2019年5月31日金曜日

ゴジラ強すぎ!w

ゴジラの最新作GODZILLA(King of Monsters)(アメリカ版・吹き替え)を観に行ってきました。

知り合いのチビ達二人を一緒に連れて長久手イオンシネマへ公開初日の上映三回目である6:20から観てまいりました。小学二年生のチビ助のリクエストでどこから聞きつけてきたかは知らないのですが「ゴジラが観たい」と数日前から言い出したため、二つ返事で「良いよ〜」と言って連れて行くことに。

私が小さい頃はゴジラというのはあくまでも日本の映画の中で出てくる大怪獣であって、東映まんがまつりとかで定期的に出てくる決まりになっていました。
まあ、一時なんとなく子供心にも「なんかふざけてコミカルな感じになってないか?」というような時期もありましたが、ヘドラとかビオランテとかのように滅茶苦茶シリアスなものもあってなかなか心に残る作品もありました。対モスラも良かったし。

アメリカ的な解釈でのゴジラというのは恐竜を強烈に強くした感じの初回から次第にモディファイがかかってきたわけですが・・・それにしても今回のアメリカ版ゴジラ・・・。

強すぎ!w

(ネタバレになりますが)最後にモスラに鱗粉かけられて臨界点に達したゴジラの強いこと強いこと。それまでやりたいように悪逆非道の限りを尽くしていたキングギドラのところに真っ赤になって近づいていったと思ったら、勢いでギドラの黄金の翼を燃やしちゃってその後はさらに怯えて逃げ惑うギドラを喰らって飲み込む途中で光線ぶっ放して砕いちゃうという暴君ぶり。ぱねっす。w

まあ、何はともあれ子供達は十分にゴジラを堪能したようで、女の子は感動したらしくて「泣いた」と言っておりましたし(どの場面で泣いたかは話してくれず)、小2の男の子は「面白かったー」とアクションに反応したみたいです。
勿論のことですが、この子達にとってゴジラというのは私の小さい頃のゴジラとは違うゴジラになったみたいです。

さて、今回のゴジラ。
ながーいエンドロールの最後までちゃんと観てくださいね。理由は内緒です。

2019年5月30日木曜日

負けん気が強いっていうのは生まれつきか?

この前少しびっくりすることがありました。

小学二年生になったばかりの知り合いの男の子が、先日行われたという春の運動会で学年で一番足が速いという大きな男の子に練習で二回立て続けに負けて悔しがっていたのでした。

まあ、私が同じくらいの歳の頃ならまず120%間違いなく「はえ〜。勝てんわ。」で終わりだったと思うのですが、この子は剣道とかもしていてなかなかどうして勝負の勝ち負けにはこだわる習慣がついているみたいでして、驚いたことに彼に勝つために朝の走り込みとスタートダッシュの練習を毎朝早く起きて二週間ほどやっているというのです。

この男の子間違いなく鈍足の私と比べると異常に足が速くていわゆる韋駄天レベル。しかしながら、いまのところめちゃくちゃチビ助なもので、どうしてもデカくて足の速い子には負けがちなんだそうです。

ところが、その練習の甲斐があったのか運動会の本番では見事にその大きな男の子を倒して一位になったと言うから大した根性です。偉い!

人と競争するという意識をまずもって持ったことのない私のような競争回避型人間はこういった競争心むき出しのスポーツ選手を見たり、小さくとも勝負に負けると涙を流して悔しがる子供を見ると素直に「俺はスポーツ向かん」と心の底から思うのです。

こういった闘争心、競争心の強さというのはやはり生まれつきなんでしょうかそれとも親が焚きつけることによって子供の中にそういうファイティング・スピリットが育まれるのでしょうか?

私自身は小さい頃からスポーツや勉強でボコボコになっている時などに母親から「あんた悔しくないんか!」などと発破を掛けられましたが、正直な所「あんた自身がうるさいだけw」という感じで馬耳東風でしたので、それに反応する素質というものがあるのでしょうね。

競争は大事、しかしそこに集中できる事自体もまたある種の素質が必要なのかと感じた今回の話でした。

2019年5月29日水曜日

笑いながら死を語る爺さん

訪問診療のバイト先で訪れる家に私が個人的にファンになっている爺さんがおります。

密かに猫オジサンと心の中で呼んでいるのですが、このおじさんが味わい深い方なのです。本人は慢性閉塞性肺疾患(COPD)とアレルギーでいつも長い経鼻チューブを鼻につけておられる方なのですが、調子が悪いと椅子にもたれかかり、調子が良いと淡々と自分の周りのことや体調のことを話してくれます。

呼吸苦が強い80代半ばの方ですので、実際に外出もなかなか出来ないのですが、老いた猫と2階建ての古い公団の1階で質素に暮らしながらいつも鍵など閉めずに生活されております。

看護師さんと二人で部屋に入っていくと大方キッチンで皿洗いと手料理を作って居られます。御自身いわく「まあ、かーんたんな男の手料理だわ〜」等と言って非常に可愛い笑い方をされるのですが、テーブルの上に載っかっているものを見た限りではナカナカ手のこんだのもささっと作っているようで、私の一人暮らしなどとはレベルの違う手料理生活。
こういう事をしているから80代半ばを過ぎても頭はしっかりしてるんかな〜等と考えてしまうのです。

この爺さんによれば家の中と外を15歳を過ぎた老猫が出たり入ったりしているとのことなのですが、実は私自身はその猫を一度も見たことがないのです。
しかし、猫砂はいつも玄関の箱の中にきちんと敷いてあるし、時々は砂を掻いた後もありますからきっと居るはずなのですが、姿は勿論のこと鳴き声も聞いたことがないという有様。

まあ、猫だから自分の経験上からも姿は見えなくても居る時は居るので心配はしていないのですが・・・。

ところで、この爺さんが最近笑いながら語るには「もうなーんも楽しいことが無いがね。はよ死なんかな〜、無理かね?先生。」と・・・。
私もCOPDの方々の最後は何人も看取ってきましたが、この爺さんはまだまだ元気ですので、肺炎さえ避けられればまだ何年も元気そうです。

何とか長生きしてほしいなと思う大好きな爺さんなのですが、ここはしっかり診察して季節にあった適切なアドバイスを毎回行っていくしかありません。

こうやって爺さんのことを改めて書いてみると、自分が「人生を淡々と無欲に生きる」枯れた感じのオッサンが大好きなことに気づきます。おれも目指そうかな?

