立て続けでした。
前回の長崎でお世話になった家具屋の社長の逝去の連絡に続き私が懇意にさせていただいて方が亡くなられました。連絡があったのは深夜二時過ぎ。LINEで娘さんからの報告でした。(私がポケモンの師匠と呼んでいる子です。)
享年83歳。膀胱癌との数年にわたる格闘の後に弓折れ矢尽きたという感じの壮絶な戦いの後の死でした。以前からその闘病の様子は詳しく知っていたのですが、何度ものオペと化学療法、出血、感染、膀胱瘻の作成等の長い長い戦いの末に最後は眠るように亡くなられたとの事でした。
この方に初めて知り合いになったのは私がまだ十代の終わりの頃。オジさんの息子さんである中学3年生の長男を高校に通らせる使命を帯びての生まれて初めての家庭教師の仕事でした。
幸いにして息子さんは順調に高校へと進学、その後大学にも通ってくれたのですが、その時まだ小学生だった娘さんが今の私のポケモン師匠。
お父さんは地元の第一地銀の本店勤めの方で、当時のメインフレームのプログラミングと保守をされている方でした。
魚を全く食えない私を見かねて(後で伺ったのですが!)コッソリ奥さんに命じて家庭教師の時に供される夕御飯や晩御飯を全て魚尽くしにしてしまったとの事。w
長崎に住んでいて魚を食わんというのは大損であるから何が何でも魚を食う人間に改造しろという言明だったとの事で、オジさんはオジさんで私を教育してくれていたことになりますね。
それから35年にもわたる付き合いになろうとは、当時全く想像もしませんでしたが私がアメリカにいる間も帰ってきてからもずっと連絡が途絶えることはありませんでした。
逆に言えばこの一家は私の学生時代から、医師免許取得、結婚、子供達の誕生、私の大学院卒業、アメリカ留学、アメリカでの就職、日本への帰国まで全てを見続けてくれていたのです。
そんな人って親以外には居ませんよね、普通。
早速電報を打ち、花を添えさせてもらうべく手配をしました。残念ながら以前からがっちり組まれていた仕事の為に今日の通夜と明日の出棺には行けないことを伝えざるを得ませんでしたが、長崎に戻った際には景色の良い墓所の墓前で酒を酌むことになりそうです。
合掌。
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