らって役に立たんな、w


2023年10月11日水曜日

将棋星人交代!

やってくれました!

京都で行われていた王座戦でのAIの示す勝率は1%等と書いてあった藤井7冠の第四戦が劇的な形で突然終了。地元瀬戸の人達は上を下への大騒ぎです。瀬戸駅の前では号外が配られ、それも一瞬で消滅したようですが、それも当然でしょう。

我らが初代将棋星人たる羽生先生が7冠を達成したのが1996年。遂に羽生先生超えの8冠が出現しました。当時は7巻で全巻制覇でしたが、今はそれが8に増えています。一体何のタイトルを持っているのか覚えきれないほどですが、王座以外にも「竜王・名人・王位・叡王・棋王・王将・棋聖」も持っているという気が遠くなるような強さ。

前回は宇宙から将棋で地球支配の決戦を挑まれたらその地球側代表は何が何でも羽生先生でしたが、2023年にもし宇宙から将棋星人が攻めてきたら確実に地球代表は藤井先生です!

師匠の杉本先生もこんな恐ろしい強さを持った弟子を持つと大変だろうなと思うんですが、最近買って読んでいる杉本先生の「師匠は辛いよ(藤井聡太の居る日常)」というのを読んで、その日常がどんなものかよく見えました。超天才を弟子に持つ天才の苦悩は凡夫のそれと余り変わらないようで。w

21歳のこの青年。愚かなオジさんは将棋連盟が一年に創出する賞金の何割を独り占めしているんだろうかとついつい気になってしまいます。これからも確実にそして直ちに内閣総理大臣顕彰授与されるでしょうし、紫綬褒章なども将来的には送られることでしょう。まあ、彼はそんなことなど歯牙にもかけないでしょうが。^^

記憶によると羽生先生は167日で7冠の一つを落としていますが、その恐ろしい強さを持ってしても凡そ半年で全冠制覇からは陥落。何と言ってもその対戦は防衛戦の殺人的なスケジュールによって忙殺状態になるでしょうから、体調管理、体力の維持など単純な棋力のみでは測れない要素なども絡んでくることでしょう。

直後に頭を掻きむしってその失着を悔いた永瀬王座ですが、それでもその強さは杉本師匠をして逆であってもおかしくなかったと言うレベルのもの。これから8冠維持の為の全ての対局で優秀な先輩、同年代、そしてこれから藤井8冠の幼い頃を彷彿とさせるような若手が登場して彼に襲いかかってくることでしょうからこれまで以上に藤井先生は大変なことになってくるのでしょう。

果たしてどの程度8冠という恐ろしい名称を維持し続けられるのか…。外野のオジさんの興味は尽きませんが、彼は近所の英雄。長い間その脅威の棋力で粘り続けて欲しいと心の底から祈るのでした。


2023年10月10日火曜日

九州よさらば!そしては母親は施設入所か?

朝の八時ちょっと前に長崎の義実家を出発しました。

何時ものように義母は涙、涙での見送り。一方、到着予想はカーナビによれば午後六時少し前となっていました。要するに到着は10時間程度とのこと。実際にはこれに休息時間や昼飯の時間も加わりますから+1時間程度と見積もっていけば十分だと思われました。

関門海峡の逆向き側からも息子の写真を撮ったりお土産を追加で購入したりしました。その後、すぐに九州とは再びのおさらばとなったのですが一体次は何時帰ってくるのでしょうか。恐らくは…実家になにか有ったときなんでしょうが。

そう言えば、親父から連絡があって母親が施設入所できそうだとのこと。一旦入所してしまえば親父の精神的・身体的負担は大きく減ることと思われます。1ヶ月の入所費用は凡そ16万円程度とのことで、これはまあ安くはないけれどもめちゃ高くもないと言う感じでしょうか。
母親の年金なども合わせると問題無く払えるレベルだと思いますが、足りなければ私から補うだけの話です。

しかし私にとって心配なのはその後の親父。ケアをする相手が居なくなるとテンションが落ちて頭も体も使うことが無くなって、そこから急にボケが加速するなんて言う話は巷にゴロゴロ転がっています。基本的に私の親父の方の親戚は今までそういうボケた人間の話は聞いたことがないんですが、もしかしたら親父がその第1号にならないとも限りません。これからの成り行きをじっくりと見ていくしかありませんね。

