昔はグルジア、今はジョージアという国。皆さんはあまり馴染みがないと思います。
私自身もグルジアといった頃のソ連に侵攻された後のソ連の一部のエリアとしての国の状態としてしか学校で習っていませんし、習ったと言っても本当にごく表面的なもので、単語としてグルジア料理とかスターリンの生まれ故郷などと言った実に何も有機的に繋ぎ合うことの出来ないものばかり。
場所としては黒海に接して東に拡がり北をチェチェンや北オセチア、北東はダゲスタンなどと接し、南をアルメニアとトルコに、南東の端はカスピ海からの連絡を絶たれる感じでアゼルバイジャンに接しています。日本のように海を隔てて隣国に接している国からは全く想像もつかない(日本とは異なった)陸の地政学に代々悩まされている国であろうことが容易に想像されます。
私の人生において唯一確かにジョージア人の知り合いと言える人物はたった一人で、バージニアの大学で学生を教えていた頃に隣のラボに居た大学院生でした。彼の鼻は物凄く高い鷲鼻で、昔ソビエトに居たシェワルナゼ外相のような感じでした。(確かシェワルナゼというのは鷲の鼻だか鷲の眼とか言う意味があったような事を聞いたことがありますが真の意味は忘れました。)
あとは本当にジョージアと私の繋がりは無し。
しかし、頭の中ではずっとずっと考えていた事がありました。それはジョージア・ワインの話に関する歴史上のいろいろな話。クビベリという地面の中に埋めた瓶の中で熟成させる方法で、クレオパトラも飲んだと言われるワインを作った世界で最古のワイン発祥の地と言われています。スターリンに呼ばれてジョージア・ワインを飲んだチャーチルはジョージアのワインをすべて持ち帰りたいと言ったとか言わなかったとか。
その中でも私が飲みたいのはキンズマラウリ。それをいろいろと調べているうちにTwitter上でジョージア大使館とワインのつながりを発見。Twitterをフォローしているとタマダ大使というのを募集しているのをみて即応募。幸いにして応募は認められタマダ大使に選ばれました。番号は100番台でした。(調べてみると、タマダというのはジョージアにおける宴会の仕切り役みたいな人のことを言うんだそうです。)
この応募の結果ジョージアという国を知るための100のショート・ストーリーの載った小冊子をいただきました。もちろん、ティムラズ・レジャバ臨時代理大使のサイン付きのcertificationも。
この方、実は日本滞在20年以上だったかな。ほぼ広島県人。日本語が堪能などというレベルではありません。w
今月中にはジョージア・ワインを飲んで世界最古のワインというものがどんなものか体験すると同時に、その国の料理を体験するために「コロナ禍が落ち着いたら」行ってみたいと思います。知らない国を知るというのは素敵な体験です。
2 件のコメント:
こんにちは。初めまして。いつも楽しくブログ拝見しております。
ジョージアですがお相撲さんの栃ノ心と黒海がジョージアの方で、栃ノ心さんはご実家がワイン農家だと思います。
アメリカ在住なので、最近の情報は詳しくは存じ上げないのですが、夫(米人)がNHK Worldでシーズンには毎日お相撲を観ているので。
馴染みのない国の伝説のようなワイン。いつか飲めたら良いですね。
ああ!
そう言えば栃ノ心はジョージアでした!
黒海の方は最近余り相撲を見ないのでわかっていませんが、黒海も名前からすると間違いなくジョージアですよね!
よく考えれば相撲という世界の著しい国際化の中にはジョージアはもうすっかり溶け込んでいたんですね。
思い出させて頂いてありがとうございました。
うーん、相撲はわたしにとって伏兵でした!w
コメントを投稿