150年の歴史もここで終わるのかと思うと、地元にとってもある程度影響はあると思うんですが、後継者も150年の間にここまで劣化するという良い例として今後も影の経営史として経済学や公衆衛生学の材料として記録されていくことでしょう。
馬鹿を頭に据え続ける家族経営の負の側面がモロに出た良い(悪い)れとなってしまいました。
150年の歴史もここで終わるのかと思うと、地元にとってもある程度影響はあると思うんですが、後継者も150年の間にここまで劣化するという良い例として今後も影の経営史として経済学や公衆衛生学の材料として記録されていくことでしょう。
馬鹿を頭に据え続ける家族経営の負の側面がモロに出た良い(悪い)れとなってしまいました。
「日本有数の」という冠が当然のようにつく名門スポーツ高校「市立船橋高校」で「男子バレーボール部の60歳の顧問が、部員に服を脱ぐよう命令したうえで頭髪を掴んで引きずりまわす、至近距離からバレーボールを顔面に投げつけるなどの暴行を加えた容疑で、2023年2月に千葉県警船橋警察署に逮捕された」とのニュースが大々的に報じられました。
私はここ暫く、テレビの芸人達がスポーツの顧問などにどれほど恐ろしいシゴキにあっていたのかと言うような話をしているのをたまたま娘達が観ているのを脇で見聞きしていたので、「そういえば昭和のころは、今同じ事したらすぐにニュースになるようなシゴキや体罰が日常だったな~」と懐かしい感覚を持ったばかりでしたので、今日のニュースはちょっとタイムリーすぎるなと感じました。
実際の所、この監督さんは少なくともこの世界の有名人だという事が色々なソースに書かれていますが、所謂「熱血漢」という先生なのでしょう。私にとってはサッカーでは長崎の国見や島原で指導していた小峰監督が伝説の熱血漢として思い出されますが、今はもうその監督も居られません。
今回逮捕されたコーチに関しては、十年ほど前には別のある方曰く「指導法に悩んでいた」との事ですが、今年還暦を迎えている顧問の先生にとって変わってしまった周りの世界の中で、変われずに残っている自分の変化の無さに対する焦りも確実にあったと思います。
恐らくどうすれば「実績を落とさずに指導法を変えることが出来るのか」という事が見出だせないままに今回の事件に至ったのでしょう。私の見方は完全に無関係の第三者としての見方ですが、部活動の顧問はもう辞められるのではないでしょうか。こういう怒りのコントロールを失うタイプの指導者は同じようなことを繰り返しかねませんし、そのマネージメントが出来たとしても、心の本能を抑えつけながらの指導では御本人の精神衛生にも良くないのかな~と言う気がします。
まあ、先生御自身が周りと調整しながら決めることなのでしょうが、既に指導法が現代風にモディファイされていても、そのまんま強いチームを維持できる新指導者も居られるはずでしょうし、そろそろ新陳代謝の時間なのでしょう。
星飛雄馬を鍛えた根性論的な鍛錬?方法はもう21世紀には要らないのです。
コロナの勢いが一旦止まっている名古屋です。
実際の所なぜ下がってくれたのか感染症の専門家も実際には解析する要素が多すぎて正確な理由は出せていないと思います。ウイルスの変異・ワクチンの性質とそのショットの世代別の割合・そして人々の日常生活での行動様式の変化まで解析しないといけませんので、スパコンに叩き込むにしてもこれは難しいでしょう。
そのうえで現在の名古屋の感染の様子は下のような感じです。
本当にボッコリ凹む感じで急激な減少ですよね。しかし、こういう急減は毎度毎度やって来ては直ぐに逆転していきますので、なんの楽観的な予測もできません。これからもずっと警戒モードです。では、そのコロナが何度も増減を繰り返している中でのインフルエンザはどうかというと…。下のような感じ。実はこの二年間の間は国外からの人の流れがほぼピタリと途絶えるとともに、マスクの装着率の高さも重なって、インフルエンザの発症に関しては本当にフラットになっていたという有り得ない二年間でした。取り敢えず、コロナもインフルエンザもこの春には一旦小休止して頂きたいものです。
やって来たばかりの娘の幼馴染をつれてお伊勢さんに行きました。
昨日の時点では四日市にある「ひもの食堂」に連れて行ってお昼御飯を食べさせてくれという長女のリクエストがあったのですが、折角日本に来たんだからここは「THE・日本!」というところに行ったらどうだい?という提案をしました。
その会話の中で出てきたのが伊勢神宮でした。勿論、外宮から内宮へという正式な遥拝形式は最初から無視してのおかげ横丁から内宮への参拝です。まあ、いつもの事ですが。
家を出てから高速の北側寄りで行こうとしたのが間違い。乗ってからグーグル先生で調べてみるとやはり高速リニューアルの工事渋滞で二箇所ほど突っかかりました。とはいえ、12時過ぎには伊勢に到着し、おかげ横町の直前にある赤福の和風の店内ではゆっくりと赤福と抹茶を頂いた後におかげ横丁の中でいろいろと彼らにとって珍しいものを眺めながら移動していったのです。
ところが、前回コロナ禍の直前にやって来たときと大きく異なっていたのはその人の多さ。異様と言っても良い程の多くの人達で横丁全体がびっしりと埋まっていたのです。それは伊勢神宮の内宮に於いても然りでした。
以前とは違うレベルで人が多い感じで、コロナの酷い間はみんな我慢してたんだろうなって私自身は想像したんですが、どんなもんでしょう。参拝した折には家族の健康と安全を祈ってそこを去りましたが、人の多さは長女をして「勘弁して」と言うレベルだったようです。
それは駐車場事情にも顕れていて、いつも駐車場で苦しむ我々ですが、今回はいつものそれに拍車をかけて酷いものでした。伊勢市ってもう少し抜本的な改善をすればいいのにといつも思うんですが、まあする気はなさそうです。w
その後は当初の計画とは反対になりましたが、夕飯を摂るためにひもの食堂へと向かいました。私は真ほっけ、娘はキンメ、彼はホッケと言う感じでしたが比較的上手に箸を使いつつも、娘に箸で骨をザクッと取り除いてもらいながら沢山ついている肉をむしゃむしゃと美味しそうに食べていました。
それからは一直線に家に戻りましたが、流石に疲れました。それでも、彼らが楽しんでくれた様子だったのが何よりでした。
病院で仕事をしていたら、午後になっていきなりLINEで連絡が入りました。
曰く「A着いたよ!」と言う短いメッセージと共に娘の友人の写真が!私はてっきり26日と思いこんでいて、その日には迎えに行ってあげるつもりでしたのでちょっとビックリしてしまいました。まさか成田あたりに先ず着いて1-2日東京で羽を休めて名古屋に移動してくるのかくらいに思っていたら、何と既にセントレア空港にやって来ていて、それを娘は迎えに行っていて電車と地下鉄で移動中との事。
