2022年9月2日金曜日

お祖父ちゃんにさようならを

耳鼻科のドクターと我々家族三人の間での病状説明会が持たれました。

話の詳細が理解できるということで、義母に請われて否応もなく出席。私の長女と義母も同席しての説明会となりました。話は淡々と現在の病状説明と今後の予想や治療方針、施設移送の可能性などのこともありましたが、保険適応の云々を気にせず最善の内科的治療を継続すること、緩和ケアは麻酔科のドクターと連携して積極的に行うこと、リハビリも継続。最後の瞬間はDNARということで心臓マッサージや気管挿管などは行わないということなども再確認しました。

若い先生ですが、大変真摯に対応してくださっておりその治療内容や義父への対応などに関して一切の不満はありません。素晴らしい対応をしていただいている義父はある意味幸せだと思います。

特に私が来た次の日から始まったモルヒネによる注射治療では精神的にも安定し始めた上に苦痛の軽減が顕著で、バイタルも大変安定的な状況で取り敢えずは何事も良い方向に動いています。

長女(私の嫁さん)による顔や手の清拭、次女による口腔内のスポンジでのクリンナップ、私自身の手で義父の爪を切るなど、それぞれが得意なことをしていきました。気持ちよくなったのかその後に義父はスヤスヤと寝入ってしまいました。
我々は最後まで、今日名古屋に帰るということをなかなか切り出せずにいたのですが、意を決して「XXX(長女)はアメリカに帰る準備をするために名古屋へ戻ります。僕も名古屋で仕事をしなければならないので戻りますね。」と、詳細は曖昧なまま事実を告げて病室を出ようとしたのですが、長女は見えないところでポロポロと涙を流してなかなか離れられませんでした。長男にも「おじいちゃんにさようならを言いなさい」と促して何事かよく理解できていない長男にも「バイバイ」と言わせました。

義父は目をパッチリと開けて(うんうん)と言う感じで頷いてくれました。

恐らく今日が生きている義父と会うことになるであろう最後の日になるかと思うとなかなか部屋を出られませんでしたが、最後は意を決して部屋を去り、ナース・ステーションに会釈をして病棟を出ました。
病院を去るときに自分の学んだ母校の病院をもう一度振り返りましたが、生きている義父には恐らくもう再びは会えないと思いながらの辞去でした。

ガソリンを満タンにしたレンタカーを大村で返し、ANAに乗って名古屋に戻ってきたのですが、機長の説明によるとあちらこちらに接近する台風の影響によるものと思われる入道雲が発生しているため、大阪上空を直に飛ぶ許可を得たため早く到着いたしましたとの機内アナウンスがありました。確かにほぼ一時間のフライトで、予定よりも10分ほど早い感じ。実際に大阪の上空を飛びながら綺麗な都市の灯を見たときには、神戸、ミナミ、そして和歌山の黒い山々等が見えていたので何時もとコースが違うなとは思っていたのですがそういう事だったのですね。

久しぶりに家に帰り着いたときにはやはり心が落ち着きました。既に長崎は我々にとって客として行く街になったのだと強く感じた久しぶりの帰郷でした。嫁さんも同意見でした。


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