さて、私達の車は特に何のトラブルもなく途中で宮島SAで海軍カレー等を食べたくらいで後はスムースに移動。当初の目標通り交通に関するトラブル・フリー状態で名古屋に返ってくることが出来ました。到着時刻も当初の予想通り。ステーション・ワゴンの後ろの方にハッチのギリギリまで積み込んだ荷物をえっちらおっちらと降ろして家まで運び込みました。

まあ、無事に帰ってこれたことを良しとしましょうか。次の移動は恐らく飛行機かな~?いや、急ぎでなければやっぱり車が安いか。何と言っても今回の移動では実質出発前の一回の給油だけで長崎へ着いた後に宮崎まで移動してそこで一回給油。その後長崎に戻ってきて名古屋に到着する寸前に一回給油して燃料計のメモリはピクリとも動かいないのですからディーゼルは恐ろしい熱効率を持ったエンジンだと改めて実感した次第です。


2023年10月9日月曜日

長崎は久方の踊り奉納のある「くんち」

そもそもくんちとは、「九州北部における秋祭りに対する呼称。収穫を感謝して奉納される祭である」と説明されています。

長崎は昨日は結構な雨で昨日の踊り奉納は中止とか、その他の踊り町はそれぞれが街廻りを勝手にやったりやらなかったり等という事をニュースで言っていましたが、今日は諏訪神社でみんなが「モッテコーイ」等と大声で叫びながら愉しむ日です。長崎には踊り町というのがあって、昔からの職人町が輪番制で色々な特徴のある出し物をしてくれるんんですが、我々のような昔から長崎に生まれ育った人間でなくとも阿蘭陀万歳や御朱印船、鯨の潮吹きなどを知っています。

今年はその年ではなかったのですが、7年に一回だったかな?コッコデショという凄い勇壮な出し物もありまして、結婚した翌年に仲人の先生と揃って義理の親父さんからこの諏訪神社でのコッコデショにご招待して頂いた事は一生の思い出です。今年はコロナ禍で4年ぶりの通常開催となったのですが、テレビのニュースでは涙を流している人も居たようです。

では私はと言えば、今日の私には何もかもが面倒で二階に置いてあったゴルゴ13の単行本を片付けた後はそのまま1階でどっしり寝ていました。その間に嫁さん達はくんちに行ったり旧友に会ったりとかしていたようですが、私はと言えば朝飯も昼飯も食わず(ちょっとだけカステラは食いましたが)ただ寝て、その後にポケモンGoのタスクをちょこっとやっただけでした。

まあ、こんな完全放電の日もあっていいかという感じでゆったりとした長崎の最終日を過ごしたのでした。

さて記し忘れていましたが、昨日行われた少し早めの義理の親父さんの一周忌は遠方からの親戚も揃い踏みで、話も楽しく和やかに行われました。檀家というシステムには組み込まれていない義実家ですが、今回浄土宗の坊さんが来てくれて結構面白い念仏を唱えてくださり、何というか最後の方ではStevie Wonder状態。念仏も解りやすく「これはイケてるな~」と考えながら南無阿弥陀仏を唱えた我々でした。

明日の朝にはもう長崎「も」離れますが、いろいろと考えさせられることの多い滞在となりました。


2023年10月8日日曜日

イスラエルの友人が・・・

恐ろしいものです。

戦争がいま実際に眼の前で発生している国に住むという事は本当に容易ならざる現実です。アメリカでNIHにいる頃に知り合った親友の研究者に「君たち家族に何も悪いことが起きないことを祈っている」というメールを出したところ、直ぐに返事が、、、曰く「テルアビブに住んで居た息子たち夫婦がハイファの私の自宅に緊急避難してきた。で、同じ日の夜に軍から緊急招集が終了期間未定でかかってきたよ・・・」と。

最後に「まさに戦争だ、今度の戦闘では恐らく双方に大量の死者と負傷者が出る。水曜から出発予定だったスイス旅行は中止になった。残念だ。」との文面も。彼はスイス国籍も持っていて(フランス語もドイツ語も普通に喋る)、所謂二重国籍が普通であるイスラエル人の典型例ですが、毎年のように愉しみにしているその旅を戦争、しかも息子を招集される形で中止にせざるを得ない無念を考えると返す言葉もありませんでした。

