2019年5月18日土曜日

恩人への別れの挨拶

若く、実力も肩書も勿論実績も何もなかった独身時代。

そんな時にお世話になった多くの人々は決して人生のスコープの中から外すことは出来ません。文字通りの徒手空拳、己が世の中にとって何者でもなかった頃の俺を支えてくれた方々は次第に人生の老境を迎える年になりました。

そういった方々に対する季節ごとの挨拶などはしているものの、物理的な距離や仕事の忙しさにかまけて面と向かうことがなかなかありません。それでも、今回のように人生終わりの節目には必ずお世話になった方への挨拶と感謝は忘れずに最低限の行動は欠かすことのないようにしていきたいとは考えています。

今回の訪問では、昼が近づいた頃に義理の妹から借りた軽自動車を運転し茂木の社長宅へと移動しながら会長さんが在宅されているかを確認。私が長崎に来ていることを知ると、非常に驚いていましたが、特に午後からも予定がなかったとのことで不躾にも押しかけでお骨に挨拶をさせて頂きました。

移動する途中、雨のそぼ降る車窓から見える茂木の山々には袋をかけられて木々にたわわに実った”茂木びわ”の素晴らしい景色に驚きました。

ほんの9ヶ月前に嫁さんと息子を連れて伺ったのが最後になってしまうなどとは全く思っていなかっただけに、突然逝ってしまった事が残念でなりません。仏壇に飾られた社長の笑顔の写真はイタズラっぽい笑顔満面のもので、私に向かって「おいの最後の姿はやっぱ見せられんけんね〜」と言っているようで、思わず声を出して小声で「くそったれ!」と言ってしまいました。

バイトであんなにボロクソに叱られて、あんなにしごかれたけど、心の底には熱い愛情をいつも持っていた素晴らしいクソ親父でした。これからは茂木びわを見る度に、あの社長のことをそのだみ声とともに思い出すんでしょうね。寂しいです。

オタクを失礼した後は以前家庭教師をしていた女の子で、乳がんの抗がん剤治療を始めるこの家にお邪魔して、長崎を去る前に私が持っていた超珍しいポケモンの色違い進化系をプレゼントしました。その兄貴も東京から長崎に昨日から帰ってきていたみたいで、その家の馴染みのオバサンと一緒にいろんな話、本当にいろいろな話を二時間ほどして別れました。

治療がうまくいくことを心から祈って別れました。日本において、私の周りで乳癌になってそれが原因で亡くなった人は未だ一人もいません!そのジンクスに乗っかって欲しいなと心から思っています。

家に帰ってからは、出発までの数時間をゆったりと過ごし飛行場まで皆で車で送ってもらって、帰路についたのでした。帰る理由は様々ですが、たまの田舎も良いものです。帰る田舎が有るっていうのは人として幸せです。

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