今日、あるお婆さんが亡くなられました。90代半ばの方とだけ記しておきます。
もともとは、バイト先の訪問診療で偶々わたしに割り当てられたお婆さんでしたが、多分一生忘れる事の出来ない出会いとなりました。一年ちょっと前の初夏の頃に脱水や加齢で大変体が弱った状態で御家族が訪問診療を依頼され、もしかしたら早くに亡くなってしまうかもわからないけれども、最後の瞬間まで診療と投薬、そして見守りを一緒に手伝っていただきたいとの依頼でした。
最初に訪れた時点でかなり弱って居られて、昨年の秋の時点で一番仲の良かったお孫さんの結婚式になんとかお婆さんが生きていてくれていたら・・・等と心優しい御家族、特にお嫁さんに毎日見守られながら日々をベッドの上で過ごされておりました。
大変芯の強い方で、可能な限りその弱った足を使ってでもリビングの方へと出てこられて御飯を食べようとしたり、おトイレにも可能であれば自分で行きたがるような方でした。このお婆さんの口癖は「ありがとう」というもので、私が何時行っても、どんな事をしてもこの言葉を私や手伝いに行ってくれた看護師さんに雨あられと投げかけてくださり、その行為への感謝を口にされる方でした。常に我々のほうが恐縮してしまうことしきり。
御家族にお話を伺うと、もともとは小さな頃に家を出され継母のもとで育てられた方だったとのことですが、その継母が大変立派にこのお婆さんを育てられたとのことで、その後しっかりとした家庭を築かれ、お婆さん自身をしっかりと守り包むような立派な息子さんご夫婦と、優しいお孫さん達に囲まれて人生最後の日々を送って居られました。
そんな中、時々レスパイトで御家族から離れて病院に入る時などは、看護記録を調べてみると「家に帰りたい、家に帰りたい・・・」と毎日嘆くような様子でしたので、この夏に入って愈々体力が落ち、摂食が出来なくなってきた時点で、家族としてどうお婆さんの最後と向き合うかということに関して一時間ほど居宅訪問でお話をして、このコロナの時期に於いてお婆さんの最後の瞬間に向き合うチャンスを大きく減らして病院に入院してもらうのか、家でその息を引き取る瞬間に皆で向き合う可能性を増やすのかということをいろいろなシミュレーションを「仮にこうであったら・・・」という例え話を幾つか考えてみた上でお話をしたところ、家族としては少し大変かもしれないけれど家で看取ってあげたいということになりました。
息子さんもその奥様も、最も愛されているお孫さんも同意見。結局、お婆さんは家族の愛情一杯の手厚いケアと訪問看護、そして訪問診療のバックアップを受け見事な最後を迎えられました。
その場に居合わせあお孫さんに伺うと最後のほんの数分間だけ「苦しい」と言ってベッドの作を掴まれたらしいのですが、その直後に眠るように亡くなられたとのこと。我々が死亡確認に伺わせていただいた時には未だ体は温かいままでした。
実は、私の行っているこの病院でも訪問看護師の皆さんが全員このお婆さんのことを気にかけていました。それはこのお婆さんが最も気に入って居られた、この「昨年結婚された」お孫さんが、本当はこのお婆さんが亡くなられることになってしまった「今日」という日がそもそもは初曾孫の誕生予定日だったからなのでした。
御家族は「お婆さんが今日までこの娘とその赤ちゃんを見守ってくれたんだね。」と言って、目を真っ赤にされておりましたが、私も正にその通りだと強く同意せざるを得ませんでした。
これほどまでに淡々と、しかし強く立派な一族を作り上げた立派なお婆さん。社会的には全く外に知られることもない市井の方でしたが、大正・昭和・平成・令和と4つの時代を駆け抜けたこの小さなお婆さんには、如何なる勲章も及ばない形のないメダルが家族からお婆さんに贈られたなと思いました。
御家族も「これでもう安心。お婆ちゃんが出産の守り神になってくれたよ。」と言って強く頷かれていたのが印象的でした。その時、お婆さんの魂は初曾孫の中に移り変わって生きていくのではないだろうか?と科学とは無縁のことをふと考えてしまった私でした。
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