二重に驚きましたが、私が「今どこにいるの」とtelegramでメッセージを送っても既読になりませんし、勿論返事もありませんでした。ところが、その直後に病院から家への帰りがけに娘と友人が道端をスーツケースを曳きながらチョットだけ雨がショボっている中を歩いていましたので、後ろの車の流れがないことを確認して車を左に寄せて窓を開け「お~い、XXX」と娘の名を呼ぶのですが、振り向きません。話が盛り上がっているようで。w
ところが、その眼の前を歩いていた全く関係ない男性が私の方を振り向きながら娘達に何かを話しかけてくれました。すると、気付いた娘が「あっ、お父さん!」と声を出しましたので、私は近くのコンビニに車の鼻を突っ込み停車。久々の娘の幼馴染である彼とハグを交わして再会を喜びました。
コンビニではちょっとした必要品を買い込み、先ずは今晩彼が寝るだけに使う次女のアトリエの方に彼の荷物を持っていき、直ぐに家へ。
家では家族全員が彼を喜んで迎えました。直ぐに風呂に入ってもらった後、皆でドリンクを乾杯していろいろな話をして夜は夜で結構遅くまで話が盛り上がりました。
彼は娘と同じ小学校、娘と同じ中学校まで一緒でいつも近所に住んでいましたので違う高校になった後もずっと遊び続けている仲でした。では彼氏かというとそれはノーでまさにフレンド!実は人生で初めて彼自身がゲイであることを打ち明けた相手も私の娘でした。娘は「そんなの知ってた」と言うくらいで、それが何か?と言う感じで、彼がその後William & Maryに行った後も、変わらずずっとベスト・フレンドの一人でした。
明日から彼と娘はいろいろと計画があるようでうsが、彼らのために一肌脱ぎましょうかね。^^
いろいろな薬をいろいろな年齢層の人が服用しています。
特に年齢が上がると、降圧剤などを中心として「毎日」服用する薬が少しずつ増える傾向が明確です。最初は降圧剤、次が高脂血症の薬、更には糖尿病や高尿酸血症の薬、更に年齢が上がってくると心不全の薬や便秘薬、人によっては睡眠薬や抗認知症薬なども。これに合わせて胃薬なども入ってくることはごく普通です。
結局、多くの薬を同時に服んでしまう状況になることが多くなってきますが、それぞれの薬の相互作用というのは実際に多くの問題を孕んでいます。実際には単剤でも注意すべき相当の副作用を持っている薬も沢山あり、それらに他の薬が噛み込んでくることで予期しない副作用が飛び出してくることは常にあります。
これには個人の遺伝的背景の差による薬の作用の違いも大きく関与していて、薬の効力を決める腎や肝の機能の差、存在する酵素の発現量の差のみならず、免疫システムの反応の差による激烈な副作用なども残念ながら起きるときには起きます。
さて、そのような副作用を外来や入院病棟で診るかというと実際にこれが頻繁にあるのです。これがポリファーマシーという状況で、入退院時や気になった時に年齢や服薬状況を考慮しながら「減薬」というのを行うことで、リスクとベネフィットのバランスを取りながらその副作用を減らしていくチャレンジを行う事が良くあります。
薬剤に使うお金を減らすのは単なる結果ですが、医師の投薬によって疾患を「数値上」改善して、全体のコンディションとしてはリスクをグッと上げるような行為は避けなければなりません。しかし、言うは易く行うは難しとは良く言ったもので、漫然とその投薬を継続しないようにする事は意識をしないと大変難しいのです。
特に他の科の専門家が進行に投与した薬の積み重ねの結果として多剤併用になっている時などは本当に悩みは深いのです。それでも、五剤を超える薬を毎日服用されているかた、更には十剤を超えるような服用状況にあるかたは一度かかりつけの先生にその事に関して「御相談」をされる事を真剣にお勧めいたします。
因みに、私は田舎の両親が服用している薬に関してはその情報を送ってもらって、その状態に近づかないように時々チェックを入れている次第です。
何だかタイトルを書いた後、夜伽噺とかいう本当のバンドが有ることをネットで知りました。w
まあ、ここでは「夜伽話」と言えば夜勤の看護師さん達が話す面白おかしい馬鹿話くらいの話だと思ってください。実際に私が病院当直を行うときには比較的時間が個人的に使えるときが多いので、ネットで勉強して知識を蓄えたりNetflixで映画を観たりということがメイン。
しかし、病棟からの処方依頼で病棟に行った時などはそこで休憩している看護師さん達からいろいろとお菓子を勧められたり、「まあ座れば」とか言う話から始まっていろいろな看護師さん達の笑い話、噂話を聞くことが出来ます。私自身は彼女達のいわゆる「馬鹿話」に耳を傾けて一緒に笑い飛ばすのは嫌いではありませんので、結局一緒に大笑いということがしばしばです。
年齢層が違うと話す内容も全く違ってきます。若い看護師さん達の年齢などはまさに私の拾の娘達や息子と同じ年であることがごく普通ですので、話は専ら聞き役ばかり。その年令に有り勝ちな悩みを聞いたりもしますが、そういった看護師さん達はまさに私をお父さんという感じで見ているので、気軽な会話の中に彼ら彼女らの世代の考え方や常識を学ぶ貴重な機会と感じます。経験や現代に関する知識や関心は当然のごとく我々とはやはり全く違うことも多いのですが、常識というラインでは意外と一緒で有ることには安心します。
これが私と同じ年齢周辺の女性陣の夜勤との会話では、まあ若い人達とは大きく異なってきます。彼女達のお話の特徴は・・・一言で言えば「噂話」が多いですね。他病棟の話、師長クラスの人達の噂話、自分の病棟の他の人達のズッコケ話などこれはこれで盛りだくさん。おかげで「この年代の女性ってこんな話が好きなんだ」と学ばせていただいた次第です。
それにしても、話が上手な人って居るもんですね。映画に出てくる寅さんの様に話を切り出し、嘘か真か全くわからないような事も含めてグイグイと自分の「知っている話」とか言う物語に引き込んで最後は溜息ついたり、大笑いでジャンジャンと終わったり万華鏡のようです。
こういうときだけは自分から話さなくとも相手の唇から話が流れ出すので私は大変楽です。今後も時々は楽しい夜伽話が聞けることを愉しみにしています。^^
別の病院の明らかに有能と思われる精神科の先生とお話をする機会がありました。
バイト先で出会ったこの先生ですが、患者さんや患者さんの家族への説明、更にはその診断、そしてその先に有る治療の道筋の明快な解説とピット・フォールを聞いているといつも自分が病院で聞いている「並み」の先生方の能力とはどうもかなり違うレベルで上級であるという気がしました。
その先生と帰りがけに話になったのですが、その先鋭が切り出した話は内科の先生によるコンサルで「ある一人の患者さんとの話し合いが異様に時間がかかるんですけど、どうしたもんでしょうか。堂々巡りの話を切ろうとすると”死ぬかもしれません”などという感じで、話が切れなくなるんです。」との相談事でした。ではそれをどう捌いていくかというと…ということを今日は伺う事ができたのですが…。