その後のニュースをみても碌なものは出てきません。少なくとも数千発のミサイルがハマス主導のもとガザから発射されているとのことですが、Haaretz等によると最新の情報ではイスラエル側のカウントでさえ少なくとも4400発ものミサイルが発射されたと言われています。

幾らイスラエルのiron domeが凄いシステムだと言っても、写真を見ているとどっちがどっちのミサイルか判らないほど猛烈な量のミサイルが交差しているのが見て取れるような状況では「打ち損じ」が出てくるのも当然だと思います。要するに実質的な飽和攻撃。しかも、ガザ地区は思いっきりイスラエルの中にあるわけですから、極至近を狙ったミサイルなどは撃ち落とす時間もある訳もなく。

これから恐らく起きるのはイスラエル側からの地上軍進撃。既に空爆はガンガンやっていますが、地上軍が出てきてメルカバで砲撃を始めたら文字通りパレスチナ側はやられ放題になるのは確実。そのやられっぷりは一方的かつ完全なものでしょう。

今回の大規模攻撃イスラエル側の識者は「Unlike the 1973 war, the failure of 2023 was systemic: It was seen in the lack of intelligence, the military’s inadequate reaction and the absent of political leadership.」等と述べていますが、今後徹底的に反撃し壊滅に近い大打撃をパレスチナに与えるのでしょうが、政治家と軍人達はボコボコに非難されることでしょう。

早急な停戦の発効を期待したいものですが、今回ばかりはイスラエル側の反撃は容赦ないものとなる可能性大です。恐ろしい結末にならないことを望むばかりです。


2023年10月7日土曜日

二泊三日の後の宮崎からの移動

年老いた両親の実家から去る日となりました。

本当は鵜戸神宮とかにも行ったりしたかったのですが、予定されている各種行事のスケジュールがそれを許しませんでした。特に明日長崎の「義実家」で行われる一周忌は絶対に外せませんので、今日のうちに長崎に戻っておく必要があります。

という訳で、まずは朝に施設にショートステイに向かう母親を見送ることにしました。何だか朝から出るとわかっている時間の直前にトイレに入ったっきり中なか出てきません。お迎えのバンが到着しても全く関係なし。こういう事には確実に貴重面な親父が「いっつもこうじゃ!」と言って怒っています。大声を出して予備に向かって戸を叩くと、とぼけた顔をした母親が出てきて平然として靴を履きバンに向かってゆるりと歩いていきます。

施設の方々は慣れたものでニコニコ笑っていますが、見ているこっちは申し訳なくて版で待っている他のお爺さんお婆さん2人に「本当にすみません」と平謝り。お爺さんもお婆さんもニコニコと笑って許してくれていますが、こちらは胃が痛くなりそうです。

こんな母親も施設では駄法螺を吹いては施設の方々を笑わせているというのですから、一見すると認知症に見えないという「家族にとっては」厄介極まりないパターンです。orz

別れ際にはただにこやかに笑って手を振っていましたが、おそらく施設についた頃には完全に我々の存在を忘れてしまうのだろうと思っていたら、施設の方々が母親を連れ帰ってきて言われるには「行きがけは未だ普通に息子さん方のお話とかしてましたよ」とのことでしたが、帰ってきて親父が観察していると、家に我々が居ないにもかかわらず全く我々のことに言及しなかったとのこと…。要するに記憶の中からは我々の滞在の記憶は消えているんですね。寂しい限りです。ホント、やりきれんですね。

家を去る際に親父に握手をして別れたのですが、眼から涙が流れる寸前。なんと親父が封筒を渡してきて「いいから使え!」と言って言うことを聞きません。こういう時に「要らんから」と言ってはいけないと昔、仲人をしてくださった法医学の教授から厳重に教えを受けていましたので「ありがとう!」と言って心から有り難く頂きました。

去っていく時に車の中から小さくなっていく親父を見ていると「これが最後になるような事もあるんだよな」という可能性の高い現実に今度はこっちが涙を出しそうになりました。(;_;)

高速では一旦「都城」の道の駅に降りてちょっとしたお土産を買い込みフェリー乗り場へ。今回も幸いな事にタイミングはバッチリで、到着したと思ったらもう乗船開始。直ぐに海の景色を眺めながらの長崎への移動となりました。