2019年5月28日火曜日

またか

仕事が一段落して昼飯を食べようと食堂でスマホのニュースに目を走らせていたら、有り得ない記事が。

川崎の登戸で19人の大人と子供が襲われ現時点で既に子供を含む三人の方々が亡くなられたと・・・。やるせない、発する言葉が無いというのはこの事でしょうか。ミャンマー語のスペシャリストたる有為の人物と、未来の希望そのものである子供さん達を狙って凶行に及んだ犯罪者を罰そうにも本人は自殺したと言う。

瞬間、自分の脳裏を過ったのは附属池田小で児童8名を殺傷、合計で23人傷ついた事件を起こした屑の中の屑であった宅間守のことでした。
肥大化した自我が無能の自己が世の中で何者でもなく、認められない事に不満を爆発させて何の罪も無い子供達の大量殺傷に至った事件。

そしてもう一つは相模原障害者施設殺傷事件のことでした。この男は19人の入所者を殺し、合計すると45人もの人達を襲ったというものでした。こいつもヒトラーと同様の完全に狂った思考回路の持ち主でした。

私はスマホの画面を睨みつけたままジッとかたまってしまいました。すぐにニュースの画面を消して亡くなられたお子さんの御両親や、殺された男性の御家族のことを考えてしまい、本当に激しい怒りが体中を駆け巡りました。

汚い言葉で申し訳ないのですが、一日中、本当に一日中”クソ野郎”という言葉をこの自殺したクズに頭の中で投げつけていました。本当にこの男のためだけの地獄があって欲しいと心から思いました。

亡くなられた無辜の方々、その御家族の御気持ちを慰めるに足る如何なる言葉も私は持ち合わせません。合掌。

2019年5月27日月曜日

若くしてガンと戦う女の子

先日長崎へ帰ったおり、昔の家庭教師先の教え子の女の子の家を訪れたことをちょっとだけ書きました。

この女の子、私が医学部の先輩から紹介された家庭教師としての勤務先として紹介された頃は未だ小学校高学年、確か未だ小学5年生でした。しかしその娘も今や45歳の立派なオバサン。時が過ぎるのは早いものです。

その子が十年ほど前から肺癌の初期状態が見つかったりしてはそれを治療して治癒、膠原病になってからそれを治療して安定したりというような時期を過ごしてはいたのですが今回、定期検査で乳房にシコリが見つかって、それを生検してみた所、ものは小さいけれども組織型はあまり良くないものだったということで徹底的に叩いてしまおうということになったとの事。

それでEC/CEF療法(どちらを選んだかは聞いておりませんが)を開始することになりました。

鎖骨下静脈(通常は右の鎖骨下にある太めの静脈)にポートという5セント硬貨を分厚くしたようなドーム状の静注用システムを設置してそこから経皮的にクスリを投与していくというシステムです。

一回目のクスリの投与が終了したあとから、味覚障害や嘔吐、食欲不振、疲労感、微熱などが出てきて大変だったとの報告をしてきてくれました。脱毛に備えてのwhigも既に購入してあり、備えは万全だったのですが、開始から数日は水も飲め無いような酷い状態で、氷をしゃぶるのが出来得る最大のことだというような日々が続いたとのこと。

それが元気になってきて今では食欲が少しづつ盛り返してきたとの事。これでまたポケモンを取りに行く元気が出てきた!などと言っておりましたが、本当にそうであって欲しい。

私にとって、若い人が病で苦しむことはあって欲しく無い第一等の出来事です。

2019年5月26日日曜日

若手を励ます食事会!

夕方に集まって小さなグループで少し元気のない若手の女の子を皆で励ましました。

この看護師さん、私の長女より二歳だけ歳上なだけで、私にとっては実質的に我が娘を育てているような感じで、実際の話、この娘(こ)がいないときには他の看護師さん達とどうやって育てるかに関して議論をおこないながら討論をし細心の注意を払っています。

今回、注射の投薬でヒヤリハット報告を書かざるを得ない状況になったため、その事が気になって元気がないと先輩看護師さん達から伺っておりましたので、ここは一つ初夏の気分転換にということで私がスポンサーになるから貴女達で誘ってあげてということで近所のお店で食事会を開くことになったというわけです。

この女の子、本当に本当に今時の女の子にしては珍しいほど心根の優しく素直な子で、患者さんが亡くなった時には人に見られないところでコッソリ涙するようなところがありますし、誰が見ていなくても患者さんには優しく丁寧に接するし仕事も真面目。真面目すぎるくらいです。どの看護師さんも「こんな子を育てられる御両親が見てみたい」と言うほど。私も完全同意です。

だからこそ大切にしたい。この娘を病棟で育てられないようでは誰も育たない、という強い危機意識をもって日々教育指導にあたっていますが、自分自身でもよく勉強していてかなりの速度で育ってくれておりました。

それが今回のことで少し元気がなくなってということでしたが、こんな事は新人さんではよくあること。しっかり反省して次のためにどうすべきかを考えたら良いのです。

お店に集まって四人で話を聞いていろいろと話しているうちに女の子の明るい笑顔が我々三人の心を照らすくらい輝いてきました。集まってから4時間。上司である私はスポンサーであるにもかかわらず、彼女の先輩看護師にあたる残り二人に散々話のつまみにされていじられまくるというやられっぷりでしたが、彼女が元気が出たので私にはそんなこと屁でもありません。w

翌日話を聞いた所、すっかり元気になってLINEで二人に感謝の言葉を述べていたということです。5月、6月は日本全国で同じように会社や組織で凡ミスをして打ちひしがれている若手は無数にいるはず。

失敗したら何度でも立ち上がればいい。
先輩達も同じ道を通って来たのです。無論私も!失敗しない人はいませんし、失敗し転ぶという事は少なくとも「前に進んでいる証拠」そのものです。歩かない人はそもそも転びませんし、そもそも歩いてさえいない、転ぶことさえ出来ない人だと思います。

そもそも失敗を経験した人は人を笑うことはありません。同じミスを重ねないようにすることにこそ注意を向けて成長していけば良いと思います。(オッサンは説教が長いわ!w)

2019年5月25日土曜日

アメリカの家で芝生が生えてきた!

