2020年5月6日水曜日

アートを選択する人間が大学に進学する意味とは

次女のアート系スクールへの進学で長女が疑問を呈してきました。

彼女の本質的な疑問はアートを行う人間に「大学」という場での教育は必要なのかというものでした。正直な所、私はそういった事に関する回答や現状を全く知りません。
例えば、アートのある分野XXXにおいて成功するには東京芸大のXX科を出なければまず成功しない、とかそういうモノなのかということも無論知りません。

特別な例ではありますが、モーツアルトのような所謂「天才レベル」の人間も、音楽家であった親父さん無しでは少なくとも早期教育も含めて完成しなかったでしょうし、ピカソだって画家であった親父さんをしてまだまだ子供であったピカソに対して「もうこの子に私が教えてあげられることは何もない」と言わしめるほどの天才であったとしても、そのきっかけを作ったのはやはりその親父さんだったことは間違いありません。しかも、彼の場合アカデミズムの学校に入学したもののその無意味さに気づいて辞めちゃってるんですが、それは飛び抜けていたからだけではないと思うんですね。

実際、その後は美術館などで模写などをしてしばらく過ごしているしわけですが、彼の場合は少なくともそこで学ぶべき技術は教える側を上回っていたからこそいる必要がなかっただろうし、哲学的な意味での美術の存在を考察した上でその上を行くのにもう習うべきものは何もなかったのではないかと考えるのです。
15歳のピカソの絵!怪物です・・・
ですから、娘の場合は何らかの「技術」を習得するという過程がまだまだ必要なので、アートを将来の仕事に定めようとするのであれば、評論や教育家としての方向は別として、製作者としてはまだまだこれから技術を付け続けねばならないのではとも思うし、周囲の別のスキルや価値観を持つ芸術家の卵たちと触れ合うことで触発されて開花するなにかもあるのではと思うのですが・・・何も言うことは出来ません。

私が大金持ちなら学費をサクサク払っていくことに何の問題もないのですが、今認定されているメリットベースの奨学金の約2万ドルが無ければ総額は4万ドル、しかも、コロナの影響で本来もっとも大切と考えられるヒト・ヒトの接触による出会いと教育が大切なアートの世界で、それが希薄になる可能性の高い状態での入学にその金額を費やす価値があるのか・・・という疑問が消えないのです。

実際、次女自身もこのままの状態で密な教育が行われないのなら、大学の入学をdefer(辞退)しようかな、友考えているようで、実際テキストでもそれを可能性として送ってきています。一体彼女は未来においてアートを通じて何がしたいのか、表現者として生きたいのかそれとも他にビジネスや教育の道でアートを専攻したいのか。よくわからないところです。

現代の複雑で巨大なアートの世界。私達の見えないところにあるネットワークのことを知らないままでいろいろなことを選択するのは結構悩むものです。

とは言え、こんな事に親が口を挟むのもな・・・いや、金を出すのは俺だな・・・と行ったり来たりです。orz
誰かなんかそういったところを知っている人が居たら教えてもらいたいくらいですが、東京芸大の卒業生のかなりの人は消息知れず何ていう話も本で読んだことがあるので、やっぱりこの世界は難しいものなのでしょうね。


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