急遽という言葉は今回の為にある感じでしょうか。
以前からショート・ロングという形態の、日本中で普通に日常的に行われている「法に抵触しない」けれども推奨はされない方法で週末等に施設入所することを繰り返していた母親だったのですが、恒久的に使える終の棲家としての医療介護サービス付きの施設に入所できることとなったようです。
一見すると問題なさそうに見えて実はもうほぼ新しいことが記憶できないと言う状態になってしまっている私の実家の母親。親父への一方的な負担が継続的に積み重なっていました。そこでどうするかという決定事項は日本中の私世代の人間が直面している日常的選択肢の一つです。
恐らく50代後半の人間に御両親の健在と御存命の時点での現状を尋ねてみれば多くの場合、老老状態での共同生活やデイサービスの利用、施設入所等の回答が返ってくるのではないでしょうか。
無論、90近くなっても身体頑強壮健にして頭脳も明晰なんていう御老人も今の時代は掃いて捨てるほど見受けられますが、それでも経時的にそれらの人々もADL(日常の活動性)が低減していくのは誰もが知っていること。動いていた脚が動かなくなり、冴えていた頭にも霧がかかり始め、目も耳も鼻も問題が起き、食べたいと思ってもムセが起きたり、そもそも食べたくとも量が入らなくなる。更に問題なのは意欲の問題。脚の健康などとも関わってくる事ですが、若い時には活動的で家などには居つかなかった人も足腰のみならず何よりも「意欲」が衰え外に出なくなる。
やはり、80過ぎという加齢と共に全ての能力に何らかの欠失や問題が起きてくる時期がやってきます。まさにそれが私の母親と父親の今なのです。
親父の方から昨日夜にある書類の写真が送られてきました。それは私がいつも病院で患者さんやその御家族にお見せして今後「予期された、若しくは予期されないような終末期を迎えた時に施設として患者さんにどのようにして欲しいのか」という事を聞くものとほぼ同一のものでした。
私としては両父母からはそのような時にどうして欲しいかという事を事前に何回も聞かされていましたので、その意志に沿った標準的な返答を写真にマークして親父に返送しました。
親父自身はこの用紙を見てもいまいち意思表示の方法に困っているようでしたので、アドバイスを入れました。「多分、母ちゃんの今の様子からすると今後最も起きうる疾病は誤嚥性肺炎か心房細動由来の脳梗塞なんで、その時にもし窒息とか心停止が起きてなければ病院に運んでで内科的な治療でのみ診て貰うという方向でいいと思うけど」と言う感じの話をしたのですが、どこまで親父が理解できたのか。
16日の月曜日に施設の人やケアマネさんとその点に関して話をするらしいのでLINEで参加することになるかも知れません。何れにしても今が両親の人生の一つの転換点ですね。(他ならぬ私も当然巻き込まれますが!)
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