その先生によると、話を切ることで非常識な解決手段に訴えてくる人間を相手にすることはその人間による状況のコントロールを際限なく許していく鳥羽口を提供することになりますから、それが拡張してくると非常識な世界がその「患者」のコントロール下に置かれるリスクがあるので、明快に最初から払い除けることが患者さんの為にも重要ということでした。
要するに「あなたの我儘は”普通の人達の世界”では通用しない」という現実をしっかり認識させることが患者さんを現実世界で生きていく普通の人に戻す大切な方法論です、ということ。
なる程ね~と思わず言ってしまいました。まあ、私が同じ様な患者さんに出会ってもおsンナに我慢すること無く「じゃあ次の方!」というように言い切ってしまう可能性のほうが遥かに高いので、最終的な結果自体は比較的同一になってしまう可能性が高いのですが。^^
理屈に合わんことをガチャガチャ言ってくる輩が大の苦手の私のところに診察に来ても、おそらく最初にこの精神科の先生にコンサルした内科の先生のような「我慢強さ」はあまり無いので、二度目の診察は無いという気がします。ただ不思議なことなのですが、何故か私の内科外来には毎度毎度こっぴどく私に怒られて呆れられて、いろいろと小言を言われるのは判りきっているのに絶対に外来から消えない患者さん達がわんさかやってきます。
変化を起こしきらない私の怒り方が足りないのか、依存症系統の患者さんってそういうキャラなのか。精神科医でない私の所にやって来る内科疾患を持った精神科の患者さんにはその依存を綺麗サッパリ切り取るということもなかなか上手く行く訳もなく、大変申し訳ない気がしています。mOm
私の勤める病院では内科で患者さんを診ていると認知機能障害だけでなく、ごく普通に種々の「その他」の精神障害を持っている患者さんが居ることに気づきます。
施設入所者の方が多いので、付添いの施設の看護師さんが一緒に来てくださってその患者さんの病状説明とか認知能力等の説明とともに、施設における患者さん自身の日々の過ごし方のお話も伺うことが出来ます。
患者さん自身は私に多くのことを気兼ねなく話してくれていろいろと楽しいお話も多いのですが、実際は私に深刻な顔をして「個人的な問題や困りごと」を私に話しかける、と言うか話し込むお婆さんが実に多いのです。何故かお爺さんはこういった事を打ち明けてくる人はほぼ居なくて私の場合はほぼお婆さん限定です。何でなんでしょうか。
まあ、取り敢えず私限定の事実として彼女達から伺ったお話をすれば、その打ち明け話の中身はかなり突拍子もないものが多くて「夜中にぴかぴか光るライトを持った若い男が私にのしかかってくるんです」とか、「一晩中私の部屋の隣で男が競馬中継かなんかのテレビを見て騒いでいるんです」とか、「夜に隣の部屋から男が夜這いしてきて私の布団の中に入り込んできます」とか被害系のお話が多いのでした。
診察室の椅子のテーブル前に座る患者さんの後ろに立っている看護師さんが患者さんの見えないところで、大きく頭(かぶり)を振ったり、手を前方で払うジェスチャーで「ちがうちがう」と笑っている事があります。
診察が終わって、付添いの看護師さん達が「先生、そもそも部屋の隣には今、入居者は居ません」「男性が居るって言っているあのお婆さん、一晩中念仏を唱えて声が枯れちゃってるんですよ」とか興味深いお話をしてくれます。
精神科の先生の介入を経て嘘のように妄想の症状が消えてしまう人もいれば、なかなか効果のない人も居て次第に認知症状が進んでくる人も。前頭側頭葉型の認知症の人の中に結構幻視などを訴える人が多いのですが、年令によってはそういった症状の一端なのかもしれませんね。
実際のところ、年令を問わず妄想性障害の人は沢山いるらしいのですが、私自身の環境的にはお年寄りがたくさん診察室に来るので、そういった方々での妄想症状を診察することが多いのでしょう。しかし、若い頃から「種々の妄想」に縛られて他人を疑い心から人を信じられないとか、能の機能異常で種々のおかしな妄想が湧き出るような人がいるのだとしたらなんとも気の毒としか言いようがありません。
精神科医ではないので、経験していない妄想性障害の患者さんのお話をすることは出来ませんが、やはり遺伝的な素因だけでなく育てられた環境とかも影響あのでしょうかね?投薬治療が効くのであればそれはそれで良いのでしょうが、認知療法などを導入しないと恐らくす簡単には効果は出ないんでしょうね。
人の心は表も裏も複雑です。
2022JN-1チャンピオンのヘイキ・コバライネンの戦闘車両?確かシュコダだったような? これはJN-2って書いてありますよね? |
別の車両ですが、さり気なくブレーキが高級です。 |
雨が降ってて、ちと残念。 |
やっぱサイド・ブレーキがラリー車ですね~。 |
三面全てが画面となっている宣伝車輌。新城ラリー全面広告です。 |
段違いのイケメンが会場に一人。ボイメンのナントカ言う人でしたが・・・。 やっぱ芸能人はイケメン具合が違いますね。 |
GRのランクルも出てました。 この後、駅前その他を含め1.5時間ほど名古屋の中心街をこの派手な車両たちが練り歩いたのでした。 |
言わずとしれた四選を果たした大村さん。 |
JAXAが超久しぶりに創り出した新型ロケットH3。
今日は仕事の合間を縫ってその発射のシーンを今か今かと待ちわびていました。AM9:45からその打ち上げに関するライブ中継が有ると判っていましたので、仕事の合間を縫ってチラ見していました。
今までも、H2の各シリーズの重要な衛星打ち上げなどではほぼ必ずLIVEで見学していて、チャンスが有れば何時の日にか種子島へと考えている私です。アメリカでも一度だけ打ち上げ見学に行っているのですが、それは大学が試験的に打ち上げたちゃちいロケットで、シューッ、ポン!と言う感じで実にあっと言う間に終了した肩透かしレベルのものでした。
ですから、いつの日か液体燃料でゴゴゴゴゴ~っと上昇していくような怪物レベルのものを見てみたいと今でも思っているのです。やっぱりジェット機とかロケットというのは多くの男の子にとっては永遠に「かっこいい!」と思えるもので、見た人を皆痺れさせるのではないかと堅く信じています。
さて、今日の中継は上に書いたようにチラ見をしていたのですが、最終的にカウントダウンが始まって10,9,8,7,6,5,4,3,2,1となった時にメイン・エンジンから引き続き補助ブースターに点火発進する筈のシークエンスで「キュー-----ン」という、何だかヤカンの笛が鳴ったような音が暫く続いた後、カウント・ダウンの声も発射の轟音も聞こえないままになってしまいました。
その瞬間素人の自分にも解ったのは、残念ながら今日の発射は何らかの異常が検知されて中止となったなと言うことでした。
思わず「う~~~ん」と心のなかで唸った挙げ句、実際に画面を見つめたまま腕組みをしてしまったのですが、同時に思ったのは「発射した挙げ句に観測衛星(だいち)と共に自己爆破をするような事態にならんで良かった~」という事でした。その後は「しゃーない、まあ、問題点を探り当てた後はまた打ち上げを近々やり直してくれるやろ」仕事に戻っていったのでした。結局は何らかの異常を検知するシステムが働いて発射シークエンスが一旦停止した事自体は全くの成功な訳です。