長崎に到着してからはアッという間の実家への接近でしたが、その直前に新しく建てられた義父のモダンな墓に立ち寄り手を合わせてお参りさせてもらいました。家に到着すると何故か頭が痛くて、直ぐに寝てしまいましたが起きてからは寄ってきた近隣の親族一同と夕食を摂って一段落となりました。

忙(せわ)しないスケジュールですが、有効に使って名古屋へ戻るまでに終わらせることは全て終わらせて帰宅したいと思っています。

2023年10月6日金曜日

いろいろと見える現実

やはり昨日の作業疲れだと思うんですけど、起きたのは10時半頃でした。

家の片付けをしていて考えたのは親父は几帳面な人間で、今でも自分の部屋や他の部屋は「整頓」はよく出来るのですが、一度でも体力や気力の限界を超えると、一旦モノが溜まり始めた部屋に関しては「気力が失せる瞬間」というものがある様です。

それでも、今回の大掃除でかなりのモノを掃除しましたので、恐らくはこれからはそういう事態にはならないものと思われます。何が何でもこれからのクリーンさを保とうとするのであれば、一年に一回ほどは私自身が実家に行ってスクリーニングを行うか…というところですが、この点に関しては昨日も手伝ってくれた親戚の叔母さんに時々電話連絡を入れて「家の様子はどう?」と言う電話を入れることにしました。叔母さんの方も二つ返事で「良いよ~、直ぐ教えちゃるワ」と笑顔で応えてくれました。有り難いものです。

さて、今回の宮崎訪問では実は身体障害者の弟が入所している車で30分ほどのところにある施設を家族全員で訪れました。生まれた時に臍帯巻絡という状況で脳性小児麻痺になった弟ですが、その影響でてんかんを持っており更にそれに対応する古いタイプの抗てんかん薬の長期服用で骨粗鬆症も発生しており、骨折し易く何度か骨折をして今は車素手生活しています。数年ぶりの再会でしたが施設の方々がほぼ全員で弟の周りに集まってきて来訪を歓迎してくださいました。全員に一人ずつ日頃の副理事長、施設長、その他日常のケアをして下さっている方々に心からの御礼を述べさせて頂き最後に施設の方々が写真を撮ってお別れ。最後の瞬間は弟と名残惜しい別れで少し目頭が熱くなってしまいました。

この後、家に帰ってからは一段落ついたとは言え細かいところではまだまだフィニッシュしていない部分を終わらせるために、小さなボックスに入った細々としたものなどをゴソゴソと手で仕分けしていきました。それが終わり一段落したのがもう午後四時前。施設でショートステイをしていた母親がワゴンに載せられて初めて帰ってきました。

車から降りてきた母親は相変わらず「一見」元気で愛想を振りまき会話を愉しんでいるのですが、もう何というか究極の記憶能力低下状態。そもそも3分前に話したことを思い出せません。orz
家を訪問してきた人達は「どこが悪いんかね?」等と話すこともあるようなのですが、話せば話すほどその記憶の欠落は明白。何で来たのか?表に停めてある車は誰のものか?次女と長女の名前の記憶が出来ないという状況で同じ質問を繰り返すばかり。極めつけは嫁さんに「あんた誰やったかね?」との質問。もう血管性認知症の臨床症状としては完全体です。

長谷川式簡易知能評価スケールでは今年の二月に21/30で、軽度から中等度に入ろうかというレベルの認知症だったようですが、これからどうなりますやら。親父のストレスも大きいことでしょうが、おそらく今後一ヶ月程度で施設入所が可能になるという包括ケアマネのお話でしたので、親父のストレスも減ることでしょう。

一年一年が勝負となるような年齢ですから仕方ありませんが。

2023年10月5日木曜日

ヘロヘロになるまで実家を片付け…

トンデモナイ事になるだろうなとは思っていたんですが、結果は予想を大きく超えていました。

朝早めに起きて直ぐに個人的に行動開始。他の家族の動向など気にしている余裕はありません。実は、今回の実家の片付けは金と時間をかけてでも「人生において今の時期に絶対にやらなければならないこと」の一つとして少し前からスケジュールを組んでいました。

