2020年8月12日水曜日

食べられない超高齢のお年寄りに対する医療者側の処置

超高齢者が食事を摂らなくなるというのはごく自然の現象です。

正直に一言で言ってしまうと「寿命」と表現すべきでしょう。 まさに寿命。90代になった人はやはりお元気な方でも一年一年の時の経過が「みるみる」爺ちゃん婆ちゃんの顔や体に激しい彫刻を加えていきます。

そんな時家族が居るか居ないかは患者さんに何をするかという事に関して大きく方向を変えることがあります。私の場合、多くのなくなるというのはごく自然の現象です。

正直に一言で言ってしまうと「寿命」と表現すべきでしょう。 まさに寿命。90代になった人はやはりお元気な方でも一年一年の時の経過が「みるみる」爺ちゃん婆ちゃんの顔や体に激しい彫刻を加えていきます。

そんな時家族が居るか居ないかは患者さんに何をするかという事に関して大きく方向を変えることがあります。家族の中の「責任者たる方」を可能な限り1人に絞りながらも、多くの家族さんの意見を伺いながら、そして意思表示のはっきり出来る方なら第一に患者さん御自身の意見を尊重しながら人生の最後の栄養補給法を組立てていきます。

実際のところ、誤嚥を起こしてそのまま肺炎を繰り返す方や全く食欲を無くしてしまって固形性はもちろん、流動食も水分も殆ど摂らなく(摂れなく)なってこのまま何もしなければ数日で亡くなる・・・という方が病院に運ばれてくることはよくあります。

ではこの方々対して我々がしてあげられることはというと、直ぐに出来るのは末梢からの輸液、経鼻チューブからの栄養補給、胃婁作成、CVからの高カロリー輸液などなど。一旦安定させて状態を改善させて食欲増進を図る投薬や漢方による消化管の運動亢進による嚥下の補助、そしてSTさんなどの介入を通して次第次第に物を食べることに対するリハビリを通じて最終的に量を戻しながら全量摂取を目指す・・・等という流れがあるのですが、うまくいくこともあれば上手くいかないこともあります。

それもこれもその人の生命力と運と私は考えています。そもそも己や自分の両親だったらどうしたい?どうしてあげたい?ということ以上のことを私自身が他人にしてあげることはなかなか出来ません。

家族の中には患者さんの年金が必要で「なんとしてでも」生かせ続けて欲しいと露骨に懇願する方もいれば、葬式を出してあげるお金が無いのであと三ヶ月は生かせ続けて欲しい、その間に葬式代を積み立てるから・・・等という方も。

アメリカなどのケアハウス等では人間が食べられなくなった時、それが超高齢者であれば、ご飯は準備するけれど食べなければそれはそれで良いとして、静かにお見送りをしてあげるということが比較的社会のコンセンサスを得た処置だと聞いたことがありますし、高カロリー輸液や胃婁作成はそもそも「虐待」であるという意見もあるようです。

しかし、私は正直思います。「90代で何を必死に長生きさせないといけないの?」と。病院の部屋によっては身動きの取れないようになった体の拘縮気味の90代のお爺さん、お婆さんが植物に栄養と水を差すようにして生きているのをみていると、それが正解とは「とても」思いません。「とても」です。

しかし家族は長生きを望みその「生に関する質」に関してはほぼ何も考えていにという人が本当に多い。本当に矛盾なのですが、そういった治療を家族の要望に沿って行いつつも「俺には絶対するな」とボケる前に必ず書いておきたいと思う私は愚かな矛盾の塊です。orz


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