去年、Virginia Greenというところに頼んでおいた芝生のケアの結果がついに送られてきました。

実は我が家の家のメインテナンスにいつもいつでも本当に親身になって手助けしてくれる嫁さんの(日本人女性の)友人が我が家の近所に住んでいるのですが、その方が最近どれくらい芝が生えてきたのかをチェックして送ってくださりました。

一番上の写真はaerationをしてseedingを行って暫く待っていた昨年の11月頃の写真で、禿頭にちょこちょこっと毛が生えてきたようなイメージの芝が生えてきていますがまだまだ上手く行ったかどうかなんて全くわからないレベル。
基本、苔の上になんかピンピン出てきてる!ってくらいの感じですよね。
それがこの5月になって冬を乗り切ったこの種のみなさんがどういう風に姿を変えたのかを見せ始めてくれました。それが以下の数葉の写真です。
以前はこの辺りはほぼ禿山状態でした。w
それがこんな感じ・・・驚いてます。
ここもほとんど地面が見えるくらいに痛めつけられていました。
ところがどうでしょう、今年の初夏は元気いい!
ここは一番影になりがちなところで、ナカナカ難しそう。
多分、芝の種類を変えてパッチを当ててくると思われます。
お金のちょいと足らない時期だったのですが、現地業者からある程度のディスカウントオファーがあったもので、現地でケアをしてくださる女性のsuggestionに従ってお金を使った結果が良い結果を生んだようです。

今まで、自虐的に我が家では「苔寺」等と呼んでいた部分がこれほどまでに一年で回復するとは・・・。今年も追加でLawn careお願いし続けようかなと真剣に考えています。
とは言え、この状態を保つためには庭に水をを撒く必要がありますので、その点は現地の方に依頼をせざるを得ないのですが、お金を出してでも水撒きを協力していただければ喜んで出したいところです。

いやあ、それにしてもやっぱ専門の業者がすると結果が出るもんですね。
驚きました。

2019年5月24日金曜日

身近にあった子ども食堂に衝撃

訪問診療のバイト先で軽いめまいを覚えました。

実はその日のほぼ最後の患者さん宅に運転手さんが連れて行ってくれたときのこと、 そのコース上に千種区の子ども食堂の一つがあったのです。私自身はそういった施設やシステムが日本のあちらこちらで可動しているのは「知識としては」知っていましたが、実物を目にしたのは今日が初めてでした。

成人男性が三人ほどで、入り口のところで何らかの準備のような事を忙しそうにしていましたが、私自身は将来この子ども食堂に関連したことをボランティアでやりたいなと考えていたので、実際の事業自体を見ること無く今まで仕事にかまけていた自分に心の何処かが罪悪感を感じたのかもしれません。それがめまいの正体だったか?

家に帰って名東区ではどこにそれがあるのか調べたところ、いつも通過しているURのアパートの四階集会室となっていました。一見するとそれがどこにあるのかわからないような場所にコッソリあるという感じなのか、千種の施設もよく見ればあるな〜というくらいの目立たなさ。

思ったのですが、子ども食堂もう少し子供達が遠慮せずに堂々と入って良いような形態にならないもんなのかなって思ってしまいます。やってもいないお前が偉そうに!っていうのは重々承知なんですが、看護師さんの中で子ども食堂のことを知っている人が一人おられたので話を伺った所、ヤッパリ使いたがらない子供さんもいるとの事。理由はひとりひとり子供別に本当にたくさんあるのでしょうが。

でも思うんです。この令和の時代にお金が無かったり、親が家に帰ってこれなくて夕飯を食えない状態で腹をすかしてる子供が居るとか本当にいたたまれない。可愛い子供達、日本の未来そのものの子供達にそんな事させて良いのかと。終戦直後ならいざ知らず、そういった子供達が21世紀の先進国である日本に無数にいるという単純な事実にやはり自分自身は忸怩たる思いがあります。

人間誰しもチャンスは平等ではないけれど、飯も食えずに勉強はできないし体は作れない。凹んだチャンスはその穴を埋め戻してせめて平たくしてやるチャンスを上げるべきではないかと心から思うのです。

貧困は表には見えないものがたくさんあります。アメリカでも実際にそうでした。でも宗教系の組織がきちんとそういったフォローをたくさんしていました。
翻って日本はどうか、宗教系組織にそんなものはまず期待できません。やっているところはあるでしょう。しかし少なくともメジャープレイヤーではない。己の施設や伽藍をデカくするのに大忙しの糞坊主達は掃いて捨てるほどおりますが。

糞坊主 愛欲あれども愛はなし

2019年5月23日木曜日

知らないフリをするのも仕事

職階が上がったりすると実際には面倒なことも耳に入ってきます。

いわゆる若造の頃には耳にも入らなかったし、万が一にも耳に入ってくることがあっても自分からは何もアクションをとる必要が無いような案件が殆どだったり、というような事がまあ普通でした。

しかし、最近はそうもいかない事がヤッパリ増えてます。どういう事が起きてきているかと言うと、相談されることが増えてきたこと。しかもかなりの件数です。周りの看護師さんやヘルパーさんが、職場での人間関係の悩みや患者さんとの接遇の悩み、他の先生に対する不満や愚痴、(私の事も言われてるんだろうな〜等と苦笑いせざるを得ませんが・・・)師長から受けている(本人言うところの)パワハラ等の相談など諸々。

やっぱりみんな言わないだけで悩みはいろいろ。しかし、相談を受けることに関してはフェアに対応することとその秘密を守ってあげることが上司としての基本的かつ絶対的条件ですから、同じフロア、同じ病院にいる人達のいろいろな種類のいろいろなレベルの悩み事や秘密を吸収し続けることになります。

一部の深刻な案件に関しては緊急な対応を要すと判断したらきちんと事情と背景をいろいろな方法で確認した上でキッチリとアクションを取ります。それほどでもないような事に関しては本人に直接対応策をsuggestし、ステップを踏んで解決する方法を示しながらアクションを直に取ってもらい、その影で進行具合を本人に聞きながら方向修正をしていくことも。

基本は相談を受けて解決した後は聞かなかったことにして可能な限り忘れてしまうようにします。忘れるのは得意なのでこれはあまり問題ありません!w
深刻なことに関するものはなかなか忘れられないことも多いのですが、それを人に話すことは有り得ないことなので、結局は”知らないフリ”も仕事になってます。

歳があがると、人のために役に立つために影にまわっていろいろとしてあげないといけないことも増えるんだなと、50過ぎて感じるようになりました。やってあげられる事は何でもしてあげる。元気で仕事できる間は人の役に立ってあげたいものです。

2019年5月22日水曜日

どれにするか悩みに悩む

今ものすごく悩んでいます。

つまんないことなんですが、自分用のモバイルノートブックを何にするかという選択肢で。そもそもの発端は己がワインをマックブック・プロにこぼした事でマシンを駄目にしてしまったことから始まるのですが、それ以降なんやかんやと言いながらも嫁さんに買ってあげたまMacbookをあちこちに持ち歩いては使わせてもらっているという状況なんです。

