2020年8月15日土曜日

静かに過ぎた終戦記念日

土曜日の一日は静かに過ぎました。

終戦記念日といっても、今日本で普通に活動している高齢者で終戦の時点で生まれていても既に75歳。戦争体験という意味では記憶の中に明確に存在し始めるという年齢は平均して通常5歳位でしょうから、戦争の記憶を少しでも持っている世代は更に年が上がり今年80歳前後の人達からということになります。

実際、私の両親は今年で82ですが、親父の方は特に記憶が鮮明で、(以前もちょこっと書きましたが)グラマンに機銃掃射されてその時に田んぼの畦の溝の中に飛び込んで難を逃れたという話。多分P51マスタングかF6Fヘルキャットのどちらかだと思うんですが、赤いスカーフを付けた操縦兵が笑いながら機銃掃射していたと言いますからそれほど強烈な原体験だったわけです。

当時6-7歳位だったはずですが、親父の話は基本的に戦闘のことではなくて食い物の話ばかり。食べ物がなくてサツマイモばかり食わされていたせいで、今でもサツマイモだけは食う気が起こらん、と食いしん坊のはずの親父が話します。

じゃあ母親はと言うとやっぱりこれまた食い物関連の記憶しか無くて、ヤミ米を運んでいたら警官に止められて折角「必死」で買ってきた家族の命を繋ぐヤミ米を警官に没収されたのが今でも腹が立って腹が立って思い出す度にあの時のことが嫌になるくらい鮮明に蘇るという話を聞いたことがあります。おまけに当時は家が貧乏で、家で飼っていた鶏の産む卵が唯一の収入源だったという話。当時の兄弟の数の多さと、その「卵云々」の状況を重ね合わせると想像に難くないレベルの極度の貧しさだったとは思いますが・・・。

そんな両親も20代の後半で結婚し、私と弟を生み育ててくれたわけですが、よく考えずとも当時は終戦から未だたったの20年しか経っていなかった頃です。当時の戦争で悲惨な経験を我が身の体験として体や心に古傷として持っていた40代前後の人間が普通に社会の中心として活躍していた時代。

誰も「あの悲惨さ」を再度経験したいなどとは思わないのは当たり前。ところがいま、為政者のトップでさえも戦争というものが全く実体験とは程遠いレベルの話になってきています。戦争に対する最大の歯止めは悲惨な実体験。為政者と国民に悲惨さに対するイマジネーションが効かなくなったとき、「戦争」は殺しても殺しても生き返り、何度でも頭をもたげ直す蛇の如きものとして勇猛果敢を売りとするポピュリストによってゴーサインが出されます。

それは我が国も近隣のアジア諸国も全く同じ話。領土拡大を続ける隣の習なんとかという、最近富に人相の悪くなった赤い豚に以前の日本の軍部の失政を重ねてしまうのは俺だけじゃないと思うんですけどね。

戦争なんぞ真っ平御免と思いを新たにする75年目の8月15日でした。


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