三菱の栄光は戻ってきませんでした。
名古屋に住んでいる私は良く息子と愛知航空ミュージアムに行きます。しかし、そこで展示物を見たり展示場の女性の案内を見聞きしていても、MRJの次の展望が全く見えてこない時点で「雰囲気相当やばいな」とは思っていました。
しかし、それを口にする事は所謂「ジンクス」となって私的にはMRJの未来を不吉な予測で縛るような事になるような発言は避けたいと思って何も言わず、何もネガティブな未来は見ないようにして明るい未来のみを願っていました。
しかし、ニュースを見る限りでは三菱は採算が取れないということで、この計画から最終的に撤退するとのこと。「型式証明に泣いた」などという表現がニュースでは書き込まれているのですが、それが本当だとしても三菱のモノづくりの総合的能力というものを強く疑ってしまいます。
何と言っても、こういう巨大なプロダクトは単純な部品の集合体と言うだけではなく、それをどう組み合わせて最終的に商品にするのか、法との整合性をどうするのかそして最終的にモノが抜群だとしても、運用相手国でそれが運用可能であること、更には採算が合う製品であって燃費競争と価格競争に勝てるものであること等など有り得ない程の長く複雑な障害を乗り越え続けなければならないということ。
その覚悟が本当に三菱に有ったのでしょうか?
まさに石に齧りついてでも!と言う感じで中の人達は頑張ったのでしょうけれども、法務その他の部門は十分に機能してこのプロジェクトを助けきったのでしょうか?多くのノウハウを三菱は積み上げてきたのでしょうが、それを最終的に「商品」として売ることも出来ないままに今回の長期、超大規模プロジェクトを終了させるしかない無念を思うとかける言葉もありません。
栄光のゼロを産み出した先輩達から戦後、一旦切れてしまった系譜は容易なことでは取り戻すことが出来ないことが再び証明されてしまったわけです。YS-11は商品にはなりましたが続かず、MRJは商品にさえなりませんでした。
技術は有っても売れるものが出来ない今の日本。政府支援の計画って採算を考える所に大きな甘さが有るとしか思えないのですが…。
ホンダは世界中で売れる高価なジェット機をバンバン売っているのがその良い例だと思います。親方日の丸に口を出させず独立自尊。勝負師としては勝てなかった三菱とは正反対の技術者魂です。
R.I.P. MRJ.
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