2022年2月1日火曜日

石原慎太郎と私

慎太郎が亡くなったとの事。

何事につけ毀誉褒貶の多い人物でした。それも当然で、基本的には言いたい放題。言いたいことを言ってはあちら側からは「良くぞ言った!」と言われ、こちら側からは「何を言ってるんだこの野郎!」と言われるような感じで、中道等という言葉からは最も縁遠い人だったと思います。

そもそもこの人の親に関連して私が読んだのは裕次郎と慎太郎絡みの小樽のお話に関連した豪快なものだったのですが、やはり新進小説家として昭和の一時代を代表する小説を書いた人という側面が最も強いもの。それ無くしては政治家にも成れなかったはずですから、やはり小説家と定義するのが最も正しいのでしょう。

ただ、私にとってはそういう政治や文芸などというものは全く関係なしにこの石原慎太郎というオッサンが私の幼少期に大変な影響を及ぼした人物でした。しかもネガティブに。どうしてチビ助だったお前とこのオッサンに関係があるんだ?と言われそうですが、話は簡単で親父が読んだこのオッサンの「スパルタ教育」という本の存在をもとに私に激しい体罰を加えていたのでした。

アマゾンの書評を読んで頂くとわかると思うのですが、私が4歳の頃に出版されたこの本はこのオッサンの過激な思想が色濃く反映されておりまして、この濃密な本を読んで親父なりに何をどう解釈したかよくわからないのですが、私のオヤジの脳味噌の中で適度に発酵処理されたようで、単純至極な脳味噌のオヤジには「殴って厳しく躾ける」という所くらいしか脳内には残っていなかったみたいです。orz

実は私は家の書棚にあるこの本を見つけて小学2年くらいの頃に読んでいました。それを読むと、子供なりに納得できるところもあったのですが(笑)、「これを実際にやられたら堪らんな」というのも私の幼いながらの自身の声でした。しかし、読んで直ぐ理解したのは親父がこれをもとにして私の教育をしているということでした。しかも都合よく自分なりに解釈して。

以来、私は親父がなぜ自分をやたらと怒鳴り、右に左に張り飛ばすのかその裏にある大元の「ソース」が何か理解しては恨みました。この石原慎太郎の存在は私に「強いものに流されず必ず最後は後悔させる」という歪んだルサンチマンを心の片隅に黒い影のような衝動として植え付けたのでした。

その親父も今や83歳。慎太郎の少し年下と言うお爺さんになってしまいました。おまけに私自身も言いたい放題あまり考えず言ってしまう「大嫌いなはずの」慎太郎のようになってしまいました。なんだかね・・・。

俺が死んだらこの慎太郎のところに行って一回だけぶん殴ってやろうと思っています。w


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