今を生きる日本人にとって3・11という数字が現代のアメリカ人にとっての9・11のように意味のある数字となってしまいました。しかもアメリカ同様にネガティブな記憶の一日として。私達の家族はあの時アメリカにいましたが、あの時アメリカのニュースで一日中流れ続けていた震災と津波の映像をみて涙ぐんだ事を昨日のように思い出します。
同じことは1・17の阪神大震災の映像を見ていた当直の時の鮮明なイメージとも重なります。既にここにも以前書きましたのでそれを再びは書きませんが、有り得ない程の巨大な災害は人の心に深いネガティブな記憶を刻み込みます。そしてその災害の発生した現場に居て実際に被災した人々の心の傷の深さは、やはりそれを見ていただけの人々の心の傷とは比べることの出来ないほどのもの。
あそこに居られた多くの方々が親、配偶者、兄弟姉妹、子供、友人、隣人、知人を亡くされ、その喪失が繋がっている1人ではなく幾人も同時に重なる等ということも多発しましたがまさに日常の世界ではまずあり得ません。中には家族の中の親子何人も同時に亡くされた方々も。
そんな事は非日常、しかも大規模な戦争くらいしか発生し得ない事。そして非現実的であってさえ戦争はあってはならないこと。それが突然の地震と津波で瞬間的に強引に引き裂かれる等ということは亡くなられた方は勿論、残された方にも有り得ない悲しみを残したことでしょう。正直アメリカに居ただけの私には到底想像もできません。
最後の一言を残せずに別れ別れになることを「無念」と言わずして何と表現するのでしょう。
3月11日が防災のマインドを喚起しあの日のことを思い出すイベントや追悼記念番組が放送されるだけの日ではなく、まだたったの10年しか経っていないだけでなく、未だにあの大地震の余震と言われる大地震が続いている今の日本。
こうやって今ブログを書いている私自身も南海トラフ大地震がこのエリアを襲ったら本当に「一瞬で」他人事ではなくなります。天災は忘れた頃にやってくるではなく、忘れなくても確実にやってくるもの。
水、食料、避難場所、簡易トイレ、そして非常用電源くらいは確実に保持しておきたいものです。亡くなられた方々の死を無駄にしないことはせめてもの供養ではないでしょうか。私自身ももう少し備えを充実させたいものです。
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