しかしながら、嫁さんは基本的にネットをあちこち回ったりちょっとした調べ物をするくらいのことしかしませんから特にハイパワーのマシンも要らないし、このマックブックがちょうどお手頃なんです。

しかし私の場合はもう少しパワーが欲しいというのがあるんですね、望みとして。ガンガンゲームをするわけではないのですが、仕事でも動画でも沢山のソフトの同時立ち上げにおいてもイワユル"余裕"が欲しいのです。

今どきのモバイルノートは本当に進化が著しく、あんまり変わっていないようにあってもよく見ると無線の高速化があったり、画面を囲むベゼルの狭小化が一年で格段に進歩していたり〜等という変化がある上に、速度は上がっていても値段はむしろ安くなるなどというような嬉しい変更もあるのです。

まあ、野菜と同じで年々歳々いろいろと変わるのですが、マックを選ぶかWindowsマシンを選ぶかも悩ましいところ、Windowsマシンを選べば実は種々のソフトを買ってもらえるんです。いろいろと理由をつけて・・・。これは大きい!

でもマックもいろいろと個人的にレガシーソフト持ってるからな〜という感じで悩みます。しかし、なんというかスタイルを決める最後の部分であるベゼルの幅がまだまだ太いしな。これが細くなるのは一体何時なんでしょう。今日発表になったマシンでも全くその気配さえ見せていません。この点に関してはDellのXPS13とかを見習ってほしいもんです。

ああ、どうしようどうしよう。凡人の悩みは深い。

2019年5月21日火曜日

子供が大人になるといろいろ助かる!

もう、米国においてはやることなす事どちらについても長女のやってくれる事には何も敵いません。

私の得意な分野である「研究」に関してはまだまだアメリカに行っても私が勝っていると自負してはいるものの、微細な日常の中に存在する言葉の壁は、日常のありとあらゆる事において障壁を作り出しているのもまた事実です。

今回も確かにやろうと思えば何時でも出来るけど、いろいろとトボけたやり取りが面倒で億劫になっていた事を長女が次々に率先してくれてえらく助かりました。
例えば日本における書類の処理は殆どにおいて”嫁さん任せ”というのは我が家の暗黙のルールで、よっぽどの事がない限り私は登場しません。ところが、今まではアメリカのことでも細々しと事になると最終的には私が登場してやりたくもない書類仕事や電話でのやり取りをしなければならないということがあったのです。

しかし・・・長女が仕事を開始して成人女性としてアメリカに留まるという選択を行った後、我々夫婦は日本へと戻ってきたわけですが、種々の細々した書類は、今も当時我々が住んでいた家に連絡用に届きます。

例えば税務関係、例えばカード関係、例えばグリーンカード関係の通知書などなのですが、これらの書類のミスやおかしな点に関しては娘が定期的にチェックを入れてさっさと手続きや修正を加えてくれるため、我々の方で何もしなくても良いという状況が到来しています。

時々電話をしてくるときも、SSNの下四桁を尋ねてきたり、程度の事でして、私としては大助かり。やっぱり高校生までとは勿論、大学生になっていた頃よりも遥かに協力で自立した人間として右から左に正確に物事を処理してくれる娘は頼り甲斐があります。

こうやって、親の出来ることも一つ一つ子供に追い越されていって、やがては日本での事でも娘たちの判断力以下になってくる日がやってくるのでしょうね。寂しいけれど、何れの世代も順繰りなんでしょう。

老いては子に従えというのは2−30年か後には我が家のキーワードになっているのでしょうか?w

2019年5月20日月曜日

フツーと常識

先日長崎に帰った折に嫁さんの部屋で一葉の古い写真を見つけました。

40年ほど前の義母の写真でした。まあ、正直言って親族のLINEにネタとして載せて皆の微笑を誘うという企画でしたが、目的自体は果たしたもののちょっと考えたことがありました。

それは、当時はその髪型と服が街に出ても全く普通だったという事実。今見ると・・・というような格好なんですが、このフツーというのが曲者。有る一時期には常識であって、そう考えることが当然であって、そう考えるのが普通の人と考えられたことであっても、時代の変遷とともに技術や研究の進歩でそれが誤りである等というようなものは実にこれまたいつもの事。

こういった話は科学全般は勿論、その一部である医学においても十年、二十年単位でガラリと変わることも極めて普通です。
例を上げだすとキリもないし、卑近な例として私自身の医学部で習った”当時の事実”と言われたことも、今となってはオイオ〜イ!レベルの話になってしまった事も枚挙に暇がありません。

これが百年前になってしまうと、もう訳もわからないくらいありとあらゆる常識が”変わって”しまう事になります。
もし、100年前に目の前の人の動きが音と画像で瞬時に世界の裏側の人に伝わってそれを皆が見ることが出来るとか、誰もがあっという間に手もとの小さな機械で世界中の情報にアクセスできるのが日常で〜なんて言ったら、多くの人から失笑を買うか病院に送られる家といった事態になったことでしょう。

しかし今はそれが日常。その時代の多くの人にとってのフツー等というのは実に皮相なもので、想像の範囲の内側にあるものと言うよりは目の前にある日常の平均値でしか無いということでしょう。

そう考えると、人の目など気にせずに己の考えた方法論をもとにやりたいことをやって生きていくというのは勇気は要るものの、正しく普遍的な方法論なのではないかと考えたのでした。

2019年5月19日日曜日

おくすり依存症

いつもの事なのですが、本当におばちゃんの中には強いおくすり信者が存在しています。

こう言って書き始めると性差別!等と反応されるといけないので予め断わっておかなければならないのですが、コレって単純に私の個人的な外来等での体験と感覚的なものがない交ぜになったイワユル”俺様統計”的なもので、サンプル数1の適当話なのでお気を悪くなさらないで下さい。w

外来ではなるべくなるべく「薬の数は少なく」かつ「効果は最大」を狙っています。理由は当然副作用と薬価の軽減なのですが、その2つのバランスを線型計画法的に出している訳ではなくて、所詮は”可能な限り”と言うやつ。

それでも、良心に従って上記の原則に従った処方を行っています。

ところが、外来にやってくるおばあちゃんの中にはある一定の割合で「この薬入れてくれなきゃヤダ!」という人が混じっているのです。コレは別に薬物学的に依存性のある眠剤とか言うわけでもなく、単純に昔から先生にはこの薬を処方してもらっていて、定期投薬にしろ頓服にひろ、出してもらっているのだからコレを出してもらわなければいかん!と言うような、どちらかというと”信仰”に近いものです。

