2019年5月9日木曜日

整理整頓の肝は・・・

久しぶりにコンピュータルームの掃除をしました。

ところが、あちこち手を入れてもなかなか整理がつかない。整頓をするのは簡単なのですが必要なものとそうでないものを仕分ける段階が上手くいかない。
特に、昔の実験データ関連のノートなどは捨てられない。もう一つ捨てられないものの中核になっているのは子供達の想い出グッズ関連。勿論これらには子供達の手書きのノートその他も含まれます。手紙やその他のハガキもそうです。

どうしましょうかね?困りました。w

一旦やり始めた整理だったんですが、一時間かけて小さな部屋から出たゴミは手提げ袋にしてたったの二袋分。その成果?をみてやる気を無くしてしまいました。

こういう時は方法論自体を変えないといけないわけで、例えばイワユル断捨離マインドを発揮して使わないものを云々という方法でアプローチしていけば勝負は早いのでしょうが、まだまだそういった”単純な”方法は導入せずにもう少し考えましょうということで、悩んでいます。

今まで整理したと思っているものの中から、この先十年で要るか?と思えるものを想像して要らないものをまとめて捨てていく方法。最初から要らないと解っていながら記録として捨てられないもの、例えば実験のデータなど(絶対にこの先これらが論文化されることのないもの)をドカッと捨てる方法。

子供達の記録も本人達が要らないだろうと思うものを中心に捨てるのが良いのでしょうが、実際の所一回は本人に聞いてからそうしたいところ。しかし、彼女達が今家に居ないので聞くわけにもいかず・・・。

グダグダと考えながらも、デジタル化出来るものはデジタル化してしまうことで実ボリュームを減らしていくのが今風かな?などと考えてしまうアイデアの少ない私でした。

家族が居なけりゃ私物なんてほぼゼロでも良いんですが、そういう人生はこりゃまたエンプティですから、バランスって難しいものです。部屋が広けりゃ良いんじゃないか?っていう話も出てきそうですが、アメリカに居た時にそれは明らかに間違いであることを物理的に実感していますので、結局「要らないもの」とは何なのか?ということを突き詰めていく過程こそが楽しいのかもしれません。

究極の断捨離をした家の写真などがネットや雑誌でちらっと見ることがありますが、ああいった感じにまでなるとそもそも生きている意味自体が無いレベルで、ヤッパリ人にはある程度の”無駄”が居るというのは堅い真理ですね。

もうちょい楽しみながら考えてみますか。

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