私自身であれば自分が開心術を受けなければならない状況に陥った42歳の厄年の瞬間でした。そんな事は誰にも起きて欲しいとは思わないようなインシデントですが、実際には誰にでも起きる可能性はあります。
事故、怪我、病気それが自分だけだとしても何種類もの「出来事」が起こりうるわけですし、年齢があがればあがるほどどうしても起き易くなり始める要素がある類の出来事です。そもそもそれが若者に起きるのはあって欲しくないし、可能であれば身近では起きて欲しくも無いものです。
昨日、廊下を歩いている時に久しく見ていなかった青年看護師が私に向かって手を振っているのに気がつきました。本当に久し振り。今の時期は彼は病院外の研修施設で次のプロモーションに向けて資格取得に向けて頑張っている筈でした。能力も人望もあり、確実に将来の病院で看護部を背負っていくであろう人材とおもっている人材です。
その彼が私に近づいてきて言いました。「先生、ちょっとお時間頂けませんか…」。明らかに顔色が優れません。内心どうしたのかと心配しながらも彼に冗談を言って言葉を返したりしたのですが、それでも元気が無い。
実は…と言って彼が話し始めたのはもしかすると珍しい癌になってしまったかもしれないとの話でした。
具体的な病状を彼から聞いてグッと来てしまいましたが、それでもまだまだこれから先の可能性は幾らでもポジティブなものだと思える状況です。肩を落として涙ぐむ彼を見ていると本当に自分の息子を見ているようなもの。己が1/1000程度の確率でかかった僧帽弁の腱索断裂というしっぺうに比べると彼の疾病は1/100000のエチオロジー。
まさに彼の親の年齢に当たる私としてはクソッタレ!と叫びたい気持ちでした。
「若い者に試練は必要かもしれません、それでも必要以上の試練を与える必要は無いよ」と神様仏様に言いたいです。
それでも彼の事。きっと全ての試練を乗り越えて笑顔で戻って来てくれると心の底から信じている自分がいます。別れ際には彼が笑顔を見せてくれたのがその証拠になってくれるでしょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