これらの人々に比較的共通していることは、
①随分と昔から町医者の先生方に漫然とそれらを出してもらっている
②後期高齢者でお薬代の事をあまり考えなくて良い
③おくすりは沢山出してもらったほうが健康に良い、かつ出してくれるのは良い先生
などという回路がその頭の中に存在することだと思います。

この回路、既に高齢者の頭の中では焼き付いてしまっていることが多くそれを補正するのは容易なことではありません。私が縷縷「副作用やクスリ同士の相互作用に考えずに漫然と沢山の薬を出すことは医療行為としては可能な限り避けなければいけないこと」なのだと説明して、その場では納得したようなフリをしても、最後の最後で受付の女性や薬局の薬剤師に「あのクスリが入っていないのはヤッパリ困る」みたいな文句をぶつけてくる人がかなり多数。orz

私の説明した時間を返せ!って言いたくなるのを一人内心でやんわり抑えながら今日も苦笑いする私でした。w

2019年5月18日土曜日

恩人への別れの挨拶

若く、実力も肩書も勿論実績も何もなかった独身時代。

そんな時にお世話になった多くの人々は決して人生のスコープの中から外すことは出来ません。文字通りの徒手空拳、己が世の中にとって何者でもなかった頃の俺を支えてくれた方々は次第に人生の老境を迎える年になりました。

そういった方々に対する季節ごとの挨拶などはしているものの、物理的な距離や仕事の忙しさにかまけて面と向かうことがなかなかありません。それでも、今回のように人生終わりの節目には必ずお世話になった方への挨拶と感謝は忘れずに最低限の行動は欠かすことのないようにしていきたいとは考えています。

今回の訪問では、昼が近づいた頃に義理の妹から借りた軽自動車を運転し茂木の社長宅へと移動しながら会長さんが在宅されているかを確認。私が長崎に来ていることを知ると、非常に驚いていましたが、特に午後からも予定がなかったとのことで不躾にも押しかけでお骨に挨拶をさせて頂きました。

移動する途中、雨のそぼ降る車窓から見える茂木の山々には袋をかけられて木々にたわわに実った”茂木びわ”の素晴らしい景色に驚きました。

ほんの9ヶ月前に嫁さんと息子を連れて伺ったのが最後になってしまうなどとは全く思っていなかっただけに、突然逝ってしまった事が残念でなりません。仏壇に飾られた社長の笑顔の写真はイタズラっぽい笑顔満面のもので、私に向かって「おいの最後の姿はやっぱ見せられんけんね〜」と言っているようで、思わず声を出して小声で「くそったれ!」と言ってしまいました。

バイトであんなにボロクソに叱られて、あんなにしごかれたけど、心の底には熱い愛情をいつも持っていた素晴らしいクソ親父でした。これからは茂木びわを見る度に、あの社長のことをそのだみ声とともに思い出すんでしょうね。寂しいです。

オタクを失礼した後は以前家庭教師をしていた女の子で、乳がんの抗がん剤治療を始めるこの家にお邪魔して、長崎を去る前に私が持っていた超珍しいポケモンの色違い進化系をプレゼントしました。その兄貴も東京から長崎に昨日から帰ってきていたみたいで、その家の馴染みのオバサンと一緒にいろんな話、本当にいろいろな話を二時間ほどして別れました。

治療がうまくいくことを心から祈って別れました。日本において、私の周りで乳癌になってそれが原因で亡くなった人は未だ一人もいません!そのジンクスに乗っかって欲しいなと心から思っています。

家に帰ってからは、出発までの数時間をゆったりと過ごし飛行場まで皆で車で送ってもらって、帰路についたのでした。帰る理由は様々ですが、たまの田舎も良いものです。帰る田舎が有るっていうのは人として幸せです。

2019年5月17日金曜日

長崎へ

今日は外来を終えたあと、入院患者さんの受け容れ業務を行って諸々の細かい仕事を終わらせて早めに病院を出ました。

今日の一連の行動の目的は唯一つ。
長崎へ行って医学部の学生時代にバイト先で御世話になった社長が亡くなったあとの奥様のところへ挨拶に行くためです。数日前にこのブログで書いた通りなのですが、今回は会長と呼んでいた奥様には知らせることなく出発し、訪れる当日の直前に連絡を入れるというもの。

もし、万一会長さんが家に不在でも、香典は親類縁者の方に預けてくるつもりで家を出ました。こういう隠密行動をとった理由は簡単でして、事前に連絡を入れておくと必ず「来んでいい!」と言うに決っているからです。

久しぶりの長崎行き、私一人でセントレアまで車を運転し、夕方の便に乗り込んで長崎まであっという間の1時間10分。いつものように上昇したと思ったらもう下降開始で、水平飛行の時間はごく僅かです。長崎に到着してからがチョイ失敗。

以前と違って東長崎経由というバスルートが無くなって、長崎へ行く便は基本的にすべて高速を通るような便になってしまっています。前回帰った時は素直に長崎駅まで移動してそこから少し離れた長崎の嫁さんの実家に帰宅していたのですが、今回はグーグルマップ上でもう少し“物理的”距離の近い多良見インター出口というところで降りたのですが、これが間違いの始まり・・・。

そこでバスから降りたのは私一人で、降りたところは真っ暗かつ周りに何も無いところだったのです!「うわ、やらかしたか???」とは思いつつも、グーグルマップを頼りに明かりも何も無い真っ黒けの山道をお土産抱えてトボトボ歩いていきましたが、どう考えてもイノシシが何時出てきてもおかしくないような道です。

まっすぐ素直に地図の上を歩いて行くのですが、一人キャンプ状態。お空の星はやけに綺麗です。女の子だったら泣いとるやろうな~。wなどと一人で考えながら道を歩いていると、なんと脇を流れる小川の方から蛍の光がふわ~、ふわ~と見えるではないですか。

「おお、ひっさしぶり~!」と感激はしたものの、実家まではどう考えてもタクシーを拾っていかなければなりませんん。仕方なく連絡を入れると、目標となる郵便局のところまで歩いて待っていてくれればこちらからタクシーを送るとの有り難いお言葉。

