2020年8月30日日曜日

ポジションが人を作るのか、それとも・・・

もうすぐ自分の仕事上のポジションが一つ上がります。

上司の先生が非常勤になって外の施設に移動していかれるという単純なスライドの為なのですが、別に私が意欲を持ってそのポジションをせねばならないという状況ではなく、成り行き上自分がせざるを得ないだろうというものです。

そういう意味では、ポジションというのを狙っていわゆる「上の職位」に上る人というのを何時も不思議な感じで眺めるのです。例えば私にとっては大学におけるプロフェッサーシップというのは、良い研究をして何度も繰り返し研究予算を獲得していけば自然と職位就任のリクエストは周囲からやって来るものという考えの人です。

そういう意味では、私が一番驚いたのはNIHにやってきた時に聞いたある先生が個人的なお話として、当時「X歳までに助手になって、Y歳までに助教授になって、Z歳までに教授になる!」という計画を開陳された時でした。その時は内心本当に驚いて、「世の中にはこんなに計画的に自分の人生を生きる人物がおるんだ!!」と、(その内容の善し悪しは別としてw)その人の人生計画の歯車の進め方に驚いたものです。

それに比べて己の人生における計画性の無さ、成り行き任せで人生を愉しんでいる己の有り様を対比させた時「俺って駄目だな-」と我ながら己の能天気ぶりに呆れ慄(おのの)いたものです。w 

しかし、その後の流れを考えてみてもやはり自分にはポジションを狙って仕事をしていく意味が何も見いだせず、結果として研究職でそういうポジションは得ましたが、やはり今の医療職に戻ってからの自分も、正直なところ「問われたから」今の職位に就いて、「問われたから」今の責任を果たしているというのが本当のところです。

誰の言葉だったか忘れましたが、「能力には金銭で報いよ、人徳には位冠を与えよ」とか言う感じの言葉があったような気がしてネットで改めて調べてみると「功には禄を、徳には地位を」或いは「功には禄を、能には職を」と言うのがおおそうで、最初の言葉は西郷どん、次のは家康とか。功も徳も能も無い私には正直何もなくて「低」責任状態で病院の中を己の仕事だけして歩き回るというのが一番あっている気もするのですが、これも歳をとってきたということの間接表現の一つ何でしょう。

とは言え、よっぽどの事がない限り人というのは与えられた職務や義務を淡々とこなせるだけの準備と能力さえあれば時間の経過とともに「それなり」の人になっていくものですが、やはりそうなるためには最低限の素地と準備というものが無ければ無理だと思います。結局そうやって位階を与えられることで、その人は試されるという訳でして面白いゲームだという気もします。CEO、CFO、President、Professor、Manager、General、Captain・・・仕事と呼び名は無数にあれど、結局その職をこなせない人間は厚顔無恥でもない限りそのポジションを去るのが妥当。そういう意味では何歳になっても挑戦は続きます。

さて、最初の方の話しに戻りますが果たして、今頃あの「Z歳までに教授になる!」と宣言されていた先生は上手くその計画を実行成就されたのでしょうか?取り敢えずは面倒なので調べる気も有りませんし、これまた興味もありませんが、一体全体人生計画の中で予期せぬインシデントやイベントが万一発生した時には彼はどう考えのベクトルを変えていったのか、寧ろそちらのほうが知りたいな~という気が強くします。

挫折すること無く順調に成功されておられれば何よりです。(^^)


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