基本的にコロナ禍で数年間実家に帰っていなかったことから、共に85歳の老いた両親の住む実家の最近の様子を全く把握していないことが非常に心配になっていました。時々宮崎の実家に北九州から遊びに来ている母の妹も電話越しで「是非一度状況を見ておくべき」というアドバイスが出てくる状況。親父と電話している感じでは基本的に大きな問題はないだろうということを理解(期待?)していたのですが、そう言われ続けると流石に心配になってきます。

今回家に到着して一つの大きめの部屋がプラスチック・ケースと両親の服に埋め尽くされている事が猛烈に目に付きました。

数年前に訪れた時には屋根裏部屋の本などの整理に全力を注いだ後は精神力が切れてしまって半分ほどのものをザックリ捨てた時点で時間切れ終了で名古屋に戻っています。今回も本当はその屋根裏部屋の掃除をフィニッシュ状態にまで持っていきたかったのですが、その大きめの部屋の「惨状」を見て一秒でターゲットを変更を決断した次第です。

部屋の中はそれこそ4つ全ての季節の衣服と母親が若い頃にやっていた着付けの着物の山で埋め尽くされている感じ。しかも、多くの服は一度も袖を通していないとか袖を通しても一回クリーニングに出したっきりで二度は着ていないようなものばかり、更にそれらの多くは昭和デザイン。もうガックリを通り越して驚愕で落ちた顎が地面を突き抜けそうでした。

最初に決意したのは「徹底的に捨てる」と言う作戦。掛かっている親父の服を了承を得ながら一つ一つ仕分け。母親は施設にショート・ステイで出ていて、家に居ないのを幸いに古い服をバンバン捨てました。基本的にリセールの対象になるようなものはほぼ皆無。着物は「取り敢えず」捨てませんでしたが、今の時代実際これらの着物も売ったところで二束三文です。

山のように積み上がったプラスチック・ボックスの中の服や物もバンバン仕分け。朝から4時間ほどかけて多くのものが一旦、家の庭に袋詰で投げ捨てられました。そうこうしているうちに親戚の叔父さんと叔母さんが家に駆けつけてくれて、我々の久しぶりの帰郷を喜んでくれるとともに片付けの手伝いを始めてくれました。これは本当に千人力。元々この叔父さんは日通で配送の仕事をしていたプロでしたから、この手の仕事は自家薬籠中のもの。自分の娘のピーマン農家から1.5トントラックをサクッと借りてきてくれてバンバン載せてくれました。

デカい家具を四竿、戸棚やプラスチック・ケースの割れたもの、どう見ても使わないと思われる物を二回に分けて運んでくださり赤帽を頼まんと仕事にならんなと思っていた私にとっては本当に地獄に仏、更には地獄に垂らされた蜘蛛の糸のようなものでした。

これほどまでに衣装を持っていたとは本当に驚きで、思わず嫁さんに「これだけ服に金使っとって金が貯まる訳無いわな」とこぼしてしまいました。

テレビで言うところのbefore/afterはヤバすぎてとても見せられないのですが、まさに家が軽くなったと思えるレベルでの変化を起こしましたが、この時点で疲れ果ててしまいました。終わった後は叔父さん達に両手を合わせて拝みお見送りしました。

疲れ果ててはいたのですが、夕方には皆で有名な近所のうどんや「百姓うどん」に行って30年振りくらいの味を堪能。よく見たら、壁にあの「オモウマい店」のステッカーが貼ってありました。w

結論:老親の住む家には時に行って部屋の片付けをしなければならない!

2023年10月4日水曜日

いきなり長崎から宮崎へ移動

さすがに朝までぐっすり眠れました。

取り敢えずは長崎にある古い本やコミックスを何とか片付けようとアクションを取ろうと考えてはいるんですが、今日は今回の片付けの本命の宮崎の実家を目指すことが第一に重要ですから起きて先ずは宮崎へ行く準備をすることに、、、とは言え服やその他は嫁さんが揃えて居たんで私は車を持ってくる事が仕事の殆どだったんですけどね。

私は取り敢えず車を持ってきて荷物を積み込み何時でも出発できる状態にして10時半頃出発。12時の多比良港初に乗ろうという目算です。熊本側の長洲港に着いたら何か海鮮でも食べてゆっくり宮崎の実家に向かえば3時間で到着するから良いよねと言う目算でした。