ところがところがでした。夜になって今日の打ち上げに関するニュースを見ていると、ネット上ではJAXAの岡田さんが行った記者会見場に居た共同通信の羽織ゴロがリンクのようなやり取りをしていたとのことが判明。
この手の売文屋は「先ず結論在りき」です。これは多くの売文屋において殆ど常に真実。調査報道などは先ずやらない多くの売文屋のやり口はいつもこんなもんです。
........「失敗とは言い難い」と断言した岡田氏だが、記者は「確認ですが、つまりシステムで対応できる範囲の異常だったけれども、考えていなかった異常が起きて打ち上げが止まった。こういうことですね」と再度確認をする。 これに対して岡田氏は「ある種の異常を検知したら止まるようなシステムの中で、安全、健全に止まっているのが今の状況です」と返答してやり取りは終了するかと思いきや、最後に記者はこう言う。 「わかりました、それは一般に失敗といいます。ありがとうございます」........アメリカに居た頃はコーラは水よりも安いという感覚がありました。
実際、ケースで買ったりせずとも巨大なコーラが激安で売っているためにフッと手にとって普通に飲んでしまうというのが日常でした。私にとってコーラというのは水色のラベルにPEPSIと書かれたペプシ・コーラであって、コカ・コーラではありませんでした。
しかも、ペプシのダイエットは私の舌にはよくマッチしていて、自分にとっては「絶対」というレベルで選択肢はペプシでした。私に付いてくれていたアメリカ人の秘書さんはダイエットペプシのことをDP等と呼んだりもしていましたが、アメリカ人にとってはコーラというのは日本人にとってのお茶レベルの親和性が有るような印象を持っています。
さて、この2つの異なるメジャーなコーラは俗に言うコーラ戦争という熾烈な戦いで互いにしのぎを削ってきています。比較広告大国のアメリカでは互いの製品を表に出してバシバシに叩きあうのをアメリカに居る頃には何度と無く色々なパターンで見せつけられました。
それでも、アメリカではペプシはコカ・コーラと同じレベルでどこでも容易に手に入る、しかも各種のバリエーションを楽しめるコーラでしたので何の問題もありませんでした。しかしながら、ここ日本ではコーラと言えば圧倒的にコカ・コーラ。コンビニに行ってもペプシは不当な差別を受けています。
置いてあってもそこにはサントリーに販売権を買収されたペプシのMEGA生ZEROという1.5Lのペプシくらい。特にコンビニではこれがメジャーなのが残念です。やっぱり日本人にとってはコーラと言えばコカ・コーラ何でしょうか?悲しいです。
最近、ペプシを探しても探してもせいぜい上のメガ生くらいしか手に入れられないのが手に入らないのが侘びしくてついついブログで愚痴ってしまいました。すみません。orz
スマホのトップに登場してくるニュース・キャストに違和感を覚えました。
よくニュースを見てみると広島の小学3年生の平和教材の中に使われていた名作「はだしのゲン」を教材としては使わないようにして新しく改訂された次年度からの新教材では、代わりに原爆で家族を一瞬で失った女性の実体験を教材として採用済みとのこと。
私自身がこれを柔道を習いに行っていた協会のチャペルの脇にあった小部屋でむさぼるように全巻読んでいましたが、その悲惨さは後になっても戦争は悲惨で、最大の被害者は何も出来ない子供や女性だという事が嫌でも、嫌でも、否が応でも解らせてくれました。そして、その読後の記憶として残った「戦争はロクでもないもの」と言う事実を人生の早い段階で理解させてくれた最初の教材でした。
またゲンが生活費を稼ぐために、街角で浪曲をうなる場面も「いまの児童の実態に合わない」ということも課題として出たとのことでしたが、読んだ時点で既に少なくとも30年以上の年月が経っており、戦後の影というものは今思い出してみても私自身が意識できないレベルの状態になっておりましたが、その漫画の中に描かれた世界の悲惨さは頭の中で小学生の自分であっても十分に再構成できるものでしたから、今の小学生の普通の生活の実態に合おうが合うまいが、この委員の想像力の足りないアタマ以上に今の普通の小学生にも想像力は有ると思いますが?
この委員の理屈を言い換えると、今の生活と合わない「過去の歴史」は全て資料として使わないということになるのではないでしょうか。これこそまさに「愚者だけが己の経験から学ぶと信じ、賢者は最初から自分の過ちを避けるために他人の経験から学ぶのを好む」というビスマルクの言葉の真反対の世界になりはしませんかね。実体験を元にした中沢さんの世界が描かれた「はだしのゲン」の悲惨さと面白さを識る機会を奪うのは果たして正しい教育でしょうか。
原爆で家族を一瞬で失った女性の実体験というのも確かに有り得ない戦争の悲劇です。しかし、漫画をきっかけに全巻を読もうとする行為の末に得られる立体的な構成の悲惨な戦争の記憶というものがそれを上回れるのか、大きな疑問です。
この世で確かなことは2つ。共産主義と戦争は糞ということ。そしてそのうちの一つである戦争のクソっぷりを確かに証明する実体験漫画は100年経っても読まれるべき本だと思うのです。それが漫画だという形態だとしても全く問題ないでしょう。
この世の中で集団ヒステリーに潰されたものは沢山あります。
歴史を紐解けば当に枚挙に暇がないのでしょうが、我々が識るものの中には戦争は勿論、魔女裁判を始め宗教がらみのものも恐らく人類を病気以上に明確に殺してきたものでしょう。
しかしながら、この現代においてもヒステリーは日本のあちこちで吹き出しています。その一つが残念ながら今回再確認されました。2013年にHPVワクチンの接種が始まった直後から、科学とは無縁のヒステリー集団の登場によってこのワクチン接種が妨害されてきました。その後に名古屋STUDYという世界に誇る「ワクチン接種とその後遺症に関する因果関係の有無」を明確に「関係なし」と否定的に証明解決した研究が名古屋市自体の発注によって完成したのにその結果を隠し、ワクチン接種の積極勧奨を中止したのです。
このワクチン接種の意図的な隠蔽と遅れに関しては、以前からこのブログでも、日本全体で、そして名古屋市では特に意図的に河村というポピュリストの馬鹿市長を先導役として、行政が旗を振ってこの犯罪を意図的に犯してきた事実を訴え続けています。しかし、その愚かな行犯罪行為が世界と日本の間では周回遅れの現象として未だに、そして拡大してあとを引き続けているのです。
そして、約10年の遅れと、その時の余震が影響した状態で日本全体の接種率の継続的低下「未だに」をもたらし続けています。
つい最近、2020年のデータとしてスウェーデンで16歳までのHPVワクチン接種で子宮頸癌のリスクを88%も低下させていると出ました。(確かスペインも出ていましたね。)また、アメリカでも最新のデータが出始めていて、ワクチン接種を始めた最初の世代が20代に入ってきてたった7年で65%もその発生率を下げたと報告されたのです。がん「死」においては1991年と比較して1991年に比して33%も減少し380万人もの女性の死亡が回避されたというのです。
