2022年2月28日月曜日
ロシア・国際的にボッコボコ
2022年2月27日日曜日
「本を読みたい」と焦る嫁さん
2022年2月26日土曜日
俺には出来ない!
2022年2月25日金曜日
新型コロナ・ワクチン打たなくても?
2022年2月24日木曜日
戦争開始・ロシアの独裁者の誤判断
2022年2月23日水曜日
テスラの加速は笑えるほどおかしい
2022年2月22日火曜日
スーパー猫の日
2022年2月21日月曜日
食べたいものが何時でも食べられる日本は続く?
2022年2月20日日曜日
名古屋 マリオット・ホテル
2022年2月19日土曜日
昭和レトロ・モダン
愛知県陶磁美術館に行ってきました。
もともと、自分の家の近くにトヨタの自動車博物館が有ることの幸せに満足しきっていたのですが、実はアピタやイオンに買い物に行ったりする道の途中に交通の掲示板として愛知県陶磁美術館というものも確実に近場にあることを何年も前から知っていました。ただし、実際には行くこともなく嫁さんにその気があればくらいに思っていたのですが、そのチャンスが巡ってきたので行ってきました。
なぜ今回?ということなんですが、レトロ好きの嫁さんが「昭和」と言う言葉に強く反応した結果で、この博物館で企画展として催されている「昭和レトロ・モダン展」という昭和の陶器の展示に興味を示したためです。
コレが外観の一部です。 |
何で使われたのか、菊の御紋がついておりました。 |
嫁さんが気に入っていた食器セットの一つです。昭和感満載ですね! |
2022年2月18日金曜日
鋼鉄の意思とリハビリ
頚椎損傷のおばあさんが入ってこられました。
お話をしていけばいくほどその意志の強さと「今の体の動き」のレベルの高さには相関が有るな~と感じ入ってしまうような素敵なおばあさんです。歳は私の親とそれほど変わらないような方なんですが、何と言ってもポジティブなその思考回路が全く並じゃない。
もともと50歳の時に洗濯物を干そうとして急な階段の上にあたる二階の廊下を歩いていた時に、そこに有ると思っていた部分がちょうど急な階段の一番上の部分で、足が宙に浮く形になってそのまま洗濯かごごと転落して階段の踊り場の壁に頭ごとぶつかり、頚椎損傷を発症してしまったのでした。
そこからは、首から上は動くし感覚は有るもののそこから下は動きは勿論、感覚も全く無いような状態だったにもかかわらずリハビリの先生とともに(本人曰く)「脳味噌を騙して体を動かすことに専念する日々」だったそうです。
最初は体を動かして車椅子に乗れるようになったらどっかから飛び降り自殺して死んでやろうという考えがその底に有ったらしいのですが、実際はリハビリが進んで感覚、運動能が戻っていくに連れそんなネガティブな考えは雲散霧消。
きちんと食べて、きちんと話して、自らの頭で考え、自分の足で2本脚で立ち上がるというところまで戻しています。もう80歳になろうという方ですが、どん底の時期を耐え抜いて自らの力でここまで機能を戻した女性。
病院に入ってきて機能を戻していく患者さん達に共通しているのは「闘う」と言う姿勢。それぞれに闘い方はありますが、リハの先生と喧嘩をしていても退院して機能を大きく戻した時などは最後に先生と抱き合って涙を流して出ていかれます。
事故や脳血管疾患発生の後に「体が動く動かない」というのは本当に普通です。その日々は必ずしもポジティブなことばかりではありませんし、実際に動かないものもあります。しかし、それでも動く可能性に賭けて、心が沈み込んでしまいがちな患者さんの気持ちを一緒に引っ張り出し、実際に動く能力が回復していった患者さんを見送ることができた時は見守った私自身でさえ目頭が熱くなるのです。
私自身もいつ体が動かなくなるような状態にならない等と誰にもわかりません。しかし、それでも頑張れる患者さんが居ることに心の底から尊敬の念を覚えるとともに、私も日々努力しなければと改めてそんな患者さん達から学びう直すのでした。
2022年2月17日木曜日
ぬか喜び
2022年2月16日水曜日
「お薬大国」ロシア
2022年2月15日火曜日
リモート・ワークが「当たり前の世界」の若者達
2022年2月14日月曜日
今年もまたまたバレンタイン・デイ
2022年2月13日日曜日
お千代保稲荷へ
雨まじりの生憎の天気でしたが、山の上なんかでは霙や雪だったんでしょうか? |
これは本殿に最も近い入口なんですが、大門ではありません。 |
雰囲気ありますよね~! |
ここも日付によっては物凄い人混みになるようなんですが、 幸か不幸かそぼ降る雨のおかげで、コロナのリスクはない感じで歩けました。 |
いろいろと迷った挙げ句、まずは別のところで 若夫婦の土手煮を食べた後この「京や」に入りました。 |
2022年2月12日土曜日
チャ王には会えませんでしたが・・・豊橋散策
今日は久し振りの2連休が取れましたので、嫁さん連れて名古屋のローカルテレビPS純金で有名な チャオにデートに行ってきました。
ここは豊橋の人々にとっては有名店のようで、ソウル・フードのようなスパゲッティを出すお店です。今日は朝から少し早めに家を出て、このチャオに行くことを第一目標にしていくことが嫁さんの目的でした。w
私自身は運転手として付いていったものの、PSでは数回チャ王と呼ばれるチャオのヘビーユーザーを見ておりましたので、この本店にはもしかしたら今日あたり来ているかもしれない!と思って少し期待していきました。
表には商品サンプルが幾つか展示されています。 |
すぐに判る可愛い人形が据え付けられています。 |
私がオーダーしたのはカルテットというこのお皿です。 |
こんな感じがずっと続いていました。 |
美味いっすよ~~~! |
今は大量にあるQUON chocolateの本店はなんとココです! |
買ってきたテリーヌやフルーツのチョコは絶品で、「この店が流行る理由はシンプルに味だな~。」と感じた次第でした。この店はきっとこれからも間違いなく伸びて行くことでしょう。株式公開されているのかな?今度は近場の覚王山の店で買おうと思います。
2022年2月11日金曜日
オリンピックは日本選手の爆発が凄い!
