実はその日のほぼ最後の患者さん宅に運転手さんが連れて行ってくれたときのこと、 そのコース上に千種区の子ども食堂の一つがあったのです。私自身はそういった施設やシステムが日本のあちらこちらで可動しているのは「知識としては」知っていましたが、実物を目にしたのは今日が初めてでした。
成人男性が三人ほどで、入り口のところで何らかの準備のような事を忙しそうにしていましたが、私自身は将来この子ども食堂に関連したことをボランティアでやりたいなと考えていたので、実際の事業自体を見ること無く今まで仕事にかまけていた自分に心の何処かが罪悪感を感じたのかもしれません。それがめまいの正体だったか?
家に帰って名東区ではどこにそれがあるのか調べたところ、いつも通過しているURのアパートの四階集会室となっていました。一見するとそれがどこにあるのかわからないような場所にコッソリあるという感じなのか、千種の施設もよく見ればあるな〜というくらいの目立たなさ。
思ったのですが、子ども食堂もう少し子供達が遠慮せずに堂々と入って良いような形態にならないもんなのかなって思ってしまいます。やってもいないお前が偉そうに!っていうのは重々承知なんですが、看護師さんの中で子ども食堂のことを知っている人が一人おられたので話を伺った所、ヤッパリ使いたがらない子供さんもいるとの事。理由はひとりひとり子供別に本当にたくさんあるのでしょうが。
でも思うんです。この令和の時代にお金が無かったり、親が家に帰ってこれなくて夕飯を食えない状態で腹をすかしてる子供が居るとか本当にいたたまれない。可愛い子供達、日本の未来そのものの子供達にそんな事させて良いのかと。終戦直後ならいざ知らず、そういった子供達が21世紀の先進国である日本に無数にいるという単純な事実にやはり自分自身は忸怩たる思いがあります。
人間誰しもチャンスは平等ではないけれど、飯も食えずに勉強はできないし体は作れない。凹んだチャンスはその穴を埋め戻してせめて平たくしてやるチャンスを上げるべきではないかと心から思うのです。
貧困は表には見えないものがたくさんあります。アメリカでも実際にそうでした。でも宗教系の組織がきちんとそういったフォローをたくさんしていました。
翻って日本はどうか、宗教系組織にそんなものはまず期待できません。やっているところはあるでしょう。しかし少なくともメジャープレイヤーではない。己の施設や伽藍をデカくするのに大忙しの糞坊主達は掃いて捨てるほどおりますが。
糞坊主 愛欲あれども愛はなし
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