2019年10月5日土曜日

叔母にサヨウナラ

朝は7時過ぎに眠たい眼をこすりながらのスタートでした。

8時過ぎまでには準備を終えて家族葬の会場へ到着すると、親族が再度集合していました。
昨夜は見なかった新たな懐かしい顔も・・・。

皆が棺に花や花束を入れ、叔母の最後の顔をみてお別れの挨拶。妹たちの中には鼻をすすり最後の別れを呟いている人達が多かったのですが、私は84歳という叔母の年齢と、病院で皆に愛された叔母、そして看護師をしている三人の甥っ子たちに囲まれかつ最後の清拭まで彼女達にしてもらった最後の穏やかな死に私自身も大変な満足を覚えたのでした。

火葬場に皆で向かったのですが、火葬のスイッチを入れた後は待ち時間に精進料理を食べて暫くしたところで私自身は再び名古屋に向かわなければなりませんでしたので、そのまま叔父に送ってもらい同乗した父とともに飛行場へ向かいました。

またの再会を約し、すぐに車を降りて別れの挨拶をすると私自身は飛行場の中で名古屋向けの(病院やいつもお世話になっている知人向けの)お土産を大量に購入してさっさとボーディングを済ませてしまいました。

何だか最近は田舎に帰るといっても親族の葬式ばかりですが、これも両親の兄弟親族が皆高齢化し80歳前後に固まっている次期なので当たり前といえば当たり前の状況。
これからも残念ではありますが、こうやってさようならを言うために集うことがまだこれから十年前後にわたって続いていくことでしょう。

しかし、それもこれも(可能であれば)順番にお別れを言うための大切な儀式。

私にとってみれば物理的にこの世からは消えてしまった人々も、私の脳裏の中には声も姿もまるでそこにおわしますかのように残っている限りはまさに生きているのと同じこと。
私が死んでも、私の声と姿と話した内容を覚えてくれている人々がいる限り私も人の脳内で化学反応の結晶として生きていられるのかもしれません。(^^)


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