そこまで夜道を3キロ弱歩いて待つこと数分。ちゃんとタクシーがやって参りました。
地獄に仏とはこのことと思ったのですが、私の行動の一部始終を運転手さんに話したところ「アイデアはいいし、実際にそこから降りてくる人はいるけど、普通はそこに前もってタクシーを待たせておきます。私がもし同じ間違いをしたら荷物を捨てて歩きますわ。W」と言われる始末。

まあ、俺らしい間違いと一人苦笑いでした。

とりあえず、実家の御両親に挨拶して、お土産をすべて渡したあとシャワーを浴びてご飯を食べさせていただき、義理の妹達と少し話をしたあと暫くしたらスコーっとと寝てしまったのでした。

2019年5月16日木曜日

大いなる勘違い

認知機能が低下している人に辛く当たる人が居ます。

上手く受け応えができないから、上手に表現ができないからと言うことから感情をササクレ立たせて高齢者に辛く当たる人間が居ます。何処にでも、必ず。
それはその人の家族だったり、世話をしている人自身だったり。その世話をしている人間の中にはヘルパーだったり看護師までも入っているのですから”知らない方々は”恐ろしいと思うでしょうが、日常的に全国の施設や病院で毎日のように虐待は行われているのです。

一番救いが無いのは、その虐待を行っているのが個人であれ集団であれ、その行為を虐待と理解できずに行っているパターンだと感じます。

認知症になった挙げ句に体も老化で動かすことがままならない人々というのはなかなか思いを言葉に表すことが出来ません。せん妄を起こしたり、周りから見ると訳のわからないことを言っているように思えることでも本人やその家族にとっては「ああ、アレのことだな!」とよく分かるような話をしている事も普通にあります。

そして一番の勘違いは、そういった認知機能の低下した人達が”感情”も失っていると考えてしまうこと。これは大いなる勘違いです。
言葉に表現できなくても、嬉しい悲しい楽しい酷い等と思う心は実に普通に残っていて、認知機能障害があるからと言うだけで、どうせ応対をいい加減にしても等と考えていたら、それは大いなる大いなる勘違い。

普通にあなたのことをジッと見ています。

相手の老人のみならず、お天道さまは必ずそういう行為を見ていると私は思っています。神様や宗教なんぞ信じない私でも、そういった非道な行為は必ずや形を変えてあなた自身もしくはその周囲に災厄を及ぼすはずと考えています。

そういった事を行ったささくれだった人生を過ごした自分の人生のエンディングは、同じささくれだった人間によるあなた自身への虐待なのかもしれません。

2019年5月15日水曜日

職場の困った人(どっかの本のタイトルみたいだな!w)

大きな組織を滅ぼすたった一人の人間というものが居るのだという実感を最近初めて持ちました。

SANYO、東芝、三越等々栄華を誇った組織も一人の人間の存在によってある時期に興隆を極め、また一人の人間の存在によって組織が消滅したり崩壊しかけるほどの事案が発生するということを我々日本人は昭和、平成という時代を通じて見てきました。
日本という国家のレベルでは近年、東条英機をその筆頭と目される日本の巨大組織から出て来た人物達によって日本という国が一度は一敗地に塗れるという国難さえ経験しました。

勿論そういった事例は国内だけに留まらず、歴史の中にも無数の事例はゴロゴロですよね。ヒトラー総統、カダフィ大佐、カリギュラ、チャベス大統領、毛沢東なども殺した国民の数や失わせた国富の巨大さはご存知のごとくcountlessです。

しかしながら、そういった大げさな出来事はこと己の周辺に関しては自分の人生には無縁だと長い間思っていました。ところが、何と己の勤める病院の中にそれを発生させかねない人間が最近出現してきました。

この人物、女性なのですが、際立った特徴は支配欲と境界性パーソナリティ障害を併せ持っているということ。一日という短いスパンの間でさえ感情の振れ幅も大きく、周りに居るナース達も「さっきは右と言ったのにもう左って言ってニコニコしてる」という感じで全く指示におついて行けないという状況です。

しかも自分が気に障ることをされると(そもそも何が気に障るのかは全く周囲には予想もできないのですが!)相手を異常なまでに面罵し、その後は気が済むまで周りの看護師を巻き込んで村八分。周りの看護師はその人を可哀想と思っても、話をしたりして助けることでこれまたその師長の次の餌食になるという・・・。

ハッキリ言うとこれってパワハラなんですが、本人は院内の実力派医師の一人の力を使って自分に権威付けをすることで自分のしたいことを「XX先生が言っていたから」とか「XX先生に聞いてみましょう」等と言うような小学校の学級委員長のようなことを言って己の行為をあたかもいくつかある選択肢の中の正答であるかのように持っていこうとするのです。w

しかし、権威の力を侮ってはいけません。心理学の実験でいくらでも例はあるのですが、最近ではこの例が有名です。

まあ、最初の頃は、周囲もそのキチガイっぷりに”辟易”するだけで「触らぬ神に祟りなし」という感じで距離感を保っていたのですが、この女が大層な権力欲の持ち主でして、どうやら己の力量と類稀なる人望の無さに無関係に、ゆくゆくは看護部長になりたいと漏らしているようなんです。

背筋が寒くなりました。そう言えば、その医師や看護部長への異常なまでのゴマすりや放送大学へ通っての大学卒業資格の取得などはその大いなる布石だったのかと・・・。
看護師だけでなく他の医師も既に業務上の実害を蒙り始めたために、関わりさえしなければ放っておいても・・・と当初考えていた人間達も起こるかもしれない恐ろしい近未来のためにそろそろ重い腰を上げ始めたようで、本人の知らないところで様々なcounter measureが発動し始めたようです。

組織にとって最も危険なのは無能な働き者をトップに据えること。ゼークトの組織論のバリエーションになってしまいますが、無能で野心に富む人間が人のトップに立ってその野心を満たす世界というのは・・・想像したくもないですね。

狼の皮を被せられた狐の種々の行為は被せられた狐にとっても最後は大いなる悲劇を呼ぶ予感がしてきております。狐も最後は己の皮まで剥がされなければ良いのでしょうが。

2019年5月14日火曜日

看護師さんの中の能力差

この人何で看護師しているんだろう?という質問はその問うところが2つの方向に別れます。(それは医師であろうと同じでしょうが。)

病院で仕事をしていても、看護師としてあっぷあっぷ仕事をしている人もいれば、筋道立ててサラリと業務をこなしている人も当然居ます。向き不向き、好き嫌いというのを超えたところにある、これらの日常業務の遂行能力というのは私個人の考えでは単に脳味噌の余裕の差だと思っています。

