2019年5月10日金曜日

令和の死亡診断書

時代が令和に変わっても当然死亡診断書を書く機会は変わりません。

ところが、電子的に作成しない死亡診断書ではその中でも時間の記述の中でも変えなければならないところとして時代の記述部があります。
今までの死亡診断書であれば時間記述のところで「平成」と最初から印刷された部分がありましたが、今後はその部分だけでなく誕生日の日付部分でも場合によっては「令和」という記述が入ってくる事になります。

明治の方の死亡診断書を書くことはここ最近、私自身は数年間もうほぼ無い状況になっています。多分日本に帰ってきてからも一度もなかったんじゃないかな?大正の方も極めて稀。無いことはないのですが、書くにしても本当に最近は減りました。

今年はそもそも大正107年。やはりこれほどのお歳になってくると長寿社会の日本とは言え私の病院ではまずもって明治の方をお見送りすることは無くなっています。私が研修医になったばかりの凡そ四半世紀前には明治の方のお見送りというのはごくごく普通のことだったんですが、本当に本当に明治という時代が消えつつあるんだなとこういうことから感じますね。まあ、それは大正についても同様ですが、まだ大正の方の死亡診断書を書くことがない事はないので、明治に比べればまだ終わりきってはいませんが。

そういう意味では昭和の頃に普通に人口に膾炙していた「明治は遠くなりにけり」というフレーズも、最近では「大正は遠くなりにけり」どころか「昭和は遠くなりにけり」になり始めているのを感じるオジサンです。

ところで、死亡診断書であっても、主に小児科の先生などでは既に出生も死亡も令和元年のケースも取り扱われているわけですから、今度から私の病院で使い始める死亡診断書も令和がそこに入ってくることにはなるわけですが、電子的に作成している病院もある中で実に紙と手間暇の無駄ですな。(印刷屋さんには微々たる収益でしょうが。)そろそろこういう点でも我が病院での電カルの中身を変えて欲しいものです。

それにしても、死亡診断書って、可能であればなかなか書きたくない類のものですね。

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