そして今回オーストラリアでも!結果が出てきています。恐らくはここ数年のうちに世界中で子宮頸癌ワクチンのポジティブかつ劇的な効果が続々と報告されることになるのでしょうが、日本はドンドコ遅れ続けて悲劇がなかなか消えていかない状況が続き、根絶とは程遠いパピローマ・ウイルス汚染継続国と認定されることでしょう。
WHOの目指す目標は以下のようになっています。
さて、日本は何周遅れなんでしょうか。ため息しか出ません。
私の勤める病院ではアルコール中毒や薬物中毒の患者さんが沢山入院しております。
私のいる部門は基本的に内科系統の患者さんなんですが、当然アルコール依存の末に肝硬変を発症したり肝不全を患ったりして腹水を溜めて入院してくるような方もちらほら。基本的にはアルコール教育を受けて貰ったりしなければならないのですが、入院がアルコール依存の治療ではなくてアルコール性肝硬変の人になってくると、病棟が精神科ではないのでその依存を断ち切る病棟に入らず、教育も受けないまま元の家に戻っていく人達が殆どです。
今回もそういうオジサンが一人入院していたのですが、結局入院して腹水と胸水のコントロールをしながら日がな一日を病棟で過ごすような無為に耐えきれなくなって「自己都合」で退院していきました。
私自身はこういうオジサンのこういう行為はもう慣れっこなので、「出て行く宣言」をして出ていってくれる方がなんぼかマシです。中には無断離院で普通に出て行く輩も普通におりますので。もっと酷いのは以前も書いたように病室に持ち込んだ缶酎ハイをこっそり飲んで「強制退院」になったのも数年に一人では済みませんので。
それにしても、こうやって忍耐の限界がやってきてふらりと退院していく人達というのは本当に何をして行くのかいつも気になっているんですが、役所の人達によると、ホームレスに戻る人、直ぐに役所に舞い戻ってきて再度行政の世話になる人など様々だそうです。
そういう事をやらかし続けるような人達だからこそ、今の根無し草のような生活が続いている…というのがほぼ間違いない事実なのですが、人の事情は同じように見えて実際いろいろ有るようで、我々医療者側が説諭するような事はありません。ただ、話は色々と己の知らない世界の話が多いので、それは興味深く拝聴して裏世界のデータベースを興味本位で充実させています。w
それにしても、そういう患者さん達を役所の依頼として受け付けることも有る当院に出入りする各区の担当者の皆さんの中には、そういう勝手な行為というか、役所が手配して色々してあげた事をあっと言う間に叩き棄てるようなことをする患者にブチ切れる人も居て、それはそれで私は内心くすくす笑っていることもあります。
しかしまあ、税金使って色々して貰って最後は恩を仇で返すような事するんだから、やっぱり世間の中での居場所はだんだん狭くなっていきますわナ。
自業自得、というのは言い過ぎですか?
今日は2つのことで腰を抜かしました。
初めに驚いたのはパソコンの画面に登場したAMEXに課金されていたの電気代の表示。なんと65,000円!こ、これは何?と思わず仰天。私一人がこのマンションで住んでいたときには基本料金+1,300円位の時もあったことを思うとまさに「なんじゃコリャ~!」です。
何というか、いつも2箇所のエアコンを絶対に消さないアメリカ人の次女の存在が帰国後にピーンと電気代を上げたのは確実なのですが、この電気代の上昇は間違いなく電気の基本料金と単価の上昇によるものです。正直なところ、ウクライナ侵略の影響が今になって出てきたと感じているのですが、凄いものです。
いま長崎に残りの家族が行っていて、老犬のケアを続ける次女と二人で暮らしているのですが、私一人で寝る部屋は全くエアコンを使いません。私自身は熱さ寒さには比較的衣服の着脱で対応する人ですので、今現在は布団二枚を重ねることで全て完全対応済みです。全く寒くありません。
以前も書いたことですが、嫁さんたちが帰国するまでは暑い夏はパンツ一丁で床の上にバスタオルを敷いて寝たりしていましたので、どちらも対応可能です。w
それにしてもこの電気代、スゲーもんです。
そしてもう一つ、驚いたのは通帳の残金。公共料金やカードからの引き落としがされていたのですが、残金額が290円!チェックした私のほうが思わず「セーフ!」と言ってしまいました。取り敢えず引き落としのミスは発生していませんので、さっさと追加の流し込みを行いましたが、何たる事とガックリしてしまいました。
今どき290円って小学生の貯金通帳でも見ないでしょう。orz
いろいろと物の値段が上がっているのは感じていましたが、単価のドデカイ上昇は電気も来ていたんですね。う~んです。
周囲の人間を見ていて考えました。
三菱に勤めていた友人が子会社に移動してもう次のステップでは退職後の次のビジネスを考えているという様な話をLINEで送ってきました。よく考えると、自分の周りではそろそろ「普通に公務員や会社員」をしている人々は定年後の生活を想像しておかないといけない年になってきている訳です。
ネットを調べてみると公務員の定年というのは概ね60歳なんだそうですが、一般の会社も60歳前後を境にしてプラス数年と言う感じなんですね。しかし、正直なところ今の時代において60数歳で退職を行うというのは幾らなんでも早すぎという感じもします。
ただし、と言うかここで但し書きを入れなければならないのはその人の能力が役職を持ったりするだけのものを保っているのかと言うことや、若手のプロモーションを阻害していないのかという事がしっかり判定された上での仕事の継続がなされるべきだと思うんですよね。当然ですが。
ところが、これが上手く回っていない所の多いこと。いろいろと話を聞いていると、定年を延長してもやはり「老害」にならないように組織内で働くためには、常に他人の目による評価に晒され続ける必要があると思います。そうでなければ恐らくは老化に伴って独善的、ドグマティックな「糞ジジイ」として己では気づかないうちに組織に迷惑をかける事になっているでしょう。
認知機能が落ちていないことも常に検証し続ける必要があると思っています。普通、今の私の年齢ならまだ普通に笑い話ですが、果たしてこれが後10年、15年後も問題なくテストをパスし続けるかという事。更には医学の世界で仕事を続けるために最も大切な「学び」を続けていけるか?ということも重要事項でしょう。
職場云々じゃなくて、患者さんを助けるという意味では落ちた能力や古い知識で診療することは許されませんが、まわりのドクターの中には「完全に」惰性だけで生きている人物が結構居ます。普通に。勿論、その逆のドクターも沢山おりますが基本的には色んな意味で「右肩下がり」ですから、勉強の意欲が無くなった時点でリタイアを考えるべき時が来るんでしょうね。