それを遂行するのに50の力が必要な業務を80の能力の人がやるのと、50の能力がある人がやるのと、20程度の能力がある人がやるのでは”余裕”の差は人が思う以上にでかいものでしょう。

同じことをやっているのに、何度もミスばかりする上に、予定就業時間が終了しても何だかあちらこちらをウロウロしてばかりでちっともカルテ記載が進まない人や、逆に机に座ってカルテ記載にばかりに時間を取られている人、患者さんに対する注射や採血などの実務作業が全く苦手な人、患者さんとトラブルばかり起こすのに、その原因の殆どが自分のせいだとは全く気づかない対人関係能力の欠如した人など、欠落した能力の種類にはそう言った「足りない人達」ごとにそれぞれ異なった、もしくは複合的なものがあるわけですが、病棟を観察していて仕事が鈍くかつミスの多い人達には知能とか技能レベルでなにか大きな欠落がある感じです。

長い時間かけて、ある程度は「カイゼン」する人もおりはしますが、基本的には足りない部分が大きい人がそこを補うのは最初から”持っている人”と比べたらでっかいハンディなのです。

逆に言うと80の能力で50の仕事をしている看護師さんにとっては結構仕事の処理量としては気楽な職場(=楽しんでいる、というわけでは必ずしも無くて退屈している人もいる感じですが)であることも無いとは言えませんが、病棟の実務というのは比較的人海戦術でなければ駄目なところもあるわけです。

ですから、自分の仕事以外でも足りないところが見え、且つ助けることが好きな人にとってはこれまた忙しく、自分の仕事の範囲さえ終わればさっさと帰ってしまうような人にとっては楽な職場とすることも出来るはずですし、実際にそれだけの事ができる人も居ます。(ただ、単純にやるべきこともせずに時間が来たら帰ってしまう勘違い甚だしい輩も間違いなくおりますが・・・。)

とは言え、こういった事象は実際に職種を問わずどんな職域でも毎日起こっていること。仕事が合わないと肌では感じていても、生活ののために看護師している人も沢山おられるでしょうから、えっちらおっちら頑張りながら過ぎゆく日々を生きていくというのが多くの人にとって”普通”なんでしょう。

自分の能力と興味がマッチした仕事を見つけられるレアな人というのは幸せです。

2019年5月13日月曜日

教育が浸透しない人々の存在を体現した一群

トランプ政権下での自殺が増えているという記事が目に付きました。

JBPressの記事「白人の銃自殺者急増中、原因はトランプ大統領 そこに銃があるから私は死ぬ:“自家中毒”に陥った米国のハートランド」でしたが、FBIの報告にもあるようなHate crimeの激増と、ますます惨めな自体に陥っていくpoor whiteの実態は先日このブログにも記したようなヒルビリー・エレジーのような”まさにそのpoor white”の住むエリアから出てきた(脱出できた)人物の書いた本を読むことで、問題の根深さは”驚くほどのもの”であることが読み取れます。

彼等に基本的に共通しているのは

  • ”教育レベルの低さ”(彼らの周囲におけるロールモデルの欠如)
  • ”貧しさの中における救いを求めての宗教への傾倒と依存(これらpoor whiteのエリアにおいては宗教をドラッグという言葉と置き換えられる場合もほとんど)”
  • ”殆ど救いようのないほどの根強い人種差別”(自らの”白さ”ということのみを己の優越性の何らかの根拠にするしか無い惨めな実生活)

等でしょうか。

見ていて実に哀れなのは、東部出身の大金持ちで無教養な(大学は出ていても教育がこれほど無力かつ機能しない病的な人間も居るという良い例!)トランプの減税政策や対中関税がまさにこの最も貧しい貧困白人達を直撃し、オバマ・ケアが己やその家族達を助けているのに、それはヒスパニックや黒人やその他の違法流入者が使っているという近年伝統のロジックを頭ごなしに信じ切っているという・・・。orz

データは見ない。己の信じたいことをを信じる。自らの脚元たる実生活も見ない人々。

最後は己の信奉する合衆国憲法修正第2条「規律ある民兵は自由な国家の安全保障にとって必要であるから、国民が武器を保持する権利は侵してはならない」によって保証されていると彼らが信じている武器である銃で己をブチ抜くのですから、愚かさも極まれりと言うか幸せなもんです。(なんせ己の信じるものに準ずるのですから!)

ところで、規律ある民兵ってどこにおんねん?w

2019年5月12日日曜日

”辛い”当直パターン

昨日は辛い夜でした。

忙しいというのとは違うんですけど、いろいろな病棟からそれこそ”ちょっとした用事”で電話がかかってきて呼ばれるというパターンで一晩中当直をするというもの。

若い頃は救急病棟で全科当直というのをして、それこそ次から次へ救急車が患者さんを運び込んでくる中で、救急車で病院に近づいてくる車内から刻々と状況を伝えてくる隊員とやり取りをしながら挿管や薬、人員のセットアップをしながらの夜を過ごしてそのまま翌日も何事もなかったかのように日常の仕事を済ませていくというものでした。

若かった頃だからこそ”体力勝負”で知識と経験を吸い込み続けることが出来た時期だったと思うのですが、今の歳で同じことをしろと言われても、どんなにカネを積まれても無理です。(当時はそれだけ働いても、特段金銭的には何の追加報酬もありませんでしたが。)

今の辛い当直パターンが発生する理由「すぐに寝る」ということが昔より容易でなくなった事が主要因だと感じています。40代前半くらいまでは疲れたら直ぐ寝落ち、起こされてもすぐに次の瞬間は眠りに落ちる、という状態でスイッチを入れたり切ったりする感じで寝起きできたんですが、それが出来なくなったというのが疲れがたまる理由としてデカイと感じています。

一度変な時間帯に起こされると”数時間悶々とベッドの上を転がる”みたいなことをやっていては翌日以降に疲れが持ち越されるのも仕方ありません。そういう時はカルテに記録を記載しながらアクビがバンバン出るというような情けない事に・・・。

娘たちが完全に自立したらこの当直dutyから抜け出せるようにせねば!w

2019年5月11日土曜日

大学時代の大恩人が亡くなった

今日、車の運転中に長崎から電話が入りました。

いつもお世話になっていた大学時代のバイト先の家具屋の社長の奥さんでした。この奥さんのことを我々バイトの人間達は会長と呼んでいました。御主人はもちろん社長。

私が医学部の貧乏学生で、金にも飯にも困っていた頃にいつも呼び出してくれては(働こうが働くまいが!)一回一万の飛び抜けて割の良いバイト代をくれた上に、決め台詞の「お前たちゃ腹の減っとろうもん」という言葉とともに直ぐに寿司屋に連れて行ってくれては「何でも食え〜!ドンドン飲め〜!」と言って可愛がってくれたものでした。

