せっかくの才能もこんな事では…と思える記事を読んで悲しくなりました。
まさに「THE JAPAN」と言う感じの結末で、天が割り振ってくれた限られた人に与えられた才能を持続的に援助できない「国富」を創出できない政治家や役人達の視点の狭さと低さにため息と怒りの混じった涙が出そうになってしまいます。
そもそも研究というのは「効率」とはなかなか相容れない性質のものです。大成功への一本道を直走って来たように見える研究であっても実際は膨大な失敗の積み重ねと運の掛け合わせ。勿論そこには透徹された視点と知識の蓄積に基づくセレンディピティがそれを加速させるのは間違いありませんが、それでも必ずしも大成功が手繰り寄せられるわけではありません。
それでも、その成功の確率を上げてくれるのは研究に専念させてくれる環境の存在が前提だと考えます。その環境という言葉にはその優秀な才能を導く別の知性をビーコンとして引き合わせてあげること。また、長い間にわたって研究結果が出てくるのを待ってくれるtoleranceとpatience。更にはその研究を行い続ける間の生活を保証してあげる「才能」に対する経済的な援助でしょう。
この飛び級制度を使って政府が入学させたこの佐藤さんの例などは実に歯痒い例で、彼が同じ才能を持ってアメリカで生まれ育っていたら…と想像を巡らさざるを得ません。所謂「生まれる国を間違えた」という事になっていないでしょうか。
しつこさ、こだわり、強い興味、知性等という研究のベースに求められる才能は金をかけようが育てられるものではありません。これは生まれつきのもの。ただし、そのもともと「持っているもの」のサイズを大きく育てられるかどうかは周りの環境が大きいのですが…。
「沈みゆく国」には国家的戦略というものは短期的な視点をもったものしか存在しないようです。彼が生み出していたSomething NEWを見ることは日本では叶いませんでした。
税金が正しい場所で正しい時に正しい量が使われないという事実がまことに残念です。
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