手の震える外科医、会話の出来ない精神科医、思考出来ない内科医なんていうのはオワコンの代表ですが、その中に何れ己も入るのかと思うと心が暗くなりそうです。その瞬間を少しでも遅らせるために勉強あるのみです。
義父が亡くなったあとの初めての義母の名古屋訪問も今日で一旦終了です。
二週間弱でしたが「他覚的には」名古屋での滞在を十分愉しんでくれた印象があるのですが、如何だったでしょうか。やはり娘や孫達との会話の様子を見ていると「リラックス」と言う言葉はこういう関係の間で成り立つんだなと再度確認した次第です。
今日は私も珍しく仕事を三時過ぎに切り上げさせてもらい、家に向かいました。実はこの頃から名古屋は雨が激しくなってきていました。最初は嫁さん達は私が仕事をしている間にコロナ禍で一旦中止後、最近になって復旧していた高速バスに乗って行く予定だったとか。私自身はそりゃ無理でしょうと思っていたので最初からピックアップ予定でした。
家についた頃には雨は土砂降り。大荷物をギリギリの感じでリヤに積み込み出発。車の中では「雨のなかバスで行っていたら、とんでもない事になっていました」という話で盛り上がっていました。
セントレアへはスムーズに移動できました。構内ではちょっとしたものを食べたり長崎に持って帰るお土産をバコバコ買い込んでいました。興味深いのは支払い能力の有る大人が集まると支払い合戦が発生するということです。
次から次へと「私が、私が」と言い張る手が右から左からいろいろな方法で払おうとします。お婆ちゃんはキャッシュで、嫁さんもカードやキャッシュで、娘も手に入れたばかりの日本円で払おうとします。まあ、娘にとってみれば日本の食べ物やモノはみんな非常んいやすく感じるそうです。円がググっと安くなっているのをドルで給料をもらっている長女は力強く感じている様子でした。w
さて、長男長女と嫁さん、義母は手荷物検査場を通り10分遅れで出発したANA便で発っていきました。飛行機大好き人間の息子にとっては久しぶりの飛行機。表情が緩みっぱなしだったのは私にも判っていました。(^^)
さてさて、長崎では美味いものを大量に食べて楽しんできて欲しいものです。
先日から有るニュースの行方が気になって心の片隅に留め置いてました。
その話題というのは「党首公選要求」を行った或るジャーナリストの要求に対する日本共産党側の反応でした。私自身は絶対にこういう反応になるだろうし、そうなって欲しいとワクワクしながらその結果が出るのを待っていたのですが、やっぱりきちんと仕事をやってくれましたよ~。さすがは世界の「悪党」共産党様々!w
期待通りのリアクションで、このジャーナリストに対する「処分」というのが下されたのですが、その結論は「日本共産党からの除名」というものでした。
私自身は、感涙に咽びながら大笑いしていたのですが、共産党という組織の本質がこの処断一つに明確に顕れていて素晴らしいの一言です。一党独裁、と言う名目は常に世界各国の共産党に受け継がれる根本中の根本たる大義ですが、実のところその正体は出世勝負に勝ち残った人間による個人独裁。(北朝鮮の場合はソビエトが作った傀儡の遺残ですが。)
他の連中は皆「御追従」でトップになっている人間の鶴の一声で全てみんなが右向け右で動く世界。ロシアを見ても北朝鮮を見ても中国を見てもオレなら絶対にあんな国に生まれなくて良かった!と、それだけで嬉しいと言うレベルのお話です。
私自身はロシアも北朝鮮も東ドイツもユーゴスラビアもルーマニアもポーランドも全て共産主義国家であった時代に旅行したことがありますが、現地の人達の日常を見ていつも「悲惨やな~」と思うばかりでした。一度も羨ましいと思うことのない旅行というのも珍しいと思いますが、実際共産主義国家・社会主義国家を見て回って持ちうる感想は「THE END」というだけのもの。
共産主義国家で幸せなのはトップレベルの共産党員達だけで、他は誰も幸せではありません。共産党を信奉する西側に住む「幸せなアホの皆さん」には是非「素顔の共産主義国家」を観光していただければと思うばかりです。
今回の共産党発表でも「規約に反しているので調査する」>「規約と綱領からの逸脱は明らか」>「除名」とホップ・ステップ・ジャンプできっちり着地してくれました。さすが!w
そもそも直接投票で党首を選ばないのは「分派を生みかねない」のだからだそうな。あな恐ろしや。皆が一枚岩である理想の形態しか存在し得ない党なんてお前ん所以外は無いわ。ていうか、そもそも今回のように異論の存在を許さない思想組織とか当にファッショ。お前らがいつも糾弾するナチズムこそはお前らの影そのものよ。
今回の発表後、党首の志位は「妥当な対応だ。政治的な警告もしたが、反省をしないので除名以外無いという判断をした」んだそうな~。この組織終わってます。(前からオワコンですが。)
宮本、不破、志位…首は変われど中身は変わらずです。公安がマークするのは当然と言うか、キッチリ型に嵌めておいてもらわんと困ります。
お前らと来たら…。
そういう言葉しか出てこない、ここ暫く続いている国会での議員達のLGBTQを巡る発言の数々。基本的に昭和のロジックで動いている煮ても焼いても食えない恐竜のような脳みそを持っている連中がLGBTQを語るわけですから、顎が外れるような唖然とするような発言が出てくるであろうことは事前に想定済み。
杉田水脈をはじめ、それこそ男だろうが女だろうが国会の連中が出してくる発言は本当に20世紀的発想でしかなく、視ているこっちも「何言ってんだこの馬鹿達は?」くらいの感じで観察するだけです。
世の中の現実はこの絶滅寸前の恐竜達の小さな脳内で展開する議論の遥か先を行っており、同性同士で事実上の結婚をして長年普通の生活をしている人達なんていくらでもいるのです。
残念なのはこういった人達が医療や生活全般において法的な援助を受けることが未だに出来ないということ。国民の援助をその信条や性別、云々などで差別しないと多々の美辞麗句で法文上には書いておきながら、その性的指向が異なるだけで一切支援の手を伸ばさないと言うのは明らかな矛盾。制度の変更は他の自由主義国家ではとっくの昔に終了していることです。
無論、未だにどの国にもLGBTQを蛇蝎のごとく嫌う人間達はおりますが、それを表明すること自体が社会的には死を意味するような状況が当然になっている事が多いわけで、それこそ日本の官房中枢で首相を支えていたとか言うおっさんの発言や国会議員の連中の一連の頓珍漢な問答も先進国標準からしたらひたすら「お前ら何時の時代の人間やねん?w」というお話。
いま国会にいる爺さん婆さん達が全て鬼籍に入る頃(そう遠くはないはずですが)にはこの日本ももっとLGBTQが日常の話題にもならないような「フツー」の人として扱われる日が来ていることを心から祈るばかりです。
今日、バイト先のドクター達と短時間ではありましたが話が盛り上がりました。
