何だかボロボロの国葬に見えました。
私の勤める病院でも半旗が掲揚されていましたが、仕事前後も仕事中も誰も何も国葬の事など全く自分には関係無いという感じでした。それはバイト先の病院でも同じ。バイト先の運転手さんなんかは安倍さんの死因に関して「結局は統一協会とギブ・アンド・テイクではまり過ぎちゃった挙げ句の因果応報ですよね?」と言われて返答に困りました。
結局、票が集まるから・事務の人間として来て貰えるからなどの表立っては言えないような理由の積み重ねが、多くの政治家を集票マシンたる宗教団体とのズブズブの関係にまで落し込んでしまうのは「集票=当選」という民主主義国家における宿命の延長線上に今回の悲劇が有ったように思えます。
今回、岸田さんの弔事がとてつもなくポンコツで、何にも心に響かないものであったのは本当に岸田さんの中身そのものだなと思いました。ハーバードで我々のscientific meetingが有った時に突然現れて語った「上から目線」の話を聞いた時には「多分、他に適当な人がいないから、この人が次かその次の総理になるだろうけど、外交経験以外に何も無さそうだな~」という直感が嫌な意味で当たってしまいました。
4割程度の招待状が「出席出来ず」と言うかたちで返送されたようですが、数日前に行われたエリザベス女王の国葬とは比べるのも気の毒なくらいの差が付いてしまいました。
それにしても、国葬に反対という連中の精神の子供じみた浅ましさには改めて嫌悪感を抱きました。様々な大問題を抱えたまま冥土に旅立ってしまった元宰相ですが、亡くなった日の当日くらいは反対派も非業の死を遂げた一人の人間を静かに見送ることは出来なかったのでしょうか。それがたとえ無視でも良いではないですか。静かに見送ることも出来ず、葬儀会場の外で警官と揉み合うなどということはまず人としての中身を疑ってしまいます。別に極悪非道のスターリンやヒトラーの葬儀では無いのですが?
国葬という選択を行った岸田さん、その理由説明も何もあったもんじゃなかったですね。今後、本当の偉大な人物が出てきた時も本来は出来るはずの国葬を行うことは躊躇われるであろうという意味では大きな失態だと思います。国会葬とか党葬くらいが最適だったのではないでしょうか。恐らく一番迷惑がっていたのは安倍さん本人でしょうね…。あの世で溜息を付いていたんじゃないでしょうか。
0 件のコメント:
コメントを投稿