2022年2月10日木曜日
陰謀論大好き人間に憐れみを・・・
2022年2月9日水曜日
嫁さん大喜び
2022年2月8日火曜日
俺の田舎マジか?w
2022年2月7日月曜日
長女のJob applicationが進んでいる模様
2022年2月6日日曜日
アナログ日本
毎日毎日、新型コロナの発生報告と新型コロナワクチンの副反応発生記録、そしてコロナ抗原、PCRの施行記録の提出とサインに追われています。
病棟で患者が一人確認されると、一旦は病棟の患者と職員のフルスクリーニングがなされますので、一回のチェック・アップが始動するとアッという間に70キットくらいを消費してしまいます。ですから、幾ら1000きっと持っていると言ってもそんなのは何の保証にもならない訳で、次第にチェックする範囲を限定するはめに・・・。市井で起きていることと、大きな病院で起きていることに大きな差はありません。
そして、こうやって発生した患者さん達に関する記録は保健所に報告を送らなければならないのですが、何と一旦紙の上に書いてファックスしていると言うではありませんか!私的には口あんぐりなんですが、「何で?」と聞くと「早いから」等という頓珍漢な返答が事務局からありました。システムはHER-SYSというのですが、もちろんデジタルで入力送信も可。
HER-SYSを使っての入力は基本的には大変簡単なんですが、あくまで日常的にデジタル
そもそもダメなのは質問項目の煩雑さ。数が増えるとこれでも大変なもので、目で追いながら毎日毎仕事作業です。
これを更にファックスを使ってデータを保健所に送って行った
つまり、現場で発生した仕事を医師がアナログ入力
一体いつになったらアナログの世界を卒業するような国家になるの
一事が万事この調子。まさにお役所仕事です。作ったシステムの見直し無しで、皆が不便を感じながらそれを取り敢えず文句を言いながら使い続けるという、まさに「ザ・ジャパン」です。w
まあ、こんな国はそもそも戦争をしてはいけない人海戦術のお国です。大本営の昔から大日本帝国から大と帝国の漢字が落ちただけで、中身は何も変わっておりません。残念ですが。
2022年2月5日土曜日
お世話になったカリフォルニアの女性の訃報
今朝悲しい知らせがメールボックスに入っていました。
このブログに書いていた長女の大学訪問記を読んでいた事が縁となって親しい付き合いをさせていただき、その後も我々のアメリカ滞在中の税務処理をしていただいて居たのでした。
数年前から肝腫瘍で闘病されていたのはその事の発端からお知らせを頂いており、メールやラインの遣り取りでその経過を知っていたのですが、少なくとも数年は病状は安定していました。それが、急に昨年の夏に頂いたメールではドクターから「年を越せるかわからない」と言われたとの連絡を最後に連絡が途絶えていました。
LINEも返事が無くなって数ヶ月。悲しい知らせが彼女のcare giverさんから送られた彼女自身のメールアドレス経由で入ってきました。朝イチに読んだそのメールに衝撃を受けて思わず文面をじっと見つめてしまいました。
「息子さんに手を握られ、家族に見守られながら苦しむことなく自宅の自分のベッドで眠るように天に召されました。」との記述。カリフォルニアやLake Tahoeで出会った後も、ワシントンDCでジョージ・ワシントン大の息子さんの卒業式に出席させて貰った私達一家ですが、その時が最後ではなく、日本に御主人とやってこられて大阪の故郷から、我々の住む名古屋とお伊勢様を一緒に回った楽しい思い出があります。
彼女の優しい笑顔と前向きな生き方、そして御主人をいつも陰ながら力強くサポートする姿にはいつも感心していました。しかし、それももう二度と見ることは出来なくなってしまいました。
御主人、息子さんそして多くのご親族の悲しみは如何ばかりか想像することも出来ません。明るかった方だけに、その生命の火の喪失はまさに太陽が消えた後のようになってしまうのではないかと周りの方への影響のほうが却って心配です。
しかし、彼女のことですからきっと今頃は天国でやれやれと言う感じで寛いで居ることと思います。あの笑顔は一生私の脳裏から消えることはありません。
心から彼女の御冥福をお祈り致します。