それは診察時間のこと。私が知る限り、この患者さんの診察にかける時間の長さというのは診療科によっても「全く」異なりますし、同じ診療科の中でも専門性が大きく分岐しているために更に診察時間と言うのは全く異なってくるものなのです。
もう一つ追加して言うと、診察する先生の診察に対するポリシー・診察形態によっても全くこの診察の長さというのは異なって来るのは当然です。更には初診か再診か、その日の患者さんの調子の差などでも変わる訳ですが、例えば平均して何人くらいの患者さんを診るのかという事で話をしました。
それぞれに診療科や勤務医であったり開業医であったりするかによっても全く変わってくるわけで本当に簡単にカウントできるものではありません。誰かの人生を決めるような重大な瞬間を迎えるような診察に来られているような患者さんや家族に対して5分や10分では話が終わるわけもありませんし、高血圧であるものの、投薬によって十分にコントロールの効いている50歳のおじさんに15分をかけていたらやはり外来はまわりません。
また、高齢者の多くは診察の椅子に着くだけでもゆっくりと時間をかけないといけないことも極普通です。更には耳が聞こえづらく意思の疎通が難しい人もまたまた普通です。そもそも、簡単な話をしても認知能力の問題で理解が出来ない患者さんも「たくさん」おられるわけで、本当にバリエーションが幾らでも有ることを解っていただけると思います。
それでも、保険診療の価格は皆一緒。保険では診察のクオリティは判定されないのが残念な所で、儲かるためだけにガンガン回し続ける病院もあれば、そういう診療科だからこそガンガン回せるところもあって、その品質は回す患者の数でもわからないところが更に難しい所です。
私の場合はオノレの能力の関係もあり、午前中の3時間だけで十分に患者さんと対話しながら診察出来るのは20人+アルファが限界。これを超えたら私には無理が出てくると思っています。
毎日毎日いろんな人からいろんな事を学びながら自分の勉強の結果を患者さんにfeedbackし続けるしか自分には出来無いと思っています。
日本が好きなんですね。
また長女が日本に帰ってきました、日本に居ようとアメリカに居ようとリモートで働くノマドワーカーの様な娘にとっては働く地理的な場所は関係なさそうです。結局ネットというものにつながっている限りはそこが喫茶店だろうと誰かの家のソファの上だろうとそこがオフィス。
何だか私のような世代の人間から見ると、シンプルに「時代が変わっちまったな」という感慨しかありません。別に羨ましくもなんとも無いのですが、横でカチャカチャとキーボードを叩きながら、他の大陸のワーカーと会議をしたり、文書を仕上げていく姿を眺めていると単純に「不可思議」です。w
娘を迎えに行ったのは午後7:50にDC-Dallas-成田と乗り継いで飛んできた名古屋到着のJAL便。「疲れ切っているはず」の娘をセントレアの国内線到着出口で息子と義母とで待っていました。
黒いマスク着用して出てきた長女はどでかいボストンとスーツケースを転がしながら出てきました。義母はサプライズとして別の場所で椅子に座って小さくなって座っていたのですが、余りに目立たなさすぎる上に、そもそも来ていると娘に思われていなかったので気づかれませんでした。改めて後ろから近づいてきてトントン、トントンと背中を突くのに息子がしていると勘違いしたようで反応しなかったのですが、最後に振り返って驚いて大笑い。久しぶりの再開でした。
家に到着すると鞄の中からは大量の重たい食材群とお土産の山が出てきましたが、疲れた娘はご飯を食べて、一旦風呂に入った後暫くして一眠り。朝の五時過ぎには起き出して、再び仕事をしていたようです。
おばあちゃんと楽しい日本滞在を過ごして欲しいものです。もう少ししたら一緒に長崎に義母と移動するようです。それにしても、良くこんなに頻回にあちこちの国を移動する金があるなと驚くばかりです。
いろいろと謎です。w
三菱の栄光は戻ってきませんでした。
名古屋に住んでいる私は良く息子と愛知航空ミュージアムに行きます。しかし、そこで展示物を見たり展示場の女性の案内を見聞きしていても、MRJの次の展望が全く見えてこない時点で「雰囲気相当やばいな」とは思っていました。
しかし、それを口にする事は所謂「ジンクス」となって私的にはMRJの未来を不吉な予測で縛るような事になるような発言は避けたいと思って何も言わず、何もネガティブな未来は見ないようにして明るい未来のみを願っていました。
しかし、ニュースを見る限りでは三菱は採算が取れないということで、この計画から最終的に撤退するとのこと。「型式証明に泣いた」などという表現がニュースでは書き込まれているのですが、それが本当だとしても三菱のモノづくりの総合的能力というものを強く疑ってしまいます。
何と言っても、こういう巨大なプロダクトは単純な部品の集合体と言うだけではなく、それをどう組み合わせて最終的に商品にするのか、法との整合性をどうするのかそして最終的にモノが抜群だとしても、運用相手国でそれが運用可能であること、更には採算が合う製品であって燃費競争と価格競争に勝てるものであること等など有り得ない程の長く複雑な障害を乗り越え続けなければならないということ。
その覚悟が本当に三菱に有ったのでしょうか?
まさに石に齧りついてでも!と言う感じで中の人達は頑張ったのでしょうけれども、法務その他の部門は十分に機能してこのプロジェクトを助けきったのでしょうか?多くのノウハウを三菱は積み上げてきたのでしょうが、それを最終的に「商品」として売ることも出来ないままに今回の長期、超大規模プロジェクトを終了させるしかない無念を思うとかける言葉もありません。
栄光のゼロを産み出した先輩達から戦後、一旦切れてしまった系譜は容易なことでは取り戻すことが出来ないことが再び証明されてしまったわけです。YS-11は商品にはなりましたが続かず、MRJは商品にさえなりませんでした。
技術は有っても売れるものが出来ない今の日本。政府支援の計画って採算を考える所に大きな甘さが有るとしか思えないのですが…。
ホンダは世界中で売れる高価なジェット機をバンバン売っているのがその良い例だと思います。親方日の丸に口を出させず独立自尊。勝負師としては勝てなかった三菱とは正反対の技術者魂です。
R.I.P. MRJ.
ほぼ一週間が経ちましたが、毎日本当に名古屋でリラックスして生活してくれているようで、実の娘や孫達との再会を存分に愉しんでいるようです。あちらへ行ったりこちらへ行ったりというのは主に買い物が多いようですが、週末以外は私が義母を物理的に運んであげることが出来ませんので、この日が来るのを待っておりました。
実は義母は滋賀の近江八幡出身なのですが、長崎に住んでいると名古屋に住む我々のように滋賀が目と鼻の先に有る訳でもなく、なかなか実家である滋賀を訪れることも出来ませんでした。しかも今まで一緒に住んでいた義父の場合は義母へ濡れ落ち葉状態と言う状況で、おんぶにだっこであった(むしろ共依存か…)為、義父亡き今は何時でも我々のところへと何時でも来れるわけです!