もともとは漁船の機関士から人生を始め、台湾に何度も寄る生活をするうちにその地にいろいろな家具があることを学び、長崎で唐木家具屋を始めてこれが軌道に乗って子供達を立派に育てた人でした。

ところが、機関士をしていた頃、当時機関室で使われていたアスベストが原因で胸膜中皮腫という典型的なアスベスト暴露者の癌を癌を発症してしまったのでした。

御主人はこの数年の間、数回の大手術を含むありとあらゆる治療をチャレンジしていたのですが、長崎に帰るチャンスが有ると社長の家に寄らせてもらってお見舞いをしたこちらが逆に美味しい海産物を山盛り食べさせて頂くようなお見舞いでした。

しかし、今回の突然のコール。先日もそろそろ電話しないと・・・と思っていた私には一瞬イヤな予感がしたのですが、案の定の最も聞きたくない知らせでした。
社長の訃報。薬石効なく数年に渡る激しい闘病の後に令和元年5月3日に力尽きたとの報せでした。長崎に帰った折には墓を見舞ってやってくださいと会長さんに頼まれました。

運転時に電話をハンズフリーで受けた時に横に息子が乗っていましたが、ショックで声が詰まって涙がとめどなく出てきました。会長の話を聞きながら、思わず嗚咽してしまい全く数分間話にならず。

よく話を聞くと、他の誰にも連絡を取らず、私にだけ連絡をして良いと最後の最後で許可を出したそうです。ただし葬式が終わった後で、と。最後の瞬間には「本当に良か人生じゃった」と、会長たる奥さんに心からの笑顔を見せて亡くなったとの事。
 
如何にも社長らしい、衰えた自分の最後の姿は見せたくなかったとの事で、最後まで伊達男であることをを貫いた男らしい一生でした。

きっとあの世でもセカセカと忙しそうに家具の修理してそうな社長です。合掌。

2019年5月10日金曜日

令和の死亡診断書

時代が令和に変わっても当然死亡診断書を書く機会は変わりません。

ところが、電子的に作成しない死亡診断書ではその中でも時間の記述の中でも変えなければならないところとして時代の記述部があります。
今までの死亡診断書であれば時間記述のところで「平成」と最初から印刷された部分がありましたが、今後はその部分だけでなく誕生日の日付部分でも場合によっては「令和」という記述が入ってくる事になります。

明治の方の死亡診断書を書くことはここ最近、私自身は数年間もうほぼ無い状況になっています。多分日本に帰ってきてからも一度もなかったんじゃないかな?大正の方も極めて稀。無いことはないのですが、書くにしても本当に最近は減りました。

今年はそもそも大正107年。やはりこれほどのお歳になってくると長寿社会の日本とは言え私の病院ではまずもって明治の方をお見送りすることは無くなっています。私が研修医になったばかりの凡そ四半世紀前には明治の方のお見送りというのはごくごく普通のことだったんですが、本当に本当に明治という時代が消えつつあるんだなとこういうことから感じますね。まあ、それは大正についても同様ですが、まだ大正の方の死亡診断書を書くことがない事はないので、明治に比べればまだ終わりきってはいませんが。

そういう意味では昭和の頃に普通に人口に膾炙していた「明治は遠くなりにけり」というフレーズも、最近では「大正は遠くなりにけり」どころか「昭和は遠くなりにけり」になり始めているのを感じるオジサンです。

ところで、死亡診断書であっても、主に小児科の先生などでは既に出生も死亡も令和元年のケースも取り扱われているわけですから、今度から私の病院で使い始める死亡診断書も令和がそこに入ってくることにはなるわけですが、電子的に作成している病院もある中で実に紙と手間暇の無駄ですな。(印刷屋さんには微々たる収益でしょうが。)そろそろこういう点でも我が病院での電カルの中身を変えて欲しいものです。

それにしても、死亡診断書って、可能であればなかなか書きたくない類のものですね。

2019年5月9日木曜日

整理整頓の肝は・・・

久しぶりにコンピュータルームの掃除をしました。

ところが、あちこち手を入れてもなかなか整理がつかない。整頓をするのは簡単なのですが必要なものとそうでないものを仕分ける段階が上手くいかない。
特に、昔の実験データ関連のノートなどは捨てられない。もう一つ捨てられないものの中核になっているのは子供達の想い出グッズ関連。勿論これらには子供達の手書きのノートその他も含まれます。手紙やその他のハガキもそうです。

どうしましょうかね?困りました。w

一旦やり始めた整理だったんですが、一時間かけて小さな部屋から出たゴミは手提げ袋にしてたったの二袋分。その成果?をみてやる気を無くしてしまいました。

こういう時は方法論自体を変えないといけないわけで、例えばイワユル断捨離マインドを発揮して使わないものを云々という方法でアプローチしていけば勝負は早いのでしょうが、まだまだそういった”単純な”方法は導入せずにもう少し考えましょうということで、悩んでいます。

今まで整理したと思っているものの中から、この先十年で要るか?と思えるものを想像して要らないものをまとめて捨てていく方法。最初から要らないと解っていながら記録として捨てられないもの、例えば実験のデータなど(絶対にこの先これらが論文化されることのないもの)をドカッと捨てる方法。

子供達の記録も本人達が要らないだろうと思うものを中心に捨てるのが良いのでしょうが、実際の所一回は本人に聞いてからそうしたいところ。しかし、彼女達が今家に居ないので聞くわけにもいかず・・・。

グダグダと考えながらも、デジタル化出来るものはデジタル化してしまうことで実ボリュームを減らしていくのが今風かな?などと考えてしまうアイデアの少ない私でした。

家族が居なけりゃ私物なんてほぼゼロでも良いんですが、そういう人生はこりゃまたエンプティですから、バランスって難しいものです。部屋が広けりゃ良いんじゃないか?っていう話も出てきそうですが、アメリカに居た時にそれは明らかに間違いであることを物理的に実感していますので、結局「要らないもの」とは何なのか?ということを突き詰めていく過程こそが楽しいのかもしれません。

究極の断捨離をした家の写真などがネットや雑誌でちらっと見ることがありますが、ああいった感じにまでなるとそもそも生きている意味自体が無いレベルで、ヤッパリ人にはある程度の”無駄”が居るというのは堅い真理ですね。

もうちょい楽しみながら考えてみますか。