フェリー祈っての宮崎移動は本当に実質30年ぶりという位の久しぶり感満載のコースでしたが、フェリー・ターミナルには本当に10分前に到着しそのままドライブ・スルー形式でチケットを購入しサクッと乗り込めました。車自体は平日ということも有り15台程度の利用で、上部駐車デッキの方には未だ10台くらいは余裕で乗れそうな感じでした。

ともあれ、乗り込んだ直後に後ろの方でゲートは揚げられそのままチェーンが張られ直後に出発。なかなか無駄のない移動になりました。その後はデッキに上がってテーブルを確保。甲板を息子と彷徨いたり最上部に登って一緒に眺めを愉しんだり。車を運転せずに行動できるというのもなかなか乙なものです。
普賢岳を眺めながら長崎に暫しの別れです
結局45分のゆったり旅も感覚的にはあっという間。下船して直ぐの長洲港では開いている海鮮丼などの店が無くてアテが外れましたが、そのまま江田船山古墳群のそばにある道の駅の中のレストランで美味しい豚肉を使ったカレーを頬張り大満足。

そこから懐かしい九州縦貫自動車道を通過して途中のSAで休憩を入れても宮崎まで3時間弱で到着。本当に数年ぶりにコロナ禍で訪れられなかった宮崎の実家に到着しました。

ついこの前まで名古屋にいた親父ですので久しぶり感は全くありませんが、家に入るのは久しぶり。この家と明日以降「戦い続ける」のかと思うと少し気が滅入りますが、仕方ありません。

取り敢えず夕方は50年ぶりに「チキン南蛮」発祥の店「おぐら本店」に行ってその胸肉に「やっぱり違う!」と言う声とともにその味を堪能することが出来ました。やっぱ本家本元は違いますね。周りを見渡してみても一応メニューにハンバーグもあるんですが、皆注文しているのはチキン南蛮。当たり前です。w
この裏通り感が良いでしょ?
多くの有名人が…これ以外にも沢山の人達のサインがあります。
帰りは久しぶりの宮崎の繁華街をちょっとだけ通って帰宅。帰りがけに名古屋から無給油で走ってきたガソリンがやっとゼロ近くなってきて給油となりました。名古屋から1400キロ以上無給油で走れるんですから、やっぱりディーゼル・エンジンは偉いもんです!

帰宅して、明日からの戦闘に備えて頭の中でシミュレーションをしながら床についた次第です。

2023年10月3日火曜日

長崎に到着して

昨日の明るい時間に到着した長崎。

昼の一時に到着できたのはその後の行動を楽にする上で大変良い選択でした。基本的に車で行動しておけば何時でも荷物をどっさり運べますので家族全体の動きとしては楽勝です。(苦しいのはドライバーの私だけ。w)アメリカから昨日帰ってきていた長女に合流して久しぶりの元気そうな「実物」長女に出会って素直に嬉しい父でした。

さて、名古屋から甥っ子に持ってきたのはプレステ4とそのVRシステム。今では信じられなでしょうが、数年前まではふるさと納税で手に入ったのです!(改悪に次ぐ改悪でどんどんショボいものになってきているふるさと納税。この10月からは更に一段としショボく改変されました。御存知でしたか?)

他の子達にはキャッシュですが、この子にはプレステがお土産。そもそもこのプレステ4、私自身はほぼ使っていない状態でして、近所のセカンド・ストリートとかメルカリで売ることも考えましたが、面倒くさくなって中止。この手の精密機器は人手に渡った後にクレーム付けられたりするのは却って面倒ですので中止で良かったと思います。

その上でちょこっとお土産を展開して義理の妹と弟の家に渡しました。更に今度の日曜日に行われる義実家の法事では甥っ子、姪っ子達にキャッシュを渡せば全て義理事は完了という次第です。

夕方からは親族が集まって皆で長崎チャンポンやビールその他で楽しく夕食を囲みました。締めはケーキその他のスイーツ類。取り敢えず甥っ子姪っ子は沢山いて大変賑やかでした。普段はこのだだっ広い家に義理の母が一人で住んでいるのかと思うと、我々が去った後のそのギャップは如何ほどかと今から心配する次第です。