さて、今朝は8時半には家を出て義母と嫁さんと息子を連れて近江八幡へ向かいました。(次女はいつものように家で老犬の世話)
ドライブはスムーズで、一度だけ多賀のSAのひとつ先のPAで休憩しただけで、後はすぐに近江八幡の義母の実家に到着。残雪がそこかしこに残っている状況でしたが、路面は完全に乾いており我々の移動には何の支障もありませんでした。
実は義母の姉が今も住む近江八幡の実家では昔から蕎麦屋を営んでおり、今回の訪問は義母の姉さんに再開するための手順でした。というのも、最近は姉さんの方の認知機能の低下が進んでいる為、連絡をとってもなかなか理解できない上に現在の日常に関しては滋賀の祖母が亡くなって以来ほぼ会わないまま数年が経過してしまっているため、どういう状態、状況なのか理解できていなかったのでした。
実家に到着して引き戸をゆっくりと開けた所、いきなりそのターゲットたる叔母さんが立っていたのには大変驚かされましたが、義母と叔母は大喜びの再会となりました。部屋へ上がって叔父とも話をしましたが、やはり下(シモ)のコントロールが難しいようでした。
とは言え、我々と叔母との会話は大変楽しいもので、ずっとゲラゲラ笑いながら色々な話に花が咲きました。また、その間は叔父さんが打ってくれた蕎麦を啜りながら胃袋も大満足でした。最後に沢山の写真と動画を撮って、大満足の気持ちを持ちながらその場を去ることが出来ました。
この後は近江八幡神社の中にある「クラブハリエ・日牟禮館」と「たねや」へ行って名物のバウムクーヘンや丁稚羊羹その他を大量にお土産用に買って近江八幡を後にしました。
近江八幡。安土桃山からの古い日本の情緒がどこにでも残っている素晴らしいエリアだと何時行っても思えるのでした。
結局、息子は作業所で一日の仕事を終えた後、そのままお泊りのためにショート・ステイの施設の担当の方にピックアップされました。
朝から家を出て結局のところ翌日の夕方まで帰って来ないという人生最長の親フリー時間を過ごしてくれれば、そのまま明日仕事場に行って最終的にはいつものように我が家に戻ってくることになりますが…。
まず、送り出したその日の夕方にいきなり電話がかかってこない事を祈るような気持ちで夕食時を過ごしていたのですが、やはりいきなり電話がかかってきました!「なんかやらかした?事故じゃないよね?」と思っていたのですが、特に何て言うことはない施設の方の質問の電話でした。
夜中も電話がかかってくること無く無事に翌日帰ってまいりました。親にしてみれば無事帰投!というレベルのイベントでして「何も起こらない」という事の素晴らしさを改めて感謝しました。しかし、それが本当に「何もなかったのか?」という事を直接確かめるべく、施設に預けていた大荷物を私自身が仕事帰りに取りに行った時に施設の方にお話を伺うことにしました。
玄関口でボストンバッグを受け取った時に、施設で息子を一晩見守って下さった女性御自身と、施設の運営者である男性が出てきてくださったのですが、全般的に楽しそうにゆったり過ごしていたようなんですが、夕食に2時間もかけて食べていたとのこと。(イタリア人か!)その後、トイレに行っては「大」の方に夜と朝それぞれ20-50分程度かけていたとのことでした。
夜寝るときも一旦10時に消灯して寝付いた後に暫くして起きてきて、気になるところを自分なりに片付けてまた寝たとの事。更に作業所で行っている仕事の延長上の「クセ」が炸裂してしまったようで、いつも行っている卵パックなどからの「シール剥ぎ」が施設の中でも実行されて、色々と貼り付けてあった注意書きが剥ぎ取られたようです。orz
私の方は施設の方に終始平謝りでしたが、その方は大笑いでいろいろと他の話もしてくださって最後には「もし気に入って下さったのであれば、また機会があれば是非ご利用ください」と仰ってくださいました。
私は家に戻って家で夕食を取っている息子の顔を改めて見たのですが、心底「やくやった!」と頭を抱え込んでハグしてあげました。息子は何のことか解らず親父からハグされて戸惑っていましたが、私は本当に本当に嬉しかったのです。
また、次の機会を探してお泊りの訓練をしていくようにしたいと思いました。まずはメデタシの第一回でした。
今日はある方からチョコレートを頂きました。
バレンタインとは関係の無い単なるチョコレートだったのですが、ちょっと普通でない容れ物に入っていたのが印象的でした。先ず外の紙製の手提げバッグのところが薄い金色のような感じの紙だったのですが、そこにはBVLGARIという名前が。
私のような人間はブルガリなんていうブランドの品物は一つも購入したことなかったのですが、それでもあの貴乃花親方が若かりし頃に宮沢りえにブルガリの指輪かなにかを贈ったことで「そんなブランドの物がこの世にはあるんだ」と知った次第です。
まあ、何はともあれその中にどんなチョコが入っているんだろうと思って見ると下のようなチョコレートが入っていました。そもそもブルガリがチョコを作っていることなんて当然のように知りませんでしたが…。
モチロン値段が気になってネットで調べてみて愕然。(゚∀゚) なんとこの薄い10枚のチョコレートの値段は¥14,000。見た瞬間一桁間違っているのかと思ったのは間違いなく私が貧乏人として育ったからなのでしょう。写真のものは54個入りですが、私の家にはこれの40個入りがありました。 |
ともあれ、頂いた方には足を向けて眠れ無いことには間違いありませんが、今回この方から有難く頂いたブルガリのチョコの入っていた紙バッグ。そもそもブランドに縁のない私においてはもう一生出会うことはないでしょうから、家宝として紙袋コレクションの中に加えさせて頂く事となりました。^^
明日から息子が独り立ちの第一歩を記します。
先日記述したようにショート・ステイを利用しての集団生活が始まります。夜になる前から嫁さんが忙しそうに息子の服を詰め込んだり、使うかも知れない種々の道具、更には万一粗相をしたりした時などの下着の着替えなどを余計に詰め込んでいたのだと思われます。
受け入れて下さる側の施設も我々の息子の情報を「言葉での説明」としては我々自身から聞いているものの、実際に一人で親から離れて夜の食事や風呂を経験したときにどう振る舞うのかが全く不明でしょうから、不安があるのではないかと思われます。そういった不安は親である我々も全く同じで、ショート・ステイ先の施設で「とんでもない事をしてくれるなよ!そして、安全に帰ってきてくれ。周りのみんなと仲良くやってくれ!」と心の底から祈っているのです。
言葉での説明や指示が理解できない我々の息子をどう導いていけば良いのかは、今現在通っている作業所の方々はよく解ってくださっており、ある面では我々の知らない息子の姿を知っていることもあるのではないかと考えています。
これからはショート・ステイ先の方々も我々の前では見せない息子の顔を見て下さることになる訳ですが、果たして上手く受け入れて下さるのかどうか。既に一日前から内心ドキドキです。先ずは事故が無いように、そして他の方達と仲良くやってくれるように!その2つが達成されれば我々親としてはもう万々歳です。
我々が老いて、そのうちどちらの親もいつの日にかはこの世から居なくなります。上と下の娘達に関しては正直な所もう大きな心配事はありませんし、既に今の時点で親が想像していた以上の人生を送ってくれています。
しかし息子はそうは行きません。今からゆっくりと我々親元から離陸した安定的な人生を送れるようにセットアップしてあげることが我々がしてあげられる大切な仕事だと考えています。
さてさて、結果が出るのは明後日ですが果たして施設の方の報告はどんなものとなるのでしょう。夜はちゃんと1人で就寝時間に寝るのでしょうか?