産経新聞が「大学スポーツには、競技力の育成だけでなく、学生たちの人格を磨く「教育力」が試されているといえそうだ」等という一文をこの記事に記していますが、私にとってこの文章は「は~?」という内容です。
そもそも、運動部員の処分事例は「違法薬物を含め、暴行や未成年飲酒、恐喝、無免許運転等々」とその中身を記していますが、そのほかにも性的暴行も良くある話であって、大学生というのはもう立派な大人です。
いにしえの「大學府」という国家を背負って立つ少数のエリート養成機関とは全く違うし、30年前とも違って今では正直なところ馬鹿でも阿保でも大学という名前がつくシステムになら必死で狙えば(選ぶ事さえしなければ)誰でも大学に引っ掛かります。残念ながら中国やインドアメリカと違って日本は少子化でそのレベルも…ですし。況や運動系の学生達の学力や人格を問うてどうする?てなもんでしょう。
アメリカの大学だって運動系の選手の学力の問題はかなり深刻なのは私が居た大学でも相当に深刻で、NCAAのような組織もある一定レベルの成績を達成できていなければ試合には出られないようなセッティングにしてますし、大学の側も大学内で家庭教師を彼ら彼女らにみっちり付けてテストのパスを必死でサポートしています。
勿論、運動も凄くて頭脳も大学のテスト程度なら普通にパスするという選手達だって当然いますが、そういう人達ばかりでは無いというのも厳然たる事実。
私が居た大学でも、スター選手がスマホを盗んで試合に出られなくなったり手あたり次第まわりの女性に手を付けて子供を数人「学生時代に」つくってしまったり。申し訳ないんですが、そういっことは正直なところ高校生までに倫理観の醸成という形で家庭内でフィニッシュしておくべき問題であってダイガクという高等教育機関が担う仕事では断じてありません。
日大が幾らシステムを改革しても、そのシステムに入ってくる連中の運動能力以外の「いろいろな」レベルが低いままであれば、ガチガチに内規を厳しくして何かあれば即追放という銀行員育成システムみたいにしておかないと、犯罪は無くならんでしょう?いや、それでも無くならんか。w
「石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ」と五右衛門は辞世の句に残しましたが、大学とて同じ。アメフトのクラブを廃部にしたところで何も改善されんでしょう。そもそも、以前のトンデモ・タックル問題の時点で「お前らグラウンドから消えろ」という感想を持っていたんですが、それが今の今まで延びただけの話。
こんな所を選んだ諸君には大変申し訳ないんですが、それも運命。人生いろいろです。今どきバブルの頃の様な体育会系の社員選出も流行らんでしょうしね。地道に他の道で生きれば大学でなくても幾らでも生き方はあるし、本当に才能あるなら他の大学に転入するというのもあるのではないでしょうか。知りませんが。
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