皆が近所の家にそれぞれ戻っていった後は私だけ二階に上がって今後の整理整頓の方針を頭の中でシミュレーション。いろいろとやるべき事の多い短期滞在になりそうです。

取り敢えず明日は長女を連れて宮崎の実家へ移動です。早く寝ます。

2023年10月2日月曜日

やっぱり12時間の連続運転は辛い

必死で仕事を回して何とか4時40分に病院を出ました。

その後で近所の歯医者に急いで向かって、一週間強の間、田舎へ戻る前に今の時点でやるべき歯科治療を済ませて家に戻りました。

それから急いでこれまた諸々の「出発前に済ませておかないといけない事」をちゃかちゃか済ませました。それから嫁さんに言われるまでもなく先ずは出発予定の午前一時までに可能な限り寝ておこうと寝てはみたのですが…案の定全くと言って良いほど眠れませんでした。

しょうがないので、12時半には起き出して猛烈に濃い苦いコーヒーを淹れてもらい家を出発しました。息子はわざとこの時間帯まで引っ張って寝せないようにしておいて、眠剤のベルソムラを服用させて車に大量の荷物を積み込みました。

出発は午前1時10分でターゲットまでの距離は907キロ。夜の道は本当に高速はガラガラの名古屋だったのですが、滋賀や京都に近づくにつれておんなじ規格の大量のトラック軍が私の周りを囲むように密集して走っているのには驚きました。平日の夜中っていうのはこんなもんなんですね。

我々が寝ているような時間帯に日本中でこのように黙々と物流の世界で働かれる人々がいるという当たり前の世界が広がっていました。息子は持ち込んだブランケットをしっかり被ってずっと眠ってくれるという素晴らしいスタート。更に珍しいことに後ろに座っている嫁さんも積極的に話しかけてくれます。何時もは瞬間的に寝るのですが。w

滋賀、京都、大阪、兵庫と淡々と進んでいたのですが、何時ものように岡山あたりから単調な感じに変わってきて強烈な眠気が出現。途上三箇所ほどのSAでの停止を行いトイレとドリンク・タイムを取りました。

壇ノ浦で早くも名古屋と宮崎用のいろいろなお土産を買い込んだ後、最終的に九州上陸。もう眠気もここまで来ると飛び去る感じ。金立のサービスエリアで昼ごはんとしてラーメンとうどんを注文し長崎に到着したのは午後一時直前。それにしてもやはり900キロ超のドライブはこの歳ではキツめ。w

ゆっくりあちこちで休みながら走りつつも12時間かからずに900キロの道のりを終了。帰りも同じ様に行きたいものです。それにしてもディーゼルは凄い。900キロ走ってもやっと燃料消費が半分を超えた感じ。ここから再び宮崎まで無給油走行は余裕ですね。


2023年10月1日日曜日

加齢が加速する?w

恐ろしいことにもう10月です。

何だか加齢に仮想がかかっている感じで、今まで人生の諸先輩方が「歳取ると一日の、一ヶ月の、一年の長さがどんどん短くなっていくよ」と言われているのを脇で聞いてはいましたが、今それを「実感」として感じる日々です。

さて、今日はいよいよ明日の田舎出発に向けての準備最終日。田舎の持って帰るものは取り敢えず不要と言われておりますが、その言葉に甘えてそのままほぼお土産無しで帰ります。基本的に今回は甥っ子姪っ子にお小遣いを配ることがメインになるかと思います。これで代用とさせてもらいます。

後は宮崎に行くときは長崎のお土産を、長崎に戻る時は宮崎のお土産を持って行って上手くやりくりすれば問題ないかと少しセコい事を考えています。w

前に書いたように、今回はメインの目的が親父の実家と義父の実家のお片付けお手伝いなので、車で行って荷物を運び出したりするのが大切なので、車以外での移動は問題外と考えています。それにしてもゴミ出しは今の時代「金と時間」の掛かる仕事。取り敢えずは筋肉が痛くなるまで仕事を続けなければなりません。

明日の夜に出発して12時間前後で長崎まで…。

基本的に息子を助手席で、嫁さんは後部座席で寝てもらうことで安楽に到着して貰うこととしました。途中で食べる食事などに期待しつつ無事故無違反で何気なく到